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ホウ・シャオシェン監督『冬冬の夏休み』その2

2019-11-11 03:01:00 | ノンジャンル
 今日はミシェル・ルグラン氏が映画監督のジャック・ドゥミの意向に沿って『シェルブールの雨傘』の作曲を始めてからちょうど59年目にあたる日です。
 ドゥミ監督については、ウィキペディアの文章を一部引用させていただくと、「1961年の『ローラ』で映画監督としてデビューして「ヌーヴェルヴァーグの真珠」にたとえられる、この作品で「恋の歓びと哀しみをまるでお伽話のような純粋さで謳いあげ」「この時代錯誤的なまでに単純な主題をつらぬくために」ミュージカルという「反時代的な形式を必要とした」。「1963年に製作したカトリーヌ・ドヌーヴ主演のミュージカル『シェルブールの雨傘』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。ミシェル・ルグランと共に手掛けた音楽はそれまでのミュージカル映画に新たな波を引き起こした」。、正確にはゴダールも『女は女である』で同じ試みをしていますが、『シェルブール』では、台詞がすべて唄という夢のような試みを実験していて、その実験は大成功を収め、感動的なラストシーンを生んだのは、もう既にみなさんがご存知であることと思います。
 先日トワエモワのコンサートに行った時も感じたことですが、やはり音楽の力というのはとても強くて素晴らしい!! と再認識した次第です。見事な曲の数々と素晴らしい映画を我々に残していってくださったミシェル・ルグラン氏とジャック。ドゥミ監督、本当にありがとうございました。そして改めてご冥福をお祈り申し上げます。


 さて 昨日の続きです。

 強盗事件は新聞にも出た。トントンがチャンミンの新居を訪れると、そこには犯人の若者ふたりがいた。帰ってきたチャンミンが急場を救う。ふたりはチャンミンの幼なじみで、新居も彼らから借りたらしい。誰にも言うなと約束させられたトントンだったが、祖父には話してしまい、祖父は警察にすぐ通報し、強盗事件の犯人ふたり組に加えて、チャンミンまで逮捕された。

 鬼よけの祭りの日、ティンティンは花火にあたって落ちた小鳥を拾った。トントンに見せても、もう死んでると相手にしてくれない。台北の病院からの知らせで、トントンの母が手術後、意識を失ったまま重体だという。祖母は泣きながら今すぐ台北へ行くと言って祖父を困らせている。ティンティンが小鳥を抱いてハンズのところへ相談に行くと、ハンズは泣きながら何かを叫び、小鳥を木の上の巣に戻そうとして木から落ち、腰をうって失神する。ハンズのために駅から呼び戻される祖父。

 その夜、ティンティンはサイズのそばを離れようとせず、トントンはトントンで母が意識を回復したとの電話があるまで起きていようとがんばるのだが……。

 長い夜が明けた。流産したハンズはティンティンのそばで無事に目ざめ、トントンの眠っている間に台北の母が命をとりとめたとの知らせも入っていた。
 祖父はトントンに、親が子供にできることは子供の一生にくらべれば何ほどでもないと語って聞かせる。
 夏が終わる頃、祖父はチャンミンの勘当を許した。台北から父が自動車で迎えにきた。夢のように楽しかった友情の夏に、トントンは別れを告げていく。

 しみじみとした、いい映画で、動物がたくさん出てきました。私は不覚にもラストシーンで号泣してしまいました。ラストシーンでこれほど泣いたのは、アルドリッチの『カルフォルニア・ドールズ』以来かもしれません。とにもかくにも、一点の曇りもなく、傑作でした。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto