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宮田珠己『東京近郊スペクタクルさんぽ』

2019-11-12 06:01:00 | ノンジャンル
 宮田珠己さんの2018年作品『東京近郊スペクタクルさんぽ』を読みました。その「はじめに━━散歩の危機」の部分を転載させていただくと、

 ドーンと散歩しようじゃないか。ドーンと。
 と思ったのである。
 テレビや雑誌なんかを見ると、最近の散歩は、路地を歩いてマニアックな喫茶店を訪ねたり、奇妙な看板を発見したり、ちょっと変わったグルメを探し当てたり、古い建物を見てしみじみ味わうというような「しみじみ」方面に重きが置かれていて、まあ、散歩なんて本来そういうものかもしれないが、なんだか飽きてきたのである。
 そうじゃなくて、出会いがしらに、えええっ! と声をあげてひっくり返るぐらい、そのぐらいびっくりするような散歩はできないものか。

 そう考えたとき、想うのは東京の限界についてである。
 ひょっとするとこれは、東京に飽きたということではないだろうか。
 私が東京にやってきたのは今から30年近く前のことだ。就職したらたまたま東京勤務を命じられて上京したのだった。(中略)
 最初に住んだのは調布駅近くにあった会社の寮で、引っ越して早々屋上にあがって周囲を見晴らしてみたところ、驚くべきことを発見した。

 ……山がない。

 どこまでも見わたす限り街が広がって、その先に当然あるべき山が見えなかった。
 そういうのあり?(中略)
 山がなければ、当然山の向こう側もなく、どこまで行ってもこっち側である。平坦だからどこまでも自由に歩いて行けそうなものの、山の向こう側を想像できないのは、かえって閉じ込められているみたいで息が詰まるではないか。
 なんという恐ろしい場所に来てしまったのか。こんなのはまともな人間の住む場所ではない。
 それが私にとっての東京の第一印象である。(中略)
 地図で見れば、この無節操なぺったんこさがつまり関東平野ということであった。
 これほど起伏の乏しい地面は、あの広大な北海道にもない。あるとすれば国外、オーストラリアの真ん中らへんとか、サハラ砂漠とか、あとはたぶん冥王星とかだろう。
 その結果、東京で散歩しようとすると、平地ばかりなのでどうしても街歩きが中心になるわけなのだ。(中略)
 ショボいぞ、東京。(中略)
 一方、高低差は乏しくても、人情があるじゃないか、と言う人があるかもしれない。
 んー、人情……。
 そんなのはどこの街にだってある。

 旅や散歩で大切なのは、人情ではない。
 スペクタクルだ。

 とニーチェも言っている。……仮に言ってないとしても、言いたかったはずだ。ニーチェじゃなければ、きっとゲーテが言いたかっただろう。
 今こそスペクタクルな散歩が求められている。そのことがはっきりした。誰にということはないが、強く求められている。
 よおし。行くぞ行くぞ。今こそ納得のいく真の散歩に。
 調べてみると、東京近郊にも驚きのスポットはないわけではないようだった。探せばちゃんとあるのである。
 そういうわけで、さっそくスペクタクルさんぽを始めることにする。

 以上が「はじめに……散歩の危機」の転載です。

 そして目次も転載すると、「第1章 地底湖とヘンテコな町」(栃木県の宇都宮市郊外、大谷石採集場の跡地)、「第2章 地下500mの巨大空洞」(群馬県の上野ダム)、「第3章 ジェットコースター・モノレール」(湘南モノレール)、「第4章 もりあがる彫刻(波の伊八編)」(伊八の社寺彫刻)、「第5章 ますますもりあがる彫刻(後藤義光編)」(うじゃうじゃとしているように見える後藤義光の社寺彫刻)、「第6章 ジャングルとカニ」(小網代の森)、「第7章 世にも奇妙な素掘りトンネル」(さまざまな変わったトンネル)、「第8章 工場の中を走る電車」(静岡県の岳南電車)、「第9章 隠れキリシタンの魔境」(神奈川県大磯にある澤田美喜記念館にある隠れキリシタンの遺物)、「第10章 渓谷と森の番人」(足尾銅山跡とその上流の松木渓谷)、「第11章 本物の砂漠を見に(全編)」(伊豆大島にある砂漠)、「第12章 本物の砂漠を見に(後編)」(伊豆大島の三原山にあるスライダーと火口に降りたゴンドラ)となります。

 宮田さん独特のユーモラスな語り口とともに、一気に読める本でした。エンタメノンフの最良の書と言えるでしょう。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto