”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

様々な理屈を並べているが,,,マスコミには踊らされてはいけない

2010年06月24日 12時14分15秒 | 政治
いよいよ,参議院選挙が公示となった。
マスコミは,こぞって「消費税」,「普天間」,「マニフェスト」を争点にし,2大政党の勝ち負けのみを演出しているが,そもそも良識の府といわれる参議院においては,その実務性,専門性を中心に政策の肉付けが問われなければならないはずである。

そういった意味においては,増税分を福祉に充てる(自民党と民主党ではニュアンスが違うが)ということの前提として,あるべき福祉の姿が示されなければ何にもならない。

その筆頭が「基礎年金額」の引き上げである。
筆者は,生活保護最低生活費と基礎年金額の逆転現象に以前より疑問を呈してきた。
現在生活保護者の多くを占める65歳以上の高齢世帯の中には,満額国民年金をかけた人が少なくない。
その方々は,若い時から将来,「年金で暮らせる」と信じてきた人たちである。
しかし,ふたを開けてみると何と全く年金をかけてこなかった人たちの代表格である生活保護受給者より生活費が少ないことに愕然としているといったのが現状ではなかろうか。
格差問題より問題なのが,こうした努力に対する不公平感,諦観が増長し,高齢者の生きがいを奪っていることである。
厚生労働省では,年金は将来に対する備えの性格,生活保護は生存権を補償するもので,おのずから性格が違うものであるという詭弁を繰り返している。
しかし,「現実は金」である。その意味で将来に無力感を感じさせないことがだいじなのである。
満額国民年金をかけてきた人が生活保護を受けなくても済むようにすること。これこそが,努力をしてきた人に自尊心を補償し,社会を元気にする源であると思っている。
したがって,福祉の将来像を明確に示すことが,本来参議院選挙の争点にならなければならないと思っているのである。

様々な意味で山積する問題を専門性をもって議論でき,官僚をも納得させられる人を選ぶこと,それこそが政治主導ではないだろうか?
感情論政治を改めなければ,民主党には未来はないと思うのは私だけだろうか?