”ばっきん”のブログ

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平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

朝日新聞は公明党を嘲笑するのか?

2009年09月09日 07時58分24秒 | 政治
9月7日から8日にかけてどういうわけかASAHI.COMでは公明党関連の記事を立て続けに配信した。
もともと左系の新聞だけに、公明党・創価学会に批判的なのはやむを得ないにしてもなんらかの力が働いているとみるのが適当か。
あるいは自民党のネタが尽きてきたためかは定かではないが、おそらく第3極潰しの一環キャンペーンとみる方が自然だろう。
少し長くなるが引用したい。

党のホープ、学会は様子見か 公明新代表内定の山口氏-2009年9月7日23時32分

「自分自身は参院の立場であります。落選も経験しています。政調会長として選挙の責任の一端があると思っている身でもあります」。山口那津男氏は公明党新代表に内定した7日、記者団にひたすら謙虚に振る舞った。
 東大卒業後、弁護士に。90年衆院選へ出馬を要請された時は「最も無縁な世界」と悩んだが、リクルート事件で露呈した自民党の腐敗への憤りが決断を後押しした。それから19年、自公連立のしがらみを断つ重責を担う。
 当選同期の北側一雄幹事長とともに「党のホープ」と言われたが、96、00年の衆院選東京17区で自民党の平沢勝栄氏に連続して敗れ、01年に参院議員に転じた。「回り道の人生」と周囲に漏らす。ポスト太田代表の筆頭だった北側氏の落選で、党の非常事態を救う役割が回ってきた。
 「弁舌さわやかでまじめな人柄」と評される一方、自民党との政策協議を理詰めで押し通し「堅物」と陰口もたたかれた。論戦力が大事な野党党首として適任との評価がある一方、自民でも民主でもない是々非々路線で党内をまとめる指導力には不安も残る。
 創価学会青年部長を務めた太田氏や創価大1期生の北側氏と比べ、学会とのパイプは太くない。「印象は薄い。今後の手腕次第で評価は上下する」(学会幹部)とお手並み拝見の空気も漂い、早くも党内から「衆院は幹事長と国対委員長が仕切る」との声も漏れる。
 自公連立の総括から手がけるが、連立を主導した「ご意見番」たちは健在だ。自民党を押し切った「堅物」ぶりを党内でも貫けるか、いきなり正念場だ。

常勝の関西議席も総崩れ 公明、苦悩の野党再出発-2009年9月8日0時39分

 総選挙で8人の小選挙区候補全員が落選した公明党が苦悩している。大阪、兵庫は支持母体・創価学会の牙城(がじょう)だけに、その衝撃は大きい。野党転落で影響力低下は免れず、小選挙区からの撤退論も出始める。10カ月後の参院選に向け、戦略の見直しを迫られている。
 「現場に問題があったのではない。今回の選挙は党中央の責任です」
 公明党大阪府本部で5日、大阪16区で落選した北側一雄幹事長が頭を下げた。「常勝関西の議席を失い申し訳ない」(大阪5区・谷口隆義氏)、「自分の責任を痛感している」(大阪6区・福島豊氏)などの落選の弁が続き、府内の地方議員が出席した約250人の会合は重苦しいものになった。
 府内の公明前職は民主新顔に、最大2万票超の差をつけられて敗北した。党勢を示すと言われる全国の比例票も805万票。05年総選挙より93万票も減らす惨敗だった。ある大阪府議は「やるだけのことはやったが勝てなかった。この選挙は自公連立10年の総決算だ」と振り返った。
 99年10月、公明党は自民党と連立政権を組む。与党として児童手当拡充などの実績を強調してきたが、当事者の負担増につながる障害者自立支援法や後期高齢者医療制度の導入、生活保護世帯の母子加算廃止なども相次いだ。
 「平和と福祉」の党というイメージは薄まり、「弱者の味方ではなかったのか」と批判も浴びた。辛うじて比例区で議席を守った議員は「傲慢(ごうまん)すぎた。身の丈であるべきだった。三十数議席で300議席を持つ大政党を振り回し、自分たちの力を錯覚し、不信感が相手にも募った」。
 実際、自民党の支持はもろかった。朝日新聞の出口調査では、公明前職が戦った府内の4小選挙区で、自民支持層が公明候補に投票したのは5割前後。3割以上が民主候補に流れていた。
 半世紀以上前、池田大作・名誉会長が足を運んで拡大したとされる関西の創価学会は「常勝関西」と呼ばれ、関係者にとって特別な存在だ。
 投票日前日。ごく少数の学会幹部に「小選挙区全滅」の予測が伝わっていた。幹部の一人は言う。「数十年かけて培ってきたものをいったん区切らないといけない。創価学会として支援活動の一つの限界点。いくら積み上げても、限界があることを受け止めないといけない」
     ◇
 公明党・創価学会内では「小選挙区から撤退すべきだ」との声も漏れる。関西の党関係者は「組織の全勢力を注ぎ込んでも勝てなかった。小選挙区をやり続けていては党が成り立たない」と危機感をあらわにする。
 2大政党が定着する中、少数政党が小選挙区で勝つのは難しい。自民との連立が崩れ、民主党との関係見直しも迫られる。公明党大阪府本部の白浜一良代表は5日、府外の地方議会での民主に批判的な意見書提出の動きに触れ、「感情的にやるのは得策でない」と強調し、府内の地方議員にクギをさしたという。
 党再建の試金石となるのが来年夏の参院選だ。創価学会は来年、創立80周年を迎える。比例得票の目標は「1千万票」。大阪選挙区(改選数3)の1議席は、1956年に初めて国政で獲得した「常勝関西」を象徴する議席だ。民主は2人擁立する構えで、激戦になるのは必至だ。北側幹事長は3日の辞任会見で「関西でわが党の力が弱まったという思いはない。参院選では絶対に党として勝ちます」と強調した。
 総選挙敗北後、創価学会内部では、池田名誉会長のメッセージとして、こんな言葉が伝わっている。
 「ご苦労さま! 『負けるが勝ち』だ。先は長い。意味がある」

自公連立「埋没した」「らしさ発揮」 公明役員会が紛糾-2009年9月8日3時1分

 公明党の新代表に山口那津男氏を内定した7日の党常任役員会で、10年間の自公連立政権の総括を巡って議論が紛糾したことが分かった。公明党が埋没したとの総括を目指す新執行部に対し、連立を主導した重鎮たちが反発。山口新体制は「連立の後始末」で波乱含みのスタートだ。
 常任役員会では、山口氏が8日の全国代表者会議で読み上げる就任あいさつの内容が議論になった。出席者によると、山口氏側が示した原案には「連立政権の中で埋没した」「この10年間で公明党らしさが失われた」「政権運営に時間を取られ、支持者への説明が十分できなかった」との趣旨の言葉が盛り込まれていたという。
 これに対し、引責辞任する太田代表が「公明党らしさを十分発揮してきたし、努力してきた。一刀両断に『なかった』というのは不本意だ」と強く反発した。同じく辞任する北側一雄幹事長や、落選した冬柴鉄三前幹事長ら自公政権を主導した執行部経験者からも「連立の枠組みの中で全力を尽くしてきた」などと修正を求める声が続出。原案は修正され8日午前に改めて調整することになったという。
 山口氏は、総選挙惨敗を受けて自公路線に代わる針路を示し、来夏の参院選に向けて党の独自性をアピールすることを期待されている。だが、党内には自公路線へのこだわりもなお強い。出席者の1人は「原案は山口氏を中心に作成した。自公連立の負の部分を総括したい新執行部と、連立を支えてきた自負がある旧執行部の意識の差が対立になって表れた」としており、党再建の行方は不透明だ。

以上3本であるが、煎じ詰めれば①山口新代表は、旧執行部の影響を排除できず、自民党の縁は切れない。②常勝関西でさえも小選挙区には否定的、③既に内部抗争が表面化といったところで同党の凋落は避けられないと見込んでいるのだろう。私自身の分析は後日書き込みたいと思っている。