前回に「兵庫の鉄道廃線を歩く」という本を紹介しましたが、早速、手短な鍛冶屋線跡を訪れました。
この日は蒸し暑く、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様でしたのでジュークで出撃です。さらに、いつも一人でマジェで出かけていますので、私がツーリングでよく立ち寄るところを家内に案内しましょうということで、二人でお出かけです。
自宅を出発して、早速、渋滞となります。この第二神明・大蔵谷ICに向かう県道はいつも混んでいます。
退屈なのでカメラを片手に・・・で、こんな処方箋薬局を発見。なんとドライブスルーなんですね。我家の近所ですが、全く知りませんでした。
自宅を出発して、1時間半ぐらいで「鍛冶屋線市原駅記念館」に到着です。ちなみにこの記念館は無人・無料の記念館ですが、トイレは完備されています。また電話がありませんので、ナビの目的地設定は住所を入力する必要があります。
この記念館の前の道路の一部が線路だったのでしょう。
入館すると、こんなパネルが展示されています。
パネルに記載されているキップ売場です。キップ売場というよりは、大きな公衆電話BOXのようですが・・・大正9年に作られたものです。
館内はこんな感じです。
字が小さく見辛いでしょうが、鍛冶屋線のあゆみです。
時代は分かりませんが運賃表です。市原駅から大阪駅までは470円ですが、現在の西脇市駅から大阪駅は1,620円ですから、結構、古い運賃表です。ただ新大阪駅が記載されていますので、1964年の東海道新幹線開通以降の運賃表でしょう。
廃線が近づいた頃の新聞記事です。西脇は織物の街ですので、多くの女工さんが働いていました。
以下、ざぁ~と展示品の写真をどうぞ。ちなみに鍛冶屋線と加古川線との接続駅である野村駅とは、現在の西脇市駅のことです。
この記念館の屋外には、鍛冶屋線で使われていた気動車が保存されています。オリジナルのカラーリングであれば嬉しかったのですが、地元の子供たちがデザインしたようですので仕方ないですね。
ホームの一部も残っています。
展示されている気動車はキハ30系です。外側吊ドアが特徴ですね。
シートはベンチシートですね。痛みが進んでいるようです。
エアコンなど無く、もちろん冷房は扇風機です。
上げ下げ開閉の窓です。指で挟んで解除する窓ロックが超懐かしいです。
「鍛冶屋線市原駅記念館」を後にして、現役の加古川線の駅を見て帰りましょう。西脇市駅は行路で見えましたので、新西脇駅に向かいます。ナビを設定して到着したのは、何か倉庫のような建物の前でした。
が、これが新西脇駅でした。駅前(と言っていいのか極めて疑問)に隣接したお家の方が、写真を撮っている私を不思議そうに見ていました。(笑)
駅構内です。トイレは見当たりませんでした。
もう何十年も使われていないと思われる改札です。
運賃表と時刻表です。上下線共、全く電車が来ない時間帯があります。ウィキによると、2010年の一日平均乗車数は「7人」だそうです。各駅停車の普通列車でさえ全て停車しない播但線の長谷駅でも「32人」ですから、いかに少ないのかお分かりでしょう。秘境駅として名高い徳島の坪尻駅の「2人」に並ぶ日も近いかもしれません。
ホームと駅名標です。一日平均乗車数「7人」でも、ホームにはスロープが付けられバリアフリー化されています。
新西脇駅の後は小野~加古川方面に向かったのですが、これは次回に紹介します。
この日は蒸し暑く、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様でしたのでジュークで出撃です。さらに、いつも一人でマジェで出かけていますので、私がツーリングでよく立ち寄るところを家内に案内しましょうということで、二人でお出かけです。
自宅を出発して、早速、渋滞となります。この第二神明・大蔵谷ICに向かう県道はいつも混んでいます。
退屈なのでカメラを片手に・・・で、こんな処方箋薬局を発見。なんとドライブスルーなんですね。我家の近所ですが、全く知りませんでした。
自宅を出発して、1時間半ぐらいで「鍛冶屋線市原駅記念館」に到着です。ちなみにこの記念館は無人・無料の記念館ですが、トイレは完備されています。また電話がありませんので、ナビの目的地設定は住所を入力する必要があります。
この記念館の前の道路の一部が線路だったのでしょう。
入館すると、こんなパネルが展示されています。
パネルに記載されているキップ売場です。キップ売場というよりは、大きな公衆電話BOXのようですが・・・大正9年に作られたものです。
館内はこんな感じです。
字が小さく見辛いでしょうが、鍛冶屋線のあゆみです。
時代は分かりませんが運賃表です。市原駅から大阪駅までは470円ですが、現在の西脇市駅から大阪駅は1,620円ですから、結構、古い運賃表です。ただ新大阪駅が記載されていますので、1964年の東海道新幹線開通以降の運賃表でしょう。
廃線が近づいた頃の新聞記事です。西脇は織物の街ですので、多くの女工さんが働いていました。
以下、ざぁ~と展示品の写真をどうぞ。ちなみに鍛冶屋線と加古川線との接続駅である野村駅とは、現在の西脇市駅のことです。
この記念館の屋外には、鍛冶屋線で使われていた気動車が保存されています。オリジナルのカラーリングであれば嬉しかったのですが、地元の子供たちがデザインしたようですので仕方ないですね。
ホームの一部も残っています。
展示されている気動車はキハ30系です。外側吊ドアが特徴ですね。
シートはベンチシートですね。痛みが進んでいるようです。
エアコンなど無く、もちろん冷房は扇風機です。
上げ下げ開閉の窓です。指で挟んで解除する窓ロックが超懐かしいです。
「鍛冶屋線市原駅記念館」を後にして、現役の加古川線の駅を見て帰りましょう。西脇市駅は行路で見えましたので、新西脇駅に向かいます。ナビを設定して到着したのは、何か倉庫のような建物の前でした。
が、これが新西脇駅でした。駅前(と言っていいのか極めて疑問)に隣接したお家の方が、写真を撮っている私を不思議そうに見ていました。(笑)
駅構内です。トイレは見当たりませんでした。
もう何十年も使われていないと思われる改札です。
運賃表と時刻表です。上下線共、全く電車が来ない時間帯があります。ウィキによると、2010年の一日平均乗車数は「7人」だそうです。各駅停車の普通列車でさえ全て停車しない播但線の長谷駅でも「32人」ですから、いかに少ないのかお分かりでしょう。秘境駅として名高い徳島の坪尻駅の「2人」に並ぶ日も近いかもしれません。
ホームと駅名標です。一日平均乗車数「7人」でも、ホームにはスロープが付けられバリアフリー化されています。
新西脇駅の後は小野~加古川方面に向かったのですが、これは次回に紹介します。