2/7のレース後、エタンダールの転厩が電撃的に発表されました。
それから一週間が経ち、ザワザワしていた気持ちも何となく落ち着いてきましたので、今日はこの先エタンダールがお世話になる中館新調教師について書いてみたいと思います。
中館騎手と言えば、ちょっと古い競馬ファンならツインターボやヒシアマゾンの鞍上としての印象が強いかもしれませんが、私のイメージは、“中央場所ではあまり見かけないのにローカル開催でバンバン勝ちまくる不思議な騎手”、というものでした。
当時は、『年間100勝以上する騎手が、なんでいつもローカルにいるんだろう?』と思っていましたねぇ。
(ツインターボやヒシアマゾン、自分の年齢を思い知らされるようで微妙ですが(^_^;))
まあ、そもそもJRAで1800勝以上を挙げたのですから、そりゃあ並大抵の騎手ではなかったワケですが、その勝ち星は、あえて表舞台での活躍を捨てる、つまり、ローカルを主戦場として乗鞍・勝ち星を増やすというやり方で積み重ねたものです。
当然のことですが、ローカルを主戦場にしようがどうしようが、1800も勝つ騎手なんて滅多にいるものではありません。。 どころか、クラシックやG1で活躍したいという気持ちを抑えてひたすらローカル開催で未勝利戦や下級条件戦に乗り続ける、そういうやり方を貫くためには、人並み外れた精神力の強さ、粘り強さが必要だと思うんですよね。
そんなにまでして中館騎手がなぜローカル開催に拘ったかというと、それは2002年まで存在していた、“1000勝ジョッキーは調教師試験の一次(筆記)試験免除”というルールがあったからだと聞いたことがあります。
要するに、中館騎手は比較的若いころから、「将来は調教師に」という思いを持っていたんですね。
ところが、自分なりの方法で1000勝条件をクリアしようとしていたにもかかわらず、残念なことに“1000勝ルール”は2002年で終了し、1000勝しようが1800以上勝とうが調教師になるにはきちんと試験を受けなければならなくなり…。
騎手をやりながら試験勉強をするのはとても大変なことですし、しかも途中でルールを変えられたりしたら、普通の人なら文句を言ったり愚痴ったり、その先に進む気力を奮い立たせるだけでも難しいと思います。
そんな状況下でも、中館調教師は現実を受け入れたうえで、自分の目標に向かって出来ることをコツコツと積み重ねていったわけで、そういう努力を継続出来たこと自体が本当に素晴らしいと思います。
ちなみにネットをいろいろ見ていたら、昨年の12/12に中館騎手の調教師試験合格を伝える記事がありました。
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■Sponichi Annex 『49歳ベテラン悲願、中舘が調教師合格 骨折が転機「騎手に未練ない」』
JRAは平成27年度新規調教師試験の合格者を発表した。関東ではG1・3勝を挙げた中舘英二騎手(49)ら3人、関西でも渡辺薫彦元騎手(39)ら3人が合格。競争倍率19・5倍(出願者117人)の超難関試験を突破した6人には、来年3月1日付で調教師免許が交付される。
記者会見に臨んだ中舘は「調教師試験が何度も夢にまで出てきた。自信は全然なかったけど、合格発表の午前10時に着信がいっぱい入ってきて…。受かって良かった」と満面の笑みを浮かべた。
希代の逃げ馬ツインターボ、女傑ヒシアマゾンなど、個性派ホースとコンビを組んだ49歳のベテランに転機が訪れたのは12年2月。京都競馬場で落馬し、背骨骨折の重傷を負った。「もう乗り役はきついかな」。2カ月後に復帰したが、当時47歳の肉体は悲鳴を上げていた。そして10年前から意識し始めたという調教師への転身に本腰を入れた。
だが、初受験した昨年は不合格。競馬関係法規から労働関係法規、衛生学まで多岐にわたる試験の競争率はおよそ20倍の難関。「勉強から離れて何十年もたっているし、年を取ると記憶力も鈍って、せっかく覚えてもレースに騎乗した途端に記憶が飛んでしまう。」
今年5月中旬からはレースを離れて受験勉強に没頭した。自宅では集中できないため、平日は静かな調整ルームに通って朝から晩まで参考書にかじりつく日々。「机に向かった瞬間から、出ムチの入れっぱなしだった」。逃げ馬に入れたカツを自らに叩き込み、9月の1次試験(筆記=出願117人中24人合格)、今月2~4日の2次試験(口頭)を突破した。
「(騎手としての晩年は)ローカルに回って、ぎりぎりのところで勝たなきゃいけない馬に乗ってきた。調教師になってもそういう馬をしっかり勝たせたい」。騎手生活30年でJRA通算1万7695戦1823勝。「随分乗せてもらったから騎手に未練はない」とクールに語るが、思い出の馬を問われた途端に感極まった表情を浮かべた。「アサヒエンペラーです」。デビュー3年目の86年に皐月賞、ダービー連続3着。騎手としての原点になった“無冠の大器”を胸に第2の競馬人生を踏み出す。
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49歳は調教師としては遅い出発になりますが、騎手として稀有な経験を積んだ方ですし、また、目的に向かって集中し、努力を続ける才能に恵まれた方ですから、きっと調教師としても個性的な仕事をされるのではないかと思います。
「ローカルに回ってギリギリのところで戦っている、勝たなきゃいけない状況の馬をしっかり勝たせたい」、こんなコメントが出来る新人調教師って、当たり前ですがなかなかいないですからね。
正直なところ、新人の中館調教師がエタンダールの力をどう引き出すかは全く未知数です。
ですが、開業したての厩舎は他から引き継いだ馬や人材を中心に回り出すものですし、転厩が決まった以上は、エタンダールが中心となって新規開業厩舎を引っ張っていく!ぐらいの気持ちでいようと思います。
まあ、引き続き私には他に出来ることがありませんので、今まで通り一生懸命応援するだけなんですけどね(^^ゞ
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それから一週間が経ち、ザワザワしていた気持ちも何となく落ち着いてきましたので、今日はこの先エタンダールがお世話になる中館新調教師について書いてみたいと思います。
中館騎手と言えば、ちょっと古い競馬ファンならツインターボやヒシアマゾンの鞍上としての印象が強いかもしれませんが、私のイメージは、“中央場所ではあまり見かけないのにローカル開催でバンバン勝ちまくる不思議な騎手”、というものでした。
当時は、『年間100勝以上する騎手が、なんでいつもローカルにいるんだろう?』と思っていましたねぇ。
(ツインターボやヒシアマゾン、自分の年齢を思い知らされるようで微妙ですが(^_^;))
まあ、そもそもJRAで1800勝以上を挙げたのですから、そりゃあ並大抵の騎手ではなかったワケですが、その勝ち星は、あえて表舞台での活躍を捨てる、つまり、ローカルを主戦場として乗鞍・勝ち星を増やすというやり方で積み重ねたものです。
当然のことですが、ローカルを主戦場にしようがどうしようが、1800も勝つ騎手なんて滅多にいるものではありません。。 どころか、クラシックやG1で活躍したいという気持ちを抑えてひたすらローカル開催で未勝利戦や下級条件戦に乗り続ける、そういうやり方を貫くためには、人並み外れた精神力の強さ、粘り強さが必要だと思うんですよね。
そんなにまでして中館騎手がなぜローカル開催に拘ったかというと、それは2002年まで存在していた、“1000勝ジョッキーは調教師試験の一次(筆記)試験免除”というルールがあったからだと聞いたことがあります。
要するに、中館騎手は比較的若いころから、「将来は調教師に」という思いを持っていたんですね。
ところが、自分なりの方法で1000勝条件をクリアしようとしていたにもかかわらず、残念なことに“1000勝ルール”は2002年で終了し、1000勝しようが1800以上勝とうが調教師になるにはきちんと試験を受けなければならなくなり…。
騎手をやりながら試験勉強をするのはとても大変なことですし、しかも途中でルールを変えられたりしたら、普通の人なら文句を言ったり愚痴ったり、その先に進む気力を奮い立たせるだけでも難しいと思います。
そんな状況下でも、中館調教師は現実を受け入れたうえで、自分の目標に向かって出来ることをコツコツと積み重ねていったわけで、そういう努力を継続出来たこと自体が本当に素晴らしいと思います。
ちなみにネットをいろいろ見ていたら、昨年の12/12に中館騎手の調教師試験合格を伝える記事がありました。
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■Sponichi Annex 『49歳ベテラン悲願、中舘が調教師合格 骨折が転機「騎手に未練ない」』
JRAは平成27年度新規調教師試験の合格者を発表した。関東ではG1・3勝を挙げた中舘英二騎手(49)ら3人、関西でも渡辺薫彦元騎手(39)ら3人が合格。競争倍率19・5倍(出願者117人)の超難関試験を突破した6人には、来年3月1日付で調教師免許が交付される。
記者会見に臨んだ中舘は「調教師試験が何度も夢にまで出てきた。自信は全然なかったけど、合格発表の午前10時に着信がいっぱい入ってきて…。受かって良かった」と満面の笑みを浮かべた。
希代の逃げ馬ツインターボ、女傑ヒシアマゾンなど、個性派ホースとコンビを組んだ49歳のベテランに転機が訪れたのは12年2月。京都競馬場で落馬し、背骨骨折の重傷を負った。「もう乗り役はきついかな」。2カ月後に復帰したが、当時47歳の肉体は悲鳴を上げていた。そして10年前から意識し始めたという調教師への転身に本腰を入れた。
だが、初受験した昨年は不合格。競馬関係法規から労働関係法規、衛生学まで多岐にわたる試験の競争率はおよそ20倍の難関。「勉強から離れて何十年もたっているし、年を取ると記憶力も鈍って、せっかく覚えてもレースに騎乗した途端に記憶が飛んでしまう。」
今年5月中旬からはレースを離れて受験勉強に没頭した。自宅では集中できないため、平日は静かな調整ルームに通って朝から晩まで参考書にかじりつく日々。「机に向かった瞬間から、出ムチの入れっぱなしだった」。逃げ馬に入れたカツを自らに叩き込み、9月の1次試験(筆記=出願117人中24人合格)、今月2~4日の2次試験(口頭)を突破した。
「(騎手としての晩年は)ローカルに回って、ぎりぎりのところで勝たなきゃいけない馬に乗ってきた。調教師になってもそういう馬をしっかり勝たせたい」。騎手生活30年でJRA通算1万7695戦1823勝。「随分乗せてもらったから騎手に未練はない」とクールに語るが、思い出の馬を問われた途端に感極まった表情を浮かべた。「アサヒエンペラーです」。デビュー3年目の86年に皐月賞、ダービー連続3着。騎手としての原点になった“無冠の大器”を胸に第2の競馬人生を踏み出す。
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49歳は調教師としては遅い出発になりますが、騎手として稀有な経験を積んだ方ですし、また、目的に向かって集中し、努力を続ける才能に恵まれた方ですから、きっと調教師としても個性的な仕事をされるのではないかと思います。
「ローカルに回ってギリギリのところで戦っている、勝たなきゃいけない状況の馬をしっかり勝たせたい」、こんなコメントが出来る新人調教師って、当たり前ですがなかなかいないですからね。
正直なところ、新人の中館調教師がエタンダールの力をどう引き出すかは全く未知数です。
ですが、開業したての厩舎は他から引き継いだ馬や人材を中心に回り出すものですし、転厩が決まった以上は、エタンダールが中心となって新規開業厩舎を引っ張っていく!ぐらいの気持ちでいようと思います。
まあ、引き続き私には他に出来ることがありませんので、今まで通り一生懸命応援するだけなんですけどね(^^ゞ

9Rの尖閣湾特別にサケダイスキが登場(鞍上は中舘騎手)
この日、初めて知ったサケダイスキ
馬名から注目しておりました
レースはサケダイスキの圧勝だったのですが
最後の直線、ぶっちぎり状態のサケダイスキ
実況は「サケダイスキ! サケダイスキ! サケダイスキ!」を連呼
その時、指定席のお客さんから「俺もだぁ~」との掛け声
場内、爆笑(^o^)
「中舘ぇ~」との掛け声も有り
更に爆笑(^O^)
それから、サケダイスキをサケちゃんと呼び、追いかけるように
その後のサケちゃん
中舘騎手により準オープンまで行きましたが、オープン入りは果たせませんでした
それは、準オープンから中舘騎手の騎乗が無かったからではないのか
サケちゃんはつぶやいた
「やはり、マイジョッキじゃないと」
「いい感じで飲めない」
「あっ、いやっ、走れない」
あらっ(・_・;)
何だか全然関係無い事を長々と…
失礼致しましたぁ~ ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
「俺もだ~!」 って、なんかいいですね(^_^)
それにしても、中館騎手ほどローカルの雰囲気がマッチする騎手も珍しかったですよね。
きっと探せばいろいろなエピソードがあるんでしょうねぇ(^_^;)