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鶴岡の歌(鶴岡市民の歌)

2015-06-01 10:34:26 | その他
 私は荘内は鶴岡の生まれです。両親も鶴岡の生まれですが、事情があって私が2歳のときに埼玉県に転居して来ました。幼いころは年に1回くらい帰省しましたが、成人後はめったに帰省もしませんでした。しかし育ちは埼玉でも、荘内人の端くれという自覚は心の隅に残っていて、ことにつけては故郷をしみじみと思うのです。日本の歴史と古風な和歌に興味があった私は、鶴岡をゆかしく思う心を歌に詠んでみました。(この歌を詠んだ最初の目的は、鶴岡市長であった叔父を励まし慰めるためでした。)

  ①武士(もののふ)の筋を貫く志今も伝はる誇りあるまち
  ②羽(う)の国の三山(みやま)の水に潤され瑞穂みのれる豊かなるまち
  ③哀しみも包む心にほぐされて歌声響く雪の降るまち
  ④緑なす千歳の岡に春風の命育む故郷のまち

 ①は、戊辰戦争に際して目先の利に走ることなく、最後まで義のために戦った誇りを歌っています。会津若松城が落城した後も、譜代大名の庄内藩では、最後の最後まで徳川に忠誠を尽くし、新政府軍に抵抗しました。厳しい戦後処理を覚悟していたのですが、西郷隆盛の指示により、思いの外に寛大な取り扱いを受け、それ以来荘内の士族達は西郷隆盛に対する恩義を心に刻んだのでした。それは西南戦争に際しては、援軍に行くべきであるとの意見も出される程深いものでした。西郷が斃れた後もその心は変わることなく、荘内士族は西郷の肖像や書跡を秘蔵し、現在までその子孫達に及んでいます。現在も床の間に西郷の肖像が飾られている家は、間違いなく荘内士族の子孫なのです。旧藩主とその歴代当主に対する尊敬の念もなお保たれていて、荘内弁で「殿はん」と呼ばれて親しまれています。荘内人は、「利」よりも「義」を重んじた祖先の生き方を、今なお誇りに思っているのです。

 ②は、出羽三山を遠くに眺めながら農業に励み、豊かな収穫に恵まれる「農」のまちの姿を詠んだものです。荘内は古くからの米所。収穫量では他にまさる地域もありますが、荘内人の「農」にかける熱い心は勝るとも劣らないと思っています。しかし「農」はいくら人が努力したとて、天がそれに応えてくれなければ豊かに実ることはありません。この「出羽三山の水」は天の恵みの象徴でもあります。「農」とは、天と人との共同作業の結果というわけなのです。そういう意味で、荘内人は、自然、即ち天に対する感謝の心を決して忘れません。ま行の音を四つ重ねているのは、技巧と言えば技巧ですが、少し意図したものであります。

 ③は、唱歌「雪の降る街」の歌詞を採り入れて、鶴岡がこの歌の発祥地であることを意図して詠んだもの。この曲は、毎年のように鶴岡を訪ねた作曲家中田喜直が、鶴岡市で見かけた雪の夜の情景が描かれているます。それは後に作曲者自身が認めているということです。冬祭りの一環として毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」では、会場を埋め尽くす市民がフィナーレにこの曲を合唱しています。この歌は雪国の鶴岡にとっては、特別に愛着のある歌なのです。私は、荘内人の特質は人情の温かさにあると思っています。もちろん他の地域と比較することではありません。そのように自覚しているだけで、この歌の歌詞とメロディーは、その特質を十分に表現していると思っています。

 ④は、雪解け後の鶴岡に、若い命が育って行く喜びを詠んだもの。「千歳の岡」は「鶴は千年、亀は万年」からの連想で、「鶴岡」を「千歳の岡」と言い換えたもの。唱歌「雪の降るまちを」の二番の歌詞「緑なす春の日のそよ風」を承けています。春の命の芽吹きを待ち焦がれる心は、何も鶴岡に限ったことではありませんが、雪国ならではのものです。「緑」という色は、「緑の黒髪」「みどりご」という言葉があるように、若々しい命を象徴する色なのです。鶴岡は歴史あるまちというだけでなく、慶應義塾大学先端生命科学研究所に見られるように、最先端の生命科学の研究が始まった研究都市でもあります。「命育む」にはそのようなことも意識したつもりです。

 いつかこの歌に曲を付けてくれる人がいないものかと思い、5・7・5・7・7の短歌型式では曲も付けにくかろうと思って、77調に揃えてみました。

①歴史の動く嵐の中に 筋貫ける武士(もののふ)たちの 熱き心は今なお生くる
 我が鶴岡は誇りあるまち

②神の山々遥かにのぞむ 人の努めに天(あめ)は応えて あまねく地(つち)に瑞穂は稔る 
 我が鶴岡は豊かなるまち
(天・地・人を意図的に並べている)

③ふと気が付けばかたき心も 包む両手(もろて)に解きほぐされて 共に温もる歌声響く
 我が鶴岡は雪の降るまち

④野辺を潤す優しき雨を 親とも頼む若草萌えて  千歳の岡に命育む 
 我が鶴岡は故郷(ふるさと)のまち


 鶴岡市の歌という程までは望まないが、鶴岡市民の愛唱歌の一つにでもなればと思っている。せめて鶴岡を遠く離れていても、熱く故郷を思っている者の心を伝えることができれば嬉しいのだが。



 以上のような文章をネット上に公開して暫く経った平成27年8月、鶴岡市民の歌なるものの歌詞を公募していることを知り、早速募集要項を調べて、以下のように改作して応募してみました。


①神の山々はるかにのぞみ  つち耕せば稔りの秋は  見渡す限り黄金に染まる
 我らの鶴岡豊かなるまち

②寒さ厳しき冬の心も   包む両手(もろて)にときほぐされて  共にぬくもる歌声響く 我らの鶴岡雪の降るまち

③千歳の岡を潤す雨を  親とも頼む若草萌えて  みなそれぞれに命は育つ 
 我らの鶴岡夢のあるまち

 前掲の歌詞と少し異なるのは、未公開のものでなければならないからで、ほかに自分なりに推敲した結果です。市民の歌の歌詞は133もの応募があり、私の作は選外となってしまいました。まあ133も応募があったのでまあ当然と言えば当然ですが、私の創作した歌は、歌詞の募集があるということを全く知らないうちから構想し発表してきたものですから、選外になったからといって、わざわざ引っ込めるまでもなかろうと思います。

 それにしても、選考方法に納得がいかないことがありました。応募用紙には、歌詞の他にその歌詞に込められた気持ちや背景を書く欄があったのですが、選考の過程でそれは一切読まないことにしたというのです。提出すべき資料として要求しておきながら、選考委員が歌詞だけで選考しようという意見を述べ、その様になったそうです。それでは約束が違うとかなり強く抗議をしたのですが、歌うのは歌詞であって、補足説明を理解して歌うわけではないとのことでした。そうなると、私が応募した歌詞の意味を選考委員がどの程度理解できたか心配になりました。例えば、「神の山々」(修験道信仰の聖地)、「千歳の岡」(鶴は千年、亀は万年という諺に拠って鶴岡を象徴する)、「雨を親と頼む若草」(春雨が野辺を潤すと若草の緑が萌えてくると言う日本古来の春雨についての理解に基づく表現)、「命は育つ」(慶應義塾大学先端生命科学研究所に象徴される新しい鶴岡の産業と魅力)、①が秋を表し、②が冬を表し、③が夏を表すことなどは、ひとこと説明しておきました。しかしそれは一顧だにされず、むしされてしまったのです。書くように指示しておきながら、「不公平になる」という理由で敢えて選考資料としなかったということには、誠意が感じられませんでした。


 ただ今改めて読み直すと、もう少し直してもよいかなと思うところもあり、次のように直してみました。また歌詞の募集では3番までというので、歴史について述べた歌詞を省いてしまいましたが、もう選外なのですから、遠慮せずに次の歌詞を付け加えてみました。また応募作では子供にもわかるようにという条件があったため、文語的表現を減らしたのですが、もう遠慮しなくてよいので、文語的表現を少し増やしました。まだ口語と文語の混じっている部分もあるのですが、現代ではこの辺までが限度かなと思います。本来ならば全て文語に統一したかったのですが、結局、私の鶴岡賛歌は次のようになりました。


1、歴史に誇る鶴岡(夏)
  歴史の動く嵐の中に  義を貫きて揺らぐことなき  武士(もののふ)たちの熱き心は
  今なお生きる心のうちに  我が鶴岡は誇り高きまち  我らが故郷(ふるさと)城のあるまち

2、農のまち鶴岡(秋)
  神のまします三つの山より  流るる水の地(つち)潤せば  人の努めに天(あめ)も応えて
  瑞穂の秋は黄金に染まる   我が鶴岡は豊かなるまち    われらが故郷みのりあるまち

3、人の心の暖かい鶴岡(冬)
  荒海越えて吹き来る風に  閉じ籠もりたる固き心も  包む両手(もろて)に解きほぐされて 
  共にぬくもる歌声響く   我が鶴岡は雪の降るまち  われらが故郷暖かきまち
 
4、育ちゆく鶴岡(春)
  鳥海月山雪は残れど    庄内平野の根雪は消えて  木(こ)の芽春雨優しく降れば
  千歳の岡に命は育つ    我が鶴岡は花の咲(え)むまち  われらが故郷夢のあるまち

 結局、鶴岡市民の歌にはなりませんでしたが、私の方が前に創作していたのですから、これはこれで記録として残しておきたいと思います。それ程出来の悪い歌とは思っていないのですが、自分で言っては五円安ですね。それにしても新しい鶴岡市民の歌は、いつになったら発表されるのでしょうか。市役所の総務課に問い合わせても、要領をえない返事でした。


追記1

平成29年10月、ようやく鶴岡市民の歌が公表されました。期待していただけに、正直なところがっかりしました。私の作詞と比べてどうのこうのと言うつもりはありません。しかし選定されるくらいならば、さぞかしよい歌詞なのだろうと期待したのです。ところができあがったものは、鶴岡には全く縁のない作詞のプロが作ったものだそうで、中に歌われている固有名詞を取り替えれば、全国どこの市町村歌や小学校校歌にすぐにでも通用するようなものでした。しかし決まってしまったのですから、受け容れるしかないのでしょう。もともと私の鶴岡賛歌の歌詞公募より早い時期に作ったものですから、出来上がった鶴岡市民の歌とは全く関係ありません。正直なところ、ひょっとして選ばれたら嬉しいな、という程度の色気はありましたが、そんな邪心が今となっては少々恥ずかしい気もします。故郷鶴岡を誇りに思う気持ちには、いささかの揺るぎもありません。


追記2

 自分で作詞したものに曲をつけようとしたのですが、歌詞に少し納得できない部分があり、またまた改作しました。曲も何とか完成し、近いうちに楽譜を発表するつもりです。勝手に歌っていろと言われそうですが、もちろんそのつもりです。



春 1、育ち行く若い鶴岡

    鳥海月山雪は残れど     庄内平野の根雪は消えて     木(こ)の芽春風やさしく吹けば    
    千歳の岡に命は育つ     我が鶴岡は花の咲(え)むまち  我らが故郷(ふるさと)夢のあるまち


夏 2、歴史に誇る鶴岡

    歴史の動く嵐の中に     義を貫きて揺るぐことなき    武士(もののふ)たちの熱き心は  
    今なお生くるこの胸に    我が鶴岡は誇りあるまち     我らが故郷城のあるまち


秋 3、農のまち鶴岡

    朝日に輝く出羽の山より   流るる水の地(つち)潤せば   人の勤め(つとめ)に天(あめ)も応(こた)へて
    見渡す秋に瑞穂は垂るる   我が鶴岡は稔りあるまち     我らが故郷豊かなるまち


冬 4、暖かき人情の鶴岡

    荒海越えて吹き来る風に   閉じ籠もりたる冬の心も     包む両手(もろて)に解きほぐされて 
    共にぬくもる歌声響く    我が鶴岡は雪の降るまち     我らが故郷暖かきまち 


 1番の「木の芽春風」の「木の芽を膨らませる春風」という意味で、「はる」は「張る」と「春」をかけています。この修辞法は平安時代の和歌にしばしば見られるもので、決して奇抜を狙ったものではなく、むしろ伝統的な言葉遣いです。「千歳の岡」はすでにお話ししていますように、「鶴は千年亀は万年」の連想から、「鶴岡」を表す私の造語です。「命は育つ」は若い世代の成長を表していますが、慶應義塾大学先端生命科学研究所に象徴される、新しい鶴岡の産業と魅力をもかけています。

 2番はすでにお話しした通りで、戊辰戦争において、保身や利に走ることなく、最後の最後まで、つまり会津藩の降伏後まで、明治新政府の非をならして抵抗したことを意味しています。今時古臭いと言われそうですが、私自身はこの歴史を誇りに思っています

 3番は朝日岳と出羽三山を詠み込み、さらに天地人を意図して詠み込みました。豊かな農の恵は、地の利と人の勤労と天の恵みが一体となった結果であり、どれ一つを欠いても成らないことを表しています。

 4番は唱歌「雪の降るまちを」発祥の地であることを活かして、厳しい気候の中でも互いに助け合って生きる、鶴岡の人の温かい心を表しています。「歌声ひびく」は毎年行われる音楽祭の最後に、「雪の降るまちを」を合唱していることを表しています。暖かさは寒さの中にあればこそより実感できるものです。「鶴岡は雪の降るまち」の句はどうしても入れたかったものでした。


この度選定された「鶴岡市民の歌」は、固有名詞さえ代えれば全国どこの市民の歌にもなり得る個性の少ない歌詞になってしまいました。作詞者が全国のさまざまな歌詞募集に応募して、賞を総なめにしているプロの作詞家ですから、鶴岡には何の思い入れのないのでやむを得ません。とは言うものの、とても残念です。そこで鶴岡生まれであることに特別なこだわりを持つ私としては、鶴岡でなければならない歌詞にすることに留意したつもりです。文語表現がありますが、もう鶴岡市の子供が歌うことはないのですから、遠慮なく文語的表記に統一しました。

                                                      平成30年1月7日















 


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