うたことば歳時記

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長月の有明月

2015-08-23 20:27:44 | うたことば歳時記
 原則として満月は日没頃に東から上り、日の出頃に西に沈みます。月は平均すれば日毎に約50分づつ遅れて上って来ますから、十五夜の翌日の十六夜の月は、日没後しばらくしてから上って来ることになります。毎日約50分月の出が遅れることは、覚えておくと何かと役に立つことがあります。もちろんあくまでも平均値であって、実際には50分ではありませんが・・・・。

 そして月の出が遅れた分だけ、翌日の日の出の頃には、西の空低く残っているのが見えます。夜が明けてもなお空に有る月なので「有明月」と呼ばれるわけです。その翌日は西の空のもう少し高い位置に見え、日毎に細くなってゆきます。有明月が日の出の時刻に見える位置は、西の空から天中を経て、東に移動します。そして新月の前になると、日の出の時刻には東の空の低い位置に、白々とした細い月が微かに見えます。理屈を言えば、十六夜の月から新月の前までがみな有明の月なのでしょうが、「有明月」らしいのは、月齢にして二十日過ぎの月くらいでしょうか。

 有明月は、夜を共に過ごした恋人同士が別れる、後朝(きぬぎぬ)の別れの時刻に振り仰いで見る月であるため、古来、恋の文芸にしばしば登場しましたが、中でも「長月の有明月」は月名を冠して呼ばれ、既に万葉時代から注目されていました。

『万葉集』には「有明月」を詠んだ歌が3首あります。

①白露を玉になしたる九月(ながつき)の有明の月夜見れど飽かぬかも(万葉集 2229)
②九月の有明の月夜ありつつも君が来まさば我れ恋ひめやも(万葉集 2300)
③今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし(万葉集 2671)

 ①は、長月(九月)の有明月の美しさを、白露が玉になったようだといいます。②は、2句までが「あり」を導く序詞になっていて、九月の有明の月夜のように、いつもあなたが来てくれるならば、私は恋焦がれたりすることはないのに、という意味です。③は、今夜の有明の月夜のように、夜通し起きて待つのは、あなたの他にはいない、という意味です。

 ①は自然の描写ですが、②③では「有明の月」は明け方近くまで男を待っていたことを暗示しています。①②では「九月の有明の月」が共通しており、②③では「有明月夜ありつつも」が共通しているばかりではなく、「九月の有明月」が「あり」を導く序詞として定型化していることが伺われます。意味としては、「ありつつも」は「このままずっと」ということだそうで、「九月の有明の月がそのままずっとあり続けるように」ということでよいかと思います。
 
 なぜ「九月の有明月」が「ありつつも」、つまり「そのままずっとある」と説明されるのでしょうか。古典文学には素人同然の私の手には負えません。ただ自然現象として考察することはできそうです。「長月の有明の月」は、太陽暦の10月、たまたま閏月があって長月が1月遅れたとしても、11月のことです。この頃の月の南中高度は70度から80度もあって大変高く、有明月の南中する時刻は明け方の3時4時頃ですから、「九月の有明月」は、見上げないと見ることができない、結構存在感のある月なのです。それに対して、月齢の若い月では明け方まで残ってはいませんし、あるいは見えたとしても西の空に低くしか見えません。そんなことから、「ありつつも」「このままずっと」と形容されるのかもしれません。

 ただ有明月の風情の感じ方にも個人差があり、清少納言は『枕草子』の中で、「月は有明の、東の山ぎはに細くて出づるほど、いとあはれなり」と述べています。これは余程に月齢の進んだ月ですから、日の出とともに間もなくほとんど見えなくなってしまう儚い月です。そこがま「いとあはれ」なのでしょうが、「長月の有明月」とは印象がかなり異なっているのではないでしょうか。
 
「九月の有明の月夜ありつつも」の常套句は、そのまま王朝時代にも伝えられました。

④長月の有明の月のありつつも君し来まさばわれ恋ひめやも (拾遺和歌集 795)柿本人麻呂

 ④は②と同じで、柿本人麻呂の歌として伝えられたものです。そしてこの歌は王朝人の歌の基本的教養として共有されたらしく、『枕草子』175段には、次のように述べられています。少々長くなるので、現代語訳を載せておきましょう。

 ある所に、何とかの君とか呼ばれていた女房がいました。そこに、君達というほど身分の高い家柄ではないのですが、その頃、大変な風流者と噂され、情趣を解する心がある人が、九月頃に出て行って、有明の月が霧に包まれるとても風情がある時だったのですが、女の心に名残を残そうと思って、言葉を尽くして帰ったのですが、もう帰ってしまっただろうと、ずっと見送っている姿は、何とも言えないほどに艶っぽいものでした。帰ると見せかけて立ち戻って、立蔀の間に、陰に身を寄せて立って、どうしてもこのまま帰れないという気持ちを、今一度言って知らせようと思ったところ、女が「有明の月のありつつも」と、小さな声で口ずさんで外を覗いているその髪が、頭の動きにも軽やかについてこず、額の髪が五寸ほど垂れていて、ともし火を近くにつけたようだったのですが、月の光も髪のつややかさに誘われて輝き、驚くような気持ちがしたので、そのまま出て帰ってきたと、その人が語ってくれました。

 長いセンテンスになって何ともわかりにくくなってしまってすみません。細かいことはともかく、逢瀬の後の名残を惜しむように、女が有明月を眺めながら、「有明月のありつつも」と口ずさんだというのです。

 現代は個性的感性が重視され、常套的表現を短歌に採り入れることは敢えて避けられ傾向にあります。そんな歌を詠めば、「手垢の付いた表現」と手厳しく批判されることでしょう。まあ現代はそれでも良いでしょうが、しかし古には、誰もが知っている歌ことばを知っていることによって、情感を共有することが重んじられたのです。

 一気呵成に書いてきて、自分でも支離滅裂になってしまったと思っています。特に今回はそうおもいます。古典文学の素人であるのに、ただ古風な和歌が好きで、歌ことばの勉強をしているだけです。そして思いついたことをこうして書くことによって、自分自身のものになればと思って書いています。専門家の目から見れば不十分なことが沢山あると思いますが、素人が何を言うかと、笑い飛ばして下さい。




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