goo blog サービス終了のお知らせ 

うたことば歳時記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ツクツクホウシの鳴き声(改訂版)

2021-08-16 13:06:34 | うたことば歳時記
 8月も中旬になると、ツクツクホウシの鳴き声をよく聞くようになります。我が家の周辺では、蝉の仲間では鳴き始める時期が最も遅く、この蝉の声を聞くと「秋」の到来を実感させられるのです。

 ところでこの蝉の鳴き声を文字に表すとどうなるのでしょうか。注意して聞いていると、まず「ジー」と1回鳴いてから、「ツクツクホーシ ツクツクホウシ ツクツクホウシ」と十数回繰り返します。そして「オイヨース、オイヨース」と数回鳴き、また最後は「ジー」と鳴いて終わります。まるで起承転結でもあるかのように、その鳴き方は4部に分かれているのです。鳴き始めてから鳴き終わるまでの時間はそれほど長くはないので、子供の頃に鳴き声を頼りに探しても、探しているうちに鳴き止んでしまい、他の蝉より警戒心が強いこともあって、なかなか捕らえられませんでした。その頃子供達はこの蝉を「オーシン」と呼んでいました。

 この蝉の鳴き声について、一つ疑問がありました。どうでもよいことなのですが、「ツクツクホウシ」か「クツクツホウシ」なのかということです。高齢者に聞いてみると、この二通りの聞き方があるからです。私は平安時代の国語辞書である『倭名類聚鈔』という書物を好きでよく眺めているのですが、それには「蛁蟟 陶隱居本草注云 凋遼二音字亦虭蟧。久都々々保宇之。八月鳴者是」と記されていました。つまり「クツクツホウシ」と聞いているわけです。『蜻蛉日記』には、「さながら八月になりぬ。ついたちの日、・・・・くつくつぼうしいとかしがましきまでなくを聞くにも、我だにものはといはる」と記されていて、「くつくつぼうし」と呼ばれていたことがわかります。

 鎌倉時代の字書である『字鏡集』には、「クツクツホウシ」と「ツクツクホウシ」の両方が記されています。自分では原典を直接確認していませんが、室町時代の『温故知新書』には両方が記されているそうです。室町時代初期の『頓要集』という字書では、「つくつくほうし」であることを確認しました。江戸時代の新井白石が表した博物事典である『東雅』の卷20には、『倭名類聚鈔』を引用して「蛁蟟クツクツボウシ。八月鳴者也。・・・・クツクツボウシとは。今俗にツクツクボウシといふも。其鳴聲をかたとりていふなり。」と記されています。

 現在ではツクツクボウシと呼ぶことが一般的ですが、生き物の名前やその鳴き声には地方によって様々なことでしょう。まあ大まかに言えば、クツクツでもツクツクでも、両方平行して行われていたのでしょうが、次第にツクツクの方が優勢になったようです。

 さてツクツクホウシにしてもクツクツホウシにしても、鳴き声を仮名で書き取っただけで、それ自体に意味を持たせているわけではありません。「ホウシ」は「法師」であるでしょうが、「クツクツ」「ツクツク」は素直に鳴き声を写したものと考えてよいでしょう。「法師」には何かわけがありそうですが、今となってはわかりません。

 数は極めて少ないのですが、ツクツクホウシを詠んだ古歌の中には、その鳴き声を意味のある言葉に置き換えている歌があります。

①蝉の羽のうすきこころといふなればうつくしやとぞまづはなかるる (元良親王集 11)
②我が宿の妻は寝よくや思ふらんうつくしよしといふ虫ぞなくなる (大弐高遠集 118)
③女郎花なまめき立てる姿をやうつくしよし蝉のなくらん (散木奇歌集 342)

 ①~③に共通しているのは、「うつくし」という言葉です。古語の「うつくし」は現在の「美しい」と少々ニュアンスが異なり、「可愛らしい」とか「愛らしい」といった意味です。①は、蝉の羽が透明であることを、蝉が自分で「うつくし」と言って鳴いているという意味でしょうか。なお元良親王は陽成天皇の皇子ですから、10世紀の人です。②には、「屋の端つまに、つくつくぼふしの鳴くを聞きて」という詞書きが添えられています。自宅の屋根の端(妻)の部分、つまり軒端に蝉がとまって鳴いていたのでしょう。端が妻をかけています。我が家の妻は共寝に良いと思うのだろうか、「うつくし」と言って虫が鳴いているよ、という意味です。自分の妻の可愛らしいことをのろけているわけです。なお藤原大弐高遠は10世紀末から11世紀初頭の公卿です。③には「人人まうできて歌詠みけるに蝉を詠める」という詞書きが添えられています。女郎花が美しく咲いているのを、可愛らしくてよいことだと蝉が鳴いている、というのです。女郎花はその名の如く、美しい女性に見立てて詠むのが常套でした。それに蝉が「うつくし」と鳴くことを結び付けたわけで、まあ戯れに詠んだ歌なのでしょう。なお『散木奇歌集』
は11世紀後半から11世紀前半の貴族藤原俊頼の歌集です。①から③にはどこにもツクツクホウシであるとは詠まれていませんが、鳴き方からしてツクツクホウシ以外には思い当たりません。平安から鎌倉期にかけて、ツクツクホウシは「うつくし」とか「うつくしよし」と聞き成されていたことがわかります。

 また1775年に編纂された方言を集めた『物類称呼』の巻二には、「蛁蟟、つくつくばうし・・・・近江にてつくしこひしと云」と記されています。「つくしこひし」は「筑紫恋し」という意味で、江戸時代の1787~1788年に俳人横井也有(やゆう)が著した俳文集『鶉衣』の「百虫譜」には、「つくつくはうしといふせみは、つくし恋しともいふ也。筑紫の人の旅に死して此物になりたりと、世の諺にいへりけり。こえは蜀魄の雲に叫ふにもおとるへからす。」と記されています。筑紫出身の人が旅先で、故郷が恋しいといって亡くなった。そしてその人の魂は蝉になり、「筑紫が恋しい」と言って鳴いている。その声は時鳥が空に鳴く声にも負けないほどである、というのです。ここには何か言い伝えがありそうですが、今となってはわかりません。その伝承は近江国に伝えられたのでしょう。1709年に本草学者貝原益軒が著した博物学書である『大和本草』巻14には、「蛁蟟 クツクツホウシ ・・・・ツクシヨシトナクト云うモノ也」と記されていますから、「ツクツク」を「筑紫」と聞き成すことは、江戸時代の初めからあったと見てよいでしょう。

 「うつくしよし」と聞くのは現代人には少々無理としても、「筑紫恋し」ならその様に聞こえないこともない。北九州出身の人が故郷を離れて聞き、故郷を懐かしく思い起こすことがあれば、是非御紹介下さい。

 そこで私も一首詠んでみました。
○空蝉の なく声かなし みさきもり 筑紫に往(い)にし 人や恋しき
これは夫を防人(みさきもり)として送り出した妻の心を詠んだものです。このような詠み方は現代短歌ではけなされますが、古い和歌では、第三者に成り代わって詠むことは、批判されることはありませんでした。


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。