うたことば歳時記

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盂蘭盆・お盆の起原(出鱈目な通説)

2017-07-07 15:24:14 | 年中行事・節気・暦
嬉しいことや忙しいことが重なることを喩えて、「盆と正月が一度に来たような」と言うことがあるように、一般に「お盆」と呼ばれる盂蘭盆(うらぼん)、正しくは盂蘭盆会(うらぼんえ)は、祖先を供養する日として日本人の生活に溶け込んでいます。本来ならば旧暦7月7日の七夕の一週間後ですから、七夕とお盆は接近しているはずです。しかし学校の夏休みやサラリーマンの帰省と重なることを意図してか、お盆は新暦の8月15日に行われ、七夕とは離れてしまうことが多いようです。

 さて「盂蘭盆」という表記を見ても、意味はさっぱり見当も付きません。盂蘭盆は古代インド語ともいうべきサンスクリット語で「逆さまに吊るされた」という意味の「ullambana」という言葉に由来すると言われているからです。ところが私はこの「逆さ吊り」を疑問に思っていました。なぜなら盂蘭盆が説かれている『盂蘭盆経』は、西晋(後漢滅亡後に中国を統一した王朝、3~4世紀)の時代にサンスクリット語から漢訳されたとされているものの、サンスクリット語の原典が存在せず、6世紀頃に中国で創作された偽経とされています。それにもかかわらず、一般には「盂蘭盆という言葉はサンスクリット語のullambanaという言葉に由来し、逆さ吊りを意味している」と説かれているからです。サンスクリット語の原典がないのに、なぜサンスクリット語であると言われるのか。また『盂蘭盆経』の内容が「孝」の徳を説くもので、仏教と言うよりは儒教思想に基づくものではと思っていたからです。そこで定説にとらわれることなく、まずは直接読んでみようと思ったわけです。

 問題の『盂蘭盆経』には、次のような話しが記されています。釈尊の弟子である目連(もくれん)は神通力を得たので、既に亡くなっている父母を悟りに導いて恩に報いようとしました。その力によって見わたしたところ、母は餓鬼道に落ち、飲食もできずに苦しんでいることを知りました。そこで彼は母の前に飯を出現させたのですが、食べようとすると燃え上がってしまい、食べることができません。そこで釈尊に訴えると、「汝一人の力ではどうにもならない。しかし十方の僧たちの威力によるならば、母を苦しみから解放することができるであろう」と言われました。そこでその通りにすると、母はその功徳によって餓鬼道の苦しみから救い出されました。そして釈尊は「このように孝行の心をもって7月15日に仏と僧に施しをし、また祖先を供養するならば、7代前の父母に至るまで救いに至るであろう。このようにして父母の恩に報いなさい」と言われた、というのです。原文は漢文で、正確に訳すのは難しいですが、それ程長いものでもないので、だいたいの内容は目で追えば理解できるでしょう。『盂蘭盆経』は、国会図書館デジタルコレクションで容易に読むことができますから、是非御覧下さい。

 丁寧に読んでみたのですが、不思議なことにどこにも「逆さ吊り」のことは書かれていないのです。「盆」「盂蘭盆」という言葉はありますが、いずれも容器としての名称であり、「逆さ吊り」につながるような要素は一切見当たりません。そこで「逆さ吊り」という理解がいつから出現するのか調べてみると、7世紀前半、唐の時代の玄応という僧が、勅命によって撰述した『一切経音義』という書物の中に、「盂蘭盆,この言は訛(なまり)なり。まさに烏藍婆拏(うらんばな)と言う。この訳を倒懸という。」という記述にたどり着きました。「倒懸」という漢語が「「逆さ吊り」」に当たるわけです。

 私は仏教学者ではありませんから、専門的なことはわかりませんが、盂蘭盆をそのように理解するのは、どう考えても無理があります。同経の末尾の結論とも言うべき、最も重要な部分を読んでみましょう。「是の仏子、孝順を修する者は、応(まさ)に念々の中に常に父母乃至(ないし)七世の父母を憶(おも)ひて、年々七月十五日は常に孝慈を以て所生(しょしょう)の父母乃至七世の父母を憶ひ、為に盂蘭盆を作り、仏及び僧に施し、以て父母長養慈愛の恩を報ずべし。」7月15日に、常に孝順の心を以て生んでくれた父母から7代前の父母までを思い、盂蘭盆を作って仏や僧に施し、長く養い育ててくれた父母の慈愛に報いなさい、という意味ですね。ここに言う「盂蘭盆」は明らかに食器としか考えられません。素直に原典を読めば、7月15日には、父母に孝養するために、盂蘭盆を作って仏や僧に施しをして功徳を積みなさい。そうすれば父母も祖先も救いに至るでしょう、と理解することができます。世の中の定説というものも、一度は疑って見直してみるものだと、つくづく思いました。ネット情報に「逆さ吊り」云々と解説している人は、きっと『盂蘭盆経』を読まずに、先行する情報を未確認のまま借用しているとしか思えません。それより私が興味を持ったのは、7月15日という日がはっきりと指定されていたことでした。

 『盂蘭盆経』が中国で作られた偽経であることを傍証するように、盂蘭盆会の風習はインドにはなく、6世紀に梁の武帝が始めたとされています。『日本書紀』によれば、推古天皇十四年(606)七月十五日に斎会を設けたのが始まりとされています。ただし「盂蘭盆」という言葉は見当たりません。斉明天皇五年(657年)7月15日には、「京内の諸寺に盂蘭盆経を勧講せしめて、七世の父母を報ひしむ」と記され、初めて「盂蘭盆」という言葉が現れます。父母への報恩という趣旨も、本来の盂蘭盆にかなうものであり、後世の風習とは異なっていますね。こういう史料は、7月15日という日が限定されていますから、『日本書紀』の年ごとの同月同日の記事を探せば、簡単に見つかるものです。

 7月15日に行われることについては、理由があります。僧が一定の場所に集合して、長期間にわたり集団で修行することを安居というのですが、4月15日から7月15日までの90日間行われる安居は夏安居(げあんご)と称され、特に重視されました。つまり盂蘭盆の行われるのは、夏安居の明ける日に当たります。90日間の厳しい修行に耐えた僧に施しをすることが、亡くなった父母や七代前の祖先の供養につながると理解されたため、この日に行われたのです。『延喜式』という10世紀の法令集の「大膳式」を見ると、夏安居を終えた僧に盂蘭盆会で馳走するための食材がずらりと並んでいます。まるで苦行僧の慰労会のようですね。もちろんそれは方便であって、本当の目的は亡父母を初めとする祖先の供養だったのでしょうが。

 それにしてもネット情報の中には、いい加減なものがたくさんあります。その大半は先行する説を原典史料の確認もなしに切り貼りしているだけなのでしょう。有名寺院や仏具店のホームページでもみな「逆さ吊り」となっているのですから、一般の読者がそれを本当だと思うのは無理もありません。しかし少し詳しく調べてみれば、そりが出鱈目であることがすぐにわかります。歴史的なものの考証については、史料に基づかずに、「・・・・と言われています」とか「・・・・と伝えられています」という書き方をしているネット情報は、まず疑ってかかる必要があると、しみじみ思ったことでした。

追記
チコちゃんを叱るという人気番組でも「逆さ吊り説」がまことしやかに説かれていましたので、それに対する反論を投稿してあります。「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る お盆の『盆』ってなーに」と検索して御覧下さい。