うたことば歳時記

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鰻の蒲焼き

2017-07-26 17:08:51 | その他
 昨日は土用の丑の日で、店頭には鰻がたくさん並んでいました。去年よりは安いそうですが、私にとっては高くて、今年もとうとう手が出ませんでした。中国産では何が入っているかわかったものではないので、いくら安くても買う気にはなりません。大学を卒業して、イスラエルのキブツで生活していた時、鯉の養殖池で働いたことがあります。その池では50㎝以上もある巨大鰻がいるのですが、ユダヤ人は宗教的な理由で鱗のない魚は絶対に食べません。烏賊(いか)や蛸も同様の理由で絶対に食べません。しかし日本人が鰻を好んで食べることを知っていましたから、網にかかるといくらでももらえました。醤油は手に入りますから、味醂のかわりにワインを使い、蒲焼きらしきものを作って食べたものです。大皿に山盛りにして、もう勘弁してくれと言う程食べました。あれから40年、鰻らしい鰻を食べたことは、片手に余る程度しかありません。

 それにしてもなぜ「蒲焼き」と言うのでしょうか。江戸時代の文献をいろいろ漁ってみました。嘉永元年(1848年)に出版された『近世事物考』には、次のように記されています。「 蒲燒、当世うなぎをさきて燒たるをかばやきといふ、其製昔とはかはれり、昔は鰻を長きまゝ丸でくしに竪にさして、鹽を付燒たるなり、その形河辺などに生たる、蒲の花のかたちによく似たる故に、かまやきとは云しなり、今世の製はいと近き頃より初る、今の形にては名義に叶はねども、名は昔のまゝに呼ぶなり」と。昔は鰻を長いまま串刺しにして焼いていた。その形が蒲(がま・かば)に似ているので、かまやきと呼んだ。現在の形になったのは最近のことで、形が変わっても名前は昔のままに呼んでいる、というわけです。

 万延二年(1861年)に出版された『傍廂』(かたびさし)という随筆には、「かまぼこ かばやき 蒲燒も鱣の口より尾まで、竹串を通して塩焼にしたるなり、今の魚田楽の類なり、さるを今背より開きて竹串さしたるなれば、鎧の袖、草摺には似れど、蒲の穗には似もつかず、名義を失へれど、味は無雙の美味となれり、これはいにしへにも遙にまされり、わきてこの大江戸なるを極上品とせり」と記されています。蒲焼きとは、竹串を鰻の口から尾まで刺し通し、塩焼きにしたもので、魚田楽のようなものである。しかし現在は背開きにして竹串を刺しているので、鎧の袖や草摺に似ていて、ガマの穂には似ていない。名前の意味は失われてしまったが、味は並ぶ物がない程に美味い、と言うわけです。『傍廂』という書物は、考証に難があり、今一つ史料として信用できない部分もあるのですが、取り敢えずここでは信じておきましょう。

 文化四年(1817年)の『瓦礫雑考』には、焼ける匂いが早く広まるので「香疾」(かばやき)というと言う説があるが、それは誤りである。また焼けた時の色が樺(かば、樹皮を樺細工に用いる山桜の一種)の皮に似ているからというのも憶説である。『大草家料理書』という極めて古い料理書の記事に拠りつつ、丸のまま焼いて、後で切ること、醬油と酒とを混ぜた垂れか、または山椒味噌つけて食べることなどが説かれています。『大草家料理書』は室町時代の料理書ですから、蒲焼きの基本は早くもその頃にはできていたことがわかります。早くも山椒を付けていたというのは驚きですね。

 『東海道名所記』という江戸初期の旅行記の巻二には、ぶつ切りにして串刺しにされたた蒲焼きが大皿の上に3本載っている挿図があります。国会図書館のデジタル画像で簡単にみられますから御覧下さい。これを見ると、まだ開いていないように見えます。

 他にも江戸時代の記録があるのですが、だいたい同じようなものです。これらを総合してみると、はじめは丸のまま蒲の穂のように串刺しにして焼き、それを切っていたようですが、次第に少し短めに切ってから串刺しにするようになった。そして江戸の後期には背開きにして櫛を刺し、醤油や味醂を混ぜた垂れ、あるいは味噌を付けて食べるようになっていたということになるでしょうか。

 蒲焼きという呼称については、「香疾」説はどう考えてもこじつけ臭く、焼け色が樺の皮に似ているというのも、否定されていますから、蒲の穂に似ていることによるという説でよいのではと思います。「蒲」は普通は「がま」と読みますが、源範頼が遠江国蒲御厨(現静岡県浜松市)で生まれ育ったため、蒲冠者(かばのかじゃ)、蒲殿(かばどの)とも呼ばれたことでもわかるように、「かば」とも読まれていましたから、これが一番自然な理解だと思います。

 なお関東では、切腹した鰻では縁起が悪いという武士の意地から、背開きにしていた。関西では腹開きであったと説明されることが多いのですが、確かに江戸時代には背開きがあったことは事実です。しかし切腹した魚を嫌うのであれば、なぜ鰻だけなのか説明が付きません。話としては面白いのですが、後で付けた理屈だと思います。腹開きにすると、技術的に串刺しにしにくいというのが実際の理由ではないでしょうか。ちなみに現在は天竜川辺りで、背開きと腹開きの境界があるそうです。