今日2月20日、散歩道の途中で鶯の初音を聞きました。毎年2月下旬に聞いていますから、いつもどうりです。でも少しぎこちないような鳴き方でしたね。その年最初に聞く鳥の鳴き声は「初音」とか「初声」と言われますが、それを期待される鳥は、古歌の世界では春の鶯と夏の郭公(古歌では「郭公」と書いて、カッコウではなくホトトギスと読みます)で、わずかに秋の雁が見られます。季節性があるからこそ初音が期待されるわけですから、一年中声を聞くことのできる鳥には、初音も何もありませんね。それなら雲雀や百舌鳥の初音もあってよさそうなのですが、これまで見たことがありません。鳥ではありませんが、松虫の初音ならばありますが。
私の手許にある古歌のデータの中から、鶯の初音の歌をいくつか探してみました。
①松の上に鳴く鶯の声をこそ初ねの日とは言ふべかりけれ (拾遺集 春 22)
正月二日逢坂にて鶯の声を聞きてよみ侍りける
②ふるさとへゆく人あらば言つてむ今日うぐひすの初音聞きつと (後拾遺 春 20)
初めてうぐひすの声を聞きてよめる
③たまさかにわが待ちえたる鶯の初音をあやな人や聞くらむ (詞花集 春 4)
④いつしかと異里人に言問はん初鶯の声は聞くやと (堀河院百首 51)
①には長い詞書きがあるのですが、それによれば、小松引きの行われる初子(はつね)の日に、醍醐天皇の前で、五葉の松の枝に鶯が初めて鳴いたことを詠んだものです。小松引きとは王朝時代に行われた習俗で、その年最初の子(ね)の日に、野に出て芽生えて間もない松の苗を根ごと引き抜き、持ち帰って植えたりする早春の野遊びの一種で、「小松引き」とか「子の日の遊び」「初子」と呼ばれました。その松が大きく育つことは長寿を意味しますから、長寿を願う呪術的な意味もあったわけです。ですから①の意味は、初子の日に初音を聞いた面白さを詠んでいるわけです。ギャグのようなものですから、優れた歌というわけではないのですが、古人にとっては、「初音」と聞くと「初子」を連想するものであったことは確認しておきましょう。
②はわかりやすい歌ですね。古歌で「ふるさと」とは、現代人の理解している生まれ故郷ではなく、以前に住んでいた所を意味しています。ですからこの場合のふるさとは、おそらく都ということでしょう。逢坂とは山科から大津に抜ける途中の関所のある山で、これより東が東国ということになります。東国の入り口と言ってもよいでしょう。東に旅立つ人が有れば、近親縁者はこの逢坂まで見送りに来ました。ですから別れの場所でもあったのです。そういうわけで、古来、逢坂で詠まれた歌は枚挙に暇がありません。都の方に行く人に言づてしたいのですから、②の歌人はこれから東国へ旅に出るのでしょう。そうまでしても鶯の初音を聞いたことは喜びであったのでしょうが、無事に関を越えて、いよいよ遠くに行きますよ、お元気で、という心も合わせて伝えて欲しいという心を読み取ることができます。
③は、待ちに待ってようやく聞けた鶯の初音を、筋が通らないことに、他の人も聞いているのだろうか、という意味です。要するに、鶯の初音を独占したいわけですね。何と御器量の狭いと思わなくもないですが、善意に解釈すれば、それだけ待ち焦がれていたことの裏返しなのでしょう。
④は、ほかの里の人に早く聞いてみよう。私と同じように、初鶯の声をお聞きになりましたかと、という意味。「いつしか」はこの場合は「早く」という意味です。表面的には聞いてみたいと言っているのですが、本心はまだあなたは聞いていないでしょうと、先に聞いたことを自慢したいわけですね。このように如何にして他人より早く聞くかということに心を砕いたわけです。このような歌は郭公の歌には顕著に見られます。それは郭公は夜にも鳴くため、徹夜して声を待つことができるからです。床に横になったまま待てばよいのですから。しかし鶯は昼間しか鳴きませんから、いつ鳴くかと日長一日ぼーっとしているわけにはいかなかったのでしょう。とにかく初子の日聞くことは、人に羨ましがられることであり、自慢できることであったのです。
私の家の近所では、これから8月の上旬まで、鶯の声を聞くことができます。都会の人にとっては羨ましいでしょうか。不便な田舎ですが、ちょっぴり自慢させて下さいな。
私の手許にある古歌のデータの中から、鶯の初音の歌をいくつか探してみました。
①松の上に鳴く鶯の声をこそ初ねの日とは言ふべかりけれ (拾遺集 春 22)
正月二日逢坂にて鶯の声を聞きてよみ侍りける
②ふるさとへゆく人あらば言つてむ今日うぐひすの初音聞きつと (後拾遺 春 20)
初めてうぐひすの声を聞きてよめる
③たまさかにわが待ちえたる鶯の初音をあやな人や聞くらむ (詞花集 春 4)
④いつしかと異里人に言問はん初鶯の声は聞くやと (堀河院百首 51)
①には長い詞書きがあるのですが、それによれば、小松引きの行われる初子(はつね)の日に、醍醐天皇の前で、五葉の松の枝に鶯が初めて鳴いたことを詠んだものです。小松引きとは王朝時代に行われた習俗で、その年最初の子(ね)の日に、野に出て芽生えて間もない松の苗を根ごと引き抜き、持ち帰って植えたりする早春の野遊びの一種で、「小松引き」とか「子の日の遊び」「初子」と呼ばれました。その松が大きく育つことは長寿を意味しますから、長寿を願う呪術的な意味もあったわけです。ですから①の意味は、初子の日に初音を聞いた面白さを詠んでいるわけです。ギャグのようなものですから、優れた歌というわけではないのですが、古人にとっては、「初音」と聞くと「初子」を連想するものであったことは確認しておきましょう。
②はわかりやすい歌ですね。古歌で「ふるさと」とは、現代人の理解している生まれ故郷ではなく、以前に住んでいた所を意味しています。ですからこの場合のふるさとは、おそらく都ということでしょう。逢坂とは山科から大津に抜ける途中の関所のある山で、これより東が東国ということになります。東国の入り口と言ってもよいでしょう。東に旅立つ人が有れば、近親縁者はこの逢坂まで見送りに来ました。ですから別れの場所でもあったのです。そういうわけで、古来、逢坂で詠まれた歌は枚挙に暇がありません。都の方に行く人に言づてしたいのですから、②の歌人はこれから東国へ旅に出るのでしょう。そうまでしても鶯の初音を聞いたことは喜びであったのでしょうが、無事に関を越えて、いよいよ遠くに行きますよ、お元気で、という心も合わせて伝えて欲しいという心を読み取ることができます。
③は、待ちに待ってようやく聞けた鶯の初音を、筋が通らないことに、他の人も聞いているのだろうか、という意味です。要するに、鶯の初音を独占したいわけですね。何と御器量の狭いと思わなくもないですが、善意に解釈すれば、それだけ待ち焦がれていたことの裏返しなのでしょう。
④は、ほかの里の人に早く聞いてみよう。私と同じように、初鶯の声をお聞きになりましたかと、という意味。「いつしか」はこの場合は「早く」という意味です。表面的には聞いてみたいと言っているのですが、本心はまだあなたは聞いていないでしょうと、先に聞いたことを自慢したいわけですね。このように如何にして他人より早く聞くかということに心を砕いたわけです。このような歌は郭公の歌には顕著に見られます。それは郭公は夜にも鳴くため、徹夜して声を待つことができるからです。床に横になったまま待てばよいのですから。しかし鶯は昼間しか鳴きませんから、いつ鳴くかと日長一日ぼーっとしているわけにはいかなかったのでしょう。とにかく初子の日聞くことは、人に羨ましがられることであり、自慢できることであったのです。
私の家の近所では、これから8月の上旬まで、鶯の声を聞くことができます。都会の人にとっては羨ましいでしょうか。不便な田舎ですが、ちょっぴり自慢させて下さいな。