今日は旧暦の元日です。既に立春は過ぎていますから、今年の立春は去年のこと。カレンダーを見たら12月26日でした。このように旧暦の12月に立春となることを年内立春といいます。その反対に旧暦の元日を過ぎてから立春になること、つまり立春前に旧暦元日になることを新年立春といいます。立春は太陽の高度を基準に決まることで、元日は月の満ち欠けで決まることですから、そもそも一致するはずがありません。そのずれは最大でも半月程です。これは珍しいことではなく、天保暦より古い暦では3年に1回くらいの割合で起きていました。現在使われている旧暦、つまり天保暦でも2年に1回は起きる普通の現象です。
年内立春と言えば、誰もが『古今集』の最初の歌を思い出すことでしょう。
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
○年の内に 春は来にけり ひととせを こぞとや言はむ 今年とや言はむ
「年が改まらないうちに立春になってしまいましたが、この年は去年と言うべきでしょうか、今年と言うべきでしょうか」という意味なのですが、この歌を正岡子規が『再び歌よみに与ふる書』において、散々に扱き下ろしていること木はよく知られています。曰わく「実にあきれ返った無趣味の歌にこれあり候。日本人と外国人の合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしゃれたると同じ事にして、しゃれにもならぬつまらぬ歌に候」。まあ確かに理屈っぽい歌です。しかし詠んだ本人は、おそらくユーモアとして軽い気持ちで詠んだのでしょう。そもそも古歌には「誹諧歌」といって、ギャグを意図的に詠む歌がありました。その場合は歌を文芸とは思っていませんから、それをいきり立って批判する程のものではないでしょう。
さてそうすると、立春と旧暦元日とどちらが本当の新年と考えられていたのでしょうか。八十八夜は立春起算ですから、立春が新しい年の初めの日のようですし、年賀状には春を喜ぶという意味の賀詞が使われています。しかし一方では1月1日というように、「1」が揃わないと年が改まったような印象がありません。実際には、古には目的によって使い分け、どちらも新しい年の始まる日と理解されていたようです。日次にこだわる必要のある場合、例えば歴史書の編纂などでは、1月1日から年が替わりますが、季節感を重んじる日常の生活では立春から年が替わると理解していました。要するにあまり理屈っぽくは言わなかったのです。先程もお話ししましたが、ずれは最大でも半月ですから、余り支障はなかったのでしょう。
これは季節の分け方にも影響していました。春は立春から立夏の前日まで、夏は立夏から立秋の前日まで、秋は立秋から立冬の前日まで、冬は立冬から節分まで、という分け方があります。このような分け方は二十四節気によるものですから、「節切り」と言います。それに対して1月から3月までを春、4月から6月までを夏、7月から9月までを秋、10月から12月までを冬とする分け方があります。もちろん旧暦ですよ。新暦の4月が夏だなんて、いくら何でも変ですよね。このような季節の分け方を「月切り」と言います。六国史などの史料には「夏四月」などという表現があるので、最初はびっくりしたものでした。この節切りと月切りの季節区分も、その目的によって使い分けられていたのです。現在では旧暦によって生活している人はまずいないでしょうから、月切りの季節はほとんど使われていません。季節感を大切にする場合、例えば俳句の季語などでは、節切りが使われています。
とにかく今日は元日です。中国からは春節の休暇を利用して、「爆買い」の観光客が押し寄せています。
年内立春と言えば、誰もが『古今集』の最初の歌を思い出すことでしょう。
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
○年の内に 春は来にけり ひととせを こぞとや言はむ 今年とや言はむ
「年が改まらないうちに立春になってしまいましたが、この年は去年と言うべきでしょうか、今年と言うべきでしょうか」という意味なのですが、この歌を正岡子規が『再び歌よみに与ふる書』において、散々に扱き下ろしていること木はよく知られています。曰わく「実にあきれ返った無趣味の歌にこれあり候。日本人と外国人の合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしゃれたると同じ事にして、しゃれにもならぬつまらぬ歌に候」。まあ確かに理屈っぽい歌です。しかし詠んだ本人は、おそらくユーモアとして軽い気持ちで詠んだのでしょう。そもそも古歌には「誹諧歌」といって、ギャグを意図的に詠む歌がありました。その場合は歌を文芸とは思っていませんから、それをいきり立って批判する程のものではないでしょう。
さてそうすると、立春と旧暦元日とどちらが本当の新年と考えられていたのでしょうか。八十八夜は立春起算ですから、立春が新しい年の初めの日のようですし、年賀状には春を喜ぶという意味の賀詞が使われています。しかし一方では1月1日というように、「1」が揃わないと年が改まったような印象がありません。実際には、古には目的によって使い分け、どちらも新しい年の始まる日と理解されていたようです。日次にこだわる必要のある場合、例えば歴史書の編纂などでは、1月1日から年が替わりますが、季節感を重んじる日常の生活では立春から年が替わると理解していました。要するにあまり理屈っぽくは言わなかったのです。先程もお話ししましたが、ずれは最大でも半月ですから、余り支障はなかったのでしょう。
これは季節の分け方にも影響していました。春は立春から立夏の前日まで、夏は立夏から立秋の前日まで、秋は立秋から立冬の前日まで、冬は立冬から節分まで、という分け方があります。このような分け方は二十四節気によるものですから、「節切り」と言います。それに対して1月から3月までを春、4月から6月までを夏、7月から9月までを秋、10月から12月までを冬とする分け方があります。もちろん旧暦ですよ。新暦の4月が夏だなんて、いくら何でも変ですよね。このような季節の分け方を「月切り」と言います。六国史などの史料には「夏四月」などという表現があるので、最初はびっくりしたものでした。この節切りと月切りの季節区分も、その目的によって使い分けられていたのです。現在では旧暦によって生活している人はまずいないでしょうから、月切りの季節はほとんど使われていません。季節感を大切にする場合、例えば俳句の季語などでは、節切りが使われています。
とにかく今日は元日です。中国からは春節の休暇を利用して、「爆買い」の観光客が押し寄せています。