一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【122】

2012-04-13 10:05:15 | 伊豆高原日記

北沢方邦之伊豆高原日記【122】
Kitazawa, Masakuni  

 寒さのあとで急激に春がやってきた。ソメイヨシノはすっかり散って葉桜になりかかり、ヴィラ・マーヤの裏庭の山桜をはじめ、遅咲きの山桜が純白の花を青い新芽とともに満開にさせ、急速に芽吹きはじめたナラやクヌギやヤシャなど緑の多彩な色を背景に、陽に輝いている。ウグイスやアカハラ、ヤマガラやコガラなど野鳥の囀りも豪奢だ。

国民の不安を煽りたてるのはなぜか  

 昨年から書きはじめた本を書き終え、ほっとする間もなく、外界がにわかに騒がしくなった。北朝鮮が「人工衛星」を大型ミサイルで打ち上げるというのだ。たしかにそれは大陸間弾道弾や「それに類するミサイル」の試験的発射を禁じた国連安全保障理事会決議違反であり、国際社会が発射禁止を要求するのは当然である。だが自衛隊のイージス艦3隻や弾道弾迎撃ミサイルを広範囲に配置させる仰々しい態勢を、これも仰々しく発表する政府や、それに乗って国民の不安を煽るマス・メディアは、なにを考え、なにを意図しているのか。  

 大陸間弾道ミサイルに転用できるこの技術──といってもわずか100kgの「衛星」の打ち上げがもし成功しても、数トンにおよぶ核弾頭を搭載して発射する技術開発ははるか先である──に対して、アメリカ政府や国防総省あるいはCIAなどが深甚な関心をもち、あらゆる手段を使って情報を精密に収拾しようと努力するのは当然である。日本政府がそれに協力するのは、事実上の日米軍事同盟下では、ある意味で当然かもしれない(それを容認する意味ではまったくない)。だがアメリカはそれらの艦や航空機を配置させ、あるいは地上施設などを稼働させるたびに、いちいちアメリカ国民に仰々しく発表などしない。任務はたとえ軍事機密でなくても、それはひそかに日常的に行われる。  

 仰々しい発表のひとつの役割は、日米軍事同盟に忠誠を尽くしていますという日本政府のアリバイづくりにほかならないが、その副産物とそれに乗るメディアの扇動はきわめて危険といわなくてはならない。  

 すなわちそれは、必要以上に北朝鮮が危険な国家であるという敵対意識や自国のナショナリズムを煽り、国民に「国防」意識をかきたて、日米軍事同盟の強化がさらに必要であることを納得させようという意図であるといっていい。  

 たしかにまだ実験段階の北朝鮮の大型ミサイルが、打ち上げに失敗する確率はけっして低いとはいえない。そのための備えは必要である。だがアメリカ軍同様、ひそかに日常的に行うべきであり、また軍事的にいっても、首都圏などこれだけ広い範囲に展開させる必要もない。  

 北朝鮮を擁護するつもりは毛頭ないが、政府もメディアも「冷静」をよびかけるなら、まずみずからがほんとうの冷静な立場に立っていただきたい。そこに立つなら、こうした騒ぎ方が、いかに国民の不安を煽り、敵対意識やナショナリズムをかきたてているか、おのずからみえるはずである。  

 そのうえさらに広い視野に立てば、朝鮮半島の非核化の実現を願うのは当然として、北朝鮮やイランの核兵器開発(イランは平和利用だと主張している)には厳しいが、イスラエルやインドやパキスタンの核兵器所有には甘いといういわゆる西側諸国の二重基準(ダブル・スタンダード)が、世界平和にとっていかに偽善的であるかみえてくる。  

 ヒロシマ・ナガサキおよびフクシマの国としてわが国は、いわゆる国益にとらわれず、核問題に対して世界でもっとも公正な判断と発言を行う国として、世界を主導すべきである。北朝鮮の「衛星」発射問題はそのことを教えている。