私の授業で授業アンケートに関して議論をし、経験したことを報告します。私は大学で授業アンケートが制度になる前から自分で1年に何度も取っています。
これはかつては「より良い授業のために」という題で略称を「アンケート」といいました。昨年(2007年度)から「本当の大学を目指して」と名前を変え、略称も「レポート」と変えました。
いずれも講師の考えも含めて教科通信にまとめます。静岡大学のドイツ語の授業のそれは「ユーゲント」といい、看護学校の哲学の授業のそれは「天タマ」といいます。──は生徒の意見、★が講師の意見です。
1、「ユーゲント」第06号(1999年06月23日発行)から
★ 多くの人が疑問に思っていることは、やはりアンケートと成績の関係のようです。これはとても大きなテーマになりますので、問題点と私の考えを箇条書き風にまとめるだけにします。皆さん自身で今後も思索を深めて下さい。
(1) 問いは「アンケートが記名式で、かつ成績と関係していることをどう思いますか(これまでに経験した「授業のアンケート」と合わせて考えて下さい)」とありましたが、これまでの経験とそれについての考えを書いている人がほとんどいませんでした。つまり、高校までにこういうものを経験し、問題点を考えたことのある人がいないということでしょう。
まず、これが問題です。教師(ないし学校)は「授業のアンケート」を取る義務があるかないか、それはなぜか、これは広まってきてはいますがまだ一般化していません。本学でも制度になっていません。これをどう考えたらよいのでしょうか。
(2) このドイツ語の授業のアンケートの場合、生徒には提出する義務があるかないか。私は「義務がある」と考えています。選挙なら「棄権の権利」もあるでしょう(オーストラリアでは、投票所まで行くのは義務で、白票を投じるのは自由だそうですが、これも面白い考えだと思います)。
しかし、こういう授業では出さないのは生徒と認めにくいです。そこで、私は、アンケートを2回以上出さないと、可以下の成績にします。1回は見逃します。
(3) 記名したらアンケートではないとか、本音が書けないという意見がいくつもありました。まず、この「アンケート」は「アンケート」と言っていますが、内容は、「より良い授業のための教師と生徒、また生徒同士の対話」なのです。名前を書かない方が不自然ではないですか。又、「匿名でなければ書けない本音」って、どんな本音でしょうか。トイレの落書きのような本音はトイレだけで十分です。
人間の心の中には天使と悪魔の両方が住んでいます。匿名にすると悪魔が起き出してきます。悪魔に活動の場を与えるのは避けるべきだと思います。言論の自由と言っても、文字通りどんな事を言ってもよい、どういう言い方をしてもよい、ということではありません。公然わいせつ罪もあれば、名誉毀損罪もあります。
まして、教師と生徒の関係を前提しての対話では、その自由は極めて狭くなります、教師にとっても、生徒にとっても。人間関係というのは、距離の取り方だと思います。どういうのが良くてどういうのが悪いのか、それは親に聞いて下さい。学校教育は家庭教育で学ぶ姿勢の出来ている生徒に、勉強だけを教えるものです。
残念ながら、記名にしてもおかしな事を書く人がいます。無礼な人もいます。その程度により、可または不可にします。つまり、アンケートと取り組む「態度」は成績に関係します。尚、アンケートで成績の良くなることはありません。出すのは当たり前、真面目に書くのも当たり前だからです。
(4) 匿名で授業の評価をしたいというなら、自分たちでやったらどうでしょうか。大学祭で取り上げたらどうですか。すべての授業を同じ基準で評価してみて下さい。ノウハウの資料を提供して、応援してあげます。
権利があるのにやらないなら、こういう事をする勇気と実行力のないことを、皆さんはまず反省するべきだと思います。ドイツの大学では学生委員会みたいな所でアンケートを実施しています。そもそも「学生による授業評価」は最初、アメリカのハーバード大学の学生が自主的に始めたそうです。日本でも少しずつ出てきたようです。
早稲田大学の社会人学生が、楽勝科目を教えるのではなく、学問と教育の見地からいろいろな授業を評価し、それを冊子にして売り出したそうです。学生諸君の奮起を期待します。
(5) 教師に対して批判的な事などを書くと、真面目な発言なのに、それに対して教師が悪い点をつけるかもしれない、という説もあります。私もそういう例を聞いたことがあります。匿名でも、筆跡で分かってしまい、呼び出されて文句を言われたとか、投書箱への投書について朝礼で教師が非難した、という例も聞いています。もしこういう事が起きたらどうしたらよいのでしょうか。
(6) 一番の問題は、学校教育の場に、先生と生徒が一緒になって、以上のような問題を実際の事例にもとづいて原理的に(なぜそうなのかを)考える授業のないことだ、と思います。これこそが一番大切な道徳教育であり、心の教育なのに。
2、「ユーゲント」第07号(1999年07月28日発行)から
アンケートについて
──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。
昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも大変そうでした。一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。
牧野先生のアンケートのように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。
★ アンケートの種類にはそのほかにもいろいろな分け方があって、先生が自分で取るものと経営者とか学校とかが取るものと生徒が作成するものとの違い、講師の待遇と直結するか否かの違いもあると思います。生徒の授業態度を注意しにくくなるようなのは、やはりどこかおかしいと思います。
──アンケートの記名・匿名の問題ですが、今では教官の意見に大体賛成します。しかし、忘れないでいただきたいのは、匿名の意見を単なるトイレの落書き呼ばわりして捨ておかないで欲しいということです。
最近話題になった東芝批判のホームページ問題で、ネット上の論議についてやはり某有名キャスターがのたまわっておりました。しかし、東芝は結局折れざるをえない程の反響を巻き起こしたのは事実ですし、その議論の中では冷静で適格な意見を述べておられる方
も多くおられました(もっとも、それ以上に聞くに耐えない悪口雑言を並べている輩も多数いましたが)。
大切なのは、広く意見を聞く姿勢だと思います。言葉を生業としている人はとかく、匿名の意見=低俗な論議→聞く価値なし、としてしまうフシがあるように思えてなりません。
方向性は違いますが、上記の話題はたくさんの示唆を私たちに与えてくれていると思います(ちなみに、私はこの話題を一歩引いた姿勢で観察していたので、東芝派でも会社員派でもありません)。
★ 静岡大学ではアンケートを取る教師は少なく、「学生による授業評価」は制度化されていません。あなたは、アンケートを取らない教師に匿名で「アンケートを取って欲しい」と言いましたか。学長に匿名で要望書を出して「『学生による授業評価』や教科通信を制度化して欲しい」と言いましたか。
また、あの東芝問題になぜ「一歩引いた姿勢で観察した」のですか。あなたの親やこれまでの先生はそういう態度でいいと教えたのですか。どっちがどう正しいかと考える場合にのみ、人間の思考力は高まるのではありませんか。
大切なのは広く意見を聞く姿勢だけではないと思います。意見を言う人に対して甘やかさない態度も大切だと思います。
考えて欲しいこと
前回と今回のアンケートの中に、教科通信(ユーゲント)を毎回出して欲しいとか、もっと多く出して欲しい、という要望がありました。これは大切な問題を含んでいると思います。
まず、アンケートを取ることと教科通信を出すことは良い事である、あるいは「先生はそうあるべきである」ということは前提します。すると、それを例えば月に1回のペースで行っている先生に向かって「毎回やって欲しい」と言うのは正しいでしょうか。
私は正しくないと思います。なぜなら、その前にまず、それを行っていない先生に、「アンケートを取って欲しい」とか、「教科通信を出して欲しい」と要求する方が先だと思うからです。あるいは学長に要望書を出して、「アンケートや教科通信を制度にして欲しい」と言うのが正しい態度だと思います。
しかし、多くの人はそうは言わないで、既に行っている先生に「毎回出して欲しい」といった要求をします。何故でしょうか。人間の中には、「言いやすい人に言う」という傾向があるからだと思います。しかし、これでは世の中はよくならないと思います。「言うべき人に言う」というのが、公正な態度ではないでしょうか。
ちなみに、フレセミ(フレッシュマン・セミナー)についての文の中で、「ここで教科通信が出ていたら、もっと充実したと思う」という趣旨の事を書いている人は1人もいませんでした。少し想像力に欠けるのではないでしょうか。
3、「天タマ」第09号から
アンケートの反省
教師に対して公正な成績を求め、「どういう根拠でその成績をつけたのか」を教えて欲しいというなら、生徒が授業を評価する時にも客観的な根拠に基づいて公正に行わなければならないのではないか、と問題を提起しました。無記名のアンケートから4つを選び、カンファレンスをし、やり直してもらいました。レポートの中から力作を紹介します。
──あんなに色々と考えながらアンケートを書くのは初めての経験だった。あれだけ時間をかけたのに2問しか答えられなかった。多分、このペースでいけば、この前のアンケートは2時間以上かかっただろう。
先生が言う通り、確かに何を基準として評価したのか分からなければ、公平なアンケートとは言えない。でも、私が思ったのは、5段階で評価する事そのものが難しいということ。
5段階で5が「非常に優れている」、4が「優れている」、3が「普通」~となっているが、こんな言葉だけでは表現できない。5と4の間が私の気持ちにピッタリだと思ったり、3と2の間がピッタリなのに、という時もある。でも、5と4の間の気持ちは5段階
アンケートでは表現できない。だから、私はこの5段階アンケートは好きではない。
何も考えなくても○さえつければいいから簡単だけど、5段階アンケートが私の本当の気持ちではない。だって、自分でさえ何が基準でなぜこの数字をつけたのか分からないからだ。はっきり言うと、「なんとなくこのぐらいかな」という程度の気持ちである。
それに、1つの質問について、「この部分は5といえるけど、あの部分は3かな」と思うことが多い。そうなると、5と3を足して2で割った平均値の4をつけるという事になるけど、それもなんだかしっくりこない。とにかく5段階アンケートではどこかしら落ちつかない気分になる。
だから私は記述式のアンケートに力を入れている。5段階に比べて、的確に先生の好い所や直してほしい所を表現できるから。本当のことを言うと、前はアンケートなんて簡単でいいかげんな5段階でいい、と思っていたけれど、やっぱり、好い先生や好い授業に出会った時は、その人にどんな所が良かったのか伝えたい!と思うようになる。
4、「天タマ」第45号から
哲学の授業では、講師の行うアンケートのほかに、生徒が企画して行うアンケートもあります。これを「学生版アンケート」と言います。授業の一環として時間を割いて行います。その時は講師は退席しています。
「自由記述」欄がたいていあり、いつもきつめの言葉で批評する人が出ます。ある時、事実ではない噂をでっち上げたひどい批評があり、他の生徒から強い抗議が出ました。
私は、次の授業の時に、言論の自由は無制限ではないこと、言論の自由の範囲内の意見の違いと不法行為になるのではないかという異論とは違うこと、不法行為は罰せられたり、訴えられたりする可能性があること、従ってアンケートは発表する前に全員に「1組としてこれで発表していいか」と相談しなければならないこと、等を話して、「このアンケートは受け取れない」と返しました。次の文はこの問題について冬休みの宿題(自由作文)で論じたものです。
──学生版アンケートについて
この前、学生版アンケートを行い先生に提出したが、先生から「これは受け取れない」と言われ、残念だったが、当然のことだなぁと思った。
先生が指摘していた通り、アンケート結果を先生に提出する前に「これを発表してよいか」というような、アンケート結果に対する意見を求める確認作業は行われなかった。アンケート結果が配られ、どうしてこのような結果になってしまったのか、とても不思議だった。
これまでの授業の雰囲気から考えても、私は大勢の人が毎回の授業を楽しみにしていたと思うし、他の授業とは違う貴重な授業ができたと思っている、と思う。しかし、2年1組として提出したアンケート(特に「その他」の意見のところ)では、先生に対する批判のような意見が多く載せられ、このような意見の人ばかりかのような印象を受け、とても残念だった。
このことにより、アンケートを行う時には、もっと自分の意見などに責任を持たなければいけないということを改めて感じた。今回のアンケートでは、私はアンケートを集計する係ではないからといって、その係の人に任せっきりにしてしまっていた。
今回のような学生版アンケートでは、クラス全体として提出することは決まっているのだから、集計する係になった人に協力するなり、集計結果がどうなったかなど、もっと気にしたり、自分から聞きにいったりするべきだったなぁと思った。アンケート結果に対す
る確認作業を行わず、クラス全員が納得するようなアンケート結果を提出することができなかったのは、アンケートを集計した人だけの責任ではなく、このアンケートに意見を提出した人、つまりクラス全員の責任ではないかと思う。
これまで私は、アンケートのことを、もっと軽く考えていたような気がする。今回のことで先生にはとても嫌な気分をさせてしまって申し訳ないと思うが、このことでアンケートの重み、自分の意見に対する責任のようなものを学ぶことができ、とても自分のためになったと思う。この経験を無駄にすることのないように、これからはもっと有効的なアンケートができるようにしたいと思った。(引用終わり)
(注・「先生に対する批判のような意見が多く載せられ」は記憶違いでしょう。そのアンケートから時間がたっていましたから。批判は1つだけです。)
授業アンケートの問題は、これを授業なりゼミなりでテーマとして取り上げるべきだと思います。あるいは本当は全学的に取り上げて、学長が先頭に立って議論するべきだと思います。これをしている所は、多分、ないでしょう。ここに「学問の府」とは言えない大学の現状が好く出ていると思います。
最近は教養教育が見直されているそうですが、授業アンケートについての議論はその中心テーマでさえあると思います。
なお、私は、第1回目の授業で配る「授業要綱」に「講師に対する批判は根本的なもの(この授業は授業として落第である、講師には資格がない、等)は大学に言ってほしい、講師に言うのは部分的な批判だけにしてほしい」と書き、しばらくたってからのレポートの時、「講師はなぜ批判をこういう風に2つに分けたと思うか」という問題を出します。