カント主義の限界
P.N. AZUMA
カント主義。この語を『哲学小辞典』(古在由重・粟田賢三編 岩波書店)で引くと次のように書かれている。「カントおよびその信奉者たちの哲学的立場。その主要な特色は独断的形而上学の否定、思考の自発性の強調、直観形式(時間・空間)およびカテゴリーの先天性と主観性の主張、不可知な物自体の容認などにある」、と。しかし、私がここで指す「カント主義」はこの意味では決してない。いわゆるそういった意味でのカント主義や新カント派の限界を指摘しようなどという大それたことをする資格は今の私にはない。そうではなく、ここでの「カント主義」とは、ヘーゲルがいうところの「カント主義」である。
ヘーゲルはカントの認識論を分析し、カントのそれは「認識する前に認識能力を吟味しようとするもの」であるとしたのであった。そして、そのような認識論は「水に入る前に泳ぎ方を習おうとする」カント主義だとして批判した。以上のことは、先生の小論文「教条主義と独断論」(『マキペディア』2011年11月20日)に詳しい。『ヘーゲル哲学事典』を既に読んでいた私はこのことを知ってはいた。しかし、それを十分に認識するところまでは至っていなかったのであった。そのことを痛切に思い知った体験を振り返るとともに、自己反省とさせて頂きたい。
私はこの夏、長期休暇を利用してドイツへ行くことができた。ボン大学で行われたサマーコース(名称:Internationaler Sommerkurs für deutsche Sprache und Landeskunde 2018 Universität Bonn)に参加するためである。それまでに紆余曲折もあったが、昨年の末頃に先生のブログ『マキペディア』に出会い、「哲学に一生を捧げよう」と決心して以来少しずつドイツ語に触れはじめ、早い段階で夏季語学留学への参加の決意を固めていた。そして、それが開催されるまでのおよそ半年の間で、『関口・初等ドイツ語講座』などを利用して一通りの文法事項と基本語彙を頭に叩き込み、多少の自信を胸にドイツへと向かったのであった。
しかし、そのような浅はかな自信が打ち砕かれるまで時間はかからなかった。今回のサマーコースは語学力の段階に応じて、たしか7クラスに編成され、私はちょうど真ん中のクラスであったのだが、彼らとのオリエンテーションの際、簡単な会話ならまだしも、会話のテンポが上がったり少し複雑な質問をされると、聴き取れなかったり上手く言いたいことを伝えられない、ということが往々にして起きたのだ。これにはかなり応えてしまった。当初は曲がりなりにも自信を持っていただけに自己嫌悪に陥った。しかし、落ち込んでいても仕方がない、気持ちを切り替えて週5日、9時〜12時半の授業で最大限に学ぶことを考えた。
クラスは十数人で構成され、海外の学校らしく生徒が四角に座って先生を囲む形で行われた。内容としては、文法と読解・作文の二つを軸に進められ、最初に先生が文法事項の説明を行い、それに関連した文章を読んだり書いたりするのである。そして毎日、前日のフィードバックの形をとった小テストがあった。時には、先生が与えてくれる題に対して、生徒が各々の出身国の事情を絡めて議論をしたりする機会もあった。例えば、文化やスポーツなどについてである。非常に密度が濃い時間に感じた。最初の方は、上手くいかず英語に逃げたりと、もどかしい思いをしたが、段々と、少しずつではあるが意思疎通ができるようになってきたのだ。思うに、ここに語学学習における重要な点があった。それは、理論(文法)と実践(読解・作文)を並行して行うということである。私はこのことを軽んじていた。この講習より以前に先生から、「君のドイツ語の勉強は理論に偏りすぎている」と忠告を受けていたにもかかわらず。
どうして、そうなったのかを反省してみると、まず第一に、自分の語学学習経験によるものであると思われる。幸運なことに幼い頃より英語に接する環境に育ち、中学校のある一時期に英文法を集中的に勉強してからはずっと英語に対して得意意識を持ってきた。それゆえに文法さえ習得してしまえば言語を操れると考えていたのだ。これが拙かった。そして第二に、日本における、特に第二外国語の初等教育を挙げたい。周囲の数人に聞いてみても、「第二外国語は基本的に文法に終始していて、途中で簡単な会話練習を挟む程度」という答えが返ってきた。私が受けているのも同様であり、その先生は一冊の文法書(教科書)を終わらすことを第一に考えている。読本も作文もないのである。そして、無意識に私はこれでよいと思っていたのだと思う。しかし、結果は上述の通りである。
このサマーコース中、ドイツ語をすでに10年ほどやっているというフランス人の女子学生に出会った。彼女はソルボンヌで哲学を学んでいるとのことで、絶好の機会と思い、哲学の話を試みた。快く対応してくれたものの、自分からは表面的形式的なことしか述べられず、自分の問題意識や内容まで踏み込んだ話をすることは出来なかった。これは特に歯がゆい思いをした記憶である。
かくして私は「実践(読み書き)をする前に理論(文法)を習う」カント主義の限界を痛感した。水泳を習う際、まずプールに入り泳ぎながら泳ぎ方を習得していくのは当然のことであるのにどうしてこのことに気づかなかったのだろうか。そして思うに、このことは水泳や語学に限らずあらゆることで当てはまると思う。先生が「理論とは実践の反省形態である」と述べられているのは、こういうことだったのではないかと思った。以来、私は文法の勉強と並行しつつ読本や音読に力を入れるように心がけている。来年の夏、再び語学講習に参加して、その成果を発揮したいと思う。
最後に、私が何の為にドイツ語を学ぶのか、どうして鶏鳴ヘーゲル原書講読会への参加を希望したかについて簡単に発表しておきたい。
私の根本的な問題意識は世の中の現状への懐疑から生じている。この思いは高校時代から強くなり、「世の中をより良くする為には、より公正にするにはどうすればよいのだろうか」という問題意識に結実した。そして、マルクスから入り諸種の著作を読み漁った結果、先生の本ブログを通して、ヘーゲル哲学にたどり着いた。これしかない。そう思った。人類史上屈指の頭脳であったマルクスがその重要性を説いているのにもかかわらずヘーゲルの論理学の研究がされていない、あるいは無視されているなと感じていたところに、その最高峰の山塊に対して先生が孤軍奮闘されている「登山記録」を読んで感銘を受けたのだ。先生はヘーゲル生誕200周年の際にこう述べられている。「なにをいっているのかわからない『論文』や、そこがききたいと思うところを引用でとおりすぎる『研究』が大きな顔のできる時代は去った。わからないところはわからないといおう。そのかわり、自分の論文もわかるようにかこう。ヘーゲルの論理的表現を私はこう解釈するという意見をドシドシ出しあおう。賛成、反対はともかく、人にわからせられないのは、いう人自身にわかっていないのである。」(「現代に生きるヘーゲル」)
しかし残念ながら、先日ヘーゲル没後187年が経ち、先生の呼びかけからおよそ半世紀を迎えようとしている今なお、こういう哲学の発展にとって重要なことが十分に行われているとは言えないのではないかと思う。この活動を受け継ぎ、発展させることは我々後輩の責務ではないか。ゆえに、それを果たすために私はさしあたって次の大目標を掲げたい。日本が世界に誇るべき学問的成果、関口存男氏の冠詞論と牧野先生によるヘーゲル論理学の唯物論的改作の両者を独訳して、ヘーゲル生誕の地であるドイツで再び「ヘーゲル哲学の現実的意味をよみとって自己のものとし、さらに発展させ」うる活動を興すべく尽力し、哲学の発展に貢献することである。日本の学会では完全に黙殺される結末が想像に難くないので、敢えて厳しい道を選択するべきだと思っている。それには、ドイツ人なみの言語運用能力が要求されることはいうまでもないことであるし、哲学的論理的思考能力も求められよう。そして、この2つを得る為に私はドイツ語を学んでおり、鶏鳴ヘーゲル原書講読会の門を敲いた。もし、似たような志をもち、同じような問題意識を共有してくれる方がいるならば、先生のもとで一緒に勉強していくことを検討して頂きたい。私は、上のように大層なことを宣言したが、決して才能に恵まれているわけでもなくそれらを一人では絶対に成し得ないことも自覚している。だからこそ、真の仲間が、学友が欲しいと心の底から思っている。心より、あなたの参加を期待する。
トリビア
① サマーコースの情報入手について
春先に、青山にある「ドイツ学術交流会(通称:DAAD)」のスタッフの方に相談をしたところ、こういうものがあるよ、といって留学生向けの小冊子を何冊かくれて、その内の1つが夏季冬季短期留学についてのもので、それによりサマーコースというのがある、というのを知りました。 そして、様々な大学がそれぞれレベルや規模、予算などを設定して、サマーコースの告知を記していました。僕は、いくつかある内で、初学者にも参加資格があるものに目星をつけて、その中で惹かれる土地ないし大学を選ぼうと思い、ボン大学を選択しました。(もちろん、マルクスが学生時代をそこで過ごしたことを知っていて、興味を持っていた為でもあります。) こうして、参加希望地を決め、あとは個人的に申し込みを行いました。ボン大学の担当の方にメールでその旨を伝えると、丁寧に対応してくれました。以上が申し込みまでの流れです。そこから何通かメールでやり取りをして、参加が決定しました。
② 日程──2018年のボン大学サマーコースは、8/7〜8/31で行われました。
③ 宿舎は基本的にみんな寮です。ボンには、学生寮がいくつか点在していて。僕が過ごした寮は市バスで20分ほどの場所にあり、共同部屋で、ルームメイトが3人(中国人、インド人、ドイツ人がそれぞれ1人ずつ)いました。週に1,2回、ルームメイトと安くて美味しいビールを飲みながら食事を共にしました。
食事ですが、基本的には自分で買うか作るかです。大学からの用意は一切ありませんでした。 しかし、Mensaは使えました。学生はデポジットを払って「メンザカード」というものをもらうことができ、それにお金をチャージして、それでもって会計を行います。平日のランチはクラスメイトと一緒にメンザで食事をするのが恒例でした。3ユーロ(約390円)ほどでお腹を満たせたので、学生に優しいです。ちなみに、外のレストランは高いので頻繁には行けません。
④ 学費は、授業料と観光代で630ユーロ(約8万円)、寮費で300ユーロ(約3万9000円)の計930ユーロ(約11万9000円)でした。それ以外の食費や交通費は別途必要になります。
⑤ 土日は基本的に何もありません。みんな各々プールに行ったりサッカーをしたりライン川沿いで散歩したり図書館で勉強したりと、様々です。日曜日に街を歩いても全然人がいないのには、驚きました。 旅行はありました。観光目的のもので、みんなで揃って行った所としてはケルン、エッセン、アーヘン の3箇所です。その他にも課外授業のような位置付けで、いくつかの行政機関や研究所、博物館に行くことが出来ました。複数個の中から興味のあるものを選択して参加できる形で、僕が選んだのは「連邦政治教育センター(bundeszentrale für politische bildung;bpb)」、「Bonn Center of Neuroscience;BCN)」、「Deutsche Museum Bonn(ドイツ博物館のボン支部のようなもの」の3つです。
旅行も課外授業も平日のドイツ語の授業が終わったあとの午後に行われました。行事は週に2回ほどです。他にも市長訪問などがありました。 この行事があると、その後に寮に帰って復習と宿題をしなければならなかったので少し大変だったことも今ではいい思い出です。もっとも向こうの夏は夜9時ごろまで日が落ちないので1日が長く感じました。
関連項目
ヘーゲル原書講読会、開講