マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

アイヌ民族(01、先住民族と認めよ)

2007年12月31日 | ア行
     アイヌ民族(01、先住民族と認めよ)

 参考1・アイヌ民族を先住民と認めよ

   萱野志朗(かやの・しろう)菅野茂二風谷アイヌ資料館館長

 今年は世界の先住民族にとって歴史的な年だった。

 2007年09月13日、国連総会において「先住民族の権利に関する国連宣言が
採択されたのである。これは先住民族を「国際法の主体」として認め、自己
決定権や返還・賠償・補償など、さまざまな権利を規定た人権文書だ。

 日本も賛成票を投じた。だが、日本政府は我々アイヌ民族を「先住民族」
とは認めていない。先住民族に関する定義はいまだ確立されておらず、アイ
ヌ民族が日本における先住民族か否かを判断できないというのが理由という。

 しかし、これは世界の趨勢や国内の実態に反している。

 09月14日付の朝日新聞「私の視点」欄に、北海道ウタリ協会の加藤忠理事
長による「政府は先住民族と認めよ」という主張が掲載された。私も理事長
の主張に同感だ。

 「先住民族」という概念はきわめて政治的なものである。単に、ある地域
に居住していた時期が早いか遅いかという時間的な後先ではない。世界各地
の先住民族を取り巻く問題に詳しい上村英明・恵泉女学園大教授(市民外交
センター代表)はこう定義する。「近代国家が成立する時点において、合意
なしに国家に統合され、現在被支配的立場におかれ、かつ(固有の民族とし
ての)人権が十分保障されていない人々」。

 これを日本にあてはめてみよう。近代国家の成立は明治政府の発足にあた
る。アイヌ民族は1871(明治04)年の太政官布告によって一方的に日本の国
籍が与えられた。21世紀の今日においても、就職や結婚で差別が存在してい
る。現在アイヌ民族出身の国会議員はいない。為政者側にアイヌ民族の意思
が十分に伝わっているとはいえないのが現状だ。

 すなわち「明治政府はアイヌ民族をその自由な意思によることなく一方的
に統合し、現在被支配者的立場におき、なおかつ人権を十分に保障していな
い」といえよう。アイヌ民族は日本における先住民族なのである。

 判決もある。1997年03月27日、札幌地裁で二風谷ダム訴訟の判決が言い渡
され、「アイヌの人々は~『先住民族』に該当するというべきである」と明
記された。

 アイヌの現状について、外国のメディアや市民団体から「なぜ日本では先
住民族として認められないのか」と問われることも少なくない。

 アイヌ民族は3万人とも10万人ともいわれる。誰がアイヌなのか。血なの
か文化なのか。「自分はアイヌだ」と自覚し、そのコミュニティーから認め
られた者がアイヌなのである。民族とはアイデンティティーの問題なのだ。

 先住民族に認められる権利には、土地に関するもの、外交を含む自治に関
するもの、地下資源や埋蔵物に関するもの、言語使用に関するものなどがあ
る。私の父・萱野茂は「和人に土地を売った覚えも貸した覚えもない。借り
たのであれば借用証を見せろ」とよく言っていた。

 本稿では土地について論じよう。

 1990年代以降、一部とはいえ返還されているケースがいくつもある。カナ
ダではイヌイットの準州ができたし、オーストラリアではアポリジニーに返
還を命じる判決が出た。国際的に見て決して特異なことではないはずだ。

 北海道を全部返せなどと言うつもりはない。すでに何世代にもわたって和
人が住んでいる私有地まで戻すべきだというつもりもない。

 北海道は約834万ha。このうち約半分の414万ha国有地だ。道有地、市町村
所有の公有地も多い。このなかの一部でもいい、返還してほしい。歴史的経
緯を考えた場合、特に政府に求めたい。

 我々の聖地である山や谷も、いまはその大半が国有地だ。もともと我々の
先祖が住んでいたと地である。アイヌ民族には土地所有の観念がなかった。
明治期に、外から来た人々が一方的に法律を制定し「所有」を決めたのであ
る。その結果、神々に祈る行事を行おうにも、政府の許可を得なければでき
ない、などということまで起きた。

 アイヌ民族を「先住民族」と認め、国有地の一部を返還する。国民が理解
し、政府が判断すれば可能なはずだ。返還されたあとも、北海道の道民や来
道者が自由に通行や利用ができるものとしたい。

 私は活動家ではない。「アイヌ語ペンクラブ」の一会員であり、こうして
書くことで訴えている。

 先住民族を取り巻く問題にどう向き合うかは、法治国家ニッポンの成熟度
を測るバロメーターとなるに違いない。

  (朝日、2007年12月29日)

 参考・アイヌ民族(02、歴史)(2008年06月12日

テロ(01、テロとは何か)

2007年12月21日 | タ行
 米国での史上空前の大規模テロ事件ののち、世界のほとんどの国の政治家は「テロリズム撲滅」を唱えている。国連のアナン事務総長も2001年10月01日に開会した総会でテロ根絶のための各国の協調を呼びかけた。

 だが、テロとは何か、国際的に確立された定義はない。締結済みの「テロ資金供与防止条約」(未発効)も、単に「テロリズム」という言葉を定義抜きで使っており、これでは同条約を基に国内法を作ることは難しい。

 米国が首謀者とするオサマ・ビンラディン氏はソ連軍のアフガン侵攻時、私財を投じてつくった部隊を率いて戦い、米国が「自由の戦士」と呼ぶゲリラの指導者として英雄視された。

 彼は湾岸戦争後も米軍5000余人が母国サウジアラビアに駐留し続けていることに憤慨して反米破壊活動を始め、世界最悪の「テロリスト」となったが、本人は昔も今も異教徒軍を駆逐しようとしているつもりだろう。

 湾岸戦争後、米国はイラクのフセイン政権の転覆をはかり、イラク、トルコ、イランなどの国境が交わる山岳地帯に立て籠もり独立運動を続けているクルド族の反乱を支援。イラク軍がクルドの「自由の戦士」の討伐を進めると、米、英はイラク領空内に「北部飛行禁止」を宣言し、討伐を妨害した。

 一方、北大西洋条約機構(NATO)加盟のトルコ領内で主に活動する「クルド労働者党」はテロリストとみなし、1999年のケニアでのオジャラン同党議長の逮捕には米情報機関が協力したとされる。

 クルド戦士は国境の稜線を越えるたび、「テロリスト」になったり「自由の戦士」になったりするわけだ。

 また米国フロリダ州には反カストロ系のキューバ人テロ組織「オメガ7」「アルファ66」などが存在する。タリバーン政権下のアフガニスタンにビンラディン氏らが「匿われている」のと似た形だ。

 歴史的に考えるとテロの定義はさらに難しくなる。

 第2次大戦中、ドイツ占領下のフランスや東欧では地下組織がドイツ将校や対独協力者の暗殺、列車転覆、爆破などに活躍し、英国は「特殊作戦執行部」をつくって支援した。連合軍はこれを「レジスタンス」と呼んだが、独軍はフランスだけで「テロリスト」約3万人を処刑した。

 ノルウェーでは地下組織が重水素工場を爆破して独の核開発を阻止した。同国では独軍に徴用されたバス2台が同時に断崖からフィヨルドに突入、多数のドイツ兵を水死させる自殺テロも起き、2人の運転手は英雄となっている。

 1909年、ハルビン駅で伊藤博文を射殺した安重根は日本にとっては偉大な政治家を殺した凶悪なテロリストだが、韓国では「道徳」の教科書で愛国の「義士」と称される。

 だが、伊藤自身も明治維新前には幕府系の学者の暗殺や、英公使館の焼き打ちをした「志士」だ。客観的には元テロリストが現役テロリストに殺されたのだ。

 維新の元勲には元テロリストが少なくないし、靖国神社に祀られている「維新殉難者」の多くも同様だ。

 今回の米国の事件は、国連安保理事会の「イスラエル軍撤退」決議に反し、1967年以来ヨルダン川西岸の占領を続け、パレスチナ人の投石に銃撃で応じるイスラエル自身ではなく、その支援国にすぎない米国を攻撃している。

 しかも世界貿易センタービルでは多くの国々の民間人を狙った特別に悪質な事件だが、弱者の「レジスタンス」や「自由の戦士」と「テロリスト」の間に誰にも納得できる客観的な線を引くのは、たぶん不可能だ。

 米国は自国、友好国に対抗するものは「テロリスト」、自分の側のものは「自由の戦士」と自国中心の明快な区別をする。

 だが、これでもコソボのアルバニア系武装組織「コソボ解放軍」を米国務省は1998年02月には「テロリスト」としてユーゴスラビアに討伐を求め、1999年03月には逆にユーゴ軍、警察がアルバニア系住民を虐殺したとして米軍がユーゴを爆撃したような自己矛盾を起こしがちだ。

 また正規軍、警察の行為は一切テロと見なさないなら、ゲシュタポは善、レジスタンスは悪、となってしまう。

 国連は「包括的テロ防止条約」の採択を目指しているが、どのような定義をするかは見ものだ。

  (アエラ、2001年10月15日号、編集部 田岡俊次)


(日本の)調査捕鯨

2007年12月19日 | ハ行
     (日本の)調査捕鯨(01) 

 IWC(国際捕鯨委員会)の決定で商業捕鯨が1986年から一時停止されたため、日本は翌年から調査名目で南極海でミンククジラの捕鯨を始めた。

 その後、北西太平洋に広げ、捕獲対象種も増やしていった。

 今回は来春までに850頭のミンククジラのほか、ナガスクジラ、ザトウクジラ各50頭を加えた約1000頭の捕獲を予定。

 鯨肉は調査費に充てるため販売する。

 「調査の名を借りた商業捕鯨」(ニュージーランド)との批判がある一方、高値で消費が伸び悩んでいる。
  (朝日、2007年11月24日)

     調査捕鯨(02)

 そもそも調査捕鯨では何を調べているのか。
 水産庁所管の日本鯨類研究所が調査船を南極海と北西太平洋に派遣。捕獲して耳あかの模様から年齢を推定したり、胃の中や遺伝子から捕食量や繁殖の生態を調ベたりしている。

 捕ったクジラはどうするのか。
 実際に調査船を運航するのは民間会社で、鯨肉や皮などに加工し日本で売る。
 最近の捕獲数は年1000頭前後。
 商業捕鯨停止から20年がすぎて消費は細る半面、捕獲量は当初の4倍に増えた。

 調査のお金は?
 調査費用54億円の1割は国の補助金で、9割は鯨肉の販売収入だ。鯨肉を売るため、水産庁は新会社の設立を後押しして、学校給食などでの消費拡大に必死だ。

 商業捕鯨が再開される見込みはあるのか。
 IWC科学委員会は日本の調査を基にミンククジラは南極海に76万頭生息しており資源に影響はないと推定したが、調査の客観性に異論が出て、歩み寄りは望めない状況だ。

 (朝日、2008年01月23日。歌野清一郎)

     調査捕鯨(03)、鯨肉収入2割減る

 調査捕鯨を実施している「日本鯨類研究所」のクジラ肉販売収入が、2006
年度決算(2006年10月~2007年09月)で前年度比2割減の54億円になったこ
とが分かった。調査捕鯨が始まった1987年以来最大級の減少幅。船舶火事や、
作業員が死亡した事故で捕鯨が中断したことが影響している。

 同研究所は、水産庁所管の財団法人。同研究所は、収入の落ち込みをカバ
ーするため、クジラ肉の卸値を昨年05月に約6%値上げした。経費削減にも努
めるという。

 クジラ肉の販売収入は同研究所の収入合計の4割(2005年度決算)を占め
る最大の収入源。クジラをとり続けないと運営維持できない状況だ。

 これまでクジラ肉の販売収入は年々増加してきた。1997年度には40億円だ
ったが、ピークの2004年度には71億円まで膨らんだ。クジラの捕獲頭数を増
やしたため、市場への供給量も増えたからだ。

 (朝日、2008年01月26日)


ドイツの教育

2007年12月18日 | タ行
     ドイツの教育

 「隣の芝生は青い」と言われることがあります。とかく、よそのものは良
く見えるものです。何気なく手にした『母親に向かない人の子育て術』(川
口マーン惠美、文春新書)を読んで、久し振りにそんなことを感じました。
著者はドイツ人の夫と結婚し、3人の娘さんを育てるピアニストです。書名
とはまったく別のドイツの教育の紹介が、とても参考になりました。

 ドイツの学校(全国一律ではなく、州ごとに制度は少し異なりますが)は
午前中で終わり、午後はスポーツや文化活動を地域で行う、と聞きます。だ
から日本も同じように、という意見を聞くことがあります。この本によると、
朝8時前に始業し、1時ごろまでに6時間詰め込んで終業という強行スケジ
ュールだそうです。

 始業が早いので、朝ご飯を食べていない子も多いそうです。著者によると、
「何が何でも1時過ぎに授業を終わらせて、空腹の子供を家に帰すというの
は、教師の都合としか思えない」とのことです。

 ドイツの学校制度は複線型です。小学校4年生の終わりに国語と算数の成
績で、3種類の学校に別けられます。一つは、大学進学を前提としたギムナ
ジウム。二つめは、大学進学は希望せず、事務職や専門職希望向けの実業学
校(実科学校Realshule)。三つめが、元は職人になる者が行った5年制の基
幹学校(本科学校Hauptshule)です。

 ドイツもかつては職人をめざす人にはマイスター制度が機能し、それなり
に棲み分けができていたそうですが、現在では成績による振り分けが実態で
深刻な状況だ、と著者は指摘します(実は3人の娘さんがそれぞれの種類の
学校に進んだため、すべてを経験したそうです)。

 一方子どもたちの生活面では、ドイツの教師は学校で授業をするだけで、
校外の問題には関知しないそうです。ちなみに16歳以上は喫煙が許可されて
いるため、多くの学校では生徒のための喫煙コーナーがある(州によって差
はあるようですが)と、驚くべきことも書かれています。

 深夜の外出は警官の補導対象ですが、治安状況も日本の比ではないようで、
都会ではドラッグの抜き打ち検査以外は黙認だそうです。著者の住むシュツ
ットガルトでは、金曜と土曜の深夜に若者たちを自宅に帰すため、終電後に
郊外向けの深夜バスのサービスまであると書かれています。

 こんなことを読むと、ドイツは一体どうなっているんだ、と思わされます。
しかし一方、有名な大学入学資格試験アビトゥーアの内容には、感心させら
れます。

 特筆すべきは、ギムナジウムでの成績とは別に、卒業間近に行われる州全
体の統一試験の内容です。まずは筆記試験です。国語と数学の2教科は必須
で、それに自分で選択した2教科が加わります。

 たとえば国語(ドイツ語)の問題は、“あなたがこの論文を読み、新聞
「ディ・ツァイト」に投稿すると仮定し、その文章を作成せよ”のような5
題から一つを選び、5時間半で起承転結のしっかりした論文をまとめる、と
いうものです。

 驚くのは、ドイツの試験答案に鉛筆は認められず、ペン書きでなければい
けないことです。採点にも1人に3時間はかかり、他校の教師による2度目
の採点が行われ、2つの採点結果に大きな差が出た場合は、さらに3人目が
採点するというから大変です。

 これで終わりではありません。次に(と言っても2か月後に)2科目の口
頭試問があります。1科目は20分間の質疑応答、他の1科目では10分間の研
究発表スピーチと10分間の質疑応答です。

 外国語を選んだ場合は、もちろんこれを外国語で行うわけです。日本の入
学試験とはずいぶん違います。大学入学資格試験というだけあって、アカデ
ミックなものです。ちなみに、アビトゥーアを受けることができるのは、2
回だけだそうです。

 どこの国の教育にも、背景にその国の歴史や文化があります。都合のいい
ところだけ持ってきて、というわけにはいかないことが分かります。隣の芝
生をうらやましがるのではなく、これまでの取組みを生かしつつ、更なる改
善を加えて行かざるを得ないことを痛感します。
(愛知県小牧市教育委員会の「教育委員だより」2007年07月11日号、
 教育長 副島孝)


自然教育園

2007年12月08日 | サ行
     自然教育園

 遊歩道に足を踏み入れた途端、圧倒的な緑に囲まれる。空のほとんどは樹
木に覆われ、里山の雑木林よりもうっそうとした感じがする。鳥たちの鳴き
声も絶えない。何度訪ねても、都心部にいることを忘れてしまう。

 東京・白金台の自然教育園は、大都会に「緑の孤島」のように残る豊かな
森だ。国の天然記念物でもある。阪神甲子園球場5個分にあたる約20ヘクタ
ールが、コナラやケヤキなどの落葉樹、スダジイやカシ類などの常緑樹に広
く覆われる。

 生育する植物は約600種。ススキやヨシの草原、池や湿地、小川もあり、
オニヤンマやゲンジボタルが生息する。これまでに記録された昆虫は約1400
種、鳥類は約120種にのばる。

 中世の豪族の屋敷跡と伝えられ、高松藩主の下屋敷、軍の火薬庫、御料地
と歩んだおかげで長い間開発を免れた。1949年に開園。今は国立科学博物館
が、動植物の調査・研究や教育活動に生かしながら、自然を守っている。一
般公開しているが、過剰利用を避けるため、同時に300人以上は入れない。

 「森は変わらないように思うけど、実はがらがらと揺れ動いているんです
よ」。38年間ここに勤めてきた研究主幹の矢野亮さん(64)は話す。

 関東以西の森は放っておくと常緑広葉樹林になる。足元は暗くなり、野草
類が育たない。だから、遊歩道のまわりで野草類を観察する地区などは、枝
の伐採や草刈りなど絶えず人の手を入れる。一方で、遊歩道も通さぬ原生保
護地区も設けてある。

 森全体では、大気汚染に弱いマツなどの針葉樹が50年間に半減した。最近
はアオキがひどく枯れ、ミズキがキアシドクガの大発生にやられている。最
も増えたのは、鳥が種子を持ち込む亜熱帯性のシュロ。昔は東京の冬を越せ
ず、1本もなかった。

 気温の上昇に伴い、ここ10年でナガサキアゲハやツマグロヒョウモンなど
西日本のチョウも来るようになった。地球温暖化の影響だろうか。

 開園以来の樹木や動物の記録が、この森の魅力を増す。12月上旬は紅葉。
35年前の10倍に増えたイロハモミジが迎えてくれる。

  (2007年12月05日、朝日、安田朋起)