ノーベル賞を日本人2人が受賞することになったというので日本中が喜んでいます。私も喜ばしい事だと思っています。しかし、こういう時でも少しは冷静な頭を残しておきたいものです。
ノーベル物理学賞を受けることになった小柴昌俊氏の「語録」が(2002年)10月09日の朝日新聞に載っていました。その中に、今年(2002年)の03月、東大の卒業式での挨拶の言葉があります。それは次のようになっています。
──どんな偉い先生の言うことでも間違っていたら、公の場でもその場で誤りを指摘するのが科学する者の当然の態度──
果して本当にそうでしょうか。これは慎重に考える必要があります。本メルマガでも第40号の「教師の間違いをどうするか」で一応は検討してあります。
まず問題になることは、小柴氏は「間違っていたら」と言っていますが、これが間違っていると思います。A先生の言うことについてBさんが「間違っていると思う」ことが出発点です。しかし、ここで大切な事は、「A先生の言うことは間違っている、と思うこと」と、「客観的にA先生の説が間違っていること」とは別の事だということです。
これは自明と言ってもよいくらいの真理ですが、行動上では多くの人が忘れがちです。そこでいろいろな間違いが起きます。小柴氏もこの区別が出来なかったようです。しかるにこの区別から認識論は出発します。つまり小柴氏は認識論の出発点にすら立っていないのです。
第2に、その「間違っていると思う点」も、学問上の議論について言いますと、その議論の仕方に関する事柄の場合と、議論の内容(つまり学問内容)に関係する事柄の場合とがあります。まあ、氏がここで念頭に置いている問題は後者だけでしょうが、理論としては一応この2つの場合を考える必要があると思います。
第3に、学問内容について「間違っていると思った」場合でも、「その場で言う」のが絶対に正しいとは言えないと思います。私はかつて、「その場で叱る」と題した文章を書きました(拙著『囲炉裏端』所収)。或る人が「犬はその場で叱らなければ分からない。人間も同じだ」と言っていたので、「犬がこうだから人間も」というその考え方に反対を表明したものです。
第4に、もしその場でにせよ後にどこかでにせよ発言したとして、今度はA先生はどう反応するでしょうか。真面目に議論してくれるのがベストではあります。しかし、無視する人もいます(NHKのラジオドイツ語講座への私の質問は今やほとんど無視されています)。厭味を言ったりする不真面目な人もいます。高圧的感情的に反発する人が一番多いと思います。後二者の場合、Bさんはどうしたら好いのでしょうか。ここまで考えなければ理論としては不十分だと思います。
第5に、議論になったとしても、議論の意義ないし限界を弁(わきま)えておく必要があると思います。議論に勝った方が正しいとは限りません。真偽を決めるのは歴史であり、歴史だけです。従って、議論は彼我の意見の異同をはっきりさせることが目的だということを弁えておく必要があります。
実際には、これの分からない人が多いです。下らない争いは、ほとんど全て、自分の考えを絶対的真理として相手に押しつけようとするところから生まれていると思います。自分の意見を主張したいなら行動で主張するのが筋だと思います。
第6に、もちろんBさんの発言態度も問題になります。学問的な事にせよ他のことにせよ、シロウトないし下の人が専門家や上の人に対して質問したり異議申し立てをすること自体は認められるべきです。しかし、その時も言い方というものがあると思います。民主主義だからと言って、その道の先輩と後輩の関係はあると思います。
小柴氏の言いたかった事は、発言者の偉さに遠慮して黙っているような態度は科学的ではないという、単純だがなかなか実行されにくい事だと思います。しかし、それを表現する言葉は余りにも不適当で不十分だったと思います。そもそもこれが実行されにくいのなら、なぜ実行されないのか、その理由でも考えてみると良かったでしょう。
小柴氏自身、上の人に対して本当にいつでもこのような態度を取ったのでしょうか。逆に、下の人の質問や異議申し立てに対してどういう態度を取ったのでしょうか。小柴氏はボス的な人だったらしく、そのグループは「小柴マフィア」とも言われているそうです。自分の経験(下の立場での経験と上の立場での経験)を述べてほしかったと思います。
そもそも大学の卒業式での挨拶でこういう事を言うのが正しいか、一般的に言って、大学の卒業式での挨拶ではどういう事を言うべきか、という問題もあると思います(
これはいずれ論じたいと思います)。
卒業生もいずれは「偉い人」になるのですから、上に立った時の態度について述べても良かったと思います。その時には、そこに座っている東大教授たちに対して、「皆さんは学生や素人の考えを十分に聞いているか反省してみたらどうですか」くらいの事は言うべきだったと思います。
(メルマガ「教育の広場」2002年10月16日発行)
関連項目
間違い(01、教師の間違い)
間違い(02、01への批判と返事)