マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

潮流発電

2011年07月31日 | タ行
 海洋エネルギーを開発する世界の企業が、スコットランドで発電機の試験を盛んにしている。潮流や波力は、潜在量が多く、太陽光や風力と比べて安定しており、スコットランドは「ブルー(海洋)エネルギー」こそ次世代エネルギーとして力を入れ、将来は電気の輸出を狙っている。

 北緯59度、英国本島の北に位置するスコットランドのオークニー諸島。大西洋と北海に挟まれ、島々の間を速い潮流が行き来する。海底で流速が時速30㌔になる所もあり、波もほぼ一年中高い。

 「ここでの波の最大記録は22㍍。今年5月も8㍍の波がありました」。欧州海洋エネルギーセンター(EMEC)の広報担当、アイリーン・リンクレーターさんは話した。

 EMECは、スコットランド自治政府などが2004年、オークニー諸島のストロムネスに設立した組織だ。

 自らは発電機を開発せず、潮流や波力発電の実験場所、海洋情報など発電に必要なデ一夕を提供。できた電気は買い取り、地域に供給する。

 このサービスに経費を支払い、英国内だけでなく、米国やオランダ、ドイツ、フィンランド、シンガポールの企業十数社が発電機をテストしている。

 潮の流れでプロペラを回す潮流発電は、年間の発電効率が30~60%と比較的高い。ただ、海中の施設は「何年もトラブルが起きない」という実証が必要で、これに時間がかかるという。

 EMECのニール・カーモード所長は「だからテストヘの安定した支援が重要だ。この町を海洋エネルギーの知識、人、研究の集積地にし、産業を興したい」と話した。

 英国、とりわけ北部のスコットランドでは潮の流れや風が強い。これらを「発電の資源」として試算すると、スコットランドだけで潮力、風力とも欧州全体の25%を占める。海面の上下の動きを利用する波力も10%ある。資源は膨大だ。

 スコットランド国際開発庁エネルギー部門のトム・ラム部門長は「北海油田の時代は終わりつつある。エネルギー安全保障の点からも自然エネルギーは重要だ。今は政府が強く推進しているので開発の好機だ」と指摘する。

 英国全体として、最も力を入れるのが洋上風力発電だ。2020年までに洋上風力だけで、4800万㌔ワットにする計画を持つ。現在の日本の風力導入量の約20倍、日本の全原発の発電能力に等しい。

 いま世界で風力発電に取り組む企業は英国に吸い寄せられている。三菱重工業も英国に洋上風力の開発拠点を作った。企業は市場獲得を、英国は自然エネルギーの電気と地域雇用を狙う。

 英国の自然エネルギー発電は水力を含めても6・6%(2009年)しかない。それを2020年に30%、2030年に40%に上げる目標(原子力でも40%)を掲げている。

 (朝日、2011年07月06日。編集委員・竹内敬二)

高校女子サッカーの決勝を見る

2011年07月30日 | サ行
 昨日29日、磐田市のヤマハスタジアムで高校女子サッカーの決勝を見てきました。なでしこジャパンの影響で多くの観客が来ていました。私の目的は、第1に、ヤマハスタジアムを見ること、第2に、高校女子サッカーを見ること、でした。

 やはり、陸上競技場と兼用でない(ラグビー場との兼用)スタジアムはいいです。すぐそこでプレーが見られます。高校男子の静岡大会決勝も日本平スタジアムで見た時は楽しかった。今ではエコパ(袋井市)で行うので、2度と行く気がしません。これは1度書いたと思います。

 試合は仙台市にある高校(常盤木学園高校)が優勝しました。時節柄、好かったと思います。

 試合の後、表彰式とやらがありました。これが幻滅でした。表彰状を渡す人も、カップを渡す人も、メダルを選手の首に掛ける人も、みな、おじさんでした。曰く「サッカー教会のなんとか」、曰く「磐田市長」(この大会は磐田市が共催しています)、等々。

 帰宅してから、磐田市役所と日本サッカー協会に電話をして、意見を言っておきました。

 レフェリーはみな、女性でした。これは好かった。各チームの監督はどうかな? なでしこも監督は男性です。ドイツやアメリカの監督は女性だったはずです。女子サッカーは監督も女性に限るとしたら、どうでしょうか。

 今日の朝日新聞静岡版を見ますと、2頁もあるのに高校野球の静岡大会の決勝のことでほとんど埋め尽くされています。女子サッカーの決勝のことは全然出ていませんでした。やれやれ。夏になると、「朝日を止めようかな」といつも思います。1度だけ8月だけ日経に代えたことがあります。

組織とトップ

2011年07月26日 | サ行
               沼上 幹(ぬまがみ・つよし。一橋大学商学部長)

 「結局はすべて社長一人の責任」。

 松下幸之助の有名な言葉である。組織の上に立つ者に覚悟を迫る厳しい言葉だと思う。たとえ現場のミスだとしても、責任はすべて社長が負うという覚悟である。もちろん社長は社内的には現場のミスを厳しく叱りつけ、ミドルを更迭するかもしれない。しかし、まともなトップなら、少なくとも対外的には、「わが社の現場がダメだから私も怒っているのです」とは言わない。

 理由は簡単だ。そもそも、ミスを犯す現場やミドルを管理しているのは、最終的には社長だからである。組織のトップは、この管理・監督責任から逃れることはできない。

 しかも、外に向かって部下を批判すれば、経営的にはマイナスである。「社長一人の責任」という美学を捨て、「私も被害者の一人なのです」と言わんばかりの主張をすれば、部下たちは「うちのトップは保身のために部下を売った」と受け取るだろう。そうなれば、トップは周囲からの信頼を失い、組織の業績が低下してしてしまう。業績が落ちたらトップの責任だから、トップは対外的に部下を批判してはいけない。

 しかし、世の中には、どこまでが自分の組織で、誰が責任者か悩む場面もある。たとえば、先月27日(06月27日)の枝野幸男官房長官の「激怒」をどう理解すればよいのだろうか。原発事故直後の放射線データを一部未公表にしていた東京電力に対し、政府の公式スポークスマンは怒りを露わにした。「私自身も、国民の皆さんとの関係では申し訳なく、一方で東京電力との関係では大変怒っている」。

 前半部分はよく分かる。政府も事故解決に向けた「組織」のトップとして、国民に責任を負っているという意識がある故の謝罪であろう。しかし、「東京電力との関係では大変怒っている」と言うと、「自分も被害者で困っている」という責任逃れに聞こえる。解決に向かって協働する「組織」の頂点に政府が位置しているのなら、「今後、東京電力の情報開示について、適切に管理・監督・指導していく所存です」とだけ言うべきではなかっただろうか。

 もちろん、東電が外部の独立した法人だから、政府とすれば外部を批判しただけかもしれない。しかしそうなると、今度は、海江田万里・経済産業相が海水注入再開を命じたり、独断で注入を続けた福島第一原発所長の処分について菅直人首相が「必要ない」との考えを示したり、という行動が説明できなくなる。

 逆に、一体となった組織として問題解決に当たっているのであれば、政府の激怒を対外的に公表する際には、経営的なマイナス効果を考えなければならなかったはずだ。

 たとえば、「政府は東電をスケープゴートにして、延命を図っているのではないか」という疑念を皆が抱き、いざとなったら自分も「売られる」という意識が蔓延しかねない。激怒の原因をつくった犯人捜しも厳しく行われるかもしれない。誰も守ってくれないと思えば、責任ある仕事から逃げようとする人が増えるだろう。その逃げた人の分だけ、逆に責任感・正義感の強い人の負担が過大になり、ただでさえ疲弊している組織がポキッと折れてしまうかもしれない。こういったリスクを一体誰が引き受けるのだろうか。

 松下幸之助の言葉を念頭に置いていると、この種の関係は例外に聞こえるかもしれないが、実は広く見られる。監督官庁と業者の間の関係や、下請け業者に丸投げしてピンハネしている企業のケースが典型だ。

 そこでは、管理・監督側は、命令もするし、批判もするし、介入発言も自由にするが、実行責任はすべて業者にある、と当人たちは考えている。その命令・批判・介入のマイナス効果はすべて「業者」が吸収するものであり、何か問題があっても、すべて「業者」という独立の法人の責任だと判断するのである。

 しかし、「業者」の側がそう考えるとは限らない。管理・監督側にチェックを受けているのだから、一定の責任が免除されており、時々「命令」も来るから、「われわれは言われた通りにやっている」という意識が「業者」には生まれる。自分たちは、「お上」や元請けの管理の下で命令通りにやっているのだから、何か問題が起こっても、自分の責任ではない、と考えるのである。

 こうしてみると、「お上」や元請けが他の組織に仕事を丸投げする構造には、大きな問題があることが分かる。管理・監督するはずの「お上」や元請けは、責任の大半が業者にあると思い、業者の側は「お上」・元請けに責任があると考えるのである。管理・監督する組織が、それを受ける組織と別法人であるが故に、どこにも究極の責任感が芽生えない組織体制ができあがる。

 聞けば、原発の仕事は数次の下請け構造だという。これほどの多重構造であれば、どこかで責任感が蒸発しても不思議はない。よくもまあ、これほど危険なものを、これほど危険な組織体制で「管理」してきたものだと思う。「結局はすべて社長一人の責任」という厳しい覚悟は、もっと単純な構造に宿るはずなのに。

(朝日、2011年06月17日)

    感想

 政治家と秘書の関係も同じだと思います。法律が、政治家の責任を追及するようにすることが必要でしょう。

 学校の問題では校長に責任があるのに、個々の教師の事ばかり問題にする狭い考えが克服されていません。

小物の基準

2011年07月25日 | カ行
 昨年(1985年)の春、A氏から手紙が来て、上京して私の所で勉強したいとのことであった。その後電話で連絡を取った時、ドイツ語はどのくらいやっているのかと聞いたら、ゲーテの『親和力』を「一寸訳しました」とのことであった。後で判った事には、その「一寸」というのは実際には4頁か5頁のことであった。

 そのAさんがへーゲルのキリスト教論を読んで、「大体文章にまとめた」と言うので、「じゃ『鶏鳴』に載せようか?」と聞くと、「いや、もう少し考えてから」と逃げる。その時私は、一方では自分の小さな実績を過大に言い、他方で自分の仕事を公の場で世に問うのを恐れているようではどうしようもない、と話したことであった。

 実際、自分のした事をどう表現するかはその人をよく表わしていると思う。関口存男(つぎお)氏はドイツ語以外にも、フランス語はアテネ・フランセでフランス語での授業を代行したほどだし、もちろん英語もギリシャ語もラテン語もロシア語もイタリア語もスペイン語も、そしてエスペラント語や漢文も出来た。そのほかにも出来たものはあっただろうと思う。しかもその出来方たるや、そこらのその語学の専門家以上だったようで、或るギリシャ語学者は氏の質問を受けて驚いたという話である。しかし、氏自身は「そもそも出来るとはどういうことか」と問題提起し、ある語学が本当に出来るとは、その言語で書かれたあらゆる分野のものを読んで分かるようでなければならないと言って、「自分に本当に出来るのはドイツ語だけだ」としか言わなかった。

 さすがに関口氏。4頁や5頁訳して「一寸訳しました」という人とは基準が違う。私はAさんにこの話をし、「Aさんの日本語は間違ってる。『一寸訳しました』と言うのは、100頁訳してからにしろ」と注意したことであった。

 その話をした時にはたまたまN氏も同席していた。そのNさんが個人名を挙げない文を書くので、「相手に直接言うか、文を書くなら個人名を出して批判しろ」と最近は言い続けている。先日『人間家族』という雑誌に氏は「鶏鳴学園への招待」という文を書いたが、そこに初めて2人の名を挙げて軽い批評めいたことを書き、「今度の文には少し個人名を出しました」と言った。その時も私は、理想を掲げて運動をしている人がなぜこうもダメ人間ばかりなのかと言うのなら、○○はこれこれこうだからダメ人間だと、10人以上について書いて、その文を本人に送ってからはじめて、「少し名前を出した」と言え、と応えた。

 私は人を悪く言いすぎると言われている。この評判を以前は大分苦にしたこともあるが、最近ではこう考えている。それは、私は子供はほめるが、大人に対しては絶対的な基準をもって客観的で全面的な批評をするからだ、と思っている。

 私は子供は褒める。自分の子供でも悪くは言わないし、叱ることはめったにない。暴力を振るったことなど1度もない。少しでも好い所を探して針小棒大に褒めるようにしている。唯一の例外が食事中の姿勢で、これは悪ければ注意する。これは例外というより、姿勢が根本だと考えているので、この姿勢さえしっかりしていれば、後は褒めた方が子供の成長によいと考えているのである。もちろん私のことだから、以上の原則を完全無欠に実行しているわけではないし、私自身が食事中の姿勢を崩して子供に注意されることもある。

 ともかく子供は褒める。少くとも余り悪くは言わない。学校の成績の悪い子には「学校の成績なんか関係なし」とかばう。この間の暮に子供が落し物をした時にも、「人間には誰にでも間違いがある。わざとやったんじゃない。お父さんも沢山落し物をしている」と言っただけである。

 しかし、大人は客観的に評価する。すると、私のその評価の基準が相手の基準より高いために、相手は悪く言われたと感ずるのである。4頁訳して「一寸訳した」と思っている人に、「そんなの訳した内に入らない」と言うことになるからである。そして、一部の人々は、4頁だって少し訳したことは訳したではないか、と食ってかかる。A氏の場合は幸いこういうことにならないで済んだが、それはともかく、ここに彼我の違いがある。

 これが根本の原因だったと思っている。その上に私の言い方が相手に対する配慮に欠け、しかも言う必要の無い時に言ったことも多かったのだと思う。そのために相手の「幻想を持つ権利」を犯すことになった。もちろんこれは私が悪かった。

 従って最近は、私に就いて学びたいと言ってきた人にその真意をはっきり確認し、かつ「私はあなたを褒めませんよ。実際より悪く言うなんて失礼な事はしないが、実際より好くも言いませんよ。褒められたいなら修業は止めた方がいい」と、念を押すことにしている。もちろん相手の言い分も聞くように、「運営に関して研鑽する時間」を制度化した。そして、研鑽する姿勢について繰り返し反省するようにしている。これで大分無用な誤解は減ったようである。(1986年2月15日)

 感想

 1度はこの文をブログに載せておいた方が好いと思いましたので、載せました。

 かつて、浜松市のアンケートに回答した人が5000人くらいだったのを私が「少ない」と言ったら、「十分に多い」と評価して牧野批判をした「小賢しいニセモノ」がいました。この例は、牧野にケチをつけたい人が、牧野の相手をかばう方法の1つですが、「小物の基準」でもあります。

 一般化して言うならば、「評価は評価者自身をも表す」ということです。自己評価でも他社評価でも同じです。


シーベルト

2011年07月24日 | サ行
山中 季広

 震災このかた、シーベルトという言葉を聞かずに暮れる日はない。㍉やマイクロを冠したシーベルト値を政府が日ごとに発表し、それでも不安な市民が計器を買って自宅庭先で測定する。そんな日常を強いられた国は世界に日本だけだろう。

 では、その名が単位になったシーベルトとは一体どんな人物なのか。シューベルトやシーボルトならまだしも、シーベルトとなると恥ずかしながら爪の先ほどの知識もない。科学史事典を頼りに、母国スウェーデンを訪ねた。

 ストックホルムから約3時間、森と湖の多さに迷いながらシーベルト家に着いた。当主である四男ロルフさん(77)によると、実は森も湖も敷地の一部で、甲子園球場260個に相当する広大な屋敷だった。

 「父が85年前に購入した地所です。祖父が電線事業で築いた資産を相続し、父は金銭的な苦労を知りません。好きな放射線観測一筋に生きて、その名が科学単位に残った。幸せな科学者人生です」。

 ロルフさんと同姓同名の父ロルフ・シーベルト(1896~1966)は堂々たる偉丈夫だった。身長190センチ、体重150㌔。一代で巨万の富を築いたその父が急逝して、シーベルトは17歳で会社を継ぐ。たちまち赤字を計上し、ビジネスに天分のないことを悟ると、潔く社長の座を降りた。

 代わりに打ち込んだのが放射線防護学。放射線治療にあたる医師や看護師、技師を被曝からどう守るかが課題だった。遺産のおかげで研究費に困ることはなかった。米国で最新知識を学ぶ際、渡航費や滞在費は全額自分でまかなった。上司が予算に窮していると知れば、無給研究員の分際で膨大な資金を寄付した。

 自ら開発した測定器を屋敷内の湖畔に設置し、休日でも空気と飲み水の放射線量をこまめに調べた。旅客機内に機器を持ち込んで上空の線量を測り、着陸先の米空港で怪しまれたこともある。

 口癖は「放射線には敬意を」。患者に防護服を着せず、ドアを開けたままⅩ線検査をするような医者には我慢できなかった。「放射線にはもっと敬意ある扱いを。でないと患者だけでなくあなたも危ない」。

 放射線が人体に与えるダメージの単位にシーベルトの名が選ばれたのは1979年。終生、注意深く放射性物質を扱ったシーベルトに比べると、放射能の強さの単位に名を残した先人たちは、驚くほどぞんざいな扱いをしている。

 たとえば、有名なキュリー夫人(1867~1934)は素手でラジウムをつまんだ。第1次大戦中は、防護服代わりに薄手のエプロンだけをはおり、負傷兵にⅩ線を照射して回った。死因は白血病だった。

 キュリー夫人の師でウランの放射能を発見したアンリ・ベクレル(1852~1908)は、ラジウムの入ったガラス管を服のポケットに入れて持ち歩いた。55歳で急逝、やはり放射線障害と伝えられる。

 無防備だったのも無理はない。当時、欧米の医学界は放射線を「万能の波」と呼び、その活用策の競い合いにかまけていたからだ。五官ではとらえられない魔法の波が、皮膚や肉を通り抜けて骨や臓器を映し出す。ウィルヘルム・レントゲン(1845~1923)がⅩ線を発見した1896年以降、その威力に科学者たちは興奮し、劇的な効果ばかりが喧伝(けんでん)された。

 シーベルトが放射能研究の道に入ったのは少し下って1920年代半ば、放射線の害の深刻さが知られ出したころだった。

 部下だったボー・リンデルさん(89)によると、シーベルトは、人類が浴びる放射線の総量はこの先ずっと増え続けると心配した。まず医療現場から産業界へ利用が拡大。原爆投下に続いて、米ソが大気圏で核実験を強行するに及んで懸念はいっそう深まった。原発も出現して、予期せぬ放射線に誰もがさらされる恐れが出てきた。

 放射線防護の先端を行くシーベルトは1956年、国際放射線防護委員会(ICRP)の委員長にも選ばれた。「核実験や原発事故にもっと備えを」と各国に訴えた。

 亡くなったのは70歳の秋、胃の不調が原因だった。孫のエリックさん(58)によると、放射線障害とは無縁で、晩年気にしたのはもっばら血糖値だったという。

 「祖父がもし生きていたら、矢も盾もたまらずフクシマへ飛んでいったでしょう。根っからの観測屋でしたから」。

 福島第一のような深刻な原発事故は、シーベルトの存命中は一件も起きていない。複数の炉に波及したメルトダウンはどんな汚染をもたらすのか。何ヵ月も続く低線量の被曝は住民の身体に将来どう影響するのか。福島で最新データを集め、シーベルトより精緻な防護の理論を構築できれば、その恩恵は計り知れない。

 願わくはだれか日本の研究者がその先陣を切ってほしい。㍉タナカ、マイクロスズキといった新しい単位が誕生したら、私たちはどんなに励まされることか。そのせいで自分の名が消えたとしても、万事潔かったシーベルトならきっと祝福してくれるだろう。

(朝日、2011年06月26日。筆者はニューヨーク支局長)

スマートグリッド(スペインの実践)

2011年07月23日 | サ行
 お天気任せで頼りない、と思われがちな自然エネルギー。スペインではむしろ、電力の「主役」として活躍している。

 首都マドリードの郊外に、国全土に電力を安定的に送るための心臓部がある。国唯一の送電会社REEが運営する「再生可能エネルギー中央制御センター」だ。

 スペイン全土の自然エネルギーによる発電状況が一目でわかる地図が、モニターに映し出される。事故に備え職員1人が監視しているが、ほぼコンピューターで自動制御されている。

 「自然エネルギーの安定供給のために、私たちがつくりあげた世界一のシステムだ」。責任者のトマス・ドミンゲス氏は胸を張る。

 中核部分は、自然エネルギーの発電量を予測するシステムだ。お天気任せが不安なら、そのお天気を先取りして把握すればいい。

 天気予報などの情報を駆使して、24時間後に生み出されるであろう発電量を予測する。予測と実際の発電量との違いは、平均15%以内に収まるという。1時間前まで予測を更新するので、誤差はさらに縮まる。

 自然エネルギーを普及させる国の政策により、風や太陽から生まれた電力は最優先で使われる。この「主役」だけでは賄えない電気を補うのが、「脇役」の石炭やガス、水力の発電所だ。24時間前から主役のふるまいを予測した情報がREEから伝えられ、出番に備える。

 主役が大暴れしたことがある。2009年12月30日未明、全国で強い風が吹いた。人々が眠りについて電力消費量が減る中、風車は勢いよく回った。REEからの事前予測に基づき、石炭やガスは出力を目いっばい落とした。

 電力消費量がさらに減ると、REEは余った電力を隣国のフランスやポルトガルへ輸出した。午前3時40分、電力の54・6%を風力が占めた。それでも停電など問題は起きなかった。

 スペインでも、自然エネルギーヘの不安はあった。ドミンゲス氏は「安定供給は克服した問題だ。風力発電がもっと増えても問題ない」と余裕をみせた。

スペインで成長

 スペイン全体の年間発電量(2010年)は約2881億㌔ワット時。東京電力と同規模だ。水力を含む自然エネルギーが35%を占め、火力の32%、原子力の22%を上回る。日本では太陽光、風力などの自然エネルギーは約1%で、水力を含めても9%にすぎない。

 スペイン風力発電協会のエイキ・ウイルステッド政策部長は「風力が増えれば、その分、ガスの輸入を減らせる。自然エネルギーへの支持は高い」と話す。

 スペインで自然エネルギーの開発が本格化したのは1990年代後半。エネルギーの9割以上を外国に頼っていた。この体質から脱し、国際競争力のある国内企業を育てようと、当時の主要政党の意見は一致。安定した風と太陽に恵まれた気象条件に目をつけた。

 必ずしも計画的に進まなかった。2004年に政府が太陽光の買い取り価格をとりわけ高く設定すると、想定をはるかに上回る勢いで施設ができた。この「太陽光バブル」は、08年の経済危機を契機にはじける。政府が買い取り価格を下げると、今度は新規の施設が急減。発電業者が裁判に訴える事態にまで発展した。

 「現政権は補助金をばらまいた。エネルギー政策は夢ではなく、現実に基づいて築き上げるものだ」。野党・国民党のアルバロ・メダル下院議員は手厳しい。

 それでも、世界有数の風車メーカーのガメサ、世界各国で自然エネルギー事業を展開するアクシオナなどの企業が育った。

 与党・社会労働党寄りのシンクタンク「イデアス財団」のカルロス・ムラス所長は、社労党が原子力開発の選択肢を狭めたことも影響したとみる。「新たなエネルギーの開発に、官民が力を合わせて取り組む機運を高めた」と評価する。

「あとは意志だ」

 日本の電力会社は広報資料にまで「自然エネルギーは変動するし、予測もできない」と記して、慎重な姿勢をとってきた。

 季節によって天候が変わりやすい日本では、スペインより予測が難しいとされる。その中で、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、風力の発電量を予測するシステムを08年に開発した。青森県六ヶ所村の二又風力発電所で実用化されている。データを蓄積中で、精度を磨いている。NEDOでは、さらに太陽光の予測システムも開発を終えている。

 電力の安定供給に詳しい東京大学の荻本和彦特任教授は、当面は火力や水力で供給量を調節すれば、自然エネルギーを増やせるという。さらに増やすには、IT技術を活用するスマートグリッドで対応する必要があると指摘する。

 「日本には解決するだけの技術はある。あとは意志の問題だ」。

 (朝日、2011年06月29日。岩井建樹、稲田借司)

      関連項目

自然エネルギーの一覧

発電と送電の分離(ドイツの場合)

2011年07月21日 | タ行
 東京電力福島第一原発の事故後、脱原発に走るドイツでは、自宅の電気を、風力などの自然エネルギーで作られる電気に替える人が増えた。「よりクリーンでエコな電気」を選ぶことのできる仕組みを作ってきたことが、自然エネルギーの普及を後押ししている。

 ドイツ北部ハンブルク郊外に5人家族で暮らすアンドレアス・ジットラーさん(43)はこれまでに3回、自宅に電気を供給する会社を変えた。1998年の電力自由化後、「エコ電気」を売りにする会社を選ぶようになり、2004年、06年、昨年と、業者を渡り歩いた。

 発電と送電、販売の事業者が分離されているから、自宅に電気を供給する業者を変えるのは簡単だ。販売事業者は欧州各地の発電事業者から電気を購入し、消費者にその電気を売る。地域ごとの送電網や地域間を結ぶ送電線を管理する送電事業者は、どの事業者の電気も固定価格で受け入れなくてはならない。

 消費者にとっては、新たな販売事業者と契約しても、自宅には変わらずに電気が供給される。新たな設備を購入する必要もなく、電気料金を新しい会社に支払うだけだ。

 3度も変えたのは「よりクリーンでエコな電気」を供給する会社から電気を買うことで原子力依存を減らしたいからだ。

 25年前、旧ソ連のチェルノブイリ事故後、修学旅行が中止になった記憶がある。大学で物理を学んだ。原子力は廃棄物処理に気が遠くなるほどの時間がかかるし、事故が起きた場合の損害の大きさからも、反原発を貫いてきた。

 ジットラーさんは「エコ電気といっても常にエコとは限らない。2級のエコ電気もある」と指摘する。

 最初に選んだ業者は自ら水力発電所を営むが、原発を運転するエネルギー企業の子会社だった。2社目は風力中心だが、一部の電気を電力市場で購入しており、発電元がすべて明らかではなかった。

 今の業者はノルウェーの水力発電など発電元がはっきりしており、利益の多くを再生可能エネルギーヘの投資に回していた。

 電気料金はどの社も、ほとんど変わらないという。ドイツには料金を比戟できるインターネットサイトが多い。地域や家族数など条件によって単純な比較は難しいが、「エコ電気だから高い」ということはない。

 理由としては、電気料金のうち、税金や再生可能エネルギー促進のための上乗せ負担金などの比率が大きく、発電料金が占める割合はもともと一部にすぎないことが挙げられる。

 さらに、エコ電気事業者は小規模の会社が多く、経費が少なくて済むことや、太陽光はまだ高いが、水力や風力発電がかなり安くなっていることも寄与しているとされる。大手電力会社が原発でつくった割安の電気を高く売っているからという指摘もある。

フクシマ後に契約増

 ただ、ドイツでも実際にこうしたエコ電気を購入する人は一部にすぎず、4大電力企業の消費者が主流だった。それが福島事故後、エコ電気業者への問い合わせや変更が殺到している。

 ドイツの主要なエコ電気業者に取材すると「これまでの3倍のペースで新契約を結んだ」(リヒトブリック社)「4月末で顧客が年間目標に達した」(EWSシェーナウ社)と、どこも顧客が増えている。

 ジットラーさんも福島事故後、知り合いにエコ電気への変更を勧めている。自らもネットで「よりエコな電気」を探している。仮に脱原発で料金が高くなっても、受け入れるつもりだ。

 (朝日、2011年07月01日。ハンブルク=松井健)

高木仁三郎

2011年07月19日 | タ行
 福嶋原発の事故以来、それを警告したとも取れる高木仁三郎さんの著書が売れているそうです。朝日紙に次の記事が載っていました。

   記(高木仁三郎が生きていたら)

 生きていたら何と言ったか──。原発事故の後、故高木仁三郎を思い出した人は多いだろう。

 企業や大学での地位を捨て、反原発の立場から、市民のための調査機関や運動を率いた在野の核化学者。2000年、がんのため62歳で亡くなった。

 「生きていたら」の答えを求めるかのように、著作が売れている。事故後だけで、『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)は約2万部、『食卓にあがった放射能』(七つ森書館)は約1万部が売れた。現在も通用する解説、「原子力村」にくみせず命を守る側に立った生き様が、読者を引きつけるのだろう。

 尋常でない意志と能力の持ち主であったのは間違いないが、「普通の人」の弱さも持っていた。自伝的な『市民科学者として生きる』(岩波新書)で描かれるのは、失敗と反省を繰り返しながら進む姿。少し安心させられる。

 亡くなる前年、1度だけ話を聞いた。訪れた自宅で切ってくれた羊羹が厚すぎて、意外に不器用なんだと思った。

 「今の世の中は矛盾の固まりのようなところで生きるしかなく、きれいに生きるなどまずできない。大切なのは、矛盾の中で生きていると意識すること。だからといって諦めるのではなく、逆バネにするのです」。

 「生きていたら」の答えは、矛盾を引き受けて私たちが作るしかない。(朝日、2011年06月22日。高重治香)

 感想

 確かに高木さんの功績は認めるべきでしょう。今、それから学ぶことも必要だと思います。しかし、その限界から学ぶ事も同じく必要だと思います。はっきりしていることは、ドイツでは緑の党が政権を握った(州でですが)のに、日本ではその「きざし」すらないということです。社民党も共産党も全然伸びていません。なぜなのでしょうか。これを考える必要があるでしょう。

 高木さんも晩年、「脱原発法」の制定運動とやらを展開しましたが、失敗しました。それは後に引き継がれてもしていません。なぜなのでしょうか。これを考えることが必要でしょう。それなのに、そういう視点が見られません。

 世の中は「総合力で決まる」のです。脱原発を唱えればそれだけでいいのではありません。緑の党は脱原発を唱えているだけではありません。

 いや、視野の広さだけではありません。最も大切な事は提唱者の「主体的なあり方」だと思います。分かりやすく言えば、運動の組織の「組織としての在り方」です。共産党の「民主集中制」も論外なら、社民党の無規律も論外です。緑の党は、それまでの革新運動の在り方の反省から、その組織形態まで新しいものを作り上げたのです。それは「党」と訳されますが、正しくは「緑の人々」という意味です。1人1人の主体性を重視した運動形態なのです。

 今、脱原発を唱えている人たちの中で何人の人が脱原発に相応しい組織形態を考えて実行しているでしょうか。


川勝県政2年目の評価(その1、朝日新聞の評価)

2011年07月17日 | カ行
01、朝日新聞(2011年07月08日。後藤遼太)

 開け放たれた知事室のドア。居並ぶ県幹部の説明に川勝平太知事が耳を傾ける。平日夕方の県庁でよく見られる景色だ。

 当選直後、川勝知事は「知事室のドアは常に開け放ちます」と宣言。会見や報道陣とのやりとりの中でアイデアを披露して政策を推し進め、県職員を引っ張る手法は新鮮だった。「理想を語る学者知事」という未知のキャラクターに、県職員たちは右往左往した。

 空港では成果

 「川勝県政で事態が進展した課題は、『静岡空港の完全開港』と『沼津駅高架化事業』だろうね」。ある県幹部はそう指摘する。

 静岡空港の2500㍍滑走路建設。航空法の高さ制限を超える雑草が見つかった「ササ問題」では、地権者の信頼を失い交渉のテーブルにさえつけない県当局を尻目に、川勝知事が地権者と直接面会。開港期限までに雑草を除去することで地権者と合意し、何とか完全開港までこぎ着けた。

 沼津駅高架化事業を巡っては、事業推進派と反対派を集めて意見交換会を開いた。両派和解とまではいかなかったが、前出の県幹部は「会うことさえままならなかった両派が一堂に会しただけでも前進」と話す。

 現場が停滞すると川勝知事自らが乗り出して事態の打開を図る。これは初期の成功手法と言えそうだ。知事に就任してしばらくすると、もう一つの政治手法が目立ってくる。「けんか戦法」だ。

 「荒茶とてん茶の区別もつかない。この程度の人間が基準を決めている」。6月初旬、川勝知事は乾燥茶葉の放射性物質検査結果を受けて、憤懣やるかたない表情でまくし立てた。

 国に押し切られる形で実施した結果、基準を超える放射性セシウムが検出され茶業界に大打撃を与えた。怒り心頭に発した川勝知事は、会見などで厚生労働省批判を繰り返した。

 しかし、「お茶独自の基準を設けて欲しい」と厚労省に乗り込んでまで求めた新たな放射性物質検査の暫定基準は、県が公開質問状を2度も出して、いまだに木で鼻をくくったような回答しか届かない。

 川勝知事が就任以来、激しい応酬を繰り広げた日本航空。福岡線の搭乗率保証問題に静岡空港からの日航撤退も絡み、保証金約1億5000万円の支払いを求めて県を訴えた。

 川勝知事は「一部の跳ね上がりが無礼な振る舞いをしている」と日航経営陣を厳しく批判してきたが、日航に言わせれば「川勝知事が搭乗率保証廃止を主張したために撤退に至った」。弁論準備手続きでは両者の主張は平行線のままだ。

 「敵」を仕立て

 就任以来、厚労省や日航以外にも、沼津駅高架化問題で「貨物駅不要論」を挑んだJR貨物、静岡空港の看板撤去を要求した伊藤園など、様々な「けんか相手」を仕立て上げて事態の打開を図ってきた。就任2年の折り返しを迎え、その手法に限界を感じている県職員も多い。

 「川勝知事は『敵』を見つけると燃え上がっちゃう。けんかして注目を集めるのはうまいんだけど、局地戦で勝っても、最終的な勝ちにつながるとは限らないんだよ」。ある県幹部はこう、頭を抱えた。

02、朝日新聞(2011年07月09日。大久保泰)

 県庁5階の知事室に7日、県経営者協会の岩崎清悟会長ら役員4人が川勝平太知事を訪ねた。

 「このままだと空洞化が進む。産業が出て行かないように、地域に根づかせるような対策が必要だ」。

 国が地域を指定して規制緩和や財政支援する「総合特区制度」。秋に向かって他県との指定争いが激化する。その前に、県の提案に注文をつけた。

 「震災まではすべて順調だった」。知事室を出た鈴与の早川巌副社長が言った。2008年9月のリーマン・ショックから、ようやく回復の兆しが見えていた矢先だった。

 3月11日の東日本大震災以降、県の雇用情勢は悪化している。求人倍率は4、5月と2ヵ月連続の低下。他県より影響は大きく、全国順位は3月の26位から5月には35位まで下がった。

 新宅友穂・静岡労働局長は「製造業中心の本県の産業構造が、全国より深刻な状況を招いている」として、雇用対策の必要性を強調する。藤岡経済研究所の中嶋寿志専務理事は「自動車だけに頼らない、新たな物作りを発展させていく必要がある」と訴える。

 連合静岡には最近、「仕事が見つからない」といった深刻な相談が相次ぐ。若い人も多いという。

 「理想郷」の姿は

 2年前の知事選で、連合静岡は川勝氏を支援した。自民党政権の末期、政治、経済ともに閉塞感が漂っていた。「日本の理想郷を静岡に」という川勝氏の訴えは新鮮だった。

 連合静岡の吉岡秀頼会長は「『ふじのくに』というフレーズで、新しい静岡を県民に発信している」と評価する。一方で、「『3・11』が起きる前と、起きた後に描く絵がどう違うのかを示す必要がある」と感じている。

 浜岡原発の全炉停止、原発周辺の企業移転の動き、お茶の放射能問題。未曽有の災害の影響はいまだ続く。その中で、知事が訴えてきた「理想郷」はどんな姿になるのか。

 震災後、川勝知事は新エネルギー政策に力を入れる。県内の耕作放棄地約1万2000haに太陽光パネルを設置すると訴える。ソフトバンクの孫正義社長が提唱する自然エネルギー協議会へも参加する意向だ。

 吉岡会長は「この静岡をどうしていきたいのか。自然エネルギーは静岡を支える産業になるのか。雇用を創出できるのか。正直、まだわからない」と話す。

「浜岡」次の争点に

 7月1日の県議会一般質問。質問に立った天野進吾県議(自民改革会議)は、川勝知事が進める静岡空港を核に茶産業の活性化を目指す「空港ティ-ガーデンシティー構想」を皮肉った。

 「構想が完成した折、展望デッキ周辺の森に新たな閑古鳥が鳴くことにならないか、はなはだ心配だ」。

 外国客誘致のため、トップセールスを繰り返す川勝知事。しかし、震災の後、空港の利用者は落ち込んだままだ。

 天野県議は、川勝知事の積極性を評価しつつ、「もう一呼吸、胃袋で味わってほしい。のどで消化している」と例えた。素早くのみ込まず、課題を十分に消化して判断してほしい、との思いだ。

 静岡大学の日詰一幸教授(行政学)は、浜岡原発への対応に注目する。

 「運転再開には、周辺住民や自治体、県民、企業など様々な思いがある。輻輳(ふくそう)した問題にはスピード感とともに、意見の調整や議論が必要。それがないと、独りよがりになってしまう。運転再開は次の知事選の争点になる」。

03、感想

 評価は評価者自身をも表す、と言います。上の朝日の2つの評価を読んで思うことは、朝日は相変わらず勉強していないな、ということです。朝日の7月8日の記事に付いていた「川勝知事と県政年表」は以下の通りです。

2009年7月7日、就任
   同、21日、所信表明でJAL搭乗率保証見直し
   同、8月11日、駿河湾沖地震発生
   同、27日、静岡空港が2500㍍滑走路で完全開港
   同、9月、JALが静岡空港からの撤退を検討
   同、10月、JAL撤退巡り、西松JAL社長と会談
   同、12月、「富士山の日(2/23)」条例可決

2010年3月、静岡空港からJAL撤退
   同、4月、県内で新茶の凍霜害
   同、5月、3776訪中団の第一陣出発
   同、11月、JALが搭乗率保証金支払い求めて県を提訴

2011年3月、大震災受け浜岡の津波対策見直し言明
   同、5月、菅首相の浜岡停止要請。川勝知事は「英断」
   同、茶菓の放射能検査問題

 自分の観点でまとめていないから、与えられたものについてだけ、適当な批評を述べることしかできないのです。こういう態度では、「やっていないがやるべきである事」に気づきません。

 なぜ川勝知事はブログで週間活動報告をして、県民と直接対話することをしないのでしょうか。大阪府の橋下知事は毎週のメルマガで熱く語りかけています。朝日はなぜこういう事を問題にしないのでしょうか。自分で県庁のカウンターホームページを作っていないからでしょう。自分で「行政とは何か」を研究していないからでしょう。

 朝日によると、川勝知事の支持率は67パーセントだそうです。随分甘い県民ですね。政治オンチの県民が政治オンチの政治家を生みだし、それが又政治オンチの県民を作り出すという悪循環は、誰がいつ断ち切ってくれるのでしょうか。


静岡県の人口(03、06月01日の人口)

2011年07月13日 | サ行
      総人口     男性     女性

2008年、379万6038人、187万2891人、192万3147人
2009年、379万0882人(5156減)、186万9763人(3128減)、192万1119人(2028減)
2010年、377万5212人(15,670減)、186万0858人(8905減)、191万4354人(6765減)
2011年、375万3263人(21,949減)

     感想

 この1年間は0,6% の減少です。減少速度が大きくなっています。

 最近は男女別の人口を発表しなくなったようです。

学生ボランティアに単位?

2011年07月09日 | タ行
 学生ボランティアに単位を与えて、ボランティアをする人を増やそうという考えがあるようです。慶応大学の堀茂樹さんの下記の見識に感心しました。特に、「大学は、社会で当たり前とされていることも根元から問い直し、いわば外から提言や批判をすることで、社会に貢献するのです」という言葉には感銘を受けました。これを実行している大学人がどれだけいるでしょうか。

     大学とは何か

               堀 茂樹(慶応大学教授)

 3・11を機に、日本は共生のあり方を根本から考え直すべきだと思っています。それぞれが本来の役割、機能をまともに果たすべきだと。総理大臣には総理大臣らしくしてほしいし、大学も本来の機能を果たす。それが多元的で強い社会につながる。結果ばかり追い求める近視眼的な帰結主義や、安直な功利主義的な考えが今は多すぎると思います。

 大学はあくまで学問に触れ、知的教育を通して人格形成をする場所。知的成果に対して、それを認定、評価し、単位を出す。一方、ボランティアは本来、無償で自主的に公的利益に貢献する。それに単位というごほうびをつけるのは、逆にボランティアを軽く見て、馬鹿にしてるんじゃないでしょうか。

 ボランティアのかたちでフィールドワークに取り組み、研究して成果を出すなら別ですが、行けば単位が出るというのであれば、ボランティアも大学もともに姿をゆがめて、何もかもうやむやにしてしまいます。

 若者がボランティアで成長するということは、否定しません。でも、それを評価するのは大学の任務ではない。東北で若者がヘドロ撤去にがんばっているという話には胸が熱くなります。ボランティアが必要ならやりやすい環境をつくればいい。

 大学への管理を強めている文科省が、被災地にボランティアが足りないからといって、大学の単位の本来的ではない使い方を教唆するようなことをいうのは、見当違い。ボランティアが足りないなら、別の枠組みで正面から、本腰を入れて考えるべきです。極端な話、今は国家的な危機で若い力が必要だというなら、半年間、全国の大学を閉め、学生ボランティアを募るとか。「ボランティアに単位」のように、ちまちまと姑息なやり方はやめよう。

 「大学を社会に開く」というのが、もし大学と社会をシームレス(境目なし)につなぐことであるとすれば、納得しかねます。「象牙の塔にこもれ」と言うわけではないですよ。大学は、社会で当たり前とされていることも根元から問い直し、いわば外から提言や批判をすることで、社会に貢献するのです。人文系の場合は特に、すぐに役に立たないことが多い。ぜいたくな場所なんです、大学は。

 でも、それをやらせておくのが文明社会。産官学の協力に反対はしませんが、意義あるものにするには、大学が企業や社会と一体化しちゃダメなんです。

 それに、通知のせいで「三流大学で遊んでいるやつは、ボランティアに行け」みたいな声も出ているようですよ。しょせん、文科省のおじさんたちが考えたように都合よくいかなくて、かえってボランティアの価値を落とす弊害も生じています。

 (朝日、2011年06月10日。聞き手・久田貴志子)

小水力発電小史

2011年07月03日 | サ行
 身近な川や水路を利用した小規模な水力発電は、火力などと並ぶ「旧エネ」だ。技術も確立し、風力や太陽光よりも安定的に発電でき、環境負荷も小さく自給自足のエネルギーとして地域を支える。しかし、普及には高い初期費用や水利権などの手続きに手間取るといった課題も多い。

 かつて鋼の採掘で栄えた愛媛県の旧別子山村(現新居浜市)は、1960年ごろから地元を流れる川にある計1070㌔ワットの発電機2基で全ての電気を支えている。約200人に人口が減った今、年間700万㌔ワット時の発電量は十分過ぎるほどだ。

 水力発電のうち、小水力は国内では民間の商業ベースに乗りにくい出力1千㌔ワット以下を呼ぶことが多い。商用水力発電のようにダムなどの貯水池を造り、水量と落差を確保して出力を大きくするのではなく、水を取水口から導水管に取り込み、発電後に元の流れに戻す「流れ込み方式」がぼとんどという。

 明治以降各地で

 小規模な水力発電は明治時代以降、電気を全国にくまなく広げる過程で各地にできた。京都で今も現役の蹴上(けあげ)発電所が有名だが、その後、電力需要の急増で火力、原子力発電の開発が進み、水力も大規模化すると長く注目されなかった。

 ところが、10年ほど前から、生態系への影響が少なく二酸化炭素の排出を減らせることで、「小水力」の名で再び光が当たり始めた。4月公表の環境省の調査では全国に1万9000カ所、計約540万㌔ワット分の導入の可能性がある。

 課題の一つは初期費用だ。発電機は地形や水量などにあわせて造る「セミオーダー」。旧別子山村に電気を供給する住友共同電力(新居浜市)の戸川裕昭常務によると、発電所建設にかかる費用は1㌔ワット当たり200万~300万円。70万~100万円という太陽光パネルより割高で、1000㌔ワットの施設で単純計算すると約20億円かかる。

 水利権も障壁に

 しかし、小水力は農村部に限らず地方都市などでも普及できる分散型エネルギーであるうえ、よほどの渇水でなければ発電を続けられるメリットがある。

 小水力に詳しい茨城大の小林久教授(地域資源計画学)は「再生可能エネルギー特別措置法案」が成立し、小水力発電の電気を電力会社が固定価格で買い取る制度ができれば、普及に拍車がかかり、発電機の生産拡大で初期費用を減らせると期待する。

 水利権の問題も絡んで水の使用許可などの手続きに時間がかかることも障壁で、計画から稼働まで5年以上かかることもざらという。手続きの更新が必要なことも他の自然エネルギーとは違う点だ。

 それでも、いったん造って管理をすれば、40~50年もつため、結果的には割安な電気になり得るとして、関係者は「規制緩和もぜひ進めてほしい」と訴える。

 (朝日、2011年06月29日。森治文)

    関連項目

再生可能エネルギー一覧


電力供給力の真実

2011年07月02日 | タ行
 東京電力は7月1日から、電力の使用状況を数段階に分けて予測する「でんき予報」を始める。電力の供給力に対する使用実績(使用率)をほぼリアルタイムに数値化し、翌日のピーク時供給力を予測するもので、ニュース番組やネットなどを通じて節電を呼びかけるが、どこまで上昇したら“危険水域”なのかは実は判然としない。そもそも100%に達したら、どうなるのか。

 全国的な猛暑日となった6月24日、国内最高気温記録を持つ埼玉県熊谷市は午後2時すぎに39.8度を観測し、6月の最高気温を更新。埼玉県で70人、群馬県15人、栃木県17人、東京都15人が熱中症で病院に搬送された。

 こうしたなか、東電管内の電力需要は東日本大震災後、4日連続で最大を更新。ピークの午後2時台には4389万キロワットを記録し、東電が公開している最大供給力4790万キロワットに対し、電力使用率は91・6%に到達するなど、緊張が走った。東電は、電力の安定供給には常に8-10%の余力が必要としているからだ。

 これが100%に達した場合、一体どうなるのか。東電は「そうならないよう努力している。大規模停電という以外、具体的なことはわれわれも分からない」(広報部)と話すのみだ。
 そこで、元東京農工大教授(電力システム工学)で日本クリーンエネルギー総合研究所理事長の堀米孝氏に聞いた。堀米氏は「停電の可能性はゼロではない」としつつも、こう話す。

 「理論上は、需要が供給を上回った時点から電圧、周波数が下がり始め、発電、輸送双方が正常に作動しなくなり、停電のリスクは高まります。ただし、もともと『でんき予報』のピーク時供給量は余裕を持った数値であるうえ、夜間の余剰電力を利用した揚水発電の数値は供給量の中にほとんど含まれておらず、100%で即停電とは極めて考えにくい」。

 東電の「供給力」には実は十分な余力があるというのだ。

 「しかも、東電にはまだ『供給力』に含んでいない、いわゆる“隠し電力”もあります」(同)

 これは、東電の最大供給力7769万キロワット(2009年度末実績、他社受電分を含む)から、福島第1、第2原発の出力約900万キロワットを差し引いた6869万キロワットとの差分のこと。東電は、これまでホームページで公開していた電源別の発電実績資料を削除しているが、計算上は供給電力に十分な余裕があるとみられる。

 実際、東電関係者は、「公開している『本日のピーク時供給力』は、東電が決めた目安に過ぎず、本来の供給力とは関係ない。節電意識を促すために恣意的に下げていると指摘されても仕方がない」と内情を明かす。

 経済アナリストの森永卓郎氏は、「東電によると、ピークを迎える8月までに500万キロワット程度上積みできることになっています。従って、先週の猛暑程度であれば、十分に乗り切れるわけです。節電よりも体のほうが大事ですから、暑いと思ったら、迷わずエアコンを使ったほうがいいですよ」と語る。

 関西電力など他の電力各社も「でんき予報」を始め、ピーク時には「需給逼迫警報」を出すというが、この数値をもとに過度の節電をして体調を崩したり、高齢者が“節電死(=熱中症死)”するような事態に至っては元も子もない。

(夕刊フジ、2011年06月29日。@niftyニュースから孫引き)


内部告発者の保護

2011年07月01日 | ナ行
                    日野勝吾(東洋大学非常勤講師)

 公益通報者保護法の施行から5年が経過した。施行時は企業不祥事の多くが従業員の内部告発(通報)により発覚していたこともあり、企業の法令遵守強化にも資するとされて脚光を浴びたが、今、法の意義が改めて問われている。

 法は施行後5年をめどに見直しを検討すると定めており、今年度から見直しが議論される。その前段階として昨年度、消費者委員会の専門調査会で見直しに関して審議がなされた。最近、最終取りまとめが報告され、見直すべき課題があれば法改正を検討するとして、結論は先送りされた。

 しかし、実務の現場は、悠長に構えていられない危機的状態にある。法施行後もなお、通報した従業員が解雇や不利益な取り扱いを受けているのだ。会社の法令違反と思って通報した従業員が、会社により通報内容を漏洩され、不当な配転を受けた事案もある。この事案の地裁判決は、法が定める「通報対象事実」に当たらず、配転は不利益性が低いとして、この従業員の請求を認めなかった。

 そのほかに自治労共済の職員が厚生労働省に通報したが、同省が通報者の実名や報告内容を通知したことを発端に、「内部情報を取得したこと」を理由に解雇された事案や、大阪市の河川清掃職員の拾得物着服に関する通報をして懲戒免職を受けた事案、さらには同市職員が個人情報流出をめぐり通報したことで上司からパワハラを受けた事案などもある。

 このように法を取り巻く実態は深刻だ。消費者委員会は実態を踏まえ、改正を念頭に置いて、抜本的な見直しに着手すべきだ。専門調査会は法改正が必要な具体的事実や理由がないとして結論を先送りしたが、前記の事案こそが法を改正すべき立法事実である。

 改正点を挙げる。まず、通報先によって通報の要件が異なる現行法は分かりにくい。通報対象となるのは現在約430本の法律に限定されており、これを調べるのは一般人には難しい。通報の要件、特に外部通報の要件は緩和すべきだし、保護の要件も保護対象の法律で制限列挙するのではなく、法令違反全般を対象とすべきだ。

 また、通報者の範囲は「労働者」に限定せず、個人業務委託従事者や下請け事業者などにも拡大すべきである。さらに、通報の根拠資料の持ち出しなど、通報の準備段階の保護や通報者のプライバシー保護規定も新設すべきだ。

 公益通報しようとする従業員の気持ちを踏みにじることは許されない。法が「奨励法」にとどまることなく、従業員が安心して内部告発できる、真の「保護法」に生まれ変わるよう改正すべきだ。

 (朝日、2011年05月14日)