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マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

和食文化

2016年08月16日 | ワ行

 1、朝日新聞の記事

5月10日、東京・銀座の日本料理店「銀座小十」。全8席のカウンターに9人の客が座っていた。「5月は春でしょうか。初夏でしょうか」と、店主の奥田透さん(46)が問いかけた。悩む客たち。

 「私は、その両方だと思います。春から夏へ変わる季節をどう表現するか。献立に最も悩むのが5月なんです」と奥田さんは言い、前菜にあたる「先八寸」を並べ始めた。

 端午の節句にちなみ、ショウブや青モミジの葉を散らした漆塗りのお盆。初ガツオのたたき、蒸しアワビと焼きなすのあんかけ、鯛のちまきずし、稚鮎のから揚げ、うすい豆の茶わん蒸しが並ぶ。

 ミシュランガイドで最高の三つ星を7年連続で獲得した同店。通常のランチはコースで2万1600円だが、この日は別。なぜならこれは、「授業」だからだ。

 奥田さんは、今春開校した「東京すし和食調理専門学校」(東京都世田谷区)の教育顧問を務める。客は料理人を目指す生徒たち。授業の一環で食事体験に来たのだ。

 なぜショウブの葉を使うのか。ちまきを食す理由は。奥田さんは、2000年以上前の中国の歴史をひもとき解説した。「料理だけでなく、食材や器、一つ一つに意味がこめられている。和食の奥深さに改めて気づいた」。生徒の岩野匡晃さん(18)は語った。

 この学校は、和食とすしに特化し、国の認可を受けた全国初の調理専門学校だ。設立の背景には危機感があった。近年、調理専門学校ではフランス料理やイタリア料理、製菓の履修者が大半で、和食は少数派なのだと渡辺勝校長(58)は話す。

 同じく和食文化の継承に危機感を抱いていた奥田さんや、ミシュラン三つ星のすし店「鮨よしたけ」の吉武正博さんら、第一線のプロとカリキュラムを考案。調理実習や栄養学などの授業のほか、日本酒や和包丁、和食器を学ぶ実習、市場見学、漁業体験研修なども盛り込んだ。

 「国籍や世代を問わず、内外で活躍する料理人を育てたい」と渡辺校長。1期生49人の年齢は18~46歳、国籍は中国、ベトナム、モンゴルと多岐にわたる。

 調理実習も「即戦力を育てる」ことにこだわる。「このつみれ、上品に食べるには大き過ぎるよ」。5月13日、煮物の調理で、専任講師の長谷川哲也さん(41)から厳しい一言が飛んだ。

 使った後、調理台に放置された布巾。ランチョンマットの上での、鍋から皿への盛りつけ。長谷川さんは、NGな場面を見つけるたびに注意を繰り返した。

 韓国・釜山のホテルの日本料理店で勤務経験がある韓国出身の金完圭さん(31)は「職場では先輩を見て学ぶだけだったが、なぜそうするのか、理論的に分かるようになった」。

 卒業生の受け入れ予定がある料亭「分とく山」(東京都港区)の野崎洋光さん(63)は「知的好奇心やクリエーター意識を持ち、お客様に『この人の料理を食べたい』と思われる人を採りたい」とエールを送る。

 ★1 京都の大学、学科新設

 和食文化は、料理人だけでは守れない。伝統野菜をブランド化して販路を開拓するビジネス人材、日本料理店の海外出店を手がけるプロデューサー、食文化の歴史を考える研究者──。こうした人材を育てようと、京都府立大(築山崇学長)は2019年春にも和食文化の学科を設ける。

 和食の総本山とも言える京都に和食文化を学べる高等教育機関がなかったのは意外に思えるが、「食は日常の営みであり、学問の研究対象にはなりにくいと受け止められてきたのでしょう」と、同大京都和食文化研究センター・和食学科準備担当課の福原早苗課長は分析する。

 新学科のカリキュラム編成に向け、昨年度から「和食の文化と科学」と名付けたプログラムを開講している。今年度は「和食文化論」「フードビジネス論」など約30科目を開講。一部は京都工芸繊維大や京都府立医科大と単位互換でき、履修者は3校で計1200人にのばる。(前田育穂)

 ★2 東京すし和食調理専門学校数育顧問・奥田透さんの話

 ワインに詳しい日本人はたくさんいます。では、毎日飲むお茶がどこでどう作られ、どうすればおいしくいれられるか、きちんと知っている人はどのくらいいるでしょうか。習う機会がないのは、教育の問題だと思います。

 日本はこれから人口がどんどん減る。和食文化を守り、伝えていかなければ、いずれは廃れてしまいます。影響は食材の生産者や料理人だけでなく、食器やのれん、日本建築など、和食を取り巻く様々な伝統産業にも及びます。

 日本の文化を知れば、好きになり、伝えたくなるはず。そんな気概を持った料理人を目指して欲しいです。

 ★3 漬物・みそ汁、減る頻度

 家庭の献立も、和食離れが進む。首都圏の約1000世帯の食事データを30年以上分析している調査会社「マーケテイング・リサーチ・サービス」のMRSメニューセンサスによると、1日3食の献立に漬物が登場する頻度は、1979年は100世帯あたり148回だったが、2012年には66回に。みそ汁も、94回から51回に減った。

 和食離れを食い止めるには、幼い頃から親しむことが欠かせないと指摘するのは、味の素広報部の焼石健久さんだ。「人は年齢を重ねても、食べ慣れた献立を好む。和食好きにするには、家庭や学校など、様々な場所での取り組みが欠かせない」と語る。

 (以上、朝日、2016年05月29日)

2、牧野の感想

 遅きに失した感はありますが、ともかくこういう動きの出てきたことは喜ぶべき事でしょう。

 給食のあり方の再検討とか大学の学食の再検討も必要でしょう。

 お茶にしても、「お茶の淹れ方」の講習などでは「煎茶」、それも「高級煎茶」の淹れ方の講習がほとんどだと思います。私見では、番茶についての講習の方が先だと思います。いや、二者択一ではなく、お茶の講習では両方をやると好いと思います。

和食

2014年08月20日 | ワ行
 01、和食は一汁三菜がベースになって献立が作られています。一汁三菜は、室町時代から戦国時代にかけての本膳料理から変形して、江戸時代に完成した食文化です。一汁というのは汁物のことで、飯茶碗(めしぢゃわん)のわきに付きます。ふだんの食事では味噌汁になります。

 三菜は三つのおかずという意味で、魚や肉などの主菜に、副菜、副々菜があります。副菜は野菜料理、例えばゴボウやサトイモ、ニンジンといった、根菜系の煮物やおひたしなどです。副々菜は大豆製品が多く、豆腐や凍り豆腐、油揚げや納豆などのほか、煮豆などがあります。

 ごはんと漬物が一汁三菜に数えられないのはなぜでしょう。じつはここに和食の鍵があるのです。日本人が食事をするということは、ごはんを食べること。そして、ごはんには必ず漬物が付く。それが和食の基本です。そのうえで一汁三菜が付くのです。

ごはんは日本人が働くためのカロリー源となる炭水化物、つまり米で、主食としてすばらしい食品です。粒のまま加熱炊飯し、よく噛むので、唾液がたくさん出で消化がよくなります。また、欠かさず食べる漬物は発酵食品ですから、乳酸菌、酵母菌、麹菌などと共に豊富な酵素を含んでいます。ごはんを食べて漬物を食べることが、健康な体を保つうえで重要なのです。(『ラジオ深夜便』2014年9月号。永山久夫)

 感想

 漬物の代わりにサラダとかの生野菜を取る人が多くなっていると思います。キャベツの千切りを出す食堂も多いと思います。その一因は、発酵させていない「ニセ漬物」ないし「漬物もどき」が多くて、それを食べた人が「漬物は美味しくない」と思ってしまうからだと思います。本当の漬物は美味しいものです。

 02、日本の食は一汁一菜が基本

 室町時代から伝わる小笠原流の礼法では、「ご飯三口にお菜が一箸(ひとはし)」といって、ご飯を3回口に運んだら、おかずを1回口に運ぶようにと教えています。ご飯の割合が多くて、栄養のバランスが悪いと思うかもしれないけれど、日本人は古来そういう食生活を続けてきたんです。

 何よりも、歯のつくりを見れば、人間はご飯をたくさん食べるようにできていることがよくわかります。人間の歯は一般的に32本あり、32本のうち20本は穀物を噛み砕く臼歯です。そして8本は野菜、豆、根菜や果物を、残りの4本は犬歯で魚介や肉を引き裂くのに具合のいいようにできているわけです。

 歯のつくりから考えても、「ご飯三口にお菜が一箸」のバランスは理にかなったものなんです。(中略)

 一汁の「汁」は味檜汁。一莱の「莱」は、煮物、和え物などの野菜料理。ご飯を主食とし、味噌汁と野菜料理に漬け物を加える。これが日本の正しい食事のスタイルなんです。(若杉友子著『これを食べれば医者はいらない』祥伝社、88-9頁)

 感想

 4本の歯のための肉と魚はどの程度、どういう風に取ったらよいかまで書いてくれると、穏当だったと思います。

03、配膳

 ふだんの配膳でも、ごはんを中心に考えて左手前、次の汁が右手前、お刺身など菜の主役を右奥に置く。左奥は後から食べる煮物などになるのです。/ 和食では、常に食べやすさという親切心と、きれいという美意識を第一に、お料理は整えられているのです。(『ラジオ深夜便』2014年9月号。土井善晴)

学校給食と民食の現状

2014年05月21日 | ワ行
 学校給食の現状についての下記の投書を読みました。

     記・給食を通して和食の継承を

                   地方公務員・清野敏男(群馬県、51)

 和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。一汁三菜、季節や行事とのかかわりなどが評価された。だが、実際にそれを家庭で実践するにはあまりに手軽な食品が身の回りを席巻しており、庶民には遠い存在になっていないだろうか。

 そこで提案したいのは、和食の伝統を学校給食で継承していくことだ。学校給食はかつて、戦後の窮乏する日本人への栄養補給に大きな役割を果たした。しかし今、摂取するべき栄養価が学校給食でなければとれないという必然性はなくなっている。

 小学校の職員として、学校給食に20年以上接してきた。その立場から見た最近の給食の献立の荒廃ぶりは目にあまる。無国籍メニューや奇をてらった料理、児童にこびるようなデザートなどを見るにつけ、食事は文化であり、本来あるべき和食の原点に戻るべきだと強く感じている。

 給食で伝統的な和食を出すことで、食べ物の盛り方、わんの並べ方、付随するマナーなどを食育として子どもに学ばせることができる。日本人とその文化を、誇りに思う端緒となるのではないか。
 (朝日、声欄。2014年05月08日)

  感想

 ① 学校給食の現状に大問題のあるらしい事は、おぼろげながら感じています。それを現場を知る職員がはっきり指摘して下さったことは好かったと思います。感謝します。

 ② しかし、ただ「給食に和食を」と新聞紙上で提案するだけなのは、あまり感心しません。

 ③ 現状に問題を感じたら、なぜそうなったのか、責任はどこにあるのか、を指摘してくれなくては困ります。学校職員なら、給食の内容等はどのようにして誰が決めるのかも知っているはずです。その責任者に訴えなければならないでしょう。

 ④ 私見では、食べるだけでなく、食事を作る事を授業の一部として位置づけるべきだと思います。しかし、こういう事は、例えば、校長の一存とか、教育委員会の判断で出来ることなのでしょうか。そういう事も知りたいです。

 ④ 学校給食のみならず、民食(大衆の日々の食と大衆食堂の食。私の命名)も「本当の和食」から遠い物になっていると思います。特に、ご飯と味噌汁と漬け物とお茶の質が落ちていると思います。グルナビとかのレビューで皆さんの褒めているお店でも、この基本の四点に問題のある店が多いです(私の狭い経験の範囲で言えば)。日本人の判断の基準が変ってきているのではないかと危惧します。

      関連項目

お粗末学長の見本

ワークシェアリング(オランダの場合)

2010年03月16日 | ワ行
 景気回復の手ごたえにもう一つ力強さが感じられない中で、多くの人々は職場を失う不安をぬぐえずにいる。

 倒産したそごうグループのように、バブル時代からの問題の先送りが限界にきている会社も少なくない。

 世界中で進む企業間競争は、それに追い打ちをかけるように、人件費の圧縮を迫っている。情報技術(IT)革命は当面、人減らしを促進する要因ともなる。

 そんな厳しいときだからこそ、仕事の分かち合いにより、雇用を確保する方策を真剣に考えなければならないと思う。

 いわゆる「ワークシェアリング」の先進地として、日本などからの視察が相次いでいるオランダでは、たとえば夫婦で「一・五働き」が当たり前になっている。

 共働きであっても、片方が、そしてときには2人ともパート労働の形をとる。会社に行く日数や勤務時間を減らし、余った時間は自由に使う。別な働きを持つこともあれば、家事や育児に充てたり、学校などに通ったりする人もいる。公務員が勤務時間外に別の仕事をするのも、原則としてOKだそうだ。

 日本では、労働時間と給料を合わせて減らすことを「ワークシェアリング」と呼ぶことがある。しかし、こうした急場しのぎの措置とはまったく異なった制度だ。

 アムステルダム郊外にある欧州日産の本社では、370人のうち20人がパート契約だ。オランダ全体のパート比率が30%に達しているのに比べると少ないが、人事部長つきの秘書もパート労働である。

 パートといっても、その待遇はフルタイムの人と変わらない。そもそも、日本のように「正社員」と「パート社員」という目で見ると、実態を見間違う。

 オランダでは、1996年に労働時間を理由にした差別待遇を禁じる法律ができた。同じ仕事なら時間あたりの賃金も休暇や年季でも不利にはならない。

 日本では能力主義を掲げる企業が増えてきた。そうであるのなら、労働時間の長短よりも、仕事の質が問題になるはずだ。パートなら待遇は悪くて当然、という考えも変えていかなければなるまい。

 もちろん、正社員中心の労働組合も、意識改革を迫られる。雇用保険や年金、税制なども変える必要が出てくるだろう。

 若者、中高年の雇用確保に加え、定年後も健康で、働く意欲のある人たちの仕事場を増やさなければならない。それには、「一・五働き」のような融通性のある労働条件を受け入れられる賃金体系を考えることが必要ではないだろうか。

 今年の春闘では、経営側が「ワークシェアリング」の本格検討を働きかけ、労働側は渋った。それが賃金の抑え込みにつながると警戒したのだろう。

 人々が、自らの人生設計に合わせて、自身の雇用形態を決める。そこでは仕事の中身に応じた給料が支払われ、「サービス残業」もない。そんな姿を探るための議論の必要性を、オランダの試みは教えている。

  (朝日、2000年08月25日。社説)

惑星

2008年08月03日 | ワ行
 大槻文彦の「大言海」(富山房)には、「定住せずして、常にその位置を変える故に「惑」と言う。遊星に同じ」とあります。

 「新明解国語辞典」(三省堂)には、「太陽の周囲を公転する、大形の天体。太陽から近い順に、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星。遊星」とあります。最近の辞書はみな、このような事を書いているようです。

 両者を比較してみますと、後者は「単語の(指示する)対象」を説明し、前者は「その対象になぜこの単語(名前)がつけられたか」を説明していると思います。

 まあ、両方の説明があった方がいいでしょう。

 新明解で特に「大形の天体」としているのは、小惑星を除くということだと思います。つまり、惑星と言えば、原則として、大形の惑星のことで、惑星が大小に分けられるのではない、ということなのでしょう。

 つまり、太陽は恒星の1つですから、一般化して、「恒星の周囲を公転する星」と定義できない理由はここにあるのでしょう。

 そこで、どれくらい大きければ惑星と言えるのかという論争が起きるわけで、最近、冥王星は惑星ではなく、小惑星とされるようになりました。

 しかし、「惑星の周囲を公転する星」の「衛星」と対比して、惑星と言われることもあると思います。その場合は「広義の惑星」と考えられているのでしょう。

 さて、英語の「プラネット」を初めとするヨーロッパの言葉(惑星を意味する単語)はみな、ギリシャ後の「プラーネース」に由来するそうです。これは「さまよえる星」「旅するもの」といった意味のようです。

 すると、日本語の「惑星」は英語の訳語として生まれた単語なのでしょうか。そうだとすると、誰がそう訳したのでしょうか。「惑星」と呼ばれるまでは、和語では何と呼んだのでしょうか。又、「遊星」という単語との使い分けは何かあるのでしょう。これらが残る疑問です。


和歌山県(01、実力)

2008年07月05日 | ワ行
 和歌山県は奥深い。北西端の和歌山市から南東端の新宮市までは、黒潮洗う海岸沿いに特急で3時間。大阪経由で新幹線に乗れば、静岡や山口に到達できる。

 果てなく続く山中に分け入れば、世界遺産・高野山や数多くの秘湯が古(いにしえ)のまま残る。大和、出雲と並ぶ太古から木の国=紀州として歴史を刻んできた土地でもある。醤油製造や各種の先進漁法、鉄砲も、ここから全国に広まった。  

 県勢の良しあしも簡単には割り切れない。国勢調査にみる2000~20O5年の人口増減率は秋田に次ぐ都道府県ワ-スト2。

 しかし2005年度の実質経済成長率は6.0%と全国平均2.8%の倍の水準を達成。人口当たり県民所得増加率6.4%は全国一だった。鉄鋼、石油精製、化学の各大工場の高収益と設備投資が原動力だ。

 ただ、県内製造業の現金給与総額は減っており、計算上の「成長」を実感できない県民も多いだろう。筆者はむしろ、ブランド化の進む果樹農業にこそ当地の懐の深さを感じる。

 秋の一日、ふと立ち寄ったみなべ町で、季節はずれの梅の花の香りが鼻腔に満ちた。いや花ではない、天日干しの梅の実の放つ、えもいわれぬ芳香だ。

 梅干しはかつて、高齢者だけが口にする先細りの伝統食品だった。それが今では、紀州梅のおにぎりは子どもも好きな日常食の定番だ。梅と並んで生産量全国一のミカンも、近年の昧の改良とブランド向上で、どっこい日常生活の中に生き残った。

 千年忘れられていた熊野古道には、ここ数年驚くほどの数の中高年ハイカーが訪れ続けている。

 一筋縄では分析できないこの県の存在は、日本という国の味わいを、濃く、深くしている。

 (朝日、2008年06月28日。地域経済アナリスト・藻谷浩介、協力・日本政策投資銀行地域振興部)

2006年11月06日 | ワ行
 1、「を」は主として格助詞だが、それにもいろいろな意味があります。それは辞書に書いてあります。

 格助詞以外にも終助詞や接続助詞もあるようです。

 しかし、ここでは他の助詞を使うべきではないかと思われる所に「を」がやたらに使われているのではないかということを問題提起します。

 思うに、これは英文法で他動詞の目的語は「~を」と訳すと教えられていることを浅薄に理解した結果ではないでしょうか。

   正しい用例

 1, 印度更紗の窓かけを洩れる太陽は(谷崎『痴人の愛』3)

 2, 誰も、ふたりを気にとめるひとはいない。
   (1999,2,19、夕刊小説『ダブル』)

 感想・ここは「誰も二人に気を止める人はいない」もあると思います。

 3,1900年には、年間150台が生産されていたが、ロールス・ロイスが登場するのは、1904年を待たなければならない。
   (伴野朗『霧の密約』107回)

 感想・「1904年を待たなければならない」でいいと思います。

   疑問のある用例

★「に」と言うべき所を「を」と言っている例

 1-1, 農民たちが~摩擦音をことばの前後に付けるのを、学者たちは気づくべきであった。(井上やすし『私家版日本語文法』)

 感想・「前後に付けるのに気づく」ではないでしょうか。

 1-2, このときになって、ようやく、義清(のりきよ)は気がつい  ていた。
    あの、筝の音(ね)に魅(ひ)かれるようにして、地を這い、集まってきていたものたちが、いつの間にか筝の音の止むのと共に見えなくなっていることを。
 (夢枕獏「宿神」)

 感想・最後の「を」も「に」ではないでしょうか。「~に気がつく」ということは、「~に気(注意)がくっつく」ということだと思います。

 2,〔或る女子アナはその手記で〕パジャマを着せられたことを憤慨し、アニメキャラクター衣装の超ミニスカートに泣きそうになったと告白する。(2001,05,08,朝日)

 感想・「着せられたことに憤慨し」ではないでしょうか。

 3,厳しい冬を堪える。

 感想・「厳しい冬に耐える」ではないでしょうか。

 4,首相は7日、記者団に対し、外相を注意したことを明らかにした。(2001,11,08,朝日)

感想・「外相に注意した」ではないでしょうか。

 5,記して学恩を感謝する(『週刊読書人』1994,06,10)

 感想・「学恩に感謝する」ではないでしょうか。

 6,4月上旬に発表される日銀の短観を注目しており(1999,3,20,朝日)
 感想・「短観に注目しており」ではないでしょうか。

 7,その少女とは~で会い、胸などを触って1万5000円を支払い (2001,05,21朝日)

 感想・「胸などに触って」ではないでしょうか。最近はセクハラ事件やワイセツ事件の報道が多いですが、それを読んでいますと、「女性の体に触る」は1割以下で、ほとんどが「女性の体を触る」となっています。

 8,両親に結婚を反対された二人が(2001,5,26,NHK)

 感想・「両親に結婚に反対された」ではないでしょうか。

 9,なぜ日本による中国支配を米国が反対したのか
   (2001,06,07,朝日, 入江昭)

 感想・「中国支配に米国が反対した」ではないでしょうか。

 10,このレースを勝ったのは堀井学で、35秒55だった。
   (2001,08,13, 朝日)

 感想・「このレースに勝った」、あるいは「このレースで勝った」ではないでしょうか。

 11,教員たちを奢ったりしたのもその為であったのだ。
   (筒井『文学部唯野教授』)

 感想・「教員たちに奢ったり」ではないでしょうか。

 12, 38歳の桑田真澄は巨人を自由契約になったうえで、米国でプレーすることを決めた。(2006年11月07日、朝日、西村欣也)

 感想・昔は「米国でプレーすることに決めた」と言ったと思いますが。


★「が」と言うべき所を「を」と言っている例

 1, 札幌の都市そのものを気に入った(1998,11,28, 朝日)

 感想・「何々を気に入った」は今では当たり前で、誰もおかしいと思わなくなったようです。少し用例を挙げます。

 2,エバンスさんは高校の日本語教師歴10年。観光旅行で日本を気に入り、帰国後に日本語を勉強した。(2001,05,14, 朝日)

 3, 走馬充子を好きだ(『百年の預言』143 )

 4,恋人のことを、ほんとうは、わたしはずいぶんと好きだった。
   (川上弘美『センセイの鞄』)

★「の」と言うべき所を「を」と言っている例

 1,残された家族は息子を英雄視されることに戸惑い
   (2002,01,25,朝日)

 感想・「息子の英雄視されることに」あるいは「息子が英雄視されることに」ではないでしょうか。

★「は」と言うべき所を「を」と言っている例

 1,極端な例外を別として(NHK.R.02年6月号テキスト)

 感想・「極端な例外は別として」ではないでしょうか。

★「と」と言うべき所を「を」と言っている例

 1,わたしたちは現在、こういう考え方に対して即座に否を言うことができる。(竹田青嗣『意味とエロス』)

 感想・「否と言う」ではないでしょうか。

  2, 秋山がそこで行っているのは、正宗白鳥、小林秀雄、中村光夫といったこれまでの日本近代批評の中軸の築いてきた文学史的常識に、ノーを言うことである。
 (朝日、2007年01月29日、加藤典洋)

 感想・「ノーを言う」だろうか、「ノーと言う」だろうか。

割り

2006年10月30日 | ワ行
 (1) ゴルフで今季2勝目をあげた選手の言葉が新聞に載っていました。

 「勝てるチャンスをいっぱい逃してきた悔しさからしたら、今季1勝したくらいでは割が合わないと思っていた」
  (2006年10月30日、朝日)。

 問題はここで「割が合わない」という言い方はあるのか、です。

 (2) 学研の「国語大辞典」を見ますと、「割に合う」が載っていまして、「与えるものと受け取るものが釣り合う。それ相応の利得がある。引き合う」と説明してあります。

 (3) 要するに、AとBの比率が「本来の比率」になっているかだと思いますが、それを「割が合う」と言いますと、AとBにとって超越的なところから見た表現になると思います。

 しかし、それを「割に合う」と言いますと、Aを前提して、自分が受け取るBが本来自分が受け取るはずの量に達しているか否かを言うわけですから、Bの方から、つまり自分の方から見て言う表現になるのだと思います。

 (4) 教育社の『現代国語用例辞典』には「割に(が)合う」と書いています。つまり、「割が合う」という言い方も増えてきているということなのでしょう。