マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

お知らせ

ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

派遣労働者(03、正社員化の例)

2009年03月31日 | ハ行
 広島市内などで路面電車や路線バスを運行している広島電鉄(本社・広島市、従業員約1200人)の労働組合「私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部」が、契約社員の全員を正社員にし、賃金も引き上げて正社員と一本化することで会社側と合意した。組合員の同意を得て2009年度の早い時期からの実施を目指す。一部の正社員は賃下げになる。

 千人規模の企業でのこうした取り組みは珍しく、雇用形態による労働条件の格差を解消するモデルケースとして注目されそうだ。

 同支部によると、同社は2001年以降、バス、電車の運転士や車掌の採用を、1年ごとに更新する契約社員に限っており、現在約150人が在籍。月額賃金は運転士23万1000円、車掌19万6500円で、何年勤めても昇給はない。また、約1040人いる正社員のうち150人は、契約社員から正社員に登用された「正社員Ⅱ」という雇用形態で、労働条件は契約社員と同じ。昇給のある正社員と比べると賃金は平均で月額5万円程度低かった。

 新しい制度では、年功と能力を加味して昇給する賃金制度に一本化し、定年も5年延長して65歳とする。一方で、以前から正社員として勤務している300人弱のベテラン社員は賃金が月額5万~6万円下がるため、調整給を支給しながら10年間かけてゆるやかに減額する。定年延長で収入を得られる期間が長くなるため、労働条件の大幅な切り下げは避けられるという。

 同支部は契約社員も労組員として正式加入しており、2006年から契約社員の正社員化と賃金制度の統一を求めて会社側と交渉を始めた。しかし、給与の原資は限られ、賃金の一本化でベテラン正社員の賃金が下がるケースが出てくることから交渉は難航。今回、組合員の収入減が緩和されたことや、会社側も乗務貞の勤労意欲が高まり、より安全な運行が確保できるメリットがあることから合意に至った。

  (朝日、2009年03月27日。福家司)

派遣労働者(02、均等待遇)

2009年03月30日 | ハ行
     均等待遇で競争力を培う(朝日社説)

 給与や休日で派遣労働者と正規社員とを差別的に扱ってはならない。そうした均等待遇を義務づける法律を加盟各国が作らなければならない。

 欧州連合(EU)は6年越しの議論を経て昨秋、こんな内容の指令を正式に決めた。日本の現実からすると、まさに別世界のような話だ。

 さすがに、派遣先の企業の企業年金に加入したり、持ち株会に参加したりすることまでは求めていない。だが、派遣労働者が正社員と同じような仕事をしていれば、各国は同じ待遇を保障すべきであると明確にうたっている。

 育児休暇や社員食堂の利用、社内教育なども対象だ。原則として派遣労働者が働き始めた初日から均等待遇にするが、各国が労使間で協議し猶予期間を定めてもよいことになった。

 推進役はドイツやオランダなどの大陸諸国だった。企業は株主だけではなく、労働者にも支えられている。そんな考えから、これらの国々はすでに派遣労働に均等待遇を導入しているが、今回の指令で英国や新加盟の中東欧諸国も、向こう3年以内に法制化しなければならなくなった。

 欧州での派遣労働は、1990年代に英国やドイツなどで急増し、いまや300万人を超える。だが、待遇や権利などその内実は日本とは大違いだ。

 日本では派遣労働者の多くが正社員との賃金格差にさらされている。欧州でも経済危機で失業者が増えているが、日本のように派遣労働者にしわ寄せが集中することもない。

 そもそもフランスなどでは、派遣労働を産休や育児休暇などによる一時的な労働力不足を補う目的に限っている。とこるが日本では事実上、企業の人件費減らしのために常用雇用を置き換える例が少なくない。

 失業に備えた安全網の違いも大きい。多くの欧州諸国は失業手当を派遣にまで広げている。さらに、次の仕事につくための職業訓練も充実させている。一方、日本はそうした措置を十分取らないまま、規制緩和に突き進んできた。

 職種別賃金が普及する欧州と、企業内交渉で賃金が決まる日本では事情が遠い、安易には同列に論じられない。

 だが、見過ごせないのは、EUが均等待遇を進めている背景に、国際競争力を高めようという戦略があることだ。少子高齢化による労働力人口の減少に備え、派遣やパートなど多様な働き方を定着させて働き手を少しでも増やすとともに、一人ひとりの能力も向上させようというのだ。

 今、日本では、製造業分野の派遣労働を禁止すべきかどうかが大きな議論になっている。だが、長期的には均等待遇の実現こそがめざすべき方向だ。欧州の事情を頭に置きつつ、議論を深めたい。

 (朝日、2009年01月19日)

寺子屋

2009年03月24日 | タ行
 江戸時代は、民間の教育熱が、かつてないほど高まった時代だと言われている。その主役となったのが、「寺子屋(手習所)」である。

 明治16年(1883年)に文部省が調査した『日本教育史資料』によると、幕末における寺子屋の開業数は約4000以上。江戸時代を通じ、少なくとも5万を超える寺子屋が存在した可能性が高い。

 帝京大学教授の菅野則子さん(近世史)によれば、寺子屋の起源は、18世紀にさかのぼるという。江戸時代初めの記録にも「手習いをしえし」などの記述がみられる。

 古代から続いた大学寮は12世紀には衰退し、その後、一部の例外を除き、貴族や武士の間では個人教授が中心となっていた。広く一般庶民を対象にしたという点で、寺子屋は初めての民間教育機関だったといってよい。

 しかし、その増加が顕著になるのは、17世紀後半以降だ。

 管野さんによると、この時期から寺子屋の普及がようやく本格化し、やがて18世紀半ば以降には、第2の増加の波がやって来る。さらに19世紀半ば以降、激増する傾向が見られるという。例えば、天保年間(1830~1844年)だけで開業数は約2000にのぼった。なぜこのような現象が起きたのか。

   書ける力、必要不可欠に

 国立歴史民俗博物館教授の高橋敏さん(近世史)は「当時の庶民にとって文字が書けることは、今の私達が考える以上に必要不可欠の資質だった」と説明する。

 商品流通が発達したため、都市では、奉公に出る子供の大半に読み書きが求められた。また生産力をあげるために、農村でも「農書」(農業技術書)などの学習が不可欠となり、手習いの塾がさかんに設けられた。身分の上下を問わず、互いに契約書を交わしたり、手紙をひんぱんに交換する時代がやってきたのである。

 識字率も非常に高かった。高橋さんによると、選挙をした記録が残っている19世紀のある村では、成人の9割が自分の名前を書くことができた。

 当時の授業風景は、どのようなものだったのか。金沢大学教授の江森一郎さん(日本教育史)によれば、「今の学校のように、教師と生徒が対面する形ではなく、寺子(生徒)が向かい合ったり、ロの字やコの字などの形に机が並べられていた」。

 入学するのはだいたい7~8歳。その後、3年から4年かけて必要な課程を学んだ子供が多かった。授業の時間は、季節によって異なるが、ほぼ午前8時から午後4時ぐらいで、農作業や地域の年中行事に応じて必然的に休みになった。

   指導内容は師匠に一任

 学習した内容は、「いろは」をはじめ、実用的なものがほとんど。典型的なのは、漢字学習に使われた「名頭(ながしら)」と「国尽くし」だ。前者は「源、平、藤、橘、等々」、後者は「山城、大和、和泉、摂津、等々」と、それぞれ氏と国の名前を列挙したもので、このほか、近隣の村の名前をつづる「村名(むらな)」や、江戸周辺の地名を記す「江戸方角」、さらに進むと、商売にかかわる単語を盛り込んだ「商売往来」、手紙のやりとりのための「消息往来」などを学ぶのが一般的なコースだった。

 「これらを習書することで、子供たちは漢字だけでなく、生活に必要な常識を身につけることができた」と江森さんは語る。

 寺子屋の細かい指導内容は原則的に師匠に一任されていた。俳句や和歌を教える先生もいたらしい。女性の師匠もいて「そうした塾には女の子の寺子が集まることが多かった」と菅野さんはいう。裁縫や琴を教えた寺子屋もあった。

 しかし、遊びたい盛りのため、子供たちが授業にあきることも珍しくなかった。そこで、寺子屋によっては、線香一本が燃えつきるまで黙って作業をするという「ご無言」の時間を設けるなどして、緊張感を維持した。学校経営には苦労がつきものだった。

 興味深いの子どもの懲罰を解決する「あやまり役」が存在していたことだ。寺子屋の師匠は、子供達のいたずらが目に余る場合、彼らを居残りさせたり、机を持たせて帰宅させたりした(放校処分にあたる)。このような時、寺子の近所の老人が師匠のもとを訪れ、子どもの親の代わりにわびを入れるというケースがしばしばみられた。

 「ただし、罰を与えること自体が必ずしも目的ではなかった。師匠はしかると同時に親などにそのことを先回りして知らせたし、寺子屋周囲の老人も心得ていて、すぐにあやまり役を買ってでることが多かった」と江森さんはいう。

   「社会に教育力あった」

 親以外の第三者が介在したのは、当事者でない人間がわびた方が、事件を解決しやすかったからだろう。これら全体が、生徒の指導を円滑に、おこなうための一種の社会的慣行だったと見られる。

 「現代と異なり、当時は社会にまだ教育力があった。そのことが、文字を教えるということ以前の基本的な教育の役割を果たしていた」と高橋さんは語る。

 寺子屋の月謝にあたるものは、父母からの多様な現物(うどんや農作物など)で多く代替された。また、定まったカリキュラムが存在しないために、師匠は子供達の学習程度に応じて、それぞれ個別の教育を施すことができた。

 画一的教育が問題視されている現代、寺子屋の意義を見直すべきかもしれない。

 (朝日、1998年10月07日。宮代栄一)

大学寮

2009年03月22日 | タ行
 今年(1998年)03月、阿波国の国府跡と推定される徳島市の観音寺遺跡で、7世紀前半のものとみられる木簡が見つかった。長さ約63センチ、幅約2.5センチ。表面には「子日く、学びて時にこれを習う」という『論語』の一節が墨で記されていた。

 当時の役人にとって『論語』は必読文献の1つ。ただし、出土した木簡は「習」と「時」の字の順序が原典と違う。徳島県埋蔵文化財センターの藤川智之さんは「あるいは間違えたのでしょう。役人をめざす学生が練習で書いた可能性もある」と話す。

 お茶の水女子大非常勤講師の丸山裕美子さん(古代史)によると、中国の漢籍の1部が記された木簡は、全国で30例以上発見されている。中でも、都に置かれた官立学校「大学寮」で使われた『論語』『孝経』などの教科書の習書が目立つ。

 「太宰府(福岡県)などでは、『魏徴時務策』という政略論のための受験参考書まで出土している。地方でもかなり高いレベルの学習が行われていたとみて間違いない」。

 大学寮とはどんなものだったのか。その実態は学校というより、官僚養成機関に近いものだったらしい。

   大半は儒教の暗記学習

 8世紀の大宝令・養老令によると、定員430人。13歳から16歳までの男子で、当初は官位が五位以上の者の子供と孫など、主に貴族の子弟に入学が許された。

 在学年限は最長で9年。『論語』など儒教の文献を学び、10日ごと(旬試)と、年に1度(歳試)、それぞれ口頭による試験が実施された。内容は「教科書記載の千文字の中から三文字を隠し、その部分を暗唱させる」「教科書の二千文字ごとにその内容を問う」といった、完全な暗記モノ。落第者はむちで打たれたという。

 授業料に関する記録は残っていないが、学生は入学に際して、教員に「布一端(米で一石にあたるという)」の謝礼を払うのが決まり。公費で給食も支給されたようだ。

 これらの学制は、中国・唐などの制度を模倣する形で導入されたらしい。儒教に関する学習が多いのも、儒教の「礼」が当時の社会の規範とされていたためと考えられる。

 大学寮にかかわる研究の中で、最近、詳しい部分まで明らかになりつつあるのが、その改組の実態である。中でも大規模だったのが、神亀5年(728年)と天平2年(730年)の学制改革だ。

 古代学研究所助手の古藤真平さん(古代史)によれば、神亀5年の改革の結果、大学寮に「文章(もんじょう)」「明経(みょうぎょう)」「明法(みょうほう)」「算」という4つの学科が出そろい、さらに天平2年の改革によって、各科に「得業生(とくぎょうしょう)」と呼ばれる、より上級レベルの学習課程が設置されたらし
い。これらはそれぞれ、漢詩文と歴史・儒教・法律(律令)・数学の専門家を養成する役割を担っていた。

   道真も通った「狭き門」

 中でもエリートとされたのが、「文章」科である。この科は平安時代に「紀伝道」と称されるようになるが、官僚になる試験の中でも最難関の「秀才」「進士」という2つの試験の受験生を育成するために設置された。その実態は非常に狭き門だった。

 文章生の定員は20人。『文選』『史記』などといった文学書、歴史書を数年かけて学んだが、平安時代には、入学試験である「寮試」に合格して「擬文章生」となり、さらに「省試」と呼ばれる試験に合格しなければ文章生にはなれなかった。そしてその中から推薦を受けた数人が、「文章得業生」となり、「対策」と呼ばれる秀才や進士の試験を受けることができた。

 この試験は質問も答案もすべて漢文。古藤さんによると、秀才では政治哲学、進士では治国の要務に関することが問われた。「大業」と呼ばれる秀才の合格者に与えられる官位は最高で八位。文章得業生からは、のちに右大臣となる菅原道真など、多くの学者が生み出されることになる。

   学問にも世襲の色濃く

 一見して効率的にみえる大学寮の選抜システムだが、試験制度という点では、当初からいくつかの矛盾を抱えていた。その最大のものが「蔭位(おんい)の制」だ。この制度によると、五位以上の貴族の子弟は、21歳になると、父親や祖父の官位によって、自動的に八位以上の官位に就くことができた。

 「このため、『大学寮を出たために出世が遅くなる』という現象が起き、位の高い貴族の子弟ほど、大学寮を敬遠する傾向が強くなった」と、成蹊大学教授の柳井滋さん(平安文学)は語る。11世紀の『源氏物語』にも、源氏の息子の夕霧が、大学寮に進んだ結果、蔭位の恩恵を受けた友人よりも官位の昇進が遅れ、それを嘆いているというくだりが出てくる。

 同時に学問の系譜でも世襲の色彩が強まり、菅原家、大江家といった一定の「家学」を擁した氏族が、博士など、大学寮の教官職を独占するようになる。それは、藤原氏中心の摂関政治が朝廷を席巻するのとほぼ時期を1つにしていた。

 学歴と門閥主義。そのせめぎあいと癒着は、私たちの考える以上に古い。

 (朝日、1998年10月06日。宮代栄一)

 感想・最後の「時期を1つにしていた」は、「時期を同じくしていた」と「軌を1にしていた」の交叉語法ではないでしょうか。

かつお節

2009年03月21日 | カ行
 「やさしいかつお節を作りたいねえ」。鹿児島県指宿市山川(旧山川町)。5年に1度開かれる全国品評会で昨年、最高賞のかつお節を作った坂井商店の坂井良深(よしみ)社長(67)はそう話す。

 「見た目も香りもやさしく、削った時、花のようになるふんわりした感じも含めて、やさしくないと」。

 かつお節には、カビが付いた「枯れ節」と、カビのない「荒節」がある。枯れ節はカビが何度もついて、木が枯れたような渋い色合い。完成まで約6ヵ月、熟成させた「本枯れ節」と呼ばれる高級品になると1年かかることもある。坂井さんはこのカビ付けにこだわる。

 身をおろし、徐々に温度を上げて煮る。骨を抜いて、カシなど地元の広葉樹の煙でいぶす。温度と湿度を管理した部屋でカビをつけ、日に干す。日干しと交互に3回以上カビを生えさせる。ほとんどが手作業だ。

 なぜ、カビをつけるとやさしくなるのか。

 江戸時代、船で運ぶ途中や蔵で保存しているうちにカビがついてしまうことがあった。ところが、それがかえって長持ち、香りもよくなった。由来は諸説あるが、そんな偶然から生まれたのは確からしい。今は研究室で分離された優良カビを人工的につける。

 元禄時代から続く老舗「にんべん」の荻野目望・研究開発部長は「香りをまろやかにし、水分を減らし、脂肪分も少なくする。かつお節のダシが透明で脂が浮かないのは、カビが脂を分解しているからです」と言う。カビはいぶしでついた香りを芳香にするとともに、脂肪や水分を吸い、うまみを凝縮。節を酸化しにくくもしている。

 また、カビは魚本来の脂肪酸の代表格であるドコサヘキサエン酸を残す効果もる。東京海洋大海洋科学部の和田俊教授によると、カビはDHAとは違う飽和脂肪酸などを吸収し育つため、壊れやすいDHAを残す働きをするという。「かつお節の技はバイオテクノロジーでも近づけない技。まだまだ科学的解明が必要です」。

 01月07日、東京・晴海であった東京鰹節類卸商業協同組合の初セリ。「枯れてるよ、枯れてるよ」。威勢のいいかけ声とともに、落札されていく。枯れ節は関東で好まれ、カビがない節は関西などで好まれる。

 かつお節は技術や品質が色や形に如実に表れる。よく枯れた節どうしたたくと「カーン」と乾いた音がして、割ると、ルビーのような深紅の輝きがある。

 今、かつお節は「節」ではなく、削って売られている。節を知らない世代が増えるのと軌を一にするように、本物の枯れ節の存在が脅かされている。

  (朝日、2009年02月08日。桑山敏成)

     感想

 本当に広めたいのなら、業者の組合とかで、けずり器の刃を研いだり、調整するサービスを、ホームセンターなどで、適当な値段で、することを考えたらどうでしょうか。これが素人には出来ないのです。又、どこかに頼むと高いのです。

 毎週でなくても、月に1度、日を決めてやる程度でいいと思います。

知事選の争点(その8、スポーツ・文化振興策)

2009年03月20日 | タ行
 大問題の教育改革を残して、それとの関係もあるこのテーマを取り上げます。

 静岡県のスポーツは特にサッカーが有名ですが、そのほかにも女子バスケに加えて、最近は男子のプロバスケットボールチーム(浜松・東三河フェニックス)も生まれ、大活躍をしています。しかし、全体として前進しているでしょうか。どうもそうは思えません。

 Jリーグはドイツのスポーツクラブを範に取って、各チームが地域に根を張り、そういうものの中核になることを目指しています。03月17日の朝日新聞に次の記事が載りました。

  - J2に所属する湘南ベルマーレは、総合型スポーツクラブとしての実績を積み重ねている。サッカーのほか、五輪選手が輩出したビーチバレー、トライアスロン、ソフトボール、フットサルの4クラブを持つ。

 きっかけは1999年だった。当時は「ベルマーレ平塚」としてJ1で活躍していたが、親会社が経営不振を理由に運営からの撤退を決めた。存続のための署名活動や、スポンサー探しなどに地域の人たちが奔走してくれた。

 2000年から地元資本で再出発。年間予算はそれまでの約3分の1の10億円ほどに減ったが、「みんなが支えようとしてくれて、うれしかった。だからクラブが地域に何かをしなければと考えた」と広報の遠藤さちえさん。「地元の人に幅広くスポーツを楽しんでもらえるクラブになることが恩返し」との思いが総合型のクラブ化につながった。

 まず2001年、湘南海岸で盛んなビーチバレーのチームが誕生。さらに海がある湘南の土地柄に合うというトライアスロンチームを作り、さらに厚木市を本拠に、地元で盛んなソフトボールチームができた。2007年のフットサルの全国リーグ「Fリーグ」が生まれるのと同時に、湘南ベルマーレとして参加した。

 各チームのスポーツ巡回指導や健康作り教室にも取り組む。サッカーの運営法人である株式会社「湘南ベルマーレ」とは別に、2002年にNPO法人「湘南ベルマーレスポーツクラブ」を立ち上げた。そのNPO法人が各スポーツの指導も受け持ち、現在は年間約700回を行っている。「ベルマーレをスポーツヘの入り口にして欲しい」との思いがある。

 02月22日、神奈川県平塚市のグラウンドで各競技チームの合同練習が初めてあり、選手、スタッフら計100人が参加した。一緒に走って記念撮影した。「合同練習は湘南を盛り上げるという一体感を持つという意義が大きい」とビーチバレー北京五輪代表の白鳥勝浩さん。

 NPO法人理事長でもある真壁潔・湘南ベルマーレ代表取締役は「企業スポーツが廃部になっているこういう時こそ、ベルマーレの存在する意味が大きくなる」と選手を前にあいさつした。(引用終わり)

 清水エスパルスやジュビロ磐田はどうでしょうか。まだそうなっていないと思います。

 そこで私の提案は、やはりJリーグの構想の徹底です。この2チームは観客動員数を増やす方法を考え、他のスポーツも含めたクラブにしていって欲しいと思います。そういう方針を実行するゼネラルマネジャーを選ぶべきでしょう。

 又、JFLのホンダFCは名前を変えて、Bjリーグのフェニックスと協力して、総合クラブ的なものを目指して欲しいと思います。

 県はそういう動きを促し、支援するべきでしょう。

 こう考えると、東部地域には核となるチームがないように見えます。しかし、東部だけに何かを新設するのも名案が浮かびません。そこで私案として出したいのは、県内に女子プロサッカーチームを4~6チーム作り、独立リーグを始めるという案です。

 最初の5年間は県の補助金を出したらどうでしょうか。1チーム選手25人、スタッフ5人、合計30人とし、年俸は300万円(月25万円)を補助するのです(野球の独立リーグの選手の月給は15万円くらいのはずですが、15万円では少なすぎると思います)。事業収入から、給与に上乗せしてもいいことにしたらどうでしょうか。

 他のスポーツ部門も順次作り、ユースやジュニアユースも作るといいと思います。そして、部活に取って代わる方向を目指すのです。

 一応5年をめどにこれを進めて、実績を見て、5年後に再検討するといいと思います。

 この元の原稿を書いたのはかなり前なのですが、その後「総合型地域スポーツクラブ」というのがあることを知りました。地域住民が運営し、多世代の人々が多種目のスポーツを楽しむそうです。文部科学省が後押ししていて、2009年02月現在、2233地域に出来ているそうです。

 同省の目標としては2010年までにすべての市区町村にこれを立ち上げるそうです(朝日、2009年02月27日による)。

 これの実態を調べて、これとどうかかわるかを含めて具体化するといいと思います。

 文化振興についても根本的には同じことが言えると思います。ここではサッカーに当たる中核としてオペレッタを提案します。その芸術的総合性と大衆性を考えてのことです。

 全県の公立高校と同数くらいの総合文化クラブを組織して、その中核にオペレッタ劇団をすえるのです。問題はリーダーを含むスタッフと経費負担です。高校教師からこの仕事をする人を出してもらって、そのため週に2日くらいを当ててもらうというのはどうでしょうか。

 大切な事はリーダーのレベルを休みなくアップすることでしょう(これは教育全てについて言えることです)。そのためには、毎年夏休みに一流の演出家などを招いて、1週間程度のワークショップを開いてもらうといいと思います。

 毎年秋には全県的な祭典を開いて競うことです。静岡県は舞台芸術とかを宣伝していますが、あれは大衆的でなく、金も掛かりすぎていると推察されます(正確な情報公開がないので分かりません)。浜松市も国際ピアノコンクールとやらをしていますが、これも、多分、同じだと思います。

 超一流の催しも一概に否定しませんが、まずは全体のレベルアップをしてからでも遅くないと思います。

 いずれにせよ、これも5年くらいで、結果を見て再検討すると決めておくといいと思います。

 もう一度スポーツの話に戻りますが、袋井のエコパはサッカー専用の球技場にして、しかも日本最高のサッカー専用球技場にするべきだと思います。陸上競技場との兼用は無理です。今のではサッカーの面白みが味わえません。


教養教育(01、私の教養教育(その1))

2009年03月19日 | 読者へ
     
   1、はじめに
   2、教科通信
   3、「休憩」
   4、大学教員の義務
   5、学問とは何か(その1)全体的真実
   6、授業アンケート
   7、学問とは何か(その2)目に見えないもの
   8、大学での語学
   9、人間の弱さ
   10、法律と裁判
   11、終わりに

   1、はじめに

 最近、大学で教養教育の重要性が再認識されてきていると聞きます。昨年(2007年)10月22日の朝日新聞にも「広い教養を育め」といったような見出しでちょっとした特集がありました。

 1990年代の初め、大学設置基準が「大綱」とされて、各大学の自由度が高まると共に一斉に教養部が廃止されたり教養教育が縮小されたりして、一日も早く専門教育を受けたいという学生の希望に迎合した頃とは様変わりです。

 しかし、その内容はどうなっているのでしょうか。それは本当に評価できることなのでしょうか。まず、朝日新聞のその小特集で取り上げている例を見てみましょう。

 桜美林大学では今年度から、従来の文学部、経済学部、国際学部の3学部に代えて「リベラルアーツ学群」を新設したそうです。それに引かれて他大学から移ってきた数学のY教授の授業の様子が描かれています。

 「518だと、6月25日だね」と学生の誕生日を当てるのだそうです。誕生日当てクイズといい、自分の生まれた月と日の数を乗じたり足したりしてもらってその数値から誕生日を推定するのだそうです。その狙いは、「数学も社会の色々な事象と結びついていることを知ってもらい、数学的な分析はどの分野でも大事なこと」を理解してもらうことだそうです。

 「社会が求めているのは専門性だけでなく、もっと自由に発想でき、コミュニケーション能力のある人間。それに結びつくのがリベラルアーツ」だという副学長の言葉も引かれていました。

 東京工業大学では2006年度に「世界文明センター」というのを新設したそうです。随分大げさな名前ですが、人文科学や芸術の教育を強化するのが目的だそうです。

 作家の猪瀬直樹氏による「日本の近代」や批評家の東浩紀氏による「ポストモダンと情報社会」など、特任教授に招いた著名人によるユニークな講義も多いそうです。

 センター長である井口時男教授は「理工系の大学なので、ともすると特定の世界に限定されがちになる。視野や可能性を広げてもらえたら」と期待しているそうです。

 東大では2005年度から「知」の体系を広い視点から横断する「学術俯瞰講義」というのを実施しているそうです。学長の発案だそうで、テーマは「物質の科学」「社会の形成」「学問と人間」などだそうです。

 教養教育で定評のあるとされる国際基督教大学は、2008年度からは6つある学部を廃止して、新入生は学科に属さないまま様々な分野の基礎科目を学び、2年の終わりに31ある専門分野から自分の専修分野を選ぶようにするそうです。

 早稲田大学は2004年度に、上智大学は2006年度に国際教養学部を開設して人気を集めているそうです。

その早稲田大学はこの2007年10月21日に創立 125周年を迎えたそうで、新聞に大々的な広告を打ちました。総長の白井克彦氏の長文も載っていましたが、その「教養教育重視」と題する節にはこうありました。

 「英語教育では4人1組のグループレッスンで成果をあげている。また大学の学問とはどういうものなのかを知ってもらうためにテーマカレッジというのを作っている。そこではテーマ別に学部を越えた学生が集まり、ゼミ形式で議論している。今後は、入学後ただちに国語力や数学の基礎学力をチェックして、弱い部分の補習をする体制を整えたい」。

 朝日の小特集の見出しがそうであったように、これらの教養とは「狭い専門知識」に対立した「広い教養」、あるいはもっとどぎつく言うと「狭くて深い専門教育」に対立した「広くて浅い教養教育」と考えられているようです。しかし、現在、大学で行うべき「教養教育」とは本当にそういうものなのでしょうか。そもそも教養とは「広くて浅い」ものなのでしょうか。

 他方、大学の外での発言も目立つようになりました。「文芸春秋」の2007年12月号はあの「国家の品格」で名高い藤原正彦氏(お茶の水大学教授)の「教養立国ニッポン」を巻頭に掲げました。少し前の2004年には村上陽一郎氏(東京大学名誉教授、国際基督教大学教授)の『やりなおし教養講座』(NTT 出版)も出ましたし、その出版社はこの度刈部直(かるべ・ただし)氏の『うつりゆく「教養」』を出しました。

 藤原氏の評論は雑誌論文ですから、日本の最近の現状を憂いて「教養立国ニッポンを」(表題にこのように「を」を入れるべきでした)と主張していますが、後の2著は単行本ですから、教養という言葉ないし事態の歴史的な背景や変遷を跡づけて自説を展開しています。

 しかし、これらの発言の大欠点は、著者がいずれも大学の現役教授であるにもかかわらず、自分が(あるいは自分の大学が)どういう教養教育を実行しているかをほとんど、或いはきちんと、或いは纏まった形で述べていないことです(狭義の教育から本人の生き方へと目を転じると、自分に都合の悪い事実は黙って通りすぎているということもあります)。すると、その大学での教養教育は、あるとしても、せいぜい先の朝日の報道と同じようなものだろうと推定することになります。

   2、教科通信

 私は大学の講師になった当初から「小大学の思想」というのを唱えてきました。それは、大学の授業は看板に書かれている名前に拘らず、大学教育全体の縮図であるべきだという考えです。その言葉は、当該の大学の教育全体を意味する「大大学」との対になっています。これは昔の「大宇宙と小宇宙」という考え方を真似したものです。

 この30年あまりの間に大分変化しました。そこで現在の「私の教養教育」を紹介しつつ、上に紹介されたようなあり方への私見を述べたいと思います。

 まず、技術的な事から入りますと、私の担当した授業はドイツ語と哲学ですが、今ではどんな授業でも、公民館での哲学講座でも、必ず教科通信を出します。これが第1の特色で、ほとんどの学生から支持されています(もちろん無意味だと言う人も少しはいるものです)。

 思うに、集団を精神的にまとめるものは「新聞」なのです。学校ではそれは学級通信であり、教科通信なのです。予定を書いただけの学年便りなどはほとんど無意味なようですが、教師がしっかりした考えを持って発行するなら、そういう通信にはクラスをまとめる力があります。

 大学で教科通信を出す人は少ないでしょうが(ゼミ通信ならあるかな?)、或る学生が最後のレポートに「教科通信があったからクラスがまとまっていたと思う」と書いていました。

 特に女子学生はこの種のものがとても好きで、「いつも教科通信の配られるのが楽しみだった」と書く学生は多く、「高校時代にこういうのがあったらなあ」という意見もよく聞かれます。

 材料はどうするのかと言いますと、哲学の授業の場合は毎回、レポートが提出されますから、それをまとめます。ドイツ語の場合は、月に1回くらいのペースで「レポート」(以前は「アンケート」と呼んでいたのですが、誤解があるので改名しました)を集めています。

 私は自治会長をした時には詳しい「自治会長の活動報告」を毎月出しましたが、これが学校での学級通信と同じ役割を果たしたようで、好評でした。「長」の活動報告はそれが本当のものになると新聞の役割を果たす、と言えるようです。

 ブログ時代になった今、ブログを出す人は多いですが、その内容を意識的に「客観的で全面的な報告」にしようとしている人は少ないようです。これが理解されるようになることがそれこそ「教養」の浸透だと思います。

 さて、この点で上に挙げました事例を見てみますと、苅部直氏の授業について一言せざるをえません。

 氏の東大大学院でのゼミの「要綱」のようなものを読んだところ、そのレベルの高さ、要求される準備の膨大さに感心しましたが、率直に思ったことは、ゼミ通信を出せばもっと良くなるのになあということでした。

 このゼミに集まっている学生くらいなると、学生に交代で編集をさせて出すといいと思います。もちろん教師もその順番に入ってたまには編集するといいと思います。教育効果は絶大だと思います。

 そこでの注意なのですが、一部の人は、レポートなどを集めて編集して通信を作る時、編集をしないで、集めたものをそのまま全部載せるということをするのです。これは拙いと思います。

 理論的に言うと、それは「悪しき実証主義」であり、価値判断の主観性という間違った考えに立っているのですが、それはともかく、集まった材料のどれのどの部分をどう使って通信を作るか、これを考える時に編集者の思考力が鍛えられるという点を見落としているからです。

 ですから、交代で学生に作らせるなら、通信の頁数を決めておくことといいかもしれません。文章修業でも、字数の定められた文章を書いてみることが修業になるのと似ています。

   3、「休憩」

 私の教養教育の技術的特色の第2は、授業時間中に「休憩」という時間のあることです。だらんと休憩するのではありません。授業内容との関係の有無は問わず、必要と思うことをします。たいていはビデオ(DVD )を見ますが、話をすることもありますし、新聞記事などを読むこともあります。

 これも又、経験した学生諸君には好評です。授業より休憩の方が楽しかったなどと言う「不届き者」もたまには出る始末です。

 特に好評だった具体例を挙げておきますと、ビデオでは「絵画修復士」「和敬塾」「ドイツ放浪修業」「シュタイナー病院」「ディズニーワールド」「福祉オンブズマン」などです。新聞の切り抜きでは、俵万智氏の「恋の歌・百首」は(2篇)必ず読みます。アメリカ資本主義とヨーロッパ資本主義の比較の記事とかもあります。話をする時はもちろん以下に書くようなテーマの話をします。

 「休憩」を入れることの第1の意義は、授業に変化を付けるということです。元々私は1回90分の授業を1種類の授業方法(例えば読解だけとか)で押し通すことをせず、複数の方法を使いますが、その上「休憩」があると断然、変化が出ます。

 第2の意義はもちろんその内容によって「教養教育」が出来ることです。自分を反省して見ても分かりますように、学生時代の経験や知識や見聞は狭く浅いのです。それを広め深めるのにはそのための時間を確保しなければならないと思います。

 この点から上の事例を見てみますと、授業中に休憩などというものを入れることを考えている方は1人もいません。もちろん不定期に雑談をする教師はいると思いますが、私のは組織的で、授業要綱に書いてあります。

 村上氏は単語の語源的詮索を重要と考えて、機会ある毎にそれを話すそうですが、それは教養の必要条件でも本質的な条件でもないと思います。

 そもそも氏の読書遍歴を見ますと、氏はヘーゲルを全然知らないようです。前掲の著書(と言うより、話した事を出版社が起こしたものらしい)を読んで、「博識はまだ学問ではない」というヘーゲルの言葉を紹介したいと思いました。

 同時に、「自分の欠点(欠けている点であって、悪い点ではない)を自覚していることは教養の第1条件だ」と思いました。こう考えますと、ソクラテスの「無知の知」が教養の始まりなのでしょう。

 ついでに東工大の「特任教授に招いた著名人によるユニークな講義」への疑問を述べますと、まず、それが「講義」形式で、学生の側からの主体的参加をどう保障しているのか、分かりません。同じ講義でも、一橋大学と津田塾大学で長いこと性教育の講師をしてきた村瀬幸浩氏の『恋人とつくる明日』(十月舎)を読みますと、氏は学生に毎回感想を書かせて、それの一部を次回に取り上げているようです。このような双方向性が必要だと思います。

 それ以上に私が疑問とするところは、なぜ東工大の教授自身が自分自身の授業の中に教養教育的要素を入れないのか、ということです。「休憩」という方法など思いつかない程真面目な方々ばかりなのだと思いますが、多分、教養教育的要素を取り入れる自信がないか、それが面倒なのだと思います。

 自分の受けた教養教育に不満だったと言うのでしたら、むしろ、自分が不十分な教養教育で困った経験を話すことも、意義があると思います。面倒なのは確かです。私も「休憩」の材料集めのために日頃から注意してビデオ取りをしています。しかし、教養が専門教育の前提だとするならば、すべての教員が教養教育の能力がなければならないはずです。

   4、大学教員の義務

 私の出す課題は、順序は年によって異なりますが、たいていはまず、「自分の習っている先生のホームページなどを見て、自分の先生が偽装教授でないかどうか確認せよ」という課題を出します。

 大学教員は研究業績が十分でなければならないのはもちろん、授業のやり方も工夫しなければならず、又その他に学外での社会的な活動(発言を含む)も義務と言っていいでしょう。かつて、池田弥三郎氏はそう言って実行していました。

 そして、最後に、特にこのネット時代には、それらの活動についてしっかりした説明責任を果たしていることが必要です。大学教員には不言実行は不可です。有言実行だけだと思います。

 しかし、現実には研究業績の少ない問題外の教員も多く、どういう授業をしているかの報告は皆無に近い状態です。ブログを出して社会的発言をしている人も極めて少ないと思います。つまり、活動の内容も形式(説明)も失格の人が多すぎます。

 この点で残念に思うのは藤原正彦氏です。氏は研究業績は十分のようですし、社会的活動もしていますが、ホームページ上での説明が極端に少なく、特に授業についての説明がありません。

 氏は先の文春論文の中で「受験戦争から解放された大学生でさえ本を読まない」と言って、「私のゼミに所属する学生が3人とも新田次郎を知らなかった時はかなり腹が立った」とか書いていますが、これは評論家の態度だと思います。

 教師の仕事というのは、受け入れた学生の現状を把握した上で、生徒が向上するように指導するものです。藤原氏はその後、学生にどういう課題を出したのでしょうか。知りたいところです。

 私は夏休みの宿題の1つとして「 100頁以上の小説を読んでその粗筋を 800字程度にまとめる(感想を書きたい人は2000字以内くらいで書いても好い)」というのを出します。そして、夏休み明けの教科通信に学生の読んだ本の一覧を載せ、2~3の粗筋を掲載します。その後感想を聞くと、小説を読む面白さを知ったというのもあります。

 私の授業の特色は宿題が多いことです。夏休みは3~4期に分けて、最後の1回は後期の最初に提出ですが、それ以外は郵送です。メールでもいいのではないかという意見もありますが、封書を出す練習も必要だと分かりました。


教養教育(01、私の教養教育(その2))

2009年03月19日 | 読者へ
   5、学問とは何か(その1)

 第2に、学問とは何かという話をします。大学が学問の府と言われる時の学問とは何かと問題提起します。テレビのクイズ番組で優勝するような知識が大学の学問かと聞きますと、皆、首を振ります。では、大学で言う学問とはどういうものなのか。これは1回では済みません。

 初回は「部分的事実ではなく、全体的真実を追求するのが学問である」という話をします。そして、部分的事実、もっとはっきり言うならば、「全体的真実を隠すために部分的事実を発表する」例として、役所の広報を取り上げます。

──例えば、2006年7月5日号の広報を見ますと、職員給与の引き下げについて次のように書いています。「構造改革により、職員の給与水準を全体で、平均 4,8 %引き下げました。今後も給料水準や住居・通勤・退職・特殊勤務手当などの適正化に取り組みます」。

 これでは、いつを基準にしていつの給与が平均 4,8 %下がったのか、分かりません。又、「手当」の種類が全体でどれだけあるのか、その総額が給与全体の何%を占めているのか、それをいつまでにどう「適正化」していくのか、分かりません。

 市の情報公開はこのように、いつも、ほんの一部の事実だけ発表して、全体像を与えないというやり方です。これを改める人が本当の市長の第1条件だと思います。──

 これはかつてブログに書いた文章ですが、ざっとこういう話をします。この点から見ると、上に紹介された桜美林大学のY教授の誕生日当てクイズは教養とは無関係だと思います。社会における数学の大切さ自体は否定しませんが、社会的問題意識がなさすぎます。

 私のこの話では「数学」とは言えないと言うのでしたら、最近一部の学生が取り組んでいるとか言う「ザイバク(財爆。財政に爆発的に詳しくなる)」運動でも取り上げたらどうでしょうか。

 これは朝日新聞(2007年11月07日)に紹介されて知ったのですが、市町村の財政を解剖して分かりやすい白書を作る運動のようです。その材料として役所の出している「決算カード」などを分析するそうです。

 私も地元の市役所からその「決算カード」を取り寄せてみましたが、素人がただ見ただけではすぐには「全体的真実」は分かりません。しっかり研究する必要があります。数学の応用における「部分的事実と全体的真実」を教えるのに適当なテーマではないでしょうか。

 この点では更に先の事例の中では東大の学術俯瞰講義を検討したいと思います。この「俯瞰」ということは全体を見渡すことですから、正しい観点だと思います。しかもテーマは「物質の科学」「社会の形成」「学問と人間」などだそうですから、文字通り人生全体を視野に入れているようです。

 ではその結果どういう学生が育ち、どういう教養が出来たでしょうか。東大のホームページを見てみましょう。ネット上の地図のように、全体の俯瞰も部分の俯瞰も自由自在に出来るようになっているでしょうか。残念ながら「否」です。

 東大のホームページも他の大学や役所のそれと同じく「全体の俯瞰」も「部分的俯瞰」もしにくいです。むしろ「都合のいい部分的事実だけを細切れに発表している」と評した方が当たるでしょう。大学のホームページの最重要項目である教員のコーナーは探しにくい上に、内容もとぼしいです。先の苅部教授の授業要綱はグーグルで探したもので、東大のホームページではどこに載っているのか分かりません。

 東大のホームページの目玉商品(?)である「学生が作るホームページ」はどうでしょうか。これは東大のホームページより俯瞰しやすく出来ています。「大学の組織」など断然いいです。そこには各学部(研究科)の教員の一覧もあります。しかし、批判精神がありません。

 学生は東大というサービス業を営む会社の客なのです。客がホームページを作るなら、会社のサービスの評価が最も重要な事だと思います。それなのにこれがありません。教授に聞いた話が載っているだけです。これが東大の「学術俯瞰講義」の結果です。やはり東大の教養教育には根本的な欠陥があるようです。

 これくらいなら金沢工業大学のように大学の運営そのものに学生代表を参加させる方が進んでいると言えるでしょう。ドイツの会社で経営評議会に労働者代表が参加しているのを想起させます。

   6、授業アンケート

 第3に、大学で行っている「授業アンケート」についてどう思うかと考えさせます。これは5月か6月頃のレポートの1項目にします。学生はたいてい、「授業の改善に役立っていない」といった事を書いてきます。

 その時のレポートでは、同時に、「(牧野の)授業要綱には、『この授業について、根本的に間違っていると思った場合は〔私に言わないで〕大学に言ってほしい。この授業は全体としては肯定できるが、部分的に直してほしい所があるという場合だけ、レポートに書くなり、メールで伝えるなりして〔私に直接言って〕ほしい」と書いてあるが、講師はなぜ学生の批判をこのように2種に分けたと思うか」という問題を出します。これに対して十分な答えの出来る学生はこれまでに1人もいませんでした。

 そもそも授業要綱にこういう項目を設けて、授業内容ではなく授業のあり方への意見の窓口を作っている教師は少ないと思います。まして、その批判を2種に分けて対処方法を変えている教師は多分皆無でしょう。これは私の認識論に基づいています。

 後者から答えますと、講師が学生と話をするのは、講師対学生という関係の枠組みの中でです。これは異論があるかもしれませんが、講師と学生の関係は上下の関係です。従って、講師も学生もそれに応じた態度を取って話をしなければなりません。しかるに、「この授業は根本的に間違っている」と思ったら、学生はその講師に対して最低限の尊敬の年も持てなくなり、学生としての態度を取れなくなると思います。又、講師も自分の授業を全否定する学生を「自分の生徒」と思うことはできなくなります。つまり、講師対学生の枠組みが崩壊するのです。

 国会で議長不信任案が出た時は、議長が代わるのと同じ理由です。あるいは、議論は対等な関係で行わなければ真理のためにならない、と言ってもいいでしょう。

 しかし、部分的批判なり疑問なら、この枠組みは維持されています。ですから、話し合いは可能です。

 授業批判を考える時、これは根本的な問題だと思いますが、全然理解されていません。授業アンケートで授業を良くすることができるのは部分的な点だけです。根本的な欠点は講師を代えるしか仕方ない場合がほとんどで、それは大学当局の仕事です。この点をはっきりさせないで、すべてを講師と学生の話し合いで解決するように強制している現状は、学長の責任放棄だと思います。

 2005年に朝日新聞紙上で、法政大学の川成洋(よう)教授が、授業アンケートでの悪口雑言がひどすぎると言って、授業評価アンケートを続けるのであれば、記名制、回答者の出席率の調査、誹謗中傷への注意、解雇の口実にしないこと、反論の機会を与えること等を大学当局に求めましたが、これは本来教授会で話し合って学長に言うべきことで、新聞に報告するのはその結果だけでしょう。

 その授業アンケート改革論に対して、次に学生の立場から授業アンケート必要論を主張した意見が載りました。これも学長のリーダーシップを問題にしない議論でしたし、授業アンケートで授業が良くなると思い込んでいるオメデタイ考えですが、学生ですから仕方ないとは思います。

 それに対して更に防衛大学の木下哲生教授が意見を出しましたが、これも自分の経験を書いただけもので、学長のリーダーシップという核心を理解しないお粗末意見でした。

 そもそも学生も教員も互いに直接契約して授業を受けたり授けたりしているのではありません。学生は大学と契約しているのです。ですから塾や予備校のように経営主体がアンケートを取って、経営の改善(講師の交代や指導)に役立てるのが筋でしょう。

 更に言うならば、世の中では相手に直接言うのが適当な場合はむしろ少なくて、誰が第三者を介した方がうまく行く場合も多いと思います。社会人なら常識でしょう。

 私は大学から強制される授業アンケートとは別に自分でレポートを出してもらっていますが、或る学生がこう書いていました。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも大変そうでした。一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。牧野先生のアンケートのように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。

   7、学問とは何か(その2)

 私は、学問とは何かの次の点として、「目に見えるものにとどまらないで、頭で考えなければ分からない事を追求する」という話をします。

──君達は、授業がお粗末だと思うと、それをすべてその先生の責任だと思うけれども、違うと思う。そもそも学校教育というのは、個々の先生がバラバラに行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が全体として行うものだ。これは世間的にも十分に理解されていないから、君達が知らなくても仕方ないが、大学に来たのだから、それくらいは分かるようになってほしい。

 つまり、個々の先生の姿の中に学長のリーダーシップを見抜けるようになってほしい。実際、改革されて良くなった学校というのはみな、学長がリーダーシップを発揮して、教師全体が取り組んでよくなったのです。授業アンケートはそういう努力の1つとして行われた場合だけ役立つのです。

 それと関係して、学問というのは「目に見えるものにとどまらないで、頭で考えなければ分からない事を追求するものだ」ということを知っておかなければならない。目に見えるものだけでいいと言うならば、動物と同じだから、学校に来て勉強する必要はない。目に見えないものを理解できるようになるために学校に来ているのです。──

 さて、このように「学長のリーダーシップ」ということを問題にしますと、更に一般化して第4のテーマとして、「組織はトップで8割決まる」ということを話します。そして、夏休みの宿題の1つとして、「組織はトップで8割決まるという考えについてどう思うか。 800字くらいでまとめよ」というのを出します。

 条件として、必ず親の意見を聞くこと、そのほかバイト先の上司とかなるべく多くの人の意見を聞いた上で自分の考えをまとめること、という条件を付けます。この条件も大切です。親や目上の人との真面目な話し合いが少なすぎるからです。

 私は父の日の前には、「父の日には物を贈るのではなく話を贈るように。親というのは、大学で君達がどういう生活をしているのか知りたいものなのだ。君達自身が親になれば分かる。話題がないと言うなら、牧野という変わった教師がいるということで十分だ」と話しますが、更に夏休みにこういう宿題を出すのです。

 議論が少ないという点では、なぜそうなのかという話をすることもあります。議論してよかったと思えるような議論が少ないからだと思います。議論はお互いが自分で自分の考えを確認し合い、反省し合うためにするのであって、相手を言い負かすためにするのではない、と話します。

 議論で勝つのは口が上手くて押しの強い人です。相手を言い負かした方が正しいとは限りません。真偽はただ歴史だけが決めるのです。ですから、相手を言い負かそうとする話し合いは無意味なのです。ですから、(上下の関係でも、対等な関係でも)本当の話し合いのルールはどうあるべきかを考え、そのルール自体も時々反省しながら内容上の議論をすると成長すると思います。

 最近は特に「コミュニケーション能力」が好まれていて、上の事例でもそれを強調している人がいますが、私見では、大学が学問の府だと言うならば、この程度の認識論的反省も持っていてほしいと思います。


教養教育(01、私の教養教育(その3))

2009年03月19日 | カ行
   8、大学での語学

 コミュニケーション能力に言及したついでに、大学での英語(外国語)教育について一言します。

 日本の英語教育のお粗末さは前から指摘されていますが、大学がそれに対処し始めたようです。国際基督教大学や上智大学の語学教育は有名ですが、早稲田だけでなく多くの大学も始めたようです。それは端的に言いますと、「英語で議論が出来るようにする」教育だと思います。私はこれを評価します。しかし、不満もあります。

 まず、ヨーロッパでは高校までに話せる英語(外国語)を身につけてから大学に入るのに、日本では大学でそこから始めなければならないのはなぜか、これを考えていないからです。いや、こんな事は考えるまでもありません。高校までの外国語教育がお粗末だからです。そして、それは教育行政の間違いに起因しているのです。

 しかし、それが分かっているなら、大学でその高校までの語学教育の欠点を補うだけでなく、日本の教育行政はなぜ間違っているのか、それを改革するにはどうしたら好いのか、こういう事も考えてほしいのです。それが教養教育ではないのか、と言いたいのです。これを避けているから、学生の政治への視野が広がらないし、本当の教養教育にならないのだと思います。

 次に、もし高校までで英語が話せるようになっているとしたら、大学での語学教育は本来何をするべきなのか、という問題が出てきます。この問題が意識されていません。私見では、その時でももちろん英語で議論のできる力をブラッシュアップすることは必要ですが、それと同時に「言葉を科学する」ということを考えてほしいと思います。

 私は初等ドイツ語を担当していますが、出来る生徒を最大限伸ばす授業に切り換えてから、年度末の数時間には言語学的な事も話すようにしました。ソシュールの言語理論も含めて私見を述べるのですが、最後は不世出の語学者である関口存男(つぎお)氏から学んだ「日本語の響きとドイツ語の指向性」という話で締めくります。及ばずながら、ヘーゲルの言う「文法規則の中に充実した価値を見いだす」ということを実行したいと思うのです(最近はここまで引っ張る体力がなくなりましたが)。

 私が静岡大学で教えた学生の中で最も優秀な学生の1人であったMさんが「私の習ってきた語学は表面的なものだった」という感想を書いてくれました。

   8、学問とは何か(その3)

 学問についてはその「現実性と歴史性と体系性」という話もします。

 学問の現実性とは、学問は現実の問題意識から出発しなければならないということです。たいていの教師は自分の教えている学問が役立つということを言って生徒の興味を引こうとしますが、その言葉がどれだけ実行されているでしょうか。私もこの歳まで生きてきて、才能よりまず志だと思いますし、戦う姿勢がなくなったら成長は止まるとつくづく思います。

 しかし、その問題意識が学問に成るためには、先人のこれまでの成果を学ばなければならないと付け加えます。これが学問の歴史性です。私の学んできました哲学とドイツ語学について言いますと、これがかなり疑問です。先にも名前を出しました関口氏の語学は敬して遠ざけられていると思います。氏の本を読まないために間違った事を言っている人がNHKのラジオ講座の講師の中にすら多数います。

 そして、体系性です。私はメンデレーエフの周期律表を例にして話します。現在までの成果を体系にまとめてみることで、欠けているものや重複しているものが分かり、間違いではないかという推測も出来、今後の研究がしやすくなります。関口文法は体系的にまとめられていないのが大欠点です。今「関口ドイツ文法」をまとめていますが、それはこういう考えからです。

   9、人間の弱さ

 最後になりましたが、私は「言いやすい人にだけ言う」という人間の弱さについても一言します。これはたいてい「世の中の事は金の動きと結び付けて理解しなければ本当の事は分からない」というテーマの中で話します。

 このテーマは聞いただけで分かる通りです。もちろんそれを実例で話します。その例の1つとして、私に対する学生諸君から毎年出される「教科通信を毎週出してほしい」とか「頁数を増やしてほしい」といった「要望」を取り上げます。

 これを考えるには、イチロー選手に4割を打ってほしいという希望と比較すると良く分かります。両者共に、特定の個人に対してだけ大きな要求を出しています。表面的に取ると、不公平です。しかし、イチロー選手への希望は誰も悪いと言いません。では、私への要望も悪くないのでしょうか。

 私は聞きます。「では、君達に聞くけど、イチローが4割を打ったら金はどう動くかね?」と。これで学生は分かります。次の契約更改の時に年俸が大幅にアップするのです。つまり、メジャーとかプロ野球では「努力が報いられるシステム」があるのです。ですから、特定の個人にだけ大きな要求を出してもいいのです。

 しかし、大学にはそういうシステムがありません。私は非常勤講師として時給5300円で働いています。家でどれだけの準備をするかは関係ありません。1回の授業(2時間と計算されます)のために家で2時間準備したとしたら、実質の時給は2650円に下がります。それ以上準備をしたら更に下がります。

 私は「君達は僕に損をさせようとしているのだよ」と言います。もちろん私は今では金のために授業をしているのではありませんから、実際には少し違った考えを持っていますが、金の動きを考えないでいいということにはなりません。学生は、自分たちの要求は間違っていたと分かったと感想を書いてくれます。「サービス残業と同じだ」と。

 それにこの「希望」には、無意識のうちにですが、「学長には言わない、言えない」という弱さが隠れています。教科通信がためになると思ったら、他の教師に対して、「あなたも出してほしい」と言うべきですし、学長に対して「これを大学のシステムにしてほしい」と言うべきでしょう。しかし、学生にはそのような発想は全然ありません。それはそうでしょう。教授でさえ学長に言うべき事を新聞に投稿しているくらいですから。

 しかし、この「言いやすい人にだけ言う」という卑怯な態度が世の中を悪くしていると考える私は、やはり1度はこの話をすることにしています。

 同時に反省しなければならない事は、教師としての私は「どこまでやるのが本当の意味で学生に親切か」という問題です。教科通信を全然作らなければ、これの好さは分かりませんし、こういう授業のあることも分かりません。しかし、学生が「牧野先生が出してくれるから、大学のシステムに文句を言わなくてもいいや」と思うようになっては間違いです。過去を振り返ってみると、私には不親切と過剰親切の時期もあったと思います。今では、「月1回を基準にして、こういう話をする」というところに落ちつきました。

   10、法律と裁判

 外国はいざ知らず、日本の学校では校長や学長には「言わせない雰囲気」があります。分かりやすく言うならば、学長や校長が天皇になっています。そうでなくとも、上下関係のある所では上の人には言いにくいものですし、いざ話したとしても対等な話し合いにはならないでしょう。

 ではどうするか。私は裁判というものが国民にもっと身近になってほしいと思っています。そのようにするのも教養教育の1つの課題でしょう。

 十数年前になりますが、裁判を傍聴する運動をしている判事の投稿を読みました。「学校の先生ですら、裁判を傍聴したことがないから困る」と。私は早速、地元の裁判所に傍聴に出掛けました。民事も刑事もそれぞれ数回、傍聴しました。証人尋問も判決の言い渡しも、単なる準備書面の提出も見ました。裁判の流れが分かったつもりになったのは思い上がりかもしれませんが。

 その判事の言うように、立法、行政、司法の三権の内、東京にいなくても直接触れられるのは司法だけなのです。裁判は公開されています。建物に入る時にも受け付けで断る必要もなければ、名前を書かされもしません。

 この経験を生かして、実際に元校長に対して簡易裁判所に調停を申し立てることまでしました。いい経験でした。

 裁判員制度も始まりますから、今後は学生に裁判傍聴をさせることの必要度は高まると思います。

   11、終わりに

 全体として一番の根本問題は「政治から逃げている」ということだと思います。国政の問題はもちろん地方自治体の問題も扱われることは少ないでしょう。

 更に、この政治から逃げているということは、学内政治から逃げていることも意味します。或る大学に所属したら、そこの学長の大学運営を検討しなければならないと思います。それなのに、それは全く無視されています。

 学長は「私の大学運営に疑問や意見を持ちましたら、どこそこに問題提起して下さい」と入学式で言いませんし、ホームページその他に明記していないと思います。最近は、少し学長が直接、乗り出す例も出ているとか報道されていますが、一番の問題は学長の活動報告が毎週とか定期的に出されていないことです。上にも述べましたが、これこそが全学をまとめる新聞の役割を果たし、学長の大学運営への関心を高めるのです。

 「全てを疑う」というのが学問の大前提だとするならば、学長の大学運営は疑わせないように仕向けている大学の現状は、学問以前と言うべきでしょう。

 学校は社会の縮図であり、教育の問題にはこれらが集約されて現れていますから、そこでの現実の問題を授業で教師と学生が一緒になって考えるのが一番好いと思うのですが、広がっていないようです。

 私は今年度初めてですが、夏休みには「自分の出身高校のホームページの批評を書き、それを母校にメールで送れ(事情があって送れなかった場合はその理由を書け)」という宿題を出し、冬休みには出身市町村のホームページについて同じ課題を出しました。

 学生はみな、がんばってくれました。但し、出身高校から返事をもらったという例は1つもありませんでした。(2008年03月執筆)


佐々木閑教授(宗教教育論)

2009年03月18日 | サ行
 花園大学教授の佐々木閑(しずか)氏のエッセイ「日々是修行」は面白く読んでいますが、次の宗教教育論に出会いました。

     宗教を見る目を養う

 日本は教育立国である。学びのシステムが、実にきめ細かく整備されている。そして、「どんなことであれ、学ぶことは良いことだ」という社会通念が確立している。この、教育重視の姿勢は、日本が長年かけて培ってきた国民精神であり、我が国最大の財産である。

 だがそんな日本でも、宗教教育だけは別扱いだ。戦前の日本が国家神道に振り回された反省から、教育機関で宗教を教えることに強い制限が課せられている。だから、好奇心旺盛な日本人も、こと宗教に関しては、「分からない」「興味がない」という人が多い。この状況が悪いわけではない。自我の確立していない子供に特殊な価値観を植え付けると、知的柔軟性が損なわれる。子供は、できるだけ偏りのない世界で、純粋な知的好奇心だけを拠り所にして教育するべきだ。

 しかしその一方で、宗教が社会生活の重要な1要素であることも事実である。この世の多くの出来事は、宗教と関係している。宗教心のあるなしにかかわらず、私たちはいやでも宗教がらみの世界に巻き込まれ、深刻な影響を受ける(オウム事件を見よ)。世に渦巻く様々な宗教の本質が分からないと、社会情勢を読み解くことも、自分自身の拠り所を決めることもできないのだ。

 日本は今、子供たちを宗教から隔離して育て、清潔ではあるが免疫のない状態でそのまま世に送り出している。送りだされる先は、様々な宗教が、信者獲得にしのぎを削る、生々しい精神世界の荒海だ。知らぬ間に洗脳され、上から言いなりの操り人形に身を落とす。そんな危険な状況が目の前にある。必要なのは彼らに、「自分たちは、宗教教育を受けていない人間だ」という自覚を持たせることである。その自覚があれば、「まず学ぼう。いろいろ知って、それから考えよう」という思いがわく。そしてそれが、宗教を客観的に見る目を養うのだ。

 この世には、学校で教えない必須課目もある。「学問ノススメ」は、宗教世界でも大切な指針なのだ。(引用終わり)(朝日、2009年02月26日)

     感想

 ① 「宗教教育だけは別扱い」という言葉と「学校で教えない必須課目もある」という言葉がありますが、後者も前者と同じ意味なのでしょうか。それとも、「学校で教えない必須課目」は複数の科目を考えているでしょうか。それなら、まず、その「学校で教えない必須課目」を一通り、あるいはいくつか挙げてから、その1つとして宗教教育を論ずるべきでしょう。

 私見では、性、政治、官と民の関係、金融や経済、組織と個人、議論の仕方の認識論的根拠、等、「学校で教えない必須課目」は沢山あると思います。つまり、日本の学校教育はきわめて不十分だと思います。

 ② どんな宗教教育をするべきかについては、氏は、「世に渦巻く様々な宗教の本質」を教えることと、「自分は宗教教育を受けていない」と自覚させることとを挙げていますが、本当にこれでいいのでしょうか。

 前者については、そこで取り上げるべき「様々な宗教」は何と何かが問題になります。しかるにこれが難しい。NHKの「宗教の時間」では新興宗教は除いているようです。これは少し「逃げ」の姿勢だと思いますが、佐々木氏はどう考えているのでしょうか。それに、無神論や唯物論も教えるべきだと思いますが、この点はどう考えているのでしょうか。

 ③ このように氏の主張は具体性がなく、曖昧です。なぜそうなったかと推測しますと、多分、氏自身が現在、花園大学教授であるにもかかわらず、宗教教育をして試行錯誤をしていないからだと思います。

 どんな授業をしているのかと、同学のホームページを見ました。トップページの「教育・研究」をクリックし、続いて「教員データ」をクリックすると、アイウエオ順の名簿が載っています。

 この2点はこの大学のホームページのとても好い点です。多くの大学のホームページでは、「教員情報」が探しにくく、学部別になっていて全員1カ所にまとめておらず、ようやく探し当てた教員欄もアイウエオ順になっていません。

 さて、花園大学のホームページの作り方は、この点だけは好いのですが、内容が貧弱です。大学のガイドラインに従って皆さん、書いているようですが、著書、訳書、論文、講演、その他の題名しか書いていません。これでは説明責任を果たしたとは言えません。最低でも、著書と主要論文は「梗概」を載せるべきです。

 そもそもどういう授業をしているかが載っていません。これは根本的な大欠陥です。この大学は教育を重視していないようです。

 佐々木氏について見ますと、著書は3冊ありますから、教授としての最低の条件はクリアしています。論文はとても多いようですが、宗教教育をテーマにしたと思われるものがありません。やはり、氏はやっていないのでしょう。実践に裏付けられていない発言が、具体性を持たないのは当然のことでした。

 「古代インド仏教史」の研究者が、専門の周辺に位置する宗教一般や宗教教育について論じるのは理解できますが、何事でも、論じる場合には、最低の調査をしてからにするべきだと思います。

     関連項目

 宗教

検定試験(検定試験の「検定」)

2009年03月14日 | カ行
 文部科学省は、資格ブームなどの影響で増え続けている、検定試験の質を客観的に評価するためのガイドライン(指針)を策定した。

 全国規模で実施している検定を中心に、出題内容や財務状況など5項目について検定の実施者が自己評価し、その情報をパンフレットなどで公開するように促している。

 検定試験は、かつて文科省による審査を通れば「文科省認定技能審査」と認定されたが、規制緩和の一環として2006年にこの制度が廃止され、客観的な評価基準がなくなった。

 文科省は2008年05月、学校関係者などによる「検定試験の評価の在り方に関する有識者会議」を設置して議論を重ねてきた。

 この結果、検定の評価対象の項目として、①検定を実施する組織や財務の状況、②試験の目的や出題内容、③試験の実施状況や結果公表の透明性、④受検者の意見や活動状況の情報収集と公開、⑤検定後の受検者への情報提供などの学習支援 - の5つを決め、これらの項目に関する自己評価を検定の受検者に明示するように求めた。

 当面は、検定の実施者による「自己評価方式」を採用したが、いずれは外部の第三者機関を設置して評価することを目指す。

 (読売新聞、2008年10月27日(月)14時48分配信)

派遣労働者(01、非常勤国家公務員)

2009年03月12日 | ハ行
 厚生労働省の窓から見える日比谷公園に「年越し派遣村」が開設されたのが昨年(2008年)の大みそかだった。「入村者」があまりに多く、厚労筈は年が明けた01月02日の晩から講堂を開放。通常業務が始まる05日朝、「村民」たちは都内4ヵ所に用意された旧学校施設などへ移動していった。

 仕事始めで05日出勤してきた非常勤国家公務員(=非常勤職員)の20代のA子さんは、本省の講堂から布団を持って出ていく「村民」の姿が自分とだぶって見えたという。

 「わたしもいつ仕事にあぶれるかわかりません。非常勤職員は課ごとの雇用なので、課長に嫌われたら、派遣村行きです」。

 A子さんは職場の人間関係に悩む。同じ部署のキャリア官僚は彼女が目に入らないような態度で、名前さえ覚えない。

 キャリア組は2年おきに異動があるし、最低でも課長ポストが保障されているので、事なかれ主義に陥りがちだが、問題は、ノンキャリア組だ。キャリアに比べて出世のスピードが遅く、就けるポストも限られているノンキャリアの中には、ことさらつらくあたる人が少なからずいるという。「わたしの仕事は文書や資料の作成が主で、それほど忙しくなく、残業代もつかないのですが、定時に帰ると嫌みを言われる」。

 A子さんの月収は15万~16万円程度。交通費は支給されるが住居手当や賞与はない。文字通りギリギリの生治だ。

 だが、現実に電が関を下支えしているのはA子さんたちのような非常勤職員なのだ。中央省庁で働く国家公務員は約4万人といわれるが、国家公務員一般労働組合の調査では、そのうちの約1万3000人が非常勤職員にあたる。いまや霞が関は彼らの存在なくしては成り立たなくなっている。

 仕事は文書や資料作りだけでなく、データ入力や秘書業務、公用車運転業務まで多岐にわたる。官僚の「主要業務」である法案作成の補助をする人もいる。これは以前は、Ⅱ種試験に合格した国家公務員が担っていた仕事だ。ただ、仕事内容は同じでも給与には雲泥の差があり、身分も不安定。年度契約の人もいれば、1日単位の「日々雇用」で、日雇いに近い人もいる。

 「キャリア、ノンキャリアを問わず若手が多く流出し、霞が関は慢性的な人手不足に陥っている。従って非常勤職員の存在は重要だが、公務員削減の流れの中で正規雇用することは難しい」(ある省の人事担当者)。

 それならば、せめて労働環境を改善する努力をできないのか。日比谷公園に広がった「派遣村」は、霞が関の足元にも潜在している風景なのだから。

 (朝日、2009年01月17日。ルポ・ライター、横田由美子)

「マルクス・エンゲルス全集」

2009年03月11日 | マ行
 「まだ続いてるの?」。専門外の人からは、こんな驚きの声が漏れそうな文化的事業がある。『マルクス・エンゲルス全集』の刊行だ。世界的な共産主義の退潮ですっかり影が薄くなった感があるが、今なお刊行が続く。しかも日本の研究者たちが編集作業の一端を担っている。

 大月書店の『マルクス・エンゲルス全集』(現在はCD-ROM版のみ)は、実は戦後、旧東ドイツで編まれた『マルクス・エンゲルス著作集』を翻訳したものだ。これに対して、、マルクスの残した草稿、メモなど膨大な資料に基づく本当の意味での『マルクス・エンゲルス全集』(略称MEGA)は、戦前に12巻出ただけで中断。

 戦後、1960年代に、旧ソ連と旧東ドイツの共産党の直属機関「マルクス・レーニン主義研究所」のもとで、改めて編集が始まった。1989年までに34巻が出たが、旧ソ連の崩壊などを受けて、1990年に設立された「国際マルクス・エンゲルス財団」が事業を引き継いだ。

 ここで編集方針が徹底的に見直さ、当初予定の全172巻を122巻に圧縮。政治色を排して学術的立場を徹底することになった。この方針のもとで編集された、通算45巻目にあたる第4部第3巻が昨年(19998年)末に出て、刊行が再び本格化する段階にきている。

 日本人研究者が関与し始めたのは、国際的プロジェクトとして編集を進めることが新方針の大きな柱になっているからだ。経済学者ら約30人が加わる「日本MEGA編集委員会」が昨年01月に発足。

 5年ほど前から『資本論』第2部の草稿の最後にあたる部分を担当している大谷禎之介・法政大学教授(経済学理論)に続いて、大村泉・東北大学教授(政治経済学)のグループが昨年から作業に着手した。このほか4グループがまもなく作業にかかろうとしている。

 委員会の代表でもある大谷教授は「マルクスは現代のいたるところに影響を及ぼしている大思想家。MEGAの編集は、人類の文化的遺産を保存する作業です」と語る。MEGAは、マルクス思想の成立過程とその背景を知るための基礎資料そのものだ。

 ドイツ、ロシアなどでの編集作業は今、政治的な影響からは逃れた半面、経済的な支えを失い、費用のエ面が課題になっている。日本人研究者たちも手弁当だ。

 完結目標は2020年。19世紀の偉大な思想家の足跡が、20世紀の研究者たちの地道な作業によって、21世紀へ橋渡しされる。

  (朝日、1999年02月17日。健)

化学オリンピック

2009年03月09日 | カ行
        東大教授、渡辺 正

 今年(2008年)07月、ハンガリーで国際化学オリンピック(化学五輪)が開かれ、66ヵ国257人の生徒が出場した。日本からも4人の高校生が参加し、いずれも銅メダルをとった。

 日本は2010年に化学五輪を主催する。ノーベル化学賞受賞者の野依良治・理化学研究所理事長が組織委員長、私も実行委員長として準備を進めているところだ。各国4人以内の高校生が各5時間の実験試験と筆記試験に挑む。

 化学が得意な優等生による競争と軽視する人もいるがそれは違う。どんな分野も、ヒーロー・ヒロインがいるからこそ活性化し前へ進む。スポーツ界や芸能界のように、日本の基盤たる科学技術分野も例外ではない。

 代表生徒の総数は毎年4人でも五輪レベルの国内選抜に参加する生徒(2000人超)も間違いなく刺激を受ける。そんな若者の集団から、未来を開くスターが育つにちがいない。

 だが日本はこれまで化学五輪で大きく立ち遅れてきた。1968年から毎年開かれているのに、日本の初参加は2003年。他にも数学・物理・生物・情報の五輪があるが、日本が全科目に出場するようになったのは、わずか2年前のことだ。先進国としては例外的に遅れた。成績は上位1割に金、続く2割に銀、3割に銅メダルが与えられる。今年の参加者も立派な成績だったとはいえ、過去は2004年と2006年の金1人が最高。なかなか上位に食い込めないのはなぜか。そこには日本の化学教育の問題点がある。

 日本が立ち遅れた最大の理由は、日本と海外で、高校化学のカリキュラムに大差があったからだ。化学五輪の出題範囲には、「量子数とS・P・D軌道」「エントロピー」「ギブズエネルギー」などが含まれる。世界では「高校生なら知っているはず」とされるが、日本では大学1、2年で習う。高校の化学教育が国際標準から遅れ、大学につながらない「閉じた世界」になっている。

 逆に日本の高校の教科書に太字で書かれ、入試にも出る化学用語の「化合」や「イオン式」は日本の大学では使わない。

 私は、20年ほど教科書を執筆してきたが、先進国に類のない教科書検定が、「閉じた世界」の元凶とみる。教科書が雑知識の詰め込みになっているのだ。「指導要領」に頼り、わずかなはみ出しも許さない検定が、教科書を味気なくする。教科書制作側も唯々諾々と検定意見に従い、他社の本に合わさせて、貧弱な「金太郎飴」を作る。

 質の面でも日本は立ち遅れている。化学五輪は「星間物質の寿命」といった高級な物質・反応を扱いながら、「なぜ」を厳しく問うている。日本の生徒は苦しみつつ「閉じた世界」を脱し、思考力を問う本物の化学を身につけることを強いられる。

 実験試験も同じだ。日本の高校化学実験はメニューどおりに手を動かして決まった結果を出すものばかりだが、五輪ではどの器具をどんな順に使うべきか自分で考え、課題に向かう力が要求される。化学は暗記物でなく、論理的思考力を鍛える自然科学の1分野という考えが国際標準の高校化学にはある。

 化学五輪の日本開催を、化学(科学一般)の面白さと大切さのアピールとし、こうした惨状を文部科学省など関係者に気づいてもらい、改善に向けた議論・行動を促す絶好のチャンスとしたい。高校教育の近代化は理科の勉強を高校で終える国民の科学リテラシー(理解力)の向上にもつながるはずだ。

 (朝日、2008年10月16日)

鶏鳴出版からのお知らせ

2009年03月08日 | カ行
     鶏鳴出版からのお知らせ

 アマゾンを見ますと、鶏鳴出版の本の内のいくつかが、かなり高い値段で中古に出ています。例えば、「ヘーゲルの修業」は3万円近い値が付いていますし、「労働と社会」も1万円とかになっています。

 しかし、以下の本は、残部僅少であはありますが、まだあります。

 牧野紀之著「労働と社会」1350円

 牧野紀之著「ヘーゲルの修業」1200円

 牧野紀之編「ヘーゲル研究入門」850円

 牧野紀之著「ヘーゲルと共に」1400円

 牧野紀之著「ヘーゲルからレーニンへ」1700円

 牧野紀之訳「小論理学」下巻、3500円
 (上巻はありません)

 以上、値段は「税送込み」です。

 注文は、郵便振込み(00130-7-49648、鶏鳴出版)でお願いします。

 2009年03月08日、鶏鳴出版