花園大学教授の佐々木閑(しずか)氏のエッセイ「日々是修行」は面白く読んでいますが、次の宗教教育論に出会いました。
宗教を見る目を養う
日本は教育立国である。学びのシステムが、実にきめ細かく整備されている。そして、「どんなことであれ、学ぶことは良いことだ」という社会通念が確立している。この、教育重視の姿勢は、日本が長年かけて培ってきた国民精神であり、我が国最大の財産である。
だがそんな日本でも、宗教教育だけは別扱いだ。戦前の日本が国家神道に振り回された反省から、教育機関で宗教を教えることに強い制限が課せられている。だから、好奇心旺盛な日本人も、こと宗教に関しては、「分からない」「興味がない」という人が多い。この状況が悪いわけではない。自我の確立していない子供に特殊な価値観を植え付けると、知的柔軟性が損なわれる。子供は、できるだけ偏りのない世界で、純粋な知的好奇心だけを拠り所にして教育するべきだ。
しかしその一方で、宗教が社会生活の重要な1要素であることも事実である。この世の多くの出来事は、宗教と関係している。宗教心のあるなしにかかわらず、私たちはいやでも宗教がらみの世界に巻き込まれ、深刻な影響を受ける(オウム事件を見よ)。世に渦巻く様々な宗教の本質が分からないと、社会情勢を読み解くことも、自分自身の拠り所を決めることもできないのだ。
日本は今、子供たちを宗教から隔離して育て、清潔ではあるが免疫のない状態でそのまま世に送り出している。送りだされる先は、様々な宗教が、信者獲得にしのぎを削る、生々しい精神世界の荒海だ。知らぬ間に洗脳され、上から言いなりの操り人形に身を落とす。そんな危険な状況が目の前にある。必要なのは彼らに、「自分たちは、宗教教育を受けていない人間だ」という自覚を持たせることである。その自覚があれば、「まず学ぼう。いろいろ知って、それから考えよう」という思いがわく。そしてそれが、宗教を客観的に見る目を養うのだ。
この世には、学校で教えない必須課目もある。「学問ノススメ」は、宗教世界でも大切な指針なのだ。(引用終わり)(朝日、2009年02月26日)
感想
① 「宗教教育だけは別扱い」という言葉と「学校で教えない必須課目もある」という言葉がありますが、後者も前者と同じ意味なのでしょうか。それとも、「学校で教えない必須課目」は複数の科目を考えているでしょうか。それなら、まず、その「学校で教えない必須課目」を一通り、あるいはいくつか挙げてから、その1つとして宗教教育を論ずるべきでしょう。
私見では、性、政治、官と民の関係、金融や経済、組織と個人、議論の仕方の認識論的根拠、等、「学校で教えない必須課目」は沢山あると思います。つまり、日本の学校教育はきわめて不十分だと思います。
② どんな宗教教育をするべきかについては、氏は、「世に渦巻く様々な宗教の本質」を教えることと、「自分は宗教教育を受けていない」と自覚させることとを挙げていますが、本当にこれでいいのでしょうか。
前者については、そこで取り上げるべき「様々な宗教」は何と何かが問題になります。しかるにこれが難しい。NHKの「宗教の時間」では新興宗教は除いているようです。これは少し「逃げ」の姿勢だと思いますが、佐々木氏はどう考えているのでしょうか。それに、無神論や唯物論も教えるべきだと思いますが、この点はどう考えているのでしょうか。
③ このように氏の主張は具体性がなく、曖昧です。なぜそうなったかと推測しますと、多分、氏自身が現在、花園大学教授であるにもかかわらず、宗教教育をして試行錯誤をしていないからだと思います。
どんな授業をしているのかと、同学のホームページを見ました。トップページの「教育・研究」をクリックし、続いて「教員データ」をクリックすると、アイウエオ順の名簿が載っています。
この2点はこの大学のホームページのとても好い点です。多くの大学のホームページでは、「教員情報」が探しにくく、学部別になっていて全員1カ所にまとめておらず、ようやく探し当てた教員欄もアイウエオ順になっていません。
さて、花園大学のホームページの作り方は、この点だけは好いのですが、内容が貧弱です。大学のガイドラインに従って皆さん、書いているようですが、著書、訳書、論文、講演、その他の題名しか書いていません。これでは説明責任を果たしたとは言えません。最低でも、著書と主要論文は「梗概」を載せるべきです。
そもそもどういう授業をしているかが載っていません。これは根本的な大欠陥です。この大学は教育を重視していないようです。
佐々木氏について見ますと、著書は3冊ありますから、教授としての最低の条件はクリアしています。論文はとても多いようですが、宗教教育をテーマにしたと思われるものがありません。やはり、氏はやっていないのでしょう。実践に裏付けられていない発言が、具体性を持たないのは当然のことでした。
「古代インド仏教史」の研究者が、専門の周辺に位置する宗教一般や宗教教育について論じるのは理解できますが、何事でも、論じる場合には、最低の調査をしてからにするべきだと思います。
関連項目
宗教