ノーベル物理学賞を受けた小柴昌俊さんの「
小柴語録」については既に書きました。その続きを書きます。
場面は東大の卒業式でした。そこで、来賓として挨拶を求められた小柴さんが発言したのです。それは「どんな偉い先生の言うことでも間違っていたら、公の場でもその場で誤りを指摘するのが科学する者の当然の態度」というものでした。
この言葉の「内容」は検討した通り、問題の多いものでした。ではこの言葉の「形式」を考えてみましょう。形式を考えるなんて何の事か分からないと思いますので、説明します。
それは「その発言(考え)は対象をどういう面から論じているか。他の面はないのか。それで全部尽きているか」といったことを考えることです。
小柴さんの発言は、「どんなに偉い人の言うことでも~」と始まっています。ということは、東大卒業生(或る人)の他者への態度を問題にしているのですが、「目上の人への態度」を問題にしているということです。
このように捉え直すならば、他者といっても、目上の人、同僚と見なしてよい人、目下の人、の3つに大別できるし、それぞれについての態度が問題になる、ということがただちに分かります。
同時に、小柴さんはこの3つの内、何の根拠も考えずに、あるいは説明せずに、目上の人への態度だけを問題にしたということも分かります。
さて、東大の卒業生の他者への態度を論ずるということを考えた時、以上の3つの可能性の内、つまり目上の人への態度、同僚への態度、目下の人への態度の内、どれを一番論じなければならないでしょうか。
好いか悪いかは別として、東大の卒業生というのは、これから日本社会の様々な分野で指導的な立場に就くことになる人達です。これを考えれば、東大の卒業生に言うべきことは、何よりもまず「目下の人に対してどういう態度を取るか」に決まっています。
こう考えると、目上の人への態度を論じた小柴さんの発言は、その内容以前に「形式的に」間違っていたことが分かります。論ずるべき事を論じないで、論ずる必要性の小さい問題を論じたからです。
小柴さんはもちろんこういう事を考えた上で、目上の人への態度だけを論じたのではないと思います。たまたまそういうテーマを選んだだけだと思います。と言うより、「目下の人への態度」を論じると、その場にいる東大総長や教授たちに対して、「あなた方は目下の人、即ち学生に対してどういう態度を取っていますか?」と問わなければならなくなるから、それは拙いと本能的に避けたのだろうと思います。しかし、まあ、これは推測です。
これは私だけの考えかもしれませんが、哲学の重要な仕事の1つにこのように、「考えの形式を考える」という問題があると思っています。これは簡単な事柄ならば、ほとんど無意識的に行なわれていることです。例をあげましょう。
歌手の島倉千代子さんと橋幸夫さんのデュエット曲に「星空に両手を」というのがあります。その歌詞は3番までありますが、全部書いてみます。
1番・星空に両手をあげて、この指を星で飾ろう。君に可愛いあの星を、あなたに青いあの星を。宝石なんてなくっても、こころは夢のエメラルド。星空に両手をあげて、この指を星で飾ろうよ。
2番・星空に両手をあげて、想い出をそっとさがそう。消えた花火かあの星は、母さんの歌あの星は。幼い頃がひとつずつ、あんなに遠く光ってる。星空に両手をあげて、想い出をそっとさがそうよ。
3番・星空に両手をあげて、思ってることを話そう。2人のことをあの星に、未来のことをあの星に。あの星がしあわせなあしたをきっとつれてくる。星空に両手をあげて、思ってることを話そうよ。
さて、この1番2番3番はそれぞれ対象(2人の事)をどういう面から捉えているでしょうか。分かりやすい3番と2番から考えるといいでしょう。3番には「未来」とか「あした」といった言葉があります。2番には「想い出」とか「幼い頃」といった言葉があります。
つまり、3番は2人の未来をテーマにしています。2番は過去をテーマにしています。ですから1番は当然、現在をテーマにしています。
同時に、このように見てきますと、4番はないということも分かります。では、なぜ過去、現在、未来の順にしなかったのか。これは少し難しい問題ですから、今は述べません。歌詞を書いた人はこういう事に慣れているので、自然にこの順序になったのでしょうが、これで正しい順序です。
こういう事を考えるのを「考えの形式を考える」と言います。簡単な事なら自然に正しく考えています。しかし、少し難しい事になると、あるいは世間的な配慮が働くと正しく考えることができなくなります。だから哲学が必要になるのだと思っています。
PS・小柴さんの「ニュートリノの発見」とは何か
小柴さんの「ニュートリノの発見」は湯川秀樹氏の「中間子の発見」とは全然性質の違う発見だということを述べたいと思います。
小柴さんの発見は、「理論的に推測されていたニュートリノの実在を観測で確認した」ことです。正確には「宇宙ニュートリノの検出」のようです。湯川さんのそれは、「中間子(これも湯川さんの命名。質量が電子と陽子の中間程度だから)というものがあるはずだと、理論的に推測した」ことです。ですから、それは最初は「湯川の中間子仮説」と呼ばれました。それの実在を証明したのはアメリカの学者です。それは宇宙線の観測によって行なわれました。それで「仮説」が「理論」に変わったのです。
両者の違いには、その根底に日本の経済力の発展があると思います。スーパーカミオカンデという大規模な観測装置、そこに張りめぐらされた光倍増菅とかいう道具、これらは戦後の日本の経済と技術の発展の結果です。
又、そういった装置や道具を政府や企業に作らせる政治力、 100人を越える観測チーム(小柴マフィアと言うそうです)を率いて観測を行なう指導力。これらが小柴さんの優れた点だと思います。
湯川さんは発表されたデータを基にいろいろと計算して、これらを説明するにはどうしても質量が半分くらいの粒子を想定しなければならない、と考えたのです。当時の日本には宇宙線を観測する技術も経済力もありませんでした。