動作名詞の主語と目的
名詞で意味内容が動作を表しているものを「動作名詞」といいます。英語には動名詞というのがありますが、そのように一定の形をしていなくても意味が動作を表していればこれに入ります。
すると、それは動作ですからその「主格」(その動作の「主体」を表現している語句で、「主語」とは限りません)が問題になります。また、動作が他動詞的ならばその「目的語」も問題になります。
日本語ではこれをどう表現しているでしょうか。
沖縄でアメリカの兵隊が少女を暴行した事件がありました。その報道に「4日に起きた米兵による少女暴行事件をきっかけに高まる基地への県民の反発を背景に」(1995,9,29,朝日)というのがあり
ました。
その後それ以外にも「米兵暴行事件」「少女暴行事件」「米兵の暴行事件」「米兵少女暴行事件」というのがありました。
整理すると、次の5つの型があると思います。
A・米兵の暴行事件
B・少女暴行事件
C・米兵による少女暴行事件
D・米兵少女暴行事件
E・米兵の少女暴行事件
AとBは動作名詞の主語か目的かのどちらか一つしか言っていない型で、Aの場合は「の」でつないでいる型、Bの場合は名詞を並べているだけの型です。
CとDとEは動作主と目的との両方が表現されていて、Cは「~による」という助詞で主語が明瞭に示されている型で、Dは主語と目的とがただ並べられている型で、Eは「の」が使われている型です。
Aのように「米兵の暴行事件」というと、一見したところでは、「米兵が暴行した事件」という意味だけで、「米兵を暴行した事件」と解釈する可能性は無いようです。
しかし、「キリスト教徒の迫害」のように「事件」が付いていないと、「キリスト教徒が迫害する」のか「キリスト教徒を迫害する」のか、両方の可能性があります。これは明白です。
次に、「事件」が付いて「キリスト教徒の迫害事件」と言うとしても、やはり「キリスト教徒が迫害した事件」という意味と「キリスト教徒を迫害した事件」という意味との両方が可能ではないかと」思います。
「米兵の暴行事件」だと「米兵」という言葉に惑わされがちなので、「米兵を暴行した事件」とは考えにくいですが、それは言葉の内容から来ることで、表現としてはやはり両方の解釈が可能と考えた方が正しいのではないかと思います。
もっとも、「米兵を暴行した事件」という意味なら「米兵の暴行事件」よりも「米兵暴行事件」の方が適切ではあると思いますが。
Bの「少女暴行事件」という型は、言葉としては「少女を暴行した事件」でも「少女が暴行した事件」でも、どちらも可能だと思います。
「少女が暴行された事件」もあるのかなとも考えられますが、日本語はこういう時でも能動形を使うという法則があるよう(「舌切り雀」か「舌切られ雀」か、を参照)ですから、やはり「少女が暴行された事件」という解釈はないと思います。
Cの「米兵による少女暴行事件」は「米兵による少女の暴行事件」という風に「の」を入れることも出来ると思う。「事件」が付いているので「の」を入れると少し冗長な感じがしはするが、可能ではあると思います。現に、「アナリストによる業績の予想」という言葉もありました(2000,10,6,朝日)。
Dの「米兵少女暴行事件」については、前にある名詞が主格で、後にある名詞が目的ということになると思います。名詞の順序を逆にして「少女米兵暴行事件」としてみると、少女が米兵を暴行するなんてことはちょっと考えられないから、変ですが、やはり言葉としては「少女が米兵を暴行した事件」という意味に解釈するしかないと思います。
Eの「米兵の少女暴行事件」でもやはり「の」の付いている米兵が主格で、暴行の前に置かれている少女が目的になると思います。
私の集めた他の用例で考え進めてみましょう。
「私の主題とこの寓話の私の解釈とが相互媒介的な関係にあることは説明ぬきでわかってもらえると思う」(竹内好氏の文、梅田・清水・服部・松川編『高校生のための批評入門』筑摩書房から孫引き)というのがあります。
ここの「この寓話の私の解釈」の意味は「この寓話を私が解釈する」ということで明確ですが、さっきのCDEのどれにも入りません。
名詞の順序と主格・目的関係とで考えてみると、ここでは「の」を2つ使うことで、先に来た名詞(この寓話)が目的になり、後に来た名詞(私)が主格になっていますが、これは一般化できないと思います。
さっきの例で言い換えてみると、「米兵の少女の暴行事件」と「少女の米兵の暴行事件」となって分かるように、好い日本語ではないと思います。
竹内氏の場合もやはり「私のこの寓話解釈」か「私によるこの寓話解釈」にするべきだったと思います。
しかし「IT(情報技術)社会を支える光ファイバーをめぐり、メーカーの国際再編が始まった。古河電気工業の米ルーセント・テクノロジー社の光ファイバー部門の買収はその先駆けだ」(2001,7,27,朝日)のような文だと、「古河電気工業の米ルーセント・テクノロジー社の光ファイバー部門の買収」と「の」が2つ重なっても(実際にはその中に更にもう1つの「の」があるから3つですが)おかしいとは思えません。
もう少し検討する必要があるかもしれません。
新聞記事の見出しは句ではなくて文ですから少し違いますが、「教師を生徒告発」という表現がありました(1997,10,7,朝日)。これは前に来た名詞が目的になっているのですが、「を」を入れることで誤解の余地を消していると思います。また「三党、結束確認」というのもありました。読点を入れて主格としたのです。
助詞を駆使した表現としては、「学校への親の関与」とか「生徒に対する教師の愛情」というのがありました。これなどはドイツ語で言うと前置詞を介した表現に当たるのかもしれません。
「この寓話の私の解釈」、「教師を生徒告発」、「学校への親の関与」、「生徒に対する教師の愛情」と並べてみると、「助詞を使うと前の名詞が目的になる」のかなとも思いましたが、さっきの「アナリストによる業績の予想」の場合は違いますから、そうは一般化できないようです。「不良債権処理の雇用への影響」という例もあります。