自然哲学(哲学の百科事典の第2部)
1, 速水敬二訳「自然哲学」(筑摩書房、1949)
速水は「法の哲学」は訳していますが「精神哲学」は訳していません。もしこれを訳していれば、ヘーゲルの「エンチクロペディ」全3巻を全部訳したことになったでしょう。
2, 加藤尚武訳「自然哲学」(岩波書店、上巻は1998、下巻は1999。通し頁)
多くの仲間や元生徒に下訳をしてもらった上で加藤が仕上げたよ
うです。 Zusatz を「補論」としています。
下巻には訳者による解説と4つの付録があります。その解説はほとんど原典批判みたいなもので、寺沢の上掲の訳書に付いている「付録」と似ています。寺沢は共産党系で、加藤は信左翼系でしたが、その政治的違いにもかかわらずヘーゲル研究は本質的に同じであるとは、これこそが興味深いことです。
長々とした原典批判を除くと加藤のヘーゲル自然哲学理解は次の言葉に集約されます。
「ヘーゲルの『自然哲学』は、その哲学、特に論理学解釈にとって不可欠な体系の全体像を示すという点で重要であるのは言うまでもないことだが、その以上に科学思想史の歴史的なドキュメントとしての価値が大きい」( 720頁)。
平凡な文献読みにはこのような「理解」(無理解)しか出来ないのでしょう。内容が全然ありません。加藤にはヘーゲル論理学の何らかのカテゴリーの現実的な意味を解明した著作も論文も1つもないし、ヘーゲル自然哲学の貢献を具体的に説明した点もないし、加藤自身が自然科学の特定の問題について所与の科学理論の論理的再検討を通して新しい回答を提案したという話も聞いていません。
真の哲学者のヘーゲル評価と比べてみると加藤の貧しさが一層はっきりします。
「カール・フォークト流の無思慮な俗物と一緒になってこれまでの自然哲学を非難するのは簡単だが、自然哲学を正当に評価することは大変である。確かにこれまでの自然哲学の中には下らない物も沢山あるが、それはこれまでの経験主義的で非哲学的な自然科学理論でも同じ事である。
自然哲学の中には有意義なものもあるということは、進化論の普及以来ようやく認識されるようになってきた。ヘッケルが正当にもトレヴィラヌスとオーケンの功績を認めたのがその例である。即ち、オーケンは原粘液と原気泡というものを生物学の公準として提案したが、これはその後、原形質及び細胞として確認されたものである。
特にヘーゲルについて言うならば、ヘーゲルは多くの点で同時代の経験主義的な自然探究者よりもはるかに優れていた。経験主義者たちは説明できない現象に出会うと力、例えば重力とか浮力とか電気的接触力とかを当てはめるとか、あるいはそれが出来ないと、未知の物素、例えば光素とか熱素とか電素とかを押しつけて、それで説明したつもりになっていたのである。
そのような根拠のない物素は今やほとんど語られなくなったが、ヘーゲルの反対した力概念に対する妄信は1869年の今でも生き残っている。それはヘルムホルツの「インスブルックでの講話」を読めば分かる。
ニュートンに対する信仰は18世紀のフランス人から来ているのだが、それに対してヘーゲルは、ケプラーこそが現代天体力学の本当の創始者であり、ニュートンの重力の法則〔万有引力の法則〕は既にケプラーの3つの法則の中に、特にその第3法則にははっきりと言い表されていると述べた(因みに、イギリスはニュートンに名誉と富を与えたが、ドイツはケプラーを餓死させた)。
グスタフ・キルヒホフがその「最新の数学的物理学の講義」の中で最新の数学的物理学の結果として提出している事は、ヘーゲルがその「自然哲学」の第 270節及びそれへの付録の中で2、3の簡単な数式を使って説明した事の繰り返しに過ぎず、その説明の仕方も
ヘーゲルが展開した簡単な数学的形式と本質的に同じである。
自然哲学者の自覚的な弁証法的自然科学に対する関係は、空想的社会主義者の現代共産主義思想に対する関係と同じである。」
(エンゲルス『反デューリング論』の第2版への序文)
3, 長谷川宏訳「自然哲学」(作品社、2005)
精神哲学(哲学の百科事典の第3部)
1, 船山信一訳『精神哲学』(岩波書店、1931、改訳、1965)
読みやすい訳ではあります。訳注はありません。 Zusatz は「補遺」と訳しています。
2, 樫山欽四郎訳『精神哲学』(河出書房「世界思想教養全集」5、1963)
これには Zusatz は訳されていません。
3, 長谷川宏訳「精神哲学」(作品社、2006)
法の哲学(原著は1821年)
1, 速水敬二・岡田隆平訳『法の哲学』(鉄塔書院、1931、改訳は岩波書店、1950)
2, 高峯一愚訳『法の哲学』(創元社、1953-4、1961、論創社、1983年)
かつて東京都立大学の同僚たちと行った読書会に基づいて訳しています。
3, 藤野渉・赤沢正敏訳『法の哲学』(中央公論社「世界の名著」35、1967年)
少し訳注があります。
4, 上妻精訳『法の哲学』(岩波書店)
ヘーゲル研究について
研究書は沢山ありますが、ヘーゲル哲学の現実的意味を追求しようとしたものはほとんどありません。というより、追求しようとしたけれど壁に跳ね返された記録がほとんどです。
歴史的に価値のあるものは次のものです。
1, マルクスとエンゲルスの著作
特にマルクスの『資本論』『経済学哲学草稿』、エンゲルスの『反デューリング論』『自然弁証法』『フォイエルバッハ論』などは屹立しています。
2, レーニンの『哲学ノート』
マルクス主義をヘーゲルから理解しようとして読んだ記録です。たった1度読んだだけでここまで理解した力は驚嘆すべきものです。
3, 許萬元の3部作
『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』(大月書店、1968年)と『ヘーゲル弁証法の本質』(青木書店、1972年)と『認識論としての弁証法』(青木書店、1978年)の3冊です。後の2冊はその後、『弁証法の理論』(創風社、上下2巻)としてまとめられました。
第1書はヘーゲル弁証法の核心たる現実性概念と概念的把握の論理を、第2書はヘーゲル弁証法の全体像とマルクス及びエンゲルスによるその継承を、第3書はレーニンがヘーゲル弁証法をどう理解したかを、研究しています。
ヘーゲルとマルクスとエンゲルスとレーニンの弁証法の学説史的研究として不朽の名著です。これを越えるものは今後も現れないでしょう。というのは、それほど本書が徹底的だということでもありますが、同時に、ヘーゲルの理解のためにはマルクス主義を通る必要がありますが、社会主義の失敗以降、マルクス主義の哲学を理解しようとする努力が見られなくなったからです。
許萬元の弁証法研究の意義と限界を好くまとめたものが牧野紀之の「サラリーマン弁証法の本質」(『哲学夜話』鶏鳴出版に所収)です。
実際、許萬元のヘーゲル研究は深いものですが、結局は学説史的研究でり、用語もヘーゲルやマルクスのままですから、「内容はあるようだけれどこの叙述では分からない」という感想を皆が持つのです。
4,
牧野紀之の哲学
牧野の哲学は、ヘーゲルの現実的意味を理解することであり、現実の中にヘーゲルを読むことですから、その全ての哲学的活動がヘーゲル研究でもあるのですが、主たる物は以下の通りです。
ヘーゲルの弁証法の根本については、「弁証法の弁証法的理解」(『労働と社会』鶏鳴出版、1971年、及び波多野精一著牧野紀之再話『西洋哲学史要』未知谷、2001年、に所収)に所収)がそれまでの理解とは根本的に異なった理解を示しています。
主著は『生活のなかの哲学』(鶏鳴出版、1972年)です。ヘーゲルの概念的把握についても、許萬元の説明と牧野の「『パンテオンの人人』の論理」を比較すると、その違いがはっきりすると思います。
資本論の価値形態論の認識論については「悟性的認識論と理性的認識論」(『ヘーゲルの修業』鶏鳴出版、1980年、に所収)ほど正確かつ分かりやすく解明したものはないでしょう。
以上を見ると、マルクス主義系の人々の研究だけですが、この事が「ヘーゲルの現実的意味を理解するには弁証法的唯物論の立場に立たなければならない」ということを示しています。
関連項目
鶏鳴出版