マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

お知らせ

ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

真の防潮林、浜松で3回目

2014年02月27日 | ハ行
 01、静岡新聞、2014年02月27日

 環境保全活動を行うNPO法人縄文楽校(浜松市北区)は26日、同市南区の市立砂丘小南側の防砂林で植樹祭を行った。児童や地元住民ら約200人が参加した。同校の3〜6年の児童約130人がシイやカシなど広葉樹の苗木約300本の植樹に取り組んだ。

 子どもたちは長さ33メートル、幅3メートルに盛った堆肥と土を踏み固めて土台を作り、その上に苗を植えた。根元には松葉や麦わらを敷いた。植樹に参加した男児は「植えた木が大きく育って町を守ってほしい」と話した。

 この日は防潮堤の建設現場の見学も行い、「海岸浸食災害より住民を守る会」の会員が防潮堤の役目や大きさを解説した。

 02、説明と感想(牧野 紀之)

 静岡県の浜松地区では一条工務店が「防潮堤のために300億円の寄付」を申し出て以来、県が主体となって、その事業が進められています。「まだ何も決まっていない」という煙幕を張りながら、高さが十数メートル(場所によって異なる)の堤防とその側面に植えるクロマツ林から成る「防潮堤」の工事が着々と進んでいます。現在はまだ「試験段階」だそうですが、昨日、私も妻と一緒にこの縄文楽校の行動を「見学」し、ついでにその「試験工区」も見てきました。物凄く大きな工事です。

 それに比べると、縄文楽校の行動ははるかに小さなものですが、実際に「防潮」の役割を果たす点で、どちらが上なのか、いずれ歴史が証明するでしょう。

 縄文楽校はいつ始まったのか、知りませんが(多分、3・11の後でしょう)、行政の「防潮堤」へのアンチ・テーゼを行動で示すのは昨年の6月からです。先ず、ホース・ランドという乗馬の何かをしている民間の土地に植えました。これは昨秋、見てきました。

 2回目は南の星小学校の近くに植えたようです。これには時間の都合で参加出来ませんでした。今回、初めて、「参加」ではなく(かえって邪魔になりそうなので)、「見学」してきました。やはり実地に見ると好く分かります。昨日は天気も好くて、楽しかったです。

 今後、出来たら、毎年、植樹した木の生長を確かめに行くつもりです。

関連項目

1回目の植樹の報道
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詳細索引・対比

2014年02月23日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
445──dieserとjenerの対比
475──一般的事実と具体的事実の対比
799──時間的対比と動詞の時制

1294──対比文

1465──対比の「ハ」
1466──対比の表現
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸は一代

2014年02月20日 | カ行
 「芸は一代」と言って弟子を一切取らない人がいるそうです。ラジオ深夜便で大分前に聞きました。たしか日本舞踊か何かの大家だったと思います。これを聞いてからいろいろと考えました。

1、2種の教師

 まずここで考えるべきは、教師と言っても「直接的教師」と「間接的教師」とがあることでしょう。かつて朝日新聞で「最高の教師は誰か」とかいったテーマで色々な人に寄稿してもらって掲載していたことがあります。その中で誰か、音楽評論家だったと思いますが、「ベートーベン」と答えていました。

これを読んで私は「直接的教師と間接的教師」といった題で小文を書いて発表した記憶があります。普通は「最高の教師」とか「良い先生」と聞けば、身の回りで出会った「教え方の上手い先生」とか「熱心な先生」を考えるものですが、この評論家は違った見方をしたわけです。言われてみれば、音楽の先生の仕事を「他者(生徒)の音楽的才能を開花させる事」とするならば、この点でベートーベンの音楽の、従ってベートーベンの果たした役割は物凄いものがあったと思います。ですから、ベートーベンを「最高の教師」とするのには十分な根拠があります。

 しかし、それは「教師」というものをどう考えるか、「教える」という事をどう考えるか、と関係しています。私はその観点の違いを「直接的教師」と「間接的教師」としてまとめたのです。その小文はどこに発表したのか、今探しても見当たらないので、困っています。誰か見つけた人は教えてください。

2、教える内容のレベル

 さて、「芸は一代」と言いますが、本当に芸は弟子に教える事は出来ないものでしょうか。こう考えると、この問題では又、「レベルの問題」があろと思います。初心者に教える、中級者に教える、上級者に教える、最上級者に教えると、ざっと考えただけでも、「教えるレベル」の4つの段階で「教える」事の意味も違ってくると思います。従ってそれは分けて考えるべきでしょう。

 このように細かく考えて見ますと、直ぐにも、下のレベルでの方が「直接教える要素」が大きく、上に行けば行くほど、「生徒が自分で学ぶ部分が大きくなる」ということです。そして、最上級レベルでは「教える事は不可能で、自分で研究するしかない」ということです。あるいは、生徒が「一家をなすようなレベル」では、間接的教師しかいないということです。

3、自己反省

 結論はこれでいいと思いますが、これと関連して、私は自分の過去を振り返ってみました。それはもちろん「芸」ではなく「学問」に関してです。従って、「芸は一代」を「学問は一代、思想も一代」と捉え直して、自分はこの原理にどれだけ忠実だっただろうか、忠実でなかったとすれば、なぜ忠実でなかったのだろう、という問題です。

 自分自身の過去を振り返ってみるとはっきり分かる事は、私が「他者に教える」という事を考えた時は、自信のなかった時だったということです。大学院時代、マルクス主義の研究会と称するものを提唱して勉強会を開いたり合宿までした時も、準備のために猛勉強をしましたが、これも自分一人で猛勉強をする自信がなかったからだと反省しています。

 卒業後、「鶏鳴学園」を始めたのはお金のためでもありましたが、私塾で既成の大学に対抗しようという野心もありました。しかし、本を出してもらえるあてもなかった事もあるでしょう。

 逆に、私が本当に勉強をしたのは、第1に、高校時代、孤立してしまって勉強するしかなくなった時でした。第2には、修士課程の2年の時の「研究室内での発表」(題は「方法論の方法」)が悪評で、「修士を4年間やって、一人でやって行けるようになろう」と決心して、哲学史の勉強をした時でした。第3に、幸い博士課程に入ったら、奨学金がもらえました。そこで、上記の「マルクス主義の研究会」の限界を感じて、山にこもりヘーゲルを読んだ時でした。ヘーゲルの目的論を読んで、「これなら論文が書ける」と思って急遽東京に帰ってきた時でした。

 鶏鳴学園が最終的に失敗して1人になり、絶望のどん底にいた時、又々、本当の勉強が始まりました。中学の担任の先生(我が校では3年間クラス替えがありませんでした)で唯一「本当の先生」と思っていたA先生が亡くなったので、その霊前で「先生、済みません」と心から謝りました。そして、又勉強を始めました。この時は、非常勤講師としてではありますが、文字通り「既成の学校」に戻りました。

 私塾で失敗した後なので、今度は「学校の可能性を追求してみよう」と思いました。幸いかなり好い学校で教えることになりました。大学も90年代初めの「改革の始まりの時代」に突入していました。

 そこでの経験は本にしてあります(『辞書で読むドイツ語』と『哲学の授業』)が、結局、現下の「学問は一代」という点に関して分かった事は、「良い学校でも本当の学問は教えられない」という事でした。私塾との違いは、どこまで教えられるかの違いでしかないという事です。

 要するに、初級レベルや中級レベルなら「教える」事は出来るでしょう。学校の役割はそのレベルの事なのです。あるいは上級レベルでも、教える事は出来るかもしれません。しかし、「一家を成すような最上級レベル」では「教える」ことは出来ないということです。そして、最初に触れた「芸は一代」というのは初めからこの「一家を成すような最上級レベル」の事を考えて言っているのです。歌舞伎とか伝統的な芸の世界では親から子へ代々「芸が受け継がれている」ように見えますが、それはせいぜい「上級レベル」までの事で、家が学校に代わっているだけなのでしょう。子が親と同じような「一家を成すような最上級レベル」に達するのは、子自身に素質があり、それに努力が伴った場合だけなのだと思います。

4、関口さんの事

 ここでも私は関口存男さんの事を考えざるをえません。どこかで読んだと思っているのですが、関口さんは「啓蒙(ないし初心者に教えること)は重要だ」と言っていたと思います。そして、彼は実際、初心者用の教科書や参考書を沢山書きました。それに比して、最上級者用の参考書ないし研究書は、「相対的には」少なかったと思います。『冠詞論』(正式の書名は『冠詞』全三巻)以外は、本当の研究書は書かなかったとさえ言える程です(『
ドイツ語学講話』も入れていいかな)。私は、これをとても残念に思う者です。

 なぜこういう事になったかと考えて見ますと、「啓蒙は重要だ」というまとめ方が間違っているからです。「重要でない」などと言う人はいないでしょう。問題は、初心者に教える事と、中級者に教える事と、上級者に教える事との比重、重要性のバランスをどう考えるかが問題なのです。何にどれくらいの力を入れるか、と考えなかったのが間違いの元でした。

 「啓蒙は重要だ」と言う関口さんも、その『冠詞』の中ではどこかで、「辞書を引きながら読むようなのは語学とは認めない」といった言葉があったと思います。それなのに、初心者用の本を沢山書き、研究書は少ししか書かなかったのです。まだ書くつもりだったのかもしれませんが、書かないで死んでしまったのです。自分の一生の計画の立て方が間違っていたのです。

 推定ですが、関口さんも晩年には、「本当に自分の後を継ぐような弟子は出なかったな」と思っていたのではないでしょうか。最後は、諦めの境地だったと思います。しかし、「学問は一代」とは明確には気付かず、研究書を残す事に集中することなく、NHKでの初級講座で疲れて、奥さんの死がキッカケとなり、バッタリ死んでしまいました。

5、結論

 芸も学問も、初級や中級レベルの事は教えられる、つまり「一代」ではない。問題は先生にその才能と性格があるか否かである。これは学校でも私塾でも同じだと思います。

 上級ないし「一家を成すような最上級レベル」については、教えることは出来ないと思います。つまり、学ぶ側に素質とやる気があるかだけの問題なのです。芸も学問も「盗むものであって、教わるものではない」ということです。そして、「芸は一代」とか「学問は一代」という時の「芸」とか「学問」は初級や中級レベルの事を言っているのではなく、「一家を成すような最上級レベル」の事を言っているのですから、この言葉は正しいと思います。

 私は関口さんの失敗を繰り返すことのないようにしたいと思っています。幸い、本を出してもらえるようになりました。インターネットの発達で、論文ならブログで自由に発表できるようになりました。

 無料の大学講座が出てきて、伸びているそうです。「ムーク」とかいう動きのようです。我が「マキペディア」はその一種と考える事が出来ます。読者が「小論文」を出してくれないだけです。メルマガ「教育の広場」時代の方が、読者の投稿が充実していたと思います。ブログでは「コメント」となっているのが悪いのでしょうか。

 アマゾンで拙訳『小論理学』下巻へのレビューで高い評価を下さった方が、「翻訳者の些か奇態な意見主張」と書いていますが、具体的にどこがどうおかしいのか書いて、その上自分の意見を書いてくれなければ、議論になりません。

 まあ、読者に不満を述べるのは「教えたがり屋」の悪い癖ですから止めましょう。そして、「学問は一代」という言葉を肝に銘じて、自分の研究成果の発表だけに集中することにしましょう。

     関連項目

思想の相続

直接的教師と間接的教師

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人労働者

2014年02月14日 | カ行
 国内企業で働く外国人労働者は、前年と比べ5%多い71万7504人で、2年ぶりに過去最多を更新した。2013年10月末時点の調査で、厚生労働省が01月31日発表した。人手不足の中小企業が受け入れを増やし、留学生のアルバイトも増えたためだ。

 雇用対策法に基づき、雇い主が届け出た人数を08年から毎年10月末に集計し、公表している。

 出身国籍別では中国が30万3886人(前年比3%増)で最も多く、ブラジル9万5505人(6%減)、フィリピン8万170人(10%増)、ベトナム3万7537人(40%増)と続く。

 就労先は、前年より6%増の約12万7000カ所と過去最多。企業規模では従業員30人未満が半数超を占める。業種別では、製造業が3分の1を占め約26万人。人手不足が続く建設は約1万6000人だった。      (2014年02月01日、朝日。山本知弘)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パナマ運河と海運の現状

2014年02月13日 | ハ行
      山脇 岳志(朝日新聞社、アメリカ総局長)

 真っ白な巨大クレーンが4基、青空にそびえたっていた。コンテナを上げ下ろしするためのアームは、120㍍、40階建てのビルの高さまで上がるという。

 ワシントンの中心部から60㌔離れた米東海岸ボルティモア港では、今年から最新鋭の設備が動いている。

 1億㌦(約100億円)あまりの投資で、大型コンテナ船が停泊でき、すばやく積み下ろしができるようになった。すぐそばには、ネット通販大手、アマゾンの配送センターもできる。

 世界の貿易の9割は、海運に頼っている。その変化はすさまじい。

 世界経済の伸びを反映して、海上輸送量は過去40年で3倍以上に増えた。20年後にはさらに倍増する勢いだ。船はどんどん大型化する。より効率的に、より安く物資を運ぶためである。

 中米のパナマ運河では、総額52・5億㌦(約5400億円)をかけた拡張工事が行われている。約100年前にできた今の水路は浅く、幅も狭い。4千数百個のコンテナを積める船が、ぎりぎり通れる程度だ。

 2015年に拡張工事が完成すれば、今の3倍近い1万2千個ものコンテナを積める船が通れるようになる。

 大型の液化天然ガス(LNG)船も、大半が通過できるようになる。米国で産出されるシェールガスを液化し、日本に持ってくるプロジェクトヘの期待が高まっている。これもパナマ運河が拡張されるので運びやすくなる。

 パナマの大変化を先取りする形で、ボルティモアは工事を急いだ。

 「米国東海岸の港は、船の大型化への準備を、競い合っているよ。ニューヨーク・ニュージャージー港は、橋を高くするための大工事にとりかかっている」。港を運営する「ボーツ・アメリカ・チェサピーク」のマネジャー、ベイヤード・ホーガンズ氏は、そう話す。

 きょう日本にやってくるバイデン米副大統領も、海運に並々ならぬ関心を寄せる。9月にボルティモア港を視察、先月にはヒューストン港やパナマ運河を訪ねた。

 バイデン氏はボルティモアで、こう危機感をあらわにした。「世界は変わりつつある。ボルティモアのように港を拡張しなければ、我々は立ち遅れてしまう。米国全体のインフラを近代化しなければならないのだ」。

 私は今夏、パナマ運河で工事現場を取材した。港や運河に興味があるのは、私自身が神戸で育ったためかもしれない。明石海峡を行き交う船を眺めるのが好きだった。

 40年前、小学校の先生から「神戸は世界トップクラスの港」と教わり、子供心に誇らしかった記憶がある。

 70年代の古い資料を当たると、確かに、神戸のコンテナ取扱量が世界で1位や2位の年があった。2012年の統計では、神戸は52位。日本一の東京港でも、世界ランクは28位である。

 今の世界トップ、上海やシンガポールといった港は大型コンテナ船が入れるよう集中的に投資した。日本は、港湾予算を幅広くばらまいたこともあって、対応が遅れた。

 日本政府は3年前、京浜港と阪神港を「国際コンテナ戦略港湾」に指定し、集中投資を始めている。だが、一度奪われたシェアを取り戻すのは、そう簡単ではない。 (2013年12月02日、朝日)    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災害と社会と人間

2014年02月11日 | サ行
             北原 糸子(歴史地震研究会・前会長)

 歴史学の主流とは言い難い「災害史」に市井の研究者として取り組み、30余年が過ぎました。災害を通して社会を見ると、いろんなことが分かります。人が災害をどう乗り越えてきたか、歴史を通じて知ることはおもしろいものです。

 災害のあり様は時代によって変化します。災害大国の日本は地震、津波、水害などが始終、起きる。現象自体は普遍的かも知れませんが、被害や救済のかたちはそれぞれ違います。社会が変化しているからです。災害は時代を映す鏡といえるかもしれません。

 大学は津田塾の英文科でしたが、60年安保に影響を受け、「英語よりも歴史、社会」と東京教育大学に学士入学し、勉強し直しました。貧困の問題に関心があったので、安政2(1855)年の安政江戸地震を題材に災害と都市の貧乏人の救済を研究し、著作「安政大地震と民衆」で賞をもらいました。長野で主婦をしていたので、賞金で大型冷蔵庫を買い、夫と子どもの料理を作り置きして東京に研究に出掛けたものです。

 生の資料を読むと、昔の人の声が聞こえてくるんです。歴史を素手でつかむ感覚に夢中になりました。

 大正12(1923)年の関東大震災は、あれぼどの大惨事なのに7年後には帝都復興祭が挙行され、驚くべき早さで立ち直っています。背景にあるのは社会の若さです。当時、東京には20、30代の若者が大勢働きにきていた。彼らは東京でやり直す意欲が強く、家族をつくり、人を増やしていきました。

 官僚たちの頑張りも目立った。明治維新以降、日本の近代化を進めていく途上で首都が一挙に燃え落ちてしまった。できたばかりの都市計画法(旧法)に基づき、都市の近代化を進めることに強いやりがいを感じていたに違いありません。

 明治29(1896)年の明治三陸大津波では「イエ」をつぶさないという強い意志が働きました。一家全滅なら係累を探し出す。夫を亡くした妻、妻を亡くした夫を妻(め)合わせ、生まれた子どもにそれぞれのイエを継がせる。社会の単位であるイエを絶やさないようにして、ムラを立て直すというしたたかさが目立ちます。

 翻って東日本大震災を眺めると、社会の弱体化が透けて見えます。高齢化や過疎化が進み、イエを立て直して地域を復興させる力が希薄になっている。これは三陸だけでなく日本に共通の問題で、大地震がはっきり顕在化させました。

 結局、災害からの救済は社会のあり方によるのです。時々の社会的条件を踏まえ、対応するしかない。東日本大震災の場合、人がいないなかでどんな社会をつくるか、まず地域の人が自ら考えないとダメでしょう。行政はそんな被災者の声を実現することに力を尽くすべきです。従来型の予算を付けて終わり、では意味がない。

 日本の災害を振り返ると、大きな災害が頻発する時期と、そうではない時期が交互にやってきます。第2次大戦から95年の阪神大震災までは大災害があまりない平穏な時期でした。その時期、高度成長期以降に原子力発電所が増えています。周期の転換点にあたるいま、原発が事故を起こしたのは象徴的です。

 原発事故は新しいタイプの災害です。自然災害が引き金でしたが、放射能の汚染拡大には人災の要素が色濃い。自然災害の場合、火山噴火のような過酷なものでも、人は長い時間をかけて、もといた場所での生活を再開します。人災である原発事故はどうでしょう? 住んでいた場所で生治の再建ができるか、正直、私には分かりません。

 この新たな災害にどう対処するか。日本人はいま、問われています。民主国家で起きた原発災害を克服する手本を、世界に示さないといけない。世界が日本を注視していることを忘れてはいけません。

 これは、社会が弱っている日本にとって、大変な作業かもしれません。ただ災害史を学んでいて思うのは、社会がどうあれ、人の本質は変わらないということです。災害で困った人がいれば、みんなで助け合う。よしんば自分の力を超えた災害に見舞われても、それを克服しようと努力する人が必ず出てくる。人ってすごいなと思い、前向きになれます。
     (2014年01月08日、朝日。聞き手・吉田貴文)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詳細索引・疑問詞

2014年02月08日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
451──welcher
828──目的語になる疑問詞

854──疑問文を作る疑問詞
1235──どちら、どれ、どの

1300──譲歩の表現に使う場合
1305──疑問詞+könnenの認容表現

1440──目的語になる疑問詞

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詳細索引・不定代名詞(不定形容詞、不定詞)

2014年02月06日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
445──不定代名詞(総論)
448──不定形容詞solcherの用法
532──不定代名詞を形容する語

644──solch einの使い方の説明
711──derjenigeに代わるein solcher

715──先行詞が不定代名詞の用例
992──不定代名詞の説明の例

1162──als solcher(○○そのもの)
1212──否定詞を強める不定詞


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「文法」のサポート・第4章形容詞、第2節、第3項(495頁以下)の構成

2014年02月05日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
★ 2月3日の記事を削除し、新たにこれを掲載します。

 現在の「文法」の形容詞論は内容的整理に大きな間違いがあり、使いにくく、混乱を引き起こしていますので、再考しました。

 「文法」の495頁には「第3項・特殊な形容詞」とありますが、その内容は「形容詞の形による分類」に「意味上の分類」の一部が混ざって、混乱しています。よって、これを「形」だけに絞って、「意味内容」は第6節にまとめるのがベターだと判断しました。すると、以下のようになります。

 第3項・複合形容詞

 形容詞(現在分詞、過去分詞を含む)の前にそれを規定する簡単な語句(名詞、形容詞、副詞等)があると、語感はこれを一体のものと感ずる結果、これを合書するのが一般の傾向である。

①前綴りが分詞の元の動詞の結果を表わす場合
 rotangestrichen, kleingehackt,

②前綴りが分詞の元の動詞の手段や原因を表わす場合〔注・現在の②と③を1つにする〕
handgeschrieben, sonnbeglänzt, goldstrotzender Tempel,

③前綴りが分詞の元の動詞の目的語の場合
 aufsehenerregend, epochemachend

④前綴りが形容詞を限定する場合
weinrot, todmüde

⑤誇大的合成形容詞〔注・現在の(2)〕

 ・現在の「(3)形容でない形容詞」「(4)変則的な形容詞」「(5)属詞文の代用句」は第6節に移します。「第4項、充足概念と不足概念」は「→262頁の⑥」とだけ書いて表題だけ残し、内容は、「⑥・充足概念と不足概念」という表題にして262頁に移します。第6節は以下のようにします。

   第6節 付加語形容詞の意味上の分類と用法

 付加語形容詞を意味ないし働きによって分類しますと、まず、大きく、限定的形容詞(何らかの意味で後に続く名詞を限定する形容詞)と説明的ないし描写的形容詞(名詞に本来含まれている性質を表に出したに過ぎない形容詞)とに分ける事が出来ます。それぞれについて考えます。

 第1項、限定的形容詞の分類

 A・本来の形容詞(特殊化規定をする形容詞)

 B、本来的ではない形容詞

  B-1、具体規定的形容詞
  B-2、論定の指示的形容詞
  B-3、二格的形容詞
  B-4、同格付置的形容詞
  B-5、評辞的形容詞
  B-6、変則的な形容詞
B-7、属詞文の代用句

 C、代名詞系形容詞

  C-1、所有形容詞(mein, dein,usw.)→544の第13節
  C-2、指示形容詞(jener, dieser)→443頁
  C-3、不定形容詞(solcher)→448頁
  C-4、疑問形容詞(welcher)→1236頁の用例5と6
  C-5、関係形容詞(welcher)→付加語的関係代名詞

・A・本来の形容詞

 たとえば一人の男が緑色のネクタイをかけているのを見て:Er trägt eine grüne Krawatte!というとすれば,このeineは紹介導入の不定冠詞であり,grünは,その男が“どんな”ネクタイをかけているかを言葉にしたものであるから,特殊化規定である。特殊化規定は,具体化規定とはちがって,一般的な規定であるから,特殊化規定されたeine grüne Krawatteなるものは,その様なものが他にもたくさんあることを前提とする。だからまたeine(一つの)というわけである。(定冠詞39頁)

・B-1、具体規定的形容詞

 形容詞のうちには,形容(即ち特殊化規定)ではなくて指示(即ち具体化規定)にしか用いない形容詞がある。たとえばrecht(右の),link(左の)などがそれである。これらは従って必ず定冠詞とともに用いる:die linke Seite, die rechte Hand,――

 もちろん,ここに靴が片一方あるとして,“これは左足の靴だ”という時にはDas ist ein linker Schuhというが,此の場合のlinkはもはや元来のlinkではなく,für den linken Fußの意の転意形容詞である。(定冠詞39頁)

・B-2、論定の指示的形容詞(497頁からここへ移す)

 感想・関口は「論定の指示形容詞」としていますが、本来の指示形容詞と区別するために「指示『的』形容詞」とします。

・B-3、二格的形容詞(498頁からここへ移す)

 der väterliche Rat(父の忠言)、die mütterliche Obhut(母の庇護)は各々der Rat des Vaters, die Obhut der Mutterと同意であるが、こうした二格的形容詞は、二格付置と同様、「形容」ではなくて「規定」である。時には具体規定ですらもある(それに反してväterlichを「慈父の如き」の意に用いる場合には「形容」(即ち特殊化)である)(定冠詞46頁)。

・B-4、同格付置的形容詞(498頁からここへ移す)

 Der Königliche Gast(来訪の王)、Der brüderliche Lehrer(教師の役を受け持つ兄)は各々Der König, der Gast(またはDer Gast, der KönigまたはDer König und Gast)、Der Bruder,der Lehrer(またはDer Lehrer, der BruderまたはDer Bruder und LehrerまたはDer lehrende Bruder)と同じで、königlich, brüderlichは、〔それぞれ〕たとえば「王者らしい、尊厳な」とか「同胞的な」とかいったような「形容詞」ではなく、同格付置(Apposition)と全然同じ「規定詞」である。但し、こんどの場合の規定は、具体化規定というよりはむしろ換言的規定である(定冠詞46頁)。

・B-5、評辞的形容詞(話者の評価を表わす形容詞)

 私見では「評価の形容詞」とでも言うべきもの、つまり「話者の評価を表わす形容詞」があると思います。
 Letztlich reichte es für einen beachtlichen sechsten Rang. (DW)(結局、それは6位という悪くない成績だった)

 感想・beachtlichが評価を表していて、それを浮き上がらせるためeinenという不定冠詞を冠したのでしょう。「正当にも6位になった」ならば、Letztlich reichte es mit Recht den sechsten Rangとかden verdienten sechsten Rangと書いたのではないでしょうか。

B-6、変則的な形容詞(499頁からここへ移す)

B-7、属詞文の代用句(501頁からここへ移す)

 第2項、二格的形容詞か二格付置規定か

 「二格的形容詞」は上に述べたように「二格規定を付置するのと同じ」なのですが、実際にはどちらかが使われる訳です。その選択に当たっての規準があるのか、あるとするならば、どういう規準か、の問題です。

 01、Ebenso gewährt die Empirie wohl Wahrnehmungen von aufeinanderfolgenden Veränderungen oder von nebeneinanderstehenden Gegenständen, aber nicht einen Zusammenhang der Notwendigkeit. (Hegel, Enzykl.§39)(同様に、経験はたしかに〔時間的に〕前後して起こる変化や〔空間的に〕並んで存在している対象についての知覚を与えはするが、必然的関連は示さない)
 英・but it presents no necessary conection

 感想・ここはnicht einen Zusammenhang der Notwendigkeitとなっています。keinen Zusammenhang der Notwendigkeitとするのとどう違うのでしょうか。多分、「文法」の一184頁の第2点にある「名詞に質の含みを持たせたから」でしょう。英訳はno necessary connectionとしています。ドイツ語でもnotwendigen Zusammenhangとするとkeinenを冠置することに成るのでしょうか。

 第2項の「二格的形容詞か二格付置規定か」を考えるヒント

 01、たとえばドイツでは時々文化的関心を高めるためにDer Tag des Buches(書物の日)というものを催すが,これはdes Buchesという形であるために,die Bücherといったような日常意識を排斥して,改めてdas Buchというものの本質を考えさせる効果を発揮する語であって,その効果の全部が此のdesという定冠詞と,Buchesという単数形から来ている。もしDer Tag der Bücherであったら,すっかり世間的な,俗な,日常生活的な気持を与えて,反省的・内観的効果がなくなってしまうであろう。(定冠詞421頁)

 第3項 修辞的形容詞〔現在のまま〕
 注・現在「第4項・具体的想像を助成する贅語」は第3項の③とします。

備考

 以上は「現時点での一応の私見」ですが、もう少し考えたい点があります。それを列挙します。

 第1点。フランス語では名詞に掛かる形容詞を名詞の前に置く場合と後に置く場合があります。染木布充(そめき・のぶみつ)著『「なぜ?」がわかると超かんたん!フランス語文法』(ナツメ社)は「これ〔どういう形容詞は名詞の前に置き、どういう形容詞は後に置くかの問題〕は、1冊の本になるほどのテーマ」だと断った上で、「入門書だから、目安」として、「思い入れを含めた主観的な意味を持つ形容詞」は前に、「客観的な意味を持つ形容詞」は後に置くのが一般的、としています。

 この分類基準は「第1性質と第2性質の区別」とどの程度重なるのでしょうか。この区別はロックに帰せられるのが普通ですが、事実上デカルトにもありましたから、こういう考えはフランス人には当然だったのかもしれません。そう推定する根拠は以下の通りです。デカルトは動物機械論を唱えましたが、これは動物アニマル(animal)説に対抗する物で、正しくは「動物非アニマル説」と言っても好いくらいのものです。なぜなら、animalはギリシャ語のanima(霊魂)に由来していて、動物をanimalと呼ぶことは「動物には人間と同じく霊魂がある=内発的に運動する」という考えを前提しているからです。そして、デカルトの動物機械論は「動物には霊魂はない」とする考え、つまり「外からの入力がなければ運動しない」という考えだからです。何を言いたいかと言いますと、デカルトはフランス語を手がかりにして哲学したと推定出来るということです。ですから、その第1性質と第2性質の理論もフランス語の形容詞の使い方を手がかりにして考えたとしても不思議はないのです。

 又、染木は「1冊の本になるほどのテーマ」としていますが、これを詳しく論じた本はあるのでしょうか。なお、「1冊の本になるほどのテーマ」と言って終わりにする人と、そこから実際に「1冊の本」を書く人とがいると思います。後者でありたいと思います。

 第2点。私は、「B-5、評辞的形容詞(話者の評価を表わす形容詞)」というものを挙げましたが、これは副詞における「批評の副詞(評価の副詞)」に対応するものです。こういう形容詞があるとして、それはフランス語では「前に置かれる形容詞」の一種とされているのでしょう。それの用例がほしいものです。一般にフランス語では「話者の下す評価を表現する方法」としてどういうのがあるのでしょうか。更に、では、日本語では「話者の下す評価を表現する方法」としてどういうのがあるでしょうか。これも知りたいものです。

 第3点。日本語の形容詞の分類について、大野晋は次のように述べています。
──形容詞には、太く・細く・長く・短く・高く・低くのように語根にクの音を加えて活用するグループがあります。〔又〕悲しく・淋しく・楽しくのようにシクの音で活用する第二のグループがあります。

 古代語で二割くらいの例外がありますが、はじめのグループは概して、物の状態を表すのに対し、第二のグループは概して情意を表します(これは若くして亡くなった山本俊英君が学習院大学二年生のときに発見したことです)。

 つまり、ク活用形容詞──状態を表す
    シク活用形容詞──情意を表す

 という顕著な傾向が古代日本語にありました。(大野・丸谷・大岡・井上共著『日本語相談』3、朝日新聞社。引用終わり。なお角括弧の箇所は牧野が補ったもので、改行も少し変えました)

 この区別はフランス語の上記の区別と重なる部分があるのではないでしょうか。

 以上の事を今、考えています。つまり用例を集めています。読者の皆さんも、適当な用例が見つかったら教えてください。その時には出典を明記してください。なるべく明解な文がいいです。よろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詳細索引・強調

2014年02月04日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
179──強調構文
439──強調構文を作るdas

496──誇大的合成形容詞
521──強調的贅語となる形容詞

671──強調の無冠詞
684──定義的な文の主語を強調する無冠詞

1143──前置詞の強調

1197──1文肢を強調して否定する
1205──否定の強調
1215──穏やかな強調(二重否定)

1385──強調の方法(総論)
1475──強調のハ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無農薬・有機農法米を考える

2014年02月01日 | マ行
 近所の棚田でお米を作っているSさんを知って、それを購入しました。Sさんと話し合っている内に、以下のような意見を聞きました。大切な問題だと考えました。以前から関係のある第3世界ショップ(昨年の秋、「はぜかけ米」を売り出しました)と大潟村でがんばっているみすず農場にこれについての考えを聞きました。以下はそれぞれの意見です。

1、Sさんの考え

 「無農薬、有機栽培、稲架け乾燥」の中の「有機栽培」を満たすお米は、なかなか無いかと思います。誠に申し訳ございませんが、私自身、有機栽培の利点が良く分かりません。もし、堆肥などで生育過程の養分の全てを賄おうとすると、どんな養分がどれだけ入っていて、どのようなタイミングで効くのかといった効果が安定しないし、水田なので追肥も難しくなります。全国的に見ると有機栽培を謳っている農家さんもいらっしゃるようですが、私の知識や技量では出来ないと思います。

 また、化成肥料を「石油から合成している」と間違って認識されている方も多いようですが、窒素は畜産の過程で、リン酸はリン鉱石から、カリも鉱石から抽出しているので、石油から作っているわけではありません。むしろ、どのような成分をどれだけ入れたのか、どのぐらいの速さで効くのかなどが計算できるので、化成肥料は使い勝手が非常に良い肥料です。また、ケイ酸などの土壌改良剤も貝殻やサンゴが分解した地層から抽出していますから、病気や害虫を寄せ付けない骨太な稲を育てるには、率先して使うべきかと考えています。

 昨年は、試しに有機化成(有機肥料をペレット状にした資材)を使ってみました。しかし、肥料の効かせ方(稲の生長に合わせて効かせたい時と効果を切りたいときのタイミングをはかる)という面で、少し使いにくい気がしています。

 また、私の場合は、今までたまたま本田農薬不使用で作ってこれましたが、突発的な病害虫に襲われた時は、農薬を使わないという選択はできないかと思います。

 また、籾の段階で殺菌剤が使われていたり、藁を腐食させる資材の中に農薬の成分が入っていることもありしますから、何から何まで完全に無農薬で稲作をするというのは、かなり難しいかと思います。

 一方、乾燥についても、昔は乾燥機にかけると灯油の匂いがついたりしたこともあったようですが、現在は技術が進歩していますから、そのようなこともありませんし、乾燥機によって玄米の品質が下がることもありません。むしろ、稲架け(はぜかけ)で中途半端に乾燥が甘いと、虫が付きやすくなったりカビが生えやすくなったり、かえって品質の劣化を招きます。ただ、乾燥機にかけると余分に手数料を取られるので、私の場合、しっかり天日干ししてから籾摺りにかけています。

 そのようなことから、私自身、潔癖に無農薬や有機栽培を目指しているということではありません。稲本来の力を引き出してあげることを優先し(経費的にも)農薬や肥料の使用は少ない方が良いという程度の認識です。

 感想・Sさん達の場合、2キロで1000円と、協定しています。あくまでも副業的にやっているのだと思います。

2、第3世界ショップからの回答

 予備的説明・第3世界ショップは、私(牧野)の記憶では日本における「フェア・トレード」の草分けではないか、と思います。片岡勝さんが始めたのだと思います。私はその初期からの購買者です。只の購買者ですが。

 昨年(2013年)秋、その運動に参加している若者たちの作った「はぜかけ米」のチラシが届きました。もう売り切れたそうですが、今回のSさんの考えについてどう思うか、問い合わせました。すると、その米の購買者に同封された「僕らの米作り奮闘記」(2年目の挑戦)のコピーが送られてきました。それをそのまま、写真は除いて、文章だけ転載します。

──楠クリーン村〔山口県宇部市にある第3世界ショップの活動拠点の1つの名前〕・米生産担当のFです。この度は『僕らの作ったはぜかけ米』をご購入いただき、ありがとうございます!

 私たちのはぜかけ米は11月初旬、やっと収穫を終えました。「ほかの米より遅いんじゃないか?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、『はぜかけ』でじっくり天日干しをしたためです。

 さて、今年も栽培に農薬を使わず、自家製堆肥のみ使用し、こだわりのおいしいお米を作るため、多くの手間と情熱を注いできました。召し上がっていただく方に、私たちのこだわりやおいしさの秘密を知っていただければ幸いです。僕らの『米作り奮闘記!』ぜひ、ご覧下さい。

①土作り(1月~3月)
 米の1年の始まりは冬の土作りからです。堆肥の量は2トンダンプ3台分! 今年は楠の牛の糞から作った自家製堆肥です。広さは5000平米、山のように盛られた堆肥をムラのないように撒くため、トップカーに積んで撒布します。

②苗作り(4~5月)
 私たちの米作りは、ここからが病気・害虫との戦いです。籾(もみ)の温湯消毒→籾乾燥→苗箱消毒(エタノール&天日干し)→苗箱へ種蒔き→苗の水やり→・温度管理を徹底し、田植えまでの3週間は気の抜けない作業が続きます。

③田植え(6月)
 田に水を引き、トラクターで土と混ぜ合わせます。モグラが穴を空け、水が流れ出ないように、畦(あぜ)に泥を塗り固めるのですが、これも手作業! 水を含んだ泥はとても重く、手や足の動きを阻みます。そして、いよいよ田植えです。今年はうるち米(餅米ではない普通のお米)を機械植え、餅米を昔の手法を用いた手植えで植えました。

④雑草取り(6~10月)
 雑草取りは米作りをする上で最も重要な作業の1つです。草に行く分の栄養を稲に与え、風通しを良くし、日光の恵みを十分に与え、病気や害虫に負けない強い米にします。

 そうは言えども夏の炎天下! 伸びた草を腰をかがめ、手で一つ一つ抜き取る作業はとても堪えます。草は1度抜いてもひっきりなしに生えてくるので、5~10月の間は毎月、稲の間の雑草を取り続けるのです。

⑤刈り取り・はぜかけ(10月)
 穂が垂れ、田が新緑から黄金に染まる頃が収穫の合図です。今年は田んぼの裏山からはぜかけ用の竹を切り出すことから始めました。地域の竹切り名人にご指導をいただきながら、数人がかりで竹を切り倒し、節を落とします。長いもので1本20メートル・約80キロの竹を2人で神輿のように肩に担いで田んぼに運びます。

 根本から稲を刈り取り、「はぜ」と呼ばれる竹で作った棚にそれを掛け、天日干ししてゆきます。刈り終わった田に「はぜ」を作ってゆくのですが、これが難しい! 支柱のバランスが悪かったり、ヒモが緩いと、はぜ掛けの後に折れたり倒れたりします。

 はぜかけの利点は、稲穂のまま(籾だけを切り離すのではなく)天日でじっくり時間をかけ、米を乾燥させることにあります。稲は茎にも栄養が蓄えられており、それが約20日かけて、ゆっくり米の中に行き渡るのです。そして、自然の温度と日光によって乾燥させるので、米を痛めてしまう高温の機械乾燥に比べ、米の風味、食味が格段にますのです。

 たわわに実った稲をはぜ掛けしてゆく様子に豊かな秋の実りを感じ、出来たはぜが並ぶ風景は、絶やしてはいけない日本の風物詩です。

⑥脱穀・籾摺り(11月)
 はぜかけを終えて待つこと約20日。米が乾燥する時期を見て、脱穀を行います。今期は台風や大雨などではぜかけ棚が倒れてしまい、掛け直しをしました。しかし、それ以外は晴れも多く、順調に乾燥していきました。

 脱穀ははぜかけ棚から下ろして、一束ずつ脱穀機にかけt行います。田んぼで脱穀を終えたら、楠クリーン村で籾摺り機にかけて、籾摺りをしていきます。無事に玄米として米袋に入ると、ようやくお米の収穫は終わります。

 田んぼに残ったワラも集めて、楠クリーン村の牛に食べてもらいます。そして、牛たちから出来る牛糞堆肥を田んぼに施して、来年度の米の豊作に備えます。

 僕らの「米作り奮闘記」いかがでしたでしょうか。おいしいお米を作っている現場に生き生きした様子を感じていただければ幸いです。1年で最も多く口にするものだからこそ、これだけの手間を掛けても「おいしい!」と胸を張って言える米作りがしたい! そして、もっと多くの人に私たちの活動を知っていただくため、米作りの挑戦はまだまだ続きます。(引用終わり)

 感想・第3世界ショップではこうして作ったお米を2キロで1400円、10キロにすると7000円で売っています。10キロで3000円以下のお米もスーパーなどでは売っている時代に、これを「高い」と思うのは普通かとも思いますが、値段は品質と比較して考えるべきですから、「安い」という評価もあると思います。

 私の知りたい点は、「この値段で世間並みの生計を立てて行けるのかな」という事です。まだ始まったばかりですから、今後大きくなって行くのか、見守るつもりです。

 参考サイト・第3世界ショップ

3、みすず農場からの回答

 予備的説明・秋田県の大潟村のみすず農場からは、もう随分長いこと、お米を取っています。大凶作で日本中が困った時も、世間では2倍に値上がりしていた時でも、みすず農場では約1割の値上げで済みました。そういう試練を経て、今の関係があるのだと思っています。回答は以下の通りです。

──最初にみすず農場の事を話します。牧野さんには20年以上もの長い間お付きあいいただいておりますので、ご理解頂けると思います。

 日本が農薬や化学肥料を使用するようになってから50~60年位しか経っておらず、私が大潟村に入植した45年前は「現代農業」と言って、農薬や化学肥料を使うことが、先進的な農業だと考えられていました。

 ところが様々な問題も起きてきて、その頃立ち上げられた「日本有機農業研究会」に入会し、いろいろな方と出会う中で勉強し、実践する様になったのです。その頃大勢の人手を掛けての草取りは珍しく、奇人変人と言われましたが、確固たる思想がありましたから、気にしませんでした。稲作りも野菜作りも同じことが言えると思いますが、百姓百色で、栽培に向き合う農家の心次第で随分違うと思います。

 前書きが長く成りました。有機栽培は「JAS有機」で、「同じ土地に3年以上農薬も化学肥料も撒かず、なおかつ近隣からも流れ込まない農産物」と認識しております。

 無農薬とは、農薬関係を一切撒かずに栽培しますが、一年更新の農産物と認識しております。

 みすず農場では田植え後の追肥は一切行いません。ですから収穫量は2~3割程少なくなりますが、稲と稲のすき間が多く、病気や害虫もあまりつかないという状況をつくっています。さらに、全面積に化学肥料は以前から使用しておらず、ペレット状にした有機肥料を使用し、無農薬栽培をしています。乾燥は、乾燥機を利用しています。

 いずれにしても、手間暇のかかることで、信念がなければなかなかできる事ではありません。簡単に概略だけですが、もっと知りたいことがありましたら質問して下さい。(引用終わり)

 説明・みすず農場では奥さんと一緒に始めた夫君は大分前に亡くなっています。今では息子さん夫婦が中心になって経営しているようです。多くの社員(?)を雇っていると思います。何しろ面積が半端ではありませんから。

 値段的には、ササニシキ玄米10キロは5880円、あきたこまち玄米10キロは5040円です。
 参考サイト・みすず農場

4、これらを読んでの牧野の感想

 Sさんの意見を聞いて、又他の人達の考えと実践を知ることが出来て、好かったと思います。お酒の表示でも「純米酒」とか「米だけの酒」とかいろいろあるそうです。先日、日経新聞に詳しい解説がありました。

 大切な事は、生産者は正直に的確な情報公開をし、説明することでしょう。そして、消費者は、こういう問題に向かう「自分の姿勢」を自分で決めて、一貫した態度で立ち向かうことだと思います。どちらの側も、感情的にならずに、冷静に話し合う「まともな社会人」であってほしいと思います。参考ブログ記事・議論の認識論

 私は、第1に、生産者が正直に報告しているか、第2に、前向きに努力しているか、を見ます。この2条件が満たされれば、すぐに完全無欠を要求するような事はしません。

 第3世界ショップでも、大潟村との関係でも、貴重な経験をさせてもらいました。今又、近所の棚田の人達との繋がりが出来始めましたが、ここでも好い関係が築けることを願っています。

5、Sさんの2度目の発言

 Sさんから以下のような意見が寄せられました。

         記

 私は元々農家ではありませんが、15年ほど前から山の中の棚田を借りてお米を作っています。まだまだ勉強中の身ですので詳しいことは分かりません。

 私は無農薬や有機栽培や稲架け乾燥にこだわっているというより、
① 美しい棚田を少しでも残したい。
② 基本的な稲作農法を覚えたい。
③ 自分の食べる物は自分で作りたい。
 といった思いから始めました。しかし、長く続けているうちに、なるべく農薬を使わず、なるべく自然に近い肥料で、乾燥も天日で…という方法を心掛けるようになったというのが実際です。

 話は飛びますが、我が国も昔(戦前)は国民の大多数が農民でした。しかし、今や農業で生計を立てている人は就労人口の数%以下といわれます。しかも今では農業者の半分近くが70歳以上の高齢者で、農地を持っている家でも、息子や孫は農作業を手伝ったこともない、というのが現実です。言い換えれば、このままでは作物を育てるという技術も継承されずに消えてしまう。それが現代の日本の姿だと思います。

 最近はよくTPPだ中間管理機構だ農薬混入事件だと、農や食に関わる問題が毎日のように報道されています。が、間違えていただきたくないのは、制度や仕組みを変えたり、お金を投入したりしても、誰か動く人(田畑を耕す人)がいなければ日本の農業も、食の安心安全も守られないということです。そういう意味で、小さなことかもしれませんが、私は自分で実践しようと思っているだけの者です。

 15年もやっているとは言いつつ、最初の10年は農作業や田んぼの管理を覚えるだけで、「農法」について意識が芽生えたのはここ数年です。ですから、正確に表記すると、私が実践しているのは「移植後農薬不使用」です。

 有機栽培については、有機物をペレット状に固めた有機肥料を使っているものの、完全な有機栽培ではありません。私のように元々非農家で、サラリーマンをやりながら田畑を耕している者にとって、土日の余暇の時間だけで、自前で堆肥を作ったり、肥効(肥料の効き方)を確認しながら細かい管理をするのは非常に困難です。

 堆肥だけで生育過程の養分の全てを賄おうとすると、どんな養分がどれだけ入っていて、どのようなタイミングで効くのかといった効果が安定しないし、水田なので追肥も難しくなります。全国的には完全有機栽培を謳っている農家さんもいらっしゃるようですが、やはり、私のよう自給的農家を目指す程度の「にわか百姓」の技量では難しいのが現実です。

 また、化成肥料は全て石油から出来ていると誤解されている方も多いようですが、リンやカリは鉱石から抽出していますし、窒素分も有機質や畜産の残渣から抽出している肥料もあります。むしろ、どのような要素をどれだけ入れたのか、どのぐらいの速さで効くのかなどが計算できるので、私としては、市販の化成肥料は非常に使い勝手が良いものと認識しています。

 もちろん、農薬や化学肥料を推奨しているのではありません。しかし、農業の歴史において、農薬や化学肥料の果たしてきた役割は非常に大きいと思います。戦後の食糧難や世界的な飢餓のことを考えたとき、農薬や化学肥料が無かったら、今の社会は有り得たでしょうか。そういうことから目を背けて、農薬や化学肥料は「悪」というような宣伝文句には賛成できません。

 それよりも私は、日本の国土では欠乏しがちな、ケイ酸などの土壌改良剤をしっかり入れて、病気や害虫を寄せ付けない健康な稲を育て、なるべく農薬を使わずに済むような、過剰に肥料を投入しなくても済むような栽培を心掛けてはどうかと思います。

 先日、ある棚田の会合で「棚田は完全無農薬ではないのか?」「完全有機栽培じゃないなんてガッカリだ!」などと怒っている一般の方がいらっしゃいました。ガッカリするのは勝手ですが、作物を育てたこともないのによく言うなぁ…と思います。

 私も今までは、たまたま移植後農薬不使用でやってこれましたが、突発的な病害虫に襲われたとき、農薬を使わないという選択ができるかどうか、自信はありません。

 それに、籾の段階で殺菌剤が使われていたり、育苗培土の中に僅かに化学肥料の成分が入っていたり、藁を腐食させる資材の中に農薬の成分が入っていることもありますから(今は空から放射能が降ってきてしまうような時代ですから)「何から何まで潔癖に無農薬、有機栽培でなければ受け付けない」というのも、どうなんでしょう?

 一方、乾燥についても、昔は乾燥機にかけると灯油の匂いがついたり、品質が悪くなることもあったようですが、現在は技術が進歩して、かなり改善されています。人によって味覚も違うし、許容範囲にも個人差はありますが、最近は市販の安いお米でも、匂いや形質が悪くて食べられない、なんて粗悪品に出会ったことがありますか?

 むしろ、稲架けでも中途半端に乾燥が甘いと、虫が付きやすくなったりカビが生えやすくなったり、かえって品質の劣化を招きます。ただ、乾燥機にかけると余分に手数料を取られるので、私の場合、しっかり天日干ししてから籾摺りにかけるようにしています。

 そのようなことから、私自身、潔癖に無農薬や有機栽培を目指しているのではなく「経費的にも農薬や肥料の使用は少ない方が良い」というのが本音です。それよりも、「サラリーマンをやりながらでも自分の食べる物くらい自分で作れるんだよ。非農家でも自給的農家(兼業農家)になれるんだよ」ということを多くの人に知ってもらい、自分にも、自然にも、懐にも「やさしい農業」を広めていけたら…と思っています。

 説明・Sさんのやり方を知って、同じようにやりたいという人も少し出てきているそうです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする