マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

言いやすい人に言う

2013年11月28日 | ア行
 先日、NHKの教育テレビで、母体保護法(旧・優生保護法を改めたもの)の発効(1996,09,26)を契機に、「命の質を選べるか」という番組が放映された。2日連続の番組の2回目である。その中で、妊娠中絶に関して、女性の体のことは女性自身に決定権があるとして、「女の自己決定権」を主張する意見があった。私はこれを聞いて少し疑問をもった。

 なぜ妊娠中絶をしたいと思うのだろうか。その理由としては、大きく分けて、次の4つが考えられる。①強姦などによる不本意な妊娠の場合、②避妊したかったのだが、避妊が出来なかった場合、③避妊したのだが、失敗した場合、④産むつもりだったが、後に考えが変わった境合、である。さて、この4つのパーセンテージを考えてみると、②の場合が圧倒的に多いのではあるまいか。①も③も④も、ゼロではないだろうが、非常に少ないと思う。

 そうすると、次に、②はなぜ起きるのか、という問題になる。それは、女性が避妊を希望したが、男性が受け入れなかった場合と、そもそも女性が何らかの理由で避妊の希望を男性に伝えなかった場合である。ということは、この段階で「女の自己決定権」が通っていないということである。

 さて、そうだとすると「女の自己決定権」を通す場合が2つあることになる。そして、前者(避妊)の方が根本である。なぜなら、前者があれば、後者(妊娠中絶)はほとんど問題にならないからである(ほとんど、というのは、①③④の場合があるからである)。そうすると、テレビに出てきた女性は、前者の「自己決定権」にはほうかむりして、後者の「自己決定権」だけを声高に叫んでいることになる。なぜこういう不公平な事をするのだろうか。多分、それは前者の方が言いにくいからであろう。個人としての主体性をより強く要求されるからであろう。私はこれは非常に卑劣な事だと思うのである。

 しかし、世の中にはこういう事はとても多いと思う。学生に書いてもらう援業のアンケートを見ていても、これを感じることがある。私に対して個人的な反感を書いてくれる人がいるのである。あるいは、理由も挙げずに、「お前の授業は、予備校の素晴らしい授業に比べて全然魅力がない」と書いてくれる人がいるのである。こういう事を書く人は、たいてい、次の授業から出てこなくなるから、成績もつかないのだが、たとえ出たとしても、又勉強が出来たとしても、私は成績を付けないつもりである。これを少し論じたい。

 私の授業を全否定する学生は他の授業に対してはどういう態度を取っているだろうか。多分、どんなお粗末な授業に対しても、何も言わないだろう。なぜなら、ほとんどの教師はアンケートを取らないし、まして悪い教師は取らないからである。すると、この学生は、アンケートを取る教師には勝手な事を言い、アンケートを取らない教師に対しては文句があっても言わないということになる。これこそ卑劣な態度ではなかろうか。

 民主的人間関係の第一原則は「公正」ということである。私の授業がどんなにお粗末なものであるにしても、少なくとも、年度の途中で何度もアンケートを取って生徒の意見を聞いているという点で、私は公正さの最低条件を満たしている。逆に、この点すら評価せずに、アンケートを取る「言いやすい教師」には言うい、言わせない教師には言わない学生の態度は、最も不公正である。だから、私は、このような人を自分の生徒とは認めず、成績を付けないのである。

 ついでに、それでは、すべての悪い教師に対して公平に批判しているならよいかという問題を考えたい。私は、それでも不可にする。なぜなら、その学生と私との間に最低限度の師弟関係すら存在していなかったと思うからである。私が授業の一環として取るアンケートは、師弟関係を前提した上での話し合いであり、微調整である。だから、それは「より良い授業のために」と題されている。

 もし、教師が根本的に悪いとか、或る教師の授業がおよそ大学の授業と認められないというなら、学長か学部長に訴えるべきである。もちろんこういう窓口を設置している大学はなく、それは大学が根本的にはまだ民主的でない証拠である。しかし、それは私の授業の責任ではない。

 大学の授業とは認められるが自分は嫌いだというなら、実はこういう類の批判が多いのだが、その場合には、自分でその授業を辞めるしかないだろう。

 人間には間違いがある。しかし、間違いを直すにも正しい方法がある。二人以上の人間が集まれば意見の違うのは当たり前である。だから、意見が違った場合の処理方法を確定し、常々改革していく必要がある。今の日本の学校の根本的な欠点は、教師には間違いはないと暗黙に前提して、教師に問題のあった場合の是正方法を作っていないことである。そして、人間関係に疑問を感じた場合にどう処理するのが認識論的に正しいかを考える授業が、必山修科目になっていないどころか、そういう授業が一つも無いことである。
(1996,09,28。雑誌「鶏鳴」第141号から転載)

付記

 あまり好い例でもなかったと思いますので、一般論として説明し直します。要するに、「言いやすい人に言う」という事は、正確に言い換えますと、「言いやすい人にだけ言う」という事であり、更に正確に言い換えますと、「言うべき人には言わないで、言いやすい人にだけ言う」という事です。

 「言うべき人に言わない」のは「義を見てせざるは勇なきなり」と言われますように、大きな悪であり、「言いやすい人にだけ言う」のは、内容的に間違っている場合は論外として、内容的に正しい指摘だとしても、せいぜい「小さな善」でしかありません。従って、「言うべき人には言わないで、言いやすい人にだけ言う」という事は、「大きな悪」を隠すために小さな善をする事であり、正真正銘の偽善です。

 大学での最後の年、或る学生が私の小さな間違いを捉えて指摘してくれました。この学生はこう言う事を何回かしてくれました。批判すると、「先生が間違っているから指摘したのだ」ということでした。私は、「まず学長の大学運営を批判的に検討するのが、学問的に正しい順序である」と述べました。他者の間違いだからといって、何でも指摘して好いという事にはならないと思います。

 最近は、我がブログへの批判的なコメントを公開するか否かの基準を厳しく考えるようになりました。コメントを投稿したが載せられなかったという方は、自分の牧野批判が本当に公正だろうかと、今一度反省してみて下さるようにお願いします。

    関連項目

偽善

議論の認識論

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論争(直接的勝敗と歴史的勝敗)

2013年11月20日 | ラ行
 鶏鳴学園大学の哲学演習で、哲学は個別科学に方法を与えるものなのかということが問題になった。その時、それを主張した一例として武谷三男氏の論文「哲学はいかにして有効さをとり戻しうるか」(1964年)を取上げた。この中で氏がルイセンコの遺伝学と獲得形質の遺伝を高く評価していることを知り、中村禎里氏の『ルイセンコ論争』(みすず書房、1967年)を読んでみた。そして、それによって、先の武谷論文には山田坂仁氏の批判があり、それが「哲学の有効性論争」と呼ばれていることを知った。幸い都立中央図書館に山田氏の論文集『思想と実践』(北隆館、1948年)があるのを知り、取り寄せて読んでみた。

 たしかに哲学を科学方法論として、科学研究にただちに役立つ物差しを与えてくれというような武谷氏の哲学観は正しくない。それにくらべれば、山田氏のように、「哲学は個別科学の知識を概括し、全体としての世界の相互連関や発展法則に関して統一的な表象を提供しようとする」(前掲書120頁)という考えの方が上である。どちらの論文も非論理的で大したことはないが、あえて是非を論ずれば、哲学観では山田氏の方が正しいと思う。この意味で、この論争では「直接的には」山田氏が勝ったと言える。

 しかし、それにも拘らず、武谷氏の名声は山田氏のそれより高く、現に、武谷氏の前掲論文は現在購入できるのに、山田氏の本は図書館にしかない。これはどういうことだろうか。

 武谷氏は哲学が有効な方法を与えてくれないと文句を言ったが、それを理由にして何もしなかったのではなく、自分でその方法を発見して物理学の進歩に貢献した。素粒子論の集団研究のみならず他の分野の科学者をも集めた集団研究も組織して、科学の発展に寄与した。それだけではなく、その専門の知識を武器にして大衆運動、特に原水爆禁止運動や原発反対運動に協力した。それに比べると山田氏は自己の哲学観を実行して何らかの分野でポジティヴな成果を挙げるということがなかった。その意味で、長い歴史の観点からは武谷氏の方が山田氏に勝ったと言える。

 真理をめぐる争いにはこのように直接的勝敗と歴史的勝敗があるようである。この2つがくい違うこともあれば一致することもあるだろう。直接的勝負は言葉の表面上の意味で決着がつく。歴史的勝負は歴史の提起している問題にどういう立場からどれだけ深く取り組んだかで決まる。(1986年1月15日)

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「文法」のサポート、詳細索引・前綴り

2013年11月18日 | サ行
806──分離前綴と非分離前綴
886──単回遂行相の表現手段

1144──前置詞の追加詞と分離前綴
1438──分離前綴の先置
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「文法」のサポート、詳細索引・kaum

2013年11月15日 | サ行
218──kaum, dassの構造
238──「~するや否や」の構文
247──「~するや否や」の構文

1195──kaum noch
1213──kaum jemals
1216──weniger .. kaum
1359──kaum zu überbieten sein

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「文法」のサポート、詳細索引・nicht

2013年11月13日 | サ行
130──2つの副文に掛かるwenn nicht
131──nichtを一方にのみ掛ける場合
136──変則的定形後置でのnichtの位置
218──Nicht, dassの構造

249──「暗くならない前に」
356──nichtの語源
540──nichtは形容詞の前でも形容詞の補語の前でも好い
834──nichtはzu不定句の中に入れる。

951──変則的定形後置でのnichtの位置
1046──副文内のnichtの位置

1063──Es fehlte nicht viel
1124──因由の副詞とnicht

1173──否定の表現
1173──nichtの位置(総論)

1178──Nicht, dassの構造
1221──間投文のnicht
1306──dass ... nicht
1389──nicht möglichの発音

1444──否定詞の移動(notのせり出し)
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日本語の海外への普及の前提

2013年11月11日 | ナ行
 2013年8月20日、 読売新聞が「日本語を海外に普及させよう」という主旨の社説を発表しました。まず、それを引きます。

──日本語を海外に普及させ、国際社会での日本の存在感を高めたい。

 外務省の有識者懇談会が、こんな報告書をまとめた。政府は、日本語普及策として予算化を検討する。報告書が求めるのは、海外の若者が容易に日本語を学べるよう環境整備を図ることだ。

 漫画、アニメ、ファッションなど「クール・ジャパン」が世界の若者の心をとらえている。こうした状況を積極的に生かそうという狙いは、的を射ている。具体策として、インターネット上に初学者向けの講座を開設することなどを挙げている。情報技術(IT)の活用は欠かせない。日本語海外普及の中核的組織である国際交流基金が現地での教師養成を目的として行っている専門家長期派遣事業を、拡充することなども提案している。

 こうした政策によって、日本語を学ぶ外国人が増えれば、日本への理解は深まり、知日派、親日派の層も厚くなろう。海外進出が増加している日本企業が、現地で日本語を話せるスタッフを確保する面でも役立つに違いない。

 外務省が、日本語普及策を検討する背景には、海外での日本語熱が冷めてきたことがある。日本語を学ぶ外国人は、この30年余りで約30倍に増え398万人に達したものの、近年、学習者の伸び率は鈍化している。インドネシアなど東南アジア諸国ではなお増加傾向にあるが、韓国、英国、カナダなどでは減少している。

 海外の日本語学習者の半数は、中学・高校で英語に次ぐ第2外国語として日本語を選択している生徒たちだ。最近、中国語にシフトするケースが急増している。経済成長の著しい中国の魅力が高まっているのは、確かだろう。だが、それだけではない。中国は、孔子学院など、政府系機関を世界各地に配置し、中国語教育や教材提供、教員育成に力を入れている。特に初等教育では、海外の学校関係者を本国に積極的かつ大規模に招いている。米国でも中国語に押されて、一部の大学や小中高校で日本語講座閉鎖の動きがある。

 報告書は、海外での日本語教育機関が教師を十分確保できていないことが「日本語普及推進の大きな足かせ」だと強調した。日本への留学や日本企業への就職など、日本語学習のメリットを提供できていないとも指摘している。

 政府は今回の提言を踏まえ、日本語普及への戦略を抜本的に立て直してもらいたい。(引用終わり)

 考えた事を書きます。

 この社説の主要点は次の3点でしょう。①日本語を海外に普及させ、国際社会での日本の存在感を高めたい。②海外での日本語熱が冷めてきた。中国語に乗り換える傾向がある。③国としての支援策を。

 ①の認識にはもちろん賛成です。②はこれを考えるための事実確認です。そして、③が結論です。しかるに、③の結論は安易に過ぎると思います。②の「関連事実の調査、検討」が不十分だと思います。これはここに述べられている限りはその通りでしょう。しかし、この問題はもう少し、詳しく検討する必要があると思います。

 このままだと、外国、特に中国のやり方を学んで「金を出して支援せよ」という結論しか出てきません。実際、そういう主張をしているのだと思います。

 私は、他国より優れたやり方で日本語の普及をするべきだと思います。そのためには、外国人への日本語の普及ではなく、日本人を含めたすべての日本語学習者における問題を考えるべきだと思います。私見によれば、それは、「包括的で体系的にまとめられた日本語文法書がないこと」と「本当の日本語辞典がないこと」、です。

 第1点は、換言するならば、お粗末な橋本文法が生き残っているということです。現代日本語文法は中学校の国語の時間に教えられる事になっているようですが、それは、内容的には、「橋本文法」と呼ばれるものです。これは非常に評判の悪いもので、学界では別の文法がいくつも提案されているようです。しかし、学習指導要領では採用されていません。なぜでしょうか。代案と言うには、日本語文法の全体を覆っていないからだと思います。

 確かに、時枝文法や三上文法には支持者も沢山いるようですが、時枝にも三上にも「包括的で体系的にまとめられた日本語文法書」と言えるものはありません。それに対して、橋本文法は「とにもかくにも」全体(と思っているもの)をカバーし、「体系的」と言えるにはほど遠いものですが、「ともかく」まとめています。

 外国人に日本語を教えている教師たちの間では三上文法の人気が高いそうです。しかし、三上文法を「包括的体系」に纏めようとする試みはまだないようです。私はかつて三上文法の後継者である金谷武洋にメールを送り、「出来たら文通したい」と申し出て、OKをもらいましたが、この件について「金谷さんこそが適任だ」ということを述べたら、返事が来なくなりました。

 初めから「完全無欠な文法書を」などと不可能な事を求めているわけではありません。学問というのは、常に、「その時点で分かっていること全部をまとめつつ」進まなければならないのです。こういう根本が理解されておらず、追求されていない事が問題なのです。一番好い例を出します。メンデレーエフの周期律表です。あれは「欠陥」だらけでした。しかし、「当時分かっていた元素を、皆、集めて一覧表にまとめた」からこそ、法則があるらしいと分かり、欠けている箇所の元素の「推測」が出来、その結果、新元素の発見が促進されたのです。学問というのはこういう物です。これ以外は、「単なる知識」でしかありません。

 「本当の日本語文法」と主張されるものはいくつ出てきても好いと思います。歴史の審判が「どれが本物か」を決めるでしょう。国や文部科学省は出しゃばるべきではありません。読売新聞社が旗を振ったらどうでしょうか。

 「本当の日本語辞典」についても同じです。これはアイウエオ順に並べればよいのですから、「体系化の仕方」についての問題はありません。しかし、個々の語についてどういう事をどういう風に記述すればよいのかは大問題です。しかし、この点は既に別の機会に私見を発表しましたから、それを読んでください。リンクを貼っておきます。

 最後に、大新聞社の論説委員がこういう観点を持っていないことが嘆かわしいです。中国のやり方をまねたりする以外の考えを持っていないとは、日本語の現状をまともに観察していない証拠だと思います。本当の問題はここにあるのかもしれません。

     関連サイト

真日本語辞典を
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「文法」のサポート、詳細索引、目的と目的語

2013年11月08日 | サ行
126──文頭のdas(目的語)の省略
336──目的2格
360──自動詞と4格目的語
412──目的2格

539──形容詞の補語(目的語)
684──普遍妥当命題での目的語の冠詞

810──4格目的語の省略
812──省かれた目的語
827──不定句は助動詞の目的語である
835──形容詞の目的となるzu不定句

842──目的表現のum zu-Inf.の曖昧さ

893──目的語のdasの位置

980──物や事の目的を表現するsollen
987──物や事の目的を表現するsollen
1014──(主語となった)物や事の目的を表現するwollen

1032──目的を表わす接続詞damit, auf dassと接続法

1446──2つの目的語の順序
1450──目的語の繰り返し
1458──目的語の強調的先置も可能

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「文法」のサポート、詳細索引、selbst

2013年11月07日 | サ行
328──A des B's selbst
818──Sein Vater liebt ihn selbst
824──再帰代名詞+selbst

1307──selbst wenn
1317──「~でさえ」のselbst

1414──「○○そのもの」のselbst

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「文法」のサポート、詳細索引、動作名詞

2013年11月05日 | サ行
257──不定句の凍結的名詞化との違い
284──動作名詞の2つの性格

334──動作名詞の主語の表し方
336──動作名詞の目的の表し方
338──3格支配の動詞から出来た動作名詞

343──日本語における「動作名詞の主語と目的語の表現」

654──動作名詞に付いた不定冠詞
660──動作名詞に定冠詞の付く場合
732──im+動作名詞の用法(進行形、同時性)

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