マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

橋爪大三郎批判、その二(東谷 啓吾)

2022年08月03日 | サ行
橋爪大三郎批判、その二
-「社会学」の宗教理解における観念論性(後半)

3、社会科学の方法上の欠陥

 経験的な領域に議論を限定する「社会科学」が一面的であるということは、その歴史認識の方法を見れば如実に分かります。
 橋爪は多くの日本人が「宗教なんかどうでもいい」と思っていると断定した上で、その理由を次の論理で説明します。「本来、宗教というのは人々の間に調和や安定、団結を作り出すものである。しかし、その『団結』によって、時の政治があまりにもひどいと、反政府運動を引き起こす。日本は戦国時代に一向一揆などでそれが起こり、この流れを受けて為政者は仏教の腐敗・堕落キャンペーンを広めた。だから以後、現代に至るまで日本では宗教の地位は低いままである」、と。

 ここには二重の誤まりが存在します。
 まず、反政府運動が起きたから仏教は弾圧を受け、だから日本では宗教の地位が低いのだ、と単純な因果関係で歴史を説明してくれますが、こういう「社会科学的」説明は、人間の営みの総和としての歴史を世界史的な規模で類比的に捉えることをしない、無知にすぎません。「仏教」の弾圧を直接「宗教」の地位の低さに繋げる論理的飛躍には目をつぶるとして、こういった種の弾圧というのは、ことをキリスト教世界に限っても、2~3世紀のローマ帝国による原始キリスト教への弾圧、16世紀ドイツの農民運動に対する諸侯の弾圧等々、キリスト教ヨーロッパにおいても歴史上いくつも起っているわけです。にも関わらず、ヨーロッパでは「宗教の地位は高い」。上の論理ではこの事の説明がつきません。両者の歴史上で類比的に捉えうる弾圧がある時に、一方で日本では宗教の地位が低く、他方でヨーロッパでは正反対になっているのは「何故」か、というこの問いを説明することから全体的な認識に進むところです。しかし橋爪が行っているのは、歴史の中から一方だけ説明できそうな事実を持ってきて、「AだからB」と言っているに過ぎません。

 このように「経験的な領域に議論を限定」してしまう「社会科学」は、所与の事柄について、その新聞記事的な意味での「客観的」な事実を組み合わせることで事足れりとします。従って、それでは人間の営みの全体的な総和である歴史現象を時代や場所を超えて類比的に全面的に捉える問題意識には到達できず、歴史の一面、しかもごく皮相の一面において分かったつもりになり、その一面があたかも全体的な真理かのように説明されます。しかし、部分的な真実に過ぎないものを全体的真理かのように振り回すのは虚偽でしかありません。それは現実を正しく認識することを妨げます。

 また、そのような「社会科学」の姿勢は「宗教というのは人々の間に調和や安定、団結をつくり出すものなのです」という断定にも出ています。たしかに、宗教教団なり宗教的組織は表立っては調和や安定、団結を強調するでしょう。しかし、その人が自分たちをどう表現しているかということと、その人が実際にどうあるか、どうなっているかはしばしば異なるので、その「調和」や「安定」、「団結」といった観念が、上のパウロの例のように、個々の歴史の場において、どのように働き、どう作用しているかを見ていく必要があります。そして、それを見ていれば、様々な歴史的な条件や状況によって、同じ宗教現象でも多種多様なひろがりを持つものなので、宗教という歴史現象をいくつかの観念に直対応させて結び付け、それを前提するなどという初歩的な間違いは犯さないはずです。

 実は、この歴史認識の基本の一つは、マルクスがすでに述べていることです。「日常生活ではどんな商人でも、ある人が自称するところとその人が実際にあるところとを区別することを非常によく心得ているのに、われわれドイツ人の歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない。それは、それぞれの時代が自分自身について語り想像するところのものを、言葉通りに信じているのである」(古在訳『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫、72頁)。これはマルクスが当時のドイツの観念論者たちに言っていることですが、それから100年以上たった現代の「日本を代表する社会学者」さんにも当てはまってしまっています。


4、観念論批判の前提としての宗教批判

 ここまでのことをまとめると、橋爪の「社会科学」は歴史認識の基本的な方法が欠落して、個々の現象を個々の観念とのみ一対一に対応させて考えることしか知らないから、一方では歴史の現象も、他方では観念の領域の様々な動きも、認識することが出来ません。

 だから氏は、仏教やキリスト教などの宗教を表看板に掲げている、狭い意味での「宗教」しか宗教現象として捉えられず、「現代に至るまで日本では宗教の地位は低いまま」などと言って平然としていられるのです。
 しかし、最近話題の「統一教会」と自民党の癒着を例に出すまでもなく、創価学会と公明党、霊友会、本願寺両派等々、日本の権力中枢に密接に絡みついている宗教団体というのは調べればいくらでも出てくるので、その時点で事実誤認ですが、この認識では、狭義の「宗教」以外の宗教的現象に対して批判的〔註・非難ではない〕に切り込んでいくことが出来ません。ここに、この種の宗教理解の危険性があります。

 つまり、そのような広義の宗教的現象を批判的に切開し得ない姿勢は、一方で「社会科学」的に物事の一面を分かったつもりになって、他方でそれでは説明しきれない部分を宗教に求めて「宗教を知ることは、人生の質を高め、よりよく生きるための手がかりになるでしょう」などと教会の説教家のような発言をしてしまう。これでは宗教を温存することにしかなりません。断っておきますが、ここで私は宗教が悪だと言っているのではないということです。前半で論じたように、宗教という現象が社会にもたらす好い側面もあるので、それを無視して宗教を無くそうと言っても無意味です。しかし、そこからよほど注意していなければ、その好い側面が同時に社会に悪い影響を与えてしまう、というのが宗教の持つ特徴でした。
 従って、我々が行うべきは、この好い面を十分に継承していきながら、意識的に宗教的現象が陥る悪い影響を克服していくことにあるはずです。そしてそれは、我々を取り囲む歴史的社会的現象において、複雑に絡み合った現実と観念の関係を、統一的に捉えていくことで可能になるので、現実と観念を固定して一面的に見ることしかしない「社会科学」のように、一方で「科学的説明」を、他方で「宗教的真理」を両手に花で、都合のよい時にそれを出したり引っ込めたりするのでは、肝心の現実の総体にはいつまでも切り込めず、結局のところ、宗教を真に克服することにはなりません。何故なら、それでは人間の歴史社会において宗教という現象がどう働くか、ということの極めて一面的な知識を単なる知識として手にすることにしか、原理的に出来ないからです。

 実に、このように「社会学者」や「宗教学者」などと称される人々が宗教に無関心な層に対して行う「宗教には科学では説明できない何か人生の奥深い真理が隠されていますよ」といった形での呼びかけ、宣伝文句は、戦後、日本の知識人たちによって幾度となく主張されてきました。しかしそれは所詮、上で見てきたような意味で観念論の裏返しとしての宗教意識でしかなく、これも又極めて典型的な観念論的認識です。従って、そのような仕方で宗教に対する関心が高まったとしても、何故人間はこれほど長く宗教を営み続けているのか、その意義と限界を正確に捉えてそれを克服していく運動などにはならず、一時の宗教ブームに終わります。

 このような宗教ブームが度々起こるという事実が、無自覚的な観念論者が知的大衆の大部分を占めるということの反映ではないでしょうか。つまり、一度立ち止まって考えてみると、「宗教現象」といえども「政治現象」や「経済現象」などと同じく、広い意味での社会的な現象の一つであり、そのどれもが人間が歴史的に営んできた営み以上でも以下でもないのです。にもかかわらず、現代的知識人、特にブルジョワ学者たちにとっては、政治現象や経済現象などは「科学的」に分析し得るのに(註。彼ら自身はそう思っているものの、この「科学」理念自体が矮小な為に、その分析も観念論的で一面的であることは、マルクスのブルジョワ経済学批判を挙げるまでもないでしょう)、宗教現象は何だか古臭くて迷信的で「科学的」に捉えられない。だから彼らは宗教現象だけは特別に「科学」と対立するものとして抱え込んでしまう。
 しかし、そのように統一的に捉えられないのは事柄の性質の違いが主因なのではなく、彼らの「科学的」な認識それ自体が観念論的であることが問題だと言えます。実際、宗教現象というのは、他の歴史的社会的な人間の営みに比べて実に顕著に、現実を歪めた形で観念に反映していくものなので、どれだけ観念論を自覚的に克服しているかがその認識の深さを決定的に左右していきます。観念論に無自覚である彼らには、自分の認識が一面的であるかどうかも反省的に捉えることが出来ないのです。
 もちろん実際には個々の現象をこれは宗教現象、これは経済現象、などというように割り切れるほど歴史は単純ではなく、それらが何重にも重なって現象したりするわけですが、原則として、宗教批判をどれだけ徹底出来ているかということが、あらゆる歴史現象を統一的な歴史認識の方法において貫けているか、他の社会的現象に対してどれだけ観念論を克服し得るか、ということの一つの指標になるはずです。

 そう捉え返した時に「宗教批判はあらゆる批判の前提である」と言われる所以が分かります。しかし、橋爪社会学の宗教理解の水準から推察するに、少なくとも日本ではまだ、宗教批判は実践的にも本質的にも終っていないと言わざるを得ません。

 このように整理してみることで、現代の日本において我々が宗教批判を展開していくことの意味が、少しは明らかになったのではないでしょうか。

(後半 おわり)

 2022年8月3日
  東谷 啓吾

橋爪大三郎批判、その一(東谷 啓吾)

2022年07月28日 | サ行
橋爪大三郎批判
-「社会学」の宗教理解における観念論性(前半)

1、はじめに

 旧聞で恐縮ですが、「News Picks」というメディアにおいて「現代人が『よく生きる』ための宗教講義」(2020年11月13日、https://newspicks.com/news/5377724/body/ )という記事があがっています。「日本を代表する社会学者」との紹介で橋爪大三郎という人物が宗教について語っているものです。事実この人物、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、2011年)という「キリスト教のすべてがわかる決定版入門書(新書一冊程度で巨大な歴史現象であるキリスト教の「すべてがわかる」などと銘打てる出版社の見識をまず疑うが...)」で20万部以上売り上げていたりと、宗教に関する講壇学者の代表格と見做されているようです。また、上のメディア自体、現代のビジネスマンをはじめとした進歩的「知識人」に多く読まれており、その影響は無視できないほどです。実際、この種の記事を読んで、宗教について分かったような気になっている日本人は少なくありません。

 最近もまた、安倍何某の件で「統一教会」という宗教組織が連日話題になっていますが、それを取り巻くメディア等々で「論者」や「有識者」を観察していると、誰一人として宗教が何たるか、その本質において捉えている人はいないと思わされるほどです。「宗教は害悪だ!」と叫ぶだけでは宗教はなくなりませんし、ましてや法律によって規制すれば宗教現象がなくなると思うなど浅薄も甚だしいと言えます。その程度で取り除けるのであれば、人類の歴史上、あらゆる時代において様々に異なった条件下で生きている様々な人間たちが、それぞれの仕方で宗教にしがみ続けてきたことの説明がつきません。宗教現象というのは、その論者たちでは想像も出来ないほどに極めて複雑多岐な歴史現象なのですから。

 しかし、彼らがその程度の宗教理解を晒すのも、根本には橋爪大三郎ら、宗教についての極めて狭小な部分的真理を我が物顔で語るイデオローグ〔観念論者〕が原因にあると見るべきでしょう。観念論者が「宗教」という観念において極めて一面的な側面を固定し、歪めて反映し、それを振りまく図がここに典型的に現れています。そして、それが「世論」というイデオロギーを作り出す一つの機能として働く、観念論の悪影響がここに出ています。

 従って、今回は橋爪大三郎の宗教理解を取り上げて観念論批判の素材の一つにしていきます。


2、宗教の意義と限界

 まず橋爪は宗教の特徴として「人間が経験できないこと(超越的なこと)も、必要ならば議論として取り込んでいく点にある」と書き、そのすぐ後に続けて、「経験的な領域に議論を限定する社会科学とは対極的」だと述べます。そもそも、人間の現象を「経験的なこと」と「超越的なこと」に二元的に分けて考え、どちらかに「限定」できるなどと思っている「社会科学」が浅薄なのですが、それはまた後で論ずるとして、宗教の特徴を上記のように規定することで、氏の一面性が露呈しています。

 宗教というのは、超越的なことを「必要ならば」議論として取り込んでいく、といった甘いものではありません。それはむしろ、徹底的に、あらゆる場面で執拗に、現実の事柄を観念的な仕方で吸い上げていく営みです。事実、その徹底性が高ければ高いほど、「偉大な」宗教として現実に影響を与えていきます。たとえばキリスト教においてその役割を果たしたのが、パウロです。

「イエスの死後、彼をキリスト(メシア)として神格化し、その『神の子キリスト』が復活したという神話的表象をめぐって築き上げられた信仰体系が原始キリスト教という実態である。当然のことながら、復活したのはイエスではなく、信者の頭の中で神の子キリストの復活が生起しただけである。そういうことだから、原始キリスト教はその出発の当初から、およそ観念的な救済宗教として性格づけられていった。そしてその観念性をこの上もなく徹底的に追求したのがパウロという男だったのだ」(田川建三『批判的主体の形成』増補改訂版、洋泉社MC新書、2009年、99頁)。

 新約聖書学者の田川建三によると、パウロ思想というものがいかに徹底した観念性を主張しているか、次の一文に表れているといいます。

「女を持つ者は持たない者のように、泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のように、此の世を利用する者は利用しない者のようにあるがよい。何故なら、此の世の形は過ぎ去るからである」(第一コリントス 7章29節以下)。

 ここでは「此の世」すなわち、現実との関わりにおいて、所有することが否定されています(古代社会では妻も所有の対象だった)。また、現実に生じる苦しみや楽しみによって泣くことも、喜ぶことも否定されています。しかしこれは、近代の共産主義思想のように、現実の社会的経済的な、複雑に絡み合った関係から「所有」を放棄して皆平等になろう、というのではありません。また本気になって、泣くことの原因である「苦しみ」や「差別」(本来肯定的な「喜び」までも否定しようというところにパウロの徹底っぷりがうかがえます)等々を現実の社会から根本的に取り除こうとするわけでもありません。もしそういうことをしようとすれば、現実の社会関係全体と闘わなければならなくなります。そのようなことは古代でも現代でも徹底しようと思えばすぐに大きな壁にぶつからざるを得ません。

 そこでパウロは「現実の否定を、本当に現実的に実行するのではなく、観念の領域においてのみ実行する」(同上、101頁)。
 つまり、この宗教思想においては、現実に存在する一切の事柄、現実に生ずるあらゆる局面に対して、それがないかの「ように」振る舞えば、現実の問題は全て解決される、と主張されます。「此の世の形は過ぎ去る」すなわち、一切の現実はいずれなくなることを根拠に、現に目の前の構造的な問題は放置され、現実は何一つ変わらないけれど、この思想にすがれば、日常生活上の苦しみや矛盾から解放されたように思える。死の恐怖からも自由になった気分になれる。そして、このように観念の領域で現実の問題を「解決」したパウロは、奴隷制という極端に人間性を収奪していく現実を露骨に肯定していくのです。

「招かれた時〔クリスチャンになった時〕に奴隷であったとしても、気にすることはない。たとえ自由になることが可能であっても、むしろ用いるがよい〔奴隷であるということをそのまま保っているがよい〕。何故なら、主において招かれた奴隷は、主の解放された者なのだ」(第一コリントス 7章21節以下、〔〕内については田川建三訳著『新約聖書 訳と註 <三>パウロ書簡 その一』作品社、2007年、283頁以下参照)。

 これは一つの顕著な例ですが、このようにして、現実の極めて複雑な実態を観念の領域に移しかえ、そこでの議論に終始してしまう強い傾向をもつのが宗教の根本的な特徴の一つです。そして、こう整理した時に、宗教の意義と限界が見えてきます。

 それは一方では、以上の例からも分かるように、宗教の出発点は現実の苦しみや矛盾を反映しているところにあるということです。そういう現実に対して、何かをしなければいけないという問題意識を持つことに、一応の正しさがあります。
 しかし他方で、それが宗教信仰である限り、その反映の仕方は何ほどか観念性の中に歪められてしまい、出発点であった変えるべき現実に戻ることなく、現実の変革という課題は彼らにとって忘れ去られてしまいます。そして、それ故に結果として、宗教が現実をずぶずぶに肯定する機構として働くことになるのです。つまり、正しさを含んでいた出発点は消し飛び、かえって現実の苦しみや矛盾を温存する役割を担ってしまう。

 このように、宗教の意義と限界の両面を正確に捉えることをしていない橋爪の意識は次のような発言に表れます。曰く「宗教は『人間が死んだらどうなるか』について、先人たちが考え抜いた蓄積が反映されている」。問題は、それが「反映されているかどうか」ではなくて、「どのように反映されているか」、ということにこそあるのです。上で展開した議論に無批判であるからこそ、橋爪は「死について正面から考えてきた宗教は、これまで生きた人びとから、今を生きる人々へのプレゼント」などと言いますが、これに至っては笑止です。「死」という観念を宗教思想がどのように扱って議論を展開していくか、またそれによって振りまく害には一切無頓着であるから、宗教思想が語る「死」についての知識を表面的に知ることだけで満足し、それを「プレゼント」などと呼んで済ましていられるのです。その「プレゼント」がいかに現実を歪め、人間を抑圧してきたか、それら一つ一つの歴史的実態を認識していれば、そんな軽々しい発言は出てきません。

 しかし、この浅薄な宗教理解は橋爪個人の問題ではなく、いわゆる「社会学」の方法自体にその真因があります。以下、それを見ていきましょう。

(前半 おわり)

 2022年7月27日
  東谷 啓吾

誰が関口存男(つぎお)を殺したのか

2022年04月03日 | サ行
誰が関口存男(つぎお)を殺したのか

 関口存男は一九五八年の七月に脳溢血で亡くなった。奥さんの死後、わずか六か月後の死だった。
 この奥さんは頭ではどう理解していたかわかりませんが、その全生活を通して、夫君が並々ならぬ大学者であり、日本の宝だと「感じていた」ことはまちがいないでしょう。だから「自分はどんな貧しさに耐えても夫のために尽くそう」と努力したようです。
 関口さんにももちろんこれは分かっていました。武士の子として黙っていただけです。
 妻の死に面して関口さんの落胆は覆うべくもなく、お見舞いに来た親友のヴィンクラーさんに Das war das Ende (一巻の終わりだ)と言ったようです。
 精神的苦しみのほかに食事その他の世話はどうしたのでしょうか。その時でももし金銭的余裕があったならば、ご子息の家族や雇の家政婦さんに頼ることもできたでしょう。実際はどうだったかは知りませんが、奥さんの死後六か月で死んだという事実がすべてを物語っています。

 関口さんは経済的に「相当苦しかった」のです。ヴィンクラーさんには「大学が冷たい」といったようなグチをこぼすような事もあったようですが、これは少しなさけないと言えるでしょう。そもそも戦前に大学と縁を切って出版社と一緒に独立してやってゆこうと決心したのではなかったのではないでしょうか。ドイツと仲の良かった戦前なら見通しもあったでしょう。しかし敗戦後の日本では事情が変わっていました。年々英語の価値が高まり、ドイツ語の需要は下がっていったのです。印税収入はドンドン少なくなっていったでしょう。
 しかしその時でも関口さんのお陰でドイツ語ができるようになった弟子たちには高校や大学に教員の口がありました。しかも一九五〇年に勃発して五三年まで続いた朝鮮戦争は日本経済に特需をもたらしました。それはその後も続いて確か一九五六年頃には「もはや戦後ではない」と言われる程の復興を遂げました。
 何を言いたいのかと言いますと、関口さんの弟子たちの収入は年々あがっていたはずだということです。そして、それにもかかわらず、NHKのラジオ講座をやりながらその畢生の大事業である「冠詞論全三巻」に取り組む恩師の姿を傍観するばかりで、「我々二十人で毎月給料の五パーセント出して支えないか?」と提案する程度の常識者が一人もいなかったということです。後は言いたくもありません。

 直弟子の一人である舛田啓三郎先生には私は都立大学時代は修士でも博士でも入試の面接試験でお会いしただけで、先生のゼミには一度も出ませんでしたが、法政大学の講師になってからは教員食堂でよくお会いしました。拙著『生活の中の哲学』を出して一部差し上げた時は葉書を下さいました。「フトンの中に持ち込んで読んでいます。これは私には珍しいことです」とありました。
 追悼文集『関口存男の生涯と業績』には「神のような人」という題で思い出を寄稿していました。
 私が「関口ドイツ語学の研究」を出して(一九七六年)お送りした時はよほどビックリもし、感激もされたようでした。上下関係にやかましい先生からお電話をいただいたのにはビックリしました。
 開口一番「これは直弟子が出すべき本だった」と切りだされたので、しばらく本の内容について話しましたが、最後に「牧野君、ありがとう」という言葉には本当に、心の底からの気持ちがこもっていました。
 舛田先生は一九三〇年生まれですから、一九五七~八年ころはまだ三〇歳にもなっておらず、前記の「直弟子の責任」を中心的に受け止めることもないと思いますし、あの本自身も内容的に大したものではありません。それに比して二〇一三年に三度の病とたたかって上梓した『関口ドイツ文法』はやはり舛田先生にお見せしたかったです。

 関口さんの仕事のやり方に戻りますと、弟子たちを集めた雑誌の編集においても、弟子の書いてきた原稿を全部自分で書き直すことも多かったと聞きます。
 それくらいなら「三年つまり三六回で全文法を一巡し、三年後にレベルアップした文法を出す」というような企画は思いつかなかったのでしょうか。その途中で「理解文法と表現文法」という枠組みに気づいてくだされば最高でした。
 関口さんは、ヘーゲルは『精神現象学』や歴史哲学は読みましたが、どうも『論理学』は大も小もお読みにならなかったようです。その結果新カント主義の悟性哲学に惑わされて「als ob の哲学」などという愚論をアチコチで披露し、「点は実在しない」などと言って悦に入っています。点は実体としては実在しませんが、機能として実在しています。
 これくらいで終わりにしましょう。

 皆さんのご意見をおまちしています。

西遠女子学園の皆さんへ

2020年07月05日 | サ行
    西遠女子学園の皆さんへ

 1,創設者母校でも募金活動(朝日新聞の記事)

 コロナ禍で苦しむ「劇団たんぼぽ」を支援しようと、創設者である小百合葉子さんの母校・西遠女子学園(浜松市中区)の生徒が募金活動を始めた。劇団もクラウドファンディング(CF)を呼びかけ、存続に向けた活動が本格化している。
 「おはようございます。募金に協力をお願いします」。5月10日朝、同学園生徒会メンバーが募金箱を持って正門と西門に立った。登校する生徒だけでなく、教職員も寄付をしていた。
 大庭知世校長は「小百合さんの行動力やあきらめない精神を知って欲しい」とブログで紹介、講話でも話した。
 募金活動を企画した生徒会の会長で中学3年の山下真央さんは「創設者が先輩ということは校長先生の話で初めて知った。素晴らしい人。劇団存続の力になりたい」と話した。
 劇団の公演は8月までキャンセルされ、秋以降も危うい。収入がなくなったため、団員はアルバイトを始め、けいこも中断されたままだ。4月から地元の信用金庫の口座への募金を始め、約300万円集まったが、さらに広く呼びかけようとCFを始めた。目標は300万円で寄付は劇団HPからできる。 (朝日、静岡版、2020年6月16日。長谷川智)

 2、牧野の考えた事

 ウーン、生徒の皆さんの純粋な気持ちは尊いし、その行動力も素晴らしいと思います。しかし、しかし、しかし、です。この行動は本当に正しいでしょうか。真の解決になるでしょうか。無条件に支持できるでしょうか。私は、疑問を持ちます。
 どこに疑問を持つかと言いますと、こういう問題を知って、そこからこういう行動を起こすまでの間にどれだけの調査研究と、仲間内での議論と、親や先生との話し合いがあったのか、それが分からないのです。
 立派な事をしている人たちが金銭的に困っていると分かった場合、「それ!募金だ!」と走り出せばそれで解決するほど世の中は単純ではないのです。そうして走り出してはみたものの、すぐに壁にぶつかって、挫折した例は沢山あります。私のような60年安保世代には、闘争に敗れて自殺した人もいます。多くの学生はその後就職し、政府の「所得倍増政策」の先兵になりました。
 話が大きくなりすぎましたので、今回の劇団たんぽぽの問題に戻りましょう。
 今回のコロナ問題では、多くの人々が経済的に追い詰められています。しかし、その原因は様々です。又、困る程ではない人々もいると思います。増収増益の会社さえあります。
 私は前からこの劇団の事は知っていました。この朝日の記事の執筆者である長谷川智(さとし)の長期連載企画「遠州考」はもう何年にもなり、その一部は本にもなっています(羽衣出版)が、その連載でつい最近、劇団たんぽぽと小百合葉子の事がテーマになり、3回にわたって紹介されたので、ますます興味を持っていた所でした。
 楽ではないその経営は十分に推察できましたから、少し前に市長宛に質問状を送り、ブラジル人とペルー人のための学校であるムンドデアレグリアと二つの劇団への補助金はいくらか、と質問したくらいです(「市長への質問と回答」2019年⒑月11日)。前者は年に560万円、劇団への補助金はゼロ、という回答をもらって、どうしようかな、と考えていたところでした。
 ですから、生徒の皆さんの募金活動と劇団自身のクラウドファンディングを知って、更に考えました。「どうしようかな」と。そして、このブログ論文を発表することにしました。

 私は非常勤とはいえ、教師をしていましたから、西遠女子学園出身の生徒を何人も知っています。皆、しっかりした優秀な生徒でした。ですから、この学校には好い印象を持っています。そこで、「仮に私が今、西遠で教師をしていたら、どうするだろうか」と考えました。
 答え・授業で正式のテーマとして取り上げます。そして「劇団でも必ずしも困っていない所もあるのではなかろうか」と問題を提起します。「なるべく親とか大人の知人とかに聞いてみて下さい。それを手掛かりにして、更にインターネットなどを使って調べて来て下さい」と言うでしょう。
 次回の授業からは、私見を交えて、又考えてもらいます。私見の中心は以下の通りです。
この問題の根本は浜松市と静岡県の文化行政の問題だと思います。今日7月4日、ラジオで聞いた所によると、ウイーン少年合唱団でさえ、公演が出来なくて困っているとの事でしたから、地方公共団体が支えてもいる団体でさえ、今回の被害は大きいようです。
 しかし、浜松市は劇団に対しては補助金をぜんぜん出していないのです。みなさんは、これをどう考えますか。ムンドデアレグリアに対する補助金でさえたったの560万円です。それに対して、ピアノ・アカデミーへの補助金は1300万円のはずです。
 こう考えてみると、静岡県の予算を考えるのは中高生には少し難しいとするならば、この際、一度、浜松市の予算は本当に適正に使われているだろうかと調べてみるのは、必要かつ可能な事であり、社会科教育として大いに意義のある事だと思います。
 一例をあげますと、浜松市議は46人います。その手当は月64万8000円です。ボーナスは年に2回ですが、合計約400万円弱ですから、年俸は約1150万円です。実際にはその他にも得ている人もいますが、それは無視するとしても、政務調査費というのが大きいです。これは会派に対して出るものですが、一人あたり月15万円出ています。つまり、毎月の政務調査費が全体で、月690万円、年間で8280万円も出ているのです。市議で、これで調査した結果を報告している人がいるでしょうか。それより、その月額690万円を半分ずつにして、劇団たんぽぽとムンドデアレグリアに配るべきではないでしょうか。
 このように問題提起して、又考えてもらいます。数人ずつで話し合ってももらいます。その結果を30分くらいかけて、レポートにまとめてもらいます。それを次回の教科通信に発表します。
 あとはこれの繰返しで考えを深めてゆきます。私は、生徒が自分の考えを発展させるのを手伝うのが教師の仕事だと考えていますから、私見を押しつけることはしません。毎回、新しい材料を提供するだけです。
 みなさんは、こういう考えと授業をどう思いますか。意見がいただけたら嬉しいです。

 参照項目・浜松市長への質問と回答
 




新型コロナウイルスの引き起こす肺炎と闘う

2020年02月23日 | サ行
     新型コロナウイルスの引き起こす肺炎と闘う

 大袈裟な題を付けて済みません。しかし、もう既に一ヶ月以上、世界中が大騒ぎをしているのに、やれマスクだ、やれ手洗いだと、管見によればあまり効果の無い、で悪ければ、根本的でない対策ばかりで、本当の対策が出てこないようですので、素人の蛮勇を振るって、対案を提示する次第です。

 何のことはない、既に私は「健康法(改訂版)」(2019年08月22日)を発表して、その中に書いてあります。これは、私にとっては、実証済みの有効な方法です。

 そもそも病気は本人の生命力(抵抗力、免疫力)と病原菌の強さとの力関係で起きます。後者は常に我々の周りに存在しています。もちろん季節とかその他の条件によって、どれくらいの濃度でその病原菌がウロツイテいるかは変わるでしょう。他方、本人の生命力も、過労で疲れている時は下がるでしょうし、適切な生活をし、まともな食事を取っていれば、その人の最高の状態であるでしょう。

 自分で左右できるのは後者だけです。従って、自分の体の持っている生命力を最高の状態に高める努力をするのが賢明な態度だと思います。その方法や如何に。
 答え──1に温冷浴(交代浴)、2に乾布摩擦、だと思います。私はこれしかしていません。

 温冷浴については、上記のブログに書きましたので、お読みください。

 今回は、乾布摩擦について、その具体的なやり方を書きます。私のしているやり方です。「これが正しいやり方だ」などと言うつもりはありません。ただ、ネットで調べてみた所、あまり親切ではないな、と思いましたので、私のやり方を、恥ずかしながら、お知らせする次第です。

 いつするか──寝床に入る直前と起床する直前、1日2回です。毎日です。

 格好と姿勢──冬は裸でするのは寒いので、下半身をパジャマ姿の時に、つまりパジャマ姿の下半身を布団の中に入れた状態で、上半身だけを起こして摩擦します。(春でも夏でも秋でも同じです)

 道具──長めのタオルだけです。日本手拭いはたたんだ時の容量(体積)が頼りない感じがします。

 する事と順序──タオルを2回折り畳んで両手で持ちます。

 ➀ 先ず胸を円を描くように摩擦します。⒑回です。
 ② 左腕を上の方から手先まで摩擦します。腕は円筒形ですから、半円ずつ5回ずつ、こすります。
 ③ 同じ事を右腕について行います。
 ④ タオルの1つの隅をつかんで、残りを大きく振りますと、タオルが開きます。反対の手で、もう1つの対角線上の反対にある隅をつかみます。当のタオルを最も長く使うためです。
 このようにして、タオルを背中に回して、背中を摩擦します。首から腰までです。タオルをたすき掛けにしたり、真横にしたり、あるいは垂直にして背中のへこんだ部分を縦にこすったりします(この時は背中を少し丸めます)。1つの動作は3回くらいにします。
 ⑤ 最後に又胸を少しこすってから終わりにします。

 どうですか? 大した事ないでしょう。でもこれと温冷浴で風邪もインフルもほぼ防いでいます。大した事ないからこそ、続くのだと思います。摩擦する強さとか、手を動かす速さとかは、毎日やっている中で自分に合った答えを出してください。
 大切な事は、とにかく、「毎日やること」です。みなさんの成功を祈ります。

 付記1・アマゾンで見たら、「乾布摩擦用のタオル」なんて物も売っているようです。でも、自宅にある「長めのタオル」で十分だと思います。

 付記2・子供さんに乾布摩擦をしてあげるのは、親子の会話にもなって、効果バツグンです。胸と背中だけでいいと思います。それぞれ20回ほどすれば十分です。風邪を引く頻度が下がる事、保障してもいいです。

 付記3・温冷浴と乾布摩擦に次ぐ第3の方法としては、座禅があります。座禅は本当に好い方法だと思います。手先が冷たくなったとき、座禅をしたら、指先まで血が巡ってきて寒く感じなくなった経験もしています。
 しかし、座禅は続けにくいです。時間も取ります。私のような意思薄弱な者には向きません。刑務所に入ったらこれしかする事がないかな。
 もっとも、クルーズ船に客を閉じ込めたような場合には、禅僧の方でも頼んで、あるいは少し経験のある参加者をリーダーにして、こういう「行事」を企画してあげるのが主催者の義務だと思います。

 

 

静岡県立図書館のあり方

2019年12月14日 | サ行
   静岡県立図書館のあり方

 まず、新聞記事をひきます。

1、図書館の移転優先。東静岡駅前、「文化力の拠点」構想

 JR東静岡駅前の県有地で進められている「文化力の拠点」構想について、県は民間が提案するホテルや駐車場の整備計画を据え置き、老朽化が進む県立中央図書館などの機能移転を優先させることを決めた。12月2日の県議会12月定例会で川勝平太知事が明らかにした。
 「文化力の拠点」構想は、東静岡駅南口の2,4haの土地に、多目的施設を整備して文化や産業などの情報発信をめざす。県によると、今年3月、施設に導入する機能をまとめた整備方針を策定。事業計画案を公募し、4者から参加申し込みがあったという。

 ただ、民間施設棟と併設する図書館棟の来館者想定などをめぐり、調整がつかず、県が主体となって1期整備を進めることにした。計画では、1万6000平方㍍規模の図書室や多目的スペースのほか、レストランなどが入った施設を建設する。22年度に着工し、24年度内に完成。その後、2期整備に取りかかる方針だ。

 構想は2014年からの有識者会議や専門家会議を経て、2016年8月に基本計画案がまとまった。当初は現在の図書館を研究専門施設として残し、一部機能を拠点施設内に移す計画だった。だが、図書館の閲覧室でひび割れが発覚するなど、老朽化が深刻だったため全面移転を決めた。
 3日の定例会見で川勝知事は「(ひび割れで)図書館が使えなくなったのは緊急事態だった。なるべく早く皆さんが楽しめるようにしたい」と話した。(朝日、静岡版、2019年12月4日、増山祐史)

2、県、事業費最大270億円試算。文化力の拠点、図書館棟整備かさむ

 県がJR東静岡駅付近に計画する「文化力の拠点」の事業費を最大270億円と試算していることが6日の県議会で明らかになった。当初、民間企業が整備予定だった商業ビルや立体駐車場の建設が見送られ、まず、県が図書館棟を公費のみで建設することになり、費用が膨らんだ。

 坪内秀樹県議(自民)の代表質問に県側が答えた。県は2016年8月、東静岡駅南口の県有地(約2,ha)に整備する基本計画案を策定。今年3月、「県立図書館」「県産農産物を使った飲食店や物販」「AI(人工知能)やICT(情報通信技術)の集積」を柱とする施設整備方針を示した。

 民間企業に事業計画案を募るにあたり、県は図書館の集客見込みを年間約100万人とした。だが、県立中央図書館の来館者は一部休館した17年が約14万人、16年以前も年約22万人程度。事業計画案を出した民間企業4社からは「図書館のにぎわいが見えない」「リス
クがある」などの意見が出て調整が難航した。このため、県は図書館棟の延べ床面積を1万6000平方㍍から2万7000平方㍍に増床。三つの機能を1棟に担わせる計画に変更し、まずは県単独で整備することにした。

 川勝知事は「県立図書館の来館者は岡山が100万人、山梨が90万人。本県でも100万人は十分可能」と答弁。年度内に施設整備計画を作り、来年度予算に設計費を計上、24年の完成を目指す方針を示した。

 これに対し、坪内県議は、「大きな集客力があるか疑問。現実的な計画に変更すべきで、十分な議論や説明も必要だ」と指摘した。(朝日、静岡版、2019年12月7日、阿久沢悦子)

3、牧野の感想と意見

 ① 行政のトップと言うか、何らかのレベルの政治権力を握っている「偉い方々」というのは、どうしてこうも「大きな建物」を作りたがるのでしょうか。理解できません。

 現在の静岡県立図書館をどうするかの問題は、私見では、昨年の初夏くらいに、建物の天井のひび割れがひどくなった、と言うことから出てきたのだと思います。根本的には、これまでの図書館が古く成って、何とかしなければと言われていたのでしょうが、直接、大騒ぎになったのはあれからだったと思います。直ちに数ヶ月間の使用禁止の後に、貸し出しだけは再開されました。私も、貸し出しの請求をしました。

 この間に、私は川勝知事に私案を送りました。その案の根本は次のようなものです。即ち、この際、県立図書館と市町の図書館との役割分担について関係者で話し合って共通認識を持つこと。そして、県立図書館の任務を4つ位に分けて、それぞれの任務に相応しい建物を、県下の4ケ所に分散して、建てること。

 知事からの返事はなく、担当者からの返事がありました。内容のないものでした。そもそも知事には「静岡市一極集中を是正しよう」という問題意識すらないようです。

 ② 私はこのに上の私案をここに発表すると共に、その案を有効にするためのインフラを提案します。即ち、現在のように、県民が県立図書館や自分の住む市や町とは違った所にある図書館から本を借り出すシステム(「おうだんくん」と言います)を、自分の住む所の図書館から借り出すのと同じシステムにすること。つまり自分の地域の図書館に行って書面に必要事項を書いて提出し、到着するのを待つシステムを止揚することです。

 ③ もう一つ、現在の図書館への希望を書きます。全集物の場合、自分の欲しいのはその内の第何巻に入っているかが分かるように、例えば「フォイエルバッハ全集、第内巻」だけでなく、その巻に入っている論文の題名だけでも分かるようにすることです。そうでないと、全体で十巻あるとすると、その全部を取り寄せて見なければ分からない、ということになるからです。これは現在、そういう不親切な状態になっています。この点については、かつて図書館で投書をしたのですが、返事がありません。

 私案①に賛成の人は、SNSか何かで、これを拡散してくれませんか。

スズキへの補助金問題 ──浜松市政を考える(その1)

2019年09月18日 | サ行

 スズキへの補助金問題
   ──浜松市政を考える(その1)

 自分の勉強で忙しく、市政について発言している時間はないのですが、どうしても言っておきたいことを言うことにしました。光ファイバーも来たことですし。(牧野紀之)

 第1回、スズキに補助金反対署名呼びかけ

 検査不正問題などを起こしたスズキに浜松市が補助金を出すのは問題だとして元社員ら市民有志が8日、市に補助金を支給しないよう求める団体を作り、市民に署名を呼びかけることになった。

 団体は「スズキの補助金を考える会」(仮称)。8日の集会には、元社員、弁護士、労組員、共産党市議や市民らが参加した。

 スズキは今年4月、完成車の検査不正が発覚し、201万台もの大量リコールをする事態となった。しかし6月28日、市と県に企業立地支援の補助金約50億円を申請。市の補助金要綱では申請時にコンプライアンス違反がないことが条件になっており、市が現在、審査をしている。

 集会では「スズキは2016年にも燃費データの不正問題を起こしており、補助金を受ける資格はない」「野球場問題や行政区再編など浜松市政はスズキの鈴木修会長の意向に沿ったもので、補助金申請もその流れにある」といった声が相次いだ。

 団体は今後、万単位の署名を集めることを目標に24日に市役所前、26日にはJR浜松駅前でチラシ配布などの宣伝活動を行い、市民に広く訴えていく方針。共同代表に就任した元社員の太田泰久さん(74)は「スズキは社会的責任を果たすべきだ。市も市民のための市政をしてほしい。市民とともに補助金問題を考えていきたい」と話している。
(朝日、静岡版、2019,09,09。長谷川智)

 感想

 浜松市は実際スズキの会長の意向で動いているように思います。まあ、市の最大の企業の会長ですから、それなりに「責任」もあるとは思います。しかし、発言するならば、「どうしても」という事に絞って、関係者の意見を聞いた上で、控えめに発言する方が効果があると思います。
 行政区の再編問題については、市の実情を知らなさすぎると思います。今回の補助金申請は論外です。

 批判者の側にも問題があります。特に市の共産党議員が参加しているというのには、「日ごろの活動を反省してからにしろ」と言いたいです。
 我が浜松市では、議員の情報発信が少なすぎて、市政で何がどう問題に成っているのかが、分かりません。かつては鈴木恵市議(この春に落選)が頑張ってくれていましたが、1度落選してからは、そのブログ発信も少なくなりました。

 共産党の市議は4人いるはずです。皆、年報1000萬円を超えています。その上、月に15万円の政務調査費をもらっているはずです。
 まず、役所の作るホームページと広報に対抗して、「真のホームページ(カウンター・ホームページ)」を作るべきです。それと並行してブログを出して時々の情報を知らせ、市民の討論を組織するべきでしょう。これが「本当の科学的社会主義」だと思います。
 スズキ批判をする勇気を持った集団は共産党だけでしょう。それは評価しますが、1年に2回くらいチラシみたいな物を新聞に入れて、自分たちの活動を報告し、スズキ批判や市長批判をするだけでは、「税金泥棒」に近いと思います。イジメ自殺事件の時に、共産党はどう動いたでしょうか。私の記憶にはありません。
 全体として見れば、浜松市の共産党市議は「勉強しない共産党の典型」に成り下がっています。
 これを機に奮起してくれる事を願っています。

政治家の育成とシンクタンク

2019年07月20日 | サ行

 政治家の育成とシンクタンク

 参院選が始まって、七月五日、朝日新聞では「オピニオン」欄で、三人の有識者の聞き書きを載せました。題して、「選良」はもはや死語か」。
 その中で特に関心の持てたのが、現職の衆議院議員の一人である村上誠一郎の「まともな政治家どう育成」でした。

 全文を引きます。
 ──若い国会議員の中に発言も行動も「公人」としての自覚がない人が増えています。私からみれば、起こるべくして起こったことです。議員の質が落ちた最大の要因は、衆院の小選挙区比例代表並立制にあります。

 政党・内閣支持率が高ければ、候補者の能力が伴わなくても当選できるようになった。 「○○チルドレン」と呼ばれる議員の多くは、自らの政治信条や理念はどうでもいい、党の方針に従っていれば、政治家が続けられると考えています。自分の頭で物事を考えなくなっているのです。

 政党が候補者を選ぶ仕組みが変わったのも一因です。各派閥は全国にアンテナを張り巡らせて時間と手間をかけて選んでいました。いまは原則公募で、書類選考が中心になっています。学歴や勤務先、ルックスなどで短期間で決めようとするから「ハズレ」が多くなる。欧米の政党も公募で選びますが、党職員や議員スタッフとして数年間雇い、政治家としての資質や能力を試してから判断しています。

 議員を教育するシステムがなくなったのも痛手です。かつて派閥が勉強会を主催していました。私も若い頃はそこに参加して専門家から財政や金融、外交について学ぶ機会を得ました。最近は見識のある派閥の長が減り、勉強会の機会が少なくなりました。

 若手議員の規律が緩んできた背景には、政権・政党幹部の暴言をあまり糾弾しないメディアの報道姿勢もあるのではないでしょうか。「上があんなことを言って許されているのだから大丈夫」と思っているから、考えられないような発言や行動が出てくるのです。

 ただ、新聞やテレビが政治家の失態ばかりを報じるのは考えものです。財政再建、金融緩和の出口戦略、外交の立て直し……。日本はいま課題が山積しているのに、政治が本来やらなくてはいけないことが国民に伝わりません。

 政治家は尊敬されなくなり、国、地方ともなり手が急速に減っています。まともな政治家を育てるにはどうしたらよいかを国全体で議論する時期に来ているのではないでしょうか。参考にしたいのは、プロ野球選手の育成です。 広島カープは若い頃から選手の特性をみてじっくり鍛えることで、自前の良い選手を育てています。政治家だって、最初から何でも完壁にできる人はいませんよ。

 国のために働くという志を持っている官僚のOBは、政治家の有力な供給源だと思います。かつては事務次官や局長級で退職した官僚が地元で国会議員になることが多かった。それは、地元の有力者たちが物心両面で支えたからこそです。地方はそんな気風を取り戻してほしい。 (聞き手・日浦統)(引用終わり)
 
 私が関心を持てたのは、第1に、現在の政治家の腐敗の原因が生き生きと描写されていたことです。よく分かりました。 
 第2に、「官僚OBを政治家の有力な供給源」としたことです。これは自民党的観点ですが、一般化するならば、政治家の育成にはシンクタンクが必要だということです。なぜなら、役所は政権のシンクタンクだからです。日本ではほとんど自民党が政権を握ってきましたから、役所は自民党のシンクタンクになっており、役人を踏み台にして自民党の政治家になる人が沢山いるのです。
 逆にまともな政治家を産み出したいなら、在野のシンクタンクを作らなければならない、となります。これは私の年来の主張と同じです。
 なぜシンクタンクが必要かと言いますと、給料をもらって日頃から政治ないし行政を調査し、監視している人が必要だからです。第2に、落選した場合にも、戻ってくる場所が確保されていなければ、安心して立候補出来ないからです。

 私は、かつて2011年の12月21日の本ブログで、「真のシンクタンクを!」と題する記事を載せました。そこでは雑誌『文藝春秋』2005年10月号に載った堺屋太一と野口悠紀雄の対談を全文引いたあとで、要旨をまとめた上で、私見を「感想」として書きました。以下に再録します。

     対談の主要点の箇条書きと感想

 1、戦後日本の経済体制は、生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制で、これは1940年ころに成立したものである。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していった。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。

 2、世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなった。ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心だった。

 3、かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮している。

 4、小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。

 5、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。
 この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。
 もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。
 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。

 6、世間の多くの人は、官僚の意思決定は数多くのエリートが議論を重ねた上で1つの合意に至っていると思っているようですが、全く違うのです。かなり大きな政治的課題であっても、それこそ局長や担当課長、同補佐など、ごく少数の人間の意思がかなり重要なんです。

 7、確かに官僚が取り締まるべき分野をきちんと取り締まり、徴税、徴収を行なうことはもちろん重要です。しかし、官僚が国の重要政策を決めたり、民間業界に恣意的に干渉していくようなことはやはり問題です。これを止めさせる方法は、宮僚が国家指導の主体としていかに信用できないかを、日本人1人1人がきちんと理解するしかありません

 8、官僚に握られている情報についても、業界や官庁とは別の所に民間のシンクタンクを置き、そこで独自に知的蓄積を図る必要があります。

 感想

 お二人の結論は、8にあるように、国民のためのシンクタンクを作る必要があるという事だと思います。賛成です。しかし、お二人共、自分が旗を振ってこれを作ろうとしていません。これが中途半端なインテリの姿です。

 この座談会から6年経ち、政権交代も成し遂げられましたが、政治主導の挫折を経て官僚主導政治は前より強固になったのではないでしょうか。民主党ではだめだと言っても、自民党に返しても好い事も期待できない。どうして好いか分からない、というのが多くの国民の気持ちでしょう。

2019年の現在の考え

 今でも私見は変わっていません。それどころか、「民間の真のシンクタンク」の必要性はますます高まっていると思います。誰かが旗を振ってくれることを願っています。
 「それなら、お前が旗を振れ」と言うかもしれません。私がなぜ旗を振らないかと言いますと、金がないからです。松下幸之助さん程の金はなくても、「言い出しっぺは或る程度のものは持っていなければならない」と思います。私には、何もないのです。少しでいいから持っている人が言い出せば、クラウドファンディングみたいに集まるのではないでしょうか。

時代背景(年表)の作り方

2019年05月23日 | サ行
      時代背景(年表)の作り方

 私は『小論理学』では付録の1つとして、「ヘーゲル受容史の年表」というのを作りました。今回の『フォイエルバッハ論』では「時代背景(年表)」というのを作りました。

 先ず第1に「何時から何時まで」を取り上げるかが問題になりました。この翻訳はマルクス主義ないし唯物史観を総合的に捉え、批評しようとするものですから、「資本主義の勃興から第1次世界大戦で社会主義国家が出来るまで」としました。

 次に取り上げる事件ないし事柄をどうするかです。私は「時代背景」を知るには政治的な事柄や経済的な動きだけではまずい、ないし不十分だと考えました。私がよく参照します湯浅光朝の『解説・科学文化史年表』(中央公論社)では、年代によって少し違いがありますが、大体、科学史、技術史、思想史、社会文化史、と分けて横に見るようになっています。

 私の年表はそれほど詳しいものではありませんから、こういう分類はせずに、すべての事柄を対象として、時代背景を知るのに必要なものを取り上げようと考えました。もちろん政治が中心ですが、経済も技術も社会的出来事も小説や音楽でさえ大きなものは取り上げました。
 恥ずかしながら、つい最近、NHKの番組で「来年(2020年)がベートーベン生誕250周年で、既に記念行事が始まっている」ことを知りました。つまり、彼は1770年に生まれているのです。そして、1770年と聞けば、私にはすぐにヘーゲルの生まれた年だと気付きます。二人は同じ年に生まれていたのです。二人の大業績に時代の雰囲気が作用していなかったと、誰が言えるでしょうか。

 さて、この4月から朝日テレビ系で「やすらぎの刻(とき)」というドラマが始まっています。これは昨年の4月から9月まで放映されて好評だった「やすらぎの郷(さと)」の続編のようですが、かなり違うので面食らっています。

 それはともかく、先日の回で、脚本を担当している倉本聰の分身と思われる脚本家(石坂浩二)が、「今回の書き方はいつもと違ってしっまたなあ」と反省して、「いつもは自分で作ってある年表を取り出して、登場人物の年とを平行させて、時代背景を確認し、この人が20歳だった年にはこういう事があったのだと確認して、不自然でないような行動を想像するのだから、これからはそうしよう」と考える場面が出てきたのです。しかるに、その年表が事柄の性質で分けてなく、大きな出来事ならどんな事件でも一緒に書き込んであるものだったのです。

 我が意を得ました。ほくそ笑みました。(2019年5月23日)

市場(しじょう)か市場(いちば)か

2018年12月31日 | サ行

 この問題については、面白いので、興味をもって注視しています。少し用例を集めてみようかなという気持ちになりました。

A・市場(いちば)の用例

 既に記録しましたが、大きいのでは、楽天市場があります。

 ネット空間ではなく、リアル世界で必ず「いちば」と読んでいるのは「魚市場(うおいちば)」です。

 魚が中心でしょうが、他に野菜なども扱っている所で、大きなものでその後見つけたのは、京都の錦市場(にしきいちば)があります。朝日紙にカナが振られていました。

 金沢市の近江町市場(おうみちょういちば)もこちらです。こういう大きな市場でも、旧習を守って「いちば」と言っている例を見つけると嬉しくなります。ただし、金沢市には金沢市中央卸売市場(しじょう)というのもあって、これは文字通り卸売りで、小売店が買いに来るのだそうです。
小売りは「いちば」と呼び、卸売りは「しじょう」と言うとすれば、一応の原則は出来た事になりますが、他所はどうでしょうか。この伝で行くと、築地は場外市場は「いちば」と呼び、卸売りの方は「しじょう」となりますが、そうはなっていません。

 上に書いた京都市の場合はどうなのでしょうか。錦市場以外に卸売り市場があるのでしょうか。と考えて、市役所に電話で聞いてみましたら、中央卸売市場(いちば)というのがあるそうです。さすがに古きを愛する京都! こちらも「いちば」でした。

 皆さん、自分の都市なり町なりの「市場」の呼び方を確認して、面白い事があったら教えて下さいませんか。

 築地市場について大発見をしました。東京証券取引所への登録名が「築地魚市場(つきじうおいちば)」となっていることを発見したのです。確かめたい人は、本屋に行って、『会社四季報』を手に取って、コード8039を探してご覧なさい。ちゃんとカナが振ってあります。

 しかし、この会社名もその内に「豊洲市場(しじょう)」と改名されるのでしょうか。ああ。

 断っておきますが、私は、読み方を元に戻せと言っているのではありません。言葉は変わる物ですから、変わっても好いのですが、いつ頃、なぜ変わったのか、を考えてほしいと言っているのです。少なくとも、辞書はそれを書くべきだといっているのです。こういう事に多くの人が関心を持つようになってほしいのです。

 「しじょう」か「いちば」かで言えば、個人的には、「いちば」の方が、その「賑やかさ」が聞こえてくるようで、楽しいから好きですが。

 ついでに

 「他方」と言うべき所を「一方」という言い方には絶対に賛成できません。これでは物事を対立で考える弁証法が不明確になります。しかし、今や「他方」は死語同然です。「他方」という語を正しく使っている例は探すのが大変です。

 「他方」の代わりに「一方」を使っている例は沢山あります。教育問題を中心にして大活躍の斎藤孝の『使う哲学』(KKベストセラーズ)の中に次の用例がありました。

  ── ドイツの哲人イマヌエル・カントは「定言命法」を説きました。定言命法とはカントが考えた道徳の原理で、「~すべきだ」「~せよ」という正しい行ないについての無条件の義務のことです。~
 一方、誰もが納得する法則って何だろう、そんなことは決められない、それに、どうしたって、そのときどきの状況によって、できることとできないことがある。(略)」(27頁)

  ── オーストリア生まれのイギリスの哲学者、カール・ポパー(1902年~1994年)は科学は反証可能性が大事であると言い、マルクス主義を批判しました。反証可能性とは、仮説や命題などが実験や観察によって間違っていると証明される可能性のことで、ポパーは間違いであることを証明できる可能性があるもののみを科学と考えました。~
 一方、たとえば、三角形の内角の和は180度であることになっていますが、これに対しては「間違いである」と反証できる可能性はあります。実際には、今に至るまで、平面上では三角形の内角の和は180度とされ、反証されていませんが、反証される可能性はあります。となると、「三角形の内角の和は180度である」ことは科学といえます。(67頁)

 この二つの例では、「一方」の所はやはり「他方」と言うのが正しいと思います。「正しい」では言い過ぎとするならば、「本来の言い方」と言ってもいいです。こういう私見に対しては、「もう一方」というのを短縮して「一方」と言っているだけだ、という反論が考えられます。

 私も、ここで「一方」と言うのは、前に「一方」という語が出ていない状況だから、「他方」と言うのはどうかなと感じて、「もう一方」ないし「その一方」という意味で「一方」と言ったのが始まりで、それが、今では「他方」などという言葉は忘れられてしまったのだと思います。

 実際、12月30日付けの読売新聞電子版には次の文が載っていました。

  ── 改革開放から40年、今月18日の記念式典で習主席が行った重要講話で、中国は引き続き発展を追求していくことが確認された。インフラ整備による大経済圏の構築、若者がリードする大衆娯楽やW杯で見られた消費はダイナミックで、中国経済にはまだまだ勢いがある。

 その一方で、米中貿易摩擦がもたらすマイナス要因に人々は不安を感じ、消費傾向の変化に敏感になっている。今年選ばれた言葉からは、躍動する社会の中で様々な問題を抱えながら生きている人たちの姿が浮かんでくる。来年はどんな言葉が生まれるのだろうか。(西本紫乃)

 しかし、やはり「他方」を使うべきだと私は思います。「一方」と「他方」、対立がハッキリ出て、気持ちがいいではありませんか。
 それにしても、「他方」という語を正しく使ってくれた例は中々出てきません。先日の朝日紙に一つありましたが、長い引用になるので、採録を躊躇してしまいました。今後はこれの収拾に力を入れるつもりです。皆さんも、出来たら、協力して下さい。

 そうそう思い出した事があります。「大地震」の読み方についてです。NHKではこれを「おおじしん」と読むように決めているそうです。何かの放送で聞いた覚えがあります。

 その他の点でも、NHKには「放送文化研究所」みたいなところがあって、言葉の研究をしているはずです。その部署に属する人が放送の中で出てきて、今関心を持って調べている事について発言することがあります。そのこと自体は良いことだと思うのですが、私見では、そこで取り上げる問題がどうもあまり重要でない事が多いように思います。自分の関心と離れていると「重要でない」と言うのも気が引けますが、私の問題にしている点は、やはり常識的にみて重要な事だと思いますが、どうでしょうか。


初版『資本論』の所蔵

2018年11月21日 | サ行
   初版『資本論』の所蔵

1、11月5日の朝日新聞夕刊に次の記事がありました。
      「資本論」
  ──マルクスのサイン入り初版本、世界に15冊、4冊は日本に

 生誕200年を今年迎えたドイツの思想家カール・マルクス。その「資本論」の自筆サイン入り初版本が日本に少なくとも4冊あることが研究者の調査でわかった。

 サイン入り初版本は東北大、法政大、関西大、小樽商科大が所蔵していた。いずれも扉ページ横などに、友人や研究者の名前と謝辞、マルクスの自筆サインが書かれている。国際マルクス・エンゲルス財団(オランダ)で全集の編集委員を務める大村泉・東北大名誉教授(マルクス経済学原論)の調査でわかった。

 大村名誉教授によると、資本論は1867年、第1巻のドイツ語初版本が1千冊発行された。このうちサイン入りは世界で15冊確認されているという。

 国内の大学がサイン入り初版本を購入した経緯はさまざまだ。東北大は1989年、外国書籍を扱う丸善から490万円で買った。友人のドイツ人ジャーナリストへの献群が書かれており、付属図書館の貴重書庫に保管されている。

 国内の4冊の中で最も早い1921年に購入したのが、法政大の大原社会問題研究所だ。「日本円換算の18円20銭で購入」との記録が残る。関西大は1984年に丸善から520万円で入手。両大学とも公開は予定していないという。

 唯一、一般に公開(要予約)しているのが小樽商科大。元学長が1980年にべルリンの古本屋で購入し、遺族が大学に寄贈したものだ。大村名誉教授は「日本には初版本が約50冊、中でもサイン本が4冊あり、ドイツやロシアより多い。戦前のマルクスブームの証しだろう」と話す。

 2013年、マルクスが自筆で注釈を書き込んだ資本論の初版本が、「共産党宣言」の手書き原稿とともにユネスコ世界記憶遺産に登録され、サイン入り初版本の価格も急騰。オーストリアの古書業者が150万ユーロ(約1億9千万円)で売り出したことでも話題になったという。(2018年11月05日朝日夕刊、石川雅彦)

 2、感想

 第一に考えた事は、この記事はマルクスを「思想家」と紹介していますが、「マルクスを紹介するとしたら、ほかに何という言葉が考えられるかな?」という事でした。すぐに浮かんだ対案は、革命家と経済学者です。ドイツ語版のウイキペディアを見たら、哲学者、経済学者、社会理論家、政治ジャ-ナリスト、労働運動の指導者、ブルジョア社会の批判者と六つもの称号が挙がっていました。
 ちなみに、エンゲルスは哲学者、社会理論家、歴史家、ジャーナリスト、共産主義の革命家、ブルジョア社会の批判者でした。マルクスと比べると「経済学者」が「歴史家」に替わっていますが、内容的には同じと考えて好いでしょう。レーニンとなると「ソ連の建設者」が入っていますし、毛沢東では「中国共産党の主席と中華人民共和国の主席」が主です。
 元に戻ってマルクスの肩書きを何とするかと自分で考えてみますと、やはり「思想家」が無難かなと思います。エンゲルスも同じです。その意味は、私の現在の考えでは、「革命家」とは言えないということです。その人生の前半は「革命家」だったと思いますが、後半は「経済学者」は少し酷いとするならば、やはり「思想家」しかないでしょう。なぜかと言いますと、「革命家」と言うのは、革命のためには、客観情勢と自分の資質・能力から考えて、今何をするべきかを考えて行動していなければならないと思うからです。そして、後年のマル・エンは、「革命家」と言うには、運動なり運動の組織の中心に居てそれを指導し、特に後輩達に本当の理論を身につけさせるためには何をしなければならないかを、常に考えて実行していなければならなかったにも拘わらず、それをしなかったからです。
少し酷い言い方をしますと、昔、学生運動が盛んだった頃、「学生時代のアカなんて、ハシカみたいなものだ」と言う言葉がありました。これを「はしかアカ」としますと、マル・エンは「元祖はしかアカ」だったのではなかったか、という事です。1848年の革命運動に参加した頃はアカだったのでしょうが、亡命してからは徐々にアカではなくなっていったのではないだろうか、という考えです。「こんな現状では社会主義革命なんて、無理だ」と思い、理論的な仕事をしていたのではないか、ということです。
 エンゲルスは『フォイエルバッハ論』(1888年)の最後を「ドイツの労働者階級の運動こそドイツ古典哲学の相続者である」と結んでいますが、これはリップサービスだったのではないだろうか、と思うようになりました。1878年に『反デューリンク論』を書いた時も、この『フォイエルバッハ論』を引き受けた時も、ドイツの社会民主党方面からの要請で書いたようですが、そしてそれは「喜んで引き受けた」ように書いてはいますが、本当は「まだオレに頼んでくるとは、情けない話だ」という気持ちがあったのではないでしょうか。同時に「後輩の養成に手抜かりがあったな」という自己反省まであったかは分かりませんが(多分、無かったでしょう)。

 もう一つ考えた事は、こういう歴史的史料の収集と保管において日本が世界の先端を行っているという事実です。これは、その裏面に、「先人の思想を主体的に継承して、生きて行くという点では、決して世界の先頭に立ってはいない」、という事実を伴っています。ここに日本の学者の講壇学問の特徴がよく出ていると思います。普通の言い方をするならば、「マルクスの思想を受け継いで生きる」という事とは切り離して、本だけ珍重するということです。分かりやすく言うならば、政治的実践には踏み込まないで、マルクスの理論を「客観的に」研究するだけで自己満足しているということです。

 マルクス研究で最近特にがんばっている的場昭宏は、「私は、これからの時代こそマルクスの時代だと思っております。そのためにも、マルクスとはどういう人物だったか、その思想はどういうものであったかを、とりわけ若い人たちに学んで欲しいと思っております」(『カール・マルクス入門』360頁)と言っていますが、何のためにマルクスを学ばなければならないかは書いていません。そして、ご自分は「ライフワークである『マルクス伝』を執筆中……じきに勤務先の大学も退職するので、余った時間を伝記の完成と、マルクスの詳しい解説つきの翻訳のために、あの世に迎えられるまで捧げるつもりでいます」(同、357頁)と言っています。正直でいいですが、内容的には「世の不正と戦う気はありません」、「政治には一切関わりません」ということです。

 3、朝日新聞の記事

 少し前、こういう記事がありました。

 ──今月上旬、シングルマザーの彼女(18)は、仕事に復帰した。2人目の子どもを出産して2週間。「早すぎるって友達に言われたけど」。メイクをして向かうのは「性的サービス」を伴う那覇市の夜の飲食店だ。

 7歳で親が離婚し、父親に引き取られた。年上の兄弟が食事を作り、服はもらい物が多かった。中学卒業後、父親に「自立しろ」と言われ、働く所が見つからないうち、知人に誘われて今の店に。数ヵ月後に妊娠、出産した。

 母子生活支援センターの寮で暮らしたり職員の指導で、食堂の店員など「昼の仕事」に就いたが、時給は700円台。アパートに移るお金を稼ごうと、友人宅に泊まると言って「夜の仕事」に出た。多いときで一晩に3万円を手にできた。

 2人目の子どもを出産した日も、直前まで店に出ていた。「最初の子が可愛かったから、次も産みたかった」。父親たちとは結婚に至らなった。

 知事選は投票権を得て迎える初の選挙だが、興味は持てない。「子どもに不自由させたくないけど、選挙で生活が変わるかな。何かのせいで自分がこうなっているとも思わないし」。

 子どもの貧困は、沖縄県で特に深刻だ。県が初めて行い、2016年に発表した独自調査による貧困率は29・9%。全国平均の倍だ。県民所得が全国最下位(約217万円、15年度)という「親の貧困」が招く現実。ひとり親世帯の割合も高い(6・36%、13年度)。離婚の大半は経済的理由という。

 元県中央児童相談所長で若年妊産婦の支援に取り組む山内優子さん(71)は、戦後27年間にわたる米軍統治で児童福祉法の適用が遅れたことが「貧困の連鎖」の遠因とみる。「そして、今は基地問題。代々の県政が手を取られ続け、本来の大きな課題に腰を据えて取り組めずにいる」。(朝日、2018年09月22日。奥村智司)

 4,感想

 こういう現実を調べて、本にしたものがあります。『裸足で逃げる』(上間陽子著、太田出版)です。
 「ライフワークである『マルクス伝』を執筆中」のマルクス研究者はこういう現実をどう考えているのでしょうか。
 私は、やはり「世の中をよくする」という初志を忘れたくないと思っています。あえて言いますけれど、今問題になっている普天間基地の辺野古への移転の問題でも、私は、辺野古移転を認めて、その代わりとして、十分な補償を毎年、政府からもらうことを約束させて、それを沖縄の全県民を対象にした「ベーシック・インカム」に当てると好いと思います。現に辺野古周辺の人たちはこれを選択しています。先日の県知事選挙で反政府側が勝ったのは、前知事の死があったので、それに対する弔いの気持ちが強かったからだと思います。
 そもそも米軍の沖縄駐留は日本が侵略戦争を始めた結果として「無条件降伏」したことの結果の一つで、実際問題として、日本の力ではどうしようもないことです。米軍の力がどれほどかを知るには、「自力の革命で政権を取ったキューバですら、ガンタナモ基地を取り返す事ができないという事実」を見れば分かるでしょう。だから米軍の方針は受け入れて、基地を辺野古に移せば、普天間基地という大きな危険は無くなるのですから、危険は小さくなるし、行政協定の(ドイツやイタリア並のものへの)改定も要求しやすくなると思います。
 日本だけの問題としても、沖縄は昔から我々本土の人間は犠牲にしてきたこと、その上、今全ての米軍基地の中で沖縄の負担はあまりにも莫大であること、こういう事を考えたら、それしか仕方ないと思います。
 とにかく、沖縄の貧困問題、特にそれを最大の原因とする貧困家庭の少女達の苦しみはこれ以上放置出来ません。「マルクスを訳して幸福な生活を送っている」訳には行かないと思います。

 その後、ヘーゲルの『世界史の哲学講義』(講談社学術文庫)が出ました。訳者は伊坂青司です。下巻の最後に「訳者解説」が載っています。そこには次のような文句がありました。
 ──ヘーゲルの「世界史の哲学」講義をどう現代に活かすかは、現代に生きるわれわれ自身にかかっていると言えよう。
 現代はまさに世界史的な転換点にあると言っても過言ではない。産業革命以降の地球温暖化とそれにともなう自然諸現象の変化、また核兵器による世界戦争の危機という人類存亡に関わる時代の中で、われわれは現代という歴史的地点を反省する必要に迫られている。そのためには、ヨーロッパの近代文明を問い直すとともに、近代以前の、しかも近代文明とは異なる世界の文明に広く目を向ける必要もあると思われる。東洋の中でも極東に位置する日本はヘーゲルによって世界史から除外されたが、その考察はわれわれ自身がなすべき作業である。現代に生きるわれわれ日本人は、明治期以降ヨーロッパ文明を受容してきた歴史を振り返るとともに、それ以前の日本を歴史的に遡上することによって、忘れられたわれわれ自身の過去を世界史的な連関の中で想起することが必要であろう。(339頁)

 やれやれ、折角「ヘーゲルを現代にどう活かすか」と正しく問題を立てたのに、その「現代」を「地球温暖化」と「核戦争の危機」とにすり替え、更にそのための仕事として、日本の過去を世界史的関連の中で振り返る」として、結局は歴史研究に、只の歴史研究に持って行ってしまうのです。

 伊坂は、極左派から転向して出世し、紫綬褒章までもらい、今やヘーゲル哲学そのものではなく、ヘーゲル関係の文献学で頑張っている加藤尚武の弟子のようです。この師にしてこの弟あり、ですね。










実証主義の見本

2018年09月25日 | サ行
      実証主義の見本

 茨城大学教育学部のK教授が全国の公立小中学校の教員3500人を対象に郵送で調査をし回答率は62%だったと、(2001年)03月17日付け朝日新聞に報じられています。

 それによると、小中全体で、困難に感じた体験は、
 不登校児(42%)、生徒間のいじめ(32%)、生徒の非行(24%)
の順だそうです。

 いずれも中学だけを見ると、
 不登校児(61%)、生徒の非行(52%)、生徒間のいじめ(42%)
と飛び抜けています。

 困難な体験として「授業が成立しないこと」をあげた先生は、中学校で15%で、小学校の8%を上回り、「学級崩壊は小学校で多い」という見方とは逆の結果となっています。

 不登校児への指導に「自信がある」人は22%で、「自信がない」は30%以上だそうです。

 現在感じている悩みについて尋ねたところ、「校務に追われ、授業の準備ができない」、「忙しすぎて学校で子供たちと話す時間がない」、「忙しすぎて私生活が犠牲」の3つが突出して多いと書かれています。

 この記事を読んで疑問に思いました。

 こういう事だけ調べて何をするつもりなのでしょうか。調査研究は、問題を解決する手段なり方法なりを発見するためだと思います。しかし、こういう調査では解決手段は見えてこないと思います。

 「それはこれから考えるのだ」と強弁するかもしれません。しかし、どういう調査をするかに既にその人の考えが出ているのです。白紙で調査を始めるということは事実上ないのです。これまでに何らかの考えがあって、その観点を確かめたり、深めたりするために調査をするのです。ですから、自分の考えを反省して、問題点を解明するような質問をしなければならないのです。漠然と質問しても何も出てきません。

 「学校教育は個々の教師がするものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものだ」という考えに立つならば、「校長のリーダーシップ」とか「教師集団のまとまり具合」を聞いたり、それと生徒指導の関係を聞くことになるはずです。そういう事を聞いていないということは、調査をしたK教授にそういう観点がないということです。

 私の生徒が、新聞に載っていたこととしてこういう実例を教えてくれました。

 ──長野県の或る中学校での出来事である。不登校の生徒のために校長自ら夜間中学と称して不登校の生徒を集めて授業を夜、行った。また他の不登校の生徒のそれぞれの個性に合わせて対策を考えた。結果として、不登校の生徒は激減した。

 これは校長の熱意が生徒に伝わったものだと考える。また、生徒としても自分の存在感を認識できたのではないだろうか。トップによって変わるものだということを証明したような事例である。──

K教授が本当に問題解決のためにアンケートをしたのだったら、こういう成功例くらい集めてみるべきだったと思います。それをしなかったと思われるこのようなアンケートはほとんど意味がないと思います。これは実証主義の下らなさを証明する見本のような調査だと思います。

 しかも3500ものアンケートを郵送したのです。随分、研究費を使ったものです。しかも、国立大学ですから、これは税金から出ているのです。

 なお、以上の意見は、K教授の今回の調査の主要内容が新聞記事に全部書かれていると前提しての意見です。もし以上の視点が実際にはK教授の調査項目の中にあったのに新聞がそれを報道しなかっただけだ、とするならば、以上の批判は新聞記事に向けられるべきだと思います。

 注・これはメルマガ「教育の広場」 (2001年03月21日発行)からの転載です。


『小論理学』、遂に発売

2018年09月12日 | サ行

 待ちに待った未知谷版『小論理学』は、昨日未知谷に届けられました。そして、今日訳者である私の所に届きました。

 四六判1246頁、上製函入り、15000円(税送共)
 (この価格は鶏鳴出版に申し込んだ場合のものです)

    郵便口座番号 ── 00130 - 7 - 49648
    加入者名 ── 鶏鳴出版
     注意・何を注文するのかを書き忘れないように。

 訳と細かい注釈のほかに、まず3つの付録があります。
  付録1・「パンテオンの人人」の論理
  付録2・昭和元禄と哲学
  付録3・ヘーゲル論理学における概念と本質と存在
  (付録3は今回書き下ろしたものです)

 そのほかに、巻末には、「総索引」(64頁)、箴言の索引(6頁)、例解の索引(4頁)、ヘーゲル受容史の年表(2頁)があります。

 本訳書をどう読むかは読者の自由ですが、私のたどった『小論理学』読解の道筋を紹介しておきますと、まず、全文をとにもかくにも通読しました。松村訳岩波文庫で、です。もちろん何も分かりませんでした。ただ、「必然性」ということが重要なんだな、と感じただけでした。
 その後は、気になった時に気になった所だけ(と言っても、それが何頁にわたるかは、場合によります)を読み直して考える。何年かして、思い出したように通読する。これを繰り返すというものです。
 私にとっての転機は「目的論」の部分を原書で読み返していたら、ものすごく分かるような気がして、一気に、論文「ヘーゲルの目的論とパヴロフの第二信号理論」を書いた事です。1969年の早春の事だったと思います。
 いずれにせよ、はじめから賛成してくださらなくても結構ですが、「ヘーゲル研究は『小論理学』に始まって『小論理学』に終わる」ということを頭に入れておくと好いでしょう。

  関連項目・鶏鳴出版

静岡県舞台芸術センター

2018年08月26日 | サ行

 JR静岡駅から束へ7㌔余り。富士山の眺望が美しい日本平の丘陵に、静岡県舞台芸術公園が広がる。森や茶畑の線が深い敷地は約21hr。野外劇場を中心に、二つの室内劇場、稽古場、宿泊施設などが点在する。静岡県舞台芸術センター(SPAC)は、ここで活動している。

 初代リーダーは演出家の鈴木忠志(79)。富山県利賀村(現・南砺市)で1982年に日本初の世界演劇祭を始めた「脱・東京」の先駆者だ。95年に故郷の静岡県で芸術総監督に就任。日本の公共劇場では珍しい専属劇団を組織し、芸術公園と、静岡芸術劇場(静岡市駿河区)を拠点に腕を振るった。それを2007年に演出家、宮城聴(59)が引き継いだ。

 ここは全国で最も国際色豊かな劇場の一つだろう。毎年、ゴールデンウイ-クに「ふじのくに→←せかい演劇祭」を開催。今年は欧州、中米、豪州から6団体が参加した。

 SPACも頻繁に海外へ出る。昨夏は世界有数の芸術祭であるフランス「アビニョン演劇祭」で、アジアの劇団として初めて開幕を飾った。演目はギリシャ悲劇「アンティゴネ」。戦死者の埋葬をめぐる対立を描いたこの劇を、宮城は、敵も味方もみな仏として弔う発想で包み、分断の進む世界への異議を示した。

 今は、フランス国立コリーヌ劇場の依頼で、カメルーン出身の作家レオノーラ・ミアノの戯曲「顕(あらわ)れ」に取り組んでいる。テーマはアプリカから欧米への奴隷貿易。無念と悔恨が折り重なる神話的な物語だ。フランスでSPACの舞台を見たミアノが、自昨の初演を託したいと強く望んで実現した企画。9月にパリの同劇場で幕を開け、年明けに静岡でも上演する。

 7月下旬、ミアノが舞台芸術公園を訪れた。稽古に立ち会い、「アフリカとヨーロッパとの苦痛に満ちた古い関係に、第三の目を持つ宮城さんが新しい光を当ててくれた」と感激の面持ちだった。

 なぜこれほど海外との交流に力を入れるのか。宮城の考えはこうだ。

 「静岡の子供たちに、国際水準の仕事をすれば、世界と直接つながれることを伝えたいのです。また、東京などと比べ、静岡では『ヘンな人』に会う機会が少ない。でも世界にはいろいろな人が生きている。多様な状況もある。演劇を通じてそれに触れれば、生きづらさを感じている人はきっと『自分も大丈夫だ』と思える。他者を受け入れる幅も広がるはずです」

 公演の前後に解説の時間を設けるなど、観客と作品との丁寧な橋渡しを心がける。県立劇場として中高生の鑑賞教室や子供向けの事業などにも力を入れる。頂は高く、裾野は広く。富士山型を目指す。

 公演の前、宮城は劇場の入り口で観客一人一人にあいさつをする。「シェフと顔なじみのレストランなら、たまに少し口に合わない料理が出ても、その店にまた行くでしょう。劇場ともそんな関係になってもらいたいから」。芸術総監督。肩書はいかめしいが「中小企業のおやじのような仕事です」。=敬称略。(朝日。2018,08,21夕。山口宏子)


 感想

 私は静岡県民ですが、ここで紹介されていることの半分しか知りませんでした。これは県の事業であって、静岡市の事業ではありませんから、私が知っていてもおかしくないはずです。

 外国と交流するのも結構ですが、静岡市だけが外国と交流するのではおかしいと思います。

 東京に住んでいた時は、知らず知らずに自分が日本の中心にいると思って、地方の皆さんのことは考えていなかったと思います。ド田舎のここに移住して、辺境から見ることを強いられるようになりました。

 静岡市の田辺市長も、川勝知事の県都構想には強く抵抗していますが、静岡市一局集中には黙っています。県立図書館を建て替えて巨大図書館を作ろうとしていることには黙認しています。私見では、この際、県立図書館と市町立図書館との役割分担を根本から考え直そうと提案するべきだと思います。静岡市は静岡県下のすべての市町村の代表としての役割も期待されていると思います。
       

精神科病院のない国

2018年08月12日 | サ行

  精神科病院のない国は今

 イタリアには精神科病院がない。40年前に全廃する法律が施行されたからだ。一人の精神科医が、強制入院から地域で支える仕組みに変えようと奔走した。その理念と実践は世界に先駆けた取り組みとして注目されている。(朝日、2018年08月02日。トリエステ=河原田慎一)

法の施行から40年━━地域での生活支援

 1978年に施行された法律は「バザーリア法」と呼ばれる。閉鎖病棟での強制入院が当たり前だった精神医療現場を改革したフランコ・バザーリア(1924-80)にちなむ。

 バザーリアは「危険な存在」として隔離されてきた患者と対等に向き合わない限り病気は治らないと考えた。病院を開放し、患者の自由意思による医療を導入。精神科病院長として赴任した北部トリエステで病院の廃止を宣言した。

 同法ではバザーリアの改革をもとに、患者が病院外で治療や必要なサービスを受ける仕組みが定められた。

 トリエステには患者の一時宿泊用施設が4ヵ所ある。その一つ、海岸に近い高級ホテルに隣接する施設は一軒家を改装したつくりで、個室が6部屋。施錠されておらず、外出時は看護師らスタッフが付き添う。

 患者の多くは花壇のある庭で過ごす。地面に寝そべり医師に「起こして」とせがむ女性。第2次大戦中の日本人将校について話す男性。状態は様々だ。

 平均2週間ほど滞在する。患者が地域に戻るための試行期間の位置づけだ。精神科医とソーシャルワーカーらが各患者にプログラムをつくり、地域で生活するための支援を検討する。各地域にある社会協同組合が、就労支援などにかかわる。

  暴れたときの対応は━━短期入院、拘束は制限

 薬物の影響で症状が重かったり、暴れたりする緊急時はどう対応するのか。同法は、一般病院に割り当てた精神科病棟への入院を認める。だがベッド数は15床までに制限されている。

 ボローニャにある総合病院の精神科病棟では、入院は平均1週間ほど。同病院の精神科医マウリツィオ・ムスコリさんは「集中的に治療して緊急状態を過ぎれば、すぐ公立の療養施設などに移れる」と話す。

 暴れる患者の体を拘束することはあるが、患者が起きている間は1時間に1回、血圧などをチェックし、拘束を12時間以内とすることが州法で定められている。ムスコリさんは「暴れる患者のほとんどは薬の影響。適切な治療で拘束の必要はなくなる」という。

 ボローニャの北西約50㌔にあるカルビの総合病院では2年前から拘束をやめた。患者が暴れて看護師がけがをしたことはあるが、精神科医のグラツィア・トンデッリさんは「拘束では状態が良くならず、つらい記憶だけが残る。むしろ、ほかの患者との交流で症状が改善することが分かってきた」。昨年までに全国の総合病院の約5%で拘束をやめた。

  実質的長期入院なお━━取り組みに地域差も

 精神科病院の全廃が進み、政府が「根絶」を宣言して約20年がたったが、取り組みには地域差がある。

 トリエステ地域を管轄する公立精神保健局のロベルト・メッツィーナ局長によると、バザーリアの理念を実践する精神科医は「全体から見るとまだ少数」。まず入院が必要、と考える医師は南部を中心に多い。民間の療養型施設には、実質的に患者を長期入院させるところもある。6月に政権についた右派「同盟」党首のサルビーニ副首相は、病院から地域サービスへの転換を「患者の家族を置き去りにする偽の改革だ」と批判している。

 一方、地域で精神医療を支える取り組みは他国の関心を呼び、研修や視察で専門家を派遣してきた国は米国、イラン、パレスチナなど40ヵ国・地域に上る。

 メッツィーナ氏自身、バザーリアから「抑圧された患者の権利を守らないと医療はできない」と学んだ。「隔離されることで患者は財産や市民権を失い、差別の対象になった。人としての権利を失わず、住んでいる場所で治寮を受けられることが第一。バザーリアは
それを50年前から実践してきた」と話す。
  
  日本からも視察━━入院減らす取り組みも

 日本でも入院患者を早期に退院させ地域につなぐ取り組みが始まっているが、厚生労働省の2016年の調査によると精神科病床の平均在院日数は270日に上る。

 日本の精神科医らが5月、ボローニャの精神科病棟を視察した。「必ず短期間で病院から出さないといけないのか」との質問に担当医は「退院後も療養施設や社会協同組合と情報を共有する。医療機関にいると患者が仕事に復帰しにくい。地域での生活を取り戻すのが重要だ」と答えた。

 視察に参加した精神科医の青木勉さんが院長補佐を務める総合病院「国保旭中央病院」(千葉県)では、05年に237床あった精神科の入院ベッド数が、現在は救急病棟のみの42床に。青木さんは「入院が収入の多くを占める病院が多いが、入院に頼らない精神医療サービスを進めたことが経営改善にもつながった」という。

 一方、医療スタッフの不足から、拘束せざるを得ないことがある。青木さんは「認知症の高齢者など、拘束をしないと安全が守れない場合もある」と話す。

 参考・イタリアのバザーリア法

 憲法で保障された市民権に基づき、精神科の患者は自分の意思で医療を選ぶ権利があると規定。精神科病院の新設を禁止し、「治安維持」のための強制入院から、地域サービスによる医療に移行した。2000年に政府は、精神科病院の完全閉鎖を宣言。罪を犯した精神障害者らを収容する司法省の施設も15年に廃止、各地域の精神保健局が所管する一時居住施設に移行した。