4月22日(土)、姫路市の文学館で講演をしました。「関口存男(つぎお)の凄さ、ヘーゲルの偉大さ」と題しました。どのような経緯でこうなったか、については「2、白鷺通信」の最後の「あとがき」に書いてあります。その講演〔私は「1回だけの授業」と呼んでいますが)のレジュメと教科通信を2回に分けて発表します。(牧野紀之)
講演(関口存男の凄さ、ヘーゲルの偉大さ)
A・関口存男の凄さ
① 比較文法(その1、文法は本質的に比較文法である)
② 関口の凄さの例。例文2・Faustの原文
③ 「菩提樹」の解釈(別のコピー)
④ 比較文法(その2、ドイツ語の指向性と日本語の響き)
⑤ 関口の限界
B・ヘーゲルの偉大さ
問題文(『フォイエルバッハ論』から)
① このエンゲルスの言葉はどこが悪かったか。
② なぜエンゲルスは間違えたか。
③ 結論
学ぶ姿勢。「予習には復習の10倍の価値がある」(「マキペディア」2011年03月04日)。
関口文法についてどれくらい知っていたか。ヘーゲルについてどれくらい知っていたか。牧野紀之について何か調べてきたか。つまり、今日の講演のためにどういう予習をしてきたか?
A・関口存男の凄さ
① 比較文法(その1、文法は本質的に比較文法である)
問題文──[単数・複数の区別については]ドイツ語なんかでも難しいのがありますね。たとえば『千夜一夜』をドイツ語で "tausend und eine Nacht" と言うそうです。Nachtというのは単数です。元来「千一の夜」ですから複数にすべきですが、tausendの次に「一つの」というeineがあるので、それに引かれて単数のかたちを使う。このへんはどうも論理的ではないように思います。(金田一春彦『日本語の特質』NHKブックス183頁)
cf. 1、英・the Thousand and One Nights, 仏・Les Mille et Une Nuits
独・Tausendundeine Nacht
2、英語でもmany aの後は単数形が来ると思いますが、これをなぜ問題にしないのでしょうか。独・mancher einer od. manch einer (eine, ein)
3、英にはmy and your fatherのほかにmy and your fathersという言い方があります。独は前者のみ。
4、「2時間半」を表すのに独にはzweieinhalb Stundenとzwei und eine Stundeの2つがあるが、英はtwo and a half hoursのみ。
これは意味は複数ですが独の第2形では、形としては単数名詞を支配します。
結論・言語を支配しているのは「意味=事実」ではなくて「意味形態=意味の考え方」です。数の数え方の問題では、「一括的」に考えるのと「分解的」に考えるのとの2つがあります。どちらを取るかは、その言語の自由。
しかし、それ以上に問題なのは、金田一は「自然言語(自然現象)に非合理はない」という一般法則を知らない事です。だから、自分の頭に分からないと直ちに客観の側を「非論理的」と決めつけるのです。
なお、この数の表し方(たとえば年齢や時刻の表現など)ではロシア語は独特のようです。最後の数字で決まるようです。しかも「1」だけでなく「2~4」(32とか54とか)にも独特の言い方があるようです。これはひょっとするとスラブ系の言語に共通のことかもしれません。興味と能力の有る人は確かめて教えてください(関口はロシア語も出来たのに、これには言及していません。残念)。
・関口の言語表現理解はどの程度すごかったか。
海が日本語の海、ドイツ語の海、英語の海、中国語の海等々と分けられているとする。そして、深さはどこでも1万メートルだとする。いろいろな学者の語学が何メートル深く潜ったかで、その力を表現する。
独断と偏見で評価すると、関口のドイツ語理解は9500メートル。三上章の日本語文法は6000メートル。この二人の接点が1か所でしかなかったのは残念。
関口を知ると、自分の語学がどの程度浅いかが分かる。
② 関口の凄さの例
例文1・Faustの原文の328-29行にEin guter Mensch in seinem dunklen Drange, / Ist sich des rechten Weges wohl bewußtという句があります。
関口訳1「好漢は如何に躓き迷うとも / 往く可き所に往かで止むべき」(定冠詞420 頁)。
同2「真人は其の混沌たる努力本能の裡にも正道を過たず」(前置詞45頁)。
同3「選ばれたる者は暗中模索の眞只中にも / 不知不識の間に針路の正鵠を過たず」(大講座第6巻107 頁)。
鴎外訳・「善(よ)い人間は、よしや暗黒な内の促(うながし)に動されていても、/ 始終正しい道を忘れてはいないものだ」
相良訳・「善(よ)い人間は、よしんば暗い衝動に動かされても、 / 正しい道を忘れてはいないものだ」
池内訳・「良い人間は暗い衝動に駆られても、正しい道をそれなりに行くものだ」
感想・関口訳1がベストだと思います。但し「往くべき所に」ではなく「往くべき道を」にします。全文が五七五七七になりますから。
説明1・(Ein guter Menschについて)。素朴全称概念を表すには名詞に定冠詞を付する、不定冠詞を付する、無冠詞形を使う、全称性を明示してaller, alle, jederなどを付する等、全部で8つの方法が考えられるが、形容詞を付して性質を強調する場合はここのように不定冠詞でなければならない。複数形は当然、gute Menschenである。
この場合の guter Mensch は、普通に考えそうな「善人」(悪人の反対としての)ではない。即ち、この gutは böse(邪悪)の反対としての gutではなく、schlecht, untauglich(駄目な)の反対のgut(しっかりした)である。普通の善人であったら、これは通り言葉と言ってよいほどの、既に認められた結合であるから、あるいは der gute Menschと言ってよかったところであろうが、この guter Mensch は、いわば作者がこの場に特に創出した結合であって、従って gutという性質がこの際には特に強調されているのであるから、それで Einを用いたのである。またそれがファオスト全篇の思想であって、ゲーテは人の善悪を問題にせず、ただその良否のみを問うていると解すべきてある(定冠詞420頁)。
説明2・(付帯描写の in)。この2行の文の冒頭のEin guter Mensch in seinem dunklen Drangeにおけるinは「付帯描写のin」であり、Ich bin kein ausgeklügelt Buch, / Ich bin ein Mensch mit seinem Widerspruch.(Meyer)(私は理詰めでこね上げた本とはわけがちがいます、私はつまり人間で、齟齬も矛盾もございます)におけるmitは「付帯描写の mit」である[「付帯描写」とは、この名称でほぼ理解できるように、名詞に付帯している性質、状況などを表現してその名詞を限定することです]。付帯描写には[場合によって]あらゆる前置詞が考えられるが、in, mitはそれほど広く使えるものではない。
このin, mitの形式的特徴は、①たいてい、所有形容詞をその次に伴う、②その所有形容詞は必ず直前の、または近い名詞を受ける、の2点である。
内容的特徴としては、「たいてい、名詞付加的に用いられれる」、と言える。ここでもEin guter Mensch in seinem dunklen Drangeという句が定形のistの前に来ているが、それは詩文だからではない。これは散文としてもこれは可能。
付帯描写のinを伴った句は、理由を述べたり、「にも拘わらず」の意になったり、様々な解釈を許す(前置詞45-57頁)。
③ 「菩提樹」の解釈(別のコピー)
④ 比較文法(その2、ドイツ語の指向性と日本語の響き)
言語間には共通点もあれば違いもあります。共通点を手掛かりにして人間に共通の心理を考えることができます。例えば、反実仮想の表現にはなぜどの言語でも過去的な言い方をするのか。
言語による違いを手掛かりにして民族による捉え方の違いを考えることができます。例えば、ドイツ語と日本語を比較して大きな違いを確認できます。「日本語はオノマトペーが豊かだ」というだけならば、多くの人が指摘しています。関口はそこに留まらないで、ドイツ語と比較して次のように言っています。
次の例文を見て比較して下さい。
An droht die Glocke.(ゴーンと鐘が鳴る)
Ab riss das Seil.(プツリと綱が切れた)
Auf tut sich der weite Zwinger. (パッと檻が開く)
Hin gleitet der Kahn. (スーッと小舟が滑っていく)(「不定冠詞」122頁)
説明・ドイツ語の分離動詞の前綴りは文末に置くのが「原則」ですが、このように文頭に置くことがあります。すると、間投詞のような感じを与えるようです。但し、ここぞという場合にしか使わない用法です。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の中に次の一節があります。
Plötzlich trat Stille im Saal ein, und aller Augen wandten sich nach der großen Flügeltür, die geöffnet wurde. Herein trat Cairon, der berühmteste und sagenumwobene Meister der Heilkunst.
英訳・Suddenly all fell silent, for the great double door had opened. In stepped Cairon, the far-famed master of the healer's art.
仏訳・Sedain, le silence se fit dans la salle et tous les yeux se tournèrent ver la grande porte à deux battants qui était en train de s’ouvrir. On vit entrer Cairon, maître renommé dans l’art d’Hippocrate, et tout entouré de légende.
上田・佐藤共訳(岩波書店)・突然、大広間が水を打ったように静まった。全員の目が、今しも開かれた大きな両開きの扉の方に吸い寄せられた。入ってきたのはカイロン、名高いというより、すでに古い伝説につつまれているほどの、医術の達人だった。
牧野訳・一瞬、広間はシーンとなった。皆の眼が入口の大扉に注がれた。扉が開く。サッと入ってきたのはカイロンだった。名高いどころか、すでに伝説化している大医師である。
感想・英語はドイツ語から派生したので、inという語を文頭に持ってくる用語法があるようですが、フランス語にはこのドイツ語に対応する表現はないようです。(英文法でこういう用法に言及しているものがあるのでしょうか)
日本人ならばこういう情景を初めから日本語で描写する場合なら、ほとんどの人が「シーン」とか「サッ」といった擬音語を使うでしょう。ドイツ語を訳していると、ドイツ語に引っ張られるのです。ですから、その時、独日両語の文法の違いを知っていることが役立つのです。文法知識の重要性です。
参考・関口存男(つぎお)がその『ファオスト抄』を出した時の「序」に曰く。「原文と対照させた意訳は、必ずしも原文に忠実ではない。原『文』に忠実ではないが、それだけに原『意』と、原『色』と、原『勢』には忠実だったつもりである。原文の深意と、面白さと、勢とを伝えんがためには、こうした一見勝手極まる筋道を辿らないわけには行かないという事は、本当にわかって詩文や劇を訳する人達の期せずして到達する認識である」。
・休憩・イエス・キリストについて(大辞泉の説明と牧野の補充)
[前4ころ~30ころ]キリスト教の始祖〔こういう言い方は疑問です〕。パレスチナのナザレ〔地名〕の大工ヨセフと妻マリアの子として生まれた〔そのため「ナザレのイエス」というのが個人名です〕。30歳ごろバプテスマのヨハネ〔他のヨハネと区別して「洗礼者ヨハネ」と言います〕から洗礼を受け、ガリラヤ〔地名〕で神の国の近いことを訴え、宣教を始めた〔つまり、イエスは「福音を宣べ伝える」ために来た〕。ペテロなど12人の弟子と活動を続けたが、ユダヤ人に捕らえられローマ総督により十字架刑に処せられた。その死後3日目に復活したと確信した弟子たちはイエスをメシア(救世主)と信じ、ここにキリスト教が始まった〔従って、キリスト教を始めたのは弟子たちだとも考えられる〕。〔そして、キリスト教徒たちはイエスが再来して、最後の審判を下す日を今か今かと待ち望んでいる。これに反して、ユダヤ教徒はイエスを救い主と認めず、本当の救い主の到来を待ち望んでいる。〕
[補説]「イエス」は、神は救いである、の意のヘブライ語のギリシャ語形「イエスース」から。「キリスト」は、ヘブライ語で「油を注がれた者」の意の「メシア」にあたるギリシャ語「クリストス」からで、元来はイスラエルの王をいう称号であるが、当時は待望する救世主〔旧約聖書=ユダヤ教の聖典でヤーヴェの神が約束していた救い主〕をも意味していた〔だから、「イエス・キリスト」とは、「あのイエス、つまりナザレのイエスこそがキリストだ」という判断を名前にした言葉であり、キリスト教徒以外の人は口にするべきではない。ユダヤ教徒は使わない。日本語の「イエス・キリスト」は英語のJesus Christを最初にこう発音したのがそのまま固定化したのでしょう。その時、西洋語では称号(評価を表す語)が名前の後に来るが、日本語では例えば「仏の○○」のように、前に来るという文法を知らなかったために、この順序になってしまったのでしょう。正しく「キリスト・イエス」とか「救い主イエス」と訳す人もいます〕。
★ 辞書はどの辞書でも、「語釈と用法」を示すとして先頭に出してから、その後に「表記」とか「アクセント」とかも載せると書いていますが、実際には「語釈」に8割くらいの精力を集中しています。賛成できません。語釈と用法に各々4割の精力を割くべきでしょう。例「~に決める」や「~と決める」はほとんど使われず、「~を決める」だけに成ってきています。「他方」という語は死語に成りつつあります。
クリスマス・ケーキに「Merry Christmas / 楽しいクリスマス」と書いたパティシエがいました。これは正しいでしょうか。
★ ここまでで考えた事をまとめる。
⑤ 関口の限界
ドイツ語文法の全体をカバーしたものを書かなかった。ハイデッガーを高く評価していたが、『ハイデッゲルと新時代の局面』などという小冊子の訳と細かい注釈しかしなかった(関口派の学者でもこの本を読んだという人はほとんどいない)。『存在と時間』の全訳と注釈を書くべきでしたが、しなかった。『ファオスト』についても同様。「ファオスト抄」を書いただけで全訳を出さなかった。全体として、初心者教育に力を入れ過ぎた。「教育はトップレベルの人に合わせてこそ、下の人もそれなりに教育することができる」、という事を知らなかったのだろうか。
ヘーゲルについては、歴史哲学を中心に読んだようですが、『論理学』を、多分全然、読まなかった。これは「準」致命傷でした。
B・ヘーゲルの偉大さ
エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の有名な箇所。
──次の事はどうしてもここで言っておかなければならない。即ち、ヘーゲルにおいては、以上に述べた発展過程がこれほどクッキリとは描かれていない。これはヘーゲルの方法からの必然的な帰結で〔私エンゲルスが引き出したもので〕あって、ヘーゲル自身は決してここまで明確にこの結論を引き出してはいない。その訳は簡単である。ヘーゲルは「体系」を作らなければならなかったからである。しかるに哲学の体系というのは、それまでの慣習とか伝統では何らかの絶対的真理で終わらせなければならなかったからである。
たしかにヘーゲルは特に『論理学』〔「大論理学」でも「小論理学」でもそ〕の中でこの永遠の真理は論理的な「過程」ないし歴史的な「過程」でしかないと強調してはいる。しかしヘーゲルはそれにも拘わらずこの「過程」にピリオドを打つことから逃げられなかった。その訳は、ヘーゲルも自分の体系をどこかで終わらせなければならなかったからである。『論理学』ではヘーゲルはこの「終わり」を次のもの〔自然の認識〕の「始原」にすることが出来た。「論理学」の終着点である「絶対理念」は自然へと「外化」即ち転化し、後には更に精神即ち思考と歴史に転化することで自己自身に還帰するのである。しかし、ヘーゲルの全哲学体系の終わりでは、たしかにこれと似たような始原への還帰があるのだが、それには「1つの」方法しかなかった。即ち、歴史の終わりを人類がこの絶対理念の認識に到達する事とし、そしてこの絶対理念の認識がヘーゲル哲学において成し遂げられたと宣言することである。しかし、この事でヘーゲル哲学に含まれる全ての教条的な内容が絶対的真理と宣言されることになった。これはすべての教条的な要素を解体する方法である弁証法と矛盾する〔即ち方法としての弁証法と理論体系との矛盾である〕。肥大化した保守的側面の下で革命的側面が窒息死したのである。
哲学的認識に関して言えた事は歴史的〔社会的〕実践についても同じであった。人類はヘーゲルという個人において絶対理念を実現した〔認識した〕とするならば、人類は〔社会的〕実践 でも絶対理念を現実化できるところまで来た という事である。つまり、絶対理念の同時代者たちへの政治的実践への要求は過大であってはならない。だから『法の哲学』の最後に、絶対理念は当時のフリードリヒ・ヴィルヘルムⅢ世が執拗に臣下たちに約束したが実現できなかったと言われている身分制的君主制国家の中に実現されている、という言葉を発見するのである。それは当時のドイツの小市民の生産諸関係に合致したものであり、当時の有産階級の間接的で狭い平凡な支配であった。そして、そこでも貴族の必然性〔必要性〕が思弁的なやり方で証明されているのである。(引用終わり)
このエンゲルスの言葉はマルクス主義と社会主義の運動の中で理論的に、従って又その研究活動に対して物凄く大きな「否定的な」結果をもたらしました。即ち、体系嫌いです。その結果が今日のマルクス主義と社会主義の運動の理論と実践の両面における凋落です。
① このエンゲルスの言葉はどこが悪かったか。
まず第1に、「哲学の体系というのは、それまでの慣習とか伝統では何らかの絶対的真理で終結させなければならなかった」という言葉には、「例えば誰の何という著作がその例である」といった証拠が示されていません。
第2に、体系概念の検討がお粗末です。ヘーゲルの「体系」概念は「絶対的真理で終わる」だけではありません。それは些末な事柄で、しかも「絶対的」と言っても「歴史的絶対性」「相対的絶対性」も考慮しなければなりません。つまり、「その時代の制約下では絶対的と言える」という意味での「絶対性」です。
第3に、マルクスの『資本論』は「体系」ではないのかという問題も反省していません。
第4に、エンゲルス自身には体系指向が弱かったので、体系的著作がないという事も自己反省するべきですが、していません。『反デユーリンク論』は相手の「体系」に合わせて批判するという形です。『自然の弁証法』は幾つかの項目ごとに下書きがあるだけです。「権威原理について」もこのテーマで必要な事を全部は言っていません。
② なぜエンゲルスは間違えたか。
まず、エンゲルスのヘーゲル理解の鋭さを証明する言葉を2つ引きます。
第1の言葉──ユンク氏は、ヘーゲル哲学の根本は硬直した客観による他律を排して自由な主体を主張したことだ、と証明すべく頑張っている。しかし、ヘーゲルにそれほど通暁していなくても、ヘーゲルが主体と客観的な力との和解というもっと高い立場に立っていたことくらいは分かるはずである。ヘーゲルは実際、客観性を高く評価していた。個人の主観的理性より現存する現実を上に置き、個人はまず客観的現実を理性的なものとして認識しなければならないとしたのである。
要するに、ヘーゲルはユンク氏の考えているような主観の自律の予言者ではない。最近のドイツで出て来た「主観の自律」は恣意の別名にすぎない。ヘーゲルの原理は主体を普遍的理性に従属させる「他律」である。宗教哲学では普遍的非理性への従属さえ求めている。ヘーゲルの最も軽蔑したものは悟性である。悟性とはヘーゲルの考えでは「主観性の中で個別化され、そのまま固まってしまった理性」にほかならない。(マルエン全集第1巻436頁。1842年)
第2の言葉──ヘーゲルの考え方が他のすべての哲学者の思考方法の上に聳え立っている所以は、その根底に流れている巨大な歴史感覚である。(マルクスの『経済学批判』への書評、1859年)
第1の言葉はほとんど知られていませんが、重要です。内容としては「価値判断の客観性」を主張したものです。現在の日本では、おそらく世界でも、「価値判断は主観的」という考えが事実上「公理」に成っていると思います。しかし、それは間違いです。ヘーゲルの考えは「価値判断は客観的だ」というものです。若干22歳のエンゲルスがここまで正確にヘーゲルを理解していたとは、やはり天才的です。
しかし、エンゲルスはこの問題の重要性に気付いてはいたのでしょうが、これをヘーゲルを受け継いで「理論的」「体系的」に展開することはしなかった。ここにエンゲルスの体質が好く出ている。
cf. 拙稿「価値判断は主観的か」(『生活のなかの哲学』に所収)
第2の言葉の中の「巨大な歴史的感覚」は事実ですし、これを指摘したことは立派だったと思いますが、「根本」とは言えないと思います。私見では、ヘーゲル哲学の偉大さの根本はその懐の深さにある。私はそれを「ヘーゲルの二枚腰」とも名付けています。
証拠の例1・この根拠のことでもう一つ言っておきたいことは、殊に法や習俗の事柄に関して単なる根拠に留まることは、一般的に言って、ソフィストの立場であり原理であるということです。ソフィスト的思考について云々される時、それは、正しいことや真理をねじ曲げること、一般的に言うと、事柄を歪めることを狙った思考法だと理解されることが多いようです。しかし、こういう傾向はそのままの形ではソフィスト的思考の中にはありません。ソフィスト的思考の立場はさしあたっては悟性推理〔理屈づけないし屁理屈〕の立場にすぎません。〔それなのになぜ、そこから、先に述べたような事柄の歪んだ把握と取られるようになったかと言いますと〕ソフィストがギリシャ人たちの間に登場した時代は、ギリシャ人たちが宗教や習俗の分野で単なる権威や伝統にもはや満足しなくなり、自分たちを律するものを思考によって媒介された内容として意識したいという欲求を感じた時代だからなのです。しかるにソフィストはこの要求に対して、事柄を考察する様々な観点を探し出せという指示を与えるという形で答えましたが、その様々な観点とはさしあたっては根拠のことにほかなりませんでした〔その限りでソフィストは時代の要求に応えた進歩的な面もあったのです〕。さて、先にも述べましたように、根拠というのはいまだ絶対的に規定された内容を持っていませんから、習俗に合わないことや正しくないことに対しても、習俗に適った正しいことに対してと同様、いくつかの根拠を見出すことができますから、どの根拠を主張するかということは主観〔一人一人の人間〕に属することになり、どっちに賛成するかということは個人の志向や意図に左右されるということになるのです。従って、絶対的に妥当することや万人に承認されたことの客観的な基礎が掘り崩されることになります。かくして、ソフィスト的思考の中にあるこういう否定的な側面のために、それが先に述べたような悪い評判を受けることになったのは止むをえないことでした。周知のように、ソクラテスはソフィストとあらゆる分野で戦いました。しかし、それはソフィストの屁理屈に対してやみくもに権威と伝統を対置したのではなく、むしろ単なる根拠の立場には〔絶対的な〕支点がないということを弁証法的に〔問答法によって内在的に〕示し、正義と善、一般的に言うと「意志の普遍」ないし「意志の概念」を対置することによって戦ったのでした。今日、世俗的な事柄についての説明の中でも〔超世俗的な〕説教の中でも、もっぱら理屈づけの態度で事を処するのがよく見受けられます。例えば、神に対してなぜ感謝しなければならないかについて、考えうる限りのあらゆる根拠を持出すというようなことがあります。もしソクラテスやプラトンが生きていてこういう論法を聞いたならば〔たとえそれが善意に基づいて正しい事を主張しようとするものだとしても〕、その論法はソフィスト的思考法だとすることに何の抵抗も感じないでしょう。なぜなら、先に述べたように、ソフィスト的思考法では、そこで直接問題になることは内容ではなく根拠という形式であり、内容ならばともかく真実な内容〔絶対的に規定された内容=概念的内容〕である場合もあるのですが、根拠という形式はどんなことでも守ることもできれば攻撃することもできるものであって、決して真実なものではありえないものだからです。〔実際根拠の立場などというものは低いもので〕現代のように反省的思考が満ちあふれ、悟性推理全盛の時代には、どんな事に対してでも、もっとも醜悪ででたらめな事に対してでもそれなりの根拠を指摘できないような人で出世出来た人は未だにいないと思います。〔例えば〕この世で滅びたどんな事でもそれなりの十分な根拠があって滅ぼされたのです〔から〕。〔このように根拠を挙げて何かを説明するなどということは大したことではありませんので〕根拠を挙げて何かを主張されると、人は最初はその主張を認めなければならないというような気持になるかもしれませんが、その後、根拠というものの本質が分かってしまうと、根拠などには耳を貸さず、もはや威圧されなくなるのです。
証拠の例2・現存する世界は神の力の現われであるというのは承認できるのですが、神自身を力として捉えて済ますことには賛成できません。なぜなら力というのはまだ下位の規定であり有限な規定だからです。〔それはともかく〕近世において〔中世で途絶えていました〕科学が復興した時、個々の自然現象をその根底に横たわっている力に還元して済ますような態度が見られましたが、それを無神論的なやり方だと教会が非難したのはこの意味〔現存する世界は神の力の現われだという考え〕からのことなのです。なぜなら、もし天体を運動させるものが重力であり、植物を成長させるものが植物の成長力等々だとするならば、神の世界支配に残された仕事は何も無いことになり、神はそのような自然力の働らきをただ拱手傍観するだけだということになってしまうからです。たしかに、自然科学者たち、殊にニュートンは自然現象の説明に力という反省形式〔反省概念、本質論の概念〕を用いるに当たって、この事では世界の創造者及び統率者としての神の栄光は何ら損なわれないと明言してはいます。しかし、このように力によって自然現象を説明すると、外的根拠づけを事とする悟性は、どうしても〔論理必然的に〕個々の力をそれだけとして独立して固定させ、その有限な段階での力を究極的なものとしてそれにしがみつくようになります。そして、その時には、そのような自立した力と素材の有限化された世界に対立して神の規定として残るものは、ただ抽象的無限ということだけであり、認識されえない最高の彼岸的存在ということだけになるのです。その時これは唯物論の立場になるか、あるいは「神は何であるか」は問題にしないでただ「神は存在している」ということだけを認める現代の啓蒙主義の立場になるのです。さて、今述べた問題に関しては、そのように有限な悟性形式は自然や精神界の諸形態を本当に認識するには不十分だという限りで教会や宗教的意識の言い分は正しいと思うのですが、やはり経験科学にも形式上の正しさはあるのでして、それはまず第一に確認しなければなりません。つまり、現存する世界は神によって創造され支配されているのだということをただ信じるだけに留まらないで、〔古代ギリシャ人たちがしたように〕現存する世界をその内容上の規定に立ち入って思考によって認識しようということです。たしかに、その全能の意志によって世界を創造し、天体をその軌道にのせて導き、全ての被造物を有らしめ繁栄させているのは神であるというのは私たちの不動の宗教的信念であり、それは教会の権威によって支持されてもいます。しかし、その時でもやはりなぜそうなのかという問いは残っているのでして、この問いに答えることこそ経験科学と哲学的〔理論的〕科学とを含めた全ての科学の課題なのです。〔ですから先の経験的自然科学とは逆に〕宗教的意識がこの課題及びそこに含まれている正当な要求を認めず、神の思召しは図りがたいということで自己満足すると、今度はこの神の思召しの図りがたさの方が、先に述べた単なる悟性的啓蒙の立場に立つことになるのです。このように万事単に神の思召しに帰して済ませる態度は、神を霊の中で認識せよ、つまり神を真に認識せよというキリスト教の明白な掟に反した勝手な決めつけであり、決してキリスト教的謙虚さではなく、高慢な狂信的謙虚さと言わなければなりません。(引用終わり)
ヘーゲルの綽名は「老人」でした。ヘーゲルの体質をしっかり捕らえた綽名だったと思います。ヘーゲルの知性を「百科全書家的博識」と捉えたエンゲルスとの違いは明白でしょう。マルクスもエンゲルスもヘーゲルの『論理学』から学ぶのが少なすぎたのだと思います。
③ 結論
マルクスとエンゲルスは終生、労働運動とかかわり、社会民主党に協力しましたが、自分がその中心に入って活動したのは1848年の革命(挫折)まででした。あとは研究が中心だったと思います。
その研究もマルクスは経済学が中心でした。結局、『資本論』の第2巻と第3巻はエンゲルスが出すことになりました。「剰余価値学説史」などというマイナーなテーマに大きなエネルギーを使ったからです。
マルクスとエンゲルスの社会主義はドイツの古典哲学とイギリスの古典経済学とフランスの社会主義との3者を止揚(アウフヘーベン)して出来たと言われています。しかるに、ドイツの古典哲学はキリスト教とその性悪説を受け継ぎ、フランスの社会主義は啓蒙思想の性善説を受け継いでいます(ルソーの『エミール』を想起)。この相反する人間観をどう「統一する」のかという問題意識はマルクスにはついに生まれなかったようです。
他方、エンゲルスも社会民主党の相談役的な位置取りでした。研究は自然科学が中心でした。それも本にまとめる所までは行かず、「体系的」ではありませんでした。「権威原理について」などの小論文はありますが、社会民主党の規律や労働組合運動の中に出てきた官僚主義と戦う方法を根本的に研究する姿勢は見られません。
たしかに、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』(1888年)の最後を「ドイツの〔栄えある〕古典哲学〔の精神〕を〔正しく〕受け継ぐ者はドイツの労働運動である」と結んでいます。しかし、エンゲルスはこれをどういう気持ちで書いたでしょうか。その小冊子より40年前の1848年にマルクスと一緒に『共産党宣言』を起草して、それを「万国の労働者、団結せよ!」と結んだ時と同じ気持ちだったでしょうか。違うでしょう。「しょうがないな」という無念な気持ちで書いたと思います。なぜなら、『反デューリンク論』(1878年)を社会民主党に頼まれていやいや書いた事を告白しているというはっきりした根拠があるからです。本当に「ドイツの労働運動がヘーゲル哲学の後継者」であるならば、こういう仕事をエンゲルスに頼む必要がなかったはずだからです。
しかし、エンゲルスは「どうして労働運動はこういう情けない状態なのか」という疑問は持たなかったようです。これが問題です。この疑問をはっきりとは意識しなかったために、自分たちのそれまでの「理論と実践」を全部反省することなく、結局、最後まで、「ヘーゲルの『小論理学』の評注でも書いておく必要があるな」という事に気付かなかったのだと思います。
この二人と違ってヘーゲルはキリスト者でしたから、「神の国を地上に実現する」という目的から出発しました。そして、「キリスト教の中に真理は宗教的な形で捉えられている」ので、自分はその真理を「哲学的に認識すること」を課題としました。そして、フランス革命に対する共感を終生持ち続けたヘーゲルは、研究では「概念的把握」という「最高の学問的認識方法」を発見して、それをすべての分野に適用しました。同時に、政治評論も書き続けました。思想のスケールという点でヘーゲルの方がマルクスよりもエンゲルスよりも大きかったと思います。(2017年4月22日)
今後の事
1、講師は皆さんのレポート(適当な名前がないのでこう呼びます)に対しては、近日中に「感想」を付けてお返しします。同時に、「教科通信」を発行します。こういうやり方といわゆる「白熱教室」とどちらがベターか、考えてみてください。
2、講師について調べたいとかの希望のある方は、まずホームページ「哲学の広場」を開いて適当な所へ進んで、調べてください。
主たるものはブログ『マキペディア』です。ご意見やご質問や連絡したい事はこのブログのコメント欄にお願いします。このブログにはこれだけのための「総索引」というブログがあります。ご利用ください。
3、関口存男のラジオドイツ語講座(1957年度)も聞けます。無料です。
4、「絶版書誌抄録」というものも提供しています。関口の本なども入っています。