マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

お知らせ

2009年07月31日 | 読者へ
 ケロログに「関口ドイツ語講座1957年度」の04月29日~05月10日分をアップしました。http://www.voiceblog.jp/kero1228/

 「マキペディア」の目次はブックマークにあります。
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民主主義と民主集中制と全体主義

2009年07月30日 | マ行
 民主党の参議院議員・藤本祐司さんがメルマガに次の文を載せました。まず引用します。

──7月27日(月)、わが民主党の鳩山代表は総選挙に向けて政権公約(マニフェスト)を発表した。会場には500人以上の海外メディアを含め報道関係者が詰めかけ、その注目度の高さを改めて認識した。

 2003年11月の総選挙からマニフェスト(政権公約)を載せた冊子の配布が解禁された。前三重県知事の北川正恭氏(現早稲田大学大学院教授)らは、数値目標や実現までの工程表、予算などを明確に示すマニフェストで選挙を戦うこと提唱したのである。それ以降、国政における政党だけでなく、地方自治体の知事や市町村長も選挙の時にマニフェストを有権者に示すようになった。

 私は、参議院議員になる前のUFJ総合研究所の研究員の際に北川氏と一緒にマニフェストの調査研究をして、「ローカル・マニフェストによる地方ガバナンス改革(ぎょうせい)」をUFJ総合研究所の複数の研究員と共著で出版した。あれから6年。今では多くの国民の関心やマスコミの姿勢に大きな変化が現れた。マニフェストの中身が投票行動に影響するようになってきたのである。

 今回も、民主党が発表した直後からマスコミからは評価と批判がたくさん寄せられている。たいへん好ましいことである。マスコミ、政治評論家、シンクタンク等がマニフェストを話題にすればするほど、国民は各党の政策に触れる機会が増える。時折、政策の本質を理解しないままに発言するコメンテーターもいるので困る時があるが、その際は党として明確に反論する必要はある。

 ところで、自民党は政権政党でありながら、まだマニフェストを発表していない。また、政権政党としては約4年前に提示した郵政解散の時のマニフェストを検証することも重要である。言いっぱなしではいけない。郵政解散時に示したマニフェストの進捗や達成率、達成した政策による社会への影響等を明確に示した上で、次期総選挙のマニフェストを示すことが筋である。残念だが、自民党はまだマニフェストの本質を理解していないようだ。

 マニフェストを示して政権を取った政党は粛々とマニフェストで示した政策を実行に移せば良い。野党や官僚の抵抗はあることは承知であるが、本来は国民の選択として政権政党が決まったのである。それ故、野党も官僚も与党のマニフェストの遂行の邪魔をしてはいけないのだ。その政策の実行こそが国民の意思だからだ。一方で、マニフェストに示していなかった政策には大いに反対しても良い。そもそも総選挙で約束していなかった新たな政策であるからだ。

 いよいよマニフェストによる選挙も次の段階に入った。2003年はマニフェストを作成して提示することに意義があった。2009年はマニフェストの中身が有権者の判断基準になり、政権政党は国民の意思に従って政策を実行する段階へと進化した。本格的マニフェスト選挙の時代のスタートラインに立ったような気がする。次は、国民自身がマニフェストで示された政権政党の政策の結果を評価、検証した上で、次の選挙のマニフェストを判断する段階である。いよいよ政策中心の選挙の時代がやってきた。(2009年7月29日)(引用終わり)

 さて、私が問題にしたいのは、多数で決まったことの「遂行の邪魔をしてはいけない」という文言です。まず、これはどういう意味でしょうか。マニフェストで公約していなかった新しい点は「反対しても良い」と言っている所から考えると、この言葉は「一切の反対言動の禁止」という意味になりかねません。

 もしそういう意味だとしたら、これでいいのでしょうか。多くの独裁的な権力者も形の上では「多数意見」で支持されている形をとるものです。

 藤本さんの議論は、一般化すると、民主主義制度において、多数決(これにもいろいろな多数決がありますが)で決まったことに対して、少数意見者にはどういう態度を取る権利があるか、という問題です。換言するならば、「民主主義は少数意見の尊重だ」という言葉の「尊重」とは何か、という問題です。

 これを考えるには、民主主義だけでなく、それの隣接制度である民主集中制と全体主義とを合わせて考える必要があります。藤本さんはこれを怠ったようです(私は全体的には藤本さんを評価していますが)。共産党の民主集中制が全体主義に転落したのも、理論的には、ここに原因があると思います。

 私見を書きます。

 民主主義では、少数意見者は敗れた後、多数意見の執行に協力しなくてよい。言論で批判を続けてよい。民主集中制では、少数意見者は、自説を変えなくて好いが、多数意見の執行に協力しなければならない。全体主義では、少数意見者は転向を迫られる。多数意見の執行に「行動で反対する」のは無政府主義(アナーキズム)です。

 もちろん、民主主義の中にも例外があります。小さなグループでは事実上、民主集中制で行動していると思います。国レベルでも、例えば税制などは反対者でも決まったことに従わなければなりません。しかし、大きな枠組みとしては、以上の通りだと思います。

 多数意見も、その実行に当たっては少数意見の真意を考慮し、又見落とした点はなかったかと反省し、情勢に変化はないかと注意してから実行するべきでしょう。そして、考えを実行できなくなった場合には、その理由を含めて国民に説明するべきです。

 人間の認識には完全無欠ということはないのです。謙虚さを兼ね備えた実行力が求められる所以です。

      関連項目

民主主義概論(2007年08月12日
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最高裁の裏金

2009年07月29日 | サ行
 インターネット新聞JanJan(2009年07月23日)に載った小倉文三記者の記事から、「最高裁の裏金」に関する部分を引用します。

──大阪高等裁判所の判事にまでなっていた生田暉雄弁護士は、こう言いました。「日本の裁判は、世界的に見て、異常です。建前は民主主義なのに、官僚裁判官の支配する人権無視の裁判が横行しています。私は、裁判員制度の本当の目的は何かというと、国家権力の恐ろしさを国民に思い知らせることなのではないか、と考えているのです。どうして、刑事事件に市民感覚が必要で、民事事件には市民感覚が必要でないのですか?」

 2004年10月18日、最高裁長官は新任裁判官の辞令交付式で、「上級審の動向や裁判長の顔色ばかりをうかがうヒラメ裁判官がいるといわれるが、私は少なくともそんな人は全く歓迎していない」と訓示を垂れたそうです。いかにヒラメ裁判官が多いか、を問わず語りに明かしたエピソードだと思います。しかし、生田さんは、裁判官はヒラメにならざるを得ないカラクリになっている、というのです。講演会での生田さんの説明によると、こういうことです。

 「裁判官は、司法試験を通ってなるのですが、報酬月額は、判事補の時代に、12号(22万5300円)から1号(43万円)と上がっていきます。判事になってからは、8号(50万3000円)から1号(121万1000円)と上がっていきます。判事の4号までは、だいたい20年かかりますが、皆同じように上がっていくのです」。

 「しかし、4号から3号に上がるときには、60名中20名しか上がれません。40名は落とされるのです。年間所得で言うと、期末手当5.2 ケ月分、都市手当0.12ケ月分があるので、4号地方都市勤務と3号大都市勤務の間には、約400万円の差があります(H18・04・01実施)。さらに、3号にならなければ、裁判長にはなれません。裁判官になったからは、誰しも裁判長になりたいのです。しかし、その当落の基準は、全く示されていないのです。つまり、4号になってから最高裁や行政の顔色を窺っても、もう遅いということです」。

 「裁判官になってから20年というのは、子供が高校生や大学生になっている頃で、地方勤務か大都市勤務かということも家族にとっては切実な問題です。地方勤務だと多くの場合、単身赴任になってしまいます。4号か3号かの違いは、裁判官の家族全員の運命を左右する事柄なのです。3号になれなければ、2号、1号にもなれませんし、1号になれなければ、所長にはなれないのです。中には、65歳の定年まで4号のままの裁判官もいるのです。このように、裁判官がヒラメ裁判官にならざるを得ないような昇給・昇進のカラクリになっているのです」。

 「最高裁は、60名のうち20名しか4号から3号に上げないにもかかわらず、給与のほうは、全員3号として予算配布を受けているのです。だから、400万円の40人分が裏金になるのです。そのような手口で、年に10億、サンフランシスコ条約以来、かれこれ50年そういうことをやっているのでしょうから、500億円にはなっている、と私は試算しています」。

 「もしそれより少なければ、警察と同じように幹部が着服していたということになりますが、最高裁には、仙波さんのような人がいませんから、真相は闇の中です。警察の裏金は400億円くらいですから、最高裁の方が上ですね。私は、現在、最高裁に情報の開示請求をしていますが、最高裁からは、何の返事もありません。最高裁は、私を無視し続けています」。

 「警察では、情報提供者に捜査協力費を支払ったことにして、ニセ領収書を作成して裏金にしています。検察では、行っていない調査活動を行っているかのように装って、経費を計上して裏金にしています。最高裁では、架空の予算配布を受けて、裏金にしています。いま、この国の警察・司法は、恐ろしいことになっているのです」。

 この記事は07月12日の「仙波敏郎・講演会」で、生田弁護士が話した内容を中心にまとめたものです。正確を期すために、数字などは『裁判が日本を変える!』(生田暉雄、日本評論社)の第5章「裁判官の統制」から引用しました。「最高裁の裏金」についてもその第5章に書かれています。(引用終わり)

     関連項目

簡易裁判所(2008年06月30日)

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読点

2009年07月28日 | タ行
 日本語の読点の打ち方に一定の決まりはあるのでしょうか。私は「ない」と思っています。ある時、教科通信に「そもそも、日本語の文法には読点の打ち方の規則がない、と思います。読点のない小説もあります。例えば、谷崎の『春琴抄』」と書いたところ、ある学生が次のような事を教えてくれました。

──「日本語表現法(必修)」という授業の中で「読点の決まり」を習った。[「規則はない」とする考えと]どちらが正しいかは私の現在の知識では判断がつかないが、参考のために授業で習った原則を記しておく(テキストより引用)。

① 長い修飾語の原則
 1つの文に長い修飾句(節)が2つ以上ある場合、その境界に「、」を打つ。
② 逆順の原則
 語順を正規のものから逆転する場合、逆転した語句の後に「、」を打つ。
③ 複数の文の原則
 複数の文章をつないだ場合、文と文の境目に「、」を打つ。
④ 連続する漢字・仮名区切り
 「従来、年度の初めに」のように誤読(この場合「従来年度」という語がある)される危険性がある場合
⑤ 3つ以上の語句の区切り
 「~にはA、B、Cがある」のように3つ以上の語や句が続く場合
⑥ 助詞を省略する場合
 「イギリスの少年、ジェームズ・ワットだった」のように「である」などが省略されている場合(引用終わり)

 インターネットなどでの一応の基準を示したのでしょう。なお、『春琴抄』にもほんの少しは読点が打ってあります。

  用例による研究

 01、イサムは、フリーダの描く絵にも強烈な印象を受けた。リベラのものよりおもしろいと思った。まだ素人としかみられていなかったフリーダの絵を高く評価した、イサムは最初のひとりとなる。(ドウス昌代「イサム・ノグチ」)
 感想・下線部は「イサムは、まだ素人としかみられていなかったフリーダの絵を高く評価した最初の人たちのひとりとなる」という意味でしょう。いかにも西洋語の影響を受けた表現です。それはともかく、これはここに読点がなかったら、少し戸惑うでしょう。
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非正規雇用(05、非正規公務員)

2009年07月27日 | ハ行
 「公務員は安定している」というイメージの陰で、自立できない低賃金で、不安定な短期契約を繰り返しながら働く非正規の公務員が全国の自治体で増え続けている。実態を広く知ってもらおうと、04月26日には「なくそう! 官製ワーキングプア」集会を東京で開き、当事者たちが声を上げる。

 自治体では、少子高齢化で公的サービスが膨らむ一方、財政削減に迫られ、正規の職員を減らして短期契約の非正規職員を増やす動きが進んでいる。2008年の総務省調査では、正規職員約140万人に対し、非正規は約49万8000人。2005年から9.5%増えたが、対象は契約期間が半年以上、過労働時間20時間以上の働き手で、実態はもっと多いとみられる。

 自治労は2008年、傘下労組がない自治体も含めて調査し、約60万人の非正規職員がいると推定する。全国の自治体職員の28%が非正規職員で、非正規が正規を上回る自治体も29自治体ある。

 だが、非正規職員の待遇は、「安定した公務員」とはばど遠い。公務員は原則、無期雇用のため、地方公務員法の中の緊急、臨時の仕事(22条)や急な欠員補充(17条)などの条文を拡大解釈して充てている。このため、短期契約を何度も繰り返し10年も働く「臨時職員」などが続出した。

 人件費の枠外であるため、事業予算の一部をさいて賃金に充てる場合も多く、2008年の自治労調査では、時給900円未満が5割を超し、フルタイムでも年収200万円に届かない例が少なくない。

 兵庫県のある自治体で働く非正規の保育士(37)は、地方公務員法22条の臨時職員として、日給制の半年契約を繰り返し11年間働いてきた。正規の保育士との違いは1日の労働時間が15分短いだけだが、年収は220万円程度。臨時職員は更新は1回限りのはずだが、市は、年末年始の休みで「契約終了」とし、その後、「新規採用」扱いで更新を繰り返してきた。

 月5万5000円の家賃を払うと貯金もできず、「農家の実家からコメと野菜を送ってもらってしのいでいる」と言う。正規の職員に保障されている住宅手当もなく、前年の年休の繰り越しもできない。

 こうした実態は、公務員の人件費削減を求める住民や議会の前に表面化しにくかった。だが、ここ数年、非正規職員からの訴訟も相次ぎ、何回も契約を更新した後の契約打ち切りへの損害賠償や、非正規職員への退職金を認める判決も出ている。

 集会の実行委員会メンバーで自治労荒川区職員労組の白石孝書記長は、「貧困な働き手を増やすことで納税者や年金の担い手を減らしていくことは自治体にとってもマイナス」と話す。

 集会を機に今後、全国の非正規公務員の実態をつかみ、実態にあった制度改正を働きかける方針だ。

 集会は04月26日午前10時から東京都千代田区の総評会館で。

    参考(非正規職員の種類とその根拠法)

臨時職員(一般職)、地方公務員法22条。緊急や臨時の職。任期は半年以内、更新は1回。

非常勤職員(特別職)、地方公務員法3条3項。専門的技能を一時的に提供。
   任期は通常1年以内、更新は可能。

非常勤職員(一般職)、地方公務員法17条。欠員が出た場合、試験などで採用。
   任期は通常1年以内。

  (朝日、2009年04月24日。編集委員・竹信三恵子)
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都立・東京港野鳥公園

2009年07月25日 | ヤ行
                  作家・加藤幸子

 春、とても晴れたある日、東京都大田区の自宅からぼど近い「東京港野鳥公園」に行ってきました。

 今年で開園20周年になるあの公園は、私が野鳥好きの人たちと一緒になってつくった都会のオアシスでもあり、北海道に生まれ、子供時代を北京で過ごし、都会で人生の多くの時間を過ごした私をナチュラリストの作家活動へといざなった原点のひとつです。

 ボランティアの人たちがつくった田にレンゲの花畑が広がっていました。豆科のレンゲソウは、昔から地味を豊かにずるとされ、「里山」の要素としては欠かせないものです。都会ではなかなかお目にかかれないキンランの黄色い花弁の鮮やかさ。クヌギやコナラの雑木林は武蔵野の再現です。

 私が特にお気に入りのスポットは、自然生態園の一角にある「4号観察小屋」。森に囲まれたこぢんまりした淡水池が見えます。こここそ、31年前の1978年、野鳥公園の前身として役所(東京都)から私たちが野鳥たちのために最初に確保した場所なのです。

 地元の親子自然観察会「小池しぜんの子」の代表だった私が、大井埋め立て地という殺伐な響きを持つ存在と渡り鳥の関係を知ったのが、1975年の02月。枯れ葦(あし)がびっしりと茂っている水辺に立ち、英国の詩人T・S・エリオットの「荒地」が頭の中をよぎったことを今でも覚えています。水上には、数千羽のカモやカモメの群れが楽しそうに浮いていました。あの瞬間からまさか十数年にわたる活動に身をおくとは想像もしませんでした。

 1970~80年代の右肩上がりの経済成長期、その先端を走っている大都会のど真ん中で市場(いちば)という食の拠点建設計画地の「荒地」が、実は、愛する野鳥たちの生息地だったとは!

 「人間のためではなく、野鳥のためですか?」。当時の役所側の反応でした。当たり前かもしれません。まさに「野鳥のため」に、「文学主婦」だった私が人生の一大決心をしたのです。

 6万人を超える署名活動を成功させても、行政や議会の方針は紆余曲折、難航の数々。行政や企業に食ってかかるのではなく、市場(しじょう)原理という経済も私や仲間たちは勉強しました。そのうえで説得を重ね、行政マンからも理解者を得たのです。公園という公的なものをつくりあげるには、政治、企業、市民のそれぞれの論理のバランスがとても大事。それは環境再生への連鎖ともつながる論理です。

 運動中の1983年、芥川賞を受賞したら、行政側の態度が急に丁寧になり、驚きました。その年に私たちの活動団体と東京都は修正案に合意、野鳥公園の基本計画は、日本野鳥の会に都港湾局から委託されました。

 野鳥公園のカイツブリたち。もうすぐ雛たちを背中におんぷして移動します。昔、全共闘の若者が同世代の警察官と激突していたころ、私も赤ん坊をおんぶしながらビートルズを聴いて、婦人雑誌投稿の賞金で映画音楽全集のLPを新橋で買ったりしました。子供のころ戦争も経験したし、つまずいたこともいろいろあったけれど、野鳥公園設立運動はほんとに劇的な想い出。

 「鳥も、人も、いつまでも」。東京港とつながっている潮入りの池でキアシシギやメダイチドリの上をジェット機が飛ぶのを見てそう願いました。

★ 加藤さんは本来、理科系の方。自然と人間への観察眼は緻密。自然と共に紡がれてくることばに豊かさと強さを感じます。

   (朝日、2009年06月13日。羽毛田弘志)
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きのこ総合センター

2009年07月23日 | カ行
 伊豆は、シイタケ栽培の発祥地なのだそうだ。古文書などを元にした「伊豆椎茸物語」(和田雄剛著)によると、天城山ろくで1741年、日本で初めて企業的、人工的な栽培が始まった。門野原村(のちの旧天城湯ヶ島町、現在の伊豆市)に住む石渡清助という20歳の若者が最初に手がけた。

 雨が多く、温暖な気候がキノコの発生に適していた。野生のシイタケを見つけた木に傷を付けたら、翌年に大量発生。そうしたことがヒントとなって栽培技術を高め、キノコ師と呼ばれた伊豆の人たちが、全国各地を栽培指導に回ったという。天城山ろくには、明治から昭和にかけて、栽培者を養成するための伝習所もあった。

 全国に広まったシイタケ栽培はいま、大分県が全国1の生産量(2007年度、乾シイタケ)。高齢化などによる後継者不足が進む静岡県は7位だった。

 シイタケ栽培発祥の地を守る県きのこ総合センターでは、栽培技術の実証調査として年間1トンを生産。主に乾シイタケにしているが、その量は専門に手がける農家の10分の1以下という。東部農林事務所の職員としてセンターに駐在している内藤政雄さん(49)は「栽培技術は、プロの栽培農家のレベルが高く、品質も良い。後継者の育成までにはいっていないが、新たな担い手の発掘や育成を検討している」と話す。

 老舗(しにせ)としての高いレベルは、伊豆の特産品となった。特に高品質の乾シイタケは、最初に手がけた若者の名にちなんで「清助(せいすけ)どんこ」と呼ばれている。
  (朝日、2009年07月03日。佐藤孝則)

  メモ

 1971年にできた「林業試験場しいたけ現場適用試験地」が前身。

 5500本のホダ木で原木栽培するほか、菌打ち体験や料理教室、きのこ祭りも開く。

 展示室では栽培の歴史、万国博覧会への出品や品評会での成績などを紹介。

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ヘーゲルの英雄論

2009年07月21日 | ハ行
                         牧野 紀之

 英雄待望論が聞かれてから久しい。最近のある調査も、多くの人が現状への漠然たる不満を持ち、誰かが解決してくれないかと願っている、と伝えている。我々はこういう風潮をどう見るべきなのだろうか。ファシズムヘの危険を感じるべきか、真の改革へ前段階と見るべきか。この問いに答えるためには、そもそも英雄とはなにか、英雄と大衆とはどう関係しているのか、英雄と真理とはどう関係しているのかと問うてみるのが、物事を根底から捉え直す哲学の態度であろう。管理社会といわれる現代にあって、へーゲルの英雄論を振り返ってみる所以である。

    第1節 ヘーゲルの歴史観

 へーゲルの英雄論は彼の歴史観の核心をなしている。したがってまず、その歴史観を論理的に整理しておこう。

 ヘーゲルの歴史観はいうまでもなく、彼の哲学体系の第3部精神哲学の第2巻客観的精神の第3章人倫の第3節国家の第3段階世界史で述べられている。ということは、世界史は国家の真の姿を開示したものだということであるが、それよりもまず、それは精神哲学の一部であるということである。

 世界史の地盤は「その内的な姿と外的な姿の全範囲において捉えられた精神的現実」(1) である。その実体ば民族精神である。しかるに「その民族精神は1つの自然的個体であり、したがって開花し、強くなり、また弱くなり、そして死ぬのである」(2) 。いろいろな民族精神の興隆、衰退の過程を貫いているのが世界精神であり、へーゲルはその意味で、世界史は世界法廷であると言っている(3) 。一般にも「歴史の審判」といった表現があるが、へーゲルの歴史観はそういった考えを根底に持っているのである。

 さて、民族精神の担い手である民族はそのままでは国家ではない(4) 。国家とは「民族が自己内で分肢に分かれていて、1つの有機的全体となっている限り」での民族のことである(5) 。その分肢とは、「観念的様式」としては、宗教、芸術、哲学があげられているが、そのほかにも婚姻制度や礼儀作法といった風俗習慣、工業、農業、民法、有限物についての諸科学などが挙げられている(6) 。これらのものを契機として含む全体を国家体制(Verfassung)と呼んでいる。

 国家体制は、国家が民族精神を実際に体現している姿であるから、その「現実化」とされている。同時に国家は、民族精神にのっとって作りあげられなければならないものであるから、精神の「素材」と呼ばれるのである。それでは、この素材としての国家を民族精神に合致した国家へと、しかるべき国家体制へと作りあげるのは誰の仕事なのか。もちろん歴史の主体は民族精神であった。しかし、だからといって、民族精神がみずから手を下して国家体制を作るのではない。それは自己を実現する「手段」として人間を、個々人を使うのである。個々の人間はみな自己の利益(Interesse)のために情熱をもって生きている。その目的を達成することもあれば失敗することもある。しかし世界精神は、そういった個々人の行為の織りなす現実のなかで、着実に自己の本性(自由)を実現していく。これがヘーゲルのいう、理念が個人を手段として使うということの意味であり、「理性の狡知」説である(7) 。

 以上のことを整理すると、精神的現実(歴史)の契機は結局、理念(世界精神、民族精神)と個人(情熱)と国家の3つになるが、三者の関係を考えると、「理念そのものと人間の情熱とが世界史という絨緞の縦糸と横糸である。その中項をなすのが人倫的自由(国家体制)である」(8) といわれるのである。そしてこれら3つの契機は、それぞれ、世界史に論理的に先行するとされている、家族、市民社会、国家の止揚された姿であり、だからこそ世界史は、人倫の最終段階として位置づけられたのである。

 歴史は、芸術、宗教、哲学のように純粋に観念的なものではなく、自然的現実のなかに起る出来事であった。したがって「歴史的発展の諸段階は、直接的で自然的な諸原理として現存するのだが、それが自然的であるが故に、相互外在的な多として現われる。したがって、1つの民族には1つの原理が帰属するということになるのである」(9) 。そしてこのような原理を持つ民族が、その限りで、世界精神の対応段階の執行者となるのである。その原理は4つあり、実体的精神、美的人倫的個人性、抽象的普遍、無限の分裂から統一に帰った実体であり、それぞれに、オリエント世界、ギリシャ時代、ローマ時代、ゲルマン時代が対応する(10)。これがヘーゲルにおいて世界史の一般的行程とされているものである。

    第2節 民族精神と個人

 歴史の実体は民族精神であった。しかしヘーゲルはスピノザ主義者ではなかった。実体を同時に主体と見るのが彼の哲学であった。民族精神はいかにして主体化されるのか。個人によってである。したがって本節では、英雄論をにらみながら、この点を立入って検討しよう。

 ヘーゲルは言う。民族の興隆期にあっては個人が民族精神から分離するということはない。民族の反省期において初めて両者は分離するのである(11)。従ってどの個人も民族の子であり、その国家が発展途上にある限り、時代の子である、と言われるのである(12)。

 個人はそれぞれの目的を追求して生きる。しかしそれによって、その個人には意識されない、より高い目的、民族精神の事業が成就される(13)。歴史にあっては、その精神の努力の結果は、個人の技能のような主観的なものの場合もある(14)が、同時に、科学、宗教、芸術、制度といった形で客観化されている(15)。従って一般に「個人は、民族の存在を自己がそれに合体しなければならないところの、すでに出来上がった、固定した世界として目の前に見いだすのである。個人はひとかどの者になるためには、この実体的存在が自己の感覚様式や技能になるくらいにまで、それを我が物としなければならないのである」(16)。このような前提のもとに行なわれる個人の努力の結果が歴史の絵模様となるのであるが、それはいろいろな分肢を持った国家体制の中で具現されるのであった。したがって個人は、一般的には民族の子であるが、特殊的にはどれかの地位(Stand) に属し、国家体制の中に自己の位置を持つのである。そのことは同時に、各個人にとってはその地位に固有の義務が前提されるということでもあるのである(17)。

 個人はみな、民族の子であり、時代の子であり、それぞれの地位に属している。それでは、個人はみな、互いに同じなのだろうか。ヘーゲルは答える。諸個人はこの民族精神を体現している度合いによって互いに区別される(18)。つまり、個人によって実体の主体化の程度が異なるのである。したがって個人の価値は民族精神の代表者であることに存し、個人の道徳性はその人が自己の地位の義務を忠実に果すことに存する、と言われるのである(19)。そしてヘーゲルは民族精神を十全に体現した人々を Geistreiche(精神に満ちた人々)と呼び、der gebildete Mensch(形成された人、教養ある人)と呼んでいる。こういう人々は民族精神を知り、自己の特殊性を放棄し、自己と民族全体とをその普遍的精神にしたがって導びくのである(20)。

 それではこれらの民族偉人たちはこの普遍的精神をどのようにして知るのか。それは義務や法律(掟)や習俗の中に与えられているのである。したがってそれを知ることは難しいことではない。難しいのは、自己の特殊性を放棄してそれを実行することなのである。この点にこれらの偉人が凡人と異なる特長があるのである。私ばこの種の偉人を「体制内指導者」と呼びたい。これは民族精神と個人とが一致している時期に、その精神を発展させ、完成させ、維持していく過程での指導者だからである。

    第3節 英雄と民衆と哲学者

 民族精神は自然的個体として、開花し、また衰えるものであった。その死は、国際社会において価値を持たなくなる点に現われる(21)。しかしその民族の達成した原理は現実的なものであり、死ぬことはない(22)。新たな民族精神は前の民族精神の真理であり、展開された形態なのである。

 それでは、ある民族精神が前代のそれに代って登場するとき、新しい民族精神(実体)を主体化し、実現する個人はどのようなものであろうか。へーゲルはこれを先の体制内指導者と区別して、「英雄」とか「世界史的人物」と呼んでいる(23)。英雄は、それ以前には知られていなかった新しい原理を最初につかむのである。その原理は、体制内指導者の場合のように、法律や習俗の中に与えられてはいない。したがって英雄は、自己の成就する普遍的なものを自己自身の中から汲み出すのである。しかし、だからといって、その普遍的なものは英雄によって作り出されるのではない。それは永遠に現存しているものであり、ただ英雄によって定立され、英雄とともに尊敬されるのである。したがって、英雄において驚嘆に値することは、ただ彼らが自己を民族の実体の器官へと作り上げたということだけなのである。そしてへーゲルはこのことを、英雄は民族精神を知る (wissen) と表現しているのである(24)。以上が英雄と民族精神の関係である。

 しかし個人はみなが英雄なのではない。それ以外の人々は民族精神とどう関係しているのか。へーゲルはこの観点から、英雄以外に民衆と哲学者とが区別されるとして、民衆が民族精神をとらえる様式を「感じる」 (fühlen) とし、哲学者のそれを「概念的に理解する」(begreifen) と呼んでいる(25)。これら3つのとらえ方はどう違うのか。へーゲルはいう。一歩先に進んでいる精神はすべての個人の中にある魂なのである。しかしこれは民衆にとっては、意識されない内面性にとどまっている。英雄はこれを民衆に意識させるのである。民衆は、自分の固有の内的な精神が自分の向こう側に立っているのだが、それにもかかわらず、それが不可抗な力をもって現われるのを感じるが故に、英雄たちに従うのである。英雄はといえば、それはいまだ隠れている精神が現在の戸をたたくのを聞き知り、最初にそれを告げ知らせるのである。しかし英雄は、自分たちの作り出す諸形態もまた普遍的理念の契磯にすぎないことを概念的に理解するには到らない。概念は哲学にのみ固有のものなのである。世界史的人物は概念を持たない。なぜなら彼らは実践的だからである(26)。ということは、移り変る諸形態の「生成の必然性」を認識するのは、実践的ではない人、つまり観想的な哲学者が、事が済んでからする仕事だということである。これがへーゲルのかの「ミネルヴァのふくろう」理論であった。

 要するに、民衆は感じ、英雄は知り、哲学者は概念的に理解するという図式は、実は、へーゲル論理学における存在論、本質論、概念論に対応し、それぞれ、感覚、悟性、理性に対応しているのである(27)。ここまでくれば更に、英雄の知と哲学者の概念は、『精神現象学』における意識の立場と我々(哲学者)の立場に対応していることに気づくのも容易である。しかし同時に我々は、ここで、論理学や現象学と歴史哲学との違いを見落とすことはできない。前二者にあっては、理性は感覚と悟性とを統一するものとして、また哲学者の立場は意識の立場を止揚するものとして捉えられていた。しかるに歴史哲学では、英雄と哲学者は分けられたままついに統一されないのである。それでは英雄の仕事の理性的性格、その真の根拠はどこに求められるのか。実に、この問いへの答えとしてヘーゲルの出したものこそ、かの有名な「理性の狡知」だったのである。私はここにヘーゲル歴史哲学がへーゲル哲学の根本的立場から一歩後退している姿を見るのである。こういう所に彼の観念論が顔を出してくるのである。したがってマルクスの英雄論(あえてそう呼ぼう)は、まさにその唯物論の故に、この点でへーゲルの概念の立場を正当に継承し、発展させることができたのである。

 マルクスはいう。「たしかに批判という武器は、武器による批判にとって代わることはできない。物質的暴力は物質的暴力によってくつがえされなければならない。しかし理論でさえも、それが大衆をつかむやいなや物質的暴力に転化するのである」(28)。すなわち大衆は存在であり、理論家(指導者)は思考であるということであり、これはへーゲルにおける英雄と民衆の関係に酷似している。しかしマルクスは、英雄と哲学者とを分けるへーゲルには従わない。マルクスは言う。「経済学者たちがブルジョア階級の科学的代表者であるのと同様に、社会主義者たちと共産主義者たちとはプロレタリア階級の理論家である。プロレタリアートがまだ自己を階級に構成するほどにまで発達していない限り、したがってプロレタリアートとブルジョアジーとの闘争そのものがまだ政治的性格を持たない限り、そしてまた、ブルジョアジー自身の胎内で、生産諸力がまだプロレタリアートの解放と新しい社会の形成とに不可欠な物質的諸条件を予見させるほどにまで発展していない限り、これらの理論家たちは抑圧されている階級の窮乏を予防するために、いろいろな社会体制を案出したり、社会を再生させるような科学を追い求めたりする空想家にとどまるしかないのである。しかし歴史が前進し、それとともにプロレタリアートの闘争が一層明確になってくるにつにつれて、プロレタリアートの理論家たちはその科学を自分の精神の中に捜し求める必要はなくなるのである。彼らは自分の目の前で起っていることを理解し、その器官になりさえすればよいのである」(29)。

 これは、自分たち(マルクスとエンゲルス)の科学についてのマルクスの自己認識であり、これが唯物史観の唯物史観的把握である。つまり、目の前で起っている事柄の器官になることである。ヘーゲルの英雄も民族構神の器官になった人のことであった。しかし、ヘーゲルはそれを悟性の仕事とし「知」と呼んだ。マルクスはそれを理性の仕事とした。それによってマルクスは、このような実践と結びついた理性とは無縁の、観想的な哲学を否定したのである。ここにへーゲルとマルクスの違いがある。

 しかしヘーゲルが、英雄は実践的であるが故に概念的ではなく悟性的であると言ったことには何の意味もないのだろうか。我々の経験に照らしてみても、理論家必ずしも名リーダーならず、名リーダー必ずしも大理論家ではない。実践において直接扱われるのは個別の世界なのである。したがって例えば、蜂起の日は10月26日でなければならず、25日でも27日でもいけないということを、その時の状勢から見抜くのは判断能力の問題であって、このことを論証することは不可能なのである。しかし、同時に我々は、正確で深い判断能力は長年の経験と多くの思索の結果であることを知っている。つまり個別的な事柄についての判断能力と普遍的な事柄についての認識能力とは、一応別々だが、その根底においてはやはり深い関係を持っているのである。

 ヘーゲルが、概念の判断と概念の推理(客観性及び理念)の統一として絶対理念を出し、また認識の理念と実践の理念との統一として絶対理念を出してきたとき、そこで意図していたことは実はこのようなことであったと考えられる。そしてこれはすべて、概念の立場からの必然的帰結だったのである。ということは、概念の立場を追求していけば英雄になるということである。概念の立場とは、かつて論じたように(30)、真理を主体的に実現していく立場であり、自我の目覚めにおいて純粋に現われるように、一切のことを人類の立場から、また自分はどう生きるかという観点から、自分の頭で考え直す立場のことである。従って、英雄とは徹底的に概念の立場に立っている人のことだとするならば、人間はだれでも、自分の頭で考えれば考えるほど、それだけ英雄になるということである。

 英雄はどこか外からやってくるものではない。すべての人が自分のなかにその可能性を持っているものなのである。ただ人によって違うのはその自己内の可能的な英雄をどれだけ現実化したかということにすぎないのである。英雄の意義を低めるのも間違いなら、それを天から降ってくるものと崇めるのも間違いなのである。これがへーゲルとマルクスの英雄論からの帰結であり、一切の個人崇拝を拒否する真の英雄論である。従って、現下の英雄待望論は、自分自身こそ英雄であり、自分自身が立上る以外に真の改革はありえないことを忘れて、自分の外に英雄を待望している限りにおいて、疎外された英雄論と評されなければならないのである。

 (1) ヘーゲル『法の哲学』第341節
 (2) ヘーゲル『歴史における理性』ホフマイスター版、67頁
 (3) ヘーゲル『法の哲学』第340節
 (4) 同上所
 (5) 『歴史における理性』ホフマイスター版、114頁
 (6) 『歴史における理性』ホフマイスター版、129~135頁
 (7) 『歴史における理性』ホフマイスター版、105頁
 (8) 『歴史における理性』ホフマイスター版、83頁
 (9) 『法の哲学』第346節
 (10)『法の哲学』第347節
 (11)『歴史における理性』ホフマイスター版、67頁
 (12)『歴史における理性』ホフマイスター版、95及び122頁
 (13)『歴史における理性』ホフマイスター版、88頁
 (14)人間国宝などがその例である。
 (15)『歴史における理性』ホフマイスター版、65~66頁
 (16)『歴史における理性』ホフマイスター版、67頁
 (17)『歴史における理性』ホフマイスター版、137頁
 (18)『歴史における理性』ホフマイスター版、60頁
 (19)『歴史における理性』ホフマイスター版、94頁
 (20)『歴史における理性』ホフマイスター版、60及び65頁
 (21)『歴史における理性』ホフマイスター版、68頁
 (22)『歴史における理性』ホフマイスター版、69頁
 (23)『歴史における理性』ホフマイスター版、97頁。ヘーゲル自身にこういう区別があったと主張するのは、私が初めてのようであるが、その根拠は、第1に、本文で述べたように、実体を知る方法が根本的に違うこと、第2に、ヘーゲルの次の言葉である。「国家の中では〔国家体制が出来てからでは〕英雄は存しえない。英雄はただ、まだ形成されていない状態にのみ現れるのである」(『法の哲学』第93節への付録)
 (24)『歴史における理性』ホフマイスター版、98頁
 (25)『歴史における理性』ホフマイスター版、98頁
(26)『歴史における理性』ホフマイスター版、97~99頁
 (27) ヘーゲル認識論の実際の意味は、拙著『労働と社会』に収めた論文「弁証法の弁証法的理解」、及び「『パンテオンの人人』の論理」で、分かりやすく述べておいた。
 (28)『マルクス・エンゲルス全集』ディーツ版、第1巻、385頁
 (29)マルクス『哲学の貧困』
 (30)拙稿「ヘーゲル哲学と生活の知恵」(『生活のなかの哲学』に所収)

  (この論文はお茶の水書房刊『社会科学の方法』1972年2月号に掲載された)

     関連項目

「英雄やーい」(『生活のなかの哲学』所収)
牧野紀之著『マルクスの<空想的>社会主義』(論創社)

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鶏鳴出版からのお知らせ(関口ドイツ語講座のCD版発売)

2009年07月19日 | 読者へ
       関口ラジオ講座の要点

 CD1枚。4000円(税送込み)

 (CDには、テキストに準ずるメモもPDFファイルにして入れてあります。MD2枚あるいはテープ2本と紙のメモにしてほしいという方はその旨付記してください。断りがなければCDの注文とみなします)

 01、開講の挨拶
 02、勉強の仕方
 03、暗記の重要性
 04、文法の意義
 05、発音(r はなぜ母音化するのか)。
 06、発音(n を日本流に発音してはならない)。
 07、発音(長い母音と短い母音の発音の違い)。
 08、発音(語頭の母音の発音は英仏とは違う)
 09、いろいろな音(鐘の音、秒針の音、列車の音)。1956年10月18日
 10、ゲーテの詩・Stirb und werde 。鈴木さん出演。1956年08月31日
 11、ゲーテの詩・Grabschrift (墓碑銘)。1956年09月28日
 12、カール・ブッセの詩・Ueber den Bergen(山のあなた)。1956年10月31日
 13、ファルケの詩・Gebet(祈願)。1956年12月31日
 14、ゲーテの詩・Erinnerung (警告)。1957年01月31日
 15、ハイネの詩・Du bist wie eine Blume(花のをとめ)。1957年03月28日


     関口ラジオ講座1956年度1年分

 CD9枚に以下のものがみな、入っています。

1、関口存男(つぎお)氏の1956年度のNHKラジオドイツ語講座の録音。
2、牧野紀之の作ったメモノート(B5で58頁くらい)
3、関口著「標準ドイツ語読本」(2巻本、三修社)のコピー。
4、関口著「趣味のドイツ語」(三修社)の関係箇所のコピー。
5、関口著「ドイツ語大講座中巻」(三修社)の関係箇所のコピー。

 定価、全部で4万5000円(税送込み)

 備考

 MDに入れてほしいという方には、MD52 枚に「1」を入れて、2以下は紙のコピーで用意します。但し、この場合は全部で5万円です。

   鶏鳴出版

 郵便振込みでお申し込みください。
 00130-7-49648
 加入者名・鶏鳴出版

 関口ラジオ講座の説明

 NHKのラジオドイツ語講座がいつから始まったのか、はっきりとは分かりません。戦前はドイツと特別に仲がよかったので、既に戦前からあったようです。年譜によると、関口存男(つぎお)さんも出演しているようです。

 終戦後は英会話がまず始まりましたが、ドイツ語も1951年04月から再開されたようです。

 そして、関口さんも年譜によると1955年04月から(ひょっとすると、1956年04月から、かもしれない)「死去まで」、つまり1958年07月まで初級(といっても中級は多分なかったでしょうが)を担当しています。

 その放送の内の1956年04月02日から死去の直前まで(1958年07月04日)の分を録音したテープ(の何度かダビングした結果のもの)を入手しました。録音状態は好い方だと思います。それをMDにダビングして、余計なもの(フランス語など)を除き、順序の乱れているところを正常にしました。

 全部聞いてみましたが、内容的に充実しているのは最初の年のものだけです。1957年度以降のものは、大幅なレベルダウンとなっています。多分、聴取者から「レベルが高すぎる」との意見が多かったのでしょう。

 この放送にしかないであろう詩の解釈と語学的説明を中心にして、それに、リスナーの質問に答えた勉強法(暗記の意義、文法の意義)の説明と、ラジオならではの発音の説明と実演、及び Alles spricht Deutsch(〔ドイツでは〕すべてがドイツ語をしゃべる)という、関口さんならではの面白い講義を加えて、MD2枚にまとめました。

 詩の中には、上田敏が「海潮音」に入れました詩の内の2つ(山のあなた、花のをとめ)の原詩が入っています。この関口さんの説明を聞いて初めてこれらの詩の意味が、一応ですが、分かりました。と同時に、上田敏は関口さんと同じように理解した上で訳しているのだということも分かりました。関口さんと同程度に理解しているとは、上田敏の語学力も凄かったのだなと思いました。

 Alles spricht Deutsch はとにかく楽しいです。教会の鐘の音や時計の秒針の音とかをドイツ語では何というかなどと紹介しています。圧巻は蒸気機関車の「ドイツ語」で、それが速度を落としていって止まるまで、又そこから動き出して、全速力で走るまで、ドイツの機関車は何と言うか、熱演しています。

 以上は以前、MD用に書いたものですが、今回、「CDに焼く」ということが出来るようになりました。そこでCDとして発売することにしました(1957年度のものは今、音声ブログ「ケロログ」で公開し始めました)。

 テキストそのものは持っていませんからコピーできませんが、事実上、この年度のテキストは「標準ドイツ語読本」を下敷きにしています(下敷きであって、完全に同じではない)から、これでほとんど分かります。

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イタリアの教養教育

2009年07月18日 | カ行
 ピサ。斜塔で知られる小さな街は、濃霧の中で、知の怪人たちの魂がふわふわと漂っているようだった。

 ゲラルデスカ宮殿。14世紀に詩人ダンテが「神曲」の地獄篇で、宮殿内の塔に幽閉されたウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ伯爵が飢えのため、息子たちの遺体を食べた、と描いた。れんが造りの塔は16世紀、ダピンチなどの美術家列伝でも知られる建築家バザーリが外から見えないように改築した。同じころ、後に地動説を唱えて宗教裁判にかけられたガリレオが、この街で生を受けている。

 宮殿はいま、イタリア随一の国立大学「スクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレ」の図書館になっている。ノルマーレは、北イタリアを支配していたナポレオンの命で1810年に創設され、いまも全国から選(え)りすぐりの秀才たちが学ぶ。毎年、各地の高校が推薦する千数百人の優等生が選抜試験に臨むが、合格できるのは60人に満たない。

 歴史が刻まれた狭き門をくぐり抜けた学生には、「ノルマリスタ」という特別な呼称が与えられる代わりに、5年間の徹底的なエリート教育が待っている。全寮制の寄宿費や学費はもちろん、1日3回の食費や教科書代も全額免除。毎月の小遣いまで支給される恵まれた環境だが、その勉学ぶりはすさまじい。

 理学部3年生、デイエゴ・スカラベッリ(21)の1日を追ってみた。

8:00──起床。学生寮での朝食後、自転車でピサ大学へ。
8:30~10:00──物質構造
10:00~12:00──量子力学
12:00~13:00──数学ⅡB
13:20~13:40──寮のジムで軽く運動。高校時代は陸上400メートル障害の選手だった。
13:50~14:30──ノルマーレの学食で同級生と昼食。パスタや煮込みなどをかき込む。ピサ大学の食堂も、利用できるが、「2.5ユーロ(約290円)かかるから、だいたいこっちに来る」。
14:30~16:30──生物医学的分析のための技術
16:30~17:00──自習
17:00~19:00──物理学のラボで実験。「理論より実践的な物理が好きなので、楽しい」
19:30~20: 30──夕食
21:00~01:00──自習

 授業と自習で1日12時間以上も勉強している。楽しみは陸上とギターの練習だという。「今はとても恵まれた環境なので、将来は何かで社会に貢献してお返ししたい」と夢を語った。

 欧州では最近まで、高等教育がごく一部のエリートや研究者を目指す学生に限られていた。 ところが、経済協力開発機構(OECD)の2008年版調査結果によると、英国やドイツなど欧州9ヵ国の平均大学進学率は、この10年余りで3割台から5割以上へと飛躍的に伸びた。

 大学の大衆化が歓迎される一方で、長い歴史を持つ欧州の教養教育が揺らぐのでは、就職向けの実利的な教育が優先されるのではないか、と懸念する声もある。しかし、ロンドン大学教育研究所のロナルド・バーネット教授は「欧州では哲学など人文系の学生数が増えている。最近はMBA(経営学修士)課程でも社会学的なカリキュラムが組まれており、教養教育の重みは変わるまい」とみる。

 ローマ大学のロベルト・アントネッリ人文学部長も「欧州の大学は、エリート研究者向けと就職向けに二層化したが、教養教育は前者に引き継がれる。大きな変化はない」と話した。

 時代の波に洗われてきた欧州でも、「変わらない」大学の代表格が、イタリア中部ピサのスクオーラ・ノルマーレスーペリオーレだ。

 学生は全員、日中は近くにある別の名門・ピサ大学で授業を受けなければならず、事実上二つの大学に通う勉強漬けの日々だ。日本の学士課程にあたる3年間を終えると、2年間の修士課程に進む。5年間を通じて毎年論文を出すほか、筆記と口頭の進級試験がある。文学部5年生のアレッサンドラ・ザルコーネ(23)は「これだけ勉強すると、自分が本当に何を学びたいのか、はっきりわかる。教授たちは最新の研究成果をどんどん教えてくれる」と目を輝かせた。

 冬の短い日がとっぷりと暮れた午後6時すぎ、コートの襟を立てた16人の3年生たちがノルマーレの教室に入ってきた。あいさつもなく黒板に複雑な数式を書き始めたのは、幾何学のウンベルト・ザンニエル教授。ささやくように説明した後で「わかったか?」と短く確認し、どんどん先へ進む。

 「学生の3分の2は学者の道を進み、残りはIT業界などに就職する。ここでの経験がどこでも生きるように学問をたたき込むのが私の役目だ」。淡々と話す教授に「ノルマリスタに必要な素地は何か」と記者(郷)が尋ねると、意外な答えが返ってきた。

 「ラテン語ができることだね」。

 理系でラテン語? 思わず聞き返すと、教授はきっばりと言った。「ラテン語の論理構造は幾何学的だ。だから、数学にも非常に役立つ」。

 「確かにラテン語は、どの分野の学問にとっても大切だ。それに加えてギリシャ語も、ひいてはリベラルアーツ、教養全般が必要だと私は信じている」。ノルマーレの薄暗い古文書室で、サルバトーレ・セッティス学長は力説した。

 学長の言う「教養」には、いわゆる3学(文学、修辞、論理)・4科(算術、幾何、天文、音楽)の自由7科だけでなく、哲学などの人文科目全般が含まれる。

 「現代では生物や物理なども必要な学科だ。でも、学問とはそもそも調べ、探求し、書くこと。疑問を感じ、批判できる創造性を作るのが大学で、それに欠かせないのが教養だ」。

 ノーベル賞学者や政治家が輩出したノルマーレ。現代の代表的ノルマリスタが、伊中央銀行稔裁や大統領を務めたカルロ・アゼリオ・チャンピ(88)だ。思慮深さと公平さで、国民的人気がある。

 学長は、大統領時代にチャンピがノルマーレを訪問した際の話を披露した。「あなたは文学を勉強したのになぜ中央銀行に勤めたのか。ギリシャ文学と金融は関係ないのでは」と学生から問われたチャンピは一言、「どちらも同じだよ」と答えたという。

 「仕事が何かに関係なく、一番大切なことがある。しっかりした学問の土台に高いレベルの知識を積み上げ、批判的精神で物事に挑めるよう、ここで教養を身につけなさい。チャンピはそう言いたかったのではないか」。

 中部の高校で30年以上、ラテン語を教えるドナテッラ・ビニョーラ教諭によると、ラテン語は名詞や動詞が非常に複雑に変化し、配置が自由なので、図形問題で補助線を引くのに似た思考方法が必要になってくるという。

 「論理的に考えるようになるので、自己表現力やコミュニケーション能力が高まる。理系学生も学んでおいて絶対に損はありません」。

 イタリアの教養教育は、14歳から5年間の高校教育が支えている。

 高校は、主に就職向けの技術・職業高校と、大学進学向けに教養中心のカリキュラムを組む「リチェオ」の2種類に分かれる。1990年代までは、技術・職業高校への進学率が、リチェオを上回っていた。しかし、ローマ第3大学のベネデット・ベルテッキ教授(教育学)によると、2006年の高校進学率では、技術・職業高枚が10年前の45%から34%に減り、リチェオが25%から40%に増えて逆転した。

 「イタリアでは教養を学びたいという生徒が増えている。テロや経済低迷で将来への不安が増し、教養という土台を固めるのが安全策だと思われているのでは」とベルデッキはみる。

 3人の子どもがリチェオに通うローマの精神科医、アントニオ・オノフリ(49)は、「教養の源であるローマ、ギリシャ時代からの学問を深めることは、子どもたちにとって生きていくための基礎にもなる」と話した。

 イタリアでこれほど教養が重んじられるのには、何か歴史的な背景があるのだろうか。ベルデッキに尋ねると、「近代的なリベラルアーツ教育はイタリア人が始めたから、思い入れが強い」という。創始者の名は、ビットリーノ・ダ・フェルトレ。ただ、本人の著作などはほとんど残されていない。

 「教養」の魅力とは何なのか。リベラルアーツ教育創始の地へ行けば、何か分かるかもしれない。北部マントバヘ向かった。

 北イタリア・ルネサンスの中心だったマントバにはかつて、強力な貴族のゴンザーガ家がいた。16~17世紀には、フィレンツェのメディチ家と婚姻関係も結んでいる。ベネチア近郊に生まれ、パドバ大学で文法や哲学などを学んだフェルトレを1423年、この地に招いたのもゴンザーガ家だった。

 一家が暮らした宮殿で最も有名なのが、「結婚の間」の壁画だ。華やかな貴族らの後方で、黒い帽子と服でうつむく白髪男性がフェルトレだといわれる。一番広い「鏡の間」には、その名も「リベラルアーツ」という壁画があった。コンパスや地球儀、楽器などを持つ女神に自由7科が象徴されており、教養教育に熱心だった家風がうかがえる。

 フェルトレは「心・体・道徳が調和したリベラルアーツ教育」を掲げた。宮殿の隣に寄宿学校「喜びの家」を開き、ゴンザーガ家の子弟以外に庶民の生徒も一緒に暮らした。現在は博物館になっているが、建物は昔のままで、回廊や大きな窓に明るい光が差し込む。開放的な雰囲気だったようだ。

 フェルトレが没した後、弟子たちによって学校は続き、さらにイエズス会が別の場所に大学を作ったという説がある。足跡を探して歩くうち、「『喜びの家』を受け継いだリチェオが今も残っている」と聞いて訪ねてみた。

 ビルジリオ古典高校。ジュゼッペ・モンテッキオ校長(66)は「人文教育による人格形成を重んじる我が校こそが、フェルトレ教育の後継」と胸を張った。「教養教育とは、『人間とは何か』を考えさせ、解放された精神を培うものだ。中世までの教育は、カトリックの道徳観に基づいていた。フェルトレの偉大さは、自由な精神で人間形成そのものに力を入れたことだ」。

 5年生の教室では19人の生徒を前に、フランコ・ネグリ教諭が、古代ローマの政治家・詩人のセネカ著「人生の短さについて」を教えていた。

 「ここの引用は、ヒポクラテスやアリストテレスからだね」「ほかにこういう表現をした人は?」「ソクラテスは『無知の知』が大事と言っている。何がわからないのかを知るように」。てきぱきと授業を進めていく。

 古代ローマの政治家キケロなどとと比較しながら、修辞法や対句法を説明する語り口は面白くて飽きない。あっという間に2時間の授業が終わった。

 (朝日新聞グローブ、2009年01月26日。郷富佐子)

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行革審(11、第2次最後の公開審議会)

2009年07月17日 | カ行
 浜松市行財政改革推進審議会(会長=鈴木修・スズキ会長兼社長)は10日、任期満了(08月16日)を前に、同市の行政区の廃止や削減、議会改革、区協議会充実の3項目を盛り込んだ「究極の行財政改革」と題する意見書を鈴木康友市長に提出した。

 地方自治法は政令指定市に行政区を置くことを定めている。

 しかし、行革審は「人口80万人規模の浜松市に行政区を設けることは、かえって市の一体感を損なう」と指摘。市役所、区役所、市民サービスセンターがそれぞれ事務を執行する「3層構造」の現状を非効率だとして、区を廃止したり、現行の7区を3区程度に削減したりする可能性を探るよう求めた。

 同時に「浜松市に行政区を設ける必然性はない」と結論づけ、「政令指定市の意思で行政区設置を決められるよう、国に地方自治法の改正を要望すべきだ」とも踏み込んでみせた。

 議会改革としては、議員定数を削減する一方で、議員報酬を引き上げる「少数精鋭の議会運営」を提言。

 また区協議会の委員定数増員や支援制度の充実を図り、「地域の声の取りまとめ役」の機能を果たせるよう体制を整えるべきだと指摘した。

 鈴木会長は「市税収入は減り続けると考えるべきだ。少子高齢化を見据え、究極の行革を今から実施しなければならない」と述べた。

 (朝日、2009年07月11日)

         感想

 これで第2次行革審も終わりのようです。最後に、行政改革についての考え方をまとめたということでしょう。これを読むと、行革審が行政改革というものをどう考えているかが分かります。

 確かにこれも行政改革の一部でしょうが、これの特徴は「制度設計の変更」ということです。運用面の問題は念頭にないようです。

 これを読んで思い出すのは、2001年01月06日、中央省庁が再編されて、1府12省庁になったことです(その後、防衛庁は防衛省に格上げされました)。たしかにこれで大臣の数は少なくなり、その分経費は削減されたかもしれませんが、全体として、何か国民のためになる変化があったでしょうか。誰か知っている人は教えてください。

 行革審の提案の個々の内容について言いますと、7つの区は私も多すぎると思います。区分けをしないでもいいように法律を変えるのも賛成ですが、大変でしょう。議員の数を減らして、歳費を増やして、少数精鋭にするという案はどうでしょうか。給与はあげないで下げるといいと思います。年俸600万くらいに。そして、サラリーマンも含めて、多くの人が交代でするように持って行くべきだと思います。

 運用面に絞って私見を述べます。

 ① 市長や教育長や部長が、市民からの質問に自分で答えないで、部下に丸投げして答えさせるのを止めさせるべきです。

 ② また、市長や教育長や部長や校長がブログで「週間活動報告」をするように義務づけるべきだと思います。山崎副市長のような模範があるのですから。

 ③ 何よりもまず、市職員及び教員について、正規の者についても非正規に者についても、その給与を、鹿児島県阿久根市のような形で毎年春に公開するべきです。正規職員の厚遇と非正規職員のワーキングプア振りが明らかになるでしょう。その上でどうすべきか、考えましょう。

 まあ、今までにも発言してきましたから、これくらいにしましょう。この08月には第3次行革審が始まるのでしょう。委員の人選では、「本当の」学者と「本当の」ジャーナリストを、それぞれ、最低でも1人入れるべきでしょう。

 しかし、鈴木修会長はもうやらないでしょうから、「第2の北脇」になった鈴木康友市長はどれだけ答申を尊重するでしょうか。

 鈴木修会長は、第1次の最後の公開審議会で、「補助金をもらおうというような乞食根性を捨てよう」といったような事を呼び掛けたそうで、それが少し問題になったと記憶しています(言葉は少し違っているかもしれません)。

 今回は、「議員に通信簿を付ける会を作ろう」とか、「市役所のカウンター・ホームページを作る会を作ろう」と呼びかけてくれるとよかったと思います。

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「アート浜松」(芸術文化情報誌)の紹介

2009年07月14日 | ア行
 正式な雑誌名は「Art's」らしいのですが、やはり他者に紹介する場合には、表題のようにした方が何がテーマかすぐに分かると思います。

 紹介するなどと言いましたが、私自身つい最近、偶然手にして、一読して、上質な情報誌だなと感心したばかりです。無料ですから、PR誌の一種なのでしょう。

 出している所は㈱アルティックスですが、この名前を聞いて何かが分かる人は関係者だけしょう。浜松市に財団法人平野美術館があり、もちろんその名の美術館を運営しているのですが、その関係の会社のようです。

 この雑誌は季刊誌となっていて、最新号はこの06月15日発行で、通巻第47号となっていますから、多分、この09月で満12年となるのでしょう。

 第47号の目次を見ますと、次のようになっています。

ART情報
●ニューヨーク編VOL.21/ 美術館並みの展覧会、ガゴージアン画廊、眞田一貫
●スペイン編編VOL.21/ ガウディの軌跡を追いかける、田中裕也
●ラウンド・ミッドナイトVOL.21/ 華麗なる激情、木津文哉

JAZZY情報
●ボストン編VOL.18/ 老人とボストンの春、タイガー大越
●スウエーデン編VOL.18/ ルイジアナ美術館、森 泰人

読み切り連載
●浜松と関わりのあった芸術家やパトロンたち
 第46回、浜松の書家、小沢じん庵……金原宏行
●第27回、命のゆりかご・干潟……中小路太志

特集第21回●彫刻家・流政之/ 流譜VOL.16……橋本房江

美術品●古陶磁物語─中国─白磁盤・白磁壺、浦上蒼穹堂

ARTスケジュール7月~9月
     ●財団法人平野美術館
     ●静岡県内及び愛知県内(名古屋以東)近郊美術館
     ●浜松市内美術館

ギャラリー催事情報●6人のアーティストたち、HIRANO ART GALLERY

  新連載・食楽気楽道楽

 ほとんどの記事が見開きの2頁に収められていますが、1頁のも少しあります。内容は、どれもこれも楽しく、勉強にもなりました。幸いネットにそっくり公開されています。バックナンバーのないのは残念ですが。

 雑誌自身は小さい字で印刷されていますが、ネットでは大きい字になっています。

 芸術家の名前などは難しいのが多いですが、振り仮名を付けてほしいと思います。
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出入国管理法

2009年07月13日 | サ行
 3ヵ月を超えて日本に滞在する外国人を対象に新たな在留管理制度を導入する改正出入国管理法などの関連法が(2009年)07月08日の参院本会議で可決、成立した。従来の「外国人登録証」(外登証)を廃止し、新たに「在留カード」を交付するのが主な内容で、日本の在留制度の大きな転換点となる。新制度は3年以内に施行される。

 外登証を持つ外国人は2008年末に約221万7000人で過去最多を更新した。在留管理を厳格化して不法滞在者を減らしつつ、外国人の利便性も高めるのが改正の狙い。

 外登証は不法滞在者でも取得できたが、今後は適法な滞在者に在留カードを交付し、住民基本台帳にも登載する。住所変更などは自治体を通じて法務省も継続的に管理。職場や学校に対し、受け入れた外国人の情報を国に提供する努力義務を課している。一方で、適法な滞在者の在留期間は上限を3年から5年に延長。1年以内の再入国は原則として許可を不要とするなど利便性も高める。

 今後は国内に約13万人とみられる不法滞在者の扱いが課題になる。新制度の対象外となるため、「地下に潜り、犯罪に走る恐れがある」との懸念がある。法務省は「在留を認めるべき外国人は受け入れる」として、在留特別許可のガイドラインを見直して自主的な出頭を促す方針だ。

 約42万人いる在日韓国・朝鮮人らには別途、「特別永住者証明菅」が交付される。国会審議の過程で、歴史的な経緯に配慮し、常に証明書を携帯する義務は課さないよう当初案が修正された。

 低賃金の温床との批判があった「研修・技能実習制度」の改正も盛り込まれている。「技能実習」という在留資格を新設、1年目から最低賃金法や労働基準法を適用する。この改正については1年以内に施行される。 

 (朝日、2009年07月08日。延与光貞)
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鶏鳴出版からのお知らせ

2009年07月12日 | 読者へ
 不世出の語学者であった関口存男(つぎお)さんの「NHKラジオドイツ語講座」の1957年度分の音声を、ようやく一般公開出来るようになりました。関係者の方々に感謝します。

 音声は1日ごとに音声ブログ「ケロログ」にアップしてあります(現在はまだたった5日分ですが、徐々に増やしていきます)。

 テキストはありませんが、こちらで作った「簡単なメモ」があります。これは、そのケロログの画面にも添付してありますが、一ヵ月分ずつまとまったメモとしては、ブログ「マキペディア」の総目次の「関口ラジオ講座(1957年)」をクリックすると出てきます。

 よろしく。

 2009年07月12日、鶏鳴出版、牧野紀之
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社会民主主義(02、格差縮小政策)

2009年07月11日 | サ行
   格差縮小が成長を促す

 格差の拡大は、今日の経済・社会にとって大きなテーマだ。日本では、非正規社員の増大とそれに伴う生活水準の低下や格差の固定化が、問題となってきた。正社員との格差があまりに大きく容易に締まらないことから、「雇用断層」という言葉も生まれた。米国では、所得増加がごく一部に限られ、多くの国民が所得低迷に坤吟していることが、焦燥と不満をかき立てている。

 通常、格差は分配の問題としてとらえられている。経済成長の成果配分が、技術革新、グローバル競争、税制、規制などによって偏った結果が、格差拡大の背景にあるとの指摘が多い。

 しかし、エコノミストの視点に立つと、格差拡大が、マクロ経済の成長力を殺(そ)いできたのではないかということにも、強い関心を抱く。

 調べてみると、中間層の所得が全体に占める比率が低下すると個人消費が抑制される、という実証研究があるし、教育の強化など所得格差を縮小させる政策が、経済成長率を高めるという指摘もある。実際、日本では、格差拡大トレンドの中で、中間層の所得比率は趨勢的に低下しており、それが長引く消費低迷をもたらしている可能性がある。米国では、所得低下に直面した中低所得層が、負債増加によってそれを補おうとしたことが、今日の経済・金融危機の背景にある。

 2000年代前半、富裕層がお金を使えば、その効果が中間層以下に滴り落ちて、経済全体が成長するという考え(トリクルダウン論)が喧伝された。それが税制改革や規制緩和を通じて、格差拡大を増幅し、景気を一段と低迷させた可能性がある。

 これからは格差縮小に向けた政策が、経済成長を促すことになるのではないか。

 (朝日、2009年06月26日。経済気象台、山人)
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