大槻文彦の「大言海」(富山房)には、「定住せずして、常にその位置を変える故に「惑」と言う。遊星に同じ」とあります。
「新明解国語辞典」(三省堂)には、「太陽の周囲を公転する、大形の天体。太陽から近い順に、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星。遊星」とあります。最近の辞書はみな、このような事を書いているようです。
両者を比較してみますと、後者は「単語の(指示する)対象」を説明し、前者は「その対象になぜこの単語(名前)がつけられたか」を説明していると思います。
まあ、両方の説明があった方がいいでしょう。
新明解で特に「大形の天体」としているのは、小惑星を除くということだと思います。つまり、惑星と言えば、原則として、大形の惑星のことで、惑星が大小に分けられるのではない、ということなのでしょう。
つまり、太陽は恒星の1つですから、一般化して、「恒星の周囲を公転する星」と定義できない理由はここにあるのでしょう。
そこで、どれくらい大きければ惑星と言えるのかという論争が起きるわけで、最近、冥王星は惑星ではなく、小惑星とされるようになりました。
しかし、「惑星の周囲を公転する星」の「衛星」と対比して、惑星と言われることもあると思います。その場合は「広義の惑星」と考えられているのでしょう。
さて、英語の「プラネット」を初めとするヨーロッパの言葉(惑星を意味する単語)はみな、ギリシャ後の「プラーネース」に由来するそうです。これは「さまよえる星」「旅するもの」といった意味のようです。
すると、日本語の「惑星」は英語の訳語として生まれた単語なのでしょうか。そうだとすると、誰がそう訳したのでしょうか。「惑星」と呼ばれるまでは、和語では何と呼んだのでしょうか。又、「遊星」という単語との使い分けは何かあるのでしょう。これらが残る疑問です。