マキペディア(発行人・牧野紀之)

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お知らせ

ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

「辞書で読むドイツ語」(増補新版)のレビュー

2011年03月31日 | サ行
 2011年02月11日、アマゾンのレビューに下記のものが掲載されました。筆者のハンドルネームは「Ladymarmalade」となっています。女性の方のようです。冷静に根拠を上げて評価している点、広く全体を見ている点で模範的な批評だと思います。

 断りなく転載します。もしクレームが来たら、削除します。

               

 本書は日本人が外国語を勉強することの意味、そして、それを効率的にするにはどういうアプローチが優れているのかを、具体的な文法事例を通じて読むものに教えてくれる。

 当たり前のことであるが、本書を読んでドイツ語が理解できるようになる訳ではない。しかし、ここで書かれた方法論で勉強を継続していけば、そのうち上達するという道筋がみえてくる。それは、しっかりと文法的な理解を踏まえつつ、ドイツ語を読んでいく作業を続けるという方法である。そして、文法的な理解をどういう風にすればいいかが、この本では明解に説明されている。

 この本の素晴らしいところは、ドイツ語の勉強の中で英語や日本語についても考えている点である。たとえば、冠詞論の中で日本語の「一」について考察するのだが、そこで読者は語学というものの面白さの末端に触れることができるであろう。

 筆者はいう。「我々が日本語を母語として生まれてきたことによってどういう偏った考え方をしているかということを自覚するということが、外国語を学ぶ大切な目的の一つである」。

 本書は、また文法を理解文法、表現文法とで分けて解説している。この視点は、ドイツ語を学習するだけでなく、英語の文法理解をも深めることを可能とする。

 ドイツ語の参考書という枠に収まらない、語学学習をするものにとっての素晴らしい指南書である。(引用終わり)

     関連項目

「辞書で読むドイツ語」

「哲学の授業」のレビュー

ブリューゲル

2011年03月30日 | ハ行
 農民画家と称されるピーテル・ブリューゲル(1525頃~69年)。南ネーデルラント(現ベルギー)を主な舞台に、芸術の対象と思われていなかった農民や職人の平凡な暮らしを描き、最高級の画題に引き上げた天才だ。

 同時代の地理学者から「最も完璧な画家」と絶賛されるほど高く評価されていたにしては、生年、出生地、階級、政治的立場など不明な点が多い。

 作品も同様だ。社会の下層を占め、画題としては評価されにくいはずの農民を進んで描き、その人間味あふれる風俗を活写した。かと思うと揶揄した作品もある。聖書に基づいた寓意画も数多く描いたが、背景はなぜかいつもネーデルラントだ。

 オランダ独立戦争が始まる時代。圧政を続けるスペインヘの抵抗を暗示した作品を描く一方で、国王の顧問である枢機卿をパトロンにしていた。だが彼の肖像画は1枚も描いていない。

 30歳前の数年間、ルネサンス運動が盛んなイタリアを旅した。ミケランジェロに代表される、肉体そのものに美を見いだした絵画や彫刻に触れたはずだが、ブリューゲルの作品に裸で登場するのは悪魔だけで男女の裸体画は皆無。農民は身体の線が判別できないほど着ぶくれし、イタリア・ルネサンスにあるすらりと伸びた身体表現とは無縁だ。

 死の間際「あまりにも辛辣で(スペインヘの)風刺をたっぷり含んでいるから」と、素描の数点を焼くよう妻に指示した。独立戦争が激化しても南ネーデルラントは依然スペインの勢力が強かった。感性の赴くままに描いた画家が妻に見せた最後の思いやりだった。

(朝日、2011年03月26日。歴史研究家・渡辺修司)

   お知らせ

「2度目の自治会長」の12本が出そろいました。→「私の自治会長

安定した電力源を

2011年03月29日 | タ行
        澤 昭裕(21世紀政策研究所研究主幹)

 今回の大震災(東北関東大震災)に伴って実施された「計画停電」によって、私たち日本人は最近忘れていたエネルギー安全保障という問題と真正面から向き合うこととなりました。過去2度発生した石油ショックの時以来でしょう。

 今回、原発で深刻な事故が発生したことから、電源構成を太陽光や風力などの再生可能エネルギーに大きくシフトすべきだといった議論が高まることば必至です。しかし、一時の感情に支配されず、その長短を考慮した冷静な議論が必要です。日本経済を縮小させず、かつ生活水準を回復するために災害からの復興が必要な今、電力の安定供給が最大の課題となります。電源の中核部分を再生可能エネルギーに任せられるかというと、量的にも質的にも現実的ではありません。

 原発1基分の電力量を太陽光発電で得ようとすれば、JR山手線の内側にソーラーパネルを敷き詰める必要があるくらいです。天候にも大きく左石される太陽光や風力をベースとして安定的な供給計画を立てることはできません。

 では当面の電力不足はどうやって解消すればいいか。短期的には、石炭や液化天然ガス(LNG)などの化石燃料による火力発電所を再稼働・増設するしかないでしょう。

 ところが、石炭火力は他の化石燃料火力に比べて、より多くの二酸化炭素を排出します。温暖化対策を進める政府は、現在発電量の約25%を占めている石炭火力を、2030年まで約10%にまで引き下げようと計画していました。それを可能とするのが原子力発電の量的拡大計画だったわけです。その予定を大幅に変更せざるを得なくなった今、化石燃料火力に対して、今までよりも前向きな評価を与えるべきだと思います。

 実は、再生可能エネルギ一に積極的といわれるドイツでさえ、安定供給への配慮は忘れておらず、石炭火力が発電量の約半分を占めているのです。太陽光発電などへの投資は、石炭火力を維持するための「免罪符」のようにも見えます。米国も同様に発電量の半分は石炭火力です。

 日本の石炭火力は世界で最高効率の技術を有しています。日本はむしろ胸を張って石炭火力による原子力の穴埋めを進めていくべきです。また世界に先駆けて日本が活用を図ってきたLNGも今後とも有力な選択肢でしょう。

 火力発電を増やせば、もともと現実性に乏しい政府の温室効果ガス「2020年に1990年比25%削減」構想の実現は不可能になります。被災地の復興や国民経済生活を維持するためには、排出は増やさざるをえません。私は、この非常時、温室効果ガスの削減目標は実情に応じたものに見直すべきだと考えます。

 今回の事故の原因や推移に関する徹底的な情報開示は必須ですし、安全技術の抜本的見直しを進めることは当然です。しかし、経済が回復した暁には温暖化対策と経済の両立を再度考える必要が生じます。その際には、原子力を含めて全てのエネルギー源について、安定供給上の課題にも目配りしつつ根本から総合的に検討すべきでしょう。

 (朝日、2011年03月25日。聞き手・山口栄二)

    感想

 「当面の電力不足」対策だけしか論じていないようで物足りません。長期的な展望をまず明らかにした後に、「当面の対策」を論ずるべきです。

 石炭火力だけでなく、LNG火力も支持しているのに、後者の説明が少なく、前者に偏り過ぎています。

 コジェネなら安定供給が可能だと思います。特に「プロパンによるコジェネ」なら電線が要らないので、災害に強いと思います。こういうことへの言及もありません。専門家として物足りません。

 安定供給という点から太陽光と風力に水を掛けただけのように思えます。

     関連項目

風力・太陽光発電の否定面

ストライキ

2011年03月26日 | サ行
  参考

 01、ストライキなんてものは、僕は生ぬるい手段だから法的に認められていて、生産管理はもっとも厳しい手段だから法的に禁止されている、というふうに、現在は受け取っています。(宇井純「公害原論」第1巻亜紀書房141頁)


報告と御礼

2011年03月25日 | 読者へ
 浜松市長選に立候補出来ませんでした。選管にその旨を伝えました。

 しかし、全然落胆してはいません。スロースターターの私らしいと思います。思えば、1971年の10月に鶏鳴出版をでっちあげて処女作「労働と社会」を出した時は高揚感と気負いで一杯でした。取次(本の問屋)に運んでくれる車を見送って、地下鉄のお茶の水駅へ向かった時、「地に足がつかない」という感じを初めて味わっていたことを思い出します。「この本で自分も世界も変わるのだ!」と。

 しかし、最初の高揚感にも拘わらず、その後の実績はひどいものでした。全然売れませんでした。ですから、初めて郵便振り込みでの註文を受けた時は驚きもしましたし、嬉しくもありました。名前が少し知られるようになったのは、3冊目にマルクスの「初版資本論第1章」を対訳で出してからです。

 あれから40年、また新しい世界に一歩を踏み出した点では同じですが、今回は高揚感も気負いもありません。仮立候補すること自体が「当たり前のこと」でした。長年の活動と研究の結果、「出る」というのは自然な結論でした。他の選択肢はありませんでした。

 仮立候補というあり方は正しかったと思っています。「公約」はその作り方も内容も学問的に正しかったと、今でも確信しています。学問的に正しいものを具体的に示せただけでも仮立候補してよかったと思っています。

 従って、正式の立候補が出来なくても、今まで通りの生活をいつものペースで続けるだけです。違うのは、今後は「政治家として生きる」ことに「も」なる、ということです。しかし、する事は今後も今まで通り、ブログを中心として政治的見解を発表するということです。4年後の再度の仮立候補を目指して淡々と走り続けるつもりです。

 学者としての私にとってのメリットは、新たな経験が出来て、考えるテーマなり材料なりが増えたということです。そして、これは「生活の中の哲学」をスローガンとする私にとっては、好い事ではあっても何ら苦になる事ではありません。かつての仲間たちが教授に成って戦う姿勢を失って「死に体」と成り終わったのを見れば、このメリットは明白です。既に、これまでも、仮立候補しなかったら考えたり発表したりしなかったであろう文章を発表しました。

 以上で仮立候補の結末のご報告と御礼とします。

2011年03月25日、牧野 紀之

    関連項目

政治献金の扱い方

陣地戦(陣地戦主義)

2011年03月24日 | サ行
  参考

 01、共産主義の任務は総じて苦労せずに達せられるものではない。それは、ますます多様になり、あらゆる部門とますますつながりを持つようになり、新しい部門や領域を1つずつブルジョアジーの手から戦い取って行く実践的な任務であり、そのためには苦労しなければならない。

 ……我々は自分の新しい共産主義の原理をもって、ありとあらゆる分野を、古くさく陳腐で一見望みの無いような活動分野でも、これを造りかえる仕事に着手しなければならない。(左翼小児病、朝野・川内訳国民文庫124-5頁)

 02、〔グラムシの〕「陣地戟」、すなわち、市民社会内でのへゲモニーを拡大してゆくことによって国家権力を包囲してゆく形態……

 グラムシの言う「陣地戦」は、政治的・文化的上部構造のすべてに対してその市民社会的側面に働きかけ、そのベクトルを転換させ強化するという複雑で高度な課題を意味するものである。他方、国家=政治社会の暴力にもとづく強制に対して激しく抵抗し直接に対決することを必ず含んでいるのである。だから、「陣地戦」は、「機動戦」に移る前の準備なのではなく、革命の「戦局を最終的に決定してしまう」、それ自身で決定的な戦闘なのである。(藤沢道郎「イタリア・マルクス主義研究」現代の理論社162-3頁)

  関連項目

グラムシの陣地戦論

私が記者だったら

2011年03月23日 | サ行
 市長選に仮立候補したために、何人かの記者さんとお会いする機会がありました。こちらは「聞かれる立場」でしたが、相手の記者さんについて幾つかの印象を持ちました。そして、自分が記者(新聞や放送の記者)だったらどういう方針で取材をするだろうか、と考えました。その結論は「定点観測を軸にする」というものです。

 お会いした方がそれをしていないと決めつけるほどきちんと聞いた訳ではありませんが、してはいないだろうという「印象」は持ちました。

 その「定点観測を軸にする」とはこういうものです。浜松市が自分の担当地域だとしまう。すると、市の全域になるべく万遍なく目配り出来るように、12人の方を決めるのです。もちろん相手にその旨告げて、承諾を得ます。そして、毎年、1月はAさんを訪ねる、2月はBさんを、3月はCさんを……とするのです。聞いた事は自分のPCに入れ、索引も作ります。

 もちろん行政の発表は適宜、聞きます。その他、突然の出来事はそれとして追います。しかし、上のようにすれば、自分の取材活動に「主体的な軸」が出来るし、毎年積み重ねて行くうちに、長年続けなければ分からない事が見えてくると思うのです。

 それに、こういう協力者を確保しておくと、突発的な事件の時にそれに詳しいであろう人に電話で取材が出来ると思います。もし、その人が知らないとしても、「誰々さんに聞いたら」と教えてくれるかもしれません。

 記者でも微妙な問題の場合、事の核心を理解していないのではないか、と疑念を抱いたことがあります。たしか2003年だったと思いますが、静岡大学で3件ものセクハラ事件が相次いで発覚し、処分が発表されたことがあります(その後もポツポツと続いているようです)。

 その最後の3件目の時は正副学長が県庁で記者会見をして謝罪しました。当時、静大で講師をしていましたので、いくつかの新聞を読みましたが、「分かってないな」と思いました。とにかく大学当局を批判すればいいというものでもないと思うのです。私見は「静岡大学のセクハラ問題」に書きました。

 先に「私の立会演説会」でも述べましたが、たまに大きな花火を打ち上げるのでは政治を好くすることは出来ないと思います。政治を好くする活動の第1条件は「継続的であること」だと思います。

 これに対しては、「数年で転勤するから」という反論が考えられます。しかし、数年でもこういう定点観測は意味があると思いますし、会社でやっていれば、前任者から受け継ぐこともできる訳です。

 このように考えてきますと、定点観測をしている例もあることが分かります。それはNHKのラジオ深夜便です。あの「日本列島暮らしの便り」と「ワールドネットワーク」はまさに「2カ月に1度の定点観測」だと思います。前者は2年くらいで相手(定点観測地)が代わるようですが、「ワールドネットワーク」の方は先日終わったオーストラリアのメルボルンの杉本良夫さんのように15年も続いた人もいます。

 私は特に「ワールドネットワーク」が好きで好く聞いていますが、外国で暮らしている人から聞くわけですから、なまじったな特派員よりよほど好いニュースが聞けるような気がします。

 浜松市に話を戻しますと、最も初歩的な定点観測は「いくつかのブログは必ず読む」というものです。お会いした記者さんはそれもしていないように思いました。私見では、浜松市政ならば、山崎副市長のブログ、鈴木恵市議のブログ、田口章市議のブログ、そして私の「浜松市政資料集」の4つは外せないと思います。

 忘れてはならない事を最後に書きます。今回お会いした方の中でも定点観測をしている人がいました。それは記者ではなくて、浜松青年会議所のAさんでした。

 この方は税理士をしているそうで、水窪にもお客さんがいるそうです。すると毎月とか1カ月おきとかにお客さんを訪ねて水窪に行くわけです。当然、仕事の話以外に世間話もします。その話から分かる水窪の変化や現状を話してくれました。

 私の住んでいる所も「限界集落になるのは時間の問題」という地域ですから、過疎地には関心があります。①棄てる所と残す所をはっきり分けて、前者は国土の保全だけ考える、後者は屯田公務員とベーシックインカムで小学校を再建する、という「政策の方向」を話しました。

 その他の事でもこの方とは互いの考えを出し合って議論できたので、とても有意義でした。もう少し他の問題でも話したかったな、と思ったくらいでした。


グラムシの陣地戦論

2011年03月22日 | サ行
 グラムシがその革命論の中で機動戦と陣地戦という語を使って考えていることを、私は2年前に知った。私自身の陣地戦主義という考えを反省して深めるのに何か役立つのではないかと想像してきた。しかし、グラムシの文は分かりにくい上に、いい訳が無いらしいという話も聞いていて、いまだに直接グラムシを読んではいない。しかし、ほとんど研究されていないらしいこの問題を、石堂清倫(いしどう・きよとも)氏が『現代変革の理論』(青木書店、1962年刊)の第5章で主題的に取り扱っているらしいことも分かった。ようやくこの本を手に入れたので、私見をまとめてみた。

1、グラムシの考え

 石堂氏によると、グラムシの考えは次のようである。

 「グラムシは革命闘争の形態を運動(機動)戦と陣地戦の2つに分けた。運動戦というのは、権力獲得のための革命的攻撃にあたる。われわれの常識では、革命概念はまずこの運動戦につきている。そしてそれなりの歴史的根拠があったのである。これに対して、革命的攻撃がさしあたり可能でないか、または革命的攻撃を可能にする以前の準備としておこなわれる動作を、彼は一括して陣地戦と言っている。彼は社会構造を陣地に見たてたのである。

 彼の言葉によると、『現代の民主主義の巨大な構造は、国家組織としても、文化生活のなかの各種団休の総体としても、政治技術にとっては陣地戦のために構築された塹壕や要塞のようなものである』。だから、これらの陣地を1つ1つ攻略することなしに、いきなり総攻撃をおこなえば、友軍は大きな損害を受けて退却しなければならなくなる。つまり国家権力の攻略に成功できない。

 古い時代には運動戦形態が階級闘争のすべてであったけれども、いまの新しい段階では、それはすべてではなく、全体の闘争の1つの部分になっている。あるいは、過去には運動戦は戦略的機能を持っていたが、いまではその機能は戦術的なものに引き下げられたということもできる。社会機構が単純なものから複雑なものに変化しているからである。

 もともと国家権力を単純に抑圧機構、暴力装置だけに還元するのは一面的である。特に近代社会の発展にともなって国家は複雑な諸要素からなる1つの体系となった。その要素のうちできわめて重要なものであるとはいえ、暴力装置だけを選び出してこれを打倒することは困難である。多くの陣地から成る体系であることを無視し、すべての陣地を飛び越えて主陣地に迫ることが困難なのと同じことである」(208-9頁)。

 石堂氏はまたこうも言っている。

 「グラムシによると、恐慌の襲来、あるいはなんらかの危険に際会して『国家』が動揺しはじめると、市民社会の頑強な構造が姿をあらわし、国家をつよく支える。すなわち市民社会の上部構造が積極的に体制を維持し、戦闘における塹壕体系の役割を果すのである。国家はこれらの塹壕体系中の1つの前進陣地である。前進陣地を攻略しても、その周辺に要塞と砲台の頑強な連鎖が依然として聳え立っている。したがってこの市民社会の上部構造、陣地戦における防禦体系にあたるものを具体的に研究し、詳細な戦闘計画をたてなければならない。

 市民社会にあって〔は〕ブルジョアジーのヘゲモニーが支配している。これをプロレタリアートのヘゲモニーによる指導に転化することがこれらの連鎖陣地の攻略内容である。物理的に粉砕しなければならない暴力装置と粉砕してはならない経済機関の区別は、すでにマルクスもレーニンもおこなったが、陣地戦における作業には、知的道徳的指導による社会的ヘゲモニー確立の側面が存在していることを繰り返し述べておきたい」(217頁)。

 そして、石堂氏はこのグラムシ説はマルクスとエンゲルスとレーニンの説の発展だとして、マルクス著『フランスにおける階級闘争』に対して1895年に寄せたエンゲルスの序文からいくつかの命題を引用している。その中でとくにここと関係のある句を拾うならば、それは次の句であろう。

 「ただ1度の打撃で勝利を収めることは思いもよらず、~1陣地、1陣地と、おもむろに前進しなければならない」

 「奇襲の時代、自覚したわずかな少数者が無自覚な大衆の先頭に立っておこなう革命の時代はすぎさった」(219頁)。

 これでほぼ分かる。グラムシによる機動戦は国家権力の中の暴力装置に対する直接的戦いで、それは革命の暴力によらなければならず、やるなら奇襲になるから、それを機動戦と呼ぶ、ということであろう。それに対して陣地戦とは、国家の諸要素の内の暴力装置でない部分との戦いであり、それは知的道徳的な力で戦わなければならず、1分野ずつ征服していくことになる、ということであろう。

 しかし、この考えでいくと、中国革命はどっちだったのだろうか。ロシア革命の場合と同様、市民社会があまり発達していなかったから、軍事が中心になった点では同じだが、革命根拠地を築いて陣地を広げていく持久戦的なやり方は違うと思う。

 つまり、グラムシが暴力装置との戦いとそれ以外の要素との戦いを機動戦と陣地戦という語で分けたのは不正確であった。では、この両者の区別はどう捉えるべきか。機動戦と陣地戦という語はどう使うのが正しいか。そこへ進む前に、グラムシはどういう問題を考える中でそのような用語を使うようになったのか、つまりグラムシの問題意識を確認しておこう。

2、グラムシの問題意識

 グラムシの問題意識はロシア革命を説明することだったらしい。ロシア革命は『資本論』に反するのではないかとの疑問から出発したようだ。すなわち、「グラムシによると、ロシアでは市民社会はまだ原始的であり、ゼラチン状であった。そこでは国民生活のカードル〔幹部〕が萌芽的で、ゆるんでおり、国家体制を防衛する『塹壕や要塞』にはまだなれない。市民社会が未発達であり、国家がほとんど全てであった。だから、国家機関に対する革命的攻撃が比較的に容易だったのである。

 だが運動戦形態を必然とする初歩的な段階にある社会には、社会主義革命が可能であるだろうか。それは1つの政治革命ではあっても、真の社会主義革命として完成するには、別の条件が必要ではなかろうか。その条件は1917年以後でも農民国ロシア内部には存在せず、これを西欧先進諸国の『世界革命』に求めるべきではないか。これがトロツキーたち『永久革命論者』および一般に古い社会民主主義者に共通する疑問であった。ロシア革命の運動戦的形態と、社会主義的内容に矛盾はあるか否か」(215頁)。

 そして、この問題にグラムシは次のように考えたらしい。「社会主義革命〔ロシア革命〕がジャコバン的形態を採ったことは事実である。だが、フランス革命のジャコバン派は中間層であってプロレタリアートではなかった。ロシアには、革命的生成の最終の論理的環であるボリシュヴィキ党が最初から存在した。それはリレーの第1走者であり最終走者でもある。ボリシェヴィキは、労働者と農民を結集する組織形態としてのソヴェト〔労農評議会〕を中心にすえた。ソヴェトを通じて階層秩序の塹壕を作り上げることができた。ボリシェヴィキはソヴェトの末端において真の大衆を、国民の多数者を結集することができたのである。もっとも遅れた国で進んだ革命を遂行するために、レーニンたちがどのような闘争手段と組織形態を結合したか。形態のジャコバン性と内容のプロレタリア性の結合には必然の根拠があったというのが、グラムシの見解であった」(216-7頁)。

 即ち、グラムシの考えは次の3点にまとめられる。①社会主義革命は生活の全側面の変革であって、単なる政治革命ではないから、全国民をまき込まなければならない。②市民社会が十分確立されている国では、その市民社会を少しずつ変革していく陣地戦しかない。③市民社会が十分発達していない国では運動戦になるが、国民の多数者をまき込み獲得していく手段を創り出さなければならない。

3、陣地戦主義

 われわれの陣地戦主義をまとめる所に来た。

 まず、これらの議論の前提となる国家観について2つのことを確認しておかなければならない。第1は、国家とか「くに」の概念と本質を分けることである。国家というのは、その漢字から分かるように、家族的共同体的情愛的な人間関係をひとまとまりの地域社会に投影して作られた観念であり、語ではなかろうか。それは「くに」と呼ばれる時、「ふるさと」的包容力を持つものとさえ考えられている。私はこれを「国家の概念」と呼ぶ。

 それに対して、我々が生きている階級社会の国家には、支配階級が他の階級の反抗を抑圧したり、外国を侵略したりするための暴力的要素と、国民の日常利害の調整や福祉のための共同体的要素との2つがある。唯物史観は前者の要素こそ主たるものであり、支配的だと考えている。これが「国家の本質」であり、「国家の実態」である。このように分けて初めて、真の愛国心とは「国家の概念」の立場から「国家の実態」を考えることだと分かり、「国家の実態」を無批判に肯定するニセの愛国心と戦えるのではなかろうか。

 さて、国家の実態にはその2要素があるのだが、それぞれの要素も決して単純ではなく、様々な人間関係から成り立っている。同じ日本の軍隊の組織も時と共に変わっているし、環境問題が出てくると環境庁が作られるし、女性の大臣が生まれたと話題にもなる。つまり、国家の実態の中身は「政治的人間諸関係の総和」と言い換えることができる。これはもちろん国民の経済生活を「生産諸関係の総和」としたマルクスの考えに連なるものであるが、ここでの「生産」は広義なので、他との対比も考えて、「経済的諸関係の総和」と表現したい。こう取ると、残る分野は広義の文化生活であり、その中身は「文化的諸関係の総和」と表現できる。

 この表現で大切な所は、人間関係を物質的関係と観念的イデオロギー的関係に二分しないで、後者を政治とそれ以外の文化に細分して、3つに分けた事である。もう1つは、「諸関係の総和」という捉え方である。外でナントカ運動をやりながら、自分の家庭を正すことのできない「活動家」とやらを見るにつけ、この「諸関係の総和」という表現の意味はもっと注目されてよいと思う。

 さて、このように人間生活の諸分野が様々な人間関係から成っていることが確認された今、更に、その人間関係を何らかの恒常性のあるものと一時的なものとに分けてみる。その時、前者を比喩的に「陣地」とし、後者を「野」と言うことができる。従って、ある仕事をするのに恒常性のある人間関係(組織)を作って進める活動方式を陣地戦と呼び、一時的な人間関係で処理する方式を機動戦と呼ぶことができる。

 実例で考えてみよう。政党の支部会議が定期的に開かれて活動を進めるのは陣地戦だが、何か事があった時だけ集まるのは機動戦である。会社の仕事のやり方を向上させるためのQCサークルを作るのは陣地戦だが、何かあった時だけ話し合うのは機動戦である。会の運営が民主的かどうかを反省するための「民主主義の時間」を常設しておくのは陣地戦だが、誰かの問題提起があった時だけ話し合うのは機動戦である。プロジェクト・チームとか「○○闘争本部」とか特別捜査本部などはかなり陣地戦に近いとはいえやはり機動戦だと思う。しかし、出てくるのが分かっている急ぎの用のために「すぐやる課」を常設するのは陣地戦と言ってよい。

 残る問題は、陣地戦と機動戦をどう使うか、その一般原則は何かということである。私はそれを「陣地戦を基本にし、時に応じて機動戦を使う」と定式化したい。そして、これを「陣地戦主義」と呼ぶのである。

 これに対する反論ないし疑問がいくつか予想される。いや、実際に聞いてもいる。第1は、政治的自由の無い国ではゲリラ戦で始めるしかない、という考えである。「初め」はそうだろうが、発展すれば陣地戦に比重を移さざるをえない。だから、それは陣地戦主義と矛盾しない。

 第2は、恒常的な組織を作ると惰性でマンネリになり、そこから内部権力が発生する、という考えである。実際、べ平連などはこういう考えで、毎回のデモに集まった人がその場限りでの会員だという考えだったらしい。しかし、これでは抵抗運動なら出来るかもしれないが、建設運動は出来ない。それにやはり大きい力にはならないと思う。べトナム戦争はべ平連だけの力で止まったのでもなければ、べ平連が特に大きい力を発揮したのでもない。マンネリ化と内部抑圧権力への対策は別に考えるべきであろう。

 グラムシは、陣地戦では知的道徳的指導以外にないとした。ということは、大衆から尊敬されるような人だけで前衛党を作るべきだということである。しかし、実際には、世の自称前衛党では、「党の綱領に賛成します」と言えば、どんなチンピラでも入党できる。そして、そういう人たちは「知的道徳的指導」が出来ないから、自分が自称前衛党に入っていること自体を鼻にかけ、「理論と実践の統一」とやらを振り回して、政治ごっこを強要する。グラムシ理論に基いて構造的改良を掲げるイタリア共産党は、精鋭だけを集めて「知的道徳的指導」をしているのだろうか。

 終わりに。以前、私が「哲学主義の政治」の中で「本質論主義の運営」を書いた所、ある人からお便りをいただいた。その方も食べ物運動の中で、反原発運動を強引に持ち込もうとする人々に困ったので、拙稿をいちいちうなづいて読んだ、というありがたい文面であった。しかし、その方は、私が定式化した4点の内、①と②に賛意を表して下さったが、③と④には発言が無かった。即ち、会としての行動決定を最少限にし、言論の自由は最大限認めるというのだが、この区別を保証するためのラウンド制や「民主主義の時間」の意義にはとまどったらしいのである。

 たしかに「民主主義の時間」を設けているのは私たちの自然生活運動動だけかもしれない。大した問題も起きていない段階でそういう事を反省する時間を制度化するのは、大げさにも思えるだろう。しかし、ヤマギシ会はもちろん、エクセレント・カンパニーと言われる企業では、内部の意思疎通を重視し、その方法の改善に日夜心を砕いているのではあるまいか。 (1989年11月05日)

     関係項目

本質論主義

醜い日本人

2011年03月21日 | カ行
 公正な発言態度について考えをまとめてみます。

第1点・金の動きと結び付けて考える

 大学で教科通信を出すと喜ばれます。特に女子学生はこういうのが好きで、「高校時代にこういうのがあったらなあ」と書いてくれる人も少なくありません。

 さて、哲学の授業の場合は授業の性質上、毎回発行するのですが、ドイツ語の授業では平均して月に1回です。すると、「毎週出してほしい」といった要望が出ます。私は「これこそ『言い易い人にだけ言う』という間違った態度だ」と言い、機会を見て以下のような話をします。題して「世の中の事は金の動きを考慮しないと、本当の事は分からない」。

 「この要望がなぜ間違っているか」を考えるには、イチローにだけ『4割を打ってくれ』と言うことと比べて考えると好いと思います。牧野への要望はなぜ「×」で、イチローへの要望はなぜ「○」なのでしょうか。

 お金の動きを考えるのです。イチローが4割を打ったら、お金はどう動くでしょうか。かつて2005年ころ話したので、当時に立って考えますが、当時イチローの年俸は約10億円でした。1~2年後に契約更改の時が来る予定でした。そこで私は、「イチローが4割を打ったとしたら、次の契約更改の時、年俸が今の10億から15億とか20億とかに上がるでしょう」と言います。皆、これで大体察してくれます。しかし、私は続けます。

 君達は私の給与を知らないようだけれど、時間講師は時給5300円なのです(私の勤務していた大学は特に悪い)。この5300円という時給が高いか安いか、外部の人は判断しにくいと思いますが、これは不当に低い時給です。

 1年間30週の授業とすると、1コマ(2時間)で30万円です。大学講師の適当な担当コマ数は週に6コマですから、年俸にすると180万円です。これで分かるでしょう。私見では、大学の時間講師の時給は最低でも1万円でしょう。そうすれば年俸360万円になって、ワーキングプアは何とか脱することが出来るでしょうから。

 まあ、それはともかく、現実は時給5300円です。その時、授業の準備に週に4時間かけるとすると、週に4時間担当していましたから、実質の時給は半分の2650円になるわけです。ですから、毎週教科通信を出すとすると、それだけ準備の時間が今より増えるわけですから、実質の時給は一層下がるわけです。

 要するに、メジャーとかプロ野球とかでは「努力が報いられるシステム」があるから、特定の人にだけ高い要望を出しても好いのですが、大学には「努力の報いられるシステム」がないので、そういう要望を言ってはならないのです。

 最後に、私は「君達は僕に損をさせようとしているんだぜ」と言います。既に教科通信を出しているだけでも普通の先生より時間を割いています。まあ、私はいろいろな目的で講師をしていましたから、銭勘定だけで考えているわけではありませんが、一般的に言うと以上のような事になります。

 その後のレポートには「あの要望は間違っているということが分かった。サービス残業と同じだ」といった意見が出てきます。

第2点・まずトップに言うのが原則

 第2の問題として、学校では校長や学長が天皇になっていて、トップに意見や批判を言うことをしない、という問題があります。長には言わないで、全てを担当教師とか「言いやすい人に言う」のです。

 浜松市議のSさんは、生徒の親から「ブラスの顧問の先生が30万円の楽器の購入を強制した」と相談に来た時、ブログに書き、議会で教育長に「貸出制度を充実させたらどうか」といった質問をしたようです。しかし、校長には談判に行かなかったようです。訴えた人は、自分では校長に言えないので、市議に言ってもらいたかったのではないかと推測しますが。

 私見では、この「言いやすい人にだけ言う」という態度ほど世の中を悪くしている態度はないと思います。この問題は浜松市の積志公民館での哲学講座の通信「松の木」でも取り上げてあります。

 「言うべき人に言う」という態度が必要です。しかし、では何かが問題になった時、「言うべき人は誰か」、これを正しく判断するためには世の中の仕組みを正しく理解しておかなればなりません。

 今、多くの大学では「授業アンケート」を取ります。私は最初のアンケートの時が来ると、授業アンケートというものをどう考えるべきかをテーマにした授業をします。新聞に載った論争を取り上げたりします。私見としては、「アンケートはまず学長の大学運営について取るべきだ。個々の授業についてのアンケートはその後だ」と言います。結論はありません。学生がそれぞれ考えて行動すればよい事です。

 一定の割合でおかしな学生がいます。なぜか私を嫌ってくれて、揚げ足取りのような事をレポート(我が授業では「アンケート」とは言いません。これをまとめて教科通信「ユーゲント」を出します))に書いてくれます。「先生の間違いを指摘したのだ」というのが言い分です。それに対して、「まず学長の間違いを指摘するのが学問的に正しい順序だ」と言います。

 この問題は既にブログ記事「主権者であるということ」にも書きましたので、このくらいにします。

第3点・醜い日本人(自分の意見を言ってから質問せよ)

 今、東北・関東大震災に際して、日本人が略奪や暴動を起こさず、助け合い、忍耐強く並んで順番を待つ姿が外国の人々から称賛されています。これはこれで立派な事であり、我々の誇りとすべき事ではあります。

 しかし、外国人からしばしば批判される日本人の悪癖もあります。その中でも特に悪名の高いのが、「日本人は相手に質問をするばかりで、自分の意見を言わない」というものです。

 これはかなり有名な事ですから、一般的な事実は確認だけにして、今回「仮立候補」をしてみて、経験した事を材料にして具体的に考えましょう。

 私への質問を書き、その後盛んに返事をしろと要求してくる人がいます。その人はその返事の催促の中で、「私どもの間では、最近牧野さんの仮立候補についてがよく話題に上ります」とも書いています。しかし、その「私ども」とはどういう仲間なのか、そこでどんな意見が出て来たのか、自分はどういう意見を述べたのか、そして一番大切な「どちらを支持するのか」は述べていません。これが「醜い日本人」なのです。私の経験では、外国人はまず自分の立場(支持する人)から話し始めるものです。

 材料が足りなくて判断が出来ないと強弁するかもしれませんが、それは逃げているか嘘をついているかのどちらかでしょう。「現時点での判断」をするに必要な情報は十二分に出ています。

 別の或る人は、質問を10個ほど列挙してきましたが、その中に「マキペディアで馬込川についての記事を読みました。そのうえでどのように『憩いの川』にするのか具体的な考えは?」というのがありました。

 私はあの提案の中では珍しく(わざとですが)自分の具体的提案は書かずに、問題を提出し、皆さんの提案を募りました。しかし、同時に、「いまでもかなり楽しい散歩が出来ます」と書き、「まず自分で何キロでもいいから歩いて見てほしい」という趣旨の要求をしました。それなのにこの質問者は歩きもしないでこういう質問をしてきました。ほかの方からも「歩いてみての感想」は1つもありませんでした。具体的な提案などは望むべくもなかったようです。

 この方は「耐震補強作業中に高校生がミスをした場合、逆に作業にて負傷した場合等の保障はどこがどのように行うのですか?身内に高校生がいる身としては大変気になります」とも書いています。

 高校生がいるなら奥さんも加えて(最低でも)3人で話し合ったうえで、馬込川についても家族で歩いてみて話し合ってから、自分達の意見を十分に詳しく報告してほしいです。質問するのはその後にして下さい。

 学校教育については、「天タマ」を3号くらい読んで、話し合ってみてほしいです。私は「市長通信で全市民と話し合いたい」と書きましたが、それは「天タマ」を拡大したようなことを考えているのです。それなのに、市民がこのような「自分の意見を言わない市民」では市長通信は作れません。

 言論は自由ですが、社会的発言には「資格」ということを考える必要があると思います。誰でも何でも質問していいわけではないと思います。「10回自分の意見を出したらようやく1回質問の資格が出来る」くらいに思って下さい。そうでもしなければ「醜い日本人」を改めることは出来ないでしょう。

 最後に、もう1度、最初の学生の「毎週教科通信を出してほしい」という要望に返ります。この要望も本当は「そう思う事自体」は悪くないのです。そう思ったらレポートに充実した意見を書けばよいのです。例えば、こういう意見を書いた人がいます。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも大変そうでした。

 一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。牧野先生の「レポートを書かせて教科通信を出す」やり方のように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。

 昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。──

 人生意気に感ず、です。先生がまず頑張ったら、次は学生が頑張って返すのです。すると、先生は更に頑張るのです。市長候補者と選挙民の関係でも同じでしょう。

    関連項目

「天タマ」

主権者であるということ



情熱、die Leidenschaft

2011年03月20日 | サ行
  参考

 01、私がここで「情熱」という語の下に理解している事は、特殊な利害関心、特殊な目的、あるいはそう言いたいならば、利己的な意図から出発した人間の行為であり、しかもこの目的の中に意志と性格の全エネルギーを注ぎ込み、そのためにはそれに代わる目的と成りえたであろうような他の事全てを犠牲にするようなそういう行為である。(歴史における理性85頁)

 02、この世界におけるいかなる偉大な事も、情熱なしに成し遂げられたものはない。(歴史における理性85頁)

 03、情熱との目的と理念の目的とは次のように同一である。情熱は性格と普遍的なものとの絶対的統一である。それはあたかも動物的なもので、精神が主観的特殊性の中で理念と同一になったものである。(歴史における理性101頁)

 04、情熱とは霊感とか熱情とか呼ばれていると同じである。(歴史における理性101頁)


条件、die Bedingung

2011年03月19日 | サ行
  参考

 01、偶然的なものは無媒介の現実だが、それは同時に他者の可能性でもあります。と言っても、それはもはや先に〔現実性の第1形態として〕現れたかの抽象的可能性ではなく、存在する可能性〔実在的可能性〕であり、つまり条件なのです。

 我々が、或る事柄の条件がどうのこうのと言う場合、そこには2つの事が含まれています。つまり、先ず第1には或る定存在、或る現出存在、一般に或るものが直接的な形で与えられているということであり、第2には、この直接的な存在が止揚されて他者の実現に役立つ使命を持っているということです。(小論理学第146節への付録)

新規就農者支援

2011年03月18日 | ナ行
 新規就農者に対して手厚い支援制度を持つ静岡県内には、県外から多くの若者が移住し農業を営んでいる。地元農家が新たな仲間兼ライバルの登場に刺激を受け、地域全体が活性化する効果も出ている。しかし、制度をさらに発展させるには、受け入れ農家の負担軽減が課題となりそうだ。

 青々と茂った葉の合間に、鈴なりになった青や赤のミニトマト。伊豆箱根鉄道の線路沿いにビニールハウスが立ち並んだ一角に、「ニューファーマーとまと農園」(伊豆の国市)の看板が立つ。20棟ほどのハウスは、どれも新規就農者が営んでいる。横付けされた車に軽トラックは見あたらず、鮮やかなカラーのファミリーカーばかりだ。

 中村克彦さん(49)は、県の新規就農者養成制度を使って2004年に就農した。「食べるものを作る仕事って、人間らしい生き方だな」と農業に興味は持っていたが、実家がサラリーマンでは「婿入りするくらいしか方法がない」。農業大学も卒業していたが、あきらめて横浜市の飼料メーカーに就職した。

 それから15年、インターネットで県の養成制度を見つけた。説明会や見学会に足を運び、決意を固めた。

 ベテラン農家のもとで2年間研修し、栽培技術や農業経営のいろはを教わった。翌年から30アールの畑の経営者になったが、農地の確保や資金融資、販売ルートの開拓まで、農家やJAが面倒を見てくれた。「初めから作ることに専念できた。支援がなかったら、今みたいに農業は出来ていないと思う」と振り返る。

 勉強熱心で一生懸命な新規就農者が増えることは、長く農業を続けていた人々にも刺激を与えている。親の代からこの地で農業を営む鈴木金男さん(74)は「若い衆もいいもん作るから、負けんよう頑張らんと」。新規就農者は「よそ者」ではなく、同じ産地を盛り上げる仲間であり、ライバルだという。

 JA伊豆の国の営農事業部によると、新規就農者を本格的に受け入れるようになった2004年から、果菜販売実績(キュウリ、トマト、ミニトマト)は右肩上がりとなり、昨年は10年前の3倍近い約6億円になった。新規就農者による純粋な増加だけではなく、既存農家が刺激を受けて売り上げを伸ばしたと見ている。

 県が全国に先駆けて養成制度を作ったのは1993年。高齢化が進み、休耕地が増え続けるなか、「土地はあるのに耕作する若者がいない」という危機感が背景にあった。現在は計80人が就農し、土地を探すのが大変になってきているほどだという。就農者をサポートする「地域連絡会」も発足させ、JAや受け入れ農家だけでなく、市や農林事務所が連携して60人規模で数人の就農者を支える。

 ただ、制度全体が受け入れ農家に頼り過ぎている感は否めない。技術指導だけでなく農地確保や就農計画まで、受け入れ農家が中心となって面倒を見なければならない。

 県農業振興課は「土地の借り入れは地元で顔が利く人にお願いすることが多い。研修方法もほぼ一任している」と話す。今後も就農地や受け入れ先を増やしたいとしたうえで、個人ではなく産地ごとの受け入れや、技術指導以外を分散して教えるなどの農家の負担軽減策を検討する必要があるという。

 2011年02月26日、焼津市のJAおおいがわのエリアでは、次年度に就農を目指す人たち向けの現地見学会があった。この地域で扱うのはイチゴ。19人が参加し、実際にハウスの中を歩いて苗を見ながら農家の生の声を聞いた。

 宮城県から来た青木圭介さん(33)は静岡県の制度の充実ぶりにひかれたという。「辞める人も多いと聞いて厳しい現実も実感した。それでもやっばり、ハウスを持ちたい」。


新規就農者支援制度

 経験や知識がなくても、農業経営者を志す意欲的な若い世代を応援する制度。栽培指導、農地確保、資金支援、就農計画など多面的に支える。

 静岡県は1993年、全国に先駆けて制度を発足させた。就農希望者は書類と面接選考を通過すると、1年間農家で実践的な研修を受け、その後研修地で町独立を目指す。

(朝日、2011年02月27日。植松佳香)

自由、die Freiheit

2011年03月17日 | サ行
 語の由来

 01、福沢諭吉は『西洋事情』を書くにあたってリバーティという言葉を、「自由」と訳した。はじめは「御免」と訳そうとした。「殺生(せっしょう)御免の場所」といえば、魚つりなどしてよろしき場所ということだからほぼあたらずとも遠からずだが、それではなんだか権力者から御慈悲でゆるされているようで語感がおもしろくない。福沢はこれを仏教語からとって自由とし、自由は万人にそなわった天性であると説明した。さらに政治の自由、開版(出版)の自由、宗旨の自由などを説いた。

 権理(right)は、福沢は最初「通義」といっていたがどうもちがうと思い、この訳を用いるようになった。「人間の自由はその権理である。人間はうまれながら独立して束縛をうけるような理由はなく、自由自在なるべきものである」というように福沢はその幕末における著述で説明している。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻418-9頁)

 感想・多分、「自分に由る」という事でこの訳語を選んだのでしょう。『例文仏教語大辞典』(石田瑞麿著、小学館)には「禅宗で、自らに由る」とあります。

  参考

 01、自己意識の自由は観念内の自由であり、純粋観念を真理としており、生命の充実がない。これは自由の概念であって、生きた自由そのものではない。(精神現象学153頁)

 02、概念は実体の真理である。そして、実体の規定された関係様式が必然性なのだから、自由は必然性の真理であり、概念の関係様式である。(大論理学第2巻214頁)

 03、自由、それは概念の持つ同一性である。(大論理学第2巻218頁)

 04、もしここで規定されたような面が、即ち自分の置かれた状況や自分の立てた規定がどんなものでも捨象出来るという面が自由だと思われているとするならば、それは否定的な自由であり、悟性的な自由である。それは「空虚の自由」である。(法の哲学第5節への注釈)

 05、自由の具体的概念──自己を制限する事の中で尚自己の許に留まること。その感覚的な例は、友情と愛情である。(法の哲学第7節への付録)

 06、恣意の中では、全てを捨象しうる反省と内的に与えられた内容や素材への依存(即ち外的に与えられた内容や素材への依存)との2契機が含まれている。つまり、本来は目的として必然的な内容が、同時にその反省にとっては可能的な内容と規定されている。だから、恣意は「意志として現れた偶然性」なのである。(法の哲学第15節)

 07、恣意は「矛盾としての意志」である。(法の哲学第15節への付録)
 08、自由の主観性、知と意志(法の哲学第258節への注釈)

 09、形式的で主観的な自由、即ち個々人が、個人として、普遍的な事柄に関して、自分自身の判断なり考えなり提案なりを持ち、それを発表する自由は、「世論」と言われる合成物の中に現れる。(法の哲学第316節)
 10、自由というのは、私に対してよそよそしいものが1つもない所にある。(小論理学24節への付録2)

 11、自由とは、自己の他者の中にあって尚自己の許にあること、自己に依存すること、自己自身の規定者であることに存する。(小論理学24節への付録2)

 12、自由と必然性とを互いに抽象的に対立させている時には、それはただ有限性に属するだけであり、有限なものに関して妥当するだけである。(小論理学35節への付録)

 13、真に内的な必然性、それは自由である。(小論理学35節への付録)

 14、私の行為の中では私の為すことは自分の考え、自分の確信に従っているという意味での主観的自由が本質的原理である。(小論理学81節への付録1)

 15、無の最高の形式は自由である。(小論理学87節への注釈)

 16、この解放は、独立して(自覚的に)現存しているものとしては自我であり、その全体性にまで展開されたものとしては自由な概念であり、感覚としては愛であり、享受としては至福である。(小論理学159節)

 17、主体が他の主体と隣り合っていて、互いに制限し合い互いに妨げ合いながら自分で楽しみ得る小さな場所を与え合うという考えは、自由についての否定的理解にすぎない。(歴史における理性111頁)

 18、自由の自己意識が理性なのだが、自由は思考と同一の根を持っている。動物は思考せず、人間だけが思考するように、又人間だけが、しかも思考する者であるが故に自由を持っている。(歴史における理性175頁)
 19、自由を意識するという事には次の3点が含まれている。第1に、個人が人格として、即ちその個別性において捉えられること、第2に、個人が自己内で普遍な者として、即ちいかなる特殊性も放棄し捨象することの可能な者として捉えられること、第3に、それと共に、個人が自己内で無限な者として捉えられることである。(歴史における理性175頁)

 20、人間は皆、理性的である。この理性性の形式的な面が「人間は自由でる」ということである。このことは人間の本性である。(ズ全集第18巻40頁)

 21、オリエント世界とギリシャ世界とゲルマン世界における自由は、それぞれ、次のように規定出来る。オリエントでは只1人の人(専制君主)のみが自由であり、ギリシャでは若干の人が自由であり、ゲルマン的生活では万人が自由である、即ち「人間は人間であるが故に自由である」という命題が妥当している、と。(ズ全集第18巻122頁)

 22、自由の形式的規定──主体が、自己に対立して立っているものの中によそよそしいもの、限界や制限を少しも持たず、その中に自己自身を見出すこと(バッセンゲ編「ヘーゲル美学」第1巻104頁)

 23、かくして、〔人権としての〕自由とは、他人を傷つけないならば何をし、何を営んでも好い、という権利である。(マルエン全集第1巻364頁)

 29、解放とは全て、人間の世界つまり人間の諸関係を人間自身に連れ戻すことである。(マルエン全集第1巻370頁)

 30、自由と必然の関係を初めて正しく解決したのはヘーゲルである。ヘーゲルは「自由とは必然性の洞察だ」と言った。「必然性が盲目なのはそれが理解されない限りでの事でしかない」(小論理学147節への付録)、と。自由というのは、自然法則から離脱していると妄想することではなくて、自然法則を認識することであり、それによって自然法則を自分の目的のために計画的に利用する可能性[能力]を獲得することである〔自由の第1規定〕。

 これは、外なる自然の法則との関係で言えるだけでなく、内なる法則(肉体及び精神の法則)との関係でも同じである。この2つの法則は頭の中では分けて考えることが出来るが、実際には分けることが出来ない。つまり、自由意志とは物事の認識に基づいて[自分の行動を]決定する能力のことにほかならない。だから、或る問題についての個人の判断は、その内容がより大きな必然性に基づいて為されていればいるだけ、それだけ自由なのである。(略)要するに、自由とは、自然必然性の認識に基づいて人間自身及び外なる自然をコントロールすることである〔自由の第2規定〕。(マルエン全集第20巻106頁)

 感想・自称マルクス主義の哲学やその受け売りをこととする人々の間では、「自由とは必然性の洞察である」(第1規定)という形でスローガンみたいに使われていますが、間違いです。エンゲルスの真意は最後の「自由とは、自然必然性の認識に基づいて人間自身及び外なる自然をコントロールすることである」(第2規定)です。前者だとすると、「理解」つまり「理論」だけで「実践」がなくても好いということになりかねません。一方では、「理論と実践の統一」を当為的に解釈するくせに、他方ではここのように「理論だけでいいのだ」という結論になる言葉を振り回す。「自分の頭で考えないマルクス主義」は困ったものです。

 31、あらゆる自由の第1条件が欠けています。即ち、すべての官吏は、その一切の職務上の行為について、普通裁判所で、また普通法に従って、全ての市民に対して責任を負う、ということが欠けています。(エンゲルスからベーベルへの手紙1875年3月18-28日)

 32、ドイツ哲学の用語としてのFreiheit(自由)は、「心ゆくまで本質を発揮し、自由自在に独自の振舞いをなし、本領の全幅が繰り広げられ、本来の面目が完全に現れつくす」ことをいう。これが例えばヘーゲルの言う「自由」である。(大野勇二「高級独文和訳教室」27-8頁)


フンボルト大学

2011年03月16日 | ハ行
           潮木 守一

 ドイツの首都、ベルリンの目抜き通りにあるフンボルト大学は先ごろ、今年(2003年)秋からの新入生受け入れを停止すると発表した。

 事の起こりは政府の大学予算カットにある。大学入学試験のある日本とは違って、高等学校の卒業資格を持った者は、どこの大学でも、どこの学部[例外はある]でも進学することができる。このことは、ドイツの憲法に明記されている。だから、新入生受け入れを停止すれば、大学側が憲法違反に問われないとも限らない。

 さらにその上、今回の予算削減策に応ずるためには、教職員の新規採用を一時停止しなければならず、ことによっては教授ポストを35%削減する必要があろう、と大学側は見解を発表した。

 フンボルト大学が予算カットを受けるのは今回が初めてではない。すでに1995年ごろから、数回にわたってその予算は削られてきた。その結果、1995年当時373人あった教授ポストは、2003年には305人まで削減され、教授1人あたり学生数は、1995年の71人から、今や110人という想像を絶する状態に立ち至っている(ちなみに日本では18人)。

 もともと教室の収容力が2万人程度しかないのに、実際はその2倍近い3万8000人もの学生がひしめき、その学習条件、教育条件は、極度に悪化している。しかしこれはフンボルト大学だけのことではない。ドイツの多くの大学が同様な問題を抱えている。

 フンボルト大学は、その正門の両脇にフンボルト兄弟の銅像が立っているごとで有名である。予算カットが始まると、それに対する抗議の目的で、1996年にこの2人の銅像の両眼、両耳が、黒帯で覆われた。この時の目隠しされたフンボルト像は、今でもフンボルト大学の公式ホームページに掲げられている。

 もともと、このフンボルト大学は1810年、ベルリン大学という名称で誕生した。この大学の設立構想に大きな影響力を発揮したのが、政治家、哲学者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトと自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルトである。この大学の正門にこの兄弟の銅像が立っているのは、このためである。

 彼らがこの新大学の構想を練る頃、世界では科学上の新発見が相次ぐとともに、アメリカの独立、フランス革命と、人類史を揺るがすような大変動がおこっていた。彼らはこうした時代の激動を前にして、人間の最後の拠り所は、人間自身の知性だけだと悟った。だからベルリン大学の基本理念は「知性の使い方を訓練する」ことだった。「啓蒙」、これがその時代の合言葉だった。この言葉のもともとの意味は「目を開く」ということである。そう主張した彼らの銅像が、200年を経て、黒帯で目隠しされることとなった。

 彼らの構想は、当時沈滞の極致にあったドイツの大学を蘇らせた。その影響はベルリンを越え、ドイツを越え、ヨーロッパを越えて世界に広まっていった。この新構想大学は19世紀末には、世界の大学のモデルとなった。最盛期にはヨーロッパ屈指の大学として名声を高め、世界中からは多くの留学生を引き寄せた。

 遥か極東の日本からも、森鴎外、北里柴三郎をはじめ、多くの学者が留学した。1901年にノーベル賞が設定されてから、ナチズムが政権を握るまでの約30年間、ノーベル賞の3分の1はドイツ人学者の手に落ち、このベルリン大学だけで、29人のノーベル賞受賞者が生まれたという。こうした赫々たる栄光に満ちた大学が、今や新入生に対して門戸を閉ざそうとしている。

 事の起こりは、大学予算の大幅削減にあったが、政府も理由なしに大学予算を削ろうとしたのではない。今や先進諸国を襲う景気後退の波の中で、他国と同様、ドイツの政府歳入も大幅に減少した。ところが今や、人口の高齢化を迎え、年金支出、医療支出ともに急増している。こうしたなかで、政府もまた予算の抜本的な見直しを行わざるを得なくなった(ちなみにドイツの大学はそのほとんどが州予算でまかなわれる国立大学である)。

 長年、授業料無料という、うらやむべき制度をドイツはとってきたが、それとてももはや維持できない段階に達している。これまでも、何回も授業料徴収の動きがあったが、これもまた憲法上、教育は無償と規定されているため、実現しないまま今日に至っている。

 振り返ってみれば、国立大学という機構は、近代国家の登場とともに登場し、近代国家の発展とともに発展してきた。国家は国立大学の教育研究の成果に期待をかけ、国立大学も国家の投入する資金に期待をかけてきた。ところが近代国家という仕組みが揺らぎ始めるとともに、資金源をもっばら国家に依存する国立大学も揺らぎ始めた。

 現在日本で議論されている国立大学の法人化問題も、もともとは国家公務員の削減問題が発端であり、その原因はほかでもない国家財政の悪化にある。つまり、今やいずれの国でも国立大学は、国家とは別の資金源を探し出さねばならなくなった。最近の議論では、それは市場だというのが有力な意見であるが、そう結論づける前に、我々は市場という機構、国家という機構の利害得失を、丹念に吟味しなければならない。それは各国に共通する課題である。

 (朝日、2003年07月07日)

私の立会演説会(なぜ浜松発「真日本語辞典」か)

2011年03月15日 | サ行
 3月16日の浜松青年会議所主催の立会演説会(正しくは公開討論会。以下同じ)に出たとしたら、次の話をするつもりでした。

   記(なぜ浜松発「真日本語辞典」か)

 私の公約はブログに発表してある通りで、全体はそれを読んでいただくことにして、今日はその中にある「浜松発『真日本語辞典』を作りたい」という「政策の方向」について、なぜそうなのかを説明します。

 それを説明するには、「今日のこの立会演説会は偽善である」ということの説明から始めるのが適当だと思います。こんな事を言うと皆さん、立腹されるかもしれませんが、まあ怒らずに最後まで聞いて下さい。感情的になったら議論になりません。

 この命題を考えるためには、偽善とは何かということを正確に知っておく必要があります。では辞書を引いてみましょう。新明解国語辞典を引きますと、「うわべを飾って、心や行いが正しいように見せかけること」と書いてあります。他の辞書でもほとんど同じです。

 さて、この定義を尺度にして、今日のこの立会演説会が偽善であるか否か、判断できるでしょうか。「うわべを飾って」と言いますが、今日の会の「うわべを飾って」とはどういう事になるでしょうか。分かりません。「正しいように見せかける」と言いますが、この会は「正しくないもの」なのでしょうか。

 辞書の定義では現実を正しく考えるのに役立たない、ということが分かります。では偽善の正しい定義はどうなのでしょうか。

 かつて18世紀のフランスの啓蒙思想家の1人であるエルヴェシウスは「偽善的な道徳家というのは、一方において国を危うくするような大罪悪〔人〕には無関心を装いながら、他方において私的な罪悪〔人〕には憤激をもってすることで、それと分かる」と言ったそうです。つまり、この考えでは、偽善とは「大きな悪を隠すための小さな善」ということになります。

 ではこの定義で今日のこの会を考えて見ましょう。この会は「善」でしょうか。もちろん善です。善い事です。市民が市政に関心を持ち、市長選挙で適切な選択の出来るようにしようとしているからです。

 ではこの善は「大きな善」でしょうか。これを考えるためには、現在の浜松市政全体を考慮して、どころか研究して、現在の浜松市政の根本問題は何かを明らかにしなければなりません。ですから人によって意見が異なるでしょうが、私の考えでは、現在の浜松市政の根本的な問題は市長が適切な活動報告をせず、市民と対話をしないことです。第2の根本問題は教育長がそうしないことです。第3以下の問題は、市議がそういう事をしないことであり、学校長がそうしないことです。

 従って、市民のするべき事は、第1には市長に向かって「ブログを出して週間活動報告をせよ」と要求することです。第2に教育長に対してそういう要求をすることです。第3に、「市議に通信簿を付ける会」を始めることです。第4に、学校ホームページ、つまり校長を評価する会を作ることです。

 もしこれらが一番重要な仕事だとしますと、これらの仕事に比べてこの立会演説会が「小さな善」であることは簡単に分かると思います。つまり、この立会演説会は「大きな悪(根本的な善をしないこと)を隠すための小さな善」だと分かるわけです。

 譬えて言えば、この立会演説会は「試験前の一夜漬け」みたいなものです。一夜漬けをして「自分は勉強家だ」と思うとしたら、とんでもない間違いだということはすぐに分かります。勉強というものは毎日こつこつとするべきものです。

 市政に関する関心も同じです。文字通り「毎日」関心を持つのは難しいでしょうが、出来れば毎週1回、市政をチェックする日を作って「継続的に」関心を持つべきでしょう。市長の報告を読むとか、教育長の報告を読むとか、市議に通信簿を付ける会を作るのは(静岡県には1つもないので)特に立派ですが、自宅のある学区では拙いとするならば隣の学区の学校でも継続的にチェックするのも有意義だと思います。

 百歩を譲って、これらを要求するのは重すぎるとするならば、最低でも「山崎副市長の週間活動報告」くらいは必ず読むべきです。これなら出来るでしょう。この報告はとても有益です。これがあるだけで市長のダンマリ行政の欠陥が随分補われています。それなのに、これを読む市民が非常に少ないのはどうした事でしょうか。ページ・ビューはいつもの日は2ケタで、新しい記事をアップしたときだけようやく3ケタになりますが、それとても200を超えることは稀です。市民がこんな状態では浜松市政は好くならないでしょう。

 とにかく「継続的に」することが一番大切です。ですから、逆に継続的にしないで、選挙の前だけこういう会を主宰したり、それに参加したりして、「自分は意識の高い市民である」と自惚れるのはいただけません。浜松青年会議所に最大の責任がありますが、参加している皆さんも無自覚であるとはいえ、褒められたものではありません。この偽善の定義では、本人の自覚の有無は問題になっていないからです。

 さて、以上の事から何が分かったかと言いますと、第1に、言葉の正確な定義は現実を正しく考えるのに役立つということです。第2に、辞書の説明は必ずしも適切ではないということです。

 しかし、たった1つの例では不十分だと言う意見もあるでしょう。そこで、別の例を出します。それは「募金」という言葉です。私は、辞書を見る時には、原則として、「募金」と「逸話」を見ます。「募金を集める」という言い回しについて取り上げているか、「有名な逸話」という言い方について説明しているかを調べます。見た辞書は全て落第でした。しかし、最近、「明鏡国語辞典」(北原保雄編集)の第2版が出て、ついに「募金を集める」が取り上げられました。

 そこには、募金の本来の意味である①「寄付金などを一般から集めること」という意味のほかに、②「寄付金そのもの」の意でも使われる(募金を集める)、また③「寄付金を出す」意で「募金する」とも言うことが書かれています。

 これを読んだ時、「ようやく気づいたか」と思いました。しかし、その説明を読んで疑問に思いました。②については、「主催者(募金活動をする人)の言い方」とし、③については、「主催者の言い方を受けて言ったもの」といった説明があったからです。

 ③まで気づいているのには驚きましたが、この説明はいただけません。文法研究の1原則である「同じ型の現象を集めて考える」が、忘れているのか知らないのか、実行されていないからです。その場で思いついた「説明」でごまかしたようです。専門家は「分からない」と言うのを恐れるようで、学校教師でもそうですが、何か聞かれて、知らないと、その場逃れの返事をする人がいます。感心しません。

 北原さんという人は文法の問題にも発言している人ですが、「日本語文法」といったまとまった本は書いていないと思います。

 お断りしておきますが、以下で「間違い」というのは「本来的でない用法」くらいの意味に取って下さい。多くの人が「間違った」使い方をするようになると、間違いではなくなるのが言葉の世界ですから、「間違い」と決めつけるのは慎重にするべきでしょう。しかし、分かりやすさを考えて、ここでは「間違い」という用語を使います。

 この「募金を集める」と同型の「間違い」を集めますと、私の気づいているのは「注目を集める」「給水を取る」「受注が殺到する」です。

 「注目を集める」とか「注目が集まる」とかは、皆さんは「間違い」と言われるとびっくりなさるでしょう。完全に定着していますから。「給水を取る」がおかしいのは分かるでしょうが、マラソンの生中継を見ていると、盛んに使われています。「受注が殺到する」は、ホンダのインサイトが発売された時、日経新聞で見ました。最近、「受注を獲得する」も見ました。今後、増えて行くでしょう。

 では、この4例に共通の点は何か。「寄付金を集めること」とか「人々の関心を引くこと」とか「水を供給すること」とか「注文を受けること」とかいった「動作を表す名詞、これは文法用語で『動作名詞』と言うのですが、それをその動作の対象自身の意味に転化して使っている」ということです。このように4つもあると、今後増えて行くのではないかと思われます。

 さて、この「募金」の例で何を言いたいかと言いますと、言葉についての知識は辞書的な知識と文法的な知識とに大別されるのですが(ですから外国語を学ぶ時は辞書と文法書とを揃えるのです)、両者は厳密に分けられているのではなくて、関係もあり、ここのように辞書的な問題を文法的な知識で説明しなければならないこともある、ということです。逆に、文法書の中に辞書的な知識が書かれている場合もあります。

 とにかく、このように辞書には多くの間違いがありますし、それより重大な事は見落としている事が多すぎるという事です。辞書を編集する程の学者ならまず間違いなく朝日新聞は読んでいるでしょう。NHKのニュースも聴いているはずです。それなのに、それをしていれば、「おかしい」と気付かなければならない言語現象に気づかないのが不思議です。

 辞書というのは学者の戯れではありません。日本語生活で起きている言語現象を考えるのに役立たなければなりません。それなのに、役立たない事が多すぎるのです。そして、こういう事に気づいている人が見当たらないのです。ですから、我々が浜松で「真日本語辞典」を作る必要があるのです。

 これを学校の先生を中心にしてその他の賛同者も含めてネット上に作って行くとどういう好い効果があるでしょうか。市民の日本語能力が高まります。もちろん学校の先生の日本語能力も高まります。それだけでなく、学校の先生が「研究するとはどういう事か」を学びます。これが大切な点です。今の大学では「本当の研究」をしないで卒業する人がほとんどです。先生になってから自分で研究を続ける人はごくわずかです。これでは困ります。先生が何かを研究していると、それが授業ににじみ出てくるのです。していないと、にじみ出てくるものがないことになります。

 この我々の作る辞書は、以上の事だけでなく、漢字の読み方とかアクセントの問題にも考える材料を与えなければなりません。

 漢字の読み方はルビを振れば示すことが出来ますが、私の考えているのは「ブログを使って辞書を作る案」ですから、問題です。「青空文庫」には「総ルビ」の文章も載っています。ですから、ルビを付ける技術はあるのですが、それをブログで簡単に使えるようにしてほしいと思っています。

 総ルビがなぜ大切かは、日本語を学ぶ外国人が増えているからだけではありません。日本人でも間違えます。それだけではありません。漢字の読み方については、そもそも例えば「大」を「だい」と読む場合と「おお」と読む場合を分ける一般的基準は何かという問題すら自覚されていません。これは「マキペディア」で「大」と「無」でも参照してください。

 アクセントについて簡単に触れます。これも方言によって異なるだけでなく、時代と共に変化しています。ですから、例えば「ドラマ」を今では多くの人が「真面目」と同じように平板に発音しますが、かつては「ド」を高く発音したものです。NHKのアナウンサーの発音も二手に別れています。

 ですから、我々の辞書では、「ドラマ」の項に「発音1」として、「1970年ころまでの発音」(と言っても、私は今でもそう発音しています)という説明をつけ、そこをクリックするとその発音が聞けるようにするべきです。同じく「発音2」として「1970年以降に若い人たちの間で使われ、今では一般にも広まった発音」という説明を付けて、そこをクリックすればそれが聞けるようにするのです。これもブログでするにはまだまだ技術の発展を待たなければならないでしょうが、目標を言っているのです。

 と言いますのも、日本語のアクセントは高低アクセントですから、紙の上で示すのが難しいからです。たしかに多くの辞書はそれなりの工夫をしてアクセントを教えてくれていますが、やはり分かりにくいです。内容的にも、複数のアクセントの説明はないと思います。我々の辞書では「文のアクセント」も聞けるようにするべきでしょう。

 こういう辞書は無限と言っていい程の内容がありますから、紙の辞書では無理です。ネットこそそれに向いています。しかも、ネットなら多くの人の協力で作れますし、どんどん新しい事を追加できますし、間違いを訂正できます。

 こういう本当の「日本語辞典」は他の国語(個別言語)の辞書の在り方にも影響を与えるでしょう。即ち、浜松市が世界でも日本でも「名誉ある地位」を占めることになるでしょう。

PS

 時間が余ったら、なぜ「独自に副教本を作るのか」を説明する予定でした。しかし、これは既に「予習と復習」というブログ記事で説明しました。