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朝日新聞のジャーナリズム──批判に対して反論しない人をどう扱うか──

2016年06月26日 | ア行

 最近、朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」欄に立花隆が取り上げられました。この欄はかつては5回で完結していたと思いますが、今年からは(?)一人について6回以上のスペースを割くことも当たり前になってきています。それにしてもせいぜい10回くらいが普通でしたのに、立花隆については14回だか15回も連載したのには驚きました。さすがに「知の巨人」と言われている人です。

 しかし、立花の「半生」を聞くならばどうしても触れなければならない2点が落ちていました。一つは、日本共産党への批判と相手からの反批判です。もう一つは、立花の評論活動への批判に対して立花が応えない事です。立花批判には私の知っているだけでも「立花隆の無知蒙昧を衝く」(宝島社)と「立花隆『嘘八百』の研究」と「立花先生、かなりヘンですよ」の3つがあります。

 ここで考えておかなければならないことは、批判に対して論者は絶対に応えなければならないか、という問題です。もちろん、答えは「否」です。応えなくてもよい批判もたくさんあります。内容が低級である場合とか、批判の仕方が間違っているとか無礼であるとかです。また、結構あるのが、批判者が「自分が世間から相手にされないので」、他者批判をして、反論を求めている場合です。

 しかるに、前記の批判書はいずれも軽率なものではなく、各界の実力者が、あるいは大学生がまじめに立花を検討したうえで批判したものです。これにはやはり応えなければならないと思います。

 それなのに立花は応えていないのです。これは不誠実であり、正しくないと思います。世間はこういう「批判に対してまじめに応えない人」に対しては、しかるべき態度をとらなければならないと思います。マスコミなら、そういう論者には発言の機会を与えないとか、機会があった場合には「なぜ批判に応えないのか」と質問するべきだと思います。

 私に知っている人では、こういう「批判に対してまじめに応えない人」は立花隆と長谷川宏です。それなのに朝日新聞はこの両者にインタビューをしたりしています。そして、その際、「なぜ批判に応えないのか」という質問をしていないのです。

 批判に対して反論はしているのですが、その相手が自分と同じ土俵に立っているものだけで、根本的に違う批判は黙殺している人もいます。私の知る範囲では、許萬元がそれに当たります。許萬元は創風社版の『弁証法の理論』上巻への「まえがき」の中でそれをしています。つまり、自分と同じように喫茶店で談論風発する材料としてのヘーゲル研究(酒肴哲学と命名したいです)をしている人たちからの批判に対しては反論をしているのですが、この本(青木書店刊『ヘーゲル弁証法の本質』)を最も広く深く読み込んで評価しかつ批判した拙稿「サラリーマン弁証法の本質」(『哲学夜話』に所収)は黙殺しているのです。

 論争は民主社会の大きな武器ですから、我々は、それを正しく使わなければならないと思います。そして、応えるべき批判に対して応えない人に対してはしかるべき対応をするべきだと思います。また、その「しかるべき対応」をしない人やマスコミに対しても「しかるべき対応」をしなければならないと思います。

水俣病と補償金

2016年06月20日 | マ行
   村は保証金で破滅した

    岡本達明(たつあき)(元チッソ第一組合委員長、民衆史研究者)


 水俣病の60年は、どの局面をとっても不条理です。不条理の連鎖がどこまでも続く。

 被害者が前面に出た稀有の公害闘争が水俣病でした。

 1973年、チッソに賠償を求める裁判に勝った原告団は、東京駅近くの本社で座り込みを続ける患者たちと合流して交渉を始めます。要求の柱の一つは年金と療養費。これを拒む当時の島田賢一社長に患者家族の坂本トキノさんが淡々と言いました。

 「病み崩れていく娘を何年みてきたか。あんたの娘を下さい。水銀飲ませてグタグタにする。看病してみなさい。私の苦しみがわかるから」

 4ヵ月の交渉の末、行政が水俣病と認定したら1600万~1800万円の補償金と年金、療養費も支払うという協定を勝ち取りました。

 実はその5年前、政府の公害評定直後にもチッソの専務と交渉しました。患者はものも言えない。集落から工場へ通う労働者は「会社行き」と呼ばれて別格。まして専務など雲の上の人という意識でした。闘いの中で患者は別人のように成長したんです。

 チッソに入ったのは1957年です。水俣へ赴任して間もなく、路上で「うちに来んかね」と声をかけられた。帰郷中だった詩人の谷川雁さんでした。安保闘争や全共闘の世代に影響を与える思想家とは知らない。家へ行っても左翼思想を吹き込まれたわけでもない。でも会社から目をつけられ、1年半で飛ばされました。

 62~63年の水俣工場の大争議によって組合が分裂する。大卒ではただひとり第一組合に加わり、64年に専従執行委員となって戻りました。会社は日夜、1人ずつ課長室に連れ込んで「第二組合へ来い」と責める。断れば重労働職場に配転です。でも工場内で闘うだけが組合なのか。第一組合は68年、「水俣病患者のため何もしてこなかったことを恥とする」と宣言し、人間として患者を支援しました。

 患者が激発した水俣湾岸の3集落の調査を続け、昨年、「水俣病の民衆史」を出版しました。ざっと300世帯のうち認定されたのは176世帯の331人。低く見積もっても50億円以上の補償金が落ちた計算になります。水俣では人間の評価は住まいで決まる。みんな裸電球一つの掘っ立て小屋に住んでいたから、多くの患者が競って家を建てシャンデリアを付け、ダイヤモンドの宝飾品を買う。そうなると人間が変わります。

 1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

 命や健康は返らない。補償金を取るしかない。でも今度はカネで村が破滅する。公害は起こしたらおしまいということです。(聞き手・田中啓介)
(朝日、2016年05月27日)


感想

 これが人間の性(さが)なのだと思います。

 埋め立てなどで漁業権を売り渡して多額の補償金をもらった漁民でも同じことが起きたようです。

 もう少し大きく見れば、公務員になり、それも地位が上がれば上がるほど仕事は楽になり給与は増えるようです。すると、堕落が起きるわけです。

 大学教授でも同じでしょう。今はそうでもない大学も増えてきたようですが、かつては「乞食と大学教授は三日やったら辞められない」と言われていました。

 最近の舛添東京都知事の場合もこれと同じようです。極貧の家庭で育った舛添はついに都知事にまで登りつめました。高級ホテルのスウィートルームに泊まるのは夢だったのでしょう。それを公金で実現させたのです。都知事の給与があれば、私費で泊まることもできたと思いますが。

 自称社会主義革命を成し遂げた中国やヴェトナムでも、独立闘争中はあれ程禁欲的だった人民大衆とやらが、ひとたび「改革開放」ということになり、金もうけが自由になると、高級官僚を筆頭に腐敗堕落の狂乱を演ずることになりました。

 こういう事を考慮できなかったマルクスの「社会主義思想」はどうみても「科学的」とは言えません。


浜松の竹内康人さん、『調査・朝鮮人強制労働』(社会評論社)

2016年06月17日 | タ行

 植民地だった朝鮮半島から戦時下の日本の炭鉱などで働かされた朝鮮人の実情について、静岡県近代史研究会の竹内康人さん(59)の約30年にわたる調査・研究をまとめた本が出版されている。竹内さんは「過去を隠すのではなく明らかにすることで信頼が生まれ、人が大切にされる社会につながる」と話す。

 日中戦争や太平洋戦争の拡大で日本国内の労働力が不足すると、朝鮮人は日本の炭鉱や土木工事現場などの労働者として使われた。竹内さんが「朝鮮人の強制労働」というテーマで研究を始めたのは1986年ごろからだ。地域史から植民地支配や戦争に迫ろうと考えた。

 竹内さんの母方の祖父はフィリピン・ミンダナオ島で戦死し、父親は学徒動員で北海道・旭川の陸軍部隊に送られていた。

 「少し時間がずれれば、わたしは生まれなかったかもしれない。戦争は未来を奪う。戦争のない社会を作るには一人ひとりの命を大切にすることが大切だと思う。そのために一つひとつの命の歴史を残したいと思った」と動機を話す。

 調査は仕事が休みの日を使った。当時は菊川町(現菊川市)に住んでいたため、隣接する掛川市の旧中島飛行機地下工場跡から調べ始めた。地下工場としては県内最大級で朝鮮人が動員されたことは地域でも知られていたという。

 朝鮮人動員の全体像をつかもうと、全国各地の現場を訪ねた。当時の内務省や旧厚生省の資料のほか、各地の国書館で工事記録や証言資料、博物館や文書館では企業文書や名簿などにもあたった。

 現地での聞き取りや裁判支援、証言集会などで知り合った生存者から話も聞いた。北海道の炭鉱や掛川で働かされた男性は「炭鉱の落盤事故で頭に指が入るほどの穴が残り、今は両足が動かない。こんなことがあっていいのか」と訴えられた。「勉強ができる」などと誘われて14歳で富山の機械メーカーに来た女性は「集合に遅れると殴られた」「せっけんや歯ブラシを買うとなくなるほどの小遣い銭のみで、賃金はなかった」と聞かされた。

 今までに話を聞いた生存者は約60人、遺族らは約30人。日本への動員後に消息不明になった男性の足跡を、一枚の写真を手がかりに仲間とたどったこともあったという。

 竹内さんはこれまでの研究内容を『調査・朝鮮人強制労働』(社会評論社)にまとめた。「炭鉱」「財閥・鉱山」「発電工事・軍事基地」「軍需工場・港湾」の4巻の計約1400頁に及ぶ。県内関係は伊豆や天竜(浜松市)の鉱山、富士川や大井川の発電工事、沼津や清水の軍需工場など4分の1を占める。

 編集者の新孝一さん(57)は「1人の研究者が文献だけではなく各地の現場に足を運んで調べ、全体像を明らかにしている。このような本は他にはないのではないか」と話す。

 竹内さんは動員されて死亡した朝鮮人約1万人の名簿をまとめた『戦時朝鮮人強制労働調査資料集・増補改訂版』(神戸学生青年センター出版部)も出した。

 この資料集の名簿には1万人分の名前や出身地、行き先、死亡日、死因が記されている。死因の欄には「労災」「頭蓋骨折」「空爆死」などが並ぶ。竹内さんが日本各地や韓国などを訪ねて、埋・火葬資料や企業名簿、旧厚生省の調査名簿などを閲覧や複写して調べた。名簿から遺骨の身元が判明し、遺族に返還できたケースもあったという。

 朝鮮人労働者は「募集」「官斡旋「徴用」といった形態で日本に動員された。竹内さんは「当時の朝鮮人が植民地支配によって日本人化され、日本の戦争のために労務や軍務に動員されていくのに強制なしではできなかった」と指摘する。本では「強制労働」を、戦時下の朝鮮人への甘言や暴力による強制的な動員・連行による労働として定義した。

 竹内さんは「動員された側の悲しみや痛みに思いをはせることが大事だと考える。これらの本を通じて、消されたままの名前や歴史を復元して歴史を民衆のものにしたい。歴史的責任を明らかにして、過去の清算による平和構築を目指したい」と話す。

 問い合わせは竹内さんヘ
ファクス(053・422・4810)で。(張春穎)

(朝日、2016年05月12日)

勉強の目的 読者の質問

2016年06月08日 | ハ行

  読者からのメールとそれへのお返事

1、読者のKさんからのメール

今年71歳になります。昨年の初めごろから精神現象学を読み始めました。毎日数時間をそのために費やしましたが、理解が進みませんでした。入門書も解説書も読みましたが、かえってむつかしく、読むのをあきらめてしまおうかと思いましたが、これが最後と思って今年初めから英語訳を読み始めました。バイリーの訳とミラーの訳を比べながら、辞書を引き引き「知覚」の章まで来ています。

分かったことがあります。一つは日本語訳より私には理解ができたことです。2つ目は日本語訳もよく理解できるようになったことです。3つ目は、各種訳文の中で最も評価できると思ったのが牧野先生の訳です。英語訳に書かれていることがすべて訳されているのが牧野訳であることと、英訳にはないつなぎにあたる部分が牧野訳にはちゃんと挿入されていることです。

それらが、肯定的に思える点ですが、果たして英語訳を読むことで満足していてよいのだろうかという疑問がわいてきました。年齢的に言って今更ドイツ語を学ぶのは難しいとおみます。そこで、先生にお尋ねしたいのですが、
①「英語訳を日本語訳の理解のサポートとして読むという今のやり方でよいかどうか」
②もう一つは「英語訳についてですが、私はバイリーの訳のほうが丁寧ではないかと思っているのですが、実際はどうでしょうか」
この2点についてお教えくださるようお願いいたします。厚かましいお願いですが、よろしくお願いいたします。


2、牧野からのお返事

K様。考えた事をお返事します。何事でもそうだと思いますが、人間の行動はその目的から考えると好く分かると思います。Kさんは何を求めて「精神現象学」を読んでいるのですか。それを自分に確認したら、それに役立つかどうかを基準にして、適当か否かを判断したら好いでしょう。

 一般的な私見を書きます。第一の問いについては、日本語訳が分かりやすくなるならば、英訳を参照する方が好いと思います。拙訳に疑問点がありましたら、お知らせ下さい。再度考えます。

 第二の問いについては、2つの英訳を意識的に比較したことがありませんので、どちらが好いか分かりません。かつて私が訳していた時はベイリーの訳しかなかったので、私はそれを見ました。

 以上です。お役に立てば幸いです。
6月6日、牧野紀之



「非正規」の人々

2016年06月06日 | ハ行
 所属なき人 見えているか

        小熊 英二

19世紀英国の首相ディズレーリは、英国は「二つの国民」に分断されていると形容した。私見では、現代日本も「二つの国民」に分断されている。

 そのうち「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々だ。

 この分断の顕在化は比戟的最近のことである。私が国立国会図書館のデータベース検索で調べたところ、雇用関連の雑誌記事の題名に「非正規」という言葉が使われたのは1987年が初出だ。そしてそれは2000年代に急増する。

 それ以前も「パート」「日雇い」「出稼ぎ」などはいた。だが、それらを総称する言葉はなかった。「パート」や「出稼ぎ」でも「正社員の妻」や「自治会員」である人も多かった。単に臨時雇用というだけでない「どこにも所属していない人々」が増えたとき、「非正規」という総称が登場したともいえる。

 彼らは所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。関係を作るのに苦労し、結婚も容易でない。

 「週刊東洋経済」の特集「生涯未婚」は、「結婚相談所なんて正社員のためのビジネスだとわかりました」という34歳男性の言葉を紹介している(週刊東洋経済5月14日号)。女性の7割は年収400万円以上の男性を結婚相手に期待するが、未婚男性の7割は年収400万円未満である。その結果、男女とも結婚できない。50歳時点で一度も結婚していない「生涯未婚者」は、2035年には男性で3人に1人、女性で5人に1人になると予測されている。

 これは所得の問題だけではない。昔なら低所得でも、所属する企業・親族・地域の紹介で「縁」が持てた。所属のない人々はそうした「縁」がないのだ。

 こうした「第二の国民」は、どの程度まで増えているのか。統計上の「非正規雇用」は4割だが、藤田孝典は「一般的に想像されるような正社員は実は急減している」という(藤田孝典・白河桃子、対談「婚活ブームを総括しよう」、週刊東洋経済5月14日号)。労組もなく、労働条件も悪く、「10年後、20年後の将来を描けない周辺的正社員」が増えている。そして「彼らの増加と未婚率の上昇はほとんど正比例」というのだ。

 低収入で家族もいない人が増加すれば、人口減少だけでなく、社会全体の不安定化に直結する。1月に犠牲者15人を出したスキーバス事故の背景に、高齢単身運転手の劣悪な労働・生活状況があったことはテレビでも報道された(番組・NHKスペシャル「そしてバスは暴走した」4月30日放映)。

 それにもかかわらず、「第二の国民」が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからだ。

 日本社会の「正社員」である「第一の国民」は、労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け、彼らを保護する政策を実現できた。

 もちろん「第一の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方、保守と革新の対立などだ。55年体制時代の政党や組織は、そうした対立を代弁してきた。今も既存の政党は、組織の意向を反映して、そうした伝統的対立を演じている。

 報道もまた、そうした組織の動向を重視する。新聞紙面を見るがいい。記事の大半は政党、官庁、自治体、企業、経済団体、労組といった「組織」の動向だ。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。

 政党も報道機関も、「組織人」と「著名人」しか相手にしない。というより、組織のない人々を、どう相手にしたらよいかわからない。私はある記者から、こんな話を聞いたことがある。

 福島原発事故後、万余の人が官邸前を埋めた。米国大統領府前で万余の人が抗議すれば、大ニュースになるはずだ。しかし日本では報道が遅く、扱いも小さかった。その理由について、その大手メディア記者はこう述べた。

 「あの抗議は労組や政党と関係のない所から出てきた。組織がないのに万単位が集まるなんて、何が起きているのか理解できなかった。私たちは組織を取材する訓練は受けてきたが、組織のない人々をどう取材したらいいかわからない」

 30年前ならこの姿勢でもやっていけただろう。だが所属組織のない人々が増えるにつれ、「支持政党なし」も増え、新聞の部数は減る一方だ。「第二の国民」にとって、新聞が重視する政党や組織の対立など「宮廷内左派」と「宮廷内右派」の争いにしか見えないからだ。これは媒体が紙かネットかの問題ではない。

 政策もまた、認識が古いために、的外れになっている。堀内京子は、官邸主導により、少子化対策として「3世代同居」優遇税制が導入された経緯を検証している(堀内京子「現実無視のイデオロギーが税制ゆがめる。首相指示により『3世代同居』前面へ」Journalism 5月号)。だが平山洋介によれば、3世代世帯は持ち家率が高く、住宅が広く、収入が多い(平山洋介「『三世代同居促進』の住宅政策をどう読むか」世界4月号)。3世代世帯の出生率が高いとしても、恵まれた層の出生率が高いというだけだ。それを優遇しても、少子化対策として効果はなく、恵まれた層をさらに優遇するだけだという。

 放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左石する。これは、この文章を読んでいるあなたにも無縁の話ではない。(朝日、2016年05月26日)

感想

 重要な問題提起だと思います。かつても「非正規」の人々はやはりいたのではないでしょうか。しかし、こういう人々を組織したのが共産党であり、創価学会だったのではないでしょうか。

 そう言えば、先日の『週刊現代』5月28日号は「公務員の待遇が恵まれ過ぎている」という事を証明したものでしたが、そこでも「非正規」公務員は度外視されていました。事態は、こういう「不公正」を扱う記事でさえ「非正規」を無視する所まできているのです。

 子供食堂が急速に広がっているようです。ここから本当の動きが出てくると好いと思っています。