マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

ゲーテ

2006年12月30日 | カ行
   参考

 (1) ゲーテの現世主義、瞬間主義は有名である。その内容は決して単にここの口調に現れているような軽率な自己自棄的なものではなく、瞬間に永遠あり、仮の世は仮なるが故に最大の魅力を有するなり、と云う、非常に深いものであるが、その表現法に至っては、俗物をあっけにとらせるために、往々にして江戸っ子の兄貴みたいな無邪気な啖呵形式を用いることが多い。
 (関口存男『ファオスト抄』35 頁)


   『ファオスト』について

 (1) 地獄極楽に関する迷信は西洋も東洋も全然同じであるが、西洋のは、ちょうど赤鬼青鬼に相当する悪魔 (Satan, Teufel)という奴が、一見普通の人間のように化けすまして娑婆を徘徊し、当局(というのは即ち教会、宗教、僧侶)の眼をかすめて盛んに潜行的地下工作を行い、何処かその辺の不良分子を誘惑しては盛んに危険思想を注入し、遂には宗教に反抗し神に背いて全くの悪人になるのを待ってその魂を地獄へ持っていく、という事になっている。

 俗本の Faustsage(ファオスト伝説)は、つまりそういう迷信に結びつけた勧善懲悪のお噺で、悪魔と結託したファオスト博士が、魔法を用いてありとあらゆる狼藉を働いた揚げ句、遂には約束の日が来ると、轟然たる音響と共に四肢五体が四壁に飛び散り、魂も悪魔に持っていかれてしまったという事になっている。つまり、宗教全盛時代に於ける不良分子、悪人、空恐ろしい人間の見本としてファオスト博士という伝説人物が出来たわけである。

 ところが、ゲーテがこの変な伝説に注目したというのは、勿論教会や坊主のように、悪人として例を引き、勧善懲悪の意味に於いて世を警(いまし)めんがためではない。

 世人が見放して以て空恐ろしいとなしているこのファオスト博士の運命の中に、あらゆる例外的、非凡的、悲劇的、男性的、冒険的一生涯の象徴を感じたからである。

 酔生夢死(すいせいむし)の徒はいざ知らず、いやしくも人の世に生を享(う)けて、この五十年の生涯を一期一会(いちごいちえ)と思って緊張して生きている人間には、何処かこう「悪魔に身を売った」ようなところがありはしないか?

 五十年なら五十年と、年期を限られて生きている人間には、ただぼんやりとその日その日を暮らしている人間とは本質的に打って変わった真剣な緊張がありはしないか?

 後生はどうせ地獄落ちだという事がはっきりと分かって、命の続く間だけが我が世だと云う悲壮な意識を抱いて人生を眺めたならば、その時に於いて初めて人生が真に人生らしく見えてくるのではあるまいか?

 ぼんやりした酔生夢死の一生よりは、そうした一生の方は、二乗三乗四乗五乗した白熱的・高圧的人生ではあるまいか?

 ゲーテは、かくの如き空恐ろしい、神に見放された悪人を主人公として選び、この主人公の心境におのが全感情、全認識、全禅定(ぜんじょう)を総摂(そうせつ)せしめんとした以上、必ずやかくの如く感じたに相違ないのである。

 この、五十年の人生を乾坤一擲(けんこんいってき)のやけくそ相場と解する事によって二乗三乗に高められた高次の価値のものとすると云う考え、このあくまでも雄々しい、神に挑み悪魔に挑む闘争的気構え、これを称して取りも直さず Faustismus (ファオスト主義)と云い、こうしたタイプをはっきりとした性格に作り上げて全欧州人の血を沸かし、哲人、文学者、政治家、その他ありとあらゆる頭の熱した文化人の溜飲を下げると同時に、「人間」というものの最高理想の1つをおっ立てた、これがゲーテの画期的功績である。(関口存男『ファオスト抄』32-3頁 )

 (2) 初めの2行は別に大した意味もないが、最後の2行が非常に辛辣な皮肉である。

 「そんな大きな事を言いなさるが、そんな天地神明に向かって挑むような態度は決して長続きするものではない。今に御覧(ごろう)じろ、緊張と努力の生活なんてものはつくづく厭になって、やっぱりまあ、ゆっくりと腰を落ちつけて、なんか甘い物を抱え込んでひとりでゆっくりと舌鼓(したつづみ)を打っていると云ったようなのんきな人生の方がよくなる時が来ますぜ」というのである。常識的見地から批判すれば、なるほどそれに違いない。「偉そうな事を云ったって駄目だ」というあきらめ、「どうせ~」と云う物の考え方、これがあらゆる俗物根性の根本的気構えである。

 俗物の頭の好さという奴はつまりこの「どうせ~」という大悟徹底的な考え方に於いて最もよく顕れる。自分自身が大したものでない事を知っているから、すべてをその眼で見るのである。

 しかも往々にしてこの俗物の予言は命中することが多いという事も事実である。つまり、「どうせ」と云うくだらない考え方は、或る種の全然ちがった意味に於いて、天地自然の最後の理法、即ち所謂「天地の心」、或いはキリスト教の所謂「神の摂理」、或いは現代人の所謂「最後の真理」という奴に合致することが多いのである。

 これが往々にして這般(しゃはん)の問題を複雑微妙にし、時にはあたかも俗人の俗感がそのまま神の心であったかの如き変なことになって、「事実が何よりの証拠じゃないか」と云って俗人は威張るのであるが、この種の場合に於いて何か天地の理法の如きものが証明されたなどと思うのは飛んでもない誤りで、天地の理法はむしろ俗人の介入を怒って姿をかくしてしまったのだと見るのが妥当である。

 この Doch, guter Freund 云々の皮肉も、俗人の俗見であるか、或いは人生最後の真理であるかは、ちょっとなかなか見分けがたい。しかしいずれにせよ、一つはっきりと云えることは、このメフィストフェレスという人物は、ファオストを誘惑する悪魔ではあるが、ゲーテはこの悪魔なるものに相当特徴のはっきりとした実在人物的性格を与えていると云う事で、しかもその性格は、「すこぶる常識的な、箸にも棒にも掛からぬ現実主義者」と云えばほぼ定義される。

 世の中には実際そういう男の見本が沢山うろついている。頭脳はすこぶる明晰で、むしろあまりに明晰すぎて温かい人情の育つ余隅(よぐう)がない。くだらない意味に於いて、裏を裏と考える事に於いてこの男の頭脳は最も明晰である。自分もくだらないから、人もくだらないものときめて掛かっていて、その間一点の感傷性の介入することをも許さない。

 また彼の頭の好さは、あらゆる理想を土足にかけて踏みにじって見せる場合に於いて最もその威力を発揮する。自分の頭の好さと、自分の現実的明徹性でもって世の中が全部割り切れると信じているから、頭の好さだけでは解決のつかない或る種の心の問題や、美しい事柄や、善い事柄となると、真っ向から反対はしないまでも、何とかしてけちをつけてやろう、滑稽化しよう、万人の眼に滑稽に見せようとかかっている。

 ゲーテは、世間によく見受けるそういうタイプを持ってきてこのメフィストフェレスという悪魔にしたのである。それは既に、悪魔は必ず骨ばった痩せた男であるという考え方にもぴったりと合っている。毒舌を好む、温かみとお人好さのない、頭の好い、人の悪い、現実的な人間と云えば、これはもう人情の自然として、鋭く角張った痩せぎすの男しか考えないのが普通である。西洋の Hexe (鬼婆〔おにばばあ〕、魔女)という奴でも、我が国の安達が原の鬼婆でも、骨と皮とのような婆(ばばあ)でないと板につかない。

 誰しも己(おのれ)が漠然たる過去の印象に問うてみるが好い。人間誰しも心に憧憬というものを持ち、神と云ったようなものを抱いている。ところが、社会は何処へ行っても、ちょうどこのメフィストフェレスのような奴がいて、この男が一言辛辣なことを云うと夢も憧憬も吹き飛ばされてしまう。「この男はおれの鬼門だ」と云ったような男がその場所場所で必ず一人位はいるものであるが、これが即ちメフィストフェレスのモデルである。

 ファオストの全篇は、至る所このメフィスト的「下司(げす)な、噛んで吐き出したような」、物みなを泥濘の中に引き下げて土足で踏みにじって快哉を叫んでいるような、くだらないようで深刻な、深刻のようでくだらない啖呵(たんか)で満ち満ちている。そして、こうした俗論的毒舌、破壊的言辞と、一方ファオストの儼乎(げんこ)たる理念とが常に鎬(しのぎ)を削る。これがファオスト一篇の基調なのである。
 (関口存男『ファオスト抄』 44-6 頁)

 (3) この契約の趣旨は、ファオスト全篇の総序とも云うべき Prolog im Himmel (天上の序詞)に於ける、神と悪魔との間の賭けとも関係している。

 この所で、メフィストフェレスは、このファオストと云う人間をおれがこれから普通のくだらない凡人にして見せると云い、神は、そんな事は出来ないと云い、いや出来る、いや出来ないの議論で以ていよいよ賭けと云う事になるのであるが、ここでいよいよその同じ賭けを当のファオスト自身を相手に取り決める所である。

 凡そ悪とか不運とか誘惑とか云ったようなものは、之(これ)に堪え得る人間と、堪え得ない人間とがある。堪え得る人間にとっては悪は善を益々善ならしむる所以であるが、堪え得ない人間にとっては、たとえば不運は彼を益々だらしなくする。つまり生地の問題である。鉄は打つほど固くなるが、馬の糞は打つほどぐにゃぐにゃにもなり、くさくもなる。しっかりした人間は不幸に遇うほど益々骨が出来るが、くだらない人間は不幸に遇うほど益々乱れてでたらめになる。
 (関口存男『ファオスト抄』48頁 )

 (4) Ein guter Mensch, in seinem dunklen Drange, / Ist sich des rechten Weges wohl bewusst.

   好漢は如何に躓(つまず)き迷うとも・/ 往く可き所に往かで止むべき

 この場合の guter Mensch は、普通に考えそうな「善人」(悪人の反対としての)ではない。即ち、この gutは boese(邪悪)の反対としての gutではなく、 schlecht, untauglich (駄目な)の反対の gut(しっかりした)である。

 普通の善人であったら、これは通り言葉と云ってよいほどの、既に認められた結合であるから、或いは der gute Mensch と云ってよかったところであろうが、この guter Mensch は、いわば作者がこの場に特に創出した結合であって、従って gutという性質がこの際には特に強調されているのであるから、それで Einを用いたのである。

 たそれがファオスト全篇の思想であって、ゲーテは人の善悪を問題にせず、ただその良否のみを問うていると解すべきてある。
 (関口存男『冠詞』第1巻 420頁)

 (5) Wie ich beharre の一句に、ファオストが敢然として排するところの Beharren (一所にとどまって動かないこと、固定的になること、一たび陥った安易な形式の虜となって之〔これ〕を墨守すること、その他そうした概念を一括したもの)と云う概念が出てきたのに注目を要する。

 ファオストの理想とする所は、要するに安逸安易なる形式の絶えざる打破である。しかも本人が主義としてみずから敢行していくところの克己的自己打破である。まるで蛇が時々皮を脱け出すように、その時々の自得的自我の皮を勇敢にかなぐり捨てかなぐり捨てつつ、よりよき自我へと絶えず脱け出しにぢり進んで行こうとする、克己を以てする解消的進化、破壊的建設である。

 これは或る種の自力本願的宗教と云っても好い。これがファオスト全篇の内容であり、これがおのずから他力本願的な意味に於いて最後の神意に合致すると云うのが、ファオストの大詰め、第2部の終わりのところの天上の場面なのである。

 地上の五十年を悶々として闘い通す「人間」なる現象をば、かくの如く「絶えざる発展的解消の道場」と見る見方は、後に至って後輩ヘーゲルの心を深く動かす所があり、その結果としてヘーゲルの歴史哲学が生まれたのである。

 それらすべての意義ある迷路と意義ある転身をば、総括して之を神意の直々の顕れと見るところなどもゲーテのファオストのヘーゲルの思想に対する影響は誰人の眼にも明らかである。

 ゲーテの箴言として

     Stirb und werde!〔死して成れ〕

と云うのが有名であるが、これを一個の人間が身を以て敢行していくところを書いたのがファオストであり、之を個人問題を離れて人類全体の動きに通用する理法として磨き上げたのがヘーゲルの歴史観である。
 (関口存男『ファオスト抄』54-5 頁)
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数(「すう」か「かず」か))

2006年12月29日 | サ行
 1、文法で「主語の人称と数(すう)」とか、「主語の数(すう)」とか、「名詞の性数格(せい・すう・かく)」といったことを言います。

 この場合の「数」という漢字は「すう」と読みます。「かず」は間違いです。

 2、数(すう)と数(かず)とはどう違うでしょうか。

 例えば、Tom and Jim are friends.という文について言いますと、「主語の数(すう)」は複数です。

 「主語の数(かず)」は Tom と Jim の2つです。

 3、「新明解国語辞典」で「数(すう)」を引くと、その5番目の意味として「言語学で数を表す形式」が載っています。そして、単数、複数、双数などの例が出ています。数(かず)で引いても何も書いていません。

 4、NHKのラジオドイツ語講座で講師が「主語の数(かず)」と言ったので質問したら、講師の大学教授からは「スウと読む必要性を感じない」と高飛車な返事が返ってきました。

 NHKの係も「放送文化研究所に問い合わせたがカズでいいとのことだった」との返事でした。私は放送文化研究所の人と電話で話して、上のように説明しました。しかし、分かってはもらえなかったようです。公共放送がこれでは困ると思います。
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幸いにも

2006年12月28日 | サ行
     幸いにも(幸運にも)

 1、ドイツにおける日本学の指導者の一人であるイルメラ・日地
谷キルシュネライト氏の文が朝日新聞に寄稿した文章「日本文学紹
介阻む英語優先主義」(1994年11月15日付け夕刊)に「世界文学と
は、すべてを英語圈の読者の好みに合わせてしまうことを意味して
おらず、また幸運にも事態はそのようには機能しておりません」と
いう一文がありました。

 2、私は2つの問題を考えました。

 1つはこういう時に「幸運にも」という言い方が正しいのかとい
うことです。私は「幸いにも」だと思います。ここでは、人為の及
ばない「運」ではなく、まさに人々の正しい感覚に導かれた行為に
よって、その望ましい事が起きているのだから、「運」という語を
入れることはできないと思うのです。

 3、そもそも「幸運にも」という言い方は、結果を引き起こした
原因に着目しています。「幸いにも」という言い方は原因はともか
く結果だけに着目して、結果は好ましいものだと言っているのです。

 4、「幸運にも」という言い方は本来の日本語にはなかったもの
ではないでしょうか。辞書にも「幸いにして」は載っていますが、
「幸運にも」はそれとしては載っていない方が多いです。

 5、次に、では、氏はどうしてこの違いに気づかなかったのだろ
うかと考えました。それは、「幸いにも」と「幸運にも」とは、ド
イツ語で言うとしたならば、共に、 gluecklicherweise となってし
まうからではなかろうか。つまり、キリスト教の考えでは全てが神
の思し召しということだから、好い結果は皆、運(つまり神)に帰
せられるのだと思います。

 6、もう1つの問題は「事態が機能する」という言い方があるの
か、です。私は、無いと思います。ここは「また幸いにも事態はそ
のようにはなっていない」と言うか、あるいは漢語を使いたいなら、
「事態はそのようには推移していない」くらいではないかと思いま
す(しかし、これは本当はここに書くべきことではない。ただつい
でに書いたことです)。

 7、学研の「国語大辞典」の「幸い」を引くと、「運がいいこと」
という意味もあります。そして、「幸いにして」には「うまく事が
運んで。運良く」とあり、「が、幸いにして、利仁の声は、一同の
注意を、その軒の方へ持っていった」という芥川の文が引いてあり
ます。「幸いにも」と「幸運にも」は完全に重なるのでしょうか。

   用例

 (1) 日没後、いったん元軍は船へ引き上げたが、その夜、幸い
にも大暴風雨がおこり、元船は大損害を受け、高麗へ退却した。
 (山本武夫著『詳解日本史』)

 感想・この場合は「幸運にも」でも成り立つと思いますが、意味
の着眼点は変わってしまうと思います。

 (2) それから30余年。世間で「演劇の甲子園」などと呼ばれる
紀伊国屋ホール、そして紀伊国屋サザンシアターのスタッフとして、
演劇を一生の仕事にできたことは、幸運と言うほかありません。
 (2002,02,02, 朝日)

 感想・これは「運が好かった」ということで、「~ことは幸せで
した」と言うと別の意味になると思います。

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インテリゲンツィア

2006年12月27日 | ア行
   参考

 01、マルクス主義者の流行らせた語の一つ。「インテリゲンツィア」の略語。インテリゲンツィアはロシア語が起源らしい。これはラテン語の intelligentiaに由来する。知識階級を一つの社会階級として呼びはじめた語である。一人一人のインテリを指すのではない。一人一人のインテリを指す場合にはドイツ語では der Intellektuelle を用いる。一時 die Intelligenz(一人一人を言う)が流行ったことがある。ハイネは der Intellektuelle を用いず、 die Intelligenzenを用いていた。インテリという語は術語的で批判的な色彩を帯びている。好い意味での「知識人」という場合は der Gebildete(教養人)、 ein Mann von Bildung (教養ある人士)が普通。(趣味 S.108)

 02、現代の資本主義社会における特別の層としてのインテリゲンツィアを全体として特徴づけるものがほかならぬ個人主義であり規律と組織に対する無能力であることをあえて否定する者は一人もいないであろう。とりわけこの点でこの社会層はプロレタリアートに劣るのである。この点にプロレタリアートがしばしば痛感させられるインテリゲンツィアの無気力と浮動性の一因がある。そして、インテリゲンツィアのこの性質は、彼らの通常の生活条件や、非常に多くの点で小ブルジョア的な生存条件に近似している彼らの生計獲得条件(一人であるいは非常に小さな集団でする仕事など)と切り離せない関連を持っているのである。(レーニン(『一歩前進、二歩後退』、『邦訳全集』第7巻 277頁)

 03、既に第1条に関する論争の際に日和見主義的な論議と無政府主義的な空文句とへの嗜好を示して現れてきたインテリゲンツィア的個人主義には、あらゆるプロレタリア的な組織と規律とが農奴制度のように思われるのである。(レーニン(『一歩前進、二歩後退』、『邦訳全集』第7巻 381頁)

 04、組織上の関係を精神的にしか承認しないインテリゲンツィア的個人主義(レーニン(『一歩前進、二歩後退』、『邦訳全集』第7巻 394頁)

 05、グラムシの知識人論については「前衛党」の項を見よ。

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比喩(譬え)、der Vergleich, das Beispiel。譬え話、das Gleichnis, die Fabel

2006年12月26日 | ハ行
 1、その本質は「類似した事物を借りて表現する修辞法」(広辞林)でしょう。 しかし、そういう「本来の比喩」(狭義の比喩)のほかに「比喩的な表現」(引喩や換喩)も含めて使われている(広義の比喩)と思います。

 狭義の比喩の世界は不定冠詞の世界であり、換喩の世界は定冠詞の世界と言えるでしょう。換称代名詞というのが既にその一種です。従って、真の形容は狭義の比喩だけです。

 ヤコブソンは隠喩(life is a journey)と換喩(from the cradle to the grave)の区別に基づいて論を立てたらしいですが、これは十分に根拠があると思います。

 2、狭義の比喩は、直喩(明喩)と隠喩(暗喩)に大別されます。

 ① 直喩(明喩)、ein bildhafter Ausdruck, simile(Eng.)
 直接に2つのものを比較し、譬える修辞法(広辞林)。
 「まるで~のようだ」のように、あからさまに2つのものを比較して譬える比喩(新明解)。
  人生朝露の如し(広辞林)、山のような波(新明解)、皮膚は雪のようだ(広辞林)

 ② 隠喩(暗喩)、die Metapher
 「~のようだ」とか「~の如し」などの表現を取らず、譬えを断定的に用いる比喩法(広辞林)。暗示に訴える表現でそのものの特徴を説明する(新明解)
  雪の肌、氷の刃(広辞林)、文は人なり(明解)
  das Meer des Lebens (人生の大海原)(アポロン独和)
  der Abend des Lebens = das Alter,
  das Schiff der Wüste = das Kamel (大独和辞典)

 3、換喩(転喩)、die Metonimie, Umnennung, Wortvertauschung
  当のものと関係のある物で指示する方法。
  「2個の概念の間にごく自然な関係が支配していて、一を思えば期せずして他を思うといったような際に、一の換わりに他を用いる」(関口存男『無言の議員』36頁)。
  ある物をそれと関係の深いもので表現する修辞法(広辞林)。
  容器で内容を、標識で実体を表すなどの表現法(明解)。
   角帽→大学生、四つ足→けもの、お膳→食事、お碗→汁物、赤→左翼、Stahl → Dolch
  或る製品を産地で表す。
   ボルドー→ワイン、ワシントン→アメリカ政府

4、引喩
  古人の言葉や故事を引いて、自分の言いたいことを表現する修辞法。論語で云う不惑の年(広辞林)
  出る杭は打たれる→出る杭

   参考

 01、比喩(Vergleichung)は〔それによって説明されるはずの〕考えと完全には一致しない。それはいつもそれ以上のものを含んでいる。(ズ全集第18巻109頁)

 02、隠喩と換喩が連想の二つの基本的な型。それぞれ類似性と近接性に基づく比喩だから。(「記号論」への池上の解説)

 03、クリステヴァはラカンに従って、隠喩を「圧縮」、換喩を「転位」と言い換えている。

 感想・02と03では「隠喩」は「直喩」を含む「狭義の比喩」の意で使われているのではなかろうか。

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時間

2006年12月25日 | サ行
 1、時間論では、物理学的な時間論と人間が時間をどう意識するかという観点からの実存論的時間論とがある。

 2、弁証法的唯物論はヘーゲルの自然哲学の運動論を受け継いで運動を時間と空間との統一と捉える。あるいは、運動を物質の一般的存在様式とし、時間も空間も同じように物質の一般的存在様式とする。これはこれで間違いではないと思うが、ここに留まっているのは情けない。

 3、実存主義の時間論については、参考の13に挙げた木村氏の説明が分かりやすいのではあるまいか。

 分かりやすい例を挙げれば、何かに夢中になっていて充実した時を過ごしたような場合、その時は「あっという間」の出来事のように感じられるが、後で振り返ると長い時間に感じられ、思い出す内容が一杯詰まっているが、退屈に過ごした時間はその時は長く感じられるが、後から思い出すと短く感じられ内容が何もない、といったことである。

 4、しかしこういう時間論はヘーゲルにはないのかとか、弁証法的唯物論には取り込めないのかということになると、実存主義者には偏見ないし無知があると思う。

 ヘーゲルとマルクスの言う「概念的理解」とは、現在(思考する主体の立っている時点。従って木村氏の言うように幅はいろいろである)から出発して、主体的な立場から過去を反省し、その過去の論理的再構成の結果として捉え直された現在の論理に従って未来へ向かう、というものである。

 こういう時間論こそが本当の意味での内容を持ちうるのだと思う(詳しくは拙稿「『パンテオンの人人』の論理」(『生活のなかの哲学』鶏鳴出版に所収)を参照)。

 逆に、参考の12に掲げた関口氏の言葉にもかかわらず、ハイデッガーの時間論からは人生の指針は出てこないと思う。関口氏自身、世の中をこうしようといった「思想」はもっていなかったと思う。

   参考

 01、時間は定存在する概念そのものである。(精神現象学38頁)

 02、空間は絶対的な自己外存在であり、それは又、端的に切れ目なきものであり、他者である。その他者は〔自己の〕他者であるが又、自己と同一なのである。時間は絶対的な自己外到来であり、1時点、今の産出である。しかし、それは直ちにこれらの無化であり、常に再びこの過ぎ去ることの無化である。かくして、この無〔非存在〕の自己産出は自己との単純な同等性、同一性である。(大論理学第1巻182頁)

 03、潜在的にはどの時点も過去と未来の関係である。(大論理学第1巻233頁)

 04、自然が抽象的には相互に外的であることを現すものは、潜在的には空間であるが、顕在的には時間である。(法の哲学第10節への注釈)

 05、時間は感性的なものにおける否定的なものである。観念は時間と同様、否定性であるが、最も内的な形式、無限の形式そのものであって、従って全ての存在しているものは一般に観念へと解消されるし、さしあたっては、有限な存在、規定された形態がそこへと解消される。(歴史における理性178頁)

 06、運動の量的存在が時間であるように、労働の量的存在は労働時間である。(マルエン全集第13巻17頁)

 07、あらゆる存在の根本形式は時間と空間であって、時間外の存在などというものは、区間外の存在というようなものと同様に、甚だしい無意味である。(マルエン全集第20巻48頁)

 08、時間は変化とは異なったもの、変化から独立したものである。だからこそ、時間を変化によって計ることが出来るのである。なぜなら、計るためにはその計られるべきものとは異なった或るものが必要だからである。(マルエン全集第20巻49頁)

 09、時間的にも空間的にも世界は無限である。(マルエン全集第20巻46、327頁)
 感想・「無限」ということを直線がどこまでも続くように考えると分からなくなると思います。有限だとすると、限界づける他者が必要になりますから、世界(物質)が有限だとすると、物質でない何か(精神)が必要になり、その精神は物質を限界づけるのですから、物質的なものになります。

 10、運動の本質は、時間と空間との統一だということである。運動には空間も時間も属している。速度、即ち運動の定量とは一定の時間即ち経過した時間との比率でみた空間のことである。(エンゲルス『自然弁証法』。これはヘーゲルの『哲学の百科事典』の第261節への付録〔自然哲学に属する〕に基づいて書いたものである)

 11、Heidegger の考えの筋道はこうである。吾人の生存意識とはどういう現象であるかというに、それは、意識という現象そのものが、既に本来の吾人を去って、何者か(世の中= Welt) の手に帰し且つ堕してしまっていることを意味する(これが Verfallen帰堕)。同じ現象を Verlorensein in die Oeffentlichkeit des Man, 又は Aufgehen im Miteinan- dersein 等とも言っている。

 換言すれば、本来の自己の中へと見返ったり反省したり、自己そのものの存在に気がついたりするのは、ずっとずっと進歩した上での現象であって、吾人はまず外界にすっかり気を奪われた状態から人生を始め(中略)且つ大抵の場合はそのままで一生を通す。これは決して「俗人」だけのことではない。みんながそうである。というよりはむしろ、それが吾人の意識(=da )の第一義なのである。そして、そもそもの最初から暴力的に背後に見捨てのけられたままでいる本来の自己なるものが、自分に背を向けて前方にのしかかっている第二義的世間的自己、即ち意識(da)を自分の方へ引っ張り戻そうとする運動--これが良心、体験、歴史、時間、運命、その他の名を以て呼ばれる諸種の「内圧力」(「内紛」と言ってもよかろう)であって、この圧迫力が普通「時間」という名で呼ばれている既知の現象の本体である。(関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 12、ハイデッゲルは時の本質を Zeitlichkeit(時性)と呼んでいる。(略)時間が客観的存在でないことは既にカントによって証明されたが、ハイデッゲルは尚一歩を進めて、時間そのものが吾人自身の本質なのだと説く。歴史、局面、行きがかり、体験、生きていること、感じ、意識、そういったような全ての人間的本質の根底を Zeitlichkeit と呼んでいる。(関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 13、政治的傾向に属する哲学者達に言わせると、ハイデッゲルとか「人間学派」なんてものは、要するに中世紀、または18世紀への逆転であって、時代を超越していわゆる永遠の真理なんてものの夢を追っている人たちにすぎないということになる。ところが、それらの人々の側から云うと、時代に即しているのが必ずしも時代を真に尊重する所以ではない。時代的ものと超時代的なものとの間には何らかの密接な関係がなくてはならぬ。ハイデッゲルは現に「人間意識一般」、又は「存在学」なるものの研究によって、そもそも「時代的」なるものの根本現象に到達している。

 Zeitlichkeit なぞという、「内容」を抜いた形式ばかりが揃っては駄目だという人があるかもしれないが(略)そういう人達自身の奉ずるある種の概念だって、よく反省してみれば、形式でないものは一つもないはずだ。時代に即する、時代に即する、と言ったって、「壁に即する」つもりでイモリのように壁にくっついたのじゃ、第一壁が見えない。また、即する、即する、と言っている当人が、決してそんな事はしていない。それと反対に、永遠の真理を追う人々だって、決して時代を見ないわけではない。

 要するに、こうした「形式」的なところに論点を置いて批評し合うのは最も馬鹿馬鹿しいんで、それよりも、ハイデッゲルならハイデッゲルについて論ずるときには、例えば、マア「一般に人間なるもの」(今日まではそれが永遠的とか何とか言われていた)から発して「時代」という具体物の真底にまで話が進められているのだから、それが何処まで深い考えであるかを感ずれば、それで好いのである。(関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 14、事態ということを言うから、ちょっともじって時態という語を作ってもよかろうと思った次第である。時態は事態の一種である。というよりはむしろ事態が時態の一種なのかもしれない(無冠詞 410頁)。
 Morgen ist's Feiertag (明日は祝日だ)の祝日とか Heute ist Weihnacht(今日はクリスマスだ)のクリスマスは「時を指す名」であると同時に、また時と結びついた人生の「行事」である。Es ist gerade Ebbe(ちょうど干潮時だ)の干潮は「時」と言うよりはむしろ「異変」である。ただし、その行事、その異変が「時態」として挙げられるというところがこれらの文型の特徴であると同時に、また掲称的語局の無冠詞が心理的に根拠づけられる所以なのである(無冠詞 415頁)。

 感想・ハイデガーの「存在と時間」はこういう考え方なのであろう。フォイエルバッハは「理性的な人間とは、場所をわきまえる人間である」といったことを述べている。

 15、運動とは「何かから何かへの」移行である。それは或る場所から他の場所への移動であってもよいし、或る性質から別の性質への変化であってもよい。この「~から~へ」という一般的性格を持つ運動ないし変化の構造を、ハイデッガーは「拡がり」(Dimension )と呼ぶ。(略)われわれが「いま」と言うとき、それはつねに「いまはもう~でない」および「いまはまだ~でない」の両方向に向かって開かれている。このことは、時間において数えられる運動や変化が「~から~へ」という拡がりの性格をもっていることと同じである。(略)

 われわれは日常、「いま」という言葉で秒単位の短い持続を表現することもあるし、時間単位の長い期間を表現することもある。このようなことが可能なのは、「いま」それ自身が「拡がり」であるからにほかならない。(略)「いま」の伸び幅は、着目の仕方でどのようにも変えられる。(略)我々にとって時間とはいつも「何かをするための時間」である。われわれが「いま」と言うとき、それはいつも「いまはこれこれをするときだ」、「いまはまだいついつまで時間がある」などの意味での「いま」である。このような「いま」は何か或るものではない。それはむしろ、そのつどの私自身のことである。(略)同じことが、「いま」の別様のあり方としての「かつては」とは「こんどは」などについても言える。それらはすべて、現存在が自分自身のことを言い表すさまざまな言い回しにほかならない。(木村敏『時間と自己』。ハイデッガーの『現象学の根本的諸問題』の解釈として述べている)

 16、離人症の体験においては、「いま」が「以前」と「以後」への拡がりを失い、「~から~へ」の性格を失うのにともなって、そのような「いま」は私自身であることをもやめてしまう。「いま」が「いま」として成立しないところでは私も私として成り立たず、逆に言って私が私たりえないところでは「いま」も「いま」であることができない。そしてそのような「私」の不成立は、時間というものを(あるいは時間という事を)根本から不可能にしてしまう。(木村敏『時間と自己』)

 17、「いま」が以前と以後への両方向に向かって拡がっているということは、それが未来と過去とをそれ自身から生み出す根源という意味で未来と過去との「あいだ」であるということを意味する。未来と過去がまずあって、そしてその両者の「あいだ」に「いま」
が位置しているというのではない。「いま」はそれ自身が「あいだ」というあり方を示すのであって、それが「あいだ」であるからこそ、その両方向に未来と過去が考えられるのである。「あいだ」としての「いま」は、それがそれ自身のうちから未来と過去を析出することによってのみ時間性をおびる。(木村敏『時間と自己』)

 18、真木悠介氏は、原始共同体の無限反復的な時間から、ヘブライズムにおける線分的な(つまり始めと終わりのある)時間とヘレニズムにおける円環的な時間という二つの回路を経て、近代社会における計量的な直線的時間へと収斂する時間観念の変遷を、「自然からの人間の自立と疎外、それによる自然との『生きられる共時性』の解体」と、「共同態からの個の自立と疎外、それによる共同態の『生きられる共時性』の解体」との二つの契機を軸にして明快に解釈している(『時間の比較社会学』、岩波書店)。(木村敏『時間と自己』)

 19、原始人も近代人も、ともにこの現実の世界が、くりかえすものと一回的なもの、可逆的なものと不可逆的なもの、恒常的なものとうつりゆくものとの両方から成ることを知っている。つまり当然、両者はおなじ外界の世界をみている。けれどもそこから、両者はまったく異なった「世界」 の像をつくる。原始人にとって意味があるのは、くりかえすもの、可逆的なもの、恒常的なものであり、一回的なもの、不可逆的なもの、うつりゆくものはその素材にすぎない。近代人にとっては逆に、くケかえすもの、可逆的なものの方が背景となる枠組みをなして、この地の上に、一回的なもの、不可逆的なものとしての人生と歴史が展開する。ゲシュタルト心理学における「反転図形」のように、一方の地が他方の図となり、一方の図が他方の地となる。一方において主題的なもの、前景として措定されるものが、他方においては非主題的なもの、背景として非措定される。赤色フィルターと緑色フィルターをとおしてみられた世界のように、おなじ対象世界から、異なった様相が意識にとらえられ、全く異なった「世界」が描かれる。

 時間的なもの、一回的なものは相対的に「とるに足らない」ものとする感覚にとって、自分自身とは、そして人間とは何であろうか。近代人がなによりも大切なものと考えているこの「私」の一回かぎりの生と、目付けをもった人間の歴史とは何であろうか。それらはそこでは、永遠的なもののたち現われる場としてこそ意味をもつのだ。

 20、生活の基本的なサイクルを異にしている共同体との交渉が日常化するときにはじめて、あるいは共同体自体が風化して、生活のサイクルを異にしている諸集団や諸個人の対峙してているシステムとなったときにはじめて、狩猟や雨期や収穫といった具象的な事物や活動から「時間」が剥離して抽象化される。すなわち「時間」が、具体的な事象にたいして外在する客観的な尺度として物象化される。

 異質の生活世界のあいだの共通の照合点として、時間の「数字的な目付け」ははじめて要請される。のちにみるように古代から近代にかけて、ある地域や民族の政治的統一が暦の統一を、すなわち共通時間の制定を要請するのはこのためである。(真木悠介「時間の比較社会学」岩波現代文庫86頁)

 感想・貨幣の発生するのも共同体同士の接触する所だったと思います。「時は金なり」と言うように、時間と貨幣には本質的な共通点があるようです。

 21、時刻の測定と周知とは暦制の整備および年代記の編纂とともに、抽象化された普遍性としての時間のシステムの制定として、律令制国家の確立の過程と表裏をなしている。それは同時に、近江京、藤原京、平城京とつづく、自生的な共同体から抽象された都城の空間の合理的な設営とも照応している。

 国家と時間のこの密接な照応は、二つの理論的な主題の交錯するところにおいてとらえられなければならない。

 ひとつはいわば、縦深的に、原始共同体内部におけるその初発の形態以来、現代にいたる、権力と時間のかかわり一般の文脈において。そしてひとつは、いわば横断的に、他ならぬ律令国家が、時刻から編年史にいたるそれぞれのオーダーにおける客観化された時間のシステムを必須のものとした、時代の構造の文脈において。(略)

 このころ天皇を指すものとなった「びじり」は「日・じり」の複合とみられているが、「しる」とは古語においてたんに知ることであるのみならず「領(し)る」、支配するという意味であった。つまり、ひじりとは「時を支配する者」、時を司る者である。(略)

 けれども国家は、事実としてもはやひとつの(生きられる時空)を共有する共同体でなく、それらの並存する複数性のうえにそびえたつ機構であるから、その共時性は、生活世界に即自的に内在する自然としてでなく、生活世界に外在する人為として制定されねばならない。われわれがここで主として着目したい第二の文脈、すなわち、権力と時間のかかわり一般の問題とは区別されたこの段階の独自の時間形態論は、この点にかかわっている。(真木悠介「時間の比較社会学」岩波現代文庫126-9頁)

 ② 和独

 01、時間との戦い、der Wettkampf gegen die Zeit

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換称代名詞

2006年12月23日 | カ行
 日本語では同じ名詞、特に名前を繰り返すのをいやがらないようです。人を指す場合に「彼」とか「彼女」と言う方がむしろ少ないと思います。

  1, このとし、子規は「日本」に「芭蕉雑談」を連載しはじめた。(略)芭蕉といえば俳諧の神のようなものであり、たまたまこの明治二十六年には芭蕉の二百年忌にあたり、全国の崇敬者たちのあいだでさまざまな催しがおこなわれた。子規のこの「芭蕉雑談」はそういうさなかに出て、芭蕉の句といえばそれだけで神聖とし、ことごとく名品とみるこの道の傾向に冷水をあびせた。
 (司馬遼太郎「坂の上の雲」文春文庫)

ここで「子規のこの『芭蕉雑談』」と繰り返していますが、欧米語だったら同じ言葉は使わなかったでしょう。最低でも、「子規のこの評論」と言ったと思います。又、芭蕉の名もそのまま繰り返しています。

 日本語ではそっくり同じ名詞を繰り返すのが主流と言ってよいと思います。

 しかし、欧米の言葉では人称代名詞が頻繁に使われます。そのため、同じ単語を使うと単調になるので、それを嫌って「換称代名詞」が使われることが多くなります。

 日本語でもこんな表現があります。

  2, 武満〔徹〕さんが、テレビの画面と一緒に「六甲おろし」を大声で歌っていたのにはタマゲタ。あの下らない応援歌に、偉大な武満さんが声を嗄(か)らしていたのだ。
 (2003,08,19, 朝日、岩城宏之)

 この文の「あの下らない応援歌」は「六甲おろし」の換称代名詞です。

 日本語ではこのように「あの」とか「この」とかが付くことが多いです。ドイツ語では必ず定冠詞が付きます。

  3, 手塚律蔵のような男が、無数に出現しつつあった時代といっていい。この英学専攻者の祖ともいうべき男は、ペリーの来航前に、かれの能力を買う藩があらわれた。佐倉藩である。
 (司馬遼太郎『胡蝶の夢』新潮文庫)

 ここで「この英学専攻者の祖ともいうべき男」は「手塚律蔵」の換称代名詞です。

 このように換称代名詞を使うと、単に人称代名詞の繰り返しを避けるだけでなく、対象についての形容や評価を加えることが出来て、叙述を膨らませることができるというメリットがあります。そこが単なる人称代名詞との違いです。

4, 25万人を率いたこの行進で、キング牧師は「I have a dream」で知られる演説をした。この夏、多くの米メディアが歴史的なスピーチを援用し、「夢は実現したか?」といったテーマで当時と今の黒人の生活や社会的地位の変化を検証した。
  (2003,09,01, 朝日。福島申二)

 ここでは「歴史的なスピーチ」がその演説の換称代名詞ですが、「この」も「あの」も付いていません。

 日本語では指示詞は必ずしも必要ないようです。

5, 季節はずれの白いパラソルをさして、二人の娘がこっちへそろそろと歩いてきた。(略)「話しかけようか」小菅は~葉蔵の顔を覗きこんだ。(略)「よせよせ」飛騨は、きびしい顔をして小菅の肩をおさえた。パラソルは立ち止まった。しばらく何か話し合っていたが、それからくるっとこっちへ背をむけて、またしずかに歩きだした。
 (太宰治「道化の華」)

 この文の「パラソルは立ち止まった」の「パラソル」(多分、内容上は複数)は換称代名詞でしょうか。違うと思います。比喩の一種だと思います。

 アメリカ政府のことを「ワシントン」と言うのと同じですが、固定していないので、その場限りの「換喩」と言えるでしょう。
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存在論

2006年12月22日 | サ行
 1、Ontologie の訳語。この語はギリシャ語の onta (存在するもの)と logia(学、論)とを合わせてでき、17世紀にゴグレニウス(1547~1628、ドイツの哲学者)やクラウベルク(1622~65、同上)らによってつくられたといわれます。 (以上、『哲学辞典』青木書店から)

 2、存在論という言葉で何を意味するかはいろいろでする。第1は元の意味で、「存在するものを、その存在の特殊な形態とは別にただ存在し、存在するものとして一般的にその根本的規定を研究する」学問(同上書)。

 従って、この言葉の出来る以前から、アリストテレスの『形而上学』などは存在論と言えるものでした。

 3、現象と区別してその本質的な面だけを研究するということを強調した場合、それは「本体論」とも訳されます。神の存在の存在論的証明と言われるものは、又本体論的証明とも言われます。これについては「参考」の(1)を参照。

 4、ヘーゲル哲学については、普通「存在論」と言う時、それは彼の「論理学」の第1部の存在の章を指します。この元の言葉は Seinslehre ないし Die Lehre vom Sein です。

5、弁証法的唯物論では認識論的観点と存在論的観点とを対比して考えることがあります。その場合の存在論的な観点とは、意識なり精神なり思考なりを物質の機能として見る立場である。

 それに対して、存在論と対比された認識論的な観点とは、認識主観と対象ないし客観とを対立させて、認識を客観の反映として捉える立場です。

 6、ハイデッガーの存在論については関口氏の説明がありますが、傾向としては元の意味に属します。

   参考

 (1)  神の存在の存在論的証明とは、次の通りである。我々が神について考える時、我々はそれをあらゆる完全性の総和として考える。しかるに、あらゆる完全性の総和ということの中には何よりもまず「存在する」ということが含まれる。なぜなら、存在しない本質〔実在〕などというものはどう見ても不完全だからである。かくして神が完全であるということの中には神が存在するということを含めなければならない。かくして神は存在していなければならない。(エンゲルス『反デューリング論』)

 (2)  Heidegger の哲学(むしろ Ontologie)は、現在までの、単に事実を写し出すだけの哲学ではなくて、わかりやすく言えば「要求」から出立しなければ存在の根本相の説明が出来ないという哲学である。

 即ち、人間の意識現象の根本をなしている所のもの、いわば人が普通 Seele(霊)と呼んでいるもの、或いは自力本願的宗教家が「自己の中枢に君臨する神」と称するもの、これが我々をして常に不安な、あわただしい、動いて止まぬ「人間」たらしめている根本である。それは「良心」として常に我々に呼びかけている。

 ところが常に「世間的」に、社交的な man(御同様)として、真の自己を正視する事を忌避しながら、言わば仮の衣たる外的自己とその利害とのみに没頭しながら、共同生活的、団体意識的、非人称的な意識層に安住の浮木を追って泳いでいる「吾人」なるものは、その良心なるものを、なるべく聴くまいとしている。

 表面の自己が、背後の自己(神)のために多少たりともその自信を揺るがされるような、多少たりとも真剣な体験や運命は、極力敬遠するのが常である。

 外部から迫る運命は時には非常な決断を以て全人格に引き請けるが、自己の内から生じて来る運命(開けんとする認識、等々)に対しては、みんな非常に卑怯である。

 しかしそれをしなければ真の人間ではない。少なくとも哲人ではない。内面的体験を忌避「しない」こと、これが人間たる理想である。そこに内面的進歩がある。最も人間らしき人間を人間せんと努める事、と言ってもよかろう。

 (Augustinusがその“Co nfessiones" (告白)において絶えず神に向かって呼びかけているのも、まず Heideggerの哲学と同一である。

 Heidegger の所謂 das Man-Selbst が Augustinus 自身であり、 die eigentlichste Moeglichkeit が対話の相手の Deus(神)であると考えられる。)(関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 (3) Ontologie(実体論)という言葉は、昔の哲学では全然違った意味で言われて、一時は全く不評に陥っていた述語であるが、現象学と共に再び盛んに用いられるようになり、物事の本質を見極めんとする形而上学の重要な一部門をなすに至った。

 それはもはや勝手気ままな概念をデッチ上げてそれを実在物だと宣ってしまう中世紀のOntologie ではなく、今度は人生の重要現象について人間の意識現象について、たとえば「生きている」とは何ぞや?(Was ist ... ?) 等の根本問題について、Was ist の ist を研究する学問になってきた。

 Was ist A ? 等は Was meint A ? と言ってもいいから、meintの方から出立して Interpretation と言ってもいい。

 けれども Ontologieの方は istから出立して、ギリシャ語では Sein を on と云うから、それから造った Ontologie(実体論、実義論、本質論)を用いるわけである。 (関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 (4) 客観的科学的に述べるのではなく、そこに論者の善悪可不可の判断を交えて、或る一面を奨励し、或る一面を誹謗するごとく論ずるのを moralisieren すると言う。

──このあたりに述べてある事柄(Sein u. Zeit, Bd.1, S.167)は、ちょっと前の注で私が Heideggerの哲学について述べた趣旨と一見相反するように思われるかもしれないが、ここが
Heideggerの哲学の特有性であって、その時に述べた如く、彼の見方は、普通の見方を以てすれば明らかに一つの「要求」であり、「文化哲学的野心」であり、むしろ Moralと解した方が却って力強くその意を捉えることが出来るものであるにかかわらず(それは Augustinus との類似点を考えてみれば、思い半ばに過ぎるものがある)、 Heidegger自身はそうではないと言っている。

 それはもちろん彼の Methodeが純現象学的なのであって(即ち形式だけの問題で)、その対象、その内容は明らかに一つの人間的要求である。

 それが証拠にこの論文を書いている人自身が、Heidegger の哲学から出立して「哲学はかくあるべし」という主張を提げてマルキシスト達の態度を攻撃しつつあるではないか?

──いづれにしろ Heideggerは単なる Auslegung〔解釈〕以外の何物かを提げて立っていることは事実である。(関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 (5) 人生とは何ぞやという実識実感(Seinsverstaendnis)は決して理屈その他によって狂わされる恐れのないもので、いわば「分かり切った」(selbstverstaendlich)こととして一つの(たとえ学問的ではないにせよ)天真の意識を持っているものである。

 それは知識ではない、また全然心理的な「意識」でもない、むしろその意識を可能ならしめる根本条件、即ち Seinsverstaendnis である。

  Ebene(平面)という変な形容を用いたのは、それと一線において相会する、しかも一致しない多くの平面があるものと見た面白い言い方で、Kreis(圏)、Gebiet、Bereich(域)、と言ってもいいところ。

 「人生」は自明の事実である、自明の事実ならばもうそれ以上分からなくてもよさそうだが、ここに Metaphysik の使命(ばかりではない、筆者はそれがそもそも人間存在なるものの使命だという)があるので、言わば哲学とは、分かり切った事を分かろうとする努力である。同じことをハイデッゲルは "Dasein ist ihm selbst ontisch 'am naechsten' , ontologisch am fernsten." (人間は人間自身にとって「事実」としては一番近く、「哲学」としては一番遠い)とも言っている。 (関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』 )

 (6)  ヘーゲル等のために、純粋の高遠な形而上学というものと、すぐ歴史的具体的事象に即した Anthropologie(人間学)というものとの間にある種の合流が生じたことは事実である。ハイデッゲルの哲学は、よく悪口が言われるように、具体的な歴史や歴史観を離れて「一人の人間一般」というものについて云々するという範囲において、最も極端な「形而上学」であると同時に「人間学」である。

 (人間というのはこの場合単数である。しかも文法上いわゆる genereller Singular〔代表的単数、又は類を意味する単数〕の'der ' Menschである。)

 その点において、Metaphysikと Anthropologieとの合流から独立したとはいうものの、やはりその起源を己が特徴として持っていると言える。

──その Freimachungは、ハイデッゲルのつもりではもちろん人間学、形而上学の「基礎学」としての「存在論」を立てたことを言うのである。(関口存男『ハイデッゲルと新時代の局面』)

 (7)  およそ一般に、あらゆる存在論的な問題は同時に認識論の問題に還元され、認識論的に吟味されることができる。またそうでなければ、どんな存在論も独断的形而上学という非難を免れないであろう。(略)物質か精神か、どちらが本源的な実体であるか、という存在論上の対立をめぐる問題は、まさに感覚と思考との関係如何という認識論的問題に還元されうる。
(許萬元『認識論としての弁証法』青木書店、第1編第1章)

 (8)  認識論の地盤は主客対立という地盤においてのみ、この限界内でのみ成立し、認識論的見地は認識主体を中心として客観的存在との関係の問題を考察するのである。存在論的見地はけっして認識主体を前提することなく、むしろ存在自身を主体として、存在の自分自身にたいする関係を考察するのである。主客対立という認識論的地盤も、特定の存在論的関係のうちの一つの位置を占めるにすぎない。 (許萬元「認識論としての弁証法』青木書店、第1編第1章)

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懐疑論

2006年12月21日 | カ行
   参考

 (1)  ヒュームの懐疑論は〔古代〕ギリシャのそれとははっきりと区別しなければならない。

 ヒュームの懐疑論は経験や感情や直観を真理として〔認識の〕根底に据え、それに立脚して普遍的な決まりとか法則〔があるという考え〕と戦った。その根拠は、普遍的な決まりや法則は感覚的な知覚によっては証明されないからということであった。

 古代〔ギリシャ〕の懐疑論はこれとはおよそ反対で、感情や直観を真理の原理とするどころか、むしろそれは真先に感覚的なものに批判の矛先を向けたのであった。
 (ヘーゲル『小論理学』第39節)

   説明

 ヘーゲルは古代ギリシャの懐疑論の方を高く評価します。ヘーゲルの考えは拙稿「子供は正直」に詳しく書きました。

 なお、「疑う」の項を参照して下さい。
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契機

2006年12月20日 | カ行
 1、ヘーゲルでは Moment の訳語です。或る物Aが他の物Bの契機である時、AはBの中に aufheben (止揚)されている、とも言います。

 「観念的な契機」という言葉も使われますが、ヘーゲルでは契機になっていることが即ち観念的なことですから、この表現は同語反復です。つまり、ヘーゲルでは aufgehoben = ideellです。

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意識

2006年12月19日 | ア行
   参考

 1、すべての意識は統一と分離とを含んでおり、従って矛盾を含んでいる。かくして例えば家についての表象は私の自我に全く矛盾するものであるが、それにもかかわらず私の自我に担われているものなのである。
 (ヘーゲル『哲学の百科辞典』第 382節への付録)

 2、意識は主体性であり、主体性は自己を個別化しようとする欲求を自己内に持っている。 (ヘーゲル『歴史における理性』 178頁)

 3、意識の存在様式は知である。つまり、或る物が意識されるあり方は知である。知は意識の唯一の行為である。従って何かが意識されているというのは、意識がその物を知る限りにおいてである。知は意識の唯一の対象的な振る舞いである。
 (マルクス・エンゲルスエン『全集』補巻1、 580頁)

 4、思想とか観念とか意識といったものの生産は、さしあたっては、人間の物質的な活動と物質的な交通との中に直接織り込まれている。これが実際生活の言語である。ここではまだ、思ったり考えたりといった人間の精神的な交通は人間の物質的な振る舞いから直接出てきたものである。

 民族の政治、法律、道徳、宗教、形而上学などの〔生活から離れているように見える〕言語に現れているような精神的な生産についても同じ事が言える。つまり、人間は自分たちの観念や思想の生産者である。

 しかし、その人間とは、その生産力の一定の発展とそれに対応する交通の一定の発展とによってその最も遠い形成物に至るまで条件づけられた、実際の生きた人間のことである。意識 Bewusstseinとは「意識された存在」 bewusstes Sein 以外の何物でもなく、人間
の存在とはその実際の生活過程のことである。
 (マルクス・エンゲルス『全集』第3巻、26頁)

 5、精神は元々「物質に憑かれている」という呪いを負っている。その物質とはここでは運動する空気層、音、つまり言語という形を取って現れている。
 (マルクス『ドイツ・イデオロギー』、『全集』第3巻30頁)

 6、意識はもちろん最初はたんに身近な感性的環境についての意識にすぎず、また意識的になりつつある個人の外にある他の人間及び他の事物との限られたつながりの意識にすぎない。

 (略)従ってそれは自然についての純粋に動物的な意識である(自然宗教)。

 (略)しかも他方ではまわりの諸個人と結合すべき必然性の意識、人間がとにかく一つの社会の中に生活するということについての意識の端緒が現れる。この端緒はこの段階の社会生活そのものと同様に動物的であり、それは単なる群居意識である。そして、ここで人間が羊から区別される点はただ人間にとっては意識が本能の代わりをするということ、即ち人間の本能が意識的なものであるということにすぎないのである。
 (マルクス『ドイツ・イデオロギー』、『全集』第3巻、31頁)

 7、自然発生的要素とはその本質上意識性の萌芽形態にほかならない。
 (レーニン『全集』第5巻 394頁)

 8、労働者たちの利害が今日の政治的・社会的体制全体と和解しえないように対立しているという意識、即ち社会民主主義的〔社会主義的〕意識。
 (レーニン『全集』第5巻 3 95頁)

 9、本能性とはまさに無意識性(自然発生性)であり、(レーニン『全集』第5巻 411 頁)

 10、労働者階級の自己認識は現代社会のすべての階級の相互関係についての完全に明瞭な理解――単に理論的な理解だけでなく更に、(理論的な理解よりもむしろ、と言った方が正しくさえある)政治生活の経験に基づいてつくり出された理解――と、切り離しがたく結びついているからである。
 (レーニン『全集』第5巻 440頁)

 11、階級的・政治的意識は外部からしか、つまり経済闘争の外から労働者と雇い主との関係の圏外からしか、労働者にもたらすことができない。この知識をくみとってくることの出来る唯一の分野は、すべての階級及び国家及び政府との関係の分野、すべての階級の相互関係の分野である。
 (レーニン『全集』第5巻 451頁)

 12、人間の意識についてはいろいろな説明がなされている。しかしそれを発生的にみる限り、人間の意識は本来、人間の一般的な本質である労働の一契機としての目的意識であり、この目的意識は対象意識と自己意識との統一であり、これが思考の始まりである、と言わなければならない。
 (牧野紀之『労働と社会』60頁)

 13、そもそも人間に意識という変なものが備わっているという事は、一面非常に有り難いようであって、また他面においては甚だ有り難くないことがある。というのは、よくある意識生活の一局面ですが、意識するということは甚だ自分にとって都合がわるく、目をつぶって通った方が気が楽な場合があるからです。「自分自身に対して頬かぶりをして通る」方が得策なことが起こって来ます。

 意識というのは、つまり、前に述べたように、我々自身の鼻の先に鏡が置いてあるのと同じ関係にあるものです。ある種の場合には自分のやっている事が自分自身の眼に映ずるのは甚だ困ることが起こってくる。そこで、自分自身の意識を躊躇したり、自分には一寸内緒にしておいたり、自分自身の陰に隠れてこっそりとやってしまったり、その他意識の明鏡を曇らせることによって現実我の意図を貫徹しようとする局面が生じてきます。

 只今挙げた母親の挙動の描写などがその局面のなかなか微妙複雑な場合で、これは、自分が平素あまりかまってやらなかった子供が病気になって眠っているところへ母親がやってきて、寝息をうかがって見たが、別に変わった事もなく、すやすやと眠っているらしいので、安心したような、すまないような、何となく物足りない中途半端な気持ちのままで、また部屋を出ていってしまう所の描写ですが、介抱したいにも介抱する事がないものだから、彼女はベッドの布団の上を撫でて皺を延ばしてやる。布団の皺を延ばしたからと言って病気が楽になるという話はまだ聞いたこともないが、とにかく何かしないと自分の気が済まないものだからそうするわけです。けれども、そうしながらも、それは単に自分が自分自身に対して演出して見せる芝居にすぎないのだという「意識」があるから、彼女は多少恥ずかしくもあって、そう大げさにはやり切れない。やりかけた途中で、あいまいにごまかしてしまう。だいいち、皺を撫でたからと言って病気に何の関係もないということは「薄々知っている」ものだから、勿論真面目に撫ではしない。では全然撫でる必要はないではないかと言えば、それはまあそうですが、そこがその──面白いところです。

 要するに、人間という奴は、意識という鏡を突きつけられていながら、格別突きつけられ甲斐もなく、実に齟齬矛盾そのものの如き行動に出る動物で、時には現在ありありと鼻の先に見えている事をすらも強いて見まいとする。「意識という浄玻璃(じょうはり)」としての理想我に対して、「無意識な塊」としての現実我は常に犯罪者の警察に対するが如く逃げ隠れしていると思ってよろしい。どんなに意識が明瞭な、どんなに頭の好い人間でもそうです。否、意識が発達して全てを克明に反射してくれば来るほど、即ち文明人になればなるほど、不透明な現実我の方はますます甚だしく暗にもぐり、地下に隠れ、ますます甚だしく犯人意識が発達して来ると言うも過言ではありません。

 ここでちょうど好い機会ですから「意識」という現象を再帰哲学的に定義すると、こういう風に考えられます。「意識とは、とにかく吾人自身の眼の前に置かれた、どうしても取り除くことのできない宿命的な鏡の如きものである。自分自身が反射屈折して、自分自身が欲すると欲せざるとにかかわらず、自分自身に向かって帰ってくる現象である」。

 鏡の例を幸いに、もう一段飛躍して面白く言うならば、「言わば自分自身が逃れようなく自分自身に突きつけられているかたちである」とも言えましょう。

 またハイデガーの思想を持ち出して言うならば、意識という現象だけではなく、そもそも人間、人生、自我というのが、ハイデガーの用語で言うと、我々が、我々自身の現境(da)の真っ只中に向かって「投げつけられている」(geworfen)かたちなのだそうです(この「かたち」(相)のことをハイデガーは Sein という用語で言い表します)。故に、私が只今述べた「突きつけられている」という変な形容は、このハイデガーの Geworfensein 〔投げつけられたあり方〕の一種だと思っていただきたい。変な形容かもしれませんが、再帰的な考え方に入り込んでしまった西洋哲学としては、当然こうした解釈に到達しなければならなかったのではありますまいか。
 (「関口ドイツ語論集」 323-4頁)
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日和見主義

2006年12月17日 | ハ行
 1、日和見とは、「(船頭が空模様で舟を出すかどうかを決めた事から)どちらが優勢になるか情勢をうかがって、自分がどちらにつくかすぐには決めないこと」(新明解国語辞典)です。

 2、日本語には「洞が峠」という言葉があります。これは「京都府と大阪府の境にある峠のことなのだが、山崎の合戦の時、筒井順慶がここに立って、秀吉と明智のどちらに付こうかと形勢を見たことから、両方を比べて有利な方へ付こうと形勢を見る態度を言う(新明解国語辞典)。

 「洞が峠を決め込む」などという使い方をする。

 3、 Opportunismus (日和見主義)とは「参考」の(2)や(6)にあるように、「短期的部分的な利益のために長期的原則的な利益を犠牲にすること」です。

 日和見主義という言葉は「明日どうなるか明後日どうなるかを考えずに、その日の天気だけをみてその日の天気に好都合な行動を取る主義」という意味でしょうから、適当な訳だと思います。

 日和見主義者のことをドイツ語で Wetterfahneと言うのも同じ考え方でしょう。

 しかし、1の日本語の「日和見」の元の意味や2の「洞が峠」の元の意味とは少しずれていると思います。こちらは態度保留ではなくて一時的な利益を選択して行動するのだからです。

 4、社会主義運動などでは右翼日和見主義と左翼日和見主義という区別が語られますが、これは、その得られる一時的な利益が、相手(敵)との妥協によって得られる利益である場合(右翼)と、敵との闘争によって得られる場合(左翼)に分けて理解できるでしょう。

 ただし、左翼運動などで「日和る」という動詞は「弱気になる」という意味で、右翼日和見主義的な態度を取るという意味で使われると思います。

     参考

 (1) これまでの全ての生産様式は単に労働から直接出てくる効用を得ることだけを狙っていた。かなり後になって初めて現れる結果や少しずつ繰り返して積み重ねることによって現れてくるような結果は全く考慮されなかった。
 (エンゲルス『反デューリング論』)

 (2) このように、その日の瞬間的な利益のために大きな観点を忘れ、一層先にはどうなるかを考えないで、その瞬間だけの成果を追い求め、運動の現在のために運動の未来を犠牲にするということは、〔たとえそれが〕誠実に〔運動の利益になると〕思い込まれていたとしても、それは日和見主義だし、又いつまでもそれは日和見主義である。そして、この「誠実な」日和見主義というものは恐らく全ての日和見主義の中で最も危険なものである。
 (エンゲルス「社会民主党の綱領草案への批判」)

 (3) 「経済主義者」と今日のテロリストとの間には一つの共通の根がある。(略)自然発生性への拝跪がそれである。
 (レーニン『何をなすべきか』)

 (4) 中央集権主義に反対して自治主義を擁護する歴然たる傾向が、組織問題における日和見主義に固有な原則的な特徴である。
 (レーニン『一歩前進二歩後退』)

 (5) 日和見主義者はその本性からしてつねに問題を明確にきっぱりて提起することを避ける。彼らは合成力を捜し求め、互いに相いれない諸見地の間にとぐろを巻いてどちらにも「同意しよう」と努め、自分たちの意見の相違点を細かい修正や疑念や善良で罪のない願望等に帰してしまう。
 (レーニン『一歩前進二歩後退』)

 (6) ここでついでながら日和見主義の問題が生じてくる。日和見主義とは、一時的・部分的な利益を得て、根本的な利益を犠牲にすることである。
 (レーニン「1920年12月6日の演説」)
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疎外

2006年12月16日 | サ行
 1、ドイツ語の Entfremdung、英語の alienation の訳語として生まれた言葉。関係のある言葉としては外化 Entaeusserungがあります。

 人間疎外、自己疎外、疎外感などといった風に使われることが多い。

 阻害とは区別すること。

 2、日常生活で使われる場合の意味については「参考」の(1)に掲げる「新明解国語辞典」の説明でよいと思います。

 3、ヘーゲルでの疎外と外化の微妙な違いについては「参考」の(3)の金子氏の説明を見てください。

 4、労働して何かを作ったとします。それは自己対象化であり、自己外化です。その時、その自己の対象化である生産物が自分に対して否定的な働きをするようになった時、それを自己疎外と言います。

 5、要するに、藪蛇の論理で、自分のためになると思って藪をつついたら、蛇が出てきて噛まれた、つまり被害にあった、と言う論理のことです。

 広狭2義を区別する人もいます。「広義の疎外・自分が考えだしたり作りだしたりしたものが、自分と離れよそよそしい物になること。狭義の疎外・それが他人のものになって、自分を苦しめること」
 (『新版・哲学・論理用語辞典』三一書房)

   参考

 (1) 「人間疎外」──A・人間が作りだしたものが人間から独立して逆に人間を支配するようになること。B・情報過多な激動社会の中で、個人が主体性を失い、環境をはじめ、すべての物事に違和感・挫折感を持ち、他人との親密さも愛も喜びも喪失して孤独な存在となること。
 「疎外感」──仲間はずれにされたという感情
 (以上、『新明解国語辞典』)

 (2) 疎外概念が哲学的なタームになってきた経緯。
 (1)マルクスの「経済学哲学草稿」が広く知られるようになったこと、(2)50年代以降、疎外概念が近代一般の構造解明のキー・コンセプトとなった。マルクスではEntfremdung とEntaeusserung は区別されていないが、ヘーゲルでは微妙に違う。ヘーゲルでは「外化」は、精神の他者化が物的世界にかかわる場合に使われる。「疎外」は、対人関係に関係する疎外現象一般を論じる場合に使われる。
 (『ヘーゲル事典』弘文堂、谷嶋喬四郎執筆)

 (3) 疎遠になる即ち entfremden という語にグリムその辞典において fremd machen という意味を与えているが、この語は中高ドイツ語としては古くから用いられ、ルターやゲーテにも用例がある。しかしグリムがルターにおける用例としてあげているのは、「こう
してエントフレムデンされてはならない財 Gueter 、即ち res non alienandae 」であるところからすると、ラテン語の abalieno にその訳語として当てられた語であることになるが、エントの「から」にさらに英語の from にあたるフレムト(Kluge)の「から」が重なり、ドイツ語としては純一ではないために、一般には必ずしも好んで用いられた語ではなかったようである。しかるにこの語を哲学思想の流行語としたのは、ほかならぬヘーゲルであり、またマルクスである。

 精神現象学においてさえ、この語は「法的状態」の最後の段において二度現れ、これを受けて「自分から疎遠になった精神」の表題において用いられ、そうして本文において entae ussernと対をなして頻繁に用いられるだけであって、これ以前においても以後にお
いても用いられることはむしろ稀である。

 即ち、〔金子訳の『精神現象学』の〕18頁において、神の「愛の戯れ」というごとき「自己同一は他的存在についても、エントフレムドゥングについても真剣ではない」とあり、〔同〕1119頁において「神的実在のエントフレムドゥング」によって二組の結合体の生ずることが述べられている程度である。したがって現象学にもっとも近い実質哲学第2巻でも稀に用いられるにすぎない。

 むろん現象学以前から用例がないわけではない。「クリスト教の精神と運命」のうちには注目すべき二つの用例がある。即ちノール245頁には、大洪水があってから人々は互いにエントフレムトとなり分散してしまおうとしていたが、ノアはこのとき彼らを結集したとあり、289頁には、罪とその赦しとの間に、神からエントフレムデンすることと神と和らぐこととの間にある連関を、イエスといえども自然(人性)の外にあると考えたのではないとある。

 ノールにおけるこれらの用例はエントフレムドゥングが人と人との、また人格神と人間との間柄が疎(うと)くなり遠くなり疎遠となることを意味するのを、またこの語が宗教的ニュアンスを帯びていることを示している。

 そうであるとすると、この語に伴う表象を決めたのは、新約聖書「エペソ書」2-12~13の「さきには〔汝ら異邦人には〕キリストなく、イスラエルの民籍に遠く、約束に属するもろもろの契約に与(あず)かりなく、世にありて希望(のぞみ)なく、神なき者なりき。されど前に遠かりし汝ら今、キリスト・イエスにありて、キリストの血によりて近づくことを得たり」とあり、「コロサイ書」1-21~22には「汝ら、もとは〔異邦人にして〕悪しき業を行ひて、神に遠ざかり、心にその敵となりしが、今は神、キリストの血の体をもて、その死により、汝らをして己れと和らがしめ、潔(きよ)く瑕(きず)なく責むべきところなくして己れの前に立たしめんとし給ふなり」とあるがごときことである。

 ギリシャ原典で言うと、「民籍に遠く」の「遠く」及び「神に遠ざかり」の「遠ざかり」には「アパロトリオ-」(アポ・アロトリオー・アロトリオス・アロス)の中間態が用いられており、ラテン語では abalieno( ab-alieno → alienus→ alius) がこの「アポ・アロトリオー」に応じている。

 そうしてこういうようなパウロ的なエントフレムドゥングはさらにその起源を旧約聖書にもっている、即ち例えば「ホセア書」の2にはイスラエルは砂漠においてはヤーウェの妻であったが、定住後はバアルに心を奪われて姦淫を行ったとあること、また11-1~8にはイスラエルはかつてヤーウェのいつくしむ息子であったのに、定住後には呼んでも答えをせず遠ざかって行ったとあること、さらに「ヨブ記」のヨブが神に遠ざけられ神に遠ざかり神を詛い神の敵となり仇となったものであることなどが起源である。

 エントフレムドゥングという語の由来は以上のごとくであるが、宗教的雰囲気のうちにおいては神から疎くなり遠ざかり疎遠になることを意味していたのに対して、ヘーゲルは神の位置に自己ないし精神を立たせることによって、自分から疎遠となった精神という概念を設定したのである。

 ところでこの「自分から疎遠になった精神」の章においてはエントフレムドゥングは Entaeusserungと対をなすものとして殆ど区別なく用いられている。

 実際アパロトリオー、アルロトリオー、アブアリエノー、アリエノーという語は他人のものとすること、譲渡することを意味するのであるから、この「譲渡する」という意味をもつ veraeussern, entaeussern が entfremden と対をなして用いられるのは妥当である。

 しかしエントフレムドゥングがエントオイセルングと対をなしているにしても、両者間には方向の区別がある。即ち前者の成立する基本場面が人格関係であるのに対して、後者の場合は対物関係であり、したがって前者が疎くなること、遠ざかること、疎遠となることを意味するのに対して、後者は外化すること、物とすること、対象化し客体化することを意味すると考えられる。

 Endfremdungを疎外と訳することは殆ど定着しているが、 Entaeusserungと区別するために、 Endfremdungには「疎遠となること」をあてることにした。
 (金子武蔵訳『精神現象学』岩波書店、1500-1502 頁にある注解)

 (4) 抽象するとは、自然の本質を自然の外へ、人間の本質を人間の外へ、思考の本質を思考作用の外へと置くことである。ヘーゲル哲学は、その体系全体がこの抽象作用に基づいているから、人間を人間自身から疎外した。
 (フォイエルバッハ『暫定的提言』松村訳岩波文庫)

 (5) 疎外──それは、どうでもいいといったよそよそしさから、本当の敵対的な疎外へと進まざるをえない。
 (マルクス・エンゲルス『全集』補巻1)

   用例

 (1) 諸々の価値から疎外され、自らの認識を広める力をもたない者から見た場合、自らを世界中に広める力と手段をもつ認識と主張は、それ自体権力である。
 (2001,11,30, 朝日)

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地獄

2006年12月15日 | サ行
   参考

 (1) 要するに、事の差別こそあれ、その形式はすべて「永久に無駄な努力を繰り返す」ということ、これがこれら全ての地獄の伝説に共通な点であり、同時にこの共通な考え方によって、古代ギリシャ人が地獄というものをどう考えていたかがわかり、同時にまた、「人間として一番やり切れないのはどんなことか」という問題に対するごく正直な解答の如きものとも受け取れるのである。
(関口存男『ファオスト抄』 42頁 )
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田川建三(01、「キリスト教思想への招待」)

2006年12月14日 | タ行
1、田川建三さんの近著を読んで(牧野紀之)

 最近、田川建三さんの名前を聞かなかったので、どうしたのかなと思っていました。ファンの1人として「何かあったのかな」とすら思っていました。この春、勁草書房から「キリスト教思想への招待」を出され、健在であったことが分かりました。新聞の書評などでも好評で、売れているようです。

 その「後書き」によりますと、68歳になって最期を視野に入れて研究と執筆を続けているようですが、少なくとも後3冊、「新約聖書概論」(題名は「事実としての新約聖書」)、「マルコ福音書注解」の下巻、詳しい注解の付いた翻訳「新約聖書」はどうしても自分の責任として出しておきたいとのことです。

 この責任感には本当に頭が下がります。成果を期待したいと思います。

 田川さんほどの碩学の著作に対して私のような浅学非才が批評をするなどというおこがましい事をするつもりはありません。今回も沢山の事を学ばせていただきました。

 大きな観点としても、天地創造の神話と自然に対する謙虚さとの関係とか、西洋人は自然を支配するが東洋人は自然と一体となるという風に対比して理解するのは間違いだとか、日本だけが四季がはっきりしていて自然が豊かだなどというのは偏見だとか、隣人を愛せといったうさんくさいモラルも長い間かかって今日の福祉社会を築く力になってきたとか、キリスト教や浄土真宗はその当時の諸宗教の負担から民衆を解放したのだとか、黙示録のヨハネが非難した終末的現実はいまだに終わっていないとか、感心して読みました。

 アフリカの雨期とはどんなものか、人々がその雨期をどんなに待ち望んでいるかといったことは、アフリカ中部の南緯5度に住んでいたことのある田川さんならではの叙述で、びっくりしました。

 このように感謝する気持ちが大部分なのですが、ほんの少し疑問に思った事を書きます。それは田川さんの授業のあり方についてです。

 この本の 151頁以下に次の文があります。材料となっているのは「有名な」話(だそうです)で、「ぶどう畑の日雇労働者の譬え話」(或る地主が1日働いた者にも、仕事がなくて畑の前に立っていた者にも同じお金を払ったという話)です。田川さんはここにある「隣人愛の精神」が長い歴史の中で今日のヨーロッパの社会保障制度に繋がってきた、と言っています。

 少し長くなりますが、所々略して引用します。

──私にとって非常にショックな事柄があった。長年にわたるヨーロッパ、アフリカでの生活を終えて、日本に帰って来てから、私はある小さい女子大学の教師になった。学生にクリスチャンはほぼまったくいない。その学生たちに、私は毎年つとめて授業でイエスや新約聖書の話をするようにしていた。この本に記したことの多くは、その授業で語ったことでもある。特に、この日雇労働者の譬え話は、必ず紹介した。

 ある年、この譬え話を紹介し、上で述べた、また以下にも述べるような解説も加えた。そこまでは毎年やっていることである。しかし、一度学生たちの率直な感想を聞いてみたくて、ある学期の終りの試験の時に、最後に時間が余ったら、これは試験とは関係なく、採点にも関係ありませんから、率直に、この譬え話についての感想を書いて下さい、と頼んだ。この時に、要望に応えて率直に意見を書いてくれた大部分の学生に私は感謝している。普通は、そうは言われても、なかなか書く気にはなれないものだ。それを、ほとんどの学生が書いてくれた。

 しかし、その点では感謝するけれども、その中身に私は非常なショックを受けた。全体のおよそ三分の二(三分の一ではない!)の学生が、こういう意見は間違っている、と書いていたのである。働かなかった労働者にも賃金を与えるなんて、間違っている。それじゃ、働いた労働者が損をしてしまうではないか。そんなのは不公平だ。働かなかった労働者は、自分が悪いんだから、賃金をもらう資格なんぞない、等々、等々。

 確かに、これは一年生の授業である。もしもこれが四年生相手の授業であったら、すでに就職活動を通じて、嫌というほど女性の就職が差別されるのを経験しているから、働く機会が得られないのは御本人の責任とはいえない、ぐらいのことは、こっちが何も言わなくても、十分に肝に銘じている。

 今の日本社会、政府は「男女共同参画社会」なんぞという看板だけはかけてくれているが、この看板は、ほとんど何もしないことの言い訳のための看板であって、現実はなかなか変らない。世界中どこに行っても本質は似たようなものだが、しかし、労働の場における女性差別は、日本では世界でも群を抜いてはなはだしい。

 等々、いろいろあるだろうけれども、しかし、いわばまだ素直な若い人たちである。小さい大学の、数十人の授業だから、それが日本全体の意識をどの程度代表しているかもわからない。しかし、彼女たちは、ほどほどにまずまずの知性もあり、みなさん人柄はなかなか良い人たちである。しかも、今回この本に書いていることの大部分は、これほど詳しくはないにせよ、その時の授業ですでに話した後である。この人たちの「素直」な感性がこういうことであったとは。

 これは、一つには日本のクリスチャンの怠慢である。(略)もっとまわりの、キリスト教を知らない人たちに、キリスト教の中にもこういう良いことがいろいろ伝えられているんですよ、と語ってくれないかしらん。別に、キリスト教という宗教はどうでもいいけれども、労働者の賃金について、こういう良い話があるよ、ということぐらいは。

 と、そうには違いないが、ともかく、仕事にあぶれた労働者も、その日の食いぶちにあずかって、安心して生きられる、よかったよかった、と思うのと、仕事にあぶれた労働者なんて、働かなかったのだから、食えなくても当り前だよ、と思う神経とでは、あまりに開きがある。良識のあるはずの、素直な若い人たちが、何となく、後者の神経しか持つことのできないでいる社会。(略)

 その学生たちには、この譬え話を語り継いできた伝統があるおかげで、キリスト教西洋社会は失業保険やら健康保険やら、その他さまざまな杜会保障制度を発達させてきたのですよ、その制度を近代になって輸入することができたから、日本でも、似たような制度が存在しているのですよ、(略)

 しかしそれは降ってわいたものじやありませんよ。西洋世界がイエスのこの譬え話を生かしながら、長年かかって徐々に作り上げてきたものですよ。それが日本に輪入された。この譬え話を聞いて、よかったよかった~、と思うことのできる人たちの長い間の伝統が、それを生み出したんですよ。

 と、こう申し上げると、学生たちは一応納得してくれたみたいであるけれども──。

 さて、田川さんは自分の生徒(4年制大学の1年生)に大分ご不満のようですが、ここでの田川さんの特徴は他者への不満ばかりで、自分の授業のやり方に問題はなかったのかという自己反省がないことです。そこで、田川さんのこの授業のやり方を具体的に検討してみましょう。

 第1に、お断りしておきたいことは、何の授業なのかは分からないということです。語学の授業でないらしいことは分かります。田川さんの『イエスという男』(三一書房、第1版第16刷、1991年02月刊)の奥付きに書いてある「現職」によりますと、「1978年より大阪女子大学英文科教員」で「宗教学、西洋古典学」が専門とありますから、その種の概論的な講義なのだろうと推測します。

 第2に、今「概論的な講義」だろうと書きましたが、講義という言葉は大学では授業の代名詞としても使われるからそう言っただけです。その「講義」つまり「授業」が実際に「一方的な講義」つまり講師が話すことが大部分を占めている授業でなければならない理由はありません。

 しかし、田川さんの授業はどうも実際にも講義中心の授業のようです。これがまず問題だと思います。講義という授業形態は最低の授業形態だと思います。田川さんはヨーロッパやアフリカでの生活が長かったと言っていますが、その生活とは大学教員としての生活だったはずです。外国でもこのような講義中心の授業をしてきたのでしょうか。

 私は外国の大学で授業を受けた経験がありませんが、ほんの少し見学しただけでは、ドイツの大学でも講義中心のものが多いようで、「高校以下はドイツの方が日本より好いが、大学はどちらもお粗末だな」と思いました。

 第3に、たしかにこの批判に対しては「数十人の学生がいるのだから」という弁明が考えられますが、生徒が数十人いても、講義中心でない授業は可能ですし、そうすべきだと思います。

 生徒に毎回レポート(感想文でもよい)を書いてもらって、それに対して講師が答えるとか、生徒を3~4人ずつのグループに分けてその日のテーマについて話し合ってもらうとか、です。

 まあ、授業中に「休憩」を入れるなどという事は、本当は必要ですし、学生は喜ぶのですが、私のようなふざけた教師でないとできないでしょうから、そこまでは要求しません。

 「教科通信」は田川さんが出したら立派なものができただろうと思いますが、田川さんの才能をこんな事に使うのはもったいないかなとも思います。そういう事を言いだしたら、そもそも田川さんのような人が大学の1年生に授業をする事自体がミスマッチなのだと思います。

 第4に、田川さんは4年生でなく1年生だから経験が乏しいという点について触れていますが、これも賛成できません。経験の乏しい生徒だからこそ、講師が新聞記事とかビデオとかで間接経験(小説を読むのは間接経験であるという時の意味)を与える義務があるのだと思います。生徒の体験を待っているのなら教師は要らないと思います。

 憚りながら、私も某女子短大の1年生に半年間、「女性労働論」というテーマの授業をしたことがあります。田川さんの学校よりレベルの低い学校です。しかし、毎回、適当な新聞記事などをコピーして読んで考えてレポートを書いてもらったので、好評でした。当時は私はまだ「教科通信」というものを知らず、少人数に分けて話し合ってもらうこともしませんでしたが、これだけでも好評でしたし、内容のあるレポートでした。

 第5に、「一度学生たちの率直な感想を聞いてみたくて、ある学期の終りの試験の時に、最後に時間が余ったら、これは試験とは関係なく、採点にも関係ありませんから」として書いてもらったと書いていますが、なぜ「一度だけ」なのでしょうか。毎年、その他の事を含めて何回も感想を聞いて授業を進めるべきだと思います。

 なぜ「試験と関係なく、採点とも関係がない」のでしょうか。これは思想的な内容のある授業では「思想の自由」と「真理は1つ」との関係をどう解決するかの問題と関係してとても難しい問題だと思います。

 私も悩みましたが、今では次のように考え実行しています。生徒の考えの「内容」が講師の考えに賛成か反対かは自由である、しかし、どれだけ深く広く考え根拠をあげて論じたかを評価する、その意味で内容も評価する(あるいはこれを私は「形式」を評価すると考えている)。

 つまり私の授業ではその目的を「自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること」としています。田川さんはどうも、講師の考えに賛成してほしいと思い、説得しようと思っているのではないでしょうか。

 その意味で私はレポートの内容はもちろんアンケートすら成績の対象としますし、そう生徒に最初に断ります。しかし、これは「自由な発言」を全然阻害していないと確信しています。

 ブログ「教育の広場」に載っている「天タマ」第43号を見て下さい。「先生の考えに反対です」という意見が冒頭に載っています。そして、この生徒に私は「優」をつけました。別に「講師の考えに反対したから」ではありません。全体としてそう評価しました。とてもしっかりした生徒です。忘れえない生徒の一人です。

 アンケートは匿名にしなければならないというのは「公理」と思われているようですが、私の考えでは、「匿名でなければ本当の話し合いの出来ないようなら、それは本当の師弟関係ではない」。その事自体が失敗授業の証拠だと思います。

 大体これで全部ですが、最後に、田川さんはかつての60年代末の大学紛争の時、ICU(国際キリスト教大学)の若手教員の一人で、いわゆる全共闘の立場に立ってこれに参加し、その結果、大学を追われたか自分で辞めたかしたのではないでしょうか。この事とこの授業のあり方とはどう結びつくのでしょうか。

 それと関連して、田川さんは自分たちの行った「闘争」を歴史家の一人としてどう理解しているのでしょうか。この事をどこかに書いているのでしょうか。もし書いているならば、ぜひ読みたいものだと思います。

 先に「山本義隆さんの労作」を書きました。山本さんと田川さんは全共闘世代の生んだ二人の巨人(学問の巨人)だと思います。年齢的には私よりも上ですから、本当は安中派(60年安保世代)として知られてもおかしくないのですが、60年安保の時は研究に没頭していたかで余り中心的に参加しなかったのでしょう。あるいは、60年安保はあくまでも政治闘争だが、大学紛争は大学と学問のあり方についての闘争だから彼らは全力をあげて参加したのだということかもしれません。

 期せずして、別々にではありますが、このお二人の方を論じることになりましたが、二人とも、自分の全共闘時代の闘争との関係に沈黙しているようなのは残念です。

  (2004年07月07日発行)

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