マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

プロレタリアート、das Proletariat

2011年12月31日 | ハ行
 階級として考えた賃金労働者(階級)のことで、プロレタリア(個々の賃金労働者)とは区別した方が好いでしょう。皆がそう使っているわけではありませんが、そうした方が学問的には正しいと思います。一般には「プロレタリアート」は集合名詞と考えられています。

 語源的な考察としては、メモ11を参照。

 マルクス・エンゲルス・レーニンの言葉にあるプロレタリアートに対する賛辞はマルクス主義の社会主義思想が人間観としてはフランス社会主義の性善説(ルソーを想起せよ)を受け継いでいる事を証明しています。

 マルクス主義の社会主義思想はイギリス経済学とドイツ観念論とフランス社会主義の3つを受け継ぎまとめて出来た物とされていますが、ドイツ観念論はキリスト教の性悪説を受け継いでいますから、フランス社会主義の性善説とは矛盾します。この矛盾に気づかず、従って解決策を考えないで、そのまま突っ走ってしまった所にその社会主義思想の「理論上での」根本欠陥がありました。

 ヘーゲルは性悪説の方が理論的に深いと言っています。

 実際、性善説などというおめでたい考えに惑わされることなく、性悪説の俗流的解釈で党の官僚と軍隊を掌握したニセモノが実権を握る事になりました。

  参考

 01、この社会の解体を1つの特殊な身分として体現しているのがプロレタリアートである。……プロレタリアートが哲学の物質的な武器であるように、哲学はプロレタリアートの精神的な武器である。(マルエン全集第1巻390-1頁)

 02、プロレタリアートと富とは対立している2側面である。私有財産は対立の肯定的な側面であり、プロレタリアートは否定的な側面である。有産階級とプロレタリアートは同じ人間疎外を表しているが、前者はこの疎外の内に人間的なあり方の仮象を持ち、後者は非人間的なあり方の現実を持っている。

 かくして後者は保守派であり、前者は破壊派である。プロレタリアートは私有財産を止揚するが、それは自己に下された判決を執行するだけであり、プロレタリアートの勝利はそれが社会の絶対的な側面になることではなく、自己と他者との止揚である。(マルエン全集第2巻37-8頁要旨)

 03、大衆運動の人間としての高貴さを少しでも知るためにはイギリスとフランスの労働者たちの勉強、知識欲、道徳的エネルギー、休むことなき前進衝動を知っておかなくてはならない。(マルエン全集第2巻89頁)

 04、プロレタリアートという語の意味は、自分自身の生産手段を持たないが故に生き得るためには自分の労働力を売るように定められている近代賃金労働者階級のことである。(マルエン全集第4巻462頁、「宣言」)

 05、労働者は祖国を持たない。(マルエン全集第4巻479頁、「宣言」)

 06、(プロレタリア国際主義)何よりも大切な事は、いかなる愛国的排外主義の台頭をも許さず、どの国から出たものでもプロレタリアートの運動における新しい一歩は全て喜びをもって迎えるところの真に国際的な感覚を堅持する事である。(マルエン全集第7巻542頁)

 07、ドイツの理論的感覚を損なうことなく受け継いでいるのはただプロレタリアートだけである。ここではこの感覚は決して滅ぼされない。なぜならここには出世や金儲けや上からの温情的な保護を受けようと気を使うことが行われていないからである。

 その反対に、学問が囚われず遠慮せず進めば進むほど学問は労働者の利益や願望と一致することになる。社会の全歴史を理解する鍵を労働の発展史の中に求めた新しい流派[唯物史観]は、かねてから特に労働者階級に目を向け、ここで公の学問からは求めも期待もしなかった歓迎を受けた。ドイツの労働運動はドイツ古典哲学の相続者なのである。(マルエン全集第21巻307頁)

 08、目下の者のために配慮をして下さる紳士諸君よ、プロレタリアートは組織と規律を恐れない。プロレタリアートは、組織に入りたがらない教授諸君やギムナジウムの生徒を、組織の統制の下で活動しているからと言って党員と認めさせようとは配慮しない。

 プロレタリアートはその全生活によって多くのインテリ先生よりもはるかに徹底的に組織に服するように訓練されている。我々の綱領と戦術をいくらかでも理解したプロレタリアートは、組織上の立ち遅れを「形式は内容ほど重要ではない」と言って正当化したりしない。

 組織と規律との精神での自己教育、無政府主義的空文句に対する敵意と軽蔑との精神での自己教育に欠けているのは、プロレタリアートではなくて我が党内の若干のインテリゲンチアである。(レーニン全集第8巻376-7頁)

 感想・「形式は内容ほど重要ではない」という主張は確かに正しくありません。しかし、これを理解し実行するためには「単なる形式」と「内容を生みだす形式」の区別を知らなければなりません。

 09、プロレタリアートは権力獲得のための闘争において組織のほかにはどんな武器をも持たない。ブルジョア世界における無政府主義的競争の支配により分離させられ、資本のための強制労働によって押しひしがれ、貧困と野蛮化と退化のどん底に投げ落とされているプロレタリアートでも、マルクス主義の諸原則による思想的統合が幾百万の勤労者の物質的統一で打ち固められた場合には不敗の勢力と成る事が出来るし、又必ずそうなるであろう。(レーニン全集第8巻403-4頁)

 10、自覚した労働者はインテリゲンチアそのものを避けていた幼年時代をとっくに卒業している。自覚した労働者は、社会主義的インテリ以上の知識を持っており、政治的視野の広さを評価することが出来る。

 だが、我々の間に真の党が結成されるにつれて、自覚した労働者はプロレタリア軍の戦士の心理と無政府主義的空文句をひけらかすブルジョア的インテリの心理とを区別する事を学ばなければならない。

 平党員だけでなく上層幹部にも党員としての義務の履行を要求する事を学ばなければならない。かつて戦術問題で追随主義と闘った時と同じ侮蔑の念を以て組織問題での追随主義とも戦わなければならない。(レーニン全集第8巻424頁)

 感想・レーニンはヘーゲルの論理学を読んだのに「単なる当為の無力」とか「単なる当為に止まっている」という言葉とその意味は学ばなかったようです。共産党ほど追随主義のひどい所は少ないです。

 11、(語源)プロレタリア(水呑百姓、子負い虫)という言葉はラテン語のproletariusから出た言葉である。ただ子孫を、子供等を所有し、繁殖するに過ぎないものという事を意味する。

 最初、プロレタリアはローマの住民中の最も貧困たな階級であり、軍務及び納税の義務を免除されていた。後には軍隊に入ることを許され、国家から軍事上の支給を受けていた。ローマの農民が既に零落してしまっていた内乱時代及びその後のローマ帝国の建設時代には軍隊の核心をなしたものはこれであった。平和の時にあっては、国家の費用によつて養われ、穀物の食扶持を受けている。

 ローマのプロレタリアとヨーロッパのプロレタリア、無宿者、宿なしの水呑百姓との間には、その名称を除いては何等の共通的なものもない。マルクスが次の様に云ったのを忘れてはならない。

 「古代ローマにおいては階級闘争は特権を有する少数者の間だけで、即ち自由な富裕人(オブチマト、貴族)と自由な貧民(平民、プロレタリア)との間だけで行われた。そして、その場合住民中の生産を行う厖大な大衆、即ち奴隷は闘争者達にとっては単に受動的な踏台たるに過ぎなかった。人々はシスモンディ-の的にあたった評釈を忘れている。ローマのプロレタリアートは社会のおかげで暮していた。しかるに、近代社会はプロレタリアートのおかげで暮している」。(リアザノフ著早川二郎訳「共産党宣言評註」ナウカ社86-7頁)

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皆で楽しむクリスマス

2011年12月30日 | カ行
 [ドイツの]ボンの或る小学校(正確には6歳から10歳までの基礎学校)ではキリスト教とイスラム教の子ども達が一緒にクリスマスを祝っています。子どもたちは相手の宗教と文化をを学び合っているのです。

 キリスト教とイスラム教の子ども達が一緒にクリスマスソングを歌い、待降節のローソクに火を着けます。こういう事は決して当たり前ではありません。このボンにあるドームホーフ小学校には29ヵ国からの340人の生徒がいますが、ここでは算数や国語(ドイツ語)のほかに他文化や他宗教を尊重する事も教えています。

 そのためこの学校にはドイツ語でイスラム文化を教える授業もあるのです。その授業ではイスラム教とキリスト教及び他の宗教に共通の事柄を教えます。例えば、イエスの誕生はイスラム教の人にとっても重要である、なぜならイエスはイスラム教では預言者とされ「イズ」と呼ばれているからです、と教えます。

 これはこの小学校とケルン大学が合同で行っている(外国人の)同化教育と外国人に読み書きを教える教育をよりよくする活動の一環です。そこには(外国人の)子どもたちにそれぞれの母語で授業をするのもあります。もうひとつの試みは「母親のためのドイツ語学級」です。移住してきた子ども達の両親にも学校生活に入ってもらおうという狙いです。

 この試みは成果を上げています。ギムナジウムに進む子供も出てきています。逆に、この試みに反対の親もいます。子どもをこの学校から連れ戻す人もいます。しかし、それは少数です。学校に残っている子ども達は同化に対して積極的に取り組んでいます。そこでクリスマスを祝うイスラム教徒の家族も増えているのです。(ドイツの海外放送のサイト[2011年12月20日]から)

 感想・浜松市でもこういう所が出て来てもいいと思います。日本の公立学校では宗教色のある行事は出来ませんが、他文化を理解し合う授業はあっても好い、いや、あるべきでしょう。その一環で他国の宗教を理解することは必要でしょう。
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分業、die Teilung der Arbeit

2011年12月29日 | ハ行
 分業は大きく3大別できます。普遍的分業(農業、工業、商業、等々への分業)、特殊的分業(工業内部の分業、農業内部の分業、商業内部の分業、等々)、個別的分業(工場内部の分業)です。前2者は「社会内分業」とまとめることが出来ます。最後のものは「工場内分業」です。

 参考

 01、しかし、労働における敷衍的で客観的なものはそお抽象性にあり、その抽象性は[労働]手段と欲求を細分化し、かくして生産を細分化し、文要を現出させる。

 個人の労働は分業によって単純なものになり、これによってその抽象的[一面的]労働の中での技能は高まり、その生産物の量も増大する。

 同時に、技能と手段のこのような抽象化[一面化]は[自分では満たせない]他の欲求の満足のために人々の相互依存と相互関係を完全な必然性にまでしてしまう。

 生産の抽象化は労働を益々機械的なものとし、結局人間がそこから追い出され、機械が人間にとって代わることを可能にする。(法の哲学第198節)

 感想・ヘーゲルが既に「分業」という言葉を使っています。「分業」という言葉をマルクスが初めて使ったと思っている人がいるようですが、そんなはずはない事が分かります。アダム・スミスでしょう。ヘーゲル以前の哲学者は主として自然科学と結びついて哲学しましたが、ヘーゲルとマルクスは社会科学、特に経済学と結びついて哲学しました。

 02、分業は人間を可能な限り抽象的な存在にし、旋盤工などにし、そして人間を精神的にも肉体的にも片輪なものにする。(マルエン全集補巻1、455頁)

 03、文要とは、疎外の内部での労働の社会性を国民経済的に表現したものである。(マルエン全集補巻1、557頁)

 04、分業とは社会的な富に対して人間の力を上手に適用することであり、そのための便利で有益な手段である。しかし、それは個人的には各人の能力を減少させる。この事を指摘したのはセイの1進歩である。(マルエン全集補巻1、561頁)

 05、分業は物質的な労働と精神的な労働とが分離される瞬間から初めて本当に分業となる。(マルエン全集第3巻31頁)

 06、分業と私有財産とは同じ事の2つの表現であり、私有財産と言う時には活動の生産物を見ているのであり、分業と言う時には活動を見ているのである。(マルエン全集第3巻32頁)

 07、分業と共に、個々人の利害または家族間の利害と、互いに交通し合っている人々の共通利害との矛盾が始まる。(マルエン全集第3巻32-3頁)

 08、物質的な労働と精神的な労働との最大の分業は都市と農村の分離である。この対立は未開から文明への移行、種族制社会から国家への移行、地方の分立から民族への移行と共に始まり、文明の全歴史を貫いて今日(穀物法反対同盟)に及んでいる。(マルエン全集第3巻50頁)
 分業のその次の拡大は、生産と交通[交換、商業]の分離であり、商人という特殊な階級の形成であった。(マルエン全集第3巻52頁)
 09、都市と農村の対立のあるのはただ私有制度の内部だけである。(マルエン全集第3巻50頁)
 10、都市と農村の分離は又資本と土地所有の分離としても捉えることが出来る。即ち、それは、単に労働と交換だけに立脚する所有である資本が土地所有から独立して発展し始める端緒でもあるのである。(マルエン全集第3巻50頁)

 11、もっぱら何人かの人々にだけ芸術的才能が集中していること、そして大衆にはその才能が抑圧されている事は分業の結果である。(マルエン全集第3巻378-9頁)

 12、労働生産性が低くて、生活に必要な手段をようやく超える程度しか供給できないほどだった間は、生産力の上昇、交通の拡大、国家と法の発展、芸術と科学の創始は、分業を強める以外の方法では不可能であった。その分業は単純な手労働に従事する大衆と、その労働を指導し、商業や国家や、芸術や科学に従事する少数の特権者との間の分業という大きな分業を前提としていた。そして、このような分業の最も単純で最も自然発生的な形式が奴隷制度だったのである。(マルエン全集第20巻168頁)

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物質代謝、der Stoffwechsel(新陳代謝)

2011年12月28日 | ハ行
 それでは、労働における自然的な関係とは何だろうか。マルクスは言う。「労働はまず第1に、人間と自然との間の一過程である。この過程で人間は自分と自然との物質代謝を自分自身の行為によって媒介し、規制し、制御するのである。人間は自然素材にたいして彼自身1つの自然力として相対する」。

 人間も生物の1種として、自然との間に同化と異化の物質代謝を行なっている。これを生物的物質代謝と呼ぼう。人間が労働し始めることによって動物と異なるのは、生物的物質代謝をし始めることではなく、この物質代謝を、直接目の前に見いだされるものとの間ではなく、それを加工し、変形して、媒介して行なうようになる点にある。

 この媒介とは何か。労働である。だからマルクスは、人間は自分自身の行為(労働)によって自分と自然との物質代謝(生物的物質代謝)を媒介すると言ったのである。しかし、労働といえども無から有を生むのではない。「労働は素材的富の父であり、大地はその母である」。あるいはまた、「人間は、その生産において、ただ自然がやるとおりにやることができるだけである。すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである」。しかし、これによって、労働対象は使用価値に変わるのである。

 この変化はある意味で、その労働対象の同化と異化、つまり物質代謝と呼んでよい。労働対象が自分に必要なものを同化し、不必要なものを異化して使用価値になるからである。異化されたものがいわゆる産業廃棄物である。その意味で労働過程を「労働的物質代謝」と呼ぼう。この用語法を使うと、労働とは生物的物質代謝を媒介する労働的物質代謝のことである。これが自然的な関係としての労働である。

 それでは、社会的な関係としての労働とは何か。マルクス・エンゲルスは先の個所で、社会的とは「いくたりかの個人の協働」と定義している。「生産のさい人間たちは、自然に働らきかけるばかりではなく、また互いに働らきかけあう。彼らは一定の仕方で共同して活動し、その活動を互いに交換するということによってのみ生産する」。

 このもつとも広い意味での「活動の交換、共同の活動」をマルクスは「社会的分業」と呼んでいる。

 マルクスの「社会的分業」を工場内分業と対置された意味に取る人が多いが、誤解である。工場内分業と対置されるのは社会内分業である。マルクスは言う。「たんに労働そのものだけを見るならば、農業、工業というような大きな諸部門への社会的生産の分割を普遍的分業、これらの生産部門の種や亜種への区別を特殊的分業、そして1つの作業場内の分業を個別的分業と呼ぶことができる」。

 これらすべてを総称するのが社会的分業という語である。だからこそマルクスは、「社会的分業は商品生産の存在条件である。と言ってもしかし、商品生産が逆に社会的分業の存在条件なのではない」という命題の証拠として、「どの工場でも労働は体系的に分割されているが、この分割は労働者たちが彼らの個別的生産物を交換することによって媒介されていない」という事実を指摘したのである。ここでは明らかに工場内分業が社会的分業とされている。すなわち社会的分業とは、「多種多様な属、種、科、亜種、変種を異にする有用労働の総体」である。
 この社会的分業の生産物が商品になるのは、それが「ただ、独立して行なわれていて、互いに依存しあっていない私的労働の生産物である場合だけである」。そしてマルクスは実に、この「私的個人の特殊な生産物の交換」を「社会的物質代謝」と呼んでいるのである。

 私はマルクスのこの概念を拡張して、すべての社会的分業における何らかの意味での生産物の交換を「社会的物質代謝」と呼びたい。そうすることによって我々は、マルクスの言う生産関係の外延に一致した社会的物質代謝概念を持つことができるからである。

 我々はここに人間における3つの物質代謝を持った。生物的、労働的、社会的物質代謝である。この用語で捉え直すと、マルクスが人間史の根源的契機とした3点はどうなるだろうか。人間は生物的物質代謝を直接的に行なわず、それを労働的物質代謝と社会的物質代謝によって媒介する、ということになるのである。このことは直接的には、人間の個体維持に関係しているだけだが、それはさらに生殖=家族の面にも変化をもたらすのである。マルクスはこれを人口法則の歴史性として、『資本論』でも取り上げているが、詳述しない。(牧野紀之「労働と社会」第3章第1節第1項)

  参考

 01、社会的な物質代謝、即ち私的個人がその特殊な生産物を交換すること(マルエン全集第13巻37頁)

 02、物質代謝そのものは生命がなくてもあり得る。化学には、原料が十分に供給されれば自己固有の諸条件をつねに再生産し、しかもその時、或る物体がその過程の担い手になるような、そういう1系列の過程がある。(マルエン全集第20巻75頁)

 03、無機物においても又そのような物質代謝はあり得るし、長い期間を取ればどこにでも見られるものである。なぜなら、化学的な作用はたとえ極めてゆっくりしたものであろうと、ともかく至る所に見られるからである。

 しかし、(有機物の物質代謝と無機物のそれとの)違いは、無機物にあってはそれは無機物を破壊して他の物にしてしまうのに、有機物ではむしろそれは存在の不可欠な条件である、という点である。(マルエン全集第20巻560頁)

 感想・ここまで物質代謝概念を広げるのは意味がないと思います。

 04、[生物的]物質代謝では物質を外から摂取するのだが、その時その摂取される物質の化学的な組成は変化し、(それによって)その物質はその有機体に同化され、(同化されなかった)残りはその有機体自身の生命過程によって分解され、作り出された産物と一緒に排出される。(マルエン全集第20巻560頁)

お知らせ

 昨日発表しました「訪問者数とPV」の数字を過去のそれと比較できるようにしました。
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訪問者数とPV

2011年12月27日 | 読者へ
 最近、訪問者数はそれほど伸びていないのですが、PV(ページビュー)が自分でも驚くほど伸びています。

 12月4日~26日までの数字をまとめてみました。

  訪問者数。総数、4731、1日あたり平均、約206

  PV。総数、3万0614、1日あたり平均、1331

  1訪問者あたりのPV、6.46

 責任の重さを痛感します。

12月27日、牧野 紀之

PS
 過去の数字と比較出来るようにします。

01、「私のブログ体験」(その1)(2008年9月の数字)
  1日あたり訪問者数、106名
  1日あたりPV、275
  1訪問者あたりPV、2.59

02、「私のブログ体験」(その2)(2009年8月の数字)
  1訪問者あたりPV、2.52

03、「私のブログ体験」(その3)(2011年5-6月の数字)
  1日あたり訪問者数、239名
  1日あたりPV、727
  1訪問者あたりPV、3.04
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普遍、die Allgemeinheit

2011年12月26日 | ハ行
  参考

 01、普遍の様々な規定は『論理学』(「小論理学」第118-126節)の中で述べてあります。
 表象にとってすぐにも思い浮かぶのは抽象的普遍、外面的普遍です。しかし、本節[法の哲学の第24節]で論じている絶対的な普遍は、反省の普遍[本質論での普遍]、即ち共通性ないし全性でもなければ、個別の外に立っている抽象的普遍、悟性の抽象的な同一性でもありません。

 それは自己内で具体的で自立している普遍であり、実体であり、内在的な類であり、自己意識に内在する理念です。……それは一般的に言うならばいわゆる理性的なものであり、思弁的な方法でしか理解できないものです。(「小論理学」第24節への注釈)

 02、自己との相等性としての概念が普遍である。しかし、この同一性[相等性]は否定性という規定をも含んでいる。この同一性は自己関係する否定性ないし規定性であり、従って概念は個別である。(大論理学第2巻219頁)

 03、媒介された普遍、即ち抽象的で、特殊及び個別と対立する普遍(大論理学第2巻241頁)

 04、普遍は自己の諸規定の実体である。(大論理学第2巻242頁)

 05、抽象的普遍とは確かに概念ではあるが没概念的なものであり、概念として定立されていない概念である。(大論理学第2巻249頁)

 06、概念の普遍は特殊や個別より外延が広いのだが、その広さを特殊や個別より量的に多いという風に理解するのは誤解である。(大論理学第2巻258-9頁)

 07、真の普遍とは方法ないし規則のことである。(大論理学第2巻290頁)

 08、概念の普遍は「到達された彼岸」である。(大論理学第2巻291頁)

 感想・「理念」というとそこで初めてようやく真理が展開されると思うかもしれないが、そうではなく、理念とはこれまでの展開の中に内在しているものである。だから、最後に述べるのは「方法」でしかない、と言うのと同じ考えです。

 09、共通性というのは1つの普遍性ではあるが、普遍性の外面的な形式である。(小論理学第20節への注釈)

 10、このような普遍は外面的に普遍として現存してはいない。類そのものは知覚されない。天体の運動法則は天に書かれていない。(小論理学第21節への付録)

 11、単に共通であるものを真の普遍と混同しない事は認識にとっても行動にとっても極めて重要である。(小論理学第163節への付録1)

 12、概念の普遍は単なる共通性(これに対しては特殊が独立して立っている)ではなく、自分で特殊化するものであり、他者の中で曇りなく自己の許に留まる。(小論理学第163節への付録1)

 13、普遍、特殊、個別は、抽象的に見れば、それぞれ、同一性、区別、根拠である。(小論理学第164節への注釈)

 感想・一般的に言うと、ヘーゲル論理学の概念では、より後の概念は以前の概念の高い段階での姿です。ですから、「この概念は前に出て来たどの概念を今の段階で捉え直したものかな」と考えると分かりやすいと思います。

 14、判断が前進的に規定されてゆく道を述べるならば、それは最初は抽象的で感性的な普遍が全称性、類及び種へと規定され、更に展開されて概念の普遍へと規定されてゆく過程である。(小論理学第171節)

 15、全称性とは、反省がさしあたって思いつく普遍の形式である。そこでは個別が根底に置かれ、人間の主観的な行為がそれらの個別をまとめ、全称性として規定するのである。(小論理学第175節への付録)

 16、普遍性は取り出されて定立される事で同時に個別化される。(歴史における理性93頁)

 17、真の普遍は「2」である、つまり普遍自身と特殊との共通性である。(ズ全集第18巻93頁)

 18、もともと、「概念」の3つのモメントである普遍、特殊、個別という規定は、類、種、個体という有機体論的用語法にもとづいているであろう。(許萬元『ヘーゲル弁証法の本質』青木書店第2編第3章)

 19、ドイツ語、スカンジナビア語、古代スカンジナビア語で普遍的なもの(das Allgemeine)とは共有地を意味し、特殊なもの(das Sundere, das Besondere)とは、共有地から区別された私有地を意味するものである。(エンゲルスからマルクス宛ての手紙1868年3月25日)

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「まなびや」と城南静岡高校

2011年12月25日 | カ行
 先日の朝日新聞静岡版に次の記事が載っていました。

       

 全国で初めて高校生が立ち上げたインターネット商店街「まなびや」が、開設から10年の節目を迎えた。運営する私立城南静岡高校(静岡市駿河区)は活動を通じて大きく変わり、輪は全国に広がりつつある。

 年末恒例の活動報告会が12月14日に静岡市内で開かれ、参加企業の代表者らが集まった。出店企業数は180社を超え、年間の合計売上額は1000万円を上回る。

 活動は2001年、3年生の体験授業の一環として始まった。前身の静岡女子商業高校時代のこと。当初から指導する久保田和夫教務部長(54)は「家庭のインターネット普及率がまだ20%の時代。年間約1200万円という回線経費の問題もあり、校内でも反対が多かった」と振り返る。

 参加企業に月1万円ずつ経費を負担してもらう形で54社と契約し、同年12月に開設にこぎつけた。販売仲介料はなし。各企業の担当を決め、生徒自ら商品の写真を撮って紹介記事も書く。「社長」ら幹部の生徒は県内外の企業に足を運び、出店交渉を行う。

 当初からの参加企業で、技術指導もしてきたシステムプラニング(静岡市)の永嶋勝社長(52)は「生徒たちの言葉遣い、身だしなみなど、技術以上に社会的マナーが10年前とは大きく変わりました」と話す。

 久保田部長によれば、10年前は250人中9人だった大学進学者が年々増え、今では半数以上。「企業の社長、部長といった方々と話す中で社会への参画意識が高まり、『もっと勉強したい』と就職希望から転じる生徒が多い」そうだ。

 この1年、「社長」を務めた伊藤祐介君(17)も「活動を通じてビジネスの魅力を知った。将来は『まなびや』を支援できるような会社をつくるのが夢です」。卒業後は立命館大学経営学部への進学が決まっている。

 ・広がる提携9姉妹店

 「電子商取引」は2013年度から商業科の学習指導要領に入る。成果を上げた同校へは、提携の相談が相次ぐという。来年1月に開店する埼玉県の3校を含めると姉妹店はすでに9店(校)。2009年に仲間入りした佐賀県立唐津商業高校の岩本公章校長(58)は「地域とつながる契機になり、地元産品を生かした商品を開発するなど年々活動を深めていける。メリットは大きいですよ」と実感を込めた。

 県内では、静岡市立商業高校が12年続けた「市商デパート」に代わる活動を模索するなど、独自の授業を企画する動きも進む。

 「本家」城南静岡の生徒らも「来年は出店200社以上が目標。新商品の開発も頑張る」とさらに意気込んでいる。(杉山圭子) (引用終わり)

 感想

 これは何を物語っているのでしょうか。もちろん「まなびや」という実社会と直接接触する活動が生徒に大きな教育的効果をもたらした、という事でしょう。という事は、逆に言うと、普段の学校教育に大欠陥があるという事ではないでしょうか。この後者の面を見落としては困ります。

 城南静岡高校のホームページを見てみましょう。非常にお粗末です。校長は「挨拶」しか載せていません。しかも、その画面の作り方が悪く、読みにくいです。字間と行間の取り方が下手なのです。

 こういう事を誰も注意しないのでしょうか。まなびやを指導している久保田教諭も、まなびやでホームページの作り方を学んだ生徒も、自分の学校のホームページを1つの企業のホームページとして客観的に検討しないのでしょうか。こういう応用の利かない勉強では世の中は好くならないでしょう。

 この状態ですから、校長がブログを出して「週間活動報告」をし、教職員及び生徒及び保護者及び地域住民と話し合うなど、望むべくもありません。

 教員の頁には2人の教諭(1人は久保田さん)が2つずつ、何かを書いていますが、内容が貧弱です。話に成りません。つまり、まなびやの活動は、それ自体としては有意義ではありましたが、学校を変える力にはなっていないという事です。

 ここに、この学校だけでなくほとんど全ての学校の教育の欠点が出ていると思います。小学生はともかく、中学校以上になったら、そこで学ぶべき第1の事柄は、自分の学校と校長の在り方を批判的に検討する能力を養い、そういう習慣を身につける、という事ですが、この事が自覚されておらず、実行されていない、という事です。

 果たせるかな、2011年、この高校では、「野球部の練習で、ミスをした生徒に対し至近距離からバットで打球を顔面に直撃させ、右眼窩底骨折、脳挫傷などの重傷を負わせた」と報道される(ウィキペディア)という事件も起きたのです。

 静岡県の教育界は最近、不祥事が表面化しています(不祥事自体は以前からの事です)。問題教諭を出した学校の1つである浜松南高校では校長が1人1人の教師の授業を紹介するという事を始めたようです。→浜松南高校のホームページ

 まあ、これも悪いとは言いませんが、その前に、先にも述べました「ブログでの週間活動報告と皆での話し合い」の方が本質的であり、重要です。どうして校長や学長はこういう事に気づかないのでしょうか。

 「経済に強く、政治に弱い」静岡県らしい光景です。

    関連項目

「まなびや」

学校ホームページの必要条件

城南静岡高校のホームページ
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生徒会の役員選挙と女性差別

2011年12月24日 | カ行
 鈴木恵前浜松市議のブログ(11月30日)にこういう記事がありました。

──友人の娘さんが、中学校の生徒会長に立候補した。先生からは、「おまえのようなものは出るな」と言われたそうだ。しかし、女性は「私は優等生じゃないからね」とさらっと言って、「私は出る!」と決意固く、立候補。

 立候補の推薦人を集め、演説の文章を考え、話し方を訓練し、真剣に取り組んだいた(私、話し方のアドバイスをちょっとしたの)。そうしたら、先生から、「女性ひとりしか、立候補していないから、おまえの副会長は決まりだ」と選挙も投票も実施していないのに、言われたそうだ。

 投票後、予言どおり、先生から別室に呼ばれ、副会長になったと言われたそうだ。しかし、どの子に何票入ったのか、自分は何票だったのか、教えてもらえなかったそうだ。

 どういうルールで会長や副会長が選ばれたのか、選ばれた行程が明らかではないというのは民主主義ではない。中学校は、市民の基本を身に付けるところ。選挙は、民主主義の根幹のはずなのに、これでは間違ったことを学んでしまう。

 すべての学校がこうした選挙をしているとは思わないが、しかし1つでもそうした学校が浜松にあるということは恐ろしいことだ。

 子どもたちは、この経験から、選挙に誰もが出れるものではない、選挙は暗闇で行われている、選挙なんかしなくても決まってるじゃん、なんて学んでしまったのではないかと思うと、本当に悲しい。(引用終わり)

 感想

 昨年(2010年)の6月だったと思います。当時、浜松市議だった鈴木恵さんは、或る母親から「中学校でブラス部に入った子どもが、指導している教官に30万円もする外国製の楽器の購入を強制された」という相談を受けた、と報告していました。コメント欄に何人かの意見が載りましたが、鈴木市議は市議会で教育委員会に楽器を借りられるようなシステムを作ったらどうかといった質問をしたようです(細かい事は忘れましたし、大して重要でもない)。

 今回の生徒会の選挙でも同じですが、なぜ学校に出向いて校長と話し合わないのでしょうか。私にはそれが不思議です。親は「自分に代わって学校に言ってほしい」と思って相談したのではないでしょうか。

 鈴木さんは、「学校教育は個々の教師が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものである」と言う事を知らないのでしょうか。それとも、校長に話すのが怖いのでしょうか。

 更に、裁判所に訴えるという手をなぜ考えないのでしょうか。日本は法治国家であり、最終的には裁判所で決まる、と言う事を行動で示さないのも、「恐ろしい事」の「1つ」ではないでしょうか。

 この4月の統一地方選挙で私にとって最も意外で残念だった事は、山梨県議選で知人の笹本貴之さんが落ちた事ですが、それに次いで第2に残念だった事は、3期12年も市議を務め、最も頑張ってきた鈴木恵さんが落選した事です。

 両方ともしばらく信じられなくて、茫然としてしまいました。笹本さんの事はいずれ何かの機会に書くとして、鈴木さんはなぜ落ちたのでしょうか。1つは議員定数が1つ減ったのでハードルが高くなったことでしょうが、鈴木さんは次点ではなくて、次点の次だったと思います。

 東日本大震災で日本全体が保守的な雰囲気になったことが大きいと思います。それと、やはり女性が政治でがんばると嫌われたりするのかなという事です。

 そして最後に、鈴木さんの活動の仕方も適当でない所があったという事です。鈴木さんは落選直後のブログ(2011年04月15日)でこう書いています。

──政治は議員だけのものではありません。政治家にお任せするものではありません。政治に関心を持ち、声を出し、アクションし、変えていくのは、市民です。

 私はずっと「政治は議員だけのものではありません。一緒にアクション!」と伝えてきました。今回、議員ではなくなりましたが、政治には関心を持ち、アクションしていきたいと思っています。

 「政治deカフェ」は継続します。月に1度のペースぐらいで、気軽なおしゃべりは続けていきます。今度は逆に議員になった方々を呼んで「議会報告会」とか、「予算を読む会」を開くなんてどうかなって思っています。一緒に誰かやりませんか?(引用終わり)

 野(や)に下ろうと市議であろうと、市民の義務は何でしょうか。第1の義務は、市長に「ブログを出して、市民と直接対話をするように」と要求する事だと思います。現在の鈴木康友市長は市民から逃げ回る市長で、最悪の市長です。こういう人にはとにかく物を言わせることです。

 第2に要求するべき事は、ホームページの「市長の部屋」から「市長への意見」を書き込むことが出来るのですが、その途中に「市からの返事がほしいですか」という質問がある事です。ここを「いいえ」とすれば返事は来ませんが、「はい」としても、部下に書かせた説明を引いて「浜松市としてはこう考えています」という返事が来るだけです。

 市長の考えが聞きたいから「市長の部屋」にメールを送るのです。市の考えなら、広報課にメールを送ります。こんなおかしな事をしている自治体は、多分、浜松市以外にはないでしょう。静岡県知事へのメールにはそういう変な項目はありません。

 しかるに、誰もこれに文句を言わないのです。多分、知らないのでしょう。市長に意見を送った経験すらないのでしょう。これが浜松市民の現状です。そして議員ですら同じレベルなのです。

 第3の義務は「議員に通信簿を付ける会」を立ち上げる事だと思います。鈴木恵さんはなぜこういう事に思い至らないのでしょうか。鈴木さんがいなくなってから、本当に浜松市政の事は見えなくなっています。

 最後にもう1つ。ブラス部の楽器の場合でも、今回の選挙の場合でも、当の生徒の父親は何をしたのでしょうか。父親の姿の見えないのも不思議です。

  関連項目

笹本貴之さんのブログ

牧野の「市長選への仮立候補」関係の記事

「議員に通信簿を付ける会」

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表象、die Vorstellung

2011年12月23日 | ハ行
  参考

 01、repräsentieren, auf Deutsch vorstellen(精神現象学216頁)

 02、表象は或る規定の普遍性には到りつきはするが、その規定の必然性には到りつかない。(寺沢訳「大論理学1」 121頁)

 03、表象──概念の自己外存在(大論理学第1巻114頁)

 04、概念的理解が問題となる所では一般に、表象は外的で量的な区別に陥る。(大論理学第2巻120頁)

 05、一つのもののなかで多くの物質が自立的に存立するという矛盾・あるいは多くの物質が相互貫徹のなかで相互に対して無関心的であるということをふせぐために表象が用いる言いのがれは、周知のようにつねに〔物質の〕部分や孔が小さいことである。区別それ自体・矛盾・否定の否定が現われてくる場合に、一般に概念的に把握されるべき場合に、表象は外的な・量的な区別へとにげこんでかっこうをつける。生成しかつ消滅する運動に関しては漸次性へと・存在に関しては小さいことへと逃げこむのであり、この小さいということのなかで消失するものは認知できないものへと・矛盾は混乱へとおし下げられ、真の相関関係が無規定的な表象へと移転されるのであって、表象のもつ曖昧さが破滅するはずのものを救っている、のである。(寺沢訳「大論理学2」171頁)

 06、直観と表象とから……(大論理学第2巻281頁)

 07、感情、直観、意欲、意志……は、それらが知られている限りで一般に「表象」と呼ばれているので……(小論理学第3節への注釈)

 08、表象は感覚と同じく感性的な素材を内容としているが、「私のもの」という規定〔形式〕の中へその規定を移し入れている〔点で感覚と異なっている〕。その結果、その感性的な内容は自我の中に、普遍性の中に、自己関係の中に、単純性の中に定立されているのである。

 表象には、感性的な内容を持つもの以外に、法や人倫や宗教に関係したものの表象のように、自己意識を持った思考に由来する内容を持つものもある。そして、そのような表象はそのような内容を持つ観念とどう違うのかはっきりさせるのは難しい。この表象では内容も観念〔=普遍〕なら形式も普遍であって、この形式の普遍性は内容が自我の内にあることに、一般的に言って、それが表象であることの内にすでに現われている。

しかし、この場合の表象の表象たる所以は、一般に、表象の中ではそのような〔普遍的な〕内容でさえ個別化されているということに求められなければならない。たしかに〔この表象では〕法や法的規定やその他の規定が空間内の感性的に相互外在的な関係にあるわけでもなければ、時間的に前後して現われるといっても、その内容自身に時間が関係しているわけでもなく、それが時間的に過ぎ去りゆき変化するものと考えられているわけでもない。しかし、それらのそれ自体としては精神的な諸規定が、表象一般の内的で抽象的な普遍性という広い地盤の内ではやはり個別化されているのである。それらの規定は、例えば法、義務、神といったように、個別化されて単純なものになっているのである。

 その際の表象には〔高低〕二つの場合があり、低いものは「法は法である」、「神は神である」という〔無意味な同語反復〕にとどまるが、高いものは、「神は世界の創造主である」とか「神は全知である」とか「神は全能である」といったように、いろいろな規定を〔述語として〕挙示したりする。

しかし、この場合でも、個別化された単純な規定がいくつか並べられているという点では低いものの場合と同じで、それらの規定は同一の主語の述語とされているのだから相互に結びつきがあるのだが、それにもかかわらず相互外在的に〔無関係に〕とどまっているのである。この点で表象は悟性と一致する。悟性が表象と異なるのは、ただ、悟性は、表象がその無規定の空間内で単なる「もまた」によって結びつけるだけで並存させ孤立させている諸規定の内に、普遍と特殊とか原因と結果といった関係をつけ、それによって必然的な関連を与えるという点にすぎないのである。

 表象と観念を区別することはもうーつの意味を持っている。なぜなら、一般に、哲学とは表象を観念に変えることだと言われているからである。もっとも、哲学とは、そこにとどまるものではなく、更に、単なる観念を概念に変えることであることは言うまでもない。(小論理学第20節への注釈)

 09、哲学的世界史への序論は、哲学的世界とは何かについての表象(観念)を与えるものである。それは歴史を叙述し取り扱う諸様式を述べ比較することdなされる。(歴史における理性3頁)

 10、原語はVorstellungであるが、これはへーゲルにおいては、概念に対立するものであって、善い意味に用いられることはない。表象は感覚或は直観と概念との中間に位するもので、前者に比すれば、すでに一般的且つ内面的であるけれども、後者に比すれば、まだ感性的形象性──この点でイメッジと同じである──を免れす、したがって特殊的で且つ外在的──ここにvorstellennせられた、即ち前に置かれたものである所以がある──である(本論ではストア主義の段階において概念との対立において規定せられている、199頁)。スピノーザ哲学で言えばIntellectusに対するimaginatioにあたる。こういう特別の意義で用いられるので、本訳書では「表象」と括弧をつけることにした。

 ただし、じっさいにおいてはヘーゲルが表象を全く捨てて顧みないのではない。なぜなら、表象の立場は実体の立場であり、概念の立場は「主体」の立場であるが、真なるものを実体としてと同時に主体として把握することが必要である(16頁)と考えられるのであって、実体の立場を、したがってまた表象の立場を全く捨てるのではないからである。このことは本論においてしばしば文芸作品における人物を典型として活用することにおいて現れている。(金子武蔵訳「精神現象学」上巻459頁)

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飛躍、der Sprung

2011年12月22日 | ハ行
  参考

 01、質的な飛躍(精神現象学15頁)

 02、新たに出て来た質はその量的関係から見ると消滅した質とは全く異なり、無関心なので、この移行は飛躍である。(大論理学第1巻381頁)

 03、温度変化の単なる漸次的進行はこの点で一挙に壊され制止される。そhして新しい状態が出てくるが、それは飛躍である。(大論理学第1巻383頁)

 04、全ての誕生と死は漸次性の続きではなく、その中断である。それは量的変化の質的変化への飛躍である。(大論理学第1巻383頁)

 05、或る運動形式から他の運動形式への移行はどんなに漸次的なものであっても常に飛躍であり、決定的な転換である。(マルエン全集第20巻61頁)

 06、これらの中間項はもっぱら、自然は純粋な飛躍から成り立っているが故に自然の中には飛躍はないという事を証明している。(マルエン全集第20巻533頁)

 感想・飛躍と言うと「急激な質的変化」と考えるのが常識でしょうが、哲学では「質的変化」そのもののことです。「自然に飛躍ない」と言ったのはライプニッツだったと思います。

お知らせ

「資本論」の項目を書き加えました。
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官僚主導を考える

2011年12月21日 | カ行
(その1)

 「官僚主導を政治主導に転換する」という民主党のマニフェストとやらは反故になりました。どうしてでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。これを考えるためにも官僚の実態を知る必要があります。以下に転載するものは雑誌「文芸春秋」2005年10月号に載った元通産省職員の堺屋太一さんと元大蔵省職員の野口悠紀雄との対談です。参考になる点が多いと思います。最後に「感想」として、重要な点を箇条書きにしました。(牧野)

  小泉政権は官僚支配を強めた

 堺屋 今回の総選挙(2005年夏の総選挙)の争点である郵政民営化に象徴されるように、小泉政権はこの4年、「官から民へ」「官僚支配の打破」をキャッチフレーズとして改革路線を進んできたとされています。しかしその掛け声の通り、日本は「官」主導からの脱却を果たしつつあるのでしょうか。野口さんも私も、かつては霞が関に勤めていた経験があります。私は昭和35年に通産省に入省しましたが、野口さんはいつ大蔵省に入りましたか。

 野口 昭和39年、東京オリンピックの年です。

 堺屋 それから40年以上も経った今、小泉内閣の4年間で日本の官僚支配は全体として弱まったのかどうか。私は逆に強まった、という確信を持っています。例えば、最近の金融庁の金融機関に対する行政指導は相当ひどく、かつての護送船団時代の指導をさらに細分化したような、恣意的で強引なものになっています。「ゆとり教育」などをめぐる文部科学省の教育方針への介入も、総務省の市町村合併に対する高圧的態度も目に余ります。また、北朝鮮をめぐる六ヵ国協議や国連安保理常任理事国入りの騒動などを見ていても、外務大臣は不在で外務官僚の失態ばかりが目立ちます。これはちょうど、戦前の近衛内閣が「新体制運動」といいながらも、実質的には全て官僚任せの政治だったのと似ているように思います。

野口 確かにここ数年、以前なら考えられなかった細かいところまで、官僚が口出しするようになりました。ただ、長期的な視野に立つと、役人の力は低下してきたのではないでしょうか。特に高度成長期と比べると、その力の低下は著しいと思います。

 私は、戦後日本の発展を支えた経済体制を「1940年体制」と名付けています。生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制が1940年前後の戦時期に確立されたことからそう名付けました。この体制は戦後に生き残り、官僚たちは強い統制力をフルに活用し、日本の高度経済成長を先導する役割を果たしてきました。

 堺屋 私もそのことは、ずっと前から「昭和16年体制」として繰り返し指摘してきました。戦後の日本は官僚主導、業界協調体制で、規格大量生産型の工業社会を確立しようと頑張っていました。

 たとえば私が勤めた通産省、今の経産省は、本来は業界のコンサルタント的な役割を果すにすぎなかったのですが、戦後の統制経済で急速に力をつけ、田中角栄の頃から総理秘書官を出すようになりました。行政指導と称して、何ごとにも口出しできるようになったからです。

 業界との合意のもとで、業界主流の意見を代弁する一方、業界団体を作らせてそこに天下りを入れ、官民一体の利益構造の中で確実な利益を生む仕掛けです。役人は自分たちの意見よりも、業界主流の主張を聞き、新規参入の排除と過当競争防止に努める。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していったのです。製鉄用の溶鉱炉数や、石油コンビナート施設を割当てることで過当競争を防ぐ。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。これが、高度成長期における官と民の形だったのでしょう。

 野口 個別的な行政指導という点では、大蔵省の銀行局や証券局もそうです。私が証券局にいたときも、形式的には大蔵省が行政指導の内容を決めたことになっていますが、業界の意向、正確には野村証券の意向を無視しては、証券取引法という根拠法令があっても、実質的には何もできません。「私は何をやっているのだろう」と考えていたことを思い出します。

 それから40年近く時が流れ、日本をとりまく経済状況も変わりました。ですから、現在官僚のカが大局的にいえば低下したのは、小泉内閣のおかげではなく、日本の長期的な変化と共に起きた大きな潮流として捉えるべきでしょう。

 自分の家の軒先だけを掃く

 堺屋 世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなりました。レーガン、サッチャーといった自由主義市場経済の信奉者が現れ、ドルの国際流動性を高めた結果、冷戦構造が経済分野から崩壊し、平等主義的官僚親制は急速に減少していきました。

 ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心でした。さらにバブルが崩壊すると、不況対策ということで官僚の出番がむしろ多くなった。国が自由化、民営化といったものを積極的に意識し始めるのは1998年の橋本不況のころからでしょう。持株会社の解禁やNPO法案などに慌てて手をつけ始めます。その過程で起きたの
が長銀や日債銀の破綻、マイカルやそごうの倒産といった「リスクの市場化」です。確かにこの頃の日本は、遅ればせながらも市場化、非官僚化の方向へと進んでいました。

 野口 それなのに、堺屋さんも御指摘のように、最近になって役人の圧力を以前よりも強く、それも瑣末な場面で数多く感じます。たとえば国立大学は独立行政法人になりましたから、本来なら各大学がかなり自由に経営できるはずなのに、実際は文科省が細かなことを言ってくるようで「以前よりもやりにくい」と知人の国立大学教授がこぼしています。

 他にも、証券市場における株式のカラ売り規制が強化されたことがありますが、カラ売りは正常な取引で、規制すべきではありません。株価下落を防ぐためだけの規制で、これは間違いなく市場を歪曲化します。市場に「NO」を突きつけられた産業、企業は本来消滅してゆくのが資本主義社会の原則なのに、産業再生機構を作って、それを延命させようとする。産業再生という仕事自体は、たとえば新生銀行のケースでもわかるように、民間のファンドでできます。とにかく、不要な規制や施策が実に多い。

 堺屋 これは、進んでいたはずの「リスクの市場化」が、小泉政権になって「リスクの国有化」へと変質していったからです。りそな銀行に国の金を入れる、産業再生機構で国が引き受ける、というプロセスの中では、自然と役人が細かいところに口出しをしていくようになる。制度としては「体制としての官僚指導」から、「各場面での個別指導」になったため、突出して恣意的な指導が目に着くつくようになった。

 野口 今の官僚のやっていることは、自分の家の軒先だけをホウキで掃き、ゴミを隣の玄関先に捨てているようなものです。

 ただ、私は規制が全ていけない、と言っているわけではありません。アスベストの問題などは、以前からその有害性が指摘されていたのに、中途半端な規制しか行ってこなかった。あるいは公正取引委員会は、自由競争を促進させるために必要な組織なのに、ほとんど機能していない。不必要な規制ばかりがなされ、本当に必要な規制がなされていない。

 そもそも「官僚支配」という言葉は、国民と対立するものとしての官僚が、国民の意に沿わないことをやっている、というニュアンスで言われるものでしょう。高度成長期にはもっと大きなカをふるっていたのに、官僚のリーダーシップを国民は是認していた。経済全体が成長したので、問題は感じられなかった。成長が止まって利害対立が先鋭化したので、「官僚支配」という言葉が生まれたのでしょう。

 官僚集団もひとつの利益集団です。いくら批判を浴びたところで、経済成長がもはや期待できず、天下り組織が自然に増えていく時代が過ぎた今、どうにかして自分たちの権限、利益を守っていくことを考えざるをえない。だから余計な規制を広げてゆこうとするのです。

  官僚社会を喜ばせた小泉の「改革」

 堺屋 はっきりしておきたいのは、不正不当の取締りと、行政指導的な規制とは別ものだということです。官僚主義は、ごく少数の事件や事故を契機として規制を強化し、一般的な選択と利便を失わせます。組織論的にいえば、官僚は非常に閉鎖的で、強烈な仲間意識を持っています。一般に組織は「大きくなりたい」「強くなりたい」「結束したい」という3つの意識を持ちますが、軍人や官僚の組織はその最たるものです。官僚組織ではそれ自体が目的化しています。

 実は戦後日本の社会構造において、この官僚集団を牽制する力を持っていたのは、民間大企業と自民党政治でした。ところがここ数年のうちに、この三者の拮抗状態の中から政治の力が急速に低下している。

 野口 小泉内閣がこの4年、取り組もうと宣言したことですね。

 堺屋 そうですね。小泉内閣は自民党と官僚とが時にタッグを組み、時に対抗しながら国を動かしてきた日本の伝統的なシステムを崩しました。

 野口 高度成長期に比べて官僚のカが低下した1つの理由は、税制における山中貞則氏のように、専門的知識を持つ政治家が登場したからです。

 堺屋 1990年代には政治主導の改革が進みましたが、小泉内閣はそういった政治家たちを〝族議員″という名のもとに駆逐してしまったのです。その結果、残った官僚の独走となり、官僚の力だけがどんどん強化されています。残念ながら小泉さんはそのことに気付いていない。族議員をつぶしたからいいじゃないか、と思っているはずです。

 たとえば戦後の内閣は「大臣は辞任するときに官僚の人事を行なってよい」という慣例を守ってきました。大臣は辞めるときに事務次官や局長、官房長を代えることができる。つまり大臣を辞めさせれば官僚は返り血を浴びるという「刺し違え」の仕組みが互いの抑止力として働いていました。ところが田中真紀子外務大臣(当時)を更迭するに当って、大臣の意向とは関わりなく、小泉さんが外相と外務省の野上義二事務教官を代えました。つまり大臣には人事権がなくなったのです。これ以来、官僚の世界に「大臣は〝資質がない″という噂を流せばいつでも代えられる」といった考えがまかり通るようになったのです。

 さらに、文部官僚だった遠山敦子氏を、選挙も長期の社会評価も経ずに文科省の大臣にしていたこと。実はこの人事は官僚社会をたいへん喜ばせました。「役人を選挙や長期間の世評の洗礼を受けることなく大臣に就けてはならない」という戦前の反省に基づく慣例を、いとも簡単に破ってしまったんです。

 さらには、その時の事務次官を、間を置かずに中央教育審議会の委員に入れた。これによって、事務次官時代に提案したものを、審議委員として審議するという手前味噌を許すことにもなった。

 それからもう一つ、橋本内閣時代の行政改革で、官邸機能を強化するため各担当大臣の人事権を官房に集約してしまった。だから、たとえば金融担当大臣には金融庁の人事権がないんです。

 かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮していますよね。

  力の源泉は情報の独占にあり

 堺屋 小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。

 小泉さんは意欲と正義敵は強いんですが、知識が不足しているので、自分の行動が周囲に及ぼす影響を予測できない。やはり政治家としては、大蔵大臣も官房長官も、党幹事長も経験していないと、人脈が限られてくる。結局官邸に入ってくる秘書官なり官僚の話、特定の評論家たちで構成される「何でも官邸団」の話にしか耳を傾けないようになってしまった(笑)。

 野口 それにしても、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。

 この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。

 堺屋 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。これにはさまざまな弊害がある。例えばBSE問題にしても、農水省が「全頭検査でないと危険だ」と先にアナウンスしてしまった。このため、今では日本の学者でも全頭検査を求めることについて再考を促す意見が出てきているのに、政府としては取り消せなくなった。外交も同じです。国連安全保障理事会の常任理事国入りの問題も、国民の半分は安保理ではなく「国連の常任理事国入り」だと勘違いしているはずです。なぜなら、外務省がそういった誤解を招くようなアナウンスをしてしまっているからです。

 閣僚の発音をすぐに官僚が訂正する、という場面も数多くあります。「注釈」[解釈」などといって、あとで何らかのバイアスをかけようとする。塩川正十郎財務相(当時)が、2002年9月の日米財務相会談において不良債権処理加速のために公的資金を活用する方針を表明し、その直後に財務省が発言を取り消したケースがその典型です。記者クラブ制度をうまく利用して、情報の出し入れを行なっている。

 野口 インターネットでどんな情報も手に入るようになったいま、官庁の情報発信は驚くべき状態です。例えば、在職老齢年金制度について調べようと社会保険庁のホームページを開いたところ、一般的な制度の解説であるにもかかわらず、「詳しくはお近くの社会保険事務所で」とありました。社会保険事務所に行けば、何時聞も待たされます。もっとも、国税庁のホームページのように、きわめて充実したものもありますが。

 堺屋 そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。情報にしても、実態情報の大半は業界に申しつけて作らせています。橋梁談合事件でも明らかなように、官需相手の談合の多くは官製談合です。天下った官僚がパイプ役を果たし、業界の声を束ね、どこからともなく「天の声」が聞こえてくる。欧米のように現場説明をなくして電子入札制度を整備すべきです。ところが日本の官僚の通信情報(マシン・リーズナブル)化の能力が低い、という問題があります。

 官僚主導での規格大量生産、癒着を前提とする利益分配が効果的に機能する時代はとうに過ぎています。通産省の場合は、石油危機の前後にこの変化に気付き、自由経済を前提とした行政を模索し出すのですが、権限を失うだけの結果となった。このため規制維持派と自由化推進派とに省内が二つに割れて荒れました。そのあたりで私は、コンサルタント官庁としての通産省の使命は終わったんだな、と感じたものです。

 現在では、多くの業界が官僚離れを望んでいるのに、官僚側が取締りと情報独占を武器に追いかけている状況です。官僚の方は業界離れができていない。世間からの批判の強い天下りについても、本当にその人の能力が買われての再就職よりも、役所とのパイプとして買われる場合が多い。このため、官僚としてはあえて情報を複雑にしている気配があります。
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(その2)

2011年12月21日 | カ行
  「局あって省なし」は変わらない

 堺屋 それからもう1つ、当たり前のことですが、官僚組織は強大な権力である、という点も改めて認識すべきでしょう。中央官庁は、権力官庁、事業官庁、そしてコンサルタト官庁と大きく3つに分類できます。

 権力官庁は税制などを司る財務省や、軍事を管轄する防衛庁、警察庁や総務省といった国家の治安を守る省庁など、唯一無二の権力を持っている官庁を指します。総理大臣秘書官はずっとこれらの(財務・外務・警察)官庁から選ばれています。

 事業官庁は、文科省であれば教育、国土交通省であれば道路や港湾といった事業を自分で行い、予算を配分するという権能を持っています。

 そして経産省などのコンサルタント官庁は、行政指導などによって民間を効果的に動かしていく。それぞれがそれぞれの分野で民間には持ち得ないカを持っていて、それが恣意的に使われるか否かは彼らの倫理観に委ねられている。

 野口 中でも大きな権力を持っているのが国税庁です。悪いことをしなければ警察の世話にはなりませんが、所得を得ているかぎり、国税庁からは逃げられない。

 堺屋 昭和初期の治安維持法は、警察に誰でも引っぱれる権力を与えたが、今でも国税庁はそれに近い。しかも政治家やタレントの些細な申告漏れなどがすぐ新聞に流れる。あれは明らかに守秘義務違反ですが、まったく取締まられてはいない。やはり国税は怖いから誰も楯をつけない。

 野口 申告前に事前照会しても、教えてくれない。申告して国税庁の見解と異なれば、修正申告になる。そしてその内容がマスコミに漏洩する。マスコミはそれをまるで脱税事件のように扱う。事前照会に応じてくれるか、守秘義務を徹底するか、どちらかが絶対に必要です。

 橋本行革で大蔵省から国税庁を切り離す、という案が出たことがあります。「これは本気か」と思ったことがありますが、結局立ち消えになった。結局大蔵省を財務省と金融庁に分離したわけですが、国税を切り離すことに比べれば非常に瑣末な行革だったと思います。

 堺屋 世間の多くの人は、官僚の意思決定は数多くのエリートが議論を重ねた上で一つの合意に至っていると思っているようですが、全く違うのです。かなり大きな政治的課題であっても、それこそ局長や担当課長、同補佐など、ごく少数の人間の意思がかなり重要なんです。

 たとえば古い話ですが、自然保護の観点から、タイマイという亀の鼈甲(べっこう)の貿易を禁止する決議が国連に上程された、その時日本はどういう投票行動をとるか、と国連代表部から外務省に請訓(問い合わせ)が来た。外務省では、鼈甲は通産省日用品課の担当だ、ということで通産省官房経由でその課に問い合わせが来た。そこで課の担当官が長崎県の鼈甲加工協会に連絡すると、まあ当然反対という答が返ってくる。それが先刻と逆のルートで国連大使に届けられ、「日本は反対」という意思表示をした。

 するとその翌日、今度は「象牙の貿易禁止」が上程された。また同じように国連代表部から請訓が来て、さきほどと全く同じ課の同じ担当官に入る。今度は山梨県の象牙加工組合に問い合わせて、やはり「反対だ」となった。このように一つ一つの案件を、係長クラスの官僚が一人で、しかも近視眼的に処理するものだから、全体として「日本は自然保護に反対です」という姿勢を内外に示していることになってしまう。これは明らかに国益に反しますよね。

 野口 「局あって省なし」という状況はどこの省でも変わりません。外務省には研修語学別のスクールがあるわけで、それが個々人のキャリアに大きな影響を及ぼすから、外務省一丸となっての外交は期待できません。大蔵省、財務省にしてもそうで、私が主計局時代に、主計局ではない大蔵官僚のAさんにある件を相談したと同僚に話したら、「こんな重要なことを外部の人間に言うな」といわれました。同じ大蔵省内なのに、主計局以外は「外部」なのですね。

 堺屋 戦時中の日本を支えていた両輪である軍国主義と官僚主導のうち、戦後になって軍国主義は排除されました。それと共に、勇気や覚悟、辛抱といった武人的美徳まで排除され、一方の官僚主導体制の方は残った。しかも、内向きの気配りや優しさが官僚の行動規範になりました。たとえば出世レースでも、国のために働いた人や業績を上げた人ではなく、仲間うちで評判の高い人、自己犠牲のできる人が上がっていくようになりました。私も通産省時代に「会議の議題を調べて一夜漬けで関係数値や関連法規の条文などを憶えてひとくさり論じるが、絶対に反対するな。とりあえず賛成した上で、但し書きをつけるのがよい」と教えられた。それで、実際に3年ほどそうやってみたら身内の評判がいっペんによくなった(笑)。他の官庁や政治家に対してはできるだけ抵抗姿勢を見せつつ、最後に必ず妥協する、なんてテクニックもありますね。

 野口 昔と比べて官僚気質も変わったようです。昔の官庁には、上司に対する強い信頼をベースとした人間関係がありましたが、今は一切ないようです。かつてよく言われたノーブレス・オブリージュの精神も、今そういうことを言ったら嘲笑の種になるだけでしょう。若者にとって官僚が魅力的な仕事ではなくなってきている。そうでなければ、来年度の農水省入省予定者に東大法学部卒が1人も入らなかったり、総選挙にあれほど多くの現役官僚が自民、民主問わず出馬するはずはありません。

 堺屋 我々の時代にも、選挙に出てくれという声は数多くありましたが、ここまでたくさんの人間が出ることはありえなかった。私が通産省を辞めた直接の理由は、大平内閣の時に参議院の選挙に出ろと言われて、いやだから辞めます、と。でも、私の後は、ゾロゾロと政界に打って出ています。今、通産出身は国会で20人以上、知事で6人もいるんです。

 野口 私のときも、入って2、3年目の若造なのに「民社党だったらいつでも出られる」と口鋭かれました。でも、出馬する仲間は誰もいませんでした。当時の新米官僚は、夜勤
で局長の秘書代わりをやらされました。夜陳情に訪れる政治家先生に向かって、「局長は今忙しい」と言って追い払う役目をしていた。それだけ政治家より官僚の方が偉かったので
すから、出馬するわけありません。今の官僚は、軒先を掃き続けるか、運がよければ選挙に出るか、のどちらかの選択肢しかない。隔世の感がありますね。

  政治を官僚の手から取り戻すために

 堺屋 では、このゆがんだ形での官僚支配を打破していくためには、一体どうすればよいのでしょうか。

 野口 単に官僚のカを弱めればよい、というものでもありません。アスベスト問題や公正取引委員会など、きちんと官僚が本来の権限をもって強く取り締まってくれないと困るところもあります。国税にしても、公平な徴税をきちんとやってもらわなければなりません。そのためには今の税務署5万人体制を増やす必要もあるかもしれない。年金保険料の未納分もしっかり徴収してくれないと、サラリーマンの厚生年金にしわ寄せが来るわけで、それも困ります。一方で、余計なお節介をしている部分については、是非止めてほしい。

 堺屋 確かに官僚が取り締まるべき分野をきちんと取り締まり、徴税、徴収を行なうことはもちろん重要です。しかし、官僚が国の重要政策を決めたり、民間業界に恣意的に干渉していくようなことはやはり問題です。

 これを止めさせる方法は、宮僚が国家指導の主体としていかに信用できないかを、日本人1人1人がきちんと理解するしかありません。政治家、官僚、評論家、学者といる中で、誰の言葉が一番信じられるかといえば、いまだに官僚、と思つている人が多いでしょう。なぜかといえば、まずは役人には一番正確な数字情報が入ること。次にマスコミを通じた情報発信力が強いこと、そしてやはり、難しい試験に合格し、高度成長を支えた人々の後継者である、ということ。この3つが、いまだに日本人の官僚幻想を支えているのだと思います。

 野口 1990年代に大蔵官僚をはじめとして、官僚のスキャンダルが次々と暴かれました。適切な報道だったと思いますが、あれ以来官僚の権威は大きく失墜しました。他方で政治家に対する信頼感もない。だから日本人は自国の官僚も政治家も信頼できない。なんとも不幸な国になってしまった感じがします。

堺屋 政治に官僚と拮抗する力を持たせなければならない。政治家が官僚への陳情機関になっているようではどうしようもない。官僚に握られている情報についても、業界や官庁とは別の所に民間のシンクタンクを置き、そこで独自に知的蓄積を図る必要があります。それには、寄付という文化を根付かせねばなりません。ところが日本では官僚が一番お金の使い方が上手なんだから、世のため国のためを思う者はまず税金を払え、寄付は官僚様に税金を差し出した余りでやればよい、というわけです。これでは官僚機構に対抗するような情報の蓄積を持つ機関は育ちません。

 野口 政治家の政策立案能力を高めるために採用された政策秘書の制度にしても、結局はカラ給与問題でミソがつきました。器だけ作ってもタメで、政策立案ができる高度の専門性を持った人材を育てるところから始めなければなりません。

 堺屋 本当に日本の官僚支配を変えよう、というのであれば、人事の流動性を確保すべきでしょうね。私は経済企画庁長官のときに、官僚以外の人々を6名、管理職として採用しました。いちどきに民間から6人の管理職を採用したケースは極めて珍しいでしょう。それほど民間との人事交流は少なかったんです。ところがそれも今や1人か2人に減ってしまっています。だから、たとえば官僚の任期を一律10年にして、再任は職種と位階の各段階で3分の2までは認めるが、あとの3分の1は民間に出す、といった官民のローテーション制度を採ってみては、と思います。そうすれば、毎年大量に官僚経験者が民間に出てきて、その分民間から官庁に入って来る。官民の交流が実現し、人材も活性化するはずです。天下りも、この制度の中で自然とその形が変わっていくはずです。

 野口 官僚機構は本来、法令で決められたルールに従い、政治が決めた基本方針を忠実に実行する組織です。しかし実際には、天下り先の確保が本来の職務遂行の妨げになっる、という側面は否めません。天下りの必要をなくすことで、職務に集中する環境を作ることは大切なのではないでしょうか。そこがしっかりしていないから、天下り先を確保するために余計なことをしてしまう。

 アメリカのスポイルズ・システム(猟官制度)では政府高官は民間人がなりますが、政府の高官を終えたあとで民間企業に戻るため、決定にバイアスが生じる、と見る向きがあります。大事なのはビジネス分野から官僚機構を引き離し、独立した存在とすること、たとえば定年までの勤務を保証することではないでしょうか。

 堺屋 人間の欲望には、人気、首、権限の3つがあります。官僚を経験すると、何よりも権限の魅力に取りつかれる。課長補佐から課長になるくらいが権限欲のピークで、その頃は億単位の年収でも「たかが中小企業の成り金奴」といった感じです。それよりも大きな仕事、権限が欲しいものです。定年までの勤務を保証したところで、その官僚が持ち続けてきた権限指向をどうやって別のところに向けるのか。

 たとえば、なぜアスベストを完全禁止できなかったかといえば、そこにも官僚の権限欲が介在しているからです。業界からの要請を受け、「権限を持っている俺が頑張ったから、業者はまだ助かっているんだぞ」と言いたい権限欲と省益、掌管供給者を第1に考えるからこうなってしまう。日本の官僚はまだ清潔な方だと思います。腐敗はしていない。しかし、その倫理観は頽廃しきっている。つまり、何が正しいか誤りなのかがわからなくなっているんです。だから官僚主導は危険なんです。

 総選挙の結果がどう転がったとしても、新しい内閣には本当の官僚支配の打破を実現してもらいたい。それにはやっぱり知識とビジョンのある政治家が、日本の未来体制を考えるべきです。そうでなければ官僚の造った土壌で官僚のルールで相撲をとっているだけ。どちらが勝っても日本国の長期凋落は避けられないでしょう。

     主要点の箇条書きと感想

 1、戦後日本の経済体制は、生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制で、これは1940年ころに成立したものである。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していった。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。

 2、世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなった。ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心だった。

 3、かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮している。

 4、小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。

 5、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。
 この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。
 もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。
 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。

 6、世間の多くの人は、官僚の意思決定は数多くのエリートが議論を重ねた上で1つの合意に至っていると思っているようですが、全く違うのです。かなり大きな政治的課題であっても、それこそ局長や担当課長、同補佐など、ごく少数の人間の意思がかなり重要なんです。

 7、確かに官僚が取り締まるべき分野をきちんと取り締まり、徴税、徴収を行なうことはもちろん重要です。しかし、官僚が国の重要政策を決めたり、民間業界に恣意的に干渉していくようなことはやはり問題です。これを止めさせる方法は、宮僚が国家指導の主体としていかに信用できないかを、日本人1人1人がきちんと理解するしかありません

 8、官僚に握られている情報についても、業界や官庁とは別の所に民間のシンクタンクを置き、そこで独自に知的蓄積を図る必要があります。

 感想

 お二人の結論は8にあるように国民のためのシンクタンクを作る必要があるという事だと思います。賛成です。しかし、お二人共、自分が旗を振ってこれを作ろうとしていません。これが中途半端なインテリの姿です。

 この座談会から6年経ち、政権交代も成し遂げられましたが、政治主導の挫折を経て官僚主導政治は前より強固になったのではないでしょうか。民主党ではだめだと言っても、自民党に返しても好い事も期待できない。どうして好いか分からない、というのが多くの国民の気持ちでしょう。
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否定的統一、die negative Einheit 。cf. 直接的統一

2011年12月20日 | ハ行
 01、寺沢恒信氏の説

 「否定的統一」とは、一般に、統一されている諸要素の自立態が否定されているような統一である。

例えば、水は酸素と水素との統一であるという場合に、水の要素としての酸素と水素とは水という化合物の中で自立態を失っている。だから水(水蒸気)だけを肺の中に送りこんでも、人間は水(水蒸気)から酸素を吸収することができない。これに反して空気は酸素・窒素等の統一であるという場合に、空気は混合物であるから、酸素・窒素等は空気の中で自立態を保っている。だから空気を肺の中に送りこめば、人間は酸素を吸収することができる。この事実に「否定的統一」というヘーゲルの用語を適用するならば、水は酸素と水素との否定的統一であるが、空気は酸素・窒素等の否定的統一ではない、といえよう。

 否定的統一であるような「或るもの」もあれば、そうではない「或るもの」もあるわけであり、だから「或るもの一般」は否定的統一ではない「或るもの」を含んでいる。「或るもの一般の一」とはしたがって「否定的統一」に特有の性格規定ではないということを意味している。(寺澤訳「大論理学2」352-3頁)

  参考

 01、実際、諸種のカテゴリーはそれが数多であるということで純粋カテゴリーと矛盾している。従って純粋カテゴリーはその本質上諸種のカテゴリーを止揚しなければならず、それによって純粋カテゴリーは区別されたものの否定的統一として立ち現れることになる。しかるに、そのようにして否定的統一として立ち現れる時、純粋カテゴリーはそれらの区別〔諸種のカテゴリー〕でもなくなると同時に、先の最初の直接的な純粋な統一でもなくなり、個別となる。(牧野訳「精神現象学」399頁)

 感想・ヘーゲルの用語で分かりにくいものの一つはこの「否定的統一」だが、ここから分かるように、それは「直接的な純粋な統一」と対立した概念で、「区別を否定するという媒介をへて生まれた統一」ということである。(牧野訳『精神現象学』400頁)

 しかし、これはまだ調査中で、最終的な考えではありません。

 02、diese negative Einheit des Denkenns(ズ全集第3巻228頁)

 感想・「運動を含んだ統一」「自己内二分しつつある単一性」ということか。

 03、成そのものにおいては存在も無も、おのおのが等しい仕方で、むしろそれ自身の無としてのみある。成は消失運動としての統一である。無の規定における統一である。──この統一は存在するものとしてあり、換言すれば、存在と無の直接的統一という形態を持っている。これが定在である。(寺沢訳「大論理学1」 114頁。127 頁)

 04、或る物は規定されたものであり、規定態との単一な直接的な統一の内にある。(寺沢訳「大論理学1」 134頁)

05、大きさはまずはじめに連続性と離散性との直接的統一である。量としてそれ〔大きさ〕は、これら両契機の自己へと還帰した統一である。これら両契機のこの否定的統一として大きさは、直接的な(大きさ)すなわち連続的な大きさにおいてはただ消失してしまった区別、ないしは可能的にすぎない区別を身につけて持っている。

 第1に、それは抽象的な連続性と離散性との統一であるだけでなく、連続的な大きさ及び離散的な大きさと見なされた両者(両契機)の統一。第2に、大きさからその統一へと移行していくような規定態ではなくて、大きさが自分の身につけている規定態。(「大論理学1」 219頁)

 感想・ここでは「自己へと還帰した統一」の言い換えである。

06、本質は自己内への無限の還帰だから直接的な単純性(Einfachkeit)ではなく、否定的な単純性である。即ち、区別された契機を通って行く運動であり、自己との絶対的な媒介である。(大論理学第2巻23頁)

 07、相等性と不等性とは外的反省の契機であり、従って自己自身にとって外的なものだから、合体して両者の相等性となって消える。しかし、この相等性と不等性の否定的統一[としての両者の相等性]はそれらの表面に定立されてもいる。即ち、相等性と不等性は潜在的な反省を自己の外に持っており、自己とは違った第3者の相等性及び不等性なのである。(大論理学第2巻37頁)

 08、区別一般はすでに潜在的に矛盾である。というのは、区別は、両規定が一体ではない限りでのみ存在する・そのような両規定の統一であり、──また同一の関係のうちで分離されている規定としてのみ存在する・そのような両規定の分離であるからである。だが肯定的なものと否定的なものとは、否定的統一としてのそれらがみずから自分自身を定立する運動でありながら・この同じ観点において〔両者の〕おのおのが自分を揚棄しておのれの反対のものを定立する運動であるのだから、定立された矛盾である。──両者は排除する反省として規定的反省をなしている。排除する運動は一つの区別する運動であって、区別されたもののおのおのが排除するもの自身として全体的な排除する運動なのであるから、おのおのはそれ自身のうちで自己を排除しているのである。(大論理学第2巻49頁、寺澤訳)

 09、〔二つの〕対立したものは、それらが同一の観点で相互に否定的に関係しあうもの・換言すれは相互に揚棄しあいながらしかも互いに無関心的なものであるその限りで、矛盾を含んでいる。表象は、諸規定の無関心態の契機へと移行するものであるから、この点で諸規定の否定的統一を忘れ、そしてそれとともに諸規定を差異されたもの一般としてのみ保持するのであるが、この差異されたもの一般の親定においては右はもはや右ではなく、左はもはや左ではない、等々である。だが表象は右と左とを実際に自己の前に持つのであるから、表象はこれらの〔両〕規定を、相互に否定しあうものとして、一方の規定が他方の規定のなかにありながら・しかもこの統一のなかで同時に相互に否定しあわないで・それぞれが無関心的に独立して存在しているものとして自己の前にもつのである。(大論理学第2巻60頁、寺澤訳)

 10、事物・主観・または概念は、それぞれ自分の領域のなかで自己へと反省したものとして、それぞれの解消された矛盾であるが、しかしそれぞれの全領域ほまたふたたび規定された・「他の領域から」差異された領域である。こうしてそれぞれは有限の領域であり、かつこの〔有限の領域であるという〕ことは矛盾した領域であることを意味する。かの有限の領域そのものはこのより高度の矛盾の解消ではなくて、それはより高い領域をそれの否定的統一・それの根拠として持っている。それだから、それらの無関心的な多様態における有限な諸事物〔であるということ〕は、一般にそれ自体でみずから矛盾しており、自己へと折りまげられて自分の根拠へと帰ってゆくことなのである。(大論理学第2巻62頁、寺澤訳)

 11、形式づけられた質料または存立をもっている形式は、いまや根拠の自己とのあの絶対的統一であるだけではなくて、定立された統一でもある。〔以上に〕考察された運動は、絶対的根拠がそのなかで自分の〔両〕契機を自己を揚棄する契機として・同時にまた定立された契機として示した運動である。換言すれは、回復された統一は、それら〔両契畿〕の自己と合体する運動において、自己自身から自己をつきはなすとともにまた自己を規定したのである。というのは両者の統一は、否定によって成立したものとして、否定的統一でもあるからである。だからしてその統一は形式と質料との基礎としての・だがしかしそれらの規定された基礎としてのこれら両者の統一であり、この基礎ほ形式づけられた質料であるが、しかし同時にこの基礎〔形式づけられた質料〕は揚棄されたものならびに非本質的なものとしての形式と質料とに対して無関心的である。このような統一は内容である。(大論理学第2巻74-5頁、寺澤訳)

 12、根拠は規定された内容をもっている。内容の規定態は、すでに明らかになったように、形式にとっての基礎であり、形式の媒介に対する単一な直接的なものである。根拠は自己へと否定的に関係する同一性であり、この同一性は自己へと否定的に関係することによって自己を定立された存在にする。〔すなわち〕この同一性は、この自分の否定態において自己と同一的であることによって、自己へと否定的に関係する。この同一性が基礎ないし内容であって、この内容はこのようにして根拠関係の無関心的ないしは肯定的統一をなしており、根拠関係を媒介するものである。

 この内容においては、はじめには、板拠と根拠づけられたものとの相互に対する規定態は消失している。だが媒介はさらに否定的統一である。かの無関心的な基礎のもとにあるものとしての否定的なものは、根拠がよってもって規定された内容をもつゆえんの・基礎の直接的な規定態である。だがさらに、否定的なものは形式の自己自身への否定的関係である。定立されたものは一方では自己自身を揚棄して自分の根拠へと帰ってゆく。だが根拠・本質的な自立態は自己自身へと否定的に関係し、自己を定立されたものにする。根拠と根拠づけられたものとのこの否定的媒介は、形式そのものの固有の媒介・形式的媒介である。形式の両側面はいまや、その一方が他方へと移行するのであるから、揚棄されたものとして一つの同一性のなかで共通に定立される。このことによって両側面は同時にこの一つの同一性を前提するのである。この同一性が規定された内容であり、したがって形式的媒介は自己自身による肯定的な媒介者としてのこの規定された内容へと関係する。(大論理学第2巻77頁、寺澤訳)

 13、この関係がいまやさらに進んで規定される。すなわち、根拠関係の両側面がことなった内容であるその限りでは、両側面は相互に対して無関心的である。それぞれの側面は直接的な・自己と同一的な規定である。だがさらに、両者は根拠と根拠づけられたものとして相互に関係づけられているから、根拠は自分の定立された存在としての他者のなかで自己へと反省したものである。したがって根拠の側面がもっている内容は、まさに根拠づけられたもののなかにもある。またこの根拠づけられたものは定立されたものであるから、根拠のなかにのみそれの自己との同一性とそれの存立とをもっている。だが根拠のこの内容の外に根拠づけられたものはいまやそれの固有の内容をももっており、だからして根拠づけられたものは二様の内容の統一である。

 さてこの統一はなるほど区別されたものの統一としてそれらの区別されたものの否定的統一でありはするが、しかし相互に対して無関心的な〔二つの〕内容規定が存在しているのだから、この統一はそれらの内容規定の空虚な関係・それ自身のもとに内容を欠いた関係にすぎず、それらの媒介ではない。〔この統一は〕二つの内容規定の外的結合としての一ないしは或るもの〔にすぎない〕。(大論理学第2巻83頁、寺澤訳)

 14、現出存在は止揚されることで定立された直接性だから否定的統一であり、自己内存在である。従って現出存在は先ずは現出存在者即ち物という規定を持つことになる。(大論理学第2巻105頁)

 15、精神ははるかに深い意味で「このもの」(Dieses)である。即ち、精神の諸規定が相互浸透する場としての否定的統一である。(大論理学第2巻121頁)

 16、事柄そのものとは次の事を意味する。即ち、事柄の概念はその概念自身の否定的統一〔自己を否定する中で自己同一を貫徹するもの〕だから自己の概念の普遍性を否定して個別性の持つ外面性の中に身を置くという事である。(大論理学第2巻305頁)

 17、理念の否定的統一の中では無限は有限を、思考は存在を、主観性は客観性を汲み尽す。(小論理学第215節への注釈)
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否定、die Negation。否定性、die Negativität

2011年12月19日 | ハ行
  参考

 01、否定は同時に肯定でもある。即ち、自己矛盾するは無、抽象的な無に解消するのではなく、自己の特定の内容をひていするのである。そういう否定は全ての否定ではなく、否定される特定の事柄の否定である。否定されるものは結果の中で保存されるのである。(大論理学第1巻35-6頁)

 02、弁証法において否定するとは単に「否」と言う事でも、或る事物を「存在しない」と言明する事でも、それを勝手な仕方で破壊する事でもない。既にスピノザが「どの限定も、あるいはどの規定も同時に否定である」と言っている。

 しかし、更に、弁証法では否定に仕方は、第1に、その過程の一般的性質によって、第2に、その特殊な性質によって規定される。私は、単に否定するだけでなく、その否定を再び否定しなければならないのである。

 かくして第1の否定をする時に第2の否定が可能になるようにしなければならない。どうするのか。個々の場合の特殊な性質に応じてするのである。……

 かくしてどの種の事物もその否定において発展が可能であるように否定される固有の仕方を持って言うのであって、どの種の観念も概念も又同じである。(マルエン全集第20巻32頁)

 03、およそ否定性は静的と動的との区別がある。静的な意味においては、否定性は「すべての限定は否定である」の否定として定在の限定と同じものであるが、動的な意味においては区別や対立に陥りながら、その際の他的存在を止揚するものであって主体(序文17頁)ないし自我(序文19頁)と同じである。

 しかるに非有機的なものの場合には否定性は静的なものであり、これが此処では「単純な対自存在(個別存在)」と規定せられているが、この規定はさきに284頁において有機的なものの形態という外なるもの自身の内なるもの(類)に与えられた規定に対応するものである。

 ただし内なるものに関して非有機体が有機体と全く同じであるのではなく、有機体の場合には、その形態自身の内なるものが持つ否定性は「主体」や自我の場合に比すると、まだ不十分ではあっても、非有機体の場合に比すると、やはり動的なものである。(金子武蔵訳「精神現象学」上巻543頁)
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必然性、dieNotwendigkeit

2011年12月18日 | ハ行
  参考

 01、主観的必然性即ち習慣(カント「プロレゴーメナ」篠田訳岩波文庫15頁)

 02、一般に、存在しているものが自己の存在の中で自己の概念であるという存在者の本性が「論理的必然性」である。これのみが理性的なものであり、有機的全体のリズムであり、内容の「知」であると同時にその内容の概念であり本質である。即ち、この論理的必然性のみが思弁的なものである。(精神現象学47頁)

 03、そこには絶対者から非存在への新店の必然性もなければ、その非存在が同一性へと絶対に解消する必然性もない。即ち、同一性の生成もその諸規定の生成も欠けている。(大論理学第2巻167頁)

 感想・ヘーゲルの大発見は「生成の必然性」を見出したことです。拙稿「弁証法の弁証法的理解」(「西洋哲学史要」に所収を参照)

 04、この必然性は同時に相対的である。──それは前提を持ち、前提から始まる、つまり偶然的なものに出発点を持っているからである。(大論理学第2巻179頁)

 05、絶対的必然性はそれ故盲目である。(大論理学第2巻183頁)

 06、必然性は消え去ることで自由になるのではない。その未だに内的である同一性が顕現することで自由になるのである。その顕現は区別された[両項]の自己内での同一の運動であり、仮象としての仮象の自己内反省である。(大論理学第2巻204頁)

 07、実体の規定された関係が必然性であり、……自由は概念の関係である。(大論理学第2巻214頁)

 08、必然性の領域は存在と反省[本質]の最高点である。(大論理学第2巻477頁)

 感想・概念の最高点は自由。

 09、真に現実的なものは必然性である。即ち、現実的なものは自己内で必然的である。必然性とは、全体的なものが概念諸規定の中へと分化するのだが、その分化が、分化して生まれた1つ1つの要素が死んだ規定ではなくてしっかりした規定、自己解体の中で繰り返し再生するような規定を持っているような過程の事である。(法の哲学第270節への付録)

 10、必然性の過程は互いに何の関係も結びつきも持たないように見えるバラバラの諸事情があるということから始まります。これらの事情が無媒介の現実ですが、それが自己内で没落し、この没落から新しい現実が生まれ出てきます。

 つまり、ここでは、内容上は1つのものが形式上は2つになって現われるのです。つまり、まず第1には事柄としての内容〔これが肝心な事なのですが〕であり、第2にはバラバラの諸事情としての内容です。後者は〔はじめは〕肯定的・自立的なものに見え、又肯定的・自立的なものとして自己を主張します。しかし、この内容は自己の中は空っぽなので、自己の否定態に転倒され、事柄としての内容に成ります。つまり無媒介の諸事情は条件としては没落しますが、事柄としての内容という形で保存されます。すると、この時、それらの事情と条件から全く別のものが現われ出てきたと言われ、この過程を成している必然性は盲目だと言われるのです。

 これに対して合目的的〔目的意識的〕な活動について考えてみますと、ここでは目的という形で前以って知られた内容が与えられており、従ってこの活動は盲目ではなく目明きです。〔ですから〕世界は〔神の〕思し召しによって統制されていると言う時、そこで言われている事は、目的というのは一般に前以って絶対的に規定されたものとして働いているものであり、従って現われ出て来る事は全て前以って知られ欲せられたものに合致するということです。(小論理学第147節への付録)

 11、外的必然性──現実の3契機が互いに自立した存在となっていること、これが外的必然性の過程である。(小論理学第148節)

 12、必然性、つまり自己を区別しながらも内容的には同一であること。(小論理学第177節)

 13、有限な認識が証明という形で示す必然性は先ずは外的必然性であり、主観的洞察を規定する必然性でしかない。しかし、この認識は必然性を示す中で、自分の前提たる出発点は見いだされた物、所与のもの[偶然的なもの]であることから踏み出す。必然性とは本来自己内で自己関係する概念だからである。主観的理念はかくして絶対的に規定されたもの、所与でないもの、主観に内在的なものに到達する。これが意志の理念である。(小論理学第232節)
 感想・これが認識の理念から意志の理念への「内在的な移行」です。大分無理があると思いますが、「内在的な移行」という方法こそが真の哲学であることを提示した事自体は偉大だと思います。

 14、必然性とは、その最も本来的な意味では、互いに自立している現存在の単に内面的であるが故に又単に外面的でしかない関係のことである。(精神哲学第381節への付録)

 15、理性的な必然性(精神哲学第401節への付録)

 16、(絶対的必然性)自己の本質を知る精神、本来的に絶対的に自由な精神、自分を解放する活動を自分の現実としている精神、そういう精神の原理の中以外には、国家権力と宗教と哲学的真理とが一致する絶対的可能性、即ち絶対的必然性は存在しない。(精神哲学第552節への付録)

 17、窮乏(Not)──必然性(Notwendigkeit)の実践的表現(マルエン全集第2巻38頁)
 感想・英語のwantの2義は「欠乏」と「要求」でした。

 18、観察と経験だけでは必然性を十分に証明することはけっして出来ない。それはポスト・ホック(その後に)は示すが、プロプテル・ホック(それ故に)は示さない(ヘーゲル「小論理学」)。……
 必然性の証明は人間の活動、実験、労働にあるのである。ポスト・ホックを作り出す事が出来るならば、そのポスト・ホックはプロプテル・ホックと同じになるのである。(マルエン全集第20巻497頁)
 注・経験は確かに多くの、言わば数えられないくらい多くの同じような知覚を示しはする。しかし、普遍性というのは大量というのとは全く別物である。同じく、経験は確かに変化が前後して起きる事や色々な対象が並んで存在する事を承認しはするが、それらの間の必然的なつながりはこれによって証明されはしない。(小論理学第39節)

 感想・労働では多数の条件が作用しているから、本当の証明にはならない。問題になっている事柄だけを抽出して実験する実験こそが本当の証明である、というのが板倉聖宣さんの主張でしょう。

 19、外的必然性の過程は条件と事柄と働きという3つのモメントの外的媒介の過程であった。ところが、この過程の成果として出てきたもの即ち生産物は、すでに外的必然性の過程を止揚したものとしての意義を持っている。なぜなら、たとえ過程においては自立的に存在する3つのモメントの外的媒介であったとしても、しかし生産物が意味するものは、事柄自身がその働きを介して自己へ反省した、という意義をあらわすものだからである。ということは、外的必然性の場合でも即自的には「内的必然性」──すなわち自己を自己と連結する円環性──が背後にあるということを意味するのである。(許萬元『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』大月書店)

 20、ここで私は便宜上「必然性」の二種類の概念を区別しておかなければならない。つまり、ある事物が他のものへと止揚されるべき有限性として否定的連関において示されるところの歴史的必然性に対して、ある体系内において全体的なもの(無限性)との肯定的連関のうちに位置づけられる体系的必然性というものが区別されなければならない、と思う。ヘーゲルの「現実性」も、歴史的過程のうちでは歴史的必然性において考えられたが、しかし究極的な意味では、体系的必然性において理解されているのである。体系的必然性とは、ある体系における有機体論的合目的的連関のことにほかならない。(許萬元『ヘーゲル弁証法の本質』青木書店、第2編第3章)




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