マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

お知らせ

ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

にきび

2018年09月22日 | ナ行
       

 紹介・槇佐知子さんは、古典医学研究家で、平安時代初期に編纂された『大同類聚方(だいどうるいじゅほう)』全百巻を現代語に訳し、又『医心方(いしんぼう)』という平安中期の医学全書全三十巻を現代語に訳した方です。

 その方の話から「冷え性」と「にきび」を治す方法についての箇所を引用しておきます。
 (槇佐知子、『ラジオ深夜便』2012年12月号より)

 にきびの治療法もあるんですよ。「三年酢の中へ鶏の子(卵)を三日漬けて、顔に塗れ」 って、ただ一行書いてあるんです。

 私も試してみようと、三年酢として売られている黒酢に卵を殻ごと入れたんです。3日漬けてもあまり変わらないので、1週間漬けておいたら、殻が溶けて、お酢を吸ってアヒルの卵ぐらいに大きくなりました。

 いきなり顔へ塗るのは怖いから、手に塗ってみました。ぱりぱりに乾いてからぬるま湯で洗い落とすと、跡が白い手袋をはめたみたいになっていました。試しに唇の下にできたにきびに塗ってみたら、これが一晩で取れちゃったんです。

 にきびで困って病院をいくつも回ったけど治らないというお嬢さんがこれを一週間試したら、顔一面のにきびが治ってしまったんですよ。

 ただ、お酢は刺激が強いし、また卵アレルギーの方は特に注意が必要ですね。

 関連項目──冷え性

注・今、ブログ「教育の広場」を無くすために、残したい記事をこちらに移しています。
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内容を生み出す形式の1例

2018年09月07日 | ナ行
    

 3年前(2004年)、私は引佐町の或る自治会の自治会長でした。引佐町には41の自治会があり、41人の自治会長がいました。年に4回の自治会長会議がありました。最初の2回(4月と7月)に出席してみて、「これは町長が自治会を押さえつけておくためのものだ」と感じました。自治会長同士が互いの問題を出し合って話し合うものだと思っていたのですが、違いました。

 そこで、第3回(12月)は変えようと思い、周囲の数人の自治会長と計らって改善提案を出しました。受け入れられました。

 その提案は2点ありました。第1に、机を学校の授業のように並べるのではなく、ロの字型に並べること、第2に、会議全体を2部に分けて、第1部は役場との協議とし、第2部は役場の人たちは退席してもらって、自治会長だけの会議とすること、です。

 その日の第2部は素晴らしかったです。皆が次から次へと発言しました。みんな、言いたい事が沢山あったのだな、と思いました。終わって会場から出てくる面々の顔は上気していました。提案した仲間とは「よかったねえ」と言い合いました。少したってから、会長(自治会長会の会長)に電話をした時、「引佐町に今まで、あんな活発な会議があったのか」と聞いたら、「あんなの、初めてだよ」との返事でした。

 内容的には何も決まらなかったのですが、机をロの字型に並べるのはその後も受け継がれました。自治会長会議を可能な限り週日の夜に開くべきだという提案は、その後部分的に実行されるようになりました。

 この経験は何を証明するかと言いますと、会議(これは個人の思考に対して「集団的思考」と言えます)のあり方(形式)は内容にとって大きな意味を持つということです。これを「内容を生み出す形式」と言うことも出来ると思います。

 さて、集団的思考は司会者で大きく3種に分けられると思います。司会者がいない議論、司会者が司会に専念する議論、司会者が発言もする議論、です。本ブログ(秋山ブログ)は大学のゼミと同じく第3の議論に入ると思います。

 このタイプでは司会者は時に発言者でもありますから、両方の役割をどう自覚的に使い分けるかが問題になります。私の経験では、大学教員を含めて、これの正しくできている人は少ないです。

 まず、ブログのあり方(形式)を決めるのは最終的に司会者(発行人)の義務と権利であることを確認する必要があると思います。

 この権限をどう使うかは、批判的な意見を抑圧する多くの校長とか社会主義国を一方の極端とし、どんな発言でも機械的に許す2チャンネルを他方の極端として、その中間に無数のあり方があります(外国はいざ知らず、日本の学校でも司会者は発言者を指名する機械に成り下がっていますが、これも後者です)。

 秋山さんの司会の方針は「なるべく介入しないように」といった言葉から伺えるように後者に近いと思います。しかし、これでは立ち行かなくなって、少し介入しようかと考えているところだと思います。理論的な根拠はともかくとして、「なるべく介入しない」といった考えではなく、「このブログの目的にはどういう司会が正しいか」という風に考えることを提案します。

 私自身、教師として、特に哲学の授業のやり方がなかなか分かりませんでした。こういう価値観的な要素を含む教科で議論中心の授業をどうやったらいいのか、分からなかったのです。

 今では、まず「授業の目的」を「自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること」と明記して、最初の授業で「この授業の目的を間違えるなよ。議論もするし、他者の意見を批判するのも自由だけれど、あくまでも最終目的は自分の考えを発展させることだということを忘れるなよ」と念を押します。

 第2は、授業のあり方(形式)について異論が出たとか、私が疑念を持った時にはそれをそれとして提案し、皆の意見を聞きます。日本人は口では言ってくれませんが、書いてもらえばたいてい正直に言ってくれます。それを教科通信に載せて、私の判断を伝えます。皆の意見を聞き、賛否両論を発表した上での結論なら、受け入れてくれます。というか、「授業のあり方については講師に最終的決定権がある」と最初に「授業要綱」に書いておきます。

 つまり、「正しい司会(形式)」を追求するようになると、困ったり間違えたりすることがあるのですが、それは自分の成長のための糧なのだと思います。誠意をもってやって、しかも情報を公開してやっていけば、たいていの人は理解してくれます。おかしな人は何パーセントかはいるものですから、それは気にしても仕方ないでしょう。

 具体例(例ですよ)を出しますと、小杉さんが、「このブログでは匿名は止めたらどうか」と発言していたと思います。これに対して秋山さんは「自分は実名派だ」と答えていました。しかし、これは「1発言者」としての振る舞いです。この時、「司会者」として振る舞い、「小杉さんの提案を皆さん、どう思いますか」と、いったん皆の意見を聞いてから、今までどおり自由にするとか、実名にするとか、規律を確認するというやり方もあったと思います。

 さて、miburoさんの牧野批判は、➀議論と無関係な事を書くことは間違い、②ほかに書くべき場所があるのだからそこに書くべし、の2点だと思います。

 ①は、一般的には言えないと思います。ブログのような単線的な場で一時にせよ特定のテーマ以外の事を出してはいけないとすると、多様な議論がしにくくなると思います。

 ②は一見もっともですが、これもブログの性格からして現実的ではないと思います。ブログでは誰でも、原則として、最新記事とそれのコメント欄しか見ないと思います。

 過去の記事のコメント欄への新たな書き込みがあった場合には発行人(司会者)がそれを知らせるようにすることも考えられますが、現実的ではないと思います。

 「コメント掲載の事前承認制」を取っていない秋山ブログでは、発行人にすら過去のコメント欄に黙って書き込まれた発言を知るのは難しいでしょう〔これは私の誤解でした〕。すると「オーナーへのメール」で一々知らせなければならなくなります。やはり現実的ではないでしょう。

 ついでに言及しますと、これは市役所のホームページでも同じで、この方はかなりの大問題です。「新着記事を知らせるメールを登録者に送る」ようにするか、「トップページの新着記事の欄にその日に新しく掲載された記事を箇条書きにして知らせる」ようにするかしてくれないと困ります。メルマガに1週間分の新着記事を知らせるコーナーを作るのも1つの手かもしれません。ともかく、自分でその箇所を見に行かなければ分からない現状は改善してほしいと思います。

 いずれ、市役所に言うつもりです。その前に、「市役所のホームページのあり方」というテーマで議論してもいいと思います。

 元に戻って、その後の秋山ブログの様子を見ていますと、私への「違和感」を2人の方が表明しました。

 これらの結果、「コメントを書くと何か言われるのではないか」と躊躇している方や、「あまり長いコメントはよそう」と考えるようになった方がいるように「感じ」ます。

 それやこれやで、何となく、このブログには元気がなくなってきて、「今日はどんなコメントがあるかな」と思って秋山ブログを開く楽しみが減少したように思います。これは大問題です。

 ですから、次の2大原則を確認するべきだと思います。
 第1に、原則としてコメントは最新記事のコメント欄に書く。
 第2に、自分の意見を表明するのに必要十分な長さの文を書いてよい。

 ただ、1つだけ改善案を出します。それは「コメントに番号を振る」という事です。

 「コメントを書き込む本人が自分で番号を入れる」のを原則として、「発行人がチェックして落ちている番号や間違っている番号は直す」ことにするといいと思います。

 このようにコメントの多いブログではどのコメントの事を言っているのか、参照してほしいのか、特定するのを容易にしておく必要があると思います。

 記事は年月日で特定できます。ですから、例えば「2007年09月25日C-15」とすれば、2007年09月25日の記事の15番目のコメントのことだと分かるわけです。

 たしか『論語』だったと思いますが、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という言葉がありました。

 日本は「小人の国」のようで、協調性などという言葉を創り出して、和と同をわざわざ一緒くたにして、事実上「同」を押しつけています。その結果、日本は世界に冠たる「イジメ大国」になっています。

 こういう日本人とイジメ学校に満ち溢れている浜松で、これを少しでも変えようとしてがんばっている秋山ブログぐらいは「君子のブログ」であってほしいと思います。

 秋山さんのリーダーシップを期待します。

 付記

 1、これは2007年12月に秋山ブログへ寄せたコメントです。秋山さんというのは、そのブログの主宰者です。牧野のブログ『教育の広場』に載せておいたものを、今回ここに転載しました。
 2、「内容を生み出す形式」というのはヘーゲルの哲学観です。哲学は形式を問題にする学問だが、その形式とは内容に無関係な外面的な形式ではなく、「内容を生み出す形式」だというものです。では、それは例えばどういうものか、私の答えがこれです。
 あまり答えになっていないと思う方もいるでしょう。ずっと考え続けている問題です。近刊予定の『小論理学』(ヘーゲル著牧野紀之訳、未知谷)でもまた考えています。
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ニュルンベルクは伝える

2018年05月30日 | ナ行

 ドイツ南部の都市ニュルンベルクは、城壁に囲まれた美しい街だ。しかし、20世紀に2度にわたって「負の歴史」の主役となった。最初はナチス党大会の開催場所として、2度目は戦後に連合国が行った戦争法廷の所在地としてである。

 戦争の記憶を継承するための歴史展示施設は世界各地にあり、多くを見てきたが、3月に訪れたニュルンベルクには心底驚かされた。今も残る当時の建物をできるだけ保存し、見学者が過去を追体験できる点では群を抜いている。

 ナチスは1933年に政権を掌握してから第2次大戦前の年まで一貫して、この地で党大会を開いた。1週間前後にわたった大会は、軍事パレードやマスゲーム、人々を熱狂させるヒトラーの弁舌、対空サーチライトで光の柱をつくる夜間の演出など、ナチスの力を内外に見せつける壮大な宣伝の場だった。

 野外集会場はまだ残っていた。サッカーのピッチが12面は取れる。ヒトラーの演説台もあった。そこに立ってみると、会場全体が見渡せる。当時の大群衆の姿が目の前に浮かん
でくるような気がした。

 近くには、ローマの円形闘技場を思わせる巨大な廃虚があった。大規模な集会を屋内で開くための議事堂で、5万人を収容する予定だったが、戦争のため工事中止となった。これも保存されていた。

 議事堂の一部は、ナチスの歴史を伝える資料センターとなっている。世界恐慌による社会不安をナチスがあおって政権を獲得、独裁制を打ち立てると侵略戦争やユダヤ人虐殺に乗り出した。そのプロセスが一目でわかるように展示されていた。

 連合国は戦後、この地で戦争犯罪の責任を追及する国際軍事法廷を開いた。ニュルンベルク裁判である。ヒトラーはベルリンの防空壕で自殺していたため、判事団は、ナチス体制のナンバー2だった空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングら12人に死刑判決を下した。

 当時の法廷は今も使われており、訪ねたときは見学できなかった。付属の記念施設には、戦争指導者を裁く歴史的な裁判がいかにして行われたかを説明する展示があった。7カ国語の音声ガイドが備わり、外国からの見学者にも応対する。

 ニュルンベルク到着後に観光案内所でもらった日本語版の地図を広げてみた。「義務を負う過去」という項目があり、「ニュルンベルクが立ち向かわなければならない、ドイツ歴史上もっとも暗い一章の負の遺産です」とある。ぎこちない日本語訳だが、メッセージは伝わる。

 ナショナリズムとポピュリズムが再び隆盛する時代に、歴史と向き合うことは、どの国にとっても容易なことではない。しかし、こういう事例があることは記憶しておきたい。
 (朝日、2018年05月17日。編集委員・三浦俊章)

感想

 これをブログに載せようと思っていた今朝、ラジオで変なニュースを聞きました。名古屋市は南京市と姉妹都市だそうですが、かつて河村市長が南京市を訪れて、例の記念館を見学した後、「住民を虐殺したというのは作り話なのだということが分かった」とかいった発言をしたそうです。そのために両市の友好関係は途絶えてきたのだが、今回名古屋市の市議団の努力で、先方の理解も得られ、友好関係が回復しそうである、とかいった話でした。

 庶民派の河村市長がこのようなバカげた発言をした(らしい)ことも驚きでしたが、最近の日中の友好関係回復の波で、ともかく良い方にむかっているらしいのは安堵しました。しかし、まあ、ドイツと比べての日本の戦争犯罪の反省の不徹底さをまた一つ知りました。
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ノルウェーの流儀──公正な統治あっての「幸せ」

2017年09月26日 | ナ行

   アーリン・リーメスタ(駐日ノルウエー大使)

ノルウェーは今年の国連の幸福度ランキングで1位になりました。経済的な豊かさだけが国民に幸福をもたらすわけではなく、むしろ統治の公正さや政治・経済・社会への平等な参加が、人々の意識にポジティブな影響をもたらせるのだと、私は確宿しています。

 たしかにノルウェーは安全保障で差し迫った脅威がなく、北海油田による豊富な財源に恵まれています。

 しかしランキングで資源国は必ずしも上位ではない。国連報告書もわが国を「豊富な天然資源にもかかわらず(幸福度が高い)」と評価しています。資源を適正管遷し、得られる収入をすぐに使わずに、将来世代の福祉に振り向ける。カギは石油収入を運用する政府系ファンドに政府や議会が高い透明性を求め、投資先や運営方針が公開されていることです。それによって人々は安心感を築くことができるのです。

 信頼があっての幸福です。そのためには政府や公的機関の意思決定プロセスが透明で、政策形成の流れが「見える」ことが欠かせません。国民が、払った税金がふさわしい用途に使われているとの確信を持てる「平等な参加」も実現しています。

 実は私が子供の頃は父が外で働き、母が子育てと家事を担っていました。1979年に男女平等法が施行。育児休業や保育支援制度のほか、男性の育児参加を促す施策も導入されました。いま、労働市場への参加率は男女ともに約7割とほぼ同じ。画期的だったのは、2004年の会社法改正によって、「いずれの性も4割を下回ってはならない」とするクオータ制が上場企業などの取締役会に導入されたことです。

 私の妻も本国で裁判官をしています。両親が好きな仕事に情熱を傾ける姿は私の子供にきっとポジティブな影響をもたらしているはず。そう信じています。

 このほかにノルウェー人が幸せな秘密をお教えしましょう。伝統的に、所有者の財産やプライバシーを侵さない限り、誰でも私有地を自由に通行でき、自然を享受できるのです。山登りやスキー、マリンスポーツで大自然の中にいると笑顔になるノルウェー人にとって、これほど幸福なことはありません。(朝日、2017年09月21日。構成・沢村亙)

牧野の感想

 「民主主義の実践と公正な社会にとって情報の公開がひょっとすると一番大切なことではないか。これは大きくは国について言える事ですが、小さくは身の回りの公的な組織はもちろん、私的な組織についても言えることではないのか」と、かねてから思ってきました私にとっては本当に「我が意を得た」意見でした。(もちろん民主主義にとって一番の大前提は「言論の自由」ですが、それが分からないような人のことはここでは問題ではありません。)

 東京で食べ物運動をしていた時、私が広報をしていましたが、しばらくした時、「『あそこは何でも発表してしまう』と言われて拙いのではないか」、という意見が中心的な委員からも出るに及んで、私は辞めました。一度変質した運動をせっかく改革したのですが、これで又、その後は普通の「運動」に戻ってしまったようです。

 もう一つ。私はかつて2011年の浜松市長選挙に「仮」立候補をしましたが、その時発表しました「公約」の冒頭に「確約事項」として次の事を掲げました。

確約事項

 2年以内に、浜松市政の「全体的真実」を調査研究し、それをホームページ上に「分かりやすく」発表し、そして2年後に辞職します。〔そして、本当の市長選挙をやり直すのが正しい順序だと思います。〕

 説明

 浜松市だけではありませんが、行政の実情は、特にその中核的な部分は発表されておらず、従ってマニフェストは作れません。なぜなら、例えば将棋では盤面全体を見て最も重要な所から手を付けて行くのに、行政では、その「盤面全体」に当たる「行政の全体的真実」が発表されていないからです(多分、全体像の分かっている職員もいないでしょう)。
 ですから、当選してみて本当の事が分かった途端に公約を放棄する首長も出てきますし、総理になって初めて「海兵隊の意義が分かった」などと言うお粗末な首相も現れるわけです。
 ですから、国民としては、「全体的真実」が分かっていないのに「マニフェスト」とやらを発表する候補者はハッタリ屋だ、と思わなければなりません。
 従って、市長の決意だけで出来る事を「確約事項」としたのです。(引用終わり)

 なお、私は供託金が集まらず、正式立候補はしませんでした。

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日本ハムの選手育成から学ぶ

2017年05月03日 | ナ行

 1、朝日新聞の記事

日本一になった日本ハムの主力選手は、高校から入団した選手が多い。西川、中島、中田、陽岱鋼、大谷、近藤たちだ。球団はフリーエージェント(FA)や外国人に頼らず、選手を自前で育てるのが基本方針。独自のプログラムが成功に導いた。

 高校からの入団は5年、大学・社会人は2年が育成期間となる。その間は、千葉県鎌ヶ谷市の2軍の練習施設に併設する「勇翔寮」への入寮が義務。そして、最初の休日には決まりがある。本を買いに行くのだ。

 朝食後の10分間が読書タイムになる。「一番大事なのは野球での成功。そのためにいろんな考えを身につけるのが大事です。てっとり早いのが読書。習慣づけのため、時間を設けています」と、本村幸雄・選手数育ディレクター。2011年、高校教師から転身した。球団は寮の教官に元教育者を選んだ。

 選手は毎日日誌をつけ、自分と向き合う。シーズン中は2度、長期目標設定用紙を記入。寮の部屋だけではなく、ロッカールームにも貼る。人に見られることで、目標達成への責任感を持たせる。そうやって、プロの自覚を促していった。

 年4回は外部講師の講義もある。今年は日本舞踊の花柳芳次郎さんや、元陸上選手の為末大さんを招いた。本村教育ディレクターは「その道のプロの話を聞くことで、意識が高まる」と狙いを説明する。感想文の提出も必須だ。

 日本ハムの支配下登録選手は今季65人。育成選手はおらず、陣容は12球団で最少だ。少数精鋭だと出場機会が増え、実戦で鍛えられる。練習では「1球目の大切さ」を重視。ノックの1球目を捕らないと、打撃練習の1球目を打たないと、グラウンドから出されることもある。

 l球目に厳しくなったのは、2001年から。当時2軍監督の白井一幸・内野守備走塁コーチ兼作戦担当は「l球目は1日1回しかない。それを打てるか、ストライクになるか、アウトにできるかで、試合に臨む気持ちが変わる」と説く。

寮内や球場ベンチには、「常に全力」「最後まで諦めるな」と書かれた貼り紙がある。球団が札幌に移転した2004年から、自然発生的にチームのスローガンになったという。

 「高校生から育てると、球団の一貫した方針や文化を継承できる」と太渕隆・スカウトディレクター。鎌ヶ谷で学び、鍛えられた選手たちがシーズンの最大11・5差、日本シリーズは第1戦からの2連敗を覆した。プロとして最後まで粘りを見せて戦った精神も、育成力の成果の一つだろう。(山下弘展。日付を記すのを忘れたようです。2016年の日本シリーズ最終戦の直後でしょう)

2、感想

 私は、今準備している『小論理学』を出したら、「ヘーゲル原書講読会」という哲学の私塾ないしインターネットを使ったゼミを始めようかと考えています。これまでの鶏鳴学園の経験を根本から反省して、又共同生活の失敗後に復帰した大学での新しいやり方の「初歩的成功」を踏まえて、「本当の哲学ゼミ」はどうあるべきかを追求したいと思っています。

 今では幸いな事に「生活のための私塾」をする必要がなくなりましたので、絶対に原則は曲げないゼミにしようと考えています。そのゼミにとってもこの日本ハムの選手育成のやり方は大いに参考になります。

 ここにある点で学ぶべきことを列挙しておきます。もちろん、現在考えている「暫定的な考え」です。

 ① 読書の意義⇒これは哲学ゼミですから、当たり前ですが、毎週何をどれだけ読んで、どういう問題意識を持ったかを報告させる。

 ② 毎日日誌をつけ、自分と向き合う。シーズン中は2度、長期目標設定用紙を記入。寮の部屋だけではなく、ロッカールームにも貼る。⇒各自、『修業ブログ』を作り、「勉強計画」を発表させる。そして、毎週、「実践報告」を発表させる。

 我が原書講読会で鍛えることは、ドイツ語原書の読み方、和文独訳、現実の哲学的問題を考える、論文の書き方、などです。

 ③ 「1球目の大切さ」⇒気付いた問題をメモして、必ずそれと取り組む。これはもちろんブログで報告する。

 ④ 「常に全力」「最後まで諦めるな」⇒直面した問題とがっぷり四つに組んで格闘する。絶対に逃げない事。
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直島 環境センター

2015年04月11日 | ナ行

 大小の島々が浮かぶ瀬戸内海の自然豊かな直島(香川県直島町)は、銅の製錬で栄えた100年近い歴史もある。

 直島北部の三菱マテリアルの敷地に入ると、鋼の製錬施設のなかに香川県の廃棄物中間処理施設「直島環境センター」が見えた。センターの窓からは、直島の東側にある豊島(てしま)で不法投棄された廃棄物を積んだ全長65㍍のフェリー型輸送船が、桟橋に係留しているのが確認できた。

 豊島では1980~90年代に大規模な廃棄物不法投棄事件があった。香川県は91万9000トン(昨年3月の推計)にのぼる廃棄物を撤去し原状回復する計画。豊島の廃棄物を処理するため、県が直島環境センターを建設した2003年、三菱マテリアルも自動車や家電などの廃棄物をリサイクルして有価金属を取り出す施設をつくった。

 直島のエコツアーで、環境センターと有価金属リサイクル施設を、ガイドの説明を受けながら見ることができる。

 環境センターの炉では廃棄物が1300度で溶かされていた。スラグと呼ばれるガラス状の砂やアルミ、飼、鉄、排ガス中の飛灰に分けられ、すべて再利用されるという。ガイドの中塚明子さんは「ゴミを捨てるのは簡単。でも、もとに戻すには、労力やお金、時間がかかることを伝えたい」と話す。

 続いて、同じ敷地の三菱マテリアル有価金属リサイクル施設へ。使い終わった自動車や廃家電の細かい部品、電子機器の基板類が各地から運ばれてくる。

 見学コースから、廃家電の部品などがクレーンで持ち上げられる様子や、高温で燃やして溶かす設備が見えた。捨ててしまえばゴミとなるものが、金や銀の有価金属を回収できる「資源」にもなる。

 岩見幸二副所長は「豊島で廃棄物の不法投棄が起きたころはなかった、使用済みのものを再利用する仕組みが今はある。処理して循環させる現場を知ってほしい」と話していた。   (朝日、2015年02月18日。神田明美)
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ニューディールの文化政策

2015年04月08日 | ナ行

        福原 義春(資生堂名誉会長)

 世界恐慌を克服するため、1930年代の米国ではニューディール政策がとられた。テネシー川流域のダム建設など公共建設投資が有名だが、もう一つ、日本ではあまり知られていないが「フェデラル・ワン」という大規模な芸術文化支援政策があった。そのことを詳しく書いた数少ない論文が、国立民族学博物館の出口正之教授による「ニューディール時代の文化政策の現代的意義」(「文化経済学」2003年9月号)だ。

 公共建築の壁面を飾る芸術作品や看板、サイン計画に多数の若いアーティストが起用され、のちのアメリカン・ポップアートの源となった。国有化された劇場に俳優や脚本家が雇用された。同じ頃、全体主義化する欧州から逃れてきた教養人がその運動に加わった。彼らには、ギリシャ・ローマ以来の古典を基礎とした欧州の教養があった。加えて、伝統的重厚長大産業への投資を事実上制限された新興投資家の資金が、映画など全く新しい大衆芸術産業に投じられ、上質で知的なエンターテインメントを完成させた。

 一例を挙げると、64年制作、のハリウッド映画「マイ・フェア・レディ」の原作は、バーナード・ショーの脚本によるブロードウェーミュージカル「ピグマリオン」であった。さらにその戯曲は、同名のギリシャ神話から想を得ていた。つまり、欧州から流入した古典的教養と米国資本が合体、ブロードウェーミュージカルやハリウッド映画などを飛躍的に向上させ、恐慌で疲弊した米国に新しい芸術文化産業への雇用と莫大な経済効果をもたらした。

 「スミス都へ行く」「市民ケーン」「カサブランカ」「ケイン号の叛乱」「12人の怒れる男」などの名画が生んだのは経済効果だけではない。草の根的な民主主義に支えられた市民生活の豊かさや正義や満足の姿を見せつけ、米国の国力を世界に伝えるソフトパワーであり、反共産主義や反ファシズムのPRでもあった。そして、世界中にばらまかれた米国型民主主義への憧れが第2次大戦後の世界に影響し、ついには冷戦終結につながった、というのが私の分析だ。

 一方で、その後の中東情勢などを見ると、そもそも「草の根」の部分のない社会に対し、米国型民主主義や正義のかたちを無理に当てはめようとして、混乱が生じているケースがあるのではないか。

 いまや、政治や経済に人間社会が振り回される時代ではない。私たちは、目の前の情報から単一の価値軸で形成されたグローバリズムの嵐に巻き込まれないように気をつけなければならない。そして、歴史の中で築きあげてきた固有の文化をもう一度確認し、新しい価値体系とルールを磨き上げ、世界に大きい影響を与えることを考えるべきだ。

 フラット化し、氾濫する情報をいかに統合し、明日を見通せる大きい「知」に編集できるか。それは社会に生きる一人ひとりの人間力にかかっている。
 (朝日、2015年03月07日。福原義春の道しるべをさがして)

関連項目

 映画「マイ・フェア・レディ」考
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幻想を持つ権利 ナルシシズム

2014年08月16日 | ナ行
  鶏鳴学園の生徒に川口はじめ(筆名)という人がいる。方言のことが話題になった折に、「川口さんは少し発音が違う所があるね」と言った所、「いや、そんな事はない」との返事であった。「僕はNHKのニュースの発音を基準にして考えるんだけど、あまり違うことがないので、自分のでいいと思っている」と続けたら、「自分も違わない」と頑なに主張した。私は「あヽ、そうかね」と笑って応じながら、「開き直ったな」と直感した。

 今、私はこの直感を更に反省して考えた事を書きたいのだが、その前にもうひとつの問題を述べておかなければならない。つまり、方言は悪いことか、恥しいことかという問題である。私としては、方言を悪いとも低いとも思っていないし、方言をからかうなどは最低だと思っているが、方言を異にする人々が話すには共通語が必要だということも認めている。そして、その共通語教育が日本の小中学校の国語教育の中で正しくなされていないことには大いに不満である。だから、川口さんの発音が共通語と違うと言っても、別に悪いとか低いという意味ではなく、まして川口さんに全責任があると言うのでもないのだが、川口さんは自分に方言を認めること自体を快く思わなかったらしいのである。

 さて、先に触れた「開き直り」の件である。なぜ私がそう直感したかというと、その時の彼の言い方の頑なさも一因ではある。しかし、それと共に、丁度その頃迄続いていた鶏鳴学園の「現実と格闘する時間」で、私は川口さんには問題意識がないと批判し、更に、彼が問題意識として述べた発言に対しては、「それは問題意識ではなく、『私には何でも分っています』と言うのと同じである」と批評していたという背景があるのである。川口さんとしては私の批評の正しさを認めずにはいられなかったので、今度は「自分は正しい。だから自分には問題はなく、従って問題意識を持つ理由も必要もない」と開き直ったのだと思う。

 私は、川口さんという人は社会人として標準以上のマナーを身につけた人だと見ているので、この頑なな態度はこうとしか説明できなかった。すると、今度は、私が鶏鳴学園のゼミの中に「現実と格闘する時間」を設けて、無理にも発言させ、問題意識を出さない人をそれとして指摘し、問題意識でない発言を批判したことが正しかったかという事が問題になってくる。これはやはり一種のオルグであり、間違いだったと思う。

 人間は誰でも、余程の例外的な人を除き、又、余程ひどい目己嫌悪にでも陥って『人間失格』のような気分になっている時を除き、あるいはそういう時ですら心の奥底では、自分を過大評価しているのではあるまいか。分りやすく数字で表現するなら、十の力を持っている人間が自分を十一と思い十二と考えているのである。これが普通だと思う。「人間は誰でも、みな、ナルシストである」という言葉をどこかで読んだ記憶があるが、その言葉の意味を私はこう捉え直している。

さて、そうだとして、その時、「お前の本当の姿は十なのだ」と言ってやる必要がどこにあるだろうか。問題意識を持っていると思い込んで幸せに生きている人が、それで何も悪い影響を与えていないのに、「お前には問題意識がないのだ」と、鏡を目の前に突き付ける権利が誰にあるだろうか。

 私が他人を批評する時、私を支持して下さる人々にさえ「きつすぎる」という印象を与えているようだ。父を批評した文については「よくあそこまで書けるな」という感想も伺った。確かに私にも言い分はある。まず第一に、私の言葉が「きつく」見えるのは、それが客観的で全面的であり、しかもそれを立体的に構成して、その人の実像を浮かび上がらせているからだと思う。私がこういう態度を取るのは、「汝の敵を愛せ」とは、その人が正確な自己認識を持って正道に帰るのを助けることだと考えているからである。それに思考力と文章力が加わって効果を大きくしているだけのことである。

 第二に、私が批判する人は、十の自分を二十と思い三十と考えている人であって、十一や十二と思っている人ではない。そして、それが社会的にマイナスの働きをしている限りで、止むを得ず批判するのである。

 そして、私が特に注目し考えていることは、この「自分の極端な過大評価」が、革命運動家とか社会運動家とか、慈善家などに多いということである。統計がある訳ではないが、私は自分の経験から、社会運動をやっている人はとかく他人の間違いを批判するのに急で、自分に対する批判を嫌い、感情的に反発する人が多い、という印象を持っている。つくづく人間の罪は深いと思う。人を裁くことが、社会改革運動をすること自体が、その運動の担い手自身を思い上らせ、堕落させる働きをも持つのである。この最悪の実例がスターリンであった。

 このように私にも言い分はあるし、それはそれで正当だと思ってはいるのだが、時々「悪い事をしているのではないか」と考えることがあるのも事実である。そして、必要もないのに「幻想を持つ権利」を犯したことがあるのも事実である。(1985,09,28)(拙著『囲炉裏端』67頁以下)

 ・今回ほんの少し加筆しました。(2014年08月16日)
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muessenと「ねばならぬ」との対応

2014年05月26日 | ナ行
 関口存男は「müssenの本義はあらゆる種類の必然性を表すことです。自然的必然性(自然法則)、論理的必然性(思考の必然性)、事情(人情、運命)から来る必然性などです。それに反して、sollenの本義は『何者かの意志・要求を、その何者かを名づけることなく間接的に表現する』(大講座下巻 208項)ことです」、と言っています。

 更に、「叙述体の文にあっては、このような必然性は、日本語では『~せねばならなかった』とも『~せざるをえなかった』とも言う必要のないような場合にまでも用います」(教程 239項)、と言い、更に「一体、ドイツ人は müssen を乱用します。ちょっとでも『当然の成り行き』という事態があると、好んでmüssenを使います。母親が子供を連れて表へ出る。子供の事だから何でも見たがる。母親は思わず溜め息をついて、Ach, es ist zu neugierig! Es muss alles sehen!(まあこの子はなんて物好きなんでしょう。何でも見ないと承知ができないのね)と言います(以下略)」(大講座第3巻 250項)と言っています。

 この事は「文法」の962頁以下にも引用しました。しかし、先日来朝日新聞が漱石の『こころ』を100年前とほぼ同じ形で連載し始めたのを読んでいて、「逆の事もあるのかな」、という問題意識を持ちました。日本語でも「~せねばならない」という句を「必然性」よりも「事実の確認」として使うことがある(あるいは、あった)のでは無いだろうか、と思い始めたのです。

 と言いますのは、『こころ』の中に次の句が出てきてからです。そして、それの独訳と英訳は、共に、müssen, mustを使わないで訳しているからです(仏訳は注文してあるのですが、まだ来ていません)。

 01、そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差向いで話しをしなければならない時機が来た。(こころ15)
 独・Eines Tages saß ich, von diesen Zweifeln unberuhigt, wieder einmal seiner Frau gegenüber.
 英・Meanwhile, it so happened that I had another occasion to have a conversation with Sensei's wife.

 02、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。(こころ15)
 独・der Sensei und einige weitere Bekannte gaben ihm ein Essen
 英・Sensei and two or three others were taking him out to dinner that evening

 しかし、たった一人の人の用語法だけで一般論を展開するのは無理だなと思っていました。まして、漱石は英語に堪能な人ですから、英語の影響を受けてそういう言い方をするようになったのかもしれませんから。「他の人の用例も必要だな」と思っていましたら、5月24日、たまたま手にした本に次の句がありました。

 03、封建社会にあっては、革命はしばしば復古という形式を取る。明治維新は、同時に王政復古でなければならなかった。韓愈(かんゆ)の場合も例外ではない。新文体であるからこそ、それに「古文」と名づけ、古代文体への復帰と叫ばねばならなかったのである。韓愈の古文が、もしも、古代文体の単なる復活であったなら、おそらく他の人たちに、あれほどアッピールすることはなかったであろう。

 韓愈は、駢文(べんぶん)を否定したというより、アウフヘーベンしたのであった。かれは、その文章の構造を、漢以前の古代のそれにもとめつつ、発想や語彙には、新文を通して積まれて来た洗煉された技巧を取り入れて、新しく市民と中小地主が中心となった社会の新しい散文としたのであった。(清水茂著『唐宋八家文』上、朝日新聞社1966年)

 この2つの「ねばならなかった」も「(過去の)事実を確認」しているだけではないのだろうか、と考えました。それぞれ「王政復古であった」「古代文体への復帰と叫んだのであった」と言ってよいと思います。ここの文では第3の文がそれ以前からどうつながるのか、分かりませんが、今はそれは問題にしません。「ねばならない」だけを取り上げます。

 これで2人の用例になりましたが、確定的な事はまだ言えません。問題意識を持って用例を探している段階です。文法研究はこのようにして進めるのです。皆さんも、適当な用例に気づいたら、教えて下さい。英・独・仏への翻訳があれば尚結構です。
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「コメを守る」は誰のため?

2014年05月05日 | ナ行
     朝日新聞編集委員・原真人(はら・まこと)

 安倍政権の成長戦略の評判が芳しくない。無理もない。威勢のいい目標はあっても、実現への道筋が語られていないのだ。

 その最たるものが「所得倍増」を掲げた農業政策だ。達成にはコメの高関税や減反政策をやめて、競争力を高めることが欠かせない。そこが、すっぼり抜け落ちている。

 農業はいま、売り上げが減り(農産物産出額が15年間で3兆円少ない8兆円)、高齢化(農家の平均年齢66歳)や、不良債権の増加(耕作放棄地は埼玉県の面積なみ)が進む衰退産業といってよい。

 その原因が「コメ」であるのは疑いない。産出額が減っているのは主にコメであり、高齢化が著しいのは稲作農家、耕作放棄地の多くは水田。そして、その原因は、コメ生産力を政策的に弱めてきた「減反政策」にある。

 欧米は、食糧の安全保障の面から、穀物の生産力を高め、あまったら輸出に回してきた。日本だけが特異な縮小均衡路線をとったうえに、そのために巨大なコストまでかける愚を続けてきた。

 まず、消費者である私たちは本来安く買えるコメを高値で買わされてきた。安い輸入米が高関税で閉ざされ、減反カルテルで国内産米が高値につり上げられてきたからだ。

 そして納税者としての私たちは、40年間で減反政策に8兆円の税金をつぎこんだ。

 キヤノングローバル戦略研所の山下一仁研究主幹の試算によると、国民はいまも税負担と高いコメを買わされることで年1兆円を負担する。

 「これは経済政策でなくて社会政策。ではどうしてシャッター通りの商店は助けず、農家だけを助けるのか説明できない」と山下氏はいう。

 農協は国内産米を保護する理由として、国土保全や水源養成など水田のいろいろな役割を訴えてきた。だが、減反政策で水田面積の4部が水田として使われていない。減反が水田の役割を弱める矛盾が、目の前で起きている。

 成長戦略に唐突に盛りこまれた「コメの生産費4割削減」は、減反をやめてこそ可能になる目標だ。

 減反廃止でコメ価格が下がり、関連の補助金がなくなれば、零細な農家がコメづくりから撤退し、高効率の主業農家に農地が集まり、生産費も減る。減反政策ではタブーだった面積あたりのコメの収穫高をふやす品種改良にも、きっとはずみがつくはずだ。

 人口の膨らむ世界は食糧争奪の時代だ。日本は環太平洋経済連携協定(TPP)入りと減反廃止で、拡大させる農政に切りかえる好機にある。

 だがTPP交渉で、はなからコメの聖域化を前提とする安倍政権にその発想はない。

 コメを守るとはいったい誰、そして何を守ることなのか。そこから考えたい。

 (朝日新聞、2013年06月16日)
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日本語の海外への普及の前提

2013年11月11日 | ナ行
 2013年8月20日、 読売新聞が「日本語を海外に普及させよう」という主旨の社説を発表しました。まず、それを引きます。

──日本語を海外に普及させ、国際社会での日本の存在感を高めたい。

 外務省の有識者懇談会が、こんな報告書をまとめた。政府は、日本語普及策として予算化を検討する。報告書が求めるのは、海外の若者が容易に日本語を学べるよう環境整備を図ることだ。

 漫画、アニメ、ファッションなど「クール・ジャパン」が世界の若者の心をとらえている。こうした状況を積極的に生かそうという狙いは、的を射ている。具体策として、インターネット上に初学者向けの講座を開設することなどを挙げている。情報技術(IT)の活用は欠かせない。日本語海外普及の中核的組織である国際交流基金が現地での教師養成を目的として行っている専門家長期派遣事業を、拡充することなども提案している。

 こうした政策によって、日本語を学ぶ外国人が増えれば、日本への理解は深まり、知日派、親日派の層も厚くなろう。海外進出が増加している日本企業が、現地で日本語を話せるスタッフを確保する面でも役立つに違いない。

 外務省が、日本語普及策を検討する背景には、海外での日本語熱が冷めてきたことがある。日本語を学ぶ外国人は、この30年余りで約30倍に増え398万人に達したものの、近年、学習者の伸び率は鈍化している。インドネシアなど東南アジア諸国ではなお増加傾向にあるが、韓国、英国、カナダなどでは減少している。

 海外の日本語学習者の半数は、中学・高校で英語に次ぐ第2外国語として日本語を選択している生徒たちだ。最近、中国語にシフトするケースが急増している。経済成長の著しい中国の魅力が高まっているのは、確かだろう。だが、それだけではない。中国は、孔子学院など、政府系機関を世界各地に配置し、中国語教育や教材提供、教員育成に力を入れている。特に初等教育では、海外の学校関係者を本国に積極的かつ大規模に招いている。米国でも中国語に押されて、一部の大学や小中高校で日本語講座閉鎖の動きがある。

 報告書は、海外での日本語教育機関が教師を十分確保できていないことが「日本語普及推進の大きな足かせ」だと強調した。日本への留学や日本企業への就職など、日本語学習のメリットを提供できていないとも指摘している。

 政府は今回の提言を踏まえ、日本語普及への戦略を抜本的に立て直してもらいたい。(引用終わり)

 考えた事を書きます。

 この社説の主要点は次の3点でしょう。①日本語を海外に普及させ、国際社会での日本の存在感を高めたい。②海外での日本語熱が冷めてきた。中国語に乗り換える傾向がある。③国としての支援策を。

 ①の認識にはもちろん賛成です。②はこれを考えるための事実確認です。そして、③が結論です。しかるに、③の結論は安易に過ぎると思います。②の「関連事実の調査、検討」が不十分だと思います。これはここに述べられている限りはその通りでしょう。しかし、この問題はもう少し、詳しく検討する必要があると思います。

 このままだと、外国、特に中国のやり方を学んで「金を出して支援せよ」という結論しか出てきません。実際、そういう主張をしているのだと思います。

 私は、他国より優れたやり方で日本語の普及をするべきだと思います。そのためには、外国人への日本語の普及ではなく、日本人を含めたすべての日本語学習者における問題を考えるべきだと思います。私見によれば、それは、「包括的で体系的にまとめられた日本語文法書がないこと」と「本当の日本語辞典がないこと」、です。

 第1点は、換言するならば、お粗末な橋本文法が生き残っているということです。現代日本語文法は中学校の国語の時間に教えられる事になっているようですが、それは、内容的には、「橋本文法」と呼ばれるものです。これは非常に評判の悪いもので、学界では別の文法がいくつも提案されているようです。しかし、学習指導要領では採用されていません。なぜでしょうか。代案と言うには、日本語文法の全体を覆っていないからだと思います。

 確かに、時枝文法や三上文法には支持者も沢山いるようですが、時枝にも三上にも「包括的で体系的にまとめられた日本語文法書」と言えるものはありません。それに対して、橋本文法は「とにもかくにも」全体(と思っているもの)をカバーし、「体系的」と言えるにはほど遠いものですが、「ともかく」まとめています。

 外国人に日本語を教えている教師たちの間では三上文法の人気が高いそうです。しかし、三上文法を「包括的体系」に纏めようとする試みはまだないようです。私はかつて三上文法の後継者である金谷武洋にメールを送り、「出来たら文通したい」と申し出て、OKをもらいましたが、この件について「金谷さんこそが適任だ」ということを述べたら、返事が来なくなりました。

 初めから「完全無欠な文法書を」などと不可能な事を求めているわけではありません。学問というのは、常に、「その時点で分かっていること全部をまとめつつ」進まなければならないのです。こういう根本が理解されておらず、追求されていない事が問題なのです。一番好い例を出します。メンデレーエフの周期律表です。あれは「欠陥」だらけでした。しかし、「当時分かっていた元素を、皆、集めて一覧表にまとめた」からこそ、法則があるらしいと分かり、欠けている箇所の元素の「推測」が出来、その結果、新元素の発見が促進されたのです。学問というのはこういう物です。これ以外は、「単なる知識」でしかありません。

 「本当の日本語文法」と主張されるものはいくつ出てきても好いと思います。歴史の審判が「どれが本物か」を決めるでしょう。国や文部科学省は出しゃばるべきではありません。読売新聞社が旗を振ったらどうでしょうか。

 「本当の日本語辞典」についても同じです。これはアイウエオ順に並べればよいのですから、「体系化の仕方」についての問題はありません。しかし、個々の語についてどういう事をどういう風に記述すればよいのかは大問題です。しかし、この点は既に別の機会に私見を発表しましたから、それを読んでください。リンクを貼っておきます。

 最後に、大新聞社の論説委員がこういう観点を持っていないことが嘆かわしいです。中国のやり方をまねたりする以外の考えを持っていないとは、日本語の現状をまともに観察していない証拠だと思います。本当の問題はここにあるのかもしれません。

     関連サイト

真日本語辞典を
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難民認定

2013年05月24日 | ナ行
          根本 かおる(ジャーナリスト)

 3月に法務省が発表した昨年の難民認定に関する統計は衝撃だった。認定を受けたのは18人と10年ぶりの低水準であるばかりか、1次手続きでの認定率は0・2%と1982年に難民認定制度ができて以来最低だった。これでは難民を救う制度ではなく、申請者を退けるための制度だ。

 故国での迫害を逃れ、日本で保護を求め難民申請する人々を取材してきた。他の先進国では同じ理由で家族・親戚が認定されているのに、日本では認められず、長く苦しい闘いを強いられている。

 認定の8割がミャンマー出身者に偏り、彼らについても本国の民主化の動きで認定が出にくくなった。申請者の国籍では最多のトルコ出身者(ほとんどがクルド人)はこれまでに一人も認定されていない。日本とトルコのテロ対策での協力関係などが背景にあると見られるが、認定判断とは別次元であるべきだ。国際法の難民条約が掲げる「難民」の解釈でここまでの開きがある日本の姿勢は、国際法違反ではと感じてしまう。

 申請中に受けられる支援はわずかで、働くことも医療保険を受けることもできない人が多い。滞在資格がない場合は入管収容施設に入れられ、いつ終わるとも分からない「中ぶらりん」を強いられている。「無我夢中で逃げ、行き先を選べなかった。こんなに閉鎖的だと知っていれば日本には来なかっただろう」という声も聞こえるほどだ。

 彼らの多くが故郷では地位も教育もあり、社会を担う存在だった。東日本大震災では、「故郷を失う」ことに感受性の高い彼らは、被災地でがれき処理などボランティア活動を行っている。こうした人々を適正に評価して認定するのは、理にかなっている。

 せめてもの救いは、民の動きが広がっていることだ。ホームレス化した申請者の当座の宿泊施設を見つけたのは難民支援NPOだ。申請結果を待つ間のメンタルケアを支えるのもNPO。ある大学病院はNPOと連携して保険のない申請者の歯科治療を無料で行い、子どもが学校で落ちこばれないよう大学生の難民支援組織が専門家の指導を受けて教育支援に参画している。

 参加者たちが同様に言うのは、困難を乗り越えてきた人々との触れ合いから学ぶことの大きさだ。才能や教養への驚きもある。難民受け入れはこれまで「人権推進」「国際貢献」の文脈で語られることが多かったが、「足元からのグローバル化」と「人材確保」を加えたい。認定行政をつかさどる官の人々にも、早く気付いてもらいたい。
 (朝日、2013年05月06日)
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内部留保に課税せよ

2013年05月23日 | ナ行
        醍醐 聡(東大名誉教授)

 日本企業が内部留保した利益は大きすぎると、多くの人が考え始めている。資本金1億円以上の企業の内部留保は、リーマン・ショック直後の2009年3月期決算では195兆円だったが、2012年9月期決算には217兆円に増加。麻生太郎財務相は3月初めの記者会見で「企業の内部留保の一部は従業員の給与や設備投資に充てるべきだ」と述べている。

 内部留保がこれほどまでに積みあがったのは、広い意味で労働分配を犠牲にした結果といえる。厚労省が発表した「平成23年版労働経済白書」によると、2009年第2四半期から2010年第4四半期にかけての景気回復局面で、従業員1人あたりの企業利益は2・4倍と急増したのに対し、現金給与総額は1・0倍と横ばいのままだった。

 政府側の要請に応える形で、業績が回復している企業を中心に、一時金の増額やベースアップ実施の動きは出ている。安倍政権は年5%以上人件費を増やせば増加分の10%を法人税から引く減税策も、2013年度から3年間実施する。だが、ため込まれた内部留保のいびつさに多くの人々の意識が向いている今だからこそ、私は「内部留保税」の創設を提案したい。

 資本金1億円以上の大企業が内部留保した利益に対して税金を課す、というのが提案の骨子だ。税率を1%としても、直近の水準なら年間2・2兆円の新たな税収を確保できる計算だ。

 法人税を課税された後の留保利益にさらに税を課すのは、二重課税だという意見がある。しかし、法人税は現在、企業の利益を社会全体に再分配するという本来の機能を果たしていない。その機能を補完する意味でも、また内部留保が積み上がった要因に照らしても、内部留保税には十分な正当性があると私は考える。

 1981年に42%だった法人税率は2000年以降30%まで下がった。減税された分の使途を企業にたずねた帝国データバンクの調査(2010年7月)によれば、社員への還元は16%にとどまり、最大の使途は26%の内部留保だった。

 さらに日本は、社会保障財源に占める事業主負担の割合が主要先進国と比べて低い。2010年の時点で、フランス42%、ドイツ35%、英国35%なのに、日本は25%だ。社会保険料などの企業負担が軽いうえ、給与抑制や低賃金の非正規労働者の雇用拡大などの人件費抑制策が加わった結果が、企業の巨額の内部留保といえるのだ。

 来年4月には逆進性の強い消費税の税率引き上げが予定される。増税ラッシュが迫るなか、大企業にも応分の社会的な責任を果たすよう、もっと求めるべきである。
 (朝日、2013年03月22日)
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内容目次と段落小見出し

2013年05月07日 | ナ行
 先日出しました『ヘーゲルの始原論』で、初版始原論についても再版始原論についても、その翻訳の中で各段落に「段落の小見出し」を付け、それらの段落を原文には無い「節」に整理して、始原論の流れを見渡せるような「内容目次」を作りました。

 ここで「内容目次」と言いますのは「原文には無い目次」の事でして、初めから著者の作った「目次」や自分で書いた文章の「目次」とは区別しています。

 こういうのは前からの私のやり方ですが、このほかに、著者自身が章節には分けてあるが、その章節に題名は付けていない場合に、こちらで「内容に相応しい題を付ける」こともしてきました。例えば許萬元さんの処女作『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』は、章には題名が付いていますが、節には付いていませんので、私は自分で付けて、理解しました。『ヘーゲル弁証法の本質』と『認識論としての弁証法』では、節にも題が付いています。

 鶏鳴版の拙訳『小論理学』の上巻では「問題」と「回答」に分けて、「この節に題を付けよ」と問題を出し、自分の案を「回答」として書くような形式を取りました。

 なぜこういう事をするかと言いますと、そうでないと私には文脈の流れが掴めないからです。「ほかの人たちは、こういう事をしないでよく文脈が考えられるな」というのが、率直な感想です。

 しかし、ほかの人はこういう事を全然していないかと言いますと、そんな事はありません。私の知っている狭い範囲でも、大内兵衛の訳した『空想より科学へ』(岩波文庫)は節の内容目次も段落毎の小見出しも付いています。こういう例がありますと、私の付けた「段落小見出し」と比較して考えられるというメリットがあります。

 実際に、最初の数段落についてその比較をしてみましょう。

 大内訳では次のようになっています。
 ① 社会主義は思想である。
 ② フランス革命は理性の革命であった。
 ③ その革命の限界。
 ④ ブルジョア革命はそのうちにプロレタリア革命をふくんでいた。
 ⑤ 彼らが空想的であったのは社会的地盤がなかったからだ。
 この小見出しを辿ることで文脈がどう流れているか、分かるでしょうか。は次のような小見出しを付けてみました。
 ① 思想としての社会主義はフランス啓蒙思想を受け継ぐ。
 ② フランス啓蒙思想家の夢想した「理性の国」。
 ③ 啓蒙思想家の「理性の国」の実像。
 ④ 啓蒙思想家の「理性の国」の限界を越える芽と空想的社会主義者。
 ⑤ 空想的社会主義者たちも考え方は「理性の国」的だった。
 このように捉えると「理性の国」がキーワードになって展開されていることが分かると思います。

 まあ、第3の意見もありえますから、正誤の判断は読者に任せるとしまして、ともかくこういう比較をすると、「本を読んで考える」という作業が深まると思います。ですから、哲学のゼミナールなどではこういう練習もさせるべきだと思います。先に「哲学演習の構成要素」というブログ記事を書きましたが、その時にはこれを忘れていましたので、ここに付け加えます。

 では、なぜゼミでこういう練習がなされていないのでしょうか。先生自身がしていないからでしょう。実際、哲学演習がどれほどその名の通りの「演習」になっているか、怪しいものです。

 さらに、その「段落小見出し」の付け方について考えてみますと、二種類あると思います。その段落の「テーマ」を出すやり方と、その段落の「趣旨」を出すやり方とです。上の例で言いますと、私の付けた見出しの②③④のようなのが「テーマ」です。大内さんの「小見出し」はほとんどが「内容の趣旨」になっています。私の見出しでも①と⑤はそうですが、やはり「趣旨」を書くと長くなる事が多いと思いますので、「原則」としては「テーマ」を書く方が好いと思います。

 先にも書きましたように『小論理学』上巻では「問い」と「答え」という形にしたのに、意見は全然寄せられていません。あまりに残念な事だと思います。誤植や訳し落としなどを指摘してくださる方はいるのですが、内容に付いての意見を発表してくださる方は今までの所、いないようです。

 しかし、やはり、「問い」と「答え」に分けて書くのは煩瑣にすぎるようなので、今後は普通の訳注のようにしようかとも考えています。いずれにせよ、細部は改良しつつ、今後も「内容目次」と「段落小見出し」を続けてゆきたいと思っています。

      関連項目

哲学演習の構成要素

『マルクスの空想的社会主義』



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「2度目には一般化して言う」という文法法則

2013年03月11日 | ナ行
 先日のブログ記事「寺沢恒信氏と哲学」で「2度目には一般化して言う」という法則について説明しました。しかし、日本語の用例を出せなかったので、イマイチ理解が難しかったかもしれません。

 ちょうど好い用例を見つけましたので、再論します。なお、当のブログは既に書き足してあります。

 01、継之助はファブルブランドから贈られた遠眼鏡(とおめがね)をもっており、それでのぞくと、マストにも船尾にも長岡藩の藩旗がひるがえっていた。藩旗は、戦国三河以来の「五段梯子」である。 / どうかすると、甲板にいるスネルの姿までめがねでとらえることができた。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻170頁)

 感想・まず「遠眼鏡」と言ったのを2度目にはただ「めがね」と言っています。こういうのは、多分、何語にもあるのでしょう。ドイツ語ではそれが相当頻繁に使われているだけなのでしょう。思うに、日本語とドイツ語を比較しますと、人称代名詞を使う頻度が大きく違います。こういう事も関係しているのではないでしょうか。

 02、しかもこの二階座敷の便利なことは小さな北窓がついていて、それをあければ沖合のスネルの蒸気船がみえるのである。(略)
 三日目に揚陸が完了し、継之助は日没後伝馬船を出し、スネルのにむかった。調印をするためであった。
 スネルの蒸気船の名は
 ──カガノカミゴウ
 というのである。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻170-1頁)

 感想・ここでは初め「蒸気船」と言ったものを2回目はただ「船」と言っています。これは「2度目には一般化して言う」という法則の通りです。問題は3回目に、離れてもいないのに、再び「蒸気船」と言ったことです。

 思うに、これはこの文が、啄木の俳句のように、3行に分けて書かれている事と関係しているのでしょう。つまり、この句を強調したかったのでしょう。もし特別強調する意図がないのなら、最初の時に「沖合のスネルの蒸気船『カガノカミゴウ』がみえる」と言っていたでしょう。

 ともかくこれは文法の問題ではなく、文学の問題です。私は文学を解さない人間ですし、司馬文学に造詣が深くありません。その道の愛好家のご意見を求めます。

 文法としては、①「2度目(以降)では一般化して言う」という「法則」を確認する事(これを明記した文法書はこれまでに出ていないのではなかろうか)、②ただし、「何らかの理由のある時はこの法則の守られない事もある」という事も知っておくことでしょう。

    関連項目

寺沢恒信氏と哲学


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