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自然法思想の歴史

2017年07月29日 | サ行

     自然法思想の歴史

 自然法の理念は周知のように、ストア以来古代中世を通じて働いてきた法律上実践哲学上の最も基本的な理念である。それは常に法の体系を基礎付ける最後の理論的な根拠であった〔つまり法秩序にとっての公理のような大前提であった〕。しかし自然法の理念は本来は都市国家(ポリス)で、更に正確に言うならば世界国家(コスモポリス)で初めて成立する理念であり、歴史的にはローマ法の基本原理として実は都市的個人主義的な社会意識を基礎としてその上に立つのである。西欧ゲルマンの諸国家もローマ法を受け継いだ後、次第に近世的な市民社会意識を産み育てた後、つまり文芸復興期におけるストアの自然法復興以来、ようやく自然法〔思想〕を実践哲学の正統的理念とするに至ったのであ〔って、初めからそうだったわけではないのであ〕る。

 もちろん自然法もその理念から来る要求〔「人間社会にとっての万古不易の原則」という主張〕に反して内実的には変化している。〔即ち〕近世の自然法説は機械論的な自然観の発達に歩調を合わせて、多く機械論的色調を帯びるものとなった。近世の自然法説は、その出発点として、未だ国家的秩序がなく単に自由で平等な個人の集まった自然状態を仮定する。国家は、そのような個人が相互にその自由意志を委譲し合って結ぶ原始契約に基いて成立する〔と考える〕のである。この国家契約説こそ国家というもの一般を権利上基礎付ける唯一の根拠である。〔カントの認識理論の用語を借りて言い換えるならば〕自然法説の問題は事実問題〔自然法と国家はどのような経過を辿って出てきたのかといった事実の問題〕ではなく権利問題〔なぜそういう自然法と国家が必要なのかという問題〕である。それは最初から既に独立した自由で平等な完成人を想定する点から見て哲学理論上は個人主義であり、国家を個人の手段とする点では倫理学説上も個人主義である。〔従って〕それは個人主義の立場から〔自然法を基礎とする〕国家を説明するために案出された近代的知性〔悟性〕の所産にほかならない。

 近世の自然法説は二つの違った道を辿って発展した。一つはイギリスのホッブスを代表とする経験主義の筋道であり、他はフランスのルソーを代表とする合理論のそれである。ホッブスにとっては自由は無拘束の恣意を意味し、自然状態は万人が万人に対して戦う状態であった。そのような自然状態から出発して平和を産み出す道は単に自由の「一部分」を委譲するような契約ではなく、自由の全部を譲り渡して「ただ一人の人」に委任するような契約でなければならない。剣を伴わない口約束は空文である〔いざとなったら最後は力で強制することを担保していないような法体制は無力である〕。真実の国家は独裁君主制以外では無理である。このようにして初めて国家は地上の神となる。性悪説を信奉するホッブスは国家契約説から当然出てくるはずの〔国民の自由こそ第一の原則だとする〕自由主義に反対して君主独裁制にたどり着いた。しかし彼の理説はその根底ではあくまでも経験主義に立脚するのであって、個人意志に〔理屈を抜きにした〕生得的で普遍的要素を認めない経験主義的信条から出発すると結局はこの結論になるのである。

 これに反して各人の自由意志に生得的で普遍的要素を認め、社会契約の意志をこの生得的で普遍的意志の一種だとしたのがルソーである。いわゆる「一般意志(ヴォロンテ・ジェネラル)」がこれである。一般意志は経験的な個人意志の総和〔集合意志〕ではない。私的のものの総和はどんなに沢山集まっても私的であって公的となることはできない。法の基礎となり原始契約の主体となるものは経験的な私的意志とは性質を異にする公的な生得的で普遍的な意志でなければならない。ルソーの一般意志は実は道徳理性〔道徳という形で現れた理性〕であり良心である。性善説の立場に立つ彼の信条はそのような意志の実在を疑わず、そういう意志のある所では遵法〔精神〕は自己自身の中にある一般意志への服従だから、個人の自律の問題だと主張した。〔このような歴史を考えると〕カントの実践理性の道徳思想はこのルソーの一般意志の自律性を批判哲学の立場から純化徹底したもの〔だという事が分かるの〕である。カント、フィヒテの実践哲学の基礎原理はかくして合理主義の自然法説の中にあったのである。

 ヘーゲルの『自然法の学問的取扱い方について』の批評は正しくこの点から出発する。彼は自然法の学問的取扱い方に経験主義と形式主義との二つを挙げ、前者の代表としては明白にホッブスを念頭に置き、後者の代表としてはカントとフィヒテとを指名する。経験主義の自然法説は〔上に述べたように〕万人が万人に対して敵である自然状態の想定から出発する。しかしそのような自然状態なるものは実は頭の中で捏造した虚構に過ぎない。公的な理性の生得的普遍性を認めない立場から国家の持つ有機的全体性に到達するような事は原理的に不可能である。そのような経験主義から帰結するものはせいぜい機械的な集合でしかない。しかしながら形式主義的なカント、フィヒテの先験的唯心論の立場といえどもこの欠陥を補って国家の有機的全体性に達することは依然として不可能である。たしかに彼等の立場において倫理国家等の基礎は理性の生得的な普遍性の中に求められた。彼等において理性の主観性と道徳の客観性とは同一の立場に達した。

 カント、フィヒテの生得的理性主義が経験主義に代わって人倫〔社会的習俗〕と国家の真理性に客観的な基礎を与え得たことは否定できないであろう。しかし彼等の先験主義的立場は所詮形式主義の域を出ることができなかった。理性と人倫〔社会組織と習俗〕との同一性はあくまでも形式的な同一性であり、人倫〔社会組織と習俗〕の内容を具体的に規定するものではなかった。そのために理性の普遍性と現実の個別性とは対立したままである。これでは現実の人倫的組織〔と習俗〕は多くの場合で経験的偶然的のものとならざるを得ない。いやそれ以上に、彼等の主張する同一性は実は客観的な現実の存在ではなくて、「~であるべきだ」という主観的な当為に過ぎなかった。しかるに、当為の形式的な同一性とは同語反復の別名である。たとえ理性の自己同一性は絶対的たることを要求するにせよ、その同一性が形式的消極的である以上、絶対の要求の帰結する所は、各人がそれぞれの考えで絶対とする義務同士の絶えざる相互否定以外ではありえない。そのような立場からは具体的な人倫の体系〔社会組織〕を作るのは無理である。即ち、生得的理性主義も結局経験主義と同様に自然法の学問的取扱い方において誤っている〔と、ヘーゲルは言うのである〕。

 既にフランクフルト時代の終わり頃〔一八〇〇年前後〕にカントの道徳説の原理的限界に気付いたヘーゲルは、自然法の問題においても又、カントとフィヒテの立場が実際には人倫〔社会的習俗〕の客観的組織を建設し得ないものであることを主張してこれを否定しようとする。その時、この立場に代わってヘーゲル自身の提出するものは絶対的人倫(absolute Sittlichkeit)である。この絶対的人倫の自然法説が「人倫の哲学(Philosophie der Sittlichkeit)」である。たしかにヘーゲルが新たに自己独自の立場として提唱するものも先行者と同じく自然法ではあった。しかしその「自然」なるものはヘーゲルにおいては他と感情と意義を全く異にするものであった。即ち、ヘーゲルの自然はシェリンクの浪漫〔主義〕的な自然観を媒介にしてギリシャ的自然観に結び付く。ヘーゲルの自然観はおよそ近代の自然観とは正反対のものである。国家はヘーゲルにとってもシェリンクと同様に有機的全体ではあった。しかしこの場合でもなお、既に注意した如く、シェリンクとヘーゲルの国家観には根本的な相違があった。シェリンクにとって有機的全体としての国家は「生ける自然」であった。それはたしかにヘーゲルにおけると同様に自然ではある。しかしヘーゲルにとっての「有機的全体としての国家」は「人倫的有機体」としての「精神」なのである。そして自然法の学問的取扱い方を論ずる論文は明確に精神が自然よりも高い事を標榜する。ここに両者の根底に在る実在のモデルと哲学的態度の様式との対立が現われているのである。国家はそれ故ヘーゲルにおいて同時に「民族」と考えられた。ヘーゲルの民族と称するものは単に自然的な共同団体を意味するのではなく、同時に法的組織を持つ国民と国家をも意味した。換言すれば人倫である。彼は民族、国民、国家の間に本質的な相違は考えなかった。人倫という意味ないし性格を持たない与えられたままの「自然発生的民族」の如きものはヘーゲルには考えられなかったのである。ヘーゲルの人倫の哲学の出発点は近世の自然法説とは違って、民族団体であった。いわゆる自然状態ではなくむしろ民族的人倫が彼の国家哲学の前提であり、出発点であった。個人主義ではなく、団体主義が原理であった。極論するならば、「悪法といえども法なきに優(まさ)り、悪しき団体といえども団体なきよりは自由である」というのが彼の団体意識を貫く信条だったと言ってよい。

 近代の自然法説から出発しては民族の主体としての実在性を説明できず、民族は原理的に偶然的存在となってしまう。必然的意義を持つものはただ個人と人類とのみということになる。この点を考慮して、ヘーゲルはむしろ逆に民族を人倫(習俗的社会組織)の唯一の実在的主体として、ここにその思索の基礎を求めた。近代の自然法説は国家を基礎付ける場合、実際には国家と意義ないし性格を異にする「社会」というものの立場に立つ。換言するならば、社会と国家とは自然法説では多く混同された。この時代のヘーゲルは未だ国家と社会との次元的相違の自覚に達してはいないが、その根底を流れる無自覚的意識は実際には「社会」意識でなく「国家」意識であった。つまり、経験主義と合理論との自然法説を共に非とするヘーゲルは、実際には自然法説を否定したのだと言わなければならない。しかるに彼の自然なるものは実は精神である。従ってこのことはそのまま近世の分別知〔悟性的知性〕の立場とその論理とを排して、それとは全く異なる「思弁的知恵の立場と論理」とを建てようとする彼の要求の必然的結果でもあった。即ち、自己固有の精神哲学の方法と論理とを模索するヘーゲルの意識の根底にはそのような団体主義の人倫哲学を求める気持ちが横たわっていたと言えるのである。

 しかしそのような方法と論理とを発見し体得する前の『自然法の学問的取扱い方について』の論文や『人倫の体系』の手記は、まだ多くの点でシェリンクの同一哲学に立ち、濃厚なシェリング的臭味を残していた。そして、周知のように、個人の前に国家を考える団体主義の古典的代表者はプラトンでありアリストテレスだから、不抜のギリシャ魂を持っていたヘーゲルが人倫の組織にプラトンの国家論やアリストテレスの政治学を引いて来たことは当然の事であった。彼はそれらの論文の中で自己独自の立場を求めて彷徨する。特に我々の注意を引く点は、彼が近世の強烈な個人意識をどのようにして取り入れようとしたかである。未だ市民社会の理念も十分に実現されず、いわんやその矛盾弊害の明らかになっていない当時、個人主義を排して団体主義に立つのは復古的な反動とならざるをえなかった。しかるに、単なる復古的反動は歴史の無視である。優れた歴史家的天分を持って生まれたヘーゲルはこの近代市民社会の個人主義、人格主義をどのように処理しようとしたか。論文と手記とはこの個人意識をも是認しようと努めはする。彼は絶対的人倫に一方では無限性即ち絶対的概念の契機と、他方では純粋なる個別性の契機とを考え、「個人は人倫の全体系の脈拍であり、全体系そのものである」と主張する。これは既に後年の普遍・特殊・個別の思弁的論理関係を予示するものとも言えよう。しかし未だこの点での思索は不明であり、浅薄であった。要するに当時の彼には未だ個人主義と市民社会との関係は分からなかった。彼は当時むしろ「絶対的人倫」を以て文字通り絶対最高のものとし、人倫を体系の最後に位置するものとした。そのために、民族の人倫的精神を以て宗教的精神の核心とし、人倫の立場で悲劇を説明したし、芸術と宗教とは国家と共に「人倫の哲学」の内容を成すと考えたのである。これが当時は、論理学、自然哲学に続く精神哲学の内容であって、哲学体系は大体そのような組織を持つとされたのである。

 芸術と宗教と国家とを分かちがたく結びついたものと見る思想は『精神現象学』にも既に見られたものであり、かなり以前からの考えである。国家の絶対性の信念は『法の哲学』でも支配するものである。換言すれば、後年に至って「客観的精神」と「絶対的精神」として区別されるものをイエナ時代のヘーゲルは一つのものと考えていた。しかし、ここにこそかえってこの時代の精神哲学を特色付ける「絶対的人倫」の思想的立場があるのである。(『高山岩男著作集』第2巻玉川大学出版部438-442頁。高山〔こうやま〕岩男の文に牧野が少し手を入れて分かりやすくしました。)

      関連項目

自然法


都市同盟、内向きな国に挑む

2017年07月16日 | タ行

        森 千香子

一国単位では解決できないグローパル化に伴う課題に、国より小さな都市が連携して解決しようという新たな試みが始まっている。今月9~11日、バルセロナで開催された国際会議「恐怖なき都市」はその一例だ。プレグジツト(英国の欧州連合離脱)からトランプ現象、欧州の排外主義に共通するのは国家が「恐怖」を前にして内向きになる傾向だ。極右の台頭や背景にある格差拡大を乗り越えるために、民主主義を生んだ都市から「希望」を生み出そう。それが会の趣旨だった。

 「国政が遠のき、主権を行使できると感じられない人々が増えている。都市を起点に主権を取り戻そう」。チリ・バルパライソ市のシャープ市長(32)は呼びかけた。「グローバル化の状況下でも手の届く範囲で変化を起こすことは可能だ。重要なのは、水平レベルで継続・連動させながら、ボトムアップ型でより広範囲の変化につなげることだ」

 このような「国際的な都市同盟」のあり方が、会議で議論された。新たな国際組織を設立するのではなく、排外主義、難民受け入れ、環境、住宅問題、地域経済などテーマごとに協力する形をとる。一つの自治体では国の圧力に屈しても、国内外と連携すれば力関係を有利にできるという発想だ。

 世界の150を超える都市から参加者が集まったが、米国からの参加も目立った。背景にはトランプ米大統領就任後、国の決定に都市が異議を唱え、ボトムアップでナシヨナルな枠組みを揺さぶる動きが同国で増加していることがある。パリ協定離脱後の展開はその典型だ。

 今月1日、トランプ氏が温暖化対策の国際ルールである同協定は「雇用喪失や賃金低下など米国の労働者に負担を強いている」と述べて離脱を宣言すると、同日、ブルームバーグ前ニューヨーク市長は「ボトムアップからのリーダーシップでパリ協定を履行する」と連邦政府と反対の立場を表明した。提出された声明には州知事や市長、企業、大学あわせて千以上が署名した。リベラルな大都市だけでなく、サンディエゴなど共和党の市長も名を連ねる。

 国に対する都市の「反乱」は移民政策にも見られる。非正規移民の強制送還を目指す連邦政府に対し、協力を制限することで非正規移民を事実上保護する都市・自治体は「聖域都市」と呼ばれ、全米で650を超えた(2017年1月時点)。トランプ氏は1月、「聖域都市」に対して補助金を停止する大統領令に署名した。それを受けてカリフォルニア州サンフランシスコ市とサンタクララ郡が提訴し、サンフランシスコ連邦地裁は4月、大統領令の執行停止を命じた。だが、その後も連邦政府と都市の攻防は続いている。

 米国だけではない。昨年9月、カーン・ロンドン市長とイダルゴ・パリ市長はデブラシオ・ニューヨーク市長とともにNYタイムズ紙上で中央政府の方針とは異なる「親移民」の見解を表明した。スペインでも2月、難民受け入れを中央政府に求めるデモが各地で行われ、バルセロナでは16万人が参加した。「恐怖なき都市」会議は世界各地の都市の「異議」が接続を模索する場だった。

 日本は、国際的な都市同盟の流れから取り残されている印象がある。だが浜松市のように「都市・自治体連合」に参加するなど積極的な都市もある。同市は12年に日韓欧多文化共生都市サミットを開くなど、都市の国際連携に注力してきた。

 「外国人受け入れ政策」は、日本で都市がボトムアップ型で国をリードする数少ない領域だ。01年の外国人集住都市会議を契機に、南米日系人を受け入れてきた自治体が連携して国に政策提言を行い、06年の総務省多文化共生推進プランにつながった。国の腰が重くても、都市が動かせることは他にもあるはずだ。国境を越えた都市連携が進む現在、そうした環境はかつてより整っている。
 (もり・ちかこ 1972年生まれ。一橋大准教授・社会学。著書に「排除と抵抗の郊外」)(朝日、72017年06月29日)

感想

 私の住む浜松市がこのような名誉を受けているとは知りませんでした。「多文化共生」という「言葉」は聞いたことがありますが、実際には何をして、どういう成果をあげているのでしょうか。ホームページを見ても直虎の事ばかりです。小天皇気取りの市長は月に1度、広報誌に「市長コラム」とかいう文章を発表するだけです。せめて「外国語の授業」(多分、これが正式な名称)でポルトガル語をとかエスペラント語を選択できるようにしたらどうでしょうか。あるいは又、土曜日に「日本語を母語としていない市民」に「日本語読み書き講座」を無料またはそれに近い授業料で開くという案はどうでしょうか。あるいはまた、「日本語を母語としていない人(特に子供)」に「母語と日本語の基礎学級」を無料で開くことも大切だと思います。