三浦問題についての村崎耕平氏(筆名)の牧野批判に対して私は3つの反批判をした。それは氏の論点に内在的に答えるというより、氏の間違いの根本がどこにあるかを考えた超越的な反批判である。なぜ内在的反批判をしないかというと、それは既に拙稿「真理の規律」(『ヘーゲルと共に』に所収)で尽きていると考えているからである。
しかし、氏は第一期鶏鳴学園の生徒の中でもとりわけ学園との関わりの深かった人である。そして、現在の両者の意見の食い違いには第一期鶏鳴学園の中途半端さが底にあり、私としては氏に対して率直に言わなくて悪かったという反省がある。多分、氏にも言い分があるだろうとも考えた。そこで、今後も文章による相互批判はやりたいなら互いに続けるとして、一度はテーブルを囲んで話し合ってみることも必要だろうということになった。(1986年)6月2日にその話し合い「村崎さんとの研鑽会」は持たれた。
そこで私が述べたことの1つに規律ということがある。まず私は「規律の本質は、その集団の正式の手続きで決められたことには、『反対でも従う』ということである」と押えた。そして、その事例として2つ挙げた。
その1。かつてT氏が学園のカセット聴講生だった時、秋から会費を1カ月ずつ遅れて払うようになった。いくら督促しても返事が無いのでおかしいなと思っていた。その頃、氏は村崎氏の家での読書会に参加していたのだが、村崎氏は「Tさんが『鶏鳴学園のゼミは8月は休みなのだから、8月も会費を取るのはおかしい』と言うのを聞いて、そういう考えもあるんだなと思った」と、私に語ってくれた。私は、この村崎氏の考え方には、思想の自由ないし言論の目由の観点はあっても、規律という観点が全然無いと思う。本当は、氏は、学園の仲間として、「そう考えるのはTさんの自由だが、会費不払いという実力行使をする前に、学園にその問題を出して話し合いを求めるべきではなかろうか。そして、学園の会費制度が変るまでは、今決まっていることに『反対でも従う』べきではなかろうか」と話すべきだったと思う。
その2。三浦問題について「自己批判の自発性」として話し合いが何週間も続いた時、そこの出席者はみな「三浦さんの態度はそれ自体として正しいか」だけを問題にして自分の考えを述べた。村崎氏の発言もその観点からなされていると思う。しかし、規律という観点からは、そのほかに、「三浦さんの態度は鶏鳴学園で生徒に要求されている態度と一致するか否か」という問題が考えられるべきだと思う。これらの2つの問題を区別し、関連させて考えるのが規律ということを弁(わきま)えた正しい態度だと思う。
その日には以上の事を問題として出した。今は私自身の考えている答を書いた。
次に、もうひとつの事例を付け加える。
私の参加した山岸会の特講の時、その終りの方で、係の一人であったW氏がこういう話を得意気に語ってくれた。「私の息子がある時『ヤマギシを出たい』と言った。そこで私は『出たいなら出てもいいが、その代りお前とはもう会えないよ』と言った。息子は一度出たが、その後しっかりした人間になって戻ってきた」。完全無欠で全知全能であるが故に人を裁く資格のあるWさんらしい話し方だなと、感心して聞いたのだが、ここには3つの問題があると思う。
①こういう問題を研鑽会にかけないで、独りで答えるのは、山岸会のやり方として正しいか。②又、内容的にも、「出ていった息子とは2度と会えない」という考えは、ヤマギシズムと一致するのか。③一般的に、思想をもって運動したり生きたりしている親に対して、自分の子供が親の思想運動には参加できないと言い出した時、親はどう対処すべきか。以上3つである。
③はこのように一般化してみると分かるように、大きな問題である。多くの親は子供に自分の思想や宗教を押しつける。子供は物心つくようになると、多かれ少なかれ反発する。その後、主体的にその思想を受け入れる人もいる。その思想から離れる人もいる。その離れた人の中では、又戻って来る人もいる。戻らないで親と違った道を歩む人もいる。親はどうしたらよいのだろうか。
しかし、この問題は別の機会に譲る。今は規律という観点を論じているのであった。山岸会の問題としてこれが出た以上、③はともかくとして、①と②を共に考えるのが規律ということを弁えた考え方だと思う。(1986,06,08)
付記
私はその後も「規律」について考えていますが、特に考えている事は「トップの裁量権」ということです。「規律なくして組織なし」と共に「組織はトップで8割決まる」という経験則も定式化しました。ここでは「トップの裁量権」をかなり広く認める考えに成っています。もちろんそれは「トップの活動報告の義務」と一体でなければならないと思っています。(2013,12,10)
関連項目
規律