マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

お粗末学長の見本

2013年12月29日 | タ行
 和食が世界無形文化遺産に登録されたとかで、それ関係の報道が好く目に付きます。12月15日、NHKTVで「出汁」とか「旨味」をテーマにしたものがありました。加賀美幸子が司会をし、ゲストは静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫と日本人より日本を好く知っているアメリカ人で東大教授ののロバート・キャンベルでした。

 過去のNHKの番組で昆布だしを扱ったものと鰹節を扱ったものを見ながら、和食のすばらしさを「出汁」と「旨味」を軸にして考えるものでした。

 最後の方で「和食の基本」みたいなことを話していたとき、誰かが「一汁三菜」と言ったのかな、とにかくそこに「漬け物」がなかったので、熊倉が「それに漬け物」と指摘しました。

 私はこの指摘を正しいと思う者ですが、同時に考えた事は、熊倉が学長を務める大学の学生食堂でその「定食」に漬け物が付いているのかな、ということでした。私は2年ほど前、それを食べたことがありますが、その時既に熊倉は学長でしたが、漬け物は付いていなかったと思います(静岡大学の学食の定食にも付いていないと思います)。

 そのTV番組では「昆布と鰹節の使用量が年と共に減っている」という事実がグラフで示されたのですが、その時も熊倉は「自分の大学の学食ではこういう努力をして、こういう成果を上げている」といった発言をしませんでした。これでは「傍観的評論家」ではあっても「学長」ではないと思います。

 半年ほど前、横浜市立市が尾中学の平川理恵校長(民間人校長、公募)がNHKのラジオ深夜便に出て「校長はプロデューサー」という題で4夜、話したのを覚えていますが、本当に「校長はプロデューサー」なのだと思います。しかるに、熊倉学長のその日の話からはプロデューサーとして何をしているか、学生の食生活についてだけでも全然聞けませんでした。そして、事実、静岡文芸大の学食はとても褒められたものではありません。

 もう少し視野を広げて考えますと、大学の学長というのは地域の文化のリーダーのはずですが、熊倉学長は浜松市民の食生活について何か、指導的な活動をしているのでしょうか。この点の活動報告もありませんでした。

 柳宗悦は「民芸」という言葉を作り出しましたが、それに習って新語を造るならば、熊倉学長や川勝静岡県知事(同大の前学長でもありました)の行くような高級料理店で出るような和食ではなく、平均的市民が家庭や学食や一般食堂で食べるような食事を「民食」と命名しましょう。そうすると、浜松の民食は今喧伝されている「素晴しい和食」を規準にして及第点に達するものでしょうか。

 川勝知事は学長時代、学食で昼食を取ったそうですが、その食事は本当に「和食」として及第点に達するものと判断したのでしょうか。知事は口を開けば「静岡県は食材が豊富だ」と何とかの一つ覚えのように繰り返していますが、食事の質は食材だけで決まるものではないのです。もっとも大切なのは料理人の誠意と腕前です。

 私のあまり豊富ではない経験から言いますと、浜松市内の食事処で「美味しい」と思うのはインドカレーの店とかそば屋とかいった「ご飯と味噌汁とお茶」の出てこない所がほとんどです。逆に言うならば、「ご飯と味噌汁とお茶」の美味しい所を知りません。ご飯はたいてい電気炊飯器で炊いたと思われます。味噌汁は「出汁をちゃんと取ったのかな」と疑問に思います。お茶に至っては「色の付いたお湯」です。これが「茶所」静岡県の実態です。

 私見では、この現状に対しては、商工会が「おもてなし向上委員会」とでもいう組織を作って1つ1つの食事処で試食し、「ご飯と味噌汁とお茶」の評価をして、先方に結果を伝え、悪い点を直す指導をするべきだと思います。

 熊倉のような人はそういう動きを働きかけるべきだと思います。川勝知事も同じです。それなのに、そういう働きかけがないので、いつまで経っても、やれB級グルメだ、餃子だ、焼きそばだと騒いで自己満足しているのだと思います。世界無形文化遺産が聞いてあきれます。

 ついでに、大学のホームページについて言うならば、熊倉学長は「学長ブログ」さえ出していません。静岡大学の学長は、内容はともかく、「学長ブログ」を出しています。川勝知事も知事ブログを出していません。滋賀県知事は日刊の「かだ便り」を出しています。いい加減にしてくれませんか。
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「文法」のサポート、書き換え、第1章、文

2013年12月28日 | サ行
 102頁の「(なお、この「中間部」という命名は私の発案で、とにかく名前を付けておかないと議論がしにくいのでこうしました)」を削除する。

 103頁の最後に次の文を加える。

 Dudenの文法では文の部分の名前は次のようになっています。

定形正置文──Vorfeld―定形―Mittelfeld―Verbalkomplex(動詞句成分)―Nachfeld
定形倒置文──定形―Mittelfeld―Verbalkomplex(動詞句成分)―Nachfeld
従属文──従属接続詞―Mittelfeld―Verbalkomplex(動詞句成分)―定形―Nachfeld

 感想・この命名は「文の部分」(形式)の名前とその「内容の名前」とを一緒にしています。これは拙いと思います。

 Vorfeld, Mittelfeld, Nachfeldは、独和大辞典はそれぞれ、前域、中域、後域と訳しています。関口及び私の用語では、それぞれ、文頭、中間部、文外部にほぼ当たります。

 Dudenには我々の「第2位」及び「文前部」に当たる名前がありません。文前部はVorfeldの中に含まれるようですが、これは拙いでしょう。

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猪瀬知事の辞職

2013年12月27日 | ア行
 東京都の猪瀬知事が辞職しました。史上最多の得票で知事に成った方が、史上最短の在任期間で辞職するという何とも皮肉な結果と成りました。

 目にした記事の中では次の読売新聞のものが好く纏まっていると思いますので、先ずそれを引きます。

──作家から副知事、そして都政のトップへと上り詰めた猪瀬知事。
 ジャーナリスト的な手法を用いて道路公団の民営化問題などに取り組み、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで注目を集めたが、石原慎太郎・前知事から副知事に起用されてからは独断専行も目立ち、行政手腕を不安視する声が都庁内部にもあった。
 副知事に起用されたのは2007年6月。都幹部らに向けたメッセージでは「国にもの申す」姿勢を前面に出し、「不必要な事業」をカットすると打ち上げた。

 石原知事が4期目の途中で辞職すると、後継者として知事選出馬を正式に表明。衆院選と同日選となった都知事選で、史上最多となる約434万票を獲得して初当選を圧勝で決めた。
 しかし、就任会見では「434万票の4割以上は石原都政の刷新をやってほしいと思っている」と自己分析し、独自色を強調するように。新しい施策を記者会見でいきなり発表するなどの動きも目立ち、都議会への事前説明もしないなどとして、都議会からは「議会を軽視している」などの懸念が広がった。
 都幹部によると、知事就任後は、政策を説明する職員に、声を荒らげる場面が副知事時代よりも増えたという。「最多得票で知事になり、人が変わってしまったのでは」などと違和感を口にする幹部も少なくなかった。

 19日の辞職表明を聞いた都庁内部は、「これで都政は平常化する」とホッとした雰囲気に包まれた。ある都幹部は「副知事時代から議会を軽視する人だったので、遅かれ早かれこうなっていた」。(2013年12月19日 読売新聞)

 本人の記者会見では「政治のアマチュアだった」といった言葉が出たそうですが、私はこの言葉が一番正鵠を射ていると思います。改革を目指して首長に成ったものの途中で挫折した方々の失敗の理由も同じではないかと思います。志し半ばで長野県知事選挙で敗北を喫した田中康夫の失敗の真因はいまだに私には分かりませんが、議会対策で配慮が足りなかったことははっきりしていると思います。鹿児島県阿久根市の竹原信一市長も余りにも強引な議会対策と職員対策で志を遂げずに敗北しました。

 視野を広げますと、民主党の挫折もその「アマチュア性」に求める事が出来ると思います。自称社会主義の失敗も根は同じでしょう。要するに、行政というのは、それを専門とする多数の職員に担われているのです。その職員の力を無視して事を運ぼうと考えるのはバカげています。地方政治は二元代表制なのです。議員の力を無視しては上手くいきません。

 私は引佐町という小さな町に来て一番好かった事は、行政との距離が近くなったことだと思っています。しかも、自治会長まで務めました。自治会長になると、入ってくる情報量が全然違うのです。役場と接触する機会も格段に増えました。それを通じて、「なるほど、役場はこういう風に動いているのだ」という事が分かりました。

 3年近く前、浜松市長選挙に「仮」立候補をして、正式立候補すら出来ずに終わりましたが、市長になったとしたら、改革をやってみせる自信がありました。それはこういう経験を積んでいたからです。以前の私だったら、無理だったでしょうが、市役所のかなり高い地位にある職員が、「絶対に秘密にしてくれ」という条件で、「牧野さんは行政というものを好く勉強している」とメールをくれました。

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歯医者と眼医者

2013年12月24日 | ハ行
 近藤誠の『医者に殺されないための47の心得』(幻冬舎新書)が売れているそうです。2013年のベストセラーになったとか。村上春樹の小説より売れたのですから、すごい物です。
 私も読みました。かつて私の健康観を覆してくれた渡辺正(しょう)著『医薬に頼らない健康法』(農文協)と根本的には同じだと思いました。数字を挙げて「現代医学」の主張の間違いを指摘しています。朝日紙には批判も載っていましたが、細かい点ではともかく、基本的な点では近藤説は正しいと思います。

 こういう異端的な説が出てくるのは真理のためによい事だと思います。しかし、近藤氏の取り上げているのはガンとか糖尿病とか心臓病とかです。歯の病気とか目の病気の事は載っていませんでした。現在、特に緑内障と宣告された(失明の心配はないそうです)私には、「では歯医者や眼医者の世界でこのような異端的な説を出す人はいないのか」「普通にある歯医者や眼医者と違った治療をしている医者はいないのか」と考えるのは自然な事でした。

 アマゾンで「歯医者」で検索してみました。ありました。飯塚哲夫さんです。いくつか見た上で氏の『歯科受診の常識』(愛育社)という新書を購入しました。読者のレビューには「正しい主張のようだが、ではどうしたら好いのか、解決策が示されてないので、絶望するだけだ」といったようなのが載っていましたが、まあ読んでみました。

 面白かったです。歯医者には歯の病気を治さずに口の中の土木工事をしているだけのデンティストと歯の治療をする歯科医師とがいるとのこと、説得力がありました。

 最後の方に近代口腔科学研究会という組織を作っているような事が書いてありましたので、それで検索してみました。ありました。HPでの説明は本の説明と同じでしたが、「会員情報」のようなのがありましたので、そこをクリックすると、会員の名前と住所などが載っていました。我が家から行けそうな所に会員がいないかと探すと、浜松市にも2人、会員がいました。その1人は隣町でした。

 先週、18日に予約の上、受診してみました。O医師です。かなりのお歳のようでした。白髪、短躯、やせ形だったためか、何か仙人のような感じを受けました。会話もはずみました。明日25日、再度受診します。

 同じようにして「異端的な眼科治療」を探しましたが、見つかりませんでした。『眼科119番』(日刊工業新聞社)を一応購入して、読んで見ましたが、本流の考えのようです。どなたか、眼科治療について異端的な考えを出し、実践している人とその著書を知りませんか。知っていたら、教えてください。お願いします。

        関連項目

健康法

歯医者のこと

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排除の論理

2013年12月19日 | ハ行
 昨年(1995年)の4月、1年の保留期間の後に、愛知県に私立黄柳野(つげの)高校が誕生した。その1年間の様子がNHKテレビで放映された。それによると、その高校は「落ちこぼれを出さない教育」とやらをえローガンにしているそうである。その址和果はどうだったか。ほとんどの生徒が寮に入っているのだが、授業に出ないような人もいるらしいし、いじめで金を取られた生徒はショックで家に帰ってしまい、未だに戻ってきていない、とのことだった。つまり、「落ちこぼれを出さない教育」は実行されていないのである。

 なぜこうなったか。現在の高校教育に対する批判を「落ちこぼれを出さない教育」という形にまとめたことが原理的に間違っていたからである。「規律なくして組織なし」ということは、当為命題ではなくして、事実命題なのである。人が二人以上集まって何かをすれば、たとえ夫婦でもそこに何らかの規律が事実としてある。問題は規律があるかないかではなくして、どういう規律があるかだけである。その規律の性質によってその組織の性質が決まる。

 黄柳野高校はその規律として、教育それ自体の内容を採用しないで、規律そのものを認めない規律を定めた。これは実行不可能である。もちろん現実には何らかの規律があるのであり、「人から金を取っても退学させてはならない」という規律があるのである。その結果、悪人から攻撃された善人が事実上、学校にいられなくなった。つまり、無規律という規律はありえないのであり、無規律は悪人を助ける規律なのである。

 これと同じことが政治などの世界でもよく聞かれる。最近も新党結成とやら賑やかだが、その議論を聞いていると、「排除の論理は取らない」ということを言う人がいる。思うに、これは、日本共産党が協力者を自分の都合で取捨していることに対する批判から出ているらしい。又、党の内部では、その除名処分とやらによって多くの人を切っており、そういった規律が怖くて自分の頭では考えられない党員が多いということに対する批判もあるようである。

 私も、日本共産党の他党に対する態度やその内部規律には問題があると思う。しかし、だからといって、それを「排除の論理」という形でまとめて、自分たちはその「排除の論理」を取らないと宣言することは、原理的に間違っていると思う。その好例が、規律らしい規律がないために自壊の道をたどっている社会民主党である。いや、そういう事を言う人たちは日本共産党を「排除」している。つまり、「排除の論理」を取らないということは実際にはありえないのである。

 これと同じ事は「来る者は拒まず、去る者は追わず」という原則にも当てはまる。いろいろな集まりに出ると、この原則を口にする人によく出会う。そして、そういう人は大抵、それによって自分の公明正大さや「寛容の精神」とやらを証明したつもりになっているようである。しかし、そういう人は、その時、実際には、この原則の論理的不完全性を見抜けない自分の頭の悪さを証明していることに気づいていない。この原則では、来る者は、みな、その集団の目的を純粋に追求する者だけだと錯覚している。しかし、世の中には、その集団を他の目的のために利用しようとして、或る集団に「来る」人もいるのである。つまり、この原則には「邪魔をしに来る者」についての規定が欠けているのであり、従って、これは原則としては不完全なのである。従って、また、この原則を主張する人は、「邪魔になる人は排除すべし」という考えの人を、「寛容の精神に欠ける」と非難するが、それは完全な間違いなのである。

 何か組織を作るなり、人と協力するなりして一緒に一定の目的を目指す以上、その目的達成の邪魔になる人は排除せざるえない。もちろん個々の場合には慎重に事を運ばなければならないだろうが、それは又別の問題である。そういう事を言う前に、「規律なくして組織なし」という同語反復的真理をしっかりと認め、その真理の必然的な帰結を実行することである。(1996年07月30日。雑誌『鶏鳴』第137号から転載)



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教師の仕事の範囲

2013年12月17日 | カ行
 朝日新聞の「こころ」の欄に月に一回くらい「読者が考える」という特集がある。今年(1996年)6月のテーマは「聴場の不正」ということだった。その中に次の投書があった。

 ──最近、私は公立高校の教師を務めましたが、教員の生活に慣れると判断が一方的になり、善悪感もマヒするんだ、と思いました。

 ある日、他県から引っ越して来た生徒の編入試験の合否判定会義に出ました。事前の学年会で不合格が決まっていたから追認の会議でしたが、教師の利益に合わないというのが不合格の理由でした。家庭に問題があり、本人も指導歴があるから教育しにくい。こういう生徒を受け入れるのは、教員の労働条件の面からも問題、というのです。

 私はパートですから、組織を怖がる理由がなく、一般社会の常識を述べました。①手続き通り受験し、学力に支障なく定員も空きがある。②教員の労働条件は受験生と無関係。③悪い生徒を直すのが教師の仕事……。

 どうせ教職経験のない人の言うことと思っていましたが、決をとると、若い女教師の手があがり、賛成が半数を少し超え、合格が決まりました。入学後は遅刻指導などあったらしいが、成績は上の方。あわや私は少女の一生を狂わせ、老いて悔いを残すところでした。(6月11日)── 投書者は「茨城県・無職・66歳」とあった。

 投書者は自分の主張する「一般社会の常識」とやらが通って1人の少女を救ったと思い込んで、得意になっているようだが、私はここには大きく見て3つの問題があると思う。第1に、悪い生徒を直すのは教師の仕事なのか、第2に、学校教育は誰が行うのか、第3に、生徒の良否を誰が判断するのか、である。これをひとつずつ考えていこうと思う。

 未成年者の教育を考える時の大前提は2つある。1つは、それは、大きく言って、家庭教育、地域社会による教育、学校教育の三者がそれぞれの役割を分担いつつ、一体となってなされるのが理想だ、ということである。もう1つは、学校教育は校長を中心とする教師集団によって行われるのであって、個々の教師がバラバラに行うものではない、ということである。

 第1前提から見てみると、日本では家庭教育は個々の家庭でバラツキがあり、地域での教育は不当に小さくなっている。そして、その事の反省なしに、学校教育に過大な任務が押しつけられ、「態度の悪い生徒を直すのが教師の仕事」という「一般常識」が出来上がっている。しつけも学校でやってくれなどという親もいれば、部活が教師の大きな仕事になっていて当たり前と思われている。態度の悪い生徒を、特に高校などで、退学処分にすると、「教育の放棄だ」という非難がなされる。

 私は、学校教師の仕事は、家庭教育によって学ぶ姿勢の出来た生徒に勉強を教えるだけだと考えている。従って、学ぶ姿勢の出来ていないと分かった場合には、家庭に送り返すべきだと思う。もっとも、家庭が悪かったからこうなったのだと考えるならば、家庭に送り返しても好い結果は得られないと考えられる。それなら、家庭の代わりをする施設である教護院(その後「児童自立支援施設」とかに改名された)に入れるべきである。もちろん、その際には、態度が改まった場合の復学の道を残しておかなければならない。ともかく、今の日本の学校教育の最大の問題点は、退学処分にするしか方法のない生徒を退学処分に出来ないということである。

 これだけでは、「一般常識」に囚われている読者に納得してもらえないと思われるので、もう1つ説明を加えておこうと思う。数年前、愛知県の某中学の生徒の大河内清輝(きよてる)君がしつようないじめを受けて自殺した。日本社会に大きな衝撃を与えたが、読者はその4人のいじめ犯人がどういうことになったか、覚えているだろうか。私の記憶では、3人は少年院に送られ、1人は教護院に送られた。教護院というのを御存知ない方は、少年院の前段階と思って下さればよい。一番有名な教護院は北海達の家庭学校で、これについてはルポもあれば、校長自身による著書もある。

 さて、大切な事は、その時、誰もこの処分を「教育の放棄だ」といって非難しなかったということである。つまり、「悪い生徒を直すのが教師の仕事」という「一般常識」をお持ちの方も、ある程度以上ひどい場合には、退学処分にしてしかるべき施設に入れるのも正当、と考えているということである。このように言うと、そんな事は当たり前だと言うかもしれない。しかし、理論というのは、一般的に言ったら、その一般的帰結も認めているものと考えられても仕方ないのである。それが嫌なら、初めから定式化の際に例外や妥当範囲を定めておかなければならない。それが理論というものである。

 従って、この場合の本当の問題は、悪い生徒を直すのが教師の仕事か否かではなくて、どの程度悪い生徒までは学校で引き受けるか、どの程度以上なら退学処分にしてよいか、という線引きの問題である。私は、現在の日本ではその点で教師の仕事が余りにもに過重に考えられている、と言いたいのである。

 幸い、最近ようやくこういう考えが公にも出てきたようである。山岸駿介氏(元朝日新聞記者で、現数育ジャーナリスト)が朝日紙のコラムに書いていた(1996,06,28)。それによると、教育審議会の発表した「まとめ」の中に「教育のスリム化」という言葉があるそうで、それは「何でも学校が引き受けるのはやめて、家庭や地域でやれることはそこに返すという発想」とされている。「家庭や地域でやれること」ではまだ不正確である。「家庭や地域でやるべきこと」と言わなければならない。しかし、それはともかく、「一般常識」に代わる真の良識がようやく出てきたことを喜びたい。

 教師も勤労者であり、本来の任務に属さない仕事によって不当に忙しくされる理由はない。もしこの投書の生徒が本当に悪い生徒なら、その生徒の態度の善導のために労働条件が悪くなることを断るのは、当然の権利である。即ち、この投書者は、このような大きな観点に欠け、間違った「一般常識」に囚われている、と言わなければならない。

 最近、いじめにあった生徒の親が、いじめた生徒の親を訴えて、損害賠償か慰謝料を求める裁判を起こしたそうだが、私は正当な考えだと思う。私はこの裁判の結果に注目している。

 第2に、多くの教育論や教師論にも、又この投書者にも欠けている決定的な点は、第2の前提である。つまり、学校教育ば校長を中心とする教師集団によって行われるという観点を知らないで、個々の教師しか見ていないということである。先に、態度の悪い生徒は退学処分にして教護院に送れと言ったが、教師集団が校長を中心にしてまとまっている場合には、かなり態度の悪い生徒でも「直す」ことが出来る、と私は思っている。私は、教師の側が為すべきこともしないで、すぐに退学処分をしてよいと言っているのではない。最近、教員養成方法の改革が又議論されているらしいが、それを見ていても、個々の教員の資質の向上ばかりで、校長と教師集団の問題が忘れられている。

 投書者は、当の問題が職員会議で論じられた時、校長がどういう態度を取ったか、その学校の「校長を中心とする教師集団」がどうだったかということを全然論じていない。そういう観点を持っていないからである。こういう「一般常識」では、教育問題の正しい解決は得られないだろう。

 さて、原理的な事はこれくらいにして、投書者の事例では、結果は好かったようである。それはなぜか。教師が、本来の任務外の「生活指導」を行ってその「悪い生徒を直し」たからだろうか。否。そうではない。つまり、投書者の考えが正しかったからではない。それは、当の生徒が実際には悪い生徒ではなかったからである。悪くない生徒を入れたのだから、問題の起こるはずがない。只それだけである。実際、その生徒は時々遵刻をした程度でしかないのである。これは何ら合否や退学処分に関係する程の問題ではない。

 では、問題はどこにあったのか。それは、前の学校の教師の判断を無批判に受け入れたことである。前の学校でかなりの問題があったであろうことは推測出来る。実際「指導歴」とやらがあるのだから。しかし、それは当人が本当に悪いことを必ずしも証明しないし、又、かつて悪かったとしても今でもまだ悪い事を証明しないし、ましてや、自分たちが前の学校の教師の判断を無批判に受け入れてよいことの理由には絶対にならない。

 真の教師たるもの、生徒が教師や学校と問題を起こした場合は、半分くらいは教師か学校の方が悪いものだということを知っておかなければならない。これが分かっていれば、前の学校の教師の判断を鵜呑みにすることはない。しかも、高校入試の時ならば中学校の内申書を判定材料の一部として採用しなければならないと規則で定められているかもしれないが、この場合はそういう法律上の義務もないのである。つまり、投書者の学校の教師の間違いは、自分で判断すべきことを自分で判断しようとしなかったということである。「悪い生徒を直すのが教師の仕事」と考えなかったのが悪いのではない。自分たちで調査して本当に悪い生徒だと判断したのなら、入学を断ってよかったのである。この点でも投書者は錯覚している。

 結果がよかったからといって、必ずしも推論が正しかったことにはならないという一例である。それにしても、学校教育については、本当に間違った考えが横行しているものである。(1996,07,29)(雑誌『鶏鳴』第137号から転載)


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「文法」のサポート、詳細索引、挙形

2013年12月13日 | サ行
276──何格でもない
301──性の挙形
318──合言葉(掲称的語局)だから格の観念のない挙形

558──in einer halben Million Fälle
569──ein Tropfen Wasser

614──数の挙形(類型単数)
698──den Namen Deutscher Kaiser

827──辞書の見出し

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私のドイツ語教育

2013年12月12日 | タ行
 3年余り前に大学のドイツ語講師に復帰した。この間、私の授業はずいぶん変わってきた。変わった点と変わった原因とをまとめてみたい。

 変わった点の第1としては、文法を重視するようになったことである。その原因を考えてみるに、自分自身がこの間ドイツ文法を勉強し続けてきたことが前提としてある。それに、学生諸君が、音読はやらない人はいつまでたってもやってくれないが、文法ならやってくれることが分かったこともある。そして最後に、高田誠氏の『英語の学び方』(旺文社)を読んだことである。そこに書かれてある、文法と読解と作文とヒアリングとスピーキングの関係と順序についての説は、長年の教育経験に基づいたもので実に説得力があった。

 文法をしっかり教えるようになったということは、音読の「指導」をなくしたということである。音読主義を唱えているのだし、それはそれで正しいのだが、だからといって、「後に付いて読んで下さい」と言って学生を引っ張るような練習は無意味だということが分かったのである。復帰した年、前期の毎回の授業で音読練習に30分もかけたのは大きな間違いだった。音読は、音読主義の勉強法を示し、説明して、1回練習させるだけでお終いである。後は、やる人はやるし、やらない人はやらない。教師にはこれ以上どうしようもない、ということが分かった。

 そして、これと関係するが、やはり授業はやる気のある生徒の才能を出来るだけ伸ばすことを目標にしてやるべきだという考えに達したことである。下(げ)の人に合わせて授業をすると、上(じょう)の人の才能が十分には伸びない。これは国家的規失である。それに反して、上の学生に合わせて授業をすると、上の学生の才能が十分に伸びるのはもちろんのこと、中(ちゅう)の人も下の人もそれなりに勉強するし、下の人に合わせた時よりもよく伸びる。これが公正な授業というものである。

 授業の内容にも工夫をして、多様性を与えるようにしている、もちろん私の能力の範囲内でのことであるが。文法、読解、作文は多くの他の授業と同じだろうが、ほとんど毎回小テストをする。20問から成り、12問以上の正解をもって出席と認めることになっている。これは、すでに授業でやったことのテストではなく、予習のテストである。この事については毎年苦情が出る。「テストは答え合わせをしてからにしてくれ」というのである。しかし、予習能力こそその人の自立的学習能力だから、大学では予習のテストをすべきだと説明する。二人一組になっての簡単な会話練習との下手なドイツ語での雑談は特に人気があるようである。そして、最後の方で「言語学概論(もどき)」をやる時間を作れれば上出来である。

 こういうやり方に自信を持てるのは、1年に何回か取るアンケートで学生の意見を聞いているからである。「学生による授業評価」についてはすでに一文を草した(「鶏鳴」第132号所収)ので、繰り返さない。アンケートを読むのは一番の楽しみである。記名して書いてもらっているので、本当の事が書かれていないのではないかと思う人もあるだろうが、そう思う人は思ってくれてよい。私は、「大体」本当の気持ちが書かれてあると確信している。「大体」というのは、人間はそれほど全てを互いに言い合う必要がないと思うからである。つまり、必要なこと、そして書いて好いことは書かれているということである。最後のアンケートに「楽しかった」という言葉を読むのが一番嬉しい。

 これらの事を可能にした技術的な条件としてリソグラフの役割は大きい。理想科学のこの簡単な印刷機がここ3年くらいの間にほとんどの学校で導入された。かつて初めて教師になった頃、ドイツ文字の勉強をしようと思ってプリントを学校に頼んだら、「教材は学生に買わせてくれ。こういうのは今回限りにしてくれ」と言われた。私のやる気はこれで大いに殺(そ)がれた。しかし、最近は私立大学でもリソグラフなら自由に使える。小テストはもちろんのこと、新しい教科書が出来る迄は、沢山のプリントを配ったが、これが出来たのはリソグラフのお陰である。『音読主義のドイツ語』の第1部をみなプリントにし、その上文法の練習問題やいくつかの読本もプリントにしたら、1年間でどれはどの分量になるか、想像がつくだろうか。

 今後の改善点としては、初めの数時間をもう少し丁寧に教えて、中以下の学生の理解を高めることである。これは今年度から試みている。教科書『音読主義のドイツ語』が出来たことが前提であるが、授業のレベルアップはもうこれくらいで好いと判断したため、私、の気持に余裕の出たこともある。単語カードの使い方も初めの内にチェックするようにした。小テストの内容も、今までは短文の暗記を求めるものが多かったが、初めから単語と句と文との暗記をバランスよく求めるようにした。

 内容的には去年からドイツ文字の勉強まで入れたくらいだから、もう満杯という感じだが、今年は、詩を読むチャンスを作りたいと思っている。結構要望が強いのである。泥縄式の勉強を始めた。(1996,06,30。雑誌『鶏鳴』第137号から転載)
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お知らせとお詫び

2013年12月11日 | 読者へ
 ブログ「マキペディアの総索引」が少し混乱しています。

 1つのファイルを例えば「サ行」とか「タ行」にしてきたですのが、余りに大きくなって、新しい項目を入れる手間が大変に成りました。そこで、大きいファイルは例えば「サ」「シ」「ス」などのように「1つの字母で1つのファイル」に改めようと思いました。

 しかし、その作業の途中で、多分私の操作ミスのために、「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ、マ、ミ、ム」のデータを失ってしまいました。「最低のデータ」は幸い無くなっていませんでしたので、それを元に新しい「総索引」は出来ると思います。

 しかし、作業に時間がかかりますので、それまでは不完全な「総索引」しかないということになります。

 なお、最近、ブログの更新頻度が落ちていますが、それは個人的な事情です。第1の仕事である「小論理学(未知谷版)」の準備も、第2の仕事である「関口ドイツ文法」の改訂版(大分先の事ですが)のための準備も、いつものペースできちんとこなしています。個人的事情で、第3の仕事である評論活動が落ちているだけです。

 今後ともよろしくお願いします。

 2013年12月11日、牧野 紀之
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規律という観点

2013年12月10日 | カ行
 三浦問題についての村崎耕平氏(筆名)の牧野批判に対して私は3つの反批判をした。それは氏の論点に内在的に答えるというより、氏の間違いの根本がどこにあるかを考えた超越的な反批判である。なぜ内在的反批判をしないかというと、それは既に拙稿「真理の規律」(『ヘーゲルと共に』に所収)で尽きていると考えているからである。

 しかし、氏は第一期鶏鳴学園の生徒の中でもとりわけ学園との関わりの深かった人である。そして、現在の両者の意見の食い違いには第一期鶏鳴学園の中途半端さが底にあり、私としては氏に対して率直に言わなくて悪かったという反省がある。多分、氏にも言い分があるだろうとも考えた。そこで、今後も文章による相互批判はやりたいなら互いに続けるとして、一度はテーブルを囲んで話し合ってみることも必要だろうということになった。(1986年)6月2日にその話し合い「村崎さんとの研鑽会」は持たれた。

 そこで私が述べたことの1つに規律ということがある。まず私は「規律の本質は、その集団の正式の手続きで決められたことには、『反対でも従う』ということである」と押えた。そして、その事例として2つ挙げた。

 その1。かつてT氏が学園のカセット聴講生だった時、秋から会費を1カ月ずつ遅れて払うようになった。いくら督促しても返事が無いのでおかしいなと思っていた。その頃、氏は村崎氏の家での読書会に参加していたのだが、村崎氏は「Tさんが『鶏鳴学園のゼミは8月は休みなのだから、8月も会費を取るのはおかしい』と言うのを聞いて、そういう考えもあるんだなと思った」と、私に語ってくれた。私は、この村崎氏の考え方には、思想の自由ないし言論の目由の観点はあっても、規律という観点が全然無いと思う。本当は、氏は、学園の仲間として、「そう考えるのはTさんの自由だが、会費不払いという実力行使をする前に、学園にその問題を出して話し合いを求めるべきではなかろうか。そして、学園の会費制度が変るまでは、今決まっていることに『反対でも従う』べきではなかろうか」と話すべきだったと思う。

 その2。三浦問題について「自己批判の自発性」として話し合いが何週間も続いた時、そこの出席者はみな「三浦さんの態度はそれ自体として正しいか」だけを問題にして自分の考えを述べた。村崎氏の発言もその観点からなされていると思う。しかし、規律という観点からは、そのほかに、「三浦さんの態度は鶏鳴学園で生徒に要求されている態度と一致するか否か」という問題が考えられるべきだと思う。これらの2つの問題を区別し、関連させて考えるのが規律ということを弁(わきま)えた正しい態度だと思う。

 その日には以上の事を問題として出した。今は私自身の考えている答を書いた。

 次に、もうひとつの事例を付け加える。

 私の参加した山岸会の特講の時、その終りの方で、係の一人であったW氏がこういう話を得意気に語ってくれた。「私の息子がある時『ヤマギシを出たい』と言った。そこで私は『出たいなら出てもいいが、その代りお前とはもう会えないよ』と言った。息子は一度出たが、その後しっかりした人間になって戻ってきた」。完全無欠で全知全能であるが故に人を裁く資格のあるWさんらしい話し方だなと、感心して聞いたのだが、ここには3つの問題があると思う。

 ①こういう問題を研鑽会にかけないで、独りで答えるのは、山岸会のやり方として正しいか。②又、内容的にも、「出ていった息子とは2度と会えない」という考えは、ヤマギシズムと一致するのか。③一般的に、思想をもって運動したり生きたりしている親に対して、自分の子供が親の思想運動には参加できないと言い出した時、親はどう対処すべきか。以上3つである。

 ③はこのように一般化してみると分かるように、大きな問題である。多くの親は子供に自分の思想や宗教を押しつける。子供は物心つくようになると、多かれ少なかれ反発する。その後、主体的にその思想を受け入れる人もいる。その思想から離れる人もいる。その離れた人の中では、又戻って来る人もいる。戻らないで親と違った道を歩む人もいる。親はどうしたらよいのだろうか。

 しかし、この問題は別の機会に譲る。今は規律という観点を論じているのであった。山岸会の問題としてこれが出た以上、③はともかくとして、①と②を共に考えるのが規律ということを弁えた考え方だと思う。(1986,06,08)

 付記

 私はその後も「規律」について考えていますが、特に考えている事は「トップの裁量権」ということです。「規律なくして組織なし」と共に「組織はトップで8割決まる」という経験則も定式化しました。ここでは「トップの裁量権」をかなり広く認める考えに成っています。もちろんそれは「トップの活動報告の義務」と一体でなければならないと思っています。(2013,12,10)

      関連項目

規律
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「文法」のサポート、詳細索引・nicht .. sondern

2013年12月09日 | サ行
1155──文と文の対照
1190──nicht .. sondernの利用法の1つ
1202──2つのnicht .. sondernを並べる場合

1389──強調構文
1390──nicht .. sondernという構文の意味

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シュタイナー教育と子安美知子

2013年12月02日 | カ行
 ドイツの人智学者ルドルフ・シュタイナーの思想、特にその教育思想と実践がまたまた注目されているのだろうか。〔1996年〕5月にNHKの衛星放送で1時間半にわたって、シュタイナー学校を中心にした紹介番組があった。そこではその思想に基づいた農場や病院も紹介された。そしてその番組に深く関わっていたのが、早稲田大学教授の子安美知子氏であった。シュタイナー学校に子供を通わせた日本人は、子安氏以前にも何人かいたらしいが、それを精力的に紹介して、日本人に知らせたのは子安氏であるから、それも当然であろう。私も、氏の諸著作を興味深く読んだ者の1人である。

 その番組によると、今〔1996年〕ではシュタイナー学校は世界中に広がり、全部で約650校にもなっているそうである。それなのに、なぜこの外国のものを輸入するのが得意な日本で未だにそれがlつも出来ないのだろうか。とても残念だ。確かにシュタイナー学校に対してはいくつかの批判もあるらしいが、それは人の考えは様々なのだから当然である。しかし、だからといってそれを日本で作る必要がないということにはならないだろう。日本の教育はあまりにも問題が多すぎる。そこに1つの意見を提示する意味でも、シュタイナー学校が早く日本に出来て欲しいと思う。

 このよように私はシュタイナーの思想に多大の興味と共感と期待を持つ者であるが、それは今は述べない。今述べたいのは、子安氏の態度についてである。氏とシュタイナー教育との関係を極く簡単にまとめておくと、氏はドイツ文学の研究者としてドイツに留学した際、子供をシュタイナー学校に通わせることになったのである。初めはとまどった事も多かったらしいが、徐々に引きつけられていって、今ではシュタイナーの思想、特にその教育思想を自分の研究テーマにするようになったらしい。それはそれで好い。研究テーマを変えるのは自由であり、この経過から見て、この変更には十分な根拠がある。しかし、氏の諸著を読んでいて一番不思議に思うことは、シュタイナー学校を知ったことで氏のドイツ語の授業がどう変わったのかが全然書かれていないことである。

 氏は早稲田大学のドイツ語の教員なのであり、実際にドイツ語の授業を担当しているのである。そして、改めて言うまでもなく、大学の教員の任務は研究と教育なのである。それなのに、研究の結果は、テーマがシュタイナー思想なのだから、このようにきちんと発表されているのだが、教育の方は、自分の娘にとってどうだったというようなことしか書かれていないのである。つまり、教育については親としての視点しかないのである。これはおかしいのではあるまいか。シュタイナーを知ったことで氏の授業がどう変わったのか、私はそれが一番知りたいし、それこそ本当のシュタイナー研究ではなかろうか。

 この子安氏の欠点は、しかし、日本の学者の思想研究に共通した欠点である。外国の、あるいは欧米の思想を紹介するだけで、それによって自分の生き方がどう変わったかを問題にしないのである。従って又、主体的・批判的にその思想を捉え直すこともない。ひたすらその思想を持ち上げ、それを無知な日本人に紹介・宣伝する。自分の意見は全然なく、それがかえって謙虚だと思われる。本は売れ、金はもうかる。それを読む人々も又、自分の生き方とは無関係に外国の思想を知って満足する。これが日本の思想のあり方である。しかし、こういう思想のあり方はシュタイナーの思想と一致するのだろうか、ということは全然考えない。考えないで生きていける。そういうのが私には不思議である。(1996年09月11日。雑誌「鶏鳴」第141号から転載)

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