マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

地熱発電

2010年02月28日 | タ行
 経済産業省原子力安全・保安院は、導入が停滞している地熱発電に対する規制見直しを検討する。温泉を使った小型地熱発電が研究される中、規制を緩和し、利用しやすくする。

 地熱発電は、地中のマグマだまりで暖められた水蒸気を利用したり、沸点の低いブタンやアンモニアを地中の熱水(100~200度)で沸騰させたりしてタービンを回して電気を作る。近年は未利用の温泉水などを使った数十~数百㌔ワットの中小規模の地熱発電開発も検討されている。

 地熱発電で使う蒸気や熱水は、低温、低圧だが、電気事業法上、高温、高圧の蒸気を使う火力発電設備と同様に区分され、規制がかかっている。現状では、ボイラー・タービン主任技術者の選任などが必要とされており、それがコスト増加や電気事業者以外の参入を妨げているとの指摘が出されている。

 国内の地熱発電は1966年の松川発電所(岩手県)が最初で、現在はl.8ヵ所。計53万㌔ワットの設備容量がある。

 安定運転できるため、年間発電電力量31億㌔ワット時は風力、太陽光を上回る(2007年度末)。しかし1999年の八丈島地熱発電所(東京都)以来、新規立地がなかった。

 資源エネルギー庁の試算では、新規開発や新技術の導入などによって、地熱発電で原発1基分に匹敵する6.7万~113万㌔ワットぼどの上積みができるとしている。
      (朝日、2010年02月17日。香取啓介)

「This is it」について

2010年02月22日 | ア行
「This is it」についてIさんからご教示をいただきました。まずそれを掲載します。

      

 TVで見聞きした印象ですと、本来、昨夏から今春にかけて英国ロンドンにて開催されるはずであったコンサート公演のタイトルが「This is it」であり、その発表会見の映像において、マイケル氏自身が観衆に向かって「This is it」と繰り返し告げていまして字幕では「これが最後だ」というような翻訳が付けられていました。

 同公演は氏の最後のコンサート興行となる予定でしたので、そういう意味だと想われます。英語(米口語)の慣用句としてそういう言い回しがあるのかと想っていましたが、マイケルの「This is it」について知らなかった、英語に造詣の深い会社の同僚の話しでは、本来そういう使い方はしないというか、違和感があるとの事でした。
以上(詳しい回答が寄せられるまでの)ご参考まで。(2010年02月20日)

   感想

 多分、マイケルは前々から「近く自分の最後の公演をする」とファンに広告していたのでしょう。ですから「マイケルの最後の公演」という観念はファンの頭の中に前々からあったのでしょう。itはその「話者と聞き手との間に共有されている事柄(あれ)」を意味すると思います。この場合はそれが「最後の公演」だったわけです。

 This is itは文としては「これがそれだ」ですが、話の通じている人たちの間ではこれで分かるわけです。

 さて、文法の問題は「主語はどっちか」、です。誰でもThisが主語だと思うでしょうが、英語学の大家・斉藤秀三郎が「That's itではitが主語だ」と言ったために、英文法学界で大騒ぎになったのです。どう決着したのかは知りません。

 関口さんはこの論争を知らなかったようですが、主語について「文法上の主語」と「意味上の主語(事実上の主語)」を分けて考えることを提唱しています。

 私見では、That's it (This is it)の問題もこの関口説によらなければ正しい解決は出来ないと思います。文法上の主語はもちろんThat (This)です。しかし、事実上の主語は場合によります。That's meなどの場合を考えれば分かるでしょう。

 今校正している文法書の中でそう云う事を書いているのですが、もう少し用例がほしいな、と思いました。マイケルのこれは大々的に広告しているので私の目にもとまったのです。ありがとうございます。

 しかし、ネット時代はありがたいですね。こうしてすぐに皆さんの助力が得られるわけですから。コメント欄に投稿をいただいた関口さんの小冊子「真意と諧謔」も結局、千葉大学の図書館のほかに北海道立図書館にも1部あることが分かりました。千葉大は一切持ち出し禁止ですが、こちらは「或る条件を満たす場合は貸し出しもする」ということも分かりました。

 そのうち、最終決着するでしょう。

PS、その後Iさんから再度メールをいただきました。ありがとうございます。論旨は上の通りで変更の必要はないと思いますので、これでアップします。


座禅

2010年02月20日 | サ行
 NHKアーカイヴスで「永平寺──修行の四季」というのが再放送されました。前にも見たのですが、大部分忘れていました。

 私も座禅のまねごとをしたことがあるのですが、その経験の感想を書きたいと思いました。永平寺の遣り方と違う点を中心にして。物言わぬは腹くくるる業なれば。

 1、私の通ったのは、曹洞宗ではなく臨済宗系の在家仏教団体の座禅会でした。毎週、木曜日の夕方から2時間くらいだったと思います。月に1回の座禅会という看板みたいなのを見かけますが、やるいじょうは週1くらいにしないと「修行」にはならないでしょう。

 2、座禅は壁に向かって座るのではなく、中に向かって座りました。つまり、部屋の前方中央に指導者みたいな人が座って、我々はその左右に互いに向き合うように座りました。コの字型、とでも言うのかな。

 座布団1枚の上に2つに折った座布団を置いて、そこに腰を下ろして、膝は畳の上に置くと、自然に軽い前かがみになります。前方約1メートルの所に視線が落ちます。するとちょうど半眼になります。

 3、1回の座禅の長さは「1本の線香が燃え尽きるまで」であるのはTVの永平寺の場合と同じですが、我々の「一柱香」(いっちゅうこう)は45分でした(永平寺は40分と言っていました)。10分間くらいの休憩をはさんで、それを2回座りました。

 私は結跏趺坐(けっかふざ)しかやりたくなかったのですが、それを45分間やると、10分や15分では元に戻らない位痛くなるので、1回で止めて帰ることにしました。

 4、我々のは「数息観」(すうそくかん)と言って1から100まで数を数えるのです。しかし、雑念が入って途中で数を忘れますので、そうすると又1から数え直します。

 偉い僧侶は45分間で丁度300まで数えると言っていました。私は1度だけですが、1度も途中で数を忘れないで、ずっと通して数え切ることが出来ました。その時は450まで数えました。100までを4回と50までを1回、ということです。

 推測ですが、途中で雑念が入ってしまうのは姿勢に関係があると思いました。姿勢が決まっていると雑念が入りにくいようです。

 6、私は正月に一念発起して通い始めたのですが、最初の日は冬ですからもちろん寒かったです。着て行ったコートを脱いで、名前を書いて、待ちました。控室には暖房がありませんでした。「もちろん座る所には暖房があるだろうな」と思いました。が、ありませんでした。

 しかし、しかし、しかし、です。座っている間は全然寒くありませんでした。コートを着て、駅に向かって帰途に就いた途端にガタガタ震え出しました。これはその後、毎回同じでした。暖かい季節になるまで。

 私は冷え症で、冬には指先がとても冷たくなって困るのですが、或る時、自分の家で自分で座ってみました。そうしたら、指先まで血が通って暖かくなりました。不思議な気持ちでした。

 それなのにその後、1度もそれをしていません。今年も指先が冷たくて、お湯を入れた大きな湯呑み(鮨屋用のもの)を持って指を暖めています。それなのに座禅をしていません。反省しています。

 7、警策(きょうさく)でたたくということがあります。座禅の映像では大抵出てきます。問題は、何を目的にたたくのか、です。NHKで出てきた永平寺の座禅では「姿勢を正す」ことが目的のようでした。

 我々のところではそうではなく、「肩が凝ったのを直す」ためでした。従って、我々の場合は、本人が希望した場合だけ、「たたいてもらう」のです。指導者(正式の名前は忘れました)が、始めて20分くらい経つと、そばに立てかけてある警策を持って皆の前をゆっくりと歩くのです。たたいてほしい人は、指導者が自分の前に来た時に合掌するのです。そして、上体を前に倒して、たたいてもらう姿勢を取るのです。私は、1度も希望したことはありません。

 しかし、とても面白い経験をしました。その指導者は決まっているのですが、在家ですから、仕事を持っています。用事で来れない時があります。すると、他の人が代わって指導者の席に座り、時間がくれば立ちあがって警策を取って廻ってきます。その時、本当の指導者の場合は、何も感じないのに、リリーフの人の時は「怖い」という感じがするのです。

 なぜかと言いますと、その人には「人を裁こう」という気持ちがあるからだと思いました。それがこちらに伝わってしまうのです。

 8、夏の座禅には独特の楽しさがあると思いました。途中で蚊が飛んでくるのは困りますが、夕立があったり、蝉の声が聞こえたりとか、外の音がとてもよく聞こえて楽しいものでした。


勤労者の給与(2009年)

2010年02月18日 | カ行
 厚生労働省が2010年02月17日発表した毎月勤労統計調査(確報、従業員5人以上)によると、2009年の1カ月当たりの平均現金給与総額は31万5294円と前年に比べて3.8%減った。前年実績を下回るのは3年連続。景気低迷を映し、残業代などの所定外給与が13.5%減の1万6670円と落ち込んだことが響いた。

 1月当たりの総実労働時間は平均144.4時間で、前年比2.9%減少した。残業時間を示す所定外労働時間が15.2%減の9.2時間となり、2年連続のマイナスとなった。

 1年以上同じ職場で働く人などを指す「常用労働者」は前年よりも0.2%多い4399万2000人と、6年連続で増えた。このうち、正社員など一般労働者は3197万4000人と0.9%減少。パートは1201万8000人で2.8%増加した。
 (日経ネット、2010年02月17日)

  関連項目

勤労者の平均年収


お知恵拝借(02、This is it)

2010年02月17日 | ア行
 マイケル・ジャクソンとかいう歌手(昨年、亡くなったらしい)は相当有名な方のようですが、私は音痴ですので、ほとんど知りません。しかし、文法研究に必要なことが出てきました。

 最近、その歌手の "This is it"とかいうアルバムか何かが発売されたらしいのですが、そこではそのThis is itという言葉はどういう意味で使われているのですか。誰か教えて下さい。

 前後関係も含めて、Thisが何を指しているか、itが何を指しているか、全体としてどう訳されているか、教えて下さい。(2010年02月17日)



「生きる屍」

2010年02月08日 | ハ行
 2010年02月07日の朝日紙に載った新井満(まん)氏の「談」とされている文章の中に「生きる屍」という句がありました。とっさに、「生きた屍」ではないかな、と思いました。

 辞書で「屍」の項を引いてみますと、新明解にも学研の大辞典にも「生ける屍」しか載っていませんでした。後者で「生ける」を引きますと、文語の4段動詞「生く」の已然形+完了の助動詞「り」の連体形、とありました。

 問題はこの「完了の助動詞」という所だと思います。この文語の感覚があるから、同じような事を口語で言うと「生きた屍」となるのだと思います。(2010年02月08日追記)

 お断り

 「小論理学」の改訂版の出版の予定はまだ立っていません。しかし、そう遠くない時期に出すように努力はしています。


お知恵拝借(01、褒められたものではない)

2010年02月06日 | ア行
 最近、自分では分からない事や知らない事を、ネット上で皆さんにご相談して、ありがたいご教示をいただいた事が何回かありました。これまではマキペディアをほとんど1人で作ってきましたが、この経験から、(今までも、ご意見を拒否するようなことはして来ませんでしたが)明確にお知らせして、皆さんの協力を得て遣って行く方が目的にかなっていると思うようになりました。「お知恵拝借」という題で問題の起きるたびにご意見を伺ってゆくことにしようと思います。コメントはいつでも結構です。

 マキペディアはウィキペディアの限界を感じたから始めたのですが、或る学生は「1人でやるのは時代錯誤だ」と批判してくれました。その後、その学生は、私の志を助けるウェッブ・アーキテクチャーを考えてくれているようです。建設的な態度だと思います。

 又、発行者の主導性を確保した上で、ウィキ的に外部者の協力を得られる枠組みとしてグーグルがknol(多分、クノルと読むのでしょう。knoledgeの最初の4字を取ったのでしょうから、ナルかもしれません)を提供しているようです。ドラエモンについての百科事典「ドラペディア」などはそれを使って作られ、公表されているようです。

 少し調べてみましたが、現在の私の遣り方、つまりジンドゥーを使ったサイト「哲学の広場」をトップとして、その下にブログを配するという組み合わせで、全体として1つの百科事典を作るという方法から乗り換える程ではないと、判断しました。

 しかし、外部の好意ある方々の協力を得る方法は必要なので、上に述べたようなことを組織的に進めることにした次第です。

 第1回として、以下の事を伺いたいと思います。

 日本語のとても好く出来る中国人ジャーナリストの莫邦富(モー・バンフ)さんが朝日紙の土曜日のBeに毎週寄稿しています。内容はもちろん面白いのですが、文法を考えるのに役立つ用例も提供してくれます。

 2010年01月23日の記事の中に「密輸は褒められるものではないが」という句がありました。私の引っかかったのは「褒められる」です。「褒められた」ではないだろうか、と思ったのです。見られたものではない、聞けたものではない、食べられたものではない、等々と言うのだと思います。しかし、これを主張するには用例が必要です。

 学研の国語大辞典を見ますと、「面白いとか面白くないとか云う浮い話じゃない」(漱石、行人)という用例があります。そして、この「た」の説明としては「状態、性質などを表す」とあります。

 しかし、これだけでは用例が不十分です。たいてい受動的な形で使われるのではないかと思いますが、これは自動詞です。「飲めた話じゃない」とも言いますから、自動詞もあるのでしょう。いずれにせよ、もう少し用例を集める必要があります。そこで、皆さんから、こういう表現の用例を教えてほしいというわけです。よろしくお願いします。

 又、この「た」の正体についてもこの説明で十分とは考えにくいです。「状態、性質などを表す」だけなら、モーさんの書いたように「褒められるものではない」でもいいはずです。この点も調べて見たいと思います。何かありましたら、ご教示下さい。

 追加1・「生きる屍」

 2010年02月07日の朝日紙に載った新井満(まん)氏の「談」とされている文章の中に「生きる屍」という句がありました。とっさに、「生きた屍」ではないかな、と思いました。

 辞書で「屍」の項を引いてみますと、新明解にも学研の大辞典にも「生ける屍」しか載っていませんでした。後者で「生ける」を引きますと、文語の4段動詞「生く」の已然形+完了の助動詞「り」の連体形、とありました。

 問題はこの「完了の助動詞」という所だと思います。この文語の感覚があるから、同じような事を口語で言うと「生きた屍」となるのだと思います。(2010年02月08日追記)