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生活保護行政(01、過酷な「北九州方式」見直しを)

2008年08月26日 | サ行
   過酷な「北九州方式」見直しを

         北九州市立大非常勤講師 藤薮 貴治

 北九州市小倉北区で52歳の男性が生活保護廃止後に死亡した事件が全国報道された。北九州市がこの男性をどう扱ったかを見ながら、過酷な保護行政の現実を考えたい。

 タクシー運転手の男性は病気で失業、窮迫状態に陥った。2006年12月07日に小倉北福祉事務所で生活保護が開始されていた。

 しかし、その後、市職員から「働かなければ文書指示、保護廃止」などの厳しい指導を受け、5カ月後の07年04月02日、「辞退届」を提出した。生活保護は廃止されたが、就労できないまま、約2カ月後に死亡した。

 男性は道端の草を食べるほど困窮していたという。市は当初「自発的な辞退であり問題はない。自立のモデルケース」と主張した。

 しかし、07月30日、市が設置した第三者委員会は異例とも言える男性の日記を公開した。「生活困窮者は、はよ死ねってことか」「書かされ、印まで押させ自立指どうしたんか」「オニギリ食いたい」「25日米食ってない」とあった。

 委員会は「保護打ち切りに重大な問題がある」と指摘、市も「乱暴な点があった」と対応が不適切だったことをようやく認めた。

 実は、北九州市では生活保護に絡む餓死、自殺事件は珍しくない。

 2006年05月には身体に障害を持つ56歳の男性が失業し、門司福祉事務所に生活保護申請を行ったが申請拒否され餓死した。

 2005年01月には要介護の67歳の男性が八幡東福祉事務所に生活保護申請したが、生活保護に至らず亡くなった。50代の女性が生活保護を受けられず首つり自殺する事件も発覚した。

 近年、全国で生活保護受給世帯が急増している。1998~2003年の保護費予算の伸び率は11の政令指定市の平均が52・65%。

 ところが、北九州市は逆に0・12%下がっている。市は財政削減のために、職員に申請書の交付は月5枚まで、廃止ノルマは年間5件などの「数値目模」を課していた。

 市の生活保護行政は、福祉の世界で「ヤミの北九州方式」と呼ばれる。1963年に5市が合併した北九州市に対し、国は生活保護の徹底削減を命じた。そして生活保護切り捨てのモデルを作った。

 近年全国の自治体で生活保護が受けられずに自殺、餓死する事件が相次いでいる。その背景には厚生労働者が全国通知した「生活保護の手引」による厳しい就労指導などの存在があると思う。

 それはすでに30年以上前から北九州市が実践し続けてきたものだ。生活困窮者を救済しない「ヤミの北九州方式」は、放っておけば「国のモデル」として全国の自治体にいっそう広まると懸念する。

 「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍晋三首相は、著書「美しい国へ」の中で、「福祉の自己責任」をうたっているが、憲法25条に基づく生活保護から排除された末の餓死や自殺が「自己責任」なのだろうか。「美しい国」には、餓死や自殺を生み出す「ヤミの
北九州方式」は存在してはならないと思う。

 (2007年08月22日。朝日)