- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

これまでに集めた高島平三郎の著書たち

2014年02月28日 | 教養(Culture)
この1年半の間に集めた高島平三郎の著書たち

旺盛な研究活動を展開中の高島33-34歳時の肖像写真だ

大泉溥編『高島平三郎著作集』、学術出版会、2009 第6巻・解説


師範学校教科用書・心理綱要 明治26年12月  普及社
②師範学校教科用書・内国教育史要  明治26年6月 普及社
訂正増補心理漫筆   明治31年 開発社
④中学修身教科書  初版明治36年

高島平三郎の雑誌「児童研究」掲載論文の草稿



体育原理 合資会社育英舎 明治37年  元元堂

⑥医家必読心理講話  初版 明治38年 啓成社  呉秀三・富士川游・遠山椿吉の推薦
⑦涙痕   明治42年  発行:高島平三郎 印刷:河本亀之助
児童心理講話  明治42年5月初版   広文堂   印刷:河本亀之助、発行:大蔵広太郎
⑨児童を謳える文学  明治43年 洛陽堂
⑩教育に応用したる児童研究   大正8年(初版は明治44年)  洛陽堂
⑪通俗応用心理講話 初版 明治44年 六合社  下澤瑞世の校正  洛陽堂
⑫心理百話         明治45年 洛陽堂・・・・・・③と内容的には同一。
⑬家庭及び家庭教育、洛陽堂 初版明治45年

日本児童学会「児童学綱要」 大正1年 洛陽堂
⑮心理と人生  大正2年 不老閣
⑯修養20講   大正3年 磯部甲陽堂
⑰教育講座「児童之精神と身体」日本学術普及会
50歳代の高島:「教育的心理学」、明治33年~の書き直し決定版が「心理学要綱」T15 


⑱婦人の生涯 大正4年  洛陽堂
⑲児童の精神生活     大正5年  教育新潮研究会   日本児童学会主幹高島平三郎

⑳宮武外骨との共著 通俗心理「奇問正答」 大正7年 文武堂
㉑縮刷版心理学より観たる日蓮上人 大正7年  洛陽堂&心理学より観るたる日蓮上人 大正8年  洛陽堂
㉒婦人の為に  大正7年 至誠堂
㉓高島平三郎編「道話の林」  大正8年 磯部甲陽堂
㉔応用心理14講 大正9年 洛陽堂
㉕家庭心理講話       大正9年  洛陽堂
㉖久遠之寿 高島寿子夫人追悼録  大正11年 東京芸備社
㉗家庭・婦人・児童  昭和11年 平野書房
㉘高島先生教育報国60年  昭和14年 元版&大空社の復刻版

追加
1)家庭に於ける心理学の応用 明治44 服部書店・文泉堂共同刊
2)高島・下沢「修養心理学講話」明治44 大倉書店
3)ドラモント(高島ほか訳)「学校及び家庭に於ける児童生活の研究」、洛陽堂  大正7年
4)「児童研究」全56巻(復刻版)、高島の論文を複数掲載

5)高島平三郎著作集(全6巻)

6)教育時論(明治19-24年)、欠号あり
その他は高島が序文を書いている高島平三郎の息のかかった人物の心理学、児童研究関係著書を集書した。
⑦「教育的心理学 全」、右文館/明治38重版/
⑧「女心と世の中」、磯部甲陽堂、大正11
⑨渡辺政吉編、高島平三郎/三土忠造/幸田成友他「帝国通信講習会文科講義録2号(1898年2月)」
⑩高島他編「国語漢文・農業読本」(1)(3)M35 株式会社普及舎
⑪「心理学綱要」昭和2,広文堂

⑫「胎児・嬰児の教養」、児童保護研究録第一篇、児童保護研究会、大正11年
⑬内務省地方局『感化救済事業講演集・上下』、1909
⑭高島他編「国語漢文・農業読本」三訂(1~3)、明治44

⑮教育叢書『応用心理講話・全』、同文館 明治41年初版
⑯「婦人と家庭」敬文堂、大正元年
⑰「教育漫筆」元々堂 明治36年
⑱ 「家庭教育」(講述本)、明治36 静岡市教育会
女子高等学園校長時代の肖像写真。高島80歳ころ



以上のほか国会図書館デジタル化資料:高島平三郎が利用可能

GoogleBook・・・・61冊、ただし、一部のみプレビュー可能

高島に関しては木内陽一(1993)が「大正期の著作活動は、狭義の心理学だけではなく、女子教育、あるいは文学方面へと拡がっている。この研究分野の拡大は、明治期に見られた児童研究体系化への強い意欲の背後への後退と表裏一体であったように思われる」と評しているが、それはその通りだと思う。
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藤本慶祐『平叙日本仏教』洛陽堂、大正6年

2014年02月27日 | 断想および雑談
タイトル:平叙日本仏教、著者:藤本慶祐、 出版者:洛陽堂、出版年月日:大正6

吉田東伍『大日本地名辞書』続編(北海道・琉球・台湾)の北海道の分を執筆したのが藤本慶祐。早稲田大出身者らしい。
仏教史の研究者で本書はまさに専門領域の著書。




富士川游、前田、高楠順次郎、柳沢政太郎(官尊民卑を徹底した文部官僚、退官後東北帝大学長、成城学園創設した教育者、高島平三郎は『実際的教育論』を批判)に対する謝辞が記されている。前田は井上円了の次の東洋大学長を務めた前田慧雲(学僧、教育者)。


高楠の友人前田慧雲


藤本慶祐『平叙日本仏教』洛陽堂、大正6年
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大正10年松永高等小学校解散記念アルバム

2014年02月25日 | 教養(Culture)
大正10年10月 河本家の菩提寺:蓮花寺にて河本亀之助追悼法要が営まれた。


場所はJR松永駅のすぐ南側


大正天皇の御真影・・・・まさにこれは学校内の御真影室という”神殿”に勧請されてきた御祭神だったのだ。


柔道場


優勝旗には福山藩主阿部家の家紋(丸に右重ね違い鷹の羽」で羽に斑模様が付く)入り。阿部家からの寄贈品だったのだろ。当時は神社の幕などにも同様の家紋が・・・・


職員室(西川・大内・福原の三代に亘る校長の肖像写真が掲額されている)


朝礼風景、服装・体格、男女数に注目。校舎の向こう側(背後)の建物(民家=石井家住宅、破風の一部が見える)は現在も残っている。校長は福原。


古民家は高等小学校があった時代からの石井家住宅。


小使いさん(校僕)、明治31年より勤務した石井亀次郎=副校長、運動場の校長さんと親しまれた。


三原・浅野家の家臣の子:西川國臣(初代校長)、長谷川櫻南の弟子。わたしの祖父や丸山鶴吉の恩師。


第三代校長:福原甚之助。奏任官の大礼服姿。文化功労者福原麟太郎の親父。


福原麟太郎自身も一時教師をしていたようだ。下段右端が麟太郎。







佐藤角治(柳津町)は村田露月没後、村田の年譜を完成し、その半世紀亘る業績をまとめた人物だ。




橘高銀三郎は校医、第四代松永町長


山本慎(真)太郎(祖父の従兄弟) わたしの姉のピアノ教師。


山本コマ・・・・我が家ではお駒さんと呼んでいた。


松永高等小学校が解散したあとは各町村役場ごとに小学校が設置。この場所は『松永町誌』中では松永高校敷地とある。


このアルバムの所蔵者河本英太の親父:河本猛郎(わたしの祖父とこの学校での同級生)や山本慎太郎(わたしの祖父の従兄弟)、福原麟太郎の名前が・・・。


当時の初等教育制度とリンクさせた分析が必要だ。

空中写真の所在

干拓地である長和島の北端にあたる。


学校敷地面積1406坪だから50M×80M(4000㎡)


大正10年には存在した石井家住宅(江戸時代の干拓堤防上に立地)。この住居の東隣に高等小学校があった。破風に特徴あり。


1962年の空中写真に見る松永高等女学校→松永高等学校(その北西域に旧松永高等小学校)周辺の景観

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タイトル修養心理学講話

2014年02月25日 | 断想および雑談
タイトル修養心理学講話
著者高島平三郎, 下沢瑞世
著出版者[ ]出版年月日明44
高島平三郎と下澤瑞世の共著だ。下澤の分担分はわずかで判別は容易。ここでは高島の漢文的教養とブント流の哲学・心理学的教養が接合されている部分が興味深い。

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高島平三郎『婦人の為に』、至誠堂、1918

2014年02月25日 | 教養(Culture)
高島平三郎と母:加寿子



印刷工あがりの河本亀之助には経営者としての資質を問われかねないようなエピソードには事欠かない。てか亀之助は若い無名の執筆者に対して世に出るチャンスを与えるタイプの一風変わった出版業者だったのだ。成功した例もあるが、そうでないケースが殆どであったろ。
特定の人物をゴーストライターとして立て、その生活支援を兼ねて本を立て続けに出すというやり方も創業時には散見された。
失敗したケースの典型が高島平三郎の弟子:下澤瑞世に書かせたケースではなかったかと思う。河本には20代の青年(竹久夢二)の成功体験が、丁度一度パチンコに勝つと味をしめて、次も勝てる、連敗しても、また勝てると思う種類(認識の違いに由来するタイプ)の認知的誤解があったようにも見受けられるのだが・・・・・。

下澤は東洋大学出身で、高島の著書の校正をやったり、高島との共著を出したり、井上哲次郎にも近づき、自著の序文を書いてもらったりしている。発想はなかなかなのだが、東洋大学出の関寛之の場合と異なり、学力不足で論証や立論がかなり稚拙で困った奴といった御仁だった。
その彼が自著の中で高島を評して武士道精神にあふれた人で、そんな高島は人間的な面で母親から大きな影響を受けていると書いていた。わたしもそういう点を感じていたので下澤の名前をここで出したのだが・・・・。
高島が明治大正期における良妻賢母型女性や女性解放論者(例えば「新真婦人」を主宰した西川文子)への理解と育成や女性の知的啓発に果たした役割は無視できないだろう。


 西川光二郎の夫人文子の著書の序文だ。文子は平塚らいちょうらの雑誌「青鞜」の仲間の一人だった。高島の「高島先生教育報国60年」には平塚の一文が寄稿されている。高島が当時の女性運動家たちのよき理解者だったことは明白だ。雑誌「新真婦人」は「青鞜」向こうを張って刊行されたものだが、高島は毎号通読していたようだ、高島は牙をむき出した急進派を嫌い、穏健なる婦人運動をこの序文を通じて西川文子に求めている。西川(基本は”新しい女”志向)と高島(基本は”良妻賢母”の推奨)の間には感覚面で温度差(世代間格差)が感じられるが・・・、国家主義の中で動脈的というか、要するに男性原理だけが肥大化しすることへの危惧と、社会システム面では動脈的なものに欠落した部分を補う意味もある静脈的、したがって女性的原理[都市・国家・社会を母性化すること]の必要性を主張した西川文子らの思想(『平民社の女』137頁)には首肯できる部分もある。

学習院時代は武者小路家の夫人(当時未亡人)から子弟教育(武者小路実篤の兄貴:公共)の相談を受けていたし、大正期に入ると華族(たとえば松平直亮→『家庭心理講話』)・皇族(高松宮妃殿下→『家庭・婦人・児童』)の子女のための人間教育面で貢献している。まさに第一人者であったわけだ。因みに高島は大正15年には西片町に創設された女子高等学園という2年生の花嫁学校(高女卒業者を受け入れる小規模校)の校長を廃校までの10数年間務めている。





母亡き後の母としての、高島のたった一人の姉にささげられた本だ。この時代は献辞文を書くことが流行した。









書名別名:婦人乃為に
シリーズ名:大正名著文庫
出版元:至誠堂、刊行年月:1918、ページ数:454p、大きさ:20cm

婦人の為めに

高島平三郎 著



[目次]
標題
目次
第一編 婦人と心理
一 笑の話 / 1
二 女性と羞恥心 / 32
三 嫉妬心の研究 / 61
四 姑の心理 / 150
五 老人の心理 / 178
第二編 婦人と社會
一 婦人十訓 / 190
二 社交と虚榮心 / 201
三 嫁入前の娘を持ちて / 217
四 お高祖頭巾の話 / 232
五 家庭と趣味 / 243
六 都會生活と田園生活 / 249
七 婦人慘劇の批判 / 261
八 情死の話 / 285
第三編 婦人と教育
一 精神の萠芽 / 307
二 子供心の發育状態 / 322
三 家庭教育の基礎 / 332
四 家庭と兒童 / 341
五 玩具と教育 / 353
六 子供の喧嘩に就いて / 360
七 虚言の研究 / 366
八 幼兒の早熟と神經過敏性とに就いて / 394
九 教育上活動寫眞の利害 / 399
十 動物の愛護 / 409
十一 賞罰の注意 / 417
十二 夢の教育 / 429
十三 休暇移住の話 / 446

下澤瑞世の高島評

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遅ればせながらの『山本瀧之助日記1~4』

2014年02月24日 | 断想および雑談
鈴木貞美『生命観の探求』を返却し、こんどは『山本瀧之助日記1-4』を借り出した。山本(最後列、向って左から二人目、左端は村田露月)はわたしの祖父とは郡役所時代は同僚だった。阿武郡長の記念写真(我が家所蔵)は明治45年4月7日条に「午前、役所にて撮影」とあるものだろうか。いやいや、後述するように送別式後に退官記念写真というのも変な話なので・・4月7日の写真撮影はやはり別の写真の話なんだろうという気もする。阿武郡長退職の件に関してはいろいろ慰留に回り,白足袋着用で畏まって送別の辞を述べた山本からすればこの退官記念写真のことも日記に記す程度の大きな話題だったはず。
因みにわたしが神原敬太郎の2女の婿:倉田久士(元町長)から貰った同じ画像資料では明治45年3月阿武信一郡長の退職記念写真と説明が付されていた。3月というのは山本日記からはどうも考えにくい時期・・・・・、阿武郡長の送別式は4月3日で、新郡長(小林正敏)の着任は4月13日のことだった。

図書館でその日記を借り出してみたのだが、断片的にでも地方史や民俗学研究の史料として使えそうな感触が得られ、これは予想外に面白そう。明治21年から昭和4,5年までの40年間の記録だ。

たとえば日記の中に登場する「地神講」だが、これは、岡山県から広島県にかけて存在する地神信仰のありようを知る手掛かりになる。ジャガイモのことをジャガタラ芋。大正8年6月23日条:役所でやることがなく、机の上に帆足理一郎『教育哲学概論』、加藤一夫の『民衆芸術論』などをおいていたとの記述も・・・・。大正6年6月13日には永井潜『生物学と哲学の境』を50ページほど読んだとある。


大正11年1月28日条:富士川の『金剛心』、帆足の『哲学概論』を読む。山本が日記で上げた本に洛陽堂刊が多いのは何故? まさか・・・・この辺は勘ぐればSuspicious!・1月13日は沼田笠峰『若き婦人の行くべき道』とある。





今回は図書館で山本瀧之助日記1~4を借り出したが、意外と使い道が多そうなので近く入手予定。

洛陽堂と山本瀧之助関係を後者の書いた日記を手掛かりに見ていくと、いろんなことがおぼろげながら浮かび上がってくる。

大正10年分は『一日一善日記』、洛陽堂刊、
大正11年  新式懐中ノート
大正12年  青年修養日記  青年公論社刊
大正13年/大正14年  当用日記     積善館刊
大正15年 当用日記             博文館刊

大正9年11月23日
午前十時洛陽堂行き。 
午後二時、亀之助を赤十字病院に見舞う・・・本人は半ば意識不明。
24日 天野藤男と亀之助を見舞う。
12月1日 洛陽堂により亀之助の様態を聞く・・・・小康状態との返事。
赤十字に見舞う。
12月12日亀之助死亡の電報。宿にて東向遥拝。
12月14日午後2時河本主人葬式遥拝

大正10年5月15日洛陽堂へ泊る。
7月1日 洛陽堂へ行き。店の主人(河本俊三)より紛議を聞く。夜洛陽堂に泊まる。
5日神田の店の主人(河本哲夫?)にホーエル中将からの手紙を見てもらう。
10月16日 午後1時蓮華寺の河本氏追悼会へ出る

大正11年4月16日 洛陽堂へ
4月25日 洛陽堂より雑誌たくさん届く。
大正11年5月10日 帆足理一郎『人生詩人ブラウニング』第4版を発行。

震災直後の大正13年には河本哲夫経営の新生堂より刊行。


7月29日 洛陽堂へ寄り、7時半に帰る。
大正11年9月1日~10月31日 創業15年記念セール時の洛陽堂(河本俊三経営)の出版目録

大正11年11月16日 中村順三『米国史講話』を刊行
河本俊三時代の洛陽堂の刊行書、天金仕立てで豪華、函・装丁は亀之助時代を踏襲。巻末に出版目録が付されているが津田左右吉『文学に現れたるわが国民思想の研究』・『古事記及び日本書紀の新研究』、太政官翻訳『日本西教史』、山本秀煌『日本基督教史』、中山昌樹『ダンテ神曲』などだけ非常にすっきり。




これは閉店(倒産前在庫一掃)セール?大正11年「東京洛陽堂出版目録・・・・この時期(大正11年11月段階)に新刊書を出していることなど勘案すると、いやむしろ・・・・再生プランの中で行われたセールだろ。


しかし、大正12年4月至ると状況が一変する。
すなわち
大正12年4月5日 洛陽堂などへ手紙。洛陽堂へ調印して送る
5月15日 洛陽堂へ行く。
そして
大正12年7月8日 洛陽堂より山本の著書33冊:「早起」5冊、『地方青年団体』5冊、「模範日」5冊、『一日一善講話』4冊、「着手ノ箇所」5冊、「団体訓練」4冊、『一日一善』5冊
これが洛陽堂の閉店/倒産を示唆する動きだったのだろうか。
ちなみに『早起』は大正14年に希望社から・・・。
高島平三郎編『精神修養の泉』に関して甲子出版社に大正十二年八月ニ日「版権譲渡」、甲子出版社同十三年五月一日同シリーズを発行。これは出版権を引き継いで印刷・発行を続けてくれる出版社が見つかった幸運なシリーズとなった本だったわけだ。



大正12年10月15日 関東大震災の見舞い品を蓮沼・妹尾・石黒・五百木・井上・田澤・河本・後藤に送るつもりだったが、27日田島産の魚介類の見舞い品を送った石黒・五百木・蓮沼・妹尾・後藤・田澤。井上・河本には結局送らなかった。
以後山本瀧之助日記から洛陽堂関係の記載は消え、例えば山本著『早起』は大正14年段階には希望社刊となる。

「著者が嘗て洛陽堂から出版した著書・・・・・・」、「前洛陽堂主の兄弟である新生堂主人は一つに読書子の不便を嘆き、その処女出版として・・・」

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藤本慶祐「平叙日本仏教」

2014年02月24日 | 断想および雑談
藤本慶祐「平叙日本仏教」

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日本児童学会 編『児童学綱要』、洛陽堂、T1(1912)

2014年02月21日 | 教養(Culture)
タイトル
児童学綱要
著者
日本児童学会 編
出版者
洛陽堂
出版年月日
大正1


これは日本児童学会にとっては門出を飾る出版物ということになるのだが、論文は明治44年11月神奈川県師範学校での日本児童学会での学術講演速記、学会発表とは別になされた書き下ろし論文、既往論文の転載分などを含んでいるらしい。倉橋惣三は当時は東大院生(心理学専攻、生来の子供好き)、富士川游と永井潜は高島とは旧知の医学者、藤井・唐徳・石川(東京帝大医学部教授呉秀三の弟子,呉秀三は広島県人で永井や富士川の知人)の医学部出身者。学会発表は医学系中心のものだったことが判るだろ。因みに高島の妹婿になる松本孝次郎だが明治34年に「実際的児童学」に刊行した人物だが、本書へは執筆していない。
おそらく、本書は元良を担ぎあげてはいるが、中心は高島・富士川・永井らで、医学系研究者の援護を受けて行った高島児童学の研究成果、発表の場と化していた。
当時流行していたブント流心理学は心理学を哲学から独立させ、科学的説明を持ち込もうとしていた。また心理学を自然科学的に仕立てるために心理学と生理学との結びつきを強めていた。そういうこともあってこの時も医学者とのコラボレーションとなったものであろう。これ以後高島の著述活動は心理学的知をベースとした社会教育・学校教育向けの啓蒙書に大きく傾斜していく。その結果、高島の心理学はブント流を飛び超え得なかったとされる。

この一年半あまり高島平三郎(1865-1946)、丸山鶴吉、河本亀之助の文献資料(ここでは主に古書)を収集してきたが、この手のものは国会図書館のデジタル化資料として公開されているので研究上は支障は少ないのだが、洛陽堂や高島の足跡を辿るには現物(雑誌を含む)がどうしても必要になる。本書には15の論文が所収されているがそのうち8本はなんと~高島平三郎のものだ。巻頭論文を書いた元良勇次郎(東京帝大・初代心理学科教授)は本書が刊行された1912年に亡くなっている。

没後100年記念出版
元良勇次郎著作集 全14巻別巻2












藤井秀旭:故南洋廰醫院醫長:叙正五位 昭和16年5月29日死亡》
2014年02月13日(木)
《藤井秀旭:故南洋廰醫院醫長:叙正五位 昭和16年5月29日死亡》

[南洋廰醫院 醫官:昭和6年4月2日   任官]
[南洋廰醫院 醫長:昭和16年5月29日 死亡]

内閣 拓位第五五〇号   p4/6
叙 正五位 昭和十六年五月二十九日死亡
故 南洋廰醫院 醫長 從五位 藤井秀旭
昭和六年四月二日任
南洋廰醫院 醫官 以来 在職十年以上
右 文武官叙位進階内則第四條ノ二ニ依リ
謹テ奏ス
 昭和十六年二日
  拓務大臣  秋田 清

[故南洋庁医院医長藤井秀旭位階追陞ノ件]
【 階層 】国立公文書館>内閣>叙位裁可書>昭和>
昭和16年>叙位裁可書・昭和十六年・叙位巻三十六
【 レファレンスコード 】A11115073100
【 年代域 】昭和16年【 画像数 】6

『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より


《藤井秀旭》
[京都醫科大學:明治36年入學 明治40年卒業]
【京都帝国大学一覧】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1607/

《藤井秀旭》
[南洋廰]
[パラオ醫院長:サイパン醫院長]
【職員録】昭和7~15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1608/

《藤井秀旭:東京市小石川区駕籠町》
【最近調査大日本医師名簿】昭和6年
《藤井秀旭:東京市小石川区駕籠町》
【最近調査大日本医師名簿】昭和6年
【紳士興信録. 昭和8年版】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1609/

《藤井秀旭:サイパン醫院長》
【大衆人事録. 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1610/

《藤井秀旭:南洋廰 サイパン醫院長》
【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1611/

ブント心理学

研究メモ)わたしは門外漢なので、高島平三郎を心理学とか児童研究・体育思想、女子教育というカテゴリーの中では扱えない、わたしが取り上げるとすれば、より彼の著書を史料として再構成される社会史的方面からのアプローチになるだろ。
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高島平三郎の弟子:関寛之の大著「日本児童宗教の研究」

2014年02月21日 | 断想および雑談
日本児童宗教の研究

関寛之 著




[目次]
標題
目次
獻呈之辭 / 卷頭1
自序 / 3
凡例 / 1
目次 / 1
姉崎正治博士‐關寛之君の「日本兒童宗教の研究」 / 卷尾1
序説 / 3
I 兒童宗教の發達 / 101
II 兒童宗教の發達と迷信との關係 / 273
兒童宗教の構造、特質及び類型 / 391
IV 兒童宗教と原始宗教 / 515
V 兒童宗教の規制 / 565
VI 兒童宗教の豫備研究 / 647
結論 / 733
附録

関寛之は戦時中はひたすら学術研究に打ち込み、加藤一夫のような「天皇陛下万歳」の絶叫パフォーマンスなどはしなかった。そういう面では高島平三郎よりは冷静で、佐々木信綱同様節度ある人生を送る学者に成長していた。
本書は当時欧米で流行していた宗教民俗学・宗教人類学に踏み込んだ書物(関自身は「宗教心理学」と認識)として注目される。
本書をみて私などはマーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)夫妻がニューギニアやバリ島山間部で住民の生活行動を分析した一連の研究が想起された。

西田はいつもの調子で、レトリックを駆使しながらのらりくらり、遠回しに政治のことはいざ知らず学問をやる人間は短気(日本の事物を研究することが日本精神であるかのごとく考えられがちだが、そうではなく外国の事物を研究しても日本的な見方考え方の中に日本精神が現れる考えるべきだと指摘)を起こしてはあかんと戒め、大楠は立場上というか生真面目というか体制迎合的に仏教思想の中の全体主義的原理を国家主義擁護論へと接合してみせる。それに対して万葉研究の佐々木信綱は命あるかぎり学問(「万葉学」=国学)のために奮闘しなければならないと述べている。先に紹介した関寛之の考え方は佐々木に近いといえるだろう。

帝国学士院講演速記録、昭和13年

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亀倉順一郎「趣味の西洋史」上巻

2014年02月21日 | 断想および雑談
「はしがき」に津田左右吉の尽力で出版したとある。

タイトル
趣味の西洋史. 上巻
著者
亀倉順一郎 著
出版者
洛陽堂
出版年月日
大正11年8月15日


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高島「応用心理講話 : 通俗」 明治44年 六合社

2014年02月21日 | 断想および雑談
応用心理講話 : 通俗

高島平三郎 著


共同刊行: 服部書店

「国立国会図書館のデジタル化資料」より

[目次]
標題紙
目次
第一講 意識と注意との話 / 1
第二講 感覚及び知覚の話 / 69
第三講 記憶の話 / 135
第四講 想像の話 / 204
第五講 概念の話 / 244
第六講 判断の話 / 295
第七講 推理の話 / 344
第八講 感情の話 / 394
第九講 意思の話 / 451






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高島平三郎「婦人の為めに」 大正名著文庫 ; 第31編、至誠堂書店 T7

2014年02月21日 | 断想および雑談
婦人の為めに

高島平三郎 著


[目次]
標題
目次
第一編 婦人と心理
一 笑の話 / 1
二 女性と羞恥心 / 32
三 嫉妬心の研究 / 61
四 姑の心理 / 150
五 老人の心理 / 178
第二編 婦人と社會
一 婦人十訓 / 190
二 社交と虚榮心 / 201
三 嫁入前の娘を持ちて / 217
四 お高祖頭巾の話 / 232
五 家庭と趣味 / 243
六 都會生活と田園生活 / 249
七 婦人慘劇の批判 / 261
八 情死の話 / 285
第三編 婦人と教育
一 精神の萠芽 / 307
二 子供心の發育状態 / 322
三 家庭教育の基礎 / 332
四 家庭と兒童 / 341
五 玩具と教育 / 353
六 子供の喧嘩に就いて / 360
七 虚言の研究 / 366
八 幼兒の早熟と神經過敏性とに就いて / 394
九 教育上活動寫眞の利害 / 399
十 動物の愛護 / 409
十一 賞罰の注意 / 417
十二 夢の教育 / 429
十三 休暇移住の話 / 446


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高島平三郎の「心理漫筆」&「心理百話」

2014年02月20日 | 教養(Culture)
高島平三郎にはたくさんの著書がある。ジャンル的には心理学・教育学・修養(日本的倫理学)、体育学と多岐にわたるが、特に評価が高いのは心理学(児童研究)、女子教育・体育思想面でのものだろう。それらの著書を通じて高島は明治末期~昭和初期の我が国における国民教育に大きく貢献した。著書を大別すると専門書と教養書(教科書を含む)、一般書に分類できるが、ここで紹介するのは高島が高島らしさを発揮した教養書のジャンルのものだ。



高島平三郎「心理百話」
[目次]
標題紙・・・・・本のサイズは46版
目次
一 我国の心理学史 / 1
二 心理学説の変化 / 5
三 精神現象の区分 / 9
四 観念と観象と / 12
五 トツコニ、バツコ / 17
六 文字遊戯 / 20
七 五官皆触説 / 23
八 世界観 / 24
九 哲学の傾向 / 30
一〇 一種の一元論 / 31
一一 百人一首 / 32
一二 嗅覚の追懐 / 33
一三 妖恠 / 35
一四 幻影 / 36
一五 ややの火 / 37
一六 都会と地方と / 42
一七 経験は最良の教育なり / 44
一八 審美的感情 / 46
一九 形而上形而下 / 49
二〇 社会的心理学 / 50
二一 人国記 / 51
二二 死 / 58
二三 反動と反射と / 60
二四 郷歌 / 61
二五 霊魂不滅 / 66
二六 既読の書目 / 69
二七 児童心理学 / 71
二八 小児の擬似 / 73
二九 役人根性 / 77
三〇 徂徠の心理説 / 79
三一 記憶の試験 / 82
三二 動物心理 / 84
三三 刺激と力と / 87
三四 少年の欽仰せる人物 / 89
三五 忘却律 / 91
三六 小児の絵画 / 95
三七 言語 / 98
三八 戦争と発狂 / 101
三九 一般感情 / 103
四〇 依ト昆垤里 / 105
四一 観相術 / 107
四二 雪と文学との関係 / 109
四三 謝畳山 / 111
四四 観念連合 / 113
四五 連合作用の試験 / 114
四六 催眠術 / 116
四七 少年の志向 / 119
四八 夢 / 121
四九 心の称 / 127
五〇 ロマニース / 131
五一 児童観察の要点 / 133
五二 人間一生誌 / 140
五三 心性発達 / 143
五四 心身相関の例 / 145
五五 良心 / 146
五六 強迫観念 / 149
五七 理性 / 150
五八 善悪標準 / 154
五九 聖人 / 156
六〇 怒 / 159
六一 想像作用の階級 / 160
六二 国民心性の傾向 / 161
六三 人類学 / 164
六四 階級思想 / 167
六五 人物定義 / 171
六六 人心道心 / 172
六七 体力と威力 / 174
六八 仏 / 175
六九 山陽の書簡 / 177
七〇 身体と感覚との関係 / 179
七一 知識に乏しき者の推理 / 181
七二 概念の内包 / 182
七三 大なる刺激精神作用を狂はしむ / 183
七四 刺激と容貌との関係 / 185
七五 迷信及伝説 / 186
七六 形式及内包 / 188
七七 児謡 / 192
七八 心意博物学 / 193
七九 不平の心理 / 196
八〇 校規と自由意志と / 199
八一 心理的概念及論理的概念 / 201
八二 女性の心理 / 202
八三 社会と直覚との関係 / 106
八四 遊戯と体操との別 / 109
八五 統一 / 210
八六 教育者の理想 / 212
八七 悟道といへること / 215
八八 教権 / 217
八九 朱子の心理説 / 219
九〇 生徒の有せる教師の概念 / 225
九一 忠恕 / 227
九二 道徳 / 228
九三 外国語学と性格と / 229
九四 途上の心理研究 / 230
九五 敬の字 / 232
九六 性格と我と / 234
九七 活動 / 235
九八 欲望と進歩と / 237
九九 四謬念 / 240
一〇〇 板垣伯の三戒 / 244

「国立国会図書館のデジタル

和本同様に横積みされていたようだ。



高島平三郎の発想の豊かさには驚かされる
明治42年に河本亀之助が洛陽堂を創業したので、明治30年代に「心理漫筆」として好評を得ていたものを、「心理百話」とタイトルを変更して洛陽堂から刊行しなおしたのだ。

心理学の考え方をベースとしていろいろの面白い話題を提供したもので、もともとは雑誌「教育時論」(開発社刊)に投稿していたものを集成したものらしく、現在読んでみてもなかなか面白いしろものだ。
この中に高島が小学校教員をして沼隈郡神村(かむら)村の鬼火伝説(「ややの火」)を収録し、住民が夜中にみるという鬼火は当時、この地方の農村部では夜なべをして製塩業に提供する藁製品(コモ)を製造していた。その夜なべ作業時の燈火を”おやや”という女性の怨霊伝説と結びつけ「鬼火」として誤解したものだろうかと解釈している。いかにも少壮の心理学者らしく明快な迷信解釈を披露している。
この話は”おややの墓”として『沼隈郡誌』にも収録されているが、かなり話の中味は異なる。
この本の中には松永高等小学校の校長を勤めていた西川國臣に関して自分の友人として紹介していた。
同氏は日本の国歌を斉唱することを拒否していた丸山鶴吉(浜口内閣時代の警視総監)に対して”国賊め!”といってしかりつけた人物だった。

松永高等小学校校長時代の西川國臣(三原藩浅野氏家臣の子供で長谷川櫻南の弟子、明治31年頃)


「心理漫筆」は高島が30歳前後のころのものだが、学術的な問題を身の回りの出来事の中で例解する姿勢には脱帽させられるばかりだ。後日ゆっくりと分析をしてみたい。
なお、本書は高島平三郎著作集に所収されている。

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関寛之「児童学原理 : 児童の身体及精神」 アテネ書院、大正13年→東洋図書 昭和2年・9年

2014年02月20日 | 断想および雑談
関寛之によると洛陽堂は関東大震災で被災し、洛陽堂の金庫に保管されていた関の原稿などもすべて焼失した。
手元に残っていた原稿をベースに書いた本がここで最初に紹介する大正13年アテネ社から出された「児童学原理」だった。
洛陽堂から出されていた「児童学概論」「児童学要領」は震災時に烏有に帰し、この「児童学原理」書肆廃業のため絶版となっていた。ここにいう廃業した書肆とはアテネ社のことだろ。この「児童学原理」大改訂して刊行されたのが、「児童学原論 : 児童の身体及精神 東洋図書 昭和2」。

高島の弟子:関寛之の処女作品




向かって右側の本が「児童学概論」、T7


関寛之「児童学原理 : 児童の身体及精神」 アテネ書院、大正13年
児童学原理 : 児童の身体及精神

関寛之 著



[目次]
標題
目次
第一篇 序論
第一章 兒童及び兒童學 / 1
第二章 兒童硏究法 / 17
第二篇 發育現象-身體
第一章 胎兒期の身體 / 37
第二章 兒童期の身體 / 59
第三章 靑春期の身體 / 146
第三篇 發育現象-精神
第一章 胎兒期の精神 / 151
第二章 兒童期の精神 / 157
第三章 靑春期の精神 / 360
第四篇 發育規制
第一章 發生に於ける規制 / 374
第二章 遺傳による規制 / 397
第五篇 發育異常
第一章 身體の異常 / 418
第二章 精神薄弱兒 / 430
第三章 不〓少年 / 439
第六篇 發育原理
附錄











児童学原論 : 児童の身体及精神,

児童学原論 : 児童の身体及精神 東洋図書 昭和2

関寛之 著

[目次]
標題
目次
第一篇 序論
第一章 兒童及び兒童學 / 1
第二章 兒童研究法 / 13
第三章 兒童及び兒童學の歷史 / 29
第一節 兒童史 / 29
第二節 兒童學史 / 55
第二篇 發育現象 身體
第一章 胎兒期の身體 / 64
第二章 兒童期の身體 / 81
第一節 兒童の身體の成長 / 81
第二節 兒童の神經系統 / 134
第三節 兒童の筋骨系統 / 140
第四節 兒童の身體の機制 / 148
第五節 兒童の體力及び運動力 / 165
第一項 肺活量 / 165
第二項 握力及び握耐力 / 168
第三項 後反力及び脚力 / 170
第四項 押進力・索引力及び投擲力 / 172
第五項 運動の速度 / 174
第六項 運動の精度及び確度 / 177
第六節 兒童の生理的特性 / 178
第三章 靑春期の身體 / 186
第三篇 發育現象 精神
第一章 胎兒期の精神 / 189
第二章 兒童期の精神 / 193
【第一部】 / 193
第一節 兒童の行動 / 193
第一項 人類の本能的行動 / 193
第二項 兒童の本能的行動 / 208
第二節 兒童の情緖 / 297
第三節 兒童の習慣 / 303
【第二部】 / 308
第一節 兒童の注意及び興味 / 308
第一項 兒童の注意 / 308
第二項 兒童の興味 / 315
第二節 兒童の感覺 / 337
第三節 兒童の知覺 / 341
第四節 兒童の心象及び聯合 / 347
第五節 兒童の暗示 / 359
【第三部】 / 367
第一節 兒童の記憶 / 367
第二節 兒童の想像 / 379
第三節 兒童の思考及び言語 / 387
第一項 兒童の思考 / 387
第二項 兒童の言語 / 399
第四節 兒童の意志及び道德性 / 405
第五節 兒童の人格 / 412
第一項 自我意識及び人格 / 412
第二項 個性 / 414
第三章 靑春期の精神 / 419
第四篇 發育規制
第一章 發生に於ける規制 / 429
第二章 遺傳による規制 / 447
第五篇 發育異常
第一章 身體の異常 / 469
第二章 智能の異常 / 478
第一節 精神薄弱兒 / 478
第二節 精神高能兒 / 485
第三章 性格の異常 / 490
第一節 精神低格兒 / 490
第二節 不良少年 / 495
第六篇 發育原理
第一章 兒童學の基本問題及び發育原理 / 505
第二章 發育法則 / 542
參考書 / 552
索引 / 564









改訂増補版
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パウル・サバティエ著(中山昌樹訳)「アッシジの聖フランチェスコ」、洛陽堂

2014年02月20日 | 断想および雑談
パウル・サバティエ著(中山昌樹訳)「アッシジの聖フランチェスコ」、洛陽堂



アッシジの聖フランチェスコ

パウル・サバティエ 著 ; 中山昌樹 訳




[目次]
標題
目次
緒論 / 1
第一章 青春時代 / 37
第二章 回心の段階 / 52
第三章 千二百九年前後の教會 / 68
第四章 煩悶と勝利 / 99
第五章 使徒職の第一年 / 121
第六章 聖フランチェスコとインノケント三世 / 139
第七章 RIVO-TORTO / 154
第八章 PORTIUNCURA / 174
第九章 聖キアーラ / 208
第十章 外国傳道の開始 / 231
第十一章 衷なる人と奇蹟 / 249
第十二章 千二百十七年の僧大會 / 267
第十三章 聖ドメーニコと聖フランチェスコ / 285
第十四章 教團の危機 / 310
第十五章 千二百二十一年の規範 / 326
第十六章 「小さき兄弟達」と智識 / 348
第十七章 聖痕(STIGMATA) / 369
第十八章 「太陽の頌歌」 / 382
第十九章 晩年 / 399
第二十章 聖フランチェスコの遺言と死 / 430



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