山本瀧之助(一八七三~一九三一年)を”青年団運動の母”にしたのは内務官僚田澤 義鋪(よしはる)らだった。田澤は内務官僚丸山鶴吉の知己であり、青年団結成の必要性を説いて全国遊説(出前授業or講演活動)していた山本を「青年団運動の母(先覚者)」として敬意を払った人物だった。山本の死後、彼の著作集を熊谷辰治郎編として山本瀧之助氏功労顕頌会より出したのも田澤の助力の賜物だったろ。
山本の顕彰碑が故郷に建立されているが、その建設にも、名義上、田澤と丸山が大きく関与していた(中心的に関わったのは村田露月)。
山本瀧之助の著書は十数作品あるが、『山本瀧之助全集』にはそのうち、『田舎青年』『地方青年団体』『模範日』『早起』『尐年団研究』『一日一善』『青年修養着手の個所』『幹部の修養』など11冊を収録。
これら山本の著書の多くを出版面で支援したのは同郷の河本亀之助(東京・洛陽堂経営者)だった。
復刻版が(近代社会教育史料集成, 2)日本青年館, 1985.12として不二出版から刊行されている。この復刻版と昭和6年刊の元版を印刷状態を比較してみると・・・・・
復刻版では掲載写真を元版よりコントラストを大きくし、シャープネスを強調気味。相当に画質が劣化
肝心の活字部分は復刻版では普通にかすれている。国書刊行会はよいが不二出版などはこの程度。状態の良い元版を入手し、経費はかかるが改装(製本しなおす)のがよいかもしれない。元版の古書価格は現在1.5-2.0万、改装には神奈川県の三栄社(技術的にはナイス)の場合2万程度かかる。
山本はライターとしても中々の人だったが、「青年団運動の母」(まともな学校教育が受けられない農村青年たちの啓蒙活動=社会教育活動の先導者)という形で祭り上げられた部分もあり、山本自身が危惧していたように、大正3年段階には国家主義的に再編成されていたプロシアの青年団運動の実情に明るかった田中義一らの路線(青年団・青年教育運動を徴兵制導入に利用する路線)に引き込まれ大正-昭和初年の国策に沿った形で動いている。日露戦争後、地方改良・国民感化事業が開始される訳だが、この時期には山本タイプの”伝道師”(説教師or講演活動家ら)は宗教家・社会主義者・農民啓蒙家など多士済々だった。
長志珠絵「青年団イデオローグ山本瀧之助に関する一考察」、歴史評論494,1991,15-42頁など読んでも、私的には山本に関してなんの感慨も湧かなかった。わたしが山本に興味を覚えるとしたら居村の民俗誌的記述に関する部分限定かな~。
山本の顕彰碑が故郷に建立されているが、その建設にも、名義上、田澤と丸山が大きく関与していた(中心的に関わったのは村田露月)。
山本瀧之助の著書は十数作品あるが、『山本瀧之助全集』にはそのうち、『田舎青年』『地方青年団体』『模範日』『早起』『尐年団研究』『一日一善』『青年修養着手の個所』『幹部の修養』など11冊を収録。
これら山本の著書の多くを出版面で支援したのは同郷の河本亀之助(東京・洛陽堂経営者)だった。
復刻版が(近代社会教育史料集成, 2)日本青年館, 1985.12として不二出版から刊行されている。この復刻版と昭和6年刊の元版を印刷状態を比較してみると・・・・・
復刻版では掲載写真を元版よりコントラストを大きくし、シャープネスを強調気味。相当に画質が劣化
肝心の活字部分は復刻版では普通にかすれている。国書刊行会はよいが不二出版などはこの程度。状態の良い元版を入手し、経費はかかるが改装(製本しなおす)のがよいかもしれない。元版の古書価格は現在1.5-2.0万、改装には神奈川県の三栄社(技術的にはナイス)の場合2万程度かかる。
山本はライターとしても中々の人だったが、「青年団運動の母」(まともな学校教育が受けられない農村青年たちの啓蒙活動=社会教育活動の先導者)という形で祭り上げられた部分もあり、山本自身が危惧していたように、大正3年段階には国家主義的に再編成されていたプロシアの青年団運動の実情に明るかった田中義一らの路線(青年団・青年教育運動を徴兵制導入に利用する路線)に引き込まれ大正-昭和初年の国策に沿った形で動いている。日露戦争後、地方改良・国民感化事業が開始される訳だが、この時期には山本タイプの”伝道師”(説教師or講演活動家ら)は宗教家・社会主義者・農民啓蒙家など多士済々だった。
長志珠絵「青年団イデオローグ山本瀧之助に関する一考察」、歴史評論494,1991,15-42頁など読んでも、私的には山本に関してなんの感慨も湧かなかった。わたしが山本に興味を覚えるとしたら居村の民俗誌的記述に関する部分限定かな~。