- 松永史談会 -

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高島平三郎の弟子:関寛之の大著「日本児童宗教の研究」

2014年02月21日 | 断想および雑談
日本児童宗教の研究

関寛之 著




[目次]
標題
目次
獻呈之辭 / 卷頭1
自序 / 3
凡例 / 1
目次 / 1
姉崎正治博士‐關寛之君の「日本兒童宗教の研究」 / 卷尾1
序説 / 3
I 兒童宗教の發達 / 101
II 兒童宗教の發達と迷信との關係 / 273
兒童宗教の構造、特質及び類型 / 391
IV 兒童宗教と原始宗教 / 515
V 兒童宗教の規制 / 565
VI 兒童宗教の豫備研究 / 647
結論 / 733
附録

関寛之は戦時中はひたすら学術研究に打ち込み、加藤一夫のような「天皇陛下万歳」の絶叫パフォーマンスなどはしなかった。そういう面では高島平三郎よりは冷静で、佐々木信綱同様節度ある人生を送る学者に成長していた。
本書は当時欧米で流行していた宗教民俗学・宗教人類学に踏み込んだ書物(関自身は「宗教心理学」と認識)として注目される。
本書をみて私などはマーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)夫妻がニューギニアやバリ島山間部で住民の生活行動を分析した一連の研究が想起された。

西田はいつもの調子で、レトリックを駆使しながらのらりくらり、遠回しに政治のことはいざ知らず学問をやる人間は短気(日本の事物を研究することが日本精神であるかのごとく考えられがちだが、そうではなく外国の事物を研究しても日本的な見方考え方の中に日本精神が現れる考えるべきだと指摘)を起こしてはあかんと戒め、大楠は立場上というか生真面目というか体制迎合的に仏教思想の中の全体主義的原理を国家主義擁護論へと接合してみせる。それに対して万葉研究の佐々木信綱は命あるかぎり学問(「万葉学」=国学)のために奮闘しなければならないと述べている。先に紹介した関寛之の考え方は佐々木に近いといえるだろう。

帝国学士院講演速記録、昭和13年

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