- 松永史談会 -

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松永史談会9月例会のご案内

2022年09月07日 | 松永史談会関係 告知板
松永史談会2022年9月例会を下記の要領で実施致します。
開催日時と場所

9月30日金曜日、午前10-12時
喫茶店「蔵」一階(店側の説明では”貸し切り”)
話題「「明治以後に於ける山陽本線松永駅周辺の都市開発(性格としては「非効率的な資源利用につながる、近代日本における都市政策の欠落に起因する無計画かつ漸増的な都市成長」の実態)について」(松永史談会2019年2月例会の続編:総括編という位置づけの話題となる)。
1954年3月撮影 松永市制施行当時の西町及び塩田の状況が判る。
市制施行前からの古い町場化の見られた栄町@東島での住宅は東島全域での埋め立て工事が不十分で、域内の住宅はこんな有様。防災面での脆弱性は明白。判屋栄町会館(旧母子寮)が松永小学校の前身・明治8年常磐小学校跡。

同様の状況は塩田の宅地・工場用地への転用が早い段階から見られた本郷島でも認められる。。旧畑と塩田境界部に立地する商工会議所松永支部の南隣はこんな状況だ。2㍍以上の高度差。ここでは鍋底状の窪地に住宅や職住混在型の各種事業所集積。

長和島のロイヤル自動車学校脇に残る旧塩田地形の痕跡(1メートルかさ上げされた車道との比高は4㍍程度・・石崖部分に注目すると、石段下の横石がかつての延谷屋浜塩田面を示す。

1962年ゼンリン住宅地図に見る駅周辺

昭和48(1973)年撮影・・・福山市合併
楠務『松永の展望』,中国観光地誌社、1955
広島河川国道事務所関係 国道2号線(昭和34年開通、国道2号線松永バイパス(昭和53~昭和62)道路建設⇒塩田埋立土供給。参考までに、松永地区の江戸後期~戦前における埋立土としては塩業の産業廃棄物(石炭ガラ)利用
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