- 松永史談会 -

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時間の形

2011年11月13日 | 教養(Culture)
時間を変動・不動のうちの不動というか持続性という局面から形象化するとテンポとかDuration(期間、持続時間)という時間の形が浮かびあがってこよう。
例の本川 達雄:「ゾウの時間・ネズミの時間サイズの生物学 (中公新書)

スケーリングの話をここで展開する余裕はないがたとえばナノ秒~光年まで時間スケールにはかなり幅がある。
日本の説話の中には興味深い時間観念が語られる。
たとえば、お伽ばなしの『浦島太郎』の中ではこの世とあの世(竜宮城のある場所)との交通が話題とされ、この世とあの世(この場合はある種の神仙郷)との間には3年対300年程度の時間スケールの差があった。
今昔物語集 巻16の17』には家の床下に住むキツネが化けた女との蜜月生活をおくる長者(地方の金持ちのおっさんこと賀陽良藤)の説話が登場するが、ここでは確か人間の世界での2週間程度の浮気期間が動物(キツネ)の世界では十数年程度の期間として語られていた。

今昔物語集 文献
今昔物語巻16

たくさんの類例をチェックする必要があるが、どうも前近代における日本人の文学的思惟の中には動物の世界・人間の世界・神の世界の3者間にはたとえば時計の秒針・分針・時針のようなテンポのことなる複数の時間スケールが存在したようだ。

つまり動物の世界では「移ろい行く季節」は秒針の動きのようにせわしなく変化する。それに対して竜宮城のある神仙の世界では時間が相当の長周期で、時針のごとく、ゆっくりと経過していく。そういう意味ではここには”悠久の時”があったのだろうかぁ(笑)

そういう思惟の仕方をすると、この世の「樹齢300年」は神仙の世界の高々樹齢3年程度に収まってしまうものなのだろ。

哲学的には時間論はベルグソンに始まるようだが、皆さま方はベルグソンって全く知らないか、知っていたとしても、私がそうであったように、何処かの珍●君だと思ってませんでしたか。
下の写真は複数の時間性(週末というweeklyな時間性、昼下がり否朝方というdailyな時間、親子という世代間の生活時間・動物園に類人猿を閉じ込めそれを人が眺めるという図式が完成する世界時間中の「近代」(歴史学が問題とする時間)そしてサルとヒトとの間の進化論上の時間性)を含んだなかなか面白い写真だと思う。





参考資料 今昔物語集巻16の第17話

「備中国の賀陽の良藤、狐の夫となりて観音の助けを得たる語(備中國賀陽良藤、為狐夫得観音助語)」
今は昔、備中国賀陽郡葦守の郷に賀陽の良藤という裕福な両替商がいた。
 寛平8(896)年の秋のこと。妻が京に出かけ、そのあいだ良藤はひとり、屋敷で過ごしていた。ある日の暮方のこと、散歩をしていると見かけない美麗な娘を見かけた。欲をおこして良藤が近づこうとすると、娘は逃げるふうだったので駆け寄って捕まえた。良藤は「あなたはどのような人ですか?」と問う。
「どうという者ではありません」
 そう応えた娘は可憐であった。良藤は屋敷に誘ったが拒むので、「ならあなたのところについて行くよ」と、ついていくと案外近くに瀟洒な家があった。家内には人も抱えていて、「お戻りになられました」と慌しい。良藤はこんな屋敷の娘なのかと嬉しくなり、その夜は娘と通じた。
 あくる朝、家の主人に挨拶をした良藤は娘に心が移り、ここに寝起きするようになり、もとの家のこと、子供らのことを思い出さなくなった。
 元の屋敷では戻らない主を、「またどこかに言ってしまった」などと言い合っていた。ところが今回は普段着で出たのがいつまでも帰らない。ほうぼう捜したが分からない。

 良藤のほうでは年月が去り、妻は懐妊し子が生まれ、情は益々深まって満ち足りた日々が過ぎていた。

 元の屋敷では良藤の兄弟や子が集まり、もはや屍すら求め得ないと嘆きながら、良藤の背丈と同じ十一面観音像を造立し、日々に後世をとぶらっていた。

 あるとき良藤のほうに、杖をついた男が訪ねてきた。すると家人はこの男を激しく恐れ、ちりぢりに逃げてしまった。男は良藤の背を杖の先で突き、どこか狭いところから良藤を引っ張り出した。
 元の屋敷では、人々が悲しんでいた。すると庭先の蔵の影から黒い猿のような人影が這い出してきた。「何だ何だ」とはやし立てると「私だ」という。良藤である。父の声を認めた息子が良藤に何があったかを問うた。
「妻の留守に浮気心を起こして、行った先で暮らしていた。かわいい息子も生まれて……」
 良藤はこれまでの日々のことを告白し「その子を世継ぎにしたいのだ」とまで言う。そうは言われても息子は不審である。というのも、良藤が失踪してから13日しか経っていない。「その子はどこにいるのですか」と問えば蔵のほうを指差した。兄弟をはじめ家人らは奇異に感じて、良藤の様子を眺めたが、病人のように痩せ、衣類は失踪のときのままである。蔵の下を確かめさせたところ、多くの狐が逃げて行った。その逃げた跡を見ると良藤が伏せていた形跡がある。
「これは良藤が狐に謀られてのことではないか」
 家の者らは事態を知って、僧をよび祈らせ、陰陽師に祓わせ、何度も沐浴させたが昔の通りではない風情であった。
 後に良藤は正気を取り戻したが、彼は13日を13年として暮らしていて、蔵の下はわずか四・五寸であったが広い屋敷だと思っていた。これは霊狐の徳(※)である。杖をもった男というのは十一面観音の化身であったのだろう。
 されば世の人々は専ら観音を念じ奉ることである。その後、良藤はつつがなく、六十一まで生きた。この話は三善の清行の宰相が備中守であったとき、伝えられていた話を聞き、語り継いだものである。

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