大谷光瑞年譜(1876-1948)
この男は大日本「帝国を一大要塞に」せよと論じた極めつけの軍国主義者、国家主義者だが「大谷光瑞興亜計畫」 全10巻、昭和14-15を刊行し、大東亜共栄圏の実現を目指そうとしていたのだろうか。戦場に従軍僧を派遣し、本願寺別院のような布教拠点を構築していった。大東亜を本願寺主導の楽土にすることを夢想していたのだろ。
西本願寺の財政を破たん寸前においやった名代の浪費家だったが、我々のような凡人の尺度では推し量れないようなスケールの大きさな行動力を発揮した国会図書館の「近代日本の肖像」で紹介された偉人の一人。
研究者:白須浄真
オオタニタンケンタイケンキュウノアラタナチヘイ
大谷探検隊研究の新たな地平
アジア広域調査活動と外務省外交記録
ほか、白須は大谷探検隊に関する優れた著者をいくつも上梓。
柴田幹夫編「大谷光瑞とアジアー知られざるアジア主義者の軌跡」、勉誠社、2010
目次
はじめに/柴田幹夫
第一部 大谷光瑞研究の実情と課題/柴田幹夫
第二部 大谷光瑞小伝/柴田幹夫
第三部 大谷光瑞とアジア
第一章 「大谷光瑞と朝鮮―光瑞にとっての朝鮮、朝鮮にとっての光瑞―」/山本邦彦
第二章 「大谷光瑞とロシア」/三谷真澄
第三章 「大谷光瑞と樺太」/麓慎一
第四章 「大谷光瑞と中国」
第一節 「大谷光瑞と大連」/柴田幹夫
第二節 「大谷光瑞と西本願寺および青島との関係について」/修斌(柴田幹夫訳)
第三節 「上海西本願寺と上海日本人居留民」/陳祖恩(加藤斗規訳)
第四節 「大谷光瑞と漢口」/野世英水
第五章 「大谷光瑞とチベット」/高本康子
第六章 「大谷光瑞と南洋」/加藤斗規
第七章 「建国の父ケマルパシャのパートナーであった大谷光瑞と土耳古国」/エルダル
第四部 大谷光瑞とその時代
第一章 「本願寺の海外開教」/高山秀嗣
第二章 「大谷光瑞と本願寺六五〇年遠忌」/潮留哲真
第三章 「上原芳太郎と大谷光瑞」/和田秀寿
第四章 「大谷光瑞と本多恵隆らの時代と「坂の上の雲」/本多得爾
第五章 「二楽荘の建築に影響した英国の邸宅文化とインドの僧院の景観」/服部等作
第六章 「大谷光瑞と香・薬物」/猪飼祥夫
第七章 「大谷学生と瑞門会」/小出享一
第八章 「言論人 大谷光瑞の誕生-中国認識をめぐって-」/小野泰
第九章 「日本国外務省外交記録と大谷探検隊の研究―近8年の回顧と新たなフィールドの設定―」/白須淨眞
第十章 「大谷光瑞と別府」/掬月誓成
おわりに/白須淨眞
索引
大谷光瑞年譜/柴田幹夫
書評情報
「近代仏教」(第19号(2012年5月))にて、本書の書評が掲載されました。(評者:安藤礼二)
大谷光瑞と現代日本
大谷光瑞 「蘭領東印度地誌」、1940、有光社
[目次]
標題
目次
一、疆域 / 1
大小島嶼其數幾千 / 1
蘭印は我帝國の事實上の隣國なり / 7
蘭印と英領諸地其他との關係 / 10
二、地形及地質 / 13
全般的地形 / 13
錯綜せる火山脈 / 16
火山系と諸高峯 / 27
平原、河川湖沼及高原 / 37
海洋 / 65
地質 / 72
三、氣象 / 89
大別せば乾濕兩季 / 89
氣壓は槪ね低し / 91
氣溫は全般的に好適 / 93
降雨狀況 / 104
綜合觀察 / 128
四、物產 / 130
農產を第一とす / 130
ジヤバ特有の大產物、砂糖 / 163
畜產 / 165
林產 / 176
水產 / 187
礦產 / 194
工業 / 206
五、交通 / 217
交通至便の蘭印 / 217
海運 / 219
陸運 / 224
空運 / 236
六、住民 / 242
所謂インドネシア民族 / 242
人口統計 / 243
都邑 / 258
宗敎 / 266
敎育 / 267
行刑 / 269
一般住民最近の景況 / 269
七、歷史 / 272
一千餘歲のジヤバ史 / 272
印度移民の渡航以來 / 274
ワルマン王朝よりムプシント王朝まで / 282
ケン・アロ以後の歷史 / 296
和蘭人の渡來 / 316
一六四六年以後最近まで / 327
八、結論 / 334
「国立国会図書館のデジタル化資料」より
中国を題材とした文芸集「濯足堂漫筆」
「印度地誌」や「台湾島之現在」の著書もある。いずれも大航海時代以来の特産物を取り上げた物産誌の書法を踏襲した作品だが、明治~昭和前期を通じて彼をしのぐスケールの「地理学徒」はいないだろ。
わたしが大谷光瑞に近しい物を感じるのは私にとっては馴染みのインドネシアのセレベス(Sulawesi)島北端の中心都市メナド郊外にオランダ領東印度での活動拠点(栽培植物研究)を作っていたことと神戸のある大学キャンパスの上方、六甲山中腹に別荘「二楽荘」を構え日常的に大学関係者がその施設が山崩れの原因になるかもと心配していたことの2点からだ。
富士川游は晩年真宗研究を行うが、これはあるいは大谷光瑞の影響かも?
確証がないが、仮説検証という感じで調べてみいたら面白そうだ。
参考までに三原市出身の渡辺哲信は大谷光瑞(のちの浄土真宗本願寺派西本願寺第 22 世宗主)が率いる第一次大谷探検隊 の隊員として、堀賢雄とともに、ユーラシア大陸を西から東へと横断し、 パミール高原を越え、タクラマカン砂漠を横断した最初の日本人。
この男は大日本「帝国を一大要塞に」せよと論じた極めつけの軍国主義者、国家主義者だが「大谷光瑞興亜計畫」 全10巻、昭和14-15を刊行し、大東亜共栄圏の実現を目指そうとしていたのだろうか。戦場に従軍僧を派遣し、本願寺別院のような布教拠点を構築していった。大東亜を本願寺主導の楽土にすることを夢想していたのだろ。
西本願寺の財政を破たん寸前においやった名代の浪費家だったが、我々のような凡人の尺度では推し量れないようなスケールの大きさな行動力を発揮した国会図書館の「近代日本の肖像」で紹介された偉人の一人。
研究者:白須浄真
オオタニタンケンタイケンキュウノアラタナチヘイ
大谷探検隊研究の新たな地平
アジア広域調査活動と外務省外交記録
ほか、白須は大谷探検隊に関する優れた著者をいくつも上梓。
柴田幹夫編「大谷光瑞とアジアー知られざるアジア主義者の軌跡」、勉誠社、2010
目次
はじめに/柴田幹夫
第一部 大谷光瑞研究の実情と課題/柴田幹夫
第二部 大谷光瑞小伝/柴田幹夫
第三部 大谷光瑞とアジア
第一章 「大谷光瑞と朝鮮―光瑞にとっての朝鮮、朝鮮にとっての光瑞―」/山本邦彦
第二章 「大谷光瑞とロシア」/三谷真澄
第三章 「大谷光瑞と樺太」/麓慎一
第四章 「大谷光瑞と中国」
第一節 「大谷光瑞と大連」/柴田幹夫
第二節 「大谷光瑞と西本願寺および青島との関係について」/修斌(柴田幹夫訳)
第三節 「上海西本願寺と上海日本人居留民」/陳祖恩(加藤斗規訳)
第四節 「大谷光瑞と漢口」/野世英水
第五章 「大谷光瑞とチベット」/高本康子
第六章 「大谷光瑞と南洋」/加藤斗規
第七章 「建国の父ケマルパシャのパートナーであった大谷光瑞と土耳古国」/エルダル
第四部 大谷光瑞とその時代
第一章 「本願寺の海外開教」/高山秀嗣
第二章 「大谷光瑞と本願寺六五〇年遠忌」/潮留哲真
第三章 「上原芳太郎と大谷光瑞」/和田秀寿
第四章 「大谷光瑞と本多恵隆らの時代と「坂の上の雲」/本多得爾
第五章 「二楽荘の建築に影響した英国の邸宅文化とインドの僧院の景観」/服部等作
第六章 「大谷光瑞と香・薬物」/猪飼祥夫
第七章 「大谷学生と瑞門会」/小出享一
第八章 「言論人 大谷光瑞の誕生-中国認識をめぐって-」/小野泰
第九章 「日本国外務省外交記録と大谷探検隊の研究―近8年の回顧と新たなフィールドの設定―」/白須淨眞
第十章 「大谷光瑞と別府」/掬月誓成
おわりに/白須淨眞
索引
大谷光瑞年譜/柴田幹夫
書評情報
「近代仏教」(第19号(2012年5月))にて、本書の書評が掲載されました。(評者:安藤礼二)
大谷光瑞と現代日本
大谷光瑞 「蘭領東印度地誌」、1940、有光社
[目次]
標題
目次
一、疆域 / 1
大小島嶼其數幾千 / 1
蘭印は我帝國の事實上の隣國なり / 7
蘭印と英領諸地其他との關係 / 10
二、地形及地質 / 13
全般的地形 / 13
錯綜せる火山脈 / 16
火山系と諸高峯 / 27
平原、河川湖沼及高原 / 37
海洋 / 65
地質 / 72
三、氣象 / 89
大別せば乾濕兩季 / 89
氣壓は槪ね低し / 91
氣溫は全般的に好適 / 93
降雨狀況 / 104
綜合觀察 / 128
四、物產 / 130
農產を第一とす / 130
ジヤバ特有の大產物、砂糖 / 163
畜產 / 165
林產 / 176
水產 / 187
礦產 / 194
工業 / 206
五、交通 / 217
交通至便の蘭印 / 217
海運 / 219
陸運 / 224
空運 / 236
六、住民 / 242
所謂インドネシア民族 / 242
人口統計 / 243
都邑 / 258
宗敎 / 266
敎育 / 267
行刑 / 269
一般住民最近の景況 / 269
七、歷史 / 272
一千餘歲のジヤバ史 / 272
印度移民の渡航以來 / 274
ワルマン王朝よりムプシント王朝まで / 282
ケン・アロ以後の歷史 / 296
和蘭人の渡來 / 316
一六四六年以後最近まで / 327
八、結論 / 334
「国立国会図書館のデジタル化資料」より
中国を題材とした文芸集「濯足堂漫筆」
「印度地誌」や「台湾島之現在」の著書もある。いずれも大航海時代以来の特産物を取り上げた物産誌の書法を踏襲した作品だが、明治~昭和前期を通じて彼をしのぐスケールの「地理学徒」はいないだろ。
わたしが大谷光瑞に近しい物を感じるのは私にとっては馴染みのインドネシアのセレベス(Sulawesi)島北端の中心都市メナド郊外にオランダ領東印度での活動拠点(栽培植物研究)を作っていたことと神戸のある大学キャンパスの上方、六甲山中腹に別荘「二楽荘」を構え日常的に大学関係者がその施設が山崩れの原因になるかもと心配していたことの2点からだ。
富士川游は晩年真宗研究を行うが、これはあるいは大谷光瑞の影響かも?
確証がないが、仮説検証という感じで調べてみいたら面白そうだ。
参考までに三原市出身の渡辺哲信は大谷光瑞(のちの浄土真宗本願寺派西本願寺第 22 世宗主)が率いる第一次大谷探検隊 の隊員として、堀賢雄とともに、ユーラシア大陸を西から東へと横断し、 パミール高原を越え、タクラマカン砂漠を横断した最初の日本人。