- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

日本児童学会 編『児童学綱要』、洛陽堂、T1(1912)

2014年02月21日 | 教養(Culture)
タイトル
児童学綱要
著者
日本児童学会 編
出版者
洛陽堂
出版年月日
大正1


これは日本児童学会にとっては門出を飾る出版物ということになるのだが、論文は明治44年11月神奈川県師範学校での日本児童学会での学術講演速記、学会発表とは別になされた書き下ろし論文、既往論文の転載分などを含んでいるらしい。倉橋惣三は当時は東大院生(心理学専攻、生来の子供好き)、富士川游と永井潜は高島とは旧知の医学者、藤井・唐徳・石川(東京帝大医学部教授呉秀三の弟子,呉秀三は広島県人で永井や富士川の知人)の医学部出身者。学会発表は医学系中心のものだったことが判るだろ。因みに高島の妹婿になる松本孝次郎だが明治34年に「実際的児童学」に刊行した人物だが、本書へは執筆していない。
おそらく、本書は元良を担ぎあげてはいるが、中心は高島・富士川・永井らで、医学系研究者の援護を受けて行った高島児童学の研究成果、発表の場と化していた。
当時流行していたブント流心理学は心理学を哲学から独立させ、科学的説明を持ち込もうとしていた。また心理学を自然科学的に仕立てるために心理学と生理学との結びつきを強めていた。そういうこともあってこの時も医学者とのコラボレーションとなったものであろう。これ以後高島の著述活動は心理学的知をベースとした社会教育・学校教育向けの啓蒙書に大きく傾斜していく。その結果、高島の心理学はブント流を飛び超え得なかったとされる。

この一年半あまり高島平三郎(1865-1946)、丸山鶴吉、河本亀之助の文献資料(ここでは主に古書)を収集してきたが、この手のものは国会図書館のデジタル化資料として公開されているので研究上は支障は少ないのだが、洛陽堂や高島の足跡を辿るには現物(雑誌を含む)がどうしても必要になる。本書には15の論文が所収されているがそのうち8本はなんと~高島平三郎のものだ。巻頭論文を書いた元良勇次郎(東京帝大・初代心理学科教授)は本書が刊行された1912年に亡くなっている。

没後100年記念出版
元良勇次郎著作集 全14巻別巻2












藤井秀旭:故南洋廰醫院醫長:叙正五位 昭和16年5月29日死亡》
2014年02月13日(木)
《藤井秀旭:故南洋廰醫院醫長:叙正五位 昭和16年5月29日死亡》

[南洋廰醫院 醫官:昭和6年4月2日   任官]
[南洋廰醫院 醫長:昭和16年5月29日 死亡]

内閣 拓位第五五〇号   p4/6
叙 正五位 昭和十六年五月二十九日死亡
故 南洋廰醫院 醫長 從五位 藤井秀旭
昭和六年四月二日任
南洋廰醫院 醫官 以来 在職十年以上
右 文武官叙位進階内則第四條ノ二ニ依リ
謹テ奏ス
 昭和十六年二日
  拓務大臣  秋田 清

[故南洋庁医院医長藤井秀旭位階追陞ノ件]
【 階層 】国立公文書館>内閣>叙位裁可書>昭和>
昭和16年>叙位裁可書・昭和十六年・叙位巻三十六
【 レファレンスコード 】A11115073100
【 年代域 】昭和16年【 画像数 】6

『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より


《藤井秀旭》
[京都醫科大學:明治36年入學 明治40年卒業]
【京都帝国大学一覧】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1607/

《藤井秀旭》
[南洋廰]
[パラオ醫院長:サイパン醫院長]
【職員録】昭和7~15年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1608/

《藤井秀旭:東京市小石川区駕籠町》
【最近調査大日本医師名簿】昭和6年
《藤井秀旭:東京市小石川区駕籠町》
【最近調査大日本医師名簿】昭和6年
【紳士興信録. 昭和8年版】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1609/

《藤井秀旭:サイパン醫院長》
【大衆人事録. 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1610/

《藤井秀旭:南洋廰 サイパン醫院長》
【大南洋興信録. 第1輯】昭和13年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1611/

ブント心理学

研究メモ)わたしは門外漢なので、高島平三郎を心理学とか児童研究・体育思想、女子教育というカテゴリーの中では扱えない、わたしが取り上げるとすれば、より彼の著書を史料として再構成される社会史的方面からのアプローチになるだろ。
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高島平三郎の弟子:関寛之の大著「日本児童宗教の研究」

2014年02月21日 | 断想および雑談
日本児童宗教の研究

関寛之 著




[目次]
標題
目次
獻呈之辭 / 卷頭1
自序 / 3
凡例 / 1
目次 / 1
姉崎正治博士‐關寛之君の「日本兒童宗教の研究」 / 卷尾1
序説 / 3
I 兒童宗教の發達 / 101
II 兒童宗教の發達と迷信との關係 / 273
兒童宗教の構造、特質及び類型 / 391
IV 兒童宗教と原始宗教 / 515
V 兒童宗教の規制 / 565
VI 兒童宗教の豫備研究 / 647
結論 / 733
附録

関寛之は戦時中はひたすら学術研究に打ち込み、加藤一夫のような「天皇陛下万歳」の絶叫パフォーマンスなどはしなかった。そういう面では高島平三郎よりは冷静で、佐々木信綱同様節度ある人生を送る学者に成長していた。
本書は当時欧米で流行していた宗教民俗学・宗教人類学に踏み込んだ書物(関自身は「宗教心理学」と認識)として注目される。
本書をみて私などはマーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)夫妻がニューギニアやバリ島山間部で住民の生活行動を分析した一連の研究が想起された。

西田はいつもの調子で、レトリックを駆使しながらのらりくらり、遠回しに政治のことはいざ知らず学問をやる人間は短気(日本の事物を研究することが日本精神であるかのごとく考えられがちだが、そうではなく外国の事物を研究しても日本的な見方考え方の中に日本精神が現れる考えるべきだと指摘)を起こしてはあかんと戒め、大楠は立場上というか生真面目というか体制迎合的に仏教思想の中の全体主義的原理を国家主義擁護論へと接合してみせる。それに対して万葉研究の佐々木信綱は命あるかぎり学問(「万葉学」=国学)のために奮闘しなければならないと述べている。先に紹介した関寛之の考え方は佐々木に近いといえるだろう。

帝国学士院講演速記録、昭和13年

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亀倉順一郎「趣味の西洋史」上巻

2014年02月21日 | 断想および雑談
「はしがき」に津田左右吉の尽力で出版したとある。

タイトル
趣味の西洋史. 上巻
著者
亀倉順一郎 著
出版者
洛陽堂
出版年月日
大正11年8月15日


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高島「応用心理講話 : 通俗」 明治44年 六合社

2014年02月21日 | 断想および雑談
応用心理講話 : 通俗

高島平三郎 著


共同刊行: 服部書店

「国立国会図書館のデジタル化資料」より

[目次]
標題紙
目次
第一講 意識と注意との話 / 1
第二講 感覚及び知覚の話 / 69
第三講 記憶の話 / 135
第四講 想像の話 / 204
第五講 概念の話 / 244
第六講 判断の話 / 295
第七講 推理の話 / 344
第八講 感情の話 / 394
第九講 意思の話 / 451






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高島平三郎「婦人の為めに」 大正名著文庫 ; 第31編、至誠堂書店 T7

2014年02月21日 | 断想および雑談
婦人の為めに

高島平三郎 著


[目次]
標題
目次
第一編 婦人と心理
一 笑の話 / 1
二 女性と羞恥心 / 32
三 嫉妬心の研究 / 61
四 姑の心理 / 150
五 老人の心理 / 178
第二編 婦人と社會
一 婦人十訓 / 190
二 社交と虚榮心 / 201
三 嫁入前の娘を持ちて / 217
四 お高祖頭巾の話 / 232
五 家庭と趣味 / 243
六 都會生活と田園生活 / 249
七 婦人慘劇の批判 / 261
八 情死の話 / 285
第三編 婦人と教育
一 精神の萠芽 / 307
二 子供心の發育状態 / 322
三 家庭教育の基礎 / 332
四 家庭と兒童 / 341
五 玩具と教育 / 353
六 子供の喧嘩に就いて / 360
七 虚言の研究 / 366
八 幼兒の早熟と神經過敏性とに就いて / 394
九 教育上活動寫眞の利害 / 399
十 動物の愛護 / 409
十一 賞罰の注意 / 417
十二 夢の教育 / 429
十三 休暇移住の話 / 446


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