- 松永史談会 -

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平成25年8月の図書展示:河本亀之助と東京洛陽堂

2013年07月06日 | 教養(Culture)
展示を見てきた!(2013-07-06 21:01:22投稿記事)


この図書館は図書展示だけで「河本亀之助と東京洛陽堂」と題する講演会の方は開催しないようだ。
河本の業績を広く紹介する時に、いわばセールストークのような感じで「夢二画集」や雑誌「白樺」・「月映(つくばえ)」、白樺叢書の刊行を捉えて、有名作家や画家・装丁家の名前を出すのだが、実は河本が出版した書目は医学・哲学・心理学・社会教育・神学・歴史学など多岐にわたり、かつ当時としては結構、新鮮で意欲的な内容のものも多い。
たとえば、①現代的な問題性を含む生命論とか科学と哲学との接点とかに注目した永井潜や、児童学という新領域を開拓し、仏教書をドイツ流の観念論の中ではなく、心理学的に読み解こうとした高島平三郎の斬新な試みは今日的に見ても素晴らしいものだし、②日清・日露戦争後の農村青年の教化と社会的組織化に関して精力的な活動を行い、いまでは明治大正期の社会学的成果として読み替え可能な処を含む山本瀧之助の著書、そして③大正・昭和期に一貫して国際協調と平和の大切さを説き、警察からマークされながらもキリスト者として一貫して国家主義(軍国主義)に対して懐疑的だった帆足理一郎④皇国史観が闊歩した時代に出版法第二十六条の皇室の尊厳冒涜罪に抵触するギリギリのところで展開された津田左右吉の実証主義的史学(思想史)面での著書の出版などは河本亀之助の生き方(例えば旺盛な同郷意識)あるいは思想的立ち位置の反映と理解すべきものだろう。
帆足理一郎(大正14年)の肖像写真
1926年(大正15,理一郎45歳)の『婦人画報』10月号掲載の帆足一家で、左から右へ帆足理一郎、帆足みゆき(元尼さん、結婚後評論家)、喜與子、みち子。

早稲田の学生からみると哲学教授というよりもデューイの翻訳紹介者あるいは(デューイの)教育論の専門家というイメージが強いとかと書いたものがあるが、彼は大正・昭和期を通じて、一貫して国際協調や平和の大切さを説き、ドイツ流の国家主義の危うさを危惧し続けてきた。
出版面で東京洛陽堂の世話になった人物たちをクイズ形式で

山本瀧之助

亀之助クイズ

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