- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

阿部氏入部後始まった「田盛大明神祭礼」

2018年02月26日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
田盛庄司神話を祭礼化した近世起源の村行事・・・・神主・河本家が田盛庄司の子孫だと規定し、そこに高須村・西村・東村といった周辺諸村の庄屋・神社関係者たちが集合し会食するというものだ。このとき初穂米(古来祭祀を主導した豪族がその費用や供物とするために支配民から徴収したものだが、ここでは神に献じるために収穫作業の前に予め穂苅された稲穂から取れた米)をつかって醸造された濁酒がふるまわれたようだ。河本四郎左衛門眉旨は教養もあり、親(幼名:弥八、1776年/18歳で庄屋となり、石井熊峰門下として字:士端、号:廣岡、22歳になる天明元年に四郎左衛門、天明7年に富太に改名した。寛政5年に藩に対し「時論12章」を献策し名字帯刀。寛政9年に家禄を得ることになる河本保平和義)の代から郷士(月3石or 在方扶持人)として福山藩の家中に組み入れられており、周辺の村々の庄屋からも一目置かれる存在だったのだろうか。18世紀といえば藤井川河口部左岸の高須・西村・今津三ヶ村入会干潟の干拓事業が進められた時期(宝暦5年築堤、明和3年補強工事、寛政元年修復工事、寛政2年補強工事、天明9年6月洪水発生に伴う災害復旧工事)に当たり、その難工事を円滑に進めるためには、関係諸村は協調して行かざるを得なかったはずだ。(やや穿った見方をするようだが、)そのために持たれた会食を伴う寄り合いを捉えて河本四郎左衛門は(『備後郡村誌』の例が正にそうであったように村民の目に触れないこの答書のような場の中では)自分に都合よく「田盛大明神祭礼」と言っていた可能性もある。後述することとも関連することだが、この人物(河本保平和義&四郎左衛門眉旨父子)たちならこのくらいのことはやってのけただろうと思えてならない。

文化15(1818)年旧暦1月27日夕方-28日は新暦に直すと1818年3月3日―4日にあたる。28日は仏滅だったようだ。



次の史料は阿部氏が福山領に入部したときに差し出されたデータに、文化12,3年ごろの調査データ(『福山志料』編纂時にあたる)が加えられて編纂されたもので文政元年(1818)に藩に提出された『備後郡村誌』だ。つまり、河本四郎左衛門によって作成された「今津村風俗問状答書」が作成されたまさに同じ時期にこの『備後郡村誌』が編纂されていたことになる。この郡村誌には剣大明神にかんして新羅国王と田盛(田盛庄司安邦)のことが朱書され、この部分が文化期の追記であることが判る。すでに白鳳期の村長田盛庄司(安邦)という文言を有する史料がすべて偽文書であることは論証済みだが、この文言は18世紀に再建された『蓮華寺由緒書』にも記載されていたようだ。
正徳元年(1711)ー文政元年(1818)期までの100年あまりの間に河本氏は蓮華寺を巻き込む形で過去の偽造を繰り返した。そうした中で剣大明神境内の「田盛之社」が神主河本氏によって建立され、それだけにとどまらず河本氏の祖先をまつった当該神社を近隣村を巻き込む形での今津村の村落行事化したことを河本四郎左衛門作成のこれら一連の史料は主張したもの。考えてみればたんなる作り話にしか過ぎない河本家(天正・慶長期の毛利氏による惣国検地上に安毛(弥介)在住の孫左衛門と記載された人物が河本氏の史料上明らかな祖先、庄司でもなく「中こやの惣兵衛」のような10町歩規模の田畠を有する在地領主級の大百姓でもなかった)の祖先神話に実体性を持たせるために藤井川河口部一帯の盟主を演じるなど随分と厚顔無恥な事を行ったものだ。今津宿の本陣、福山城の西の砦として位置づけられた剣大明神の神主そして今津村の庄屋職を近世を通じて独占的に兼帯してきたことがこうした腐敗体質を生み出す契機となったのかもしれない。河本保平和義の場合、自分の管理する剣大明神を式内社・高諸神社に変更しようとしたり、剣大明神を「当一国総鎮守」するなど過去の偽造に積極的に加担した

菅原守編纂『備後向嶋岩子島史』にも『御調郡誌』の説を引用しつつ島内産土神を「椙(杉)原別宮」からの分霊だとか和泉式部伝説を史実と主張したりする(208-209頁)一方、向島西八幡境内の石碑(昭和9年建立)に刻まれた本社が「備後国総社」だとの文言については嘘だと批判(157頁)。自分の村の神社を備後国の総鎮守だという偽史言説は備後国各地ではいろんな形で流布していたようだ。

河本和義の母親は豊田氏だが,これが沼隈郡高須村で帰農した水野浪人:豊田氏であったか否かいまのところころ未確認(確認予定なし)、

河本四郎左衛門らの執拗な過去偽造行為の痕跡:今津浦に漂着した新羅の王
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新市町大字下安井の神縄

2018年02月25日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
この種の神縄吊りの習俗は京都府・滋賀県・奈良県・三重県辺りを中心に近畿地方(京都市立竹田小学校校門前の神縄)に多い。滋賀県に多い勧請縄
地( 虵?)斬峠(柏の蛇きり峠)のところに「七五三縄」と呼ばれる大繩を張っている。


「 虵斬(蛇きり)峠」と呼ばれている『福山志料・下巻』には秋になると柏の集落の人々がこの峠の左右の木に大蛇の形をしたしめなわをつくり、くくりつけていた様が描かれている。



地名から大繩で制作した大蛇を境界性を持った場所に布置したものだ。この種の神縄は河川に掛けたり、村の通路上にかけたり色々だが外部から侵入してくる悪疫・災厄を封じるための清跋装置であったり、各種の供物(形状をもした藁製品であることもある)などを神霊にお供えするための呪術宗教的装置であったりする。

勧請縄の色々

神縄

藁の大蛇

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祓いと清めー旧暦6月に行われた「虫送り」ー

2018年02月24日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
虫送り団の行進(災厄を地域共同体の一方の端からもう一方の端としての海に流す形式で払うパフォーマンスだ。呪術としては期待する結果を模倣する形でパフォーマンスを行うという面では感染呪術[最悪の原因となっていると観念されたものを竹棒+幟につけそれを村堺から受け取り、それらを海へ流すことによって追い出す形の呪術的行為]的)


生活世界(life world・・・folkloreを含む日常的な知の世界)を支配したのは当時の日本人を支配していたあらゆる災厄を「清め」と「祓い」(清祓)という行為で解決出来ると考えた原始的というか前科学的な心性(論理・・・レヴィ・ブリュール『未開社会の思惟』、1910年と『原始的心性』、1922年)だったろう。河本四郎左衛門主導の迷信にどっぷりの江戸時代人の世界が透かし見えてくる。



御調郡原田村小原(広島藩領)から剣大明神境内から海へ。6㌔ほどの行程だった。氏神さん(本郷八幡)の祭祀圏の一方の端から別の一方の端に向けて厄を送る。






富士川游の「迷信の研究」・・・・参考になるかなと思って借り出してみたが・・・・

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沼隈郡今津村の雨乞い神事で使われた近世末期の鬼面

2018年02月24日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
桐を使った鬼面。桐材なので軽い。オデコ部分には2本の角が着けられたのだろう。今津村の祭礼ではいろんな場面に此の種の鬼面が使われた。6月の雨乞い神事、7月15日の砂揚げ祭では鉦・太鼓・幟と共にこの鬼面が使われた。



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その足で長草田池へ

2018年02月24日 | repostシリーズ
お歯黒


近世の今津村風俗答書に両親のいる15歳の未満の男子を外泊させる風習が記載されていた。これは谷川健一がどこかで書いていた「試験婚」という風習と関係するのかいなか興味がある。私の祖父の場合もそうだったが近世の元服年齢14、5歳で入籍しているというのは奇妙な風習だと思ったものだ。

今津でも結婚したり子供が生まれたりすると女はお歯黒・引眉(眉毛をそり落とす風習)したようだ。お歯黒も引眉も醜態の極みだと思われるのだが、そういえばビルマ女性の顔に「タナカ」という白粉を塗る風習があるが、結婚してタトゥをする習慣なども女性の美醜の差を使った未婚/既婚の身体標識だったのだろう。髪型も既婚者は丸髷にしたようだ。

お歯黒をして「半元服」、眉を剃り落として作り眉にすることを「本元服」と言い、成人女性と認められる通過儀礼でした。次第にお歯黒をつける年齢は十三歳、十七歳と上がって、江戸中期以降は、結婚前後に歯を黒く染め、子供が生まれると眉を剃り落とすようになっています。現在の美観とは全く違う、“お歯黒・剃り眉”のメークが江戸時代には慣習になって定着していたのです。

お歯黒の女性(明治初期沼隈郡今津村の女性)


その足で長草田池へ・・・堰堤はアカメガシワが繁茂(胃腸疾患用の漢方薬)。クズ餅など和菓子用の澱粉とりに使われた根っこをもつ、いまや嫌われ者の筆頭:クズ全盛。昔、木蝋をとったウルシ科のやヌルデ(通称かぶれの木、お歯黒用に利用した有用樹)の木がわたしは草からしの薬剤で悉皆的に処理してきたので最近ここでは激減中。

馬酔木(あせび)の葉や花を煎じて、家畜の駆虫剤に使った


牛の皮膚病治療には有毒樹「馬酔木」を使ったらしい。健康対策として近世の年中行事では7月の七夕の日に家畜を海に連れて行って海水浴させたようだ。



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3月例会のご案内(第一報)

2018年02月19日 | 松永史談会関係 告知板
3月例会のご案内(第一報)

開催日時と場所
3月19日(月曜日) 午前10-12時
喫茶店「蔵」

話題は「地方史料を通してみた近世中期沼隈郡今津村における”四季の移ろい”」

予定を変更し『田盛庄司安邦考』を引き合いに出しつつ『村史』成立の歴史的背景とその第一巻のコンテンツ(年中行事)紹介を行った。



今回は歴史民俗学的なコンテンツを含む2種類の地方史料(「文化期の『当村風俗御問状御答書」&寛政期の「村史」・第1巻)を俎上にあげる。”四季の移ろい”といった文芸的タイトルにしているが、中身的には単に「歳時習俗考」(平山敏治郎)ということではなく、いくつかの分析上のステップを踏んだ後、最終的には時間的枠組みの中に民衆生活を規律化し、閉じ込めるといった近世社会の在り様を沼隈郡今津村に軸足を置きながら、権力論的な視点から読み解く。

参考記事:幕末期沼隈郡今津村の農村年中行事ー庶民生活資料紹介ー



これまでの松永史談会での話題提供の中では歴史民俗学的or文化史的な事柄として、とくに2017年4月例会時において①近世のムラの年中行事の中には平安末期の年中行事絵巻に記載された事柄にさかのぼれるような要素を持っていること。また②祭礼具である鉦鼓類の中には獅子舞の獅子頭がそうであるように東アジアから東南アジアにかけて分布するものとの類似性があると指摘した。


京都大学附属図書館所蔵 谷村文庫 『当村風俗御問状御答書』

『村史』第一巻



参考資料
平山敏治郎, 竹内利美, 原田伴彦編『日本庶民生活史料集成』 第九巻 風俗、三一書房 1969.9  
平山敏治郎『歳時民俗考』法政大学出版、1984など。
沼隈郡誌』、府中市史・資料編Ⅳ地理篇(府中市旧府川村・栗柄村の風俗書上を所収)、三原市史・民俗編、上下町史、岡山県の矢掛町史・民俗編





供物・祭神・祭礼方法とその頻度に関して異様に感じられるほど詳細で今津村民の習俗としては煩瑣すぎる。したがって村の祭祀という面と記述者:河本四郎左衛門(1792-1845、文化15年は四郎左衛門26歳時、神主)家の習俗という両面から読解するのが良いだろう。『福山領風俗問状答』や庄屋笠井氏が記述した沼隈郡浦崎村のモノに比べても『当村風俗御問状御答書』においてかなり記述内容に特異性が認められるのは神職的な立ち位置からの記載が勝っているからだろうと思う。「惣先人」に関しては不詳だが「道了権現」とは、文字通り八百万の神々が信仰対象であったのだろう。この部分のような記述は『福山領風俗問状答』や庄屋笠井氏が記述した沼隈郡浦崎村の風俗答書上にはない。

菘(すずな)・・・春の七草(七草粥)




河本四郎左衛門の時代に河本家の過去帳(孫左衛門夫人が古志清左衛門盛長長女だったとか、河本家の祖は白鳳期の田盛庄司だとか、過去の偽造を繰り返している)・剣大明神(本社を備後国総鎮守だと神社書上帳に記載)に関する偽文書が集中的に作成されている。したがって、四郎左衛門作成の文書に関しては、我々としてはつねに頭の片隅にそういう人物であったことを念頭に置いておく必要がある。『当村風俗問状答書』の記載内容に関しては神主家固有のもの(1月27-28日の田盛大明神御祭・・偽造された河本家の祖を祭神とした田盛大明神の祭礼)と村民一般のものとが混在しているのか過剰と思えるほど詳細である。

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竹越与三郎『倭寇論』

2018年02月18日 | 断想および雑談
タイトル
倭寇記
著者
竹越与三郎 著
出版者
白揚社
出版年月日
1939


倭寇記
竹越与三郎 著

[目次]

標題
目次
著者序文 / 1
一、倭寇記槪說 / 3
二、倭寇東洋全體に波及す / 19
南北朝以後に於ける朝鮮及支那に對する倭寇年表 / 73
明代に於ける倭寇年表 / 77
三、海外に於ける日本人の廣布 / 109
四、マドロシズム / 185
五、若し國家の後援ありせば / 194
六、足利時代に於ける幕府寺院大侯商民聯合の外國貿易 / 201
「国立国会図書館デジタルコレクション」より


作田高太郎は竹越与三郎の著書を種本にしたか?!
歴史と経済、徳川幕府中枢の腐敗などは竹越の著書に詳しく、作田自身は下記の『日本経済史』を引用文献に挙げている。

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『和辻哲郎全集』1-20巻、岩波

2018年02月16日 | 断想および雑談
『和辻哲郎全集』27巻ほどあるが・・・・
とりあえず20巻


和辻は保守思想の聖典提供者かな~




『和辻哲郎全集』岩波書店(61-63)
 第1巻:ニイチェ研究/ゼエレン・キェルケゴオル(1961)/小口ヤケシミ、函ヤケ、月報ヤケ有 売切れ

    ● ニイチェ研究       ・序 論       ・本論第一:新価値樹立の原理       ・本論第二:価値の破壊と建設        付録

    ● ゼエレン・キェルケゴオル       ・諸 説       ・前 篇:キェルケゴオルの人格と性格       ・後 篇:キェルケゴオルの哲学        付録

      ○ 解説(金子武蔵)
 第2巻:古寺巡礼/人物埴輪の眼/麦積山塑像の示唆するもの(1961)/小口ヤケ、函ヤケ有 月報付 売切れ

     (1)『古寺巡礼』      (2)『桂離宮 -様式の背後を探る-』      (3)『人物埴輪の眼』      (4)『麦積山塑像の示唆するもの』

      ○ 解説(谷川徹三)
 第3巻:日本古代文化/埋もれた日本(1962)/小口ヤケ、函ヤケ有 月報付 売切れ

     (1)『日本古代文化』          第一章:上代史概観          第二章:漢文化の日本化過程          第三章:古事記の芸術的価値          第四章:歌謡          第五章:上代の宗教、道徳、美術      (2)『埋もれた日本』         第一部           ・巨椋池の蓮           ・京の四季           ・二条離宮の障壁画           ・新しい様式の創造         第二部           ・『菊と刀』について           ・若き研究者に -キリシタン渡米時代前後における日本の思想的状況-         第三部           ・漱石に逢うまで           ・漱石の人物           ・藤村の思い出           ・藤村の個性           ・露伴先生の思い出           ・歌集『涌井』を読む           ・杉先生の思い出           ・太田正雄君の思い出           ・野上さんのこと           ・児島喜久雄君の思い出         第四部           ・われわれの立場           ・民族的存在の防衛           ・私の信条

      ○ 解説(古川哲史)
 第4巻:日本精神史研究/続日本精神史研究(1962)/小口ヤケ、函ヤケ有 月報付 売切れ

    ● 日本精神史研究      (1)『飛鳥寧楽時代の政治的理想』      (2)『推古時代における仏教受容の仕方について』      (3)『仏像の相好についての一考察』      (4)『推古天平美術の様式』      (5)『白鳳天平の彫刻と万葉の短歌』      (6)『万葉集の歌と古今集の歌との相違について』      (7)『お伽噺としての竹取物語』      (8)『枕草紙について』      (9)『源氏物語について』      (10)『「もののあわれ」について』      (11)『沙門道元』      (12)『歌舞伎劇についての一考察』

    ● 続日本精神史研究      (1)『日本精神』      (2)『日本における仏教思想の移植』      (3)『日本の文芸と仏教思想』      (4)『東洋美術の「様式」』      (5)『現代日本と町人根性』      (6)『日本語と哲学の問題』

      ○ 解説(古川哲史)
 第5巻:原始仏教の実践哲学/仏教哲学の最初の展開(1962)/小口ヤケ、函ヤケ有 月報付 売切れ

    ● 原始仏教の実践哲学       序 論:根本資料の取り扱い方について       第一章:根本的立場       第二章:縁起説       第三章:道諦

    ● 仏教哲学の最初の展開       前 編:阿毘達磨論、すなわち仏の法の哲学       (1)阿毘達磨論の哲学史的地位       (2)三世実有・法体恒有の主張について       (3)五位分別の原理       (4)煩悩の分析       後 編:大乗経典に至る仏教哲学の展開       (1)ミリンダ王問経と那先比丘経       (2)法華経の考察

      ○ 解説(中村元)
 第6巻:ケーベル先生/ホメーロス批判/孔子/近代歴史哲学の先駆者(1962)/小口ヤケ、函ヤケ有 月報付 500円

     (1)『ケーベル先生』      (2)『ホメーロス批判』      (3)『孔子』      (4)『近代歴史哲学の先駆者』

      ○ 解説(古川哲史)
 第7巻:原始キリスト教の文化的意義/ポリス的人間の倫理学(1962)/小口ヤケシミ、函ヤケ有 月報付 800円

    ● 原始キリスト教の文化的意義      (1)『原始キリスト教の文化的意義』      (2)『童貞聖母』

    ● ポリス的人間の倫理学       第一章:ポリスの形成       第二章:「オレステイア」におけるポリスと家族との衝突の問題       第三章:倫理学の創始者ソークラテース       第四章:前期プラトーンの国家的倫理学       第五章:後期プラトーンの節度の倫理学       第六章:アリストレテースのポリス的人間学       第七章:ポリス的人間の立場の否定

      ○ 解説(金子武蔵)
 第8巻:風土/イタリア古寺巡礼(1962)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 500円

    ● 風土       第一章:風土の基礎理論       第二章:三つの類型       第三章:モンスーン的風土の特殊形態       第四章:芸術の風土的性格       第五章:風土学の歴史的考察

    ● イタリア古寺巡礼       ・「出発」       ・「イタリアに入る」       ・「ローマ滞在」       ・「ナポリとその付近」       ・「シチリアの春」       ・「アシシの壁画」       ・「フィレンツェ滞在」       ・「ボロービャ、ラヴェンナ、パドヴァ」       ・「ヴェネチアに病む」

      ○ 解説(谷川徹三)
 第9巻:人間の学としての倫理学/カント実践理性批判/人格と人類性(1962)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 売切れ

    ● 人間の学としての倫理学       第一章:人間の学としての倫理学の意義       第二章:人間の学としての倫理学の方法

    ● カント実践理性批判       序論:『実践理性批判』への手引きとしての『道徳形而上学の基礎づけ』       本論:実践理性批判         第1部 純粋実践理性の原理論          前篇 純粋実践理性の分析論           第1章:純粋実践理性の原理           第2章:純粋実践理性の「対象」の概念           第3章:純粋実践理性の動機           総 括:分析論の批判的検察          後篇 純粋実践理性の弁証論           第1章:純粋実践理性の弁証論一般           第2章:最高善の概念規定における弁証論         第2部 純粋実践理性の方法           結論

    ● 人格と人類性        ・カントにおける「人格」と「人類性」        ・人間存在考察の出発点について        ・実質的価値倫理学の構想        ・弁証法的神学と国家の倫理        ・仏教哲学における「法」の概念と空の弁証法

      ○ 解説(金子武蔵)
 第10巻:倫理学(上)(1962)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 600円

    ● 倫理学(上)       序 論       本 論         第一章:人間存在の根本構造         第二章:人間存在の空間的・時間的構造         第三章:人倫的組織         付 説:徳の諸相
 第11巻:倫理学(下)(1962)/小口ヤケシミ、函ヤケ有 月報付 600円

    ● 倫理学(下)       本 論         第四章:人間存在の歴史的風土的構造       付録/索引(人名・事項)

      ○ 解説(金子武蔵)
 第12巻:日本倫理思想史(上)(1962)/小口ヤケ、函少ヤケ有 月報付 売切れ

    ●日本倫理思想史(上)       第一篇:神話伝説に現れたる倫理思想       第二篇:律令国家時代における倫理思想       第三篇:初期武家時代における倫理思想       第四篇:中期武家時代における倫理思想
 第13巻:日本倫理思想史(下)(1962)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 売切れ

    ●日本倫理思想史(下)       第五篇:後期武家時代における倫理思想       第六篇:明治時代の倫理思想

     ・索引      ・解説:古川哲史
 第14巻:尊皇思想とその伝統/日本の臣道/国民統合の象徴(1962)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 売切れ

    ● 尊皇思想とその伝統      前 篇 尊皇思想の淵源        第一章:宗教的権威による国民的統一        第二章:上代における神の意義      後 篇 尊皇思想の伝統        第一章:奈良時代における「明神」の思想        第二章:平安時代における皇室尊崇        第三章:鎌倉時代の神国思想        第四章:吉野時代の尊皇思想        第五章:室町時代における皇室憧憬        第六章:江戸時代前期の儒学者における尊皇思想        第七章:江戸時代中期の国学者における尊皇思想        第八章:江戸時代末期の勤王論における尊皇思想

    ● 日本の臣道

    ● 国民統合の象徴        序        ・封建思想と神道及び教義        ・国民全体性の表現者        ・国体変更論について佐々木博士の教えを乞う        ・佐々木博士の教示について        ・祭政一致と思慮の政治       ○ 解説(古川哲史)
 第15巻:鎖国(1963)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 600円

    ● 鎖国       序 説       前 篇 世界的視圏の成立過程       後 篇 世界的視圏における近世初頭の日本

      ○ 解説(古川哲史)
 第16巻:歌舞伎と操り浄瑠璃(1963)/小口ヤケシミ、函少ヤケ汚れ有 月報付 売切れ

    ● 歌舞伎と操り浄瑠璃       第一篇:歌舞伎と操り浄瑠璃出現の意義       第二篇:操り浄瑠璃の発展過程       第三篇:説教節とその正本       第四篇:歌舞伎の発展過程       第五篇:歌舞伎と操り浄瑠璃の対立と興隆         索引(人名・事項その他)

      ○ 解説(古川哲史)
 第17巻:偶像再興/面とペルソナ/アメリカの国民性(1963)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 売切れ

    ● 偶像再興       (1)『体験と思索』       (2)『思索と芸術』       (3)『芸術と文化』

    ● 面とペルソナ        ・『面とペルソナ』        ・『能面の様式』        ・『六本の手の如意輪観音』        ・『城』        ・『文楽座の人形芝居』        ・『自由劇場開演に際して小山内兄に』        ・『偶数と神々』        ・『神々の数と電子の数』        ・『上代人の特質について』        ・『「日本古代文化」補遺』        ・『シナの古銅器』        ・『岡倉先生の思い出』        ・『寺田さんに最後に逢った時』        ・『「青丘雑記」を読む』        ・『享楽人』        ・『「劉生画集及芸術観」について』        ・『裸体画について』        ・『院展遠望』        ・『院展日本画所感』        ・『生命なき日本画』        ・『汝為すべきがゆえに汝為し能う』        ・『土下座』        ・『茸狩り』        ・『天竜川を下る』        ・『学生検挙事件所感』        ・『河上博士に答う』        ・『文化的創造に携わる者の立場』        ・『アフリカの文化』

    ● アメリカの国民性        ・『アメリカ国民性の基調としてのアングロ・サクソン的性格』        ・『アメリカへの移住』        ・『アメリカにおけるホッブス的性格の展開』        ・『アメリカにおけるベーコン的性格の展開』        ・『開拓者的性格』

      ○ 解説(古川哲史)
 第18巻:自叙伝の試み(1963)/小口ヤケ、函少ヤケ有 月報付 500円

     ●『自叙伝の試み』        ・系譜        ・地図

      ○ 解説(安倍能成)
 第19巻:仏教倫理思想史(1963)/小口ヤケシミ、函少ヤケ有 月報付 800円

     第一篇 初期仏教        序 論:根本資料の取り扱い方について        第一章:無我の立場        第二章:縁起説        第三章:道徳の根拠づけ        第四章:阿毘達磨論における心理学的倫理学      第二篇 大乗仏教        序 論:大乗経典の文学的特質        第一章:龍樹の哲学        第二章:唯識哲学

      ○ 解説(中村元)
 第20巻:小説・戯曲・評論・その他(1963)/小口ヤケシミ、函少ヤケスレ有 月報付 800円

    ● 小説・戯曲         ・菜の花物語     ・常磐        ・首級         ・夢のさめぎわ    ・盲人        ・ガンダアラまで         ・除隊兵       ・ある遺書      ・医者の話         ・観音の使徒     ・ある子供の死

    ● 評論・随想         ・霊的本能主義    ・精神を失ひたる校風          ・ショウに及ぼしたるニイチェの影響     ・エレオノラ・デュウゼ         ・象徴主義の先駆者ウィリアム・ブレエク   ・沙翁と舞台装飾         ・哲人主義の価値   ・教養        ・自然児が愛の宗教を産むまで         ・無性格の人     ・「自然」をよく見ない人         ・偏頗と党派心    ・古代日本人の混血状態         ・応酬        ・短歌の内容と技巧  ・電車のなかで         ・民本主義哺育の二法 ・建設と破壊     ・危険思想を排す         ・入営せる友に与うる書           ・気品について         ・ストリンドベルヒと解放の問題       ・犬の生活         ・非名誉教授の弁   ・蚊やりの豚     ・羊の群れ         ・鴎外の思い出    ・日本人の宗教心について         ・日本の文化についての序説         ・西の京の思い出

    ● 講演        ・心敬の連歌論について      ・日本民俗学の創始者       ○ 解説(古川哲史)
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西本願寺飛雲閣の湯殿

2018年02月08日 | 断想および雑談

西本願寺飛雲閣の湯殿・・・・・西本願寺境内では池水式庭園の中島に湯殿。



作田高太郎は秀吉が作った湯殿を捉えて、自分が他人に加えた恐怖が天下人の気苦労という形で跳ね返ってきていたと
そういえば秀吉の伏見城の湯殿は備後福山城に移築(お湯殿)されていた。


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高島平三郎の執筆活動の特徴

2018年02月01日 | 高島平三郎研究
高島平三郎(1865-1946)は我が国における心理学・児童学のパイオニアの一人だった。終生旺盛な文筆活動をつづけた人であった。文部事務官西村茂樹が編集長を務めた「教育時論」に投稿した彼の論考は50本近くある。最初のものは明治19(1886)年5月25日発売の教育時論40号に掲載された蜻州生(高島平三郎のペンネーム)「新体の詩:春野」。明治19年5月といえば沼隈郡金見尋常小学校校長(明治17年9月ー明治21年4月)時代に当たる。高島の特徴は専門的な論考の外に、漢詩とか新体詩などもあり、そもそも文筆家気質否投稿魔(自制できないほどの投稿好き)風のところがあったのだろうか。非常に社交的で、物事に対して万事意欲的に取り組める青年校長だった。



高島の論考は帝国大学出のライターのように外書を駆使した海外学会動向の紹介とかはなく、自分が教育現場で経験したことや見聞したことを整理した感じのものが多い(高島の限界①)。従って、大隈重信のように我が国の教育界全体に対して号令するといった高尚なものや高楠順次郎のように国民教育全般に対してそれを論評するということはなく、終生児童教育に関わる分野で蜷局をまいていたたようなところがあった。その辺は高島の分を弁えた称賛すべき態度というよりもやはりもう一つの限界②といってよい部分だ。ライターとしての高島は徳富蘇峰(高島の長男文雄結婚時の仲人)世代の人で論旨を読み取りやすい、中庸を弁えた論理的な思考のできる人だったが、徳富のような天下国家や頼山陽の全体像を論ずるといったスケールの大きな議論、世論を形成してしまうくらいの迫力ある大風呂敷を拡げるということはできなかった。

教育時論363(明治28.5.15)
社説「新領土における教育的施設の順序」

教育時論375(明治28.9.15)
社説「朝鮮留学生」

教育時論381(明治28.11.15)
高島平三郎「心理漫筆」の投稿始まる。
教育時論382・383・384・385

高島平三郎「続心理漫筆」
教育時論405・406・407・408、409(明治29.8.25)

このころ高島平三郎・西田幾多郎(”西田神学”を代表する『善の研究』の第一編 純粋経験 辺りは高島平三郎と類似の用語体系/ターミノロジー)がともに投稿。

教育時論504(明治32.4.15)
松本孝次郎「児童研究におけるフレーベルの位置」

明治34-36年ごろの面白論題
校風(生徒の群集心理)の研究
教科書検定について
英国の領土教育を記述し我が国の領土教育を論ず
士風の頽弛

教育時論664(明治36.9.25)
朝河貫一「海外における東洋史教授の困難」(上下)

教育時論667(明治36.10.25)
教科書事件を特集
教育時論667(明治37.8.25)
国民思想の健全を期す
クロパトキン「進化と相(相互扶助ヵ)」⇔要確認


明治39-40年ごろ大隈重信は教育時論にしばしば投稿

教育時論783(明治40.1.15)
山本瀧之助「青年団体雑感」

教育時論785(明治40.2.5)
元良勇次郎「低能児児童教育の一法」

教育時論800(明治40.7.5)
高楠順次郎「国民教育者に望む」

教育時論815
元良勇次郎「心理学上より見たる品性の修養」

教育時論833(明治41年6月5日)
高島平三郎「児童の感化」
下田次郎「都会の児童」
吉田熊次「ドイツ児童教育の新生面」
元良勇次郎「精神の操練」

教育時論818(明治41.1.5)
山本瀧之助「昨年の青年団体」
大隈伯爵「教育論」

教育時論844
留岡幸助「感化教育談」

教育時論848
高島平三郎「児童道徳教育の発達」

教育時論860
高島蜻洲「漢詩」

教育時論1052(大正3年5月25日)
大隈重信「全帝国の教育家に告ぐ」

教育時論1121(大正5.6.5)
高島平三郎「精神生活の対比現象」

教育時論1151
高島平三郎「家庭における新入学児の取扱」

教育時論1175
高島平三郎「日本児童の道徳意識」

教育時論1424
後藤新平「少年団運動の使命」
此の少年団(ボーイスカウト・ガールスカウト)運動を通じて高島平三郎ー三島通陽ー後藤新平ー二荒芳徳伯爵(ー例えば金光教)などは繋がっていた。

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関連資料(PWD=taka)

教育ジャーナリズム史研究会 編教育関係雑誌目次集成 第1期(教育一般編) 第1巻 (教育時論 1号~245号)~第8巻

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