- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

井上哲次郎日記(「巽軒日記」、明治26-29,40,41)

2014年01月30日 | 断想および雑談
井上哲次郎「巽軒日記」

『巽軒日記―自明治三三年至三九年―』128p ; 26cm

旧録、井上哲次郎自伝 / [井上哲次郎著] ; 島薗進, 磯前順一編纂
第31号 2013(平成25)年3月
表紙(目次・奥付)

論文・調査研究

工学系研究科建築学専攻所蔵 旧備品台帳(四)旧工科大学所蔵資料(角田 真弓)
東京帝国大学大学院特別研究生候補者の研究事項解説書
―昭和十八年度~昭和二十年度―〔完〕(小幡 圭祐・吉葉 恭行)
井上哲次郎『巽軒日記―明治二六~二九、四〇、四一年―』(村上 こずえ・谷本 宗生)

彙報
東京大学史史料室彙報


この日記には「心理百話」の著者:高島平三郎と「教育適用 俚諺心理百話 全」の著者:浦谷熊吉の名前が登場する。彼らの名前の登場の仕方に興味があって、さきほど井上哲次郎日記(「巽軒日記」、明治26-29,40,41)を読み終えたところ。『巽軒日記―自明治三三年至三九年―』128pの方は後日チェック予定だ。
浦谷熊吉はな、なんと259件の記載がある。高島は14件。これを分析すると高島平三郎の人柄・性格、井上と高島との関係および、それと井上と浦谷との関係の違いなどが何となく判ってくる。


こちらは教科書検定関連の教科書会社からの贈答品リスト, 日本酒1樽ではなくビール1ダースだったのもそうだが、鶏卵一箱だったとは・・・・
年賀状の数、年始の挨拶に訪れた来客の数など・・・・
井上の審査対象教科書は5万種超だったようだから、これは大変だ





今では贈収賄はご法度であるが、明治の代表的な御用学者:井上の周辺では莫大な贈答品が動いていたようだ。その後、桜井英治『交換・権力・文化』、みすず、2017を読むようになったが、桜井のように中世日本社会を贈答儀礼が肥大化した社会だった言われるとわたしなどはちょっと首を傾げたくなる。こんなんで我が国の歴史学研究は大丈夫なんだろうか。
井上の古希記念集「井上博士杖国集」昭和4年(出版者:浦谷熊吉)






祝賀会への出席者に下田次郎・高楠・富士川そして高島平三郎が。




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東京洛陽堂の創業当初の出版物

2014年01月30日 | 断想および雑談
高島平三郎・山本瀧之助は河本亀之助の同郷人。


西川光二郎の執筆したもの:「悪人研究」「実践道徳簡易入門」「地方青年の自覚」「英雄物語」
東京洛陽堂は社会主義者から転向した西川の生活支援を行ったことが判る。阿武信一は山口県生まれで広島県沼隈郡郡長経験者。「親と月夜」は洛陽堂からではなく、良民社(河本亀之助経営)から阿武信一編という形で出版された通俗的な修養関係の小冊子。柴田流星の「残された江戸」は名著として後年文庫本に。阿武は「君」、山口・西川・山本・柴田は「先生」付け。


「おめでたき人」は小説家武者小路の処女作。ベストセラーとなった一連の竹久夢二画集。
竹久は「先生」、武者小路は「君」呼ばわり。




仮称「子供の研究」は「児童学綱要」大正元年と改題。高島・元良は先生か「大家」。

日本青年の将来
リギヨル 著

[目次]
標題紙
目次
理想の必要 / 1
理想の定義 / 20
理想の実行 / 32
将来の準備 / 67
理想と人物 / 106
理想と事業 / 151
理想と栄養 / 203



石川弘「基督の青年訓」明治44、洛陽堂


基督の青年訓

石川弘 著



[目次]
標題紙
目次
偉人の短生涯 / 1
境遇と不平 / 15
青年と誘惑 (其一) / 37
青年と誘惑 (其二) / 48
青年と誘惑 (其三) / 61
奮闘の意義 / 79
奮闘の武器 / 96
失敗の青年 / 114
成功の青年 / 138
楽天生活 / 154
青年と家庭 / 168
墓畔の追恨 / 183
基督の箴言 / 203



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「心理講話 : 医家必読」啓成社、明治38

2014年01月30日 | 教養(Culture)
心理講話 : 医家必読

高島平三郎 著



[目次]
標題紙
目次
緒言
第一講
心理学の略史及び現状に就きて
第二講
識及び注意
第三講
感覚及び直観
第四講
記憶及び想像(上)
第五講(上)
記憶及び想像(下)
第五講(下)
思想(上)
第六講
思想(下)
第七講
感情(上)
第八講
感情(中)
第九講(上)
感情(下)
第九講(下)
動能(上)
第十講(上)
動能(下)
第十講(下)
個性

本書には心理学者としての駆け出し時代に医学者の富士川游・呉秀三(いずれも広島県出身)などの人間関係や学術面での支援があったことが判る。







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加藤一夫『本然生活』、洛陽堂、大正4、338P.

2014年01月27日 | 断想および雑談
加藤の筋金の入らない変節の人生は、人一番つよかった自分=理論家としての自惚れとともにわれわれ読者を戸惑わせる・・・・・・。否、加藤の中では思想などは人生の荒波を航海するうえで装う「観念の衣裳」であって、人生のその折々において着かえてもなんら道徳的お咎めを受けるような性格のものではないとでも考えていたのだろうか。
わたしなどは「み前に斎つく」というわざとらしい神道風のタイトルの懺悔録(自伝小説)の後半部(Ⅴ 「天皇信仰者 現代日本に与ふ」)には首をかしげてしまった。この辺の加藤の変装の巧みさ、精神状態の異様さは国粋(皇道)主義者と行動を共にした晩年の西川光二郎以上かもしれない。
それはそうと彼はトルストイの翻訳書を複数出しているが、すべて英訳本をベースにしたものであり、加藤のトルストイ研究や理解には方法論的にいって疑問符をつけざるを得ないだろ。


本書は加藤一夫の最初の詩集&評論集だ。中々思い(過剰ともいえる自意識)の詰まった力んだ文体。今日では殆ど顧みられることのない加藤だが、彼にはかなりの文才があり、「心境小説」としては中々読みごたえがある。
その前年に加藤は白樺同人の小泉鐡(雑誌「白樺」編集者)からロマンロランの「ベートーベンとミレー」の英訳本の翻訳書を洛陽堂から刊行。加藤はこの翻訳書は誤りが多く絶版にしたとか。それより不可解なのはロマンロランにはベートーベン評伝ミレー評伝はあるが、小泉から借りたのは2冊の英語版でそれを加藤が”ベートーベン並にミレー”といった形に再編集したもの
ベートーベンは聾唖者になってからの作曲活動をミレーは目を患ってからの画家活動を行い、後世の人間に大きな教訓をもたらした。その辺が加藤の再編集上の着眼点だったらしい。



本然生活

加藤一夫 著




[目次]
標題
目次
本然の生活と創造の悲哀 / 1
本然即実在 / 32
「真実」の解放 本然の開発 / 50
「死の力」に面したる刹那に / 64
種族的精神の支配と本然の生活 / 91
本然と人情 / 112
夜のうた(詩) / 138
いのちの河(詩) / 140
労働の歌(詩) / 144
わが胸の血は君に贈る(詩) / 148
ああその日(詩) / 150
反抗(詩) / 153
頽廃裡の光明と力と / 156
霊肉の一致と主客未分の境 / 166
現実の行進 / 177
現在の価値 / 186
「自我の研究」に表はれたる思想 / 192
虐げられたるものよ(詩) / 202
哀れなる坑夫よ(詩) / 208
宗教の生活化 / 212
生命中心の宗教及文芸 / 217
ある神学生へ / 231
トルストイの宗教及宗教観 / 241
戦闘曲(詩) / 272
生命の数学(詩) / 277
東勝寺跡にて(詩) / 280
残虐の讚美(詩) / 282
感想(一) / 286
感想(二) / 292
感想(三) / 298
那智の滝にて(詩) / 304
力を求めて / 311
萎れた朝顔に(詩) / 322
深夜(詩) / 326
真実と恋と / 328
















『本然生活』を出した後、加藤はトルストイの『我​等​何​を​為​す​べ​き​乎』の翻訳に取り掛かる。

印税を加藤に払わなかったことがよほど癪に障っていたのだろうか、常に赤字続きであった河本亀之助経営の東京洛陽堂と・・・、この翻訳書はある程度損得抜きで商売を行っていたらしい洛陽堂からの刊行。
わたしが首をかしげるのは同じ著者の本を多種類出すわけだが河本側では編集要員不在のためか営業上の観点から踏み込んだ中味のチェックを殆どしていない点だ。
河本はキリスト教信仰者だったので、加藤一夫風にいえば「どんなに貧乏していても、一切を神にささげて生活するものには真の平和がある」と言うような自分自身を納得させる術を身に着けていたのかもしれないが、この時期柳宗悦の「イリアム・ブレーク」などの出版を引き受けていることなどを見るにつけ、自社にて出版される本の中味や売れるか売れないかの強かな予測には長けていなかったように思われるのだ。


参考文献

鈴木貞美編『大正生命主義と現代』 河出書房新社、1995
  目次内容
Ⅰ 大正生命主義と現代
  鈴木貞美「大正生命主義」とは何か
  鈴木貞美 大正生命主義研究のいま
  中村雄二郎 哲学における生命主義
  山折哲雄 大正期の宗教と生命観
Ⅱ 大正生命主義の諸相
  鈴木貞美 大正生命主義、その前提・前史・前夜
  稲垣直樹 「近代スピリチュアリズム」の受容
  関井光夫 性愛と生命のエクリチュール
  紅野謙介 透谷の「生命(ライフ)」、藤村の「生命(いのち)」
  金子 務 藤村における生命主義と科学主義
  永野基綱 朦朧たる現代 生命(ライフ)の哲学
  日高昭二 大杉栄再考
  岩見照代 一九一一年・〈太陽〉・らいてう誕生
  正木 晃 大正生命主義と仏教
  石崎 等 夏目漱石の生命観
  江中直紀 女、生、文字
  中島国彦 内的生命としての自然
  今村忠純 メーテルリンクの季節
  阿毛久芳 〈円球の中心から放射する〉思想 萩原朔太郎の〈生命〉の直観的認識について
  竹内清巳 室生犀星の「生命」 昭和文学への賜物
  藤本寿彦 大正生命主義と〈農〉のイメージ
  大和田茂 民衆芸術論と生命主義 加藤一夫を中心に
  漆田和代 「いのち」の作家への道程 岡本かの子「散華抄」を中心に
  鎌田東二 宮澤賢治における食と生命
  百川敬仁 日本主義者・倉田百三
Ⅲ 一九八〇年代の生命主義
  森岡正博 八〇年代生命主義とは何であったか
  座談会 八〇年代生命主義の行方
   森岡正博・上田紀行・戸田清・立岩真也・佐倉統 鈴木貞美

鈴木貞美には長編『生命観の探究 : 重層する危機のなかで』、作品社、2007、914ページ

われわれは「生命」をどのように捉えてきたか。古今東西の哲学・宗教から最先端の分子生物学に至る人類の精神的営為を渉猟しつつ、多様な危機に混迷する現代に新たな生命原理主義を樹立する画期的労作。

「BOOKデータベース」より

[目次]
新たな生命観が問われている
人権思想と進化論受容
生物学の生命観-二〇世紀へ
二〇世紀前半-欧米の生命主義
前近代東アジアの生命観
自然の「生命」、人間の「本能」
生命主義哲学の誕生
大正生命主義-その理念の諸相
大正生命主義の文芸
生命主義の変容
第二次大戦後の生命観
二〇世紀の武道と神秘体験
新しい生命観を求めて


詳しくは

『生命観の探究―重層する危機のなかで』目次細目

はしがき

凡例



序説 新たな生命観が問われている……17

一、なぜ、生命観なのか…18/ 1生命の時代/2バイオポリティクス/3文化と倫理/

4方向が見えない/5いのちの尊厳の危機

二、地球環境問題…24/ 1世界自然憲章/2持続可能な開発/3様ざまな環境保護思想/

4叡智を分けあう

三、生命観の揺らぎ…29/ 1根本の傾向をさぐる/2細胞説から遺伝子説へ?/

3文化も遺伝する?/4生物の多様性とは?/5文化の多様性とは?/6種とは?  

/7自然循環論の意味/8地球規模で考える

四、ポスト冷戦…37/ 1イスラーム主義‐対‐資本主義/2向上もひとつの価値観/

五、生存の権利とは何か…41/ 1価値観を問いなおす/2「家」の思想/

3かけがえのない個人

六、人のいのちは地球より重いか?…45/ 1格言はどこからきたか?/

2なぜ、ご都合主義がまかりとおるのか



第一章 人権思想と進化論受容……50

一、日本国憲法十一条…51/ 1基本的人権を与えるのは誰か?/

2自然権の思想/3理神論/4リセプター

二、「生命」ということば…57/ 1性命と生命/2いのちと生命/3「生命」と”life”

三、キリスト教と自然科学の受容…63/ 1キリスト教の受けとめ方/2ふたつの理学

四、自由と平等の受容…68/ 1天賦人権論/2福沢諭吉と西周の場合/3社会平権論/

4平等思想のリセプター

五、自由民権思想の展開…82/  1大井憲太郎と小野梓/2植木枝盛/

3加藤弘之-対‐馬場辰猪/4社会進化論の対立/5中江兆民の唯物論哲学

六、加藤弘之の転向…92/  1人権論から進化論へ/2国法汎論/3スペンサーの影/

4天則/5万邦無比の国体論/6家族国家論の展開



第二章 生物学の生命観―二〇世紀へ……106

一、生物学的生命観…107/ 1生物の属性/2ギリシア哲学/3細胞説/

4細胞説のゆらぎ/5ダーウィニズム/6ダーウィニズムへの反応

二、ダーウィニズムとスペンサー哲学…115/ 1最適者生存/

2ダーウィニズムと社会思想

三、ハクスリーの相互扶助論…120/ 1厳密な科学/2相互扶助論

四、創造説の根強さ…124/  1宗教から科学へ/2ダーウィンとキリスト教/

3ダーウィニズムの失墜/4科学から宗教へ?/

五、中国での進化論受容…130/  1天演論/2天と勝ちを争う

六、進化論受容の日本的特徴…133/ 1進化論の浸透/2人生論として/

3進化論受容のゆがみ/4社会観との相互浸透の問題/5国家観の生存闘争/

6原理把握の弱さ

七、機械論をめぐって…142/ 1生気論/2動物‐機械論/3カンギレムの見解/

4人間機械論

八、機械論-対-生気論の図式…147/ 1新生気論/2図式の転換/

3システム論は第三の道か

九、ヘッケルの生命一元論…152/  1エコロジーの考案/2万有生物論

一〇、生命一元論の哲学的基盤…156/  1カント/2ドイツ観念論/3生の哲学へ

一一、国家、社会と生命観…162/  1カンギレムの思いこみ/2国家と身体/

3社会と生物/4文化圏の盛衰

第三章 欧米の生命主義―二〇世紀前半……169

一、感覚、知覚、意識…170/  1感覚への注目/2意識の哲学/

3フランスにおける「感覚」

二、レーニン―唯物論の変容…174/  1マッハ批判/2唯物論のレーニン的段階

三、ベルクソン―生命の跳躍…177/  1突然変異説の応用/2断えざる生成/3反響

四、ドイツにおける「生の哲学」…181/  1生の全体性/2テクノクラートの思想/

3近代を超えるユートピア

五、ショーペンハウアー―生の苦悩…185/ 1厭世哲学の流行/2音楽/3無意識の哲学

六、トルストイの生命主義…190/ 1神は生命である/2生命の無限性と普遍性

七、生命の文芸…196/ 1アメリカ/2イギリス/3フランス語圏

八、自然主義からモダニズムへ…200/ 1ラスキン/2文芸における自然主義/

3象徴主義/4意識の流れ

九、前衛美術の生命観…/ 1絵画の冒険/2前衛美術/3生命の表現

一〇、生命主義の影…216/  1ロマンティシズムの呼びかえし/2日本への影響



第四章 前近代東アジアの生命観……219

一、自然崇拝…220/ 1その普遍性/2ギルガメシュ神話の教え/3スサノオ/

4スピリチュアリズムとアニミズム5天道思想

二、日本の古代神話…227/ 1神話と歴史/2編纂方法/3神仏習合

三、中国古代の思想…230/  1気と生/2陰陽五行/3性善説、性悪説/4道家思想

四、古代の仏教…236/  1転生からの解脱/2ヴェータンダ聖典群/3大乗仏教/

 4中国と日本のちがい/5即身成仏

五、永遠の生命…243/ 1不老長寿の願い/2死後の永生/3生まれかわり

六、中世の神道思想…248/ 1神道の自立/2様ざまな神道

七、中世の仏教思想…251/ 1無常観/2現世主義への傾き/3キリスト教の興隆

八、宋学ないし朱子学…255/ 1宇宙論/2理気二元論/3自己陶冶

九、陽明学および陽明学左派…261/ 1心即理/2知行合一/3陽明学派/

4李卓吾の思想/5性命の道

一〇、日本近世-現世主義の蔓延…266/ 1諸学の並立/2陽明学の影/3伊藤仁斎/

4人情を尊ぶ/5普遍主義/6朱王学の復興

一一、「元気」の拡散と変容…272/ 1貝原益軒『養生訓』/2日・中・韓の「元気」/

3原理離れ/4山水画の気の道/5北越雪譜/6「元気」の転換

一二、本居宣長―エロスの表現…263/ 1「和」の独自性/2もののあはれの説/

3伝統の発明

一三、平田篤胤の幽冥界…290/ 1幽明界への関心/2日本のパンテオン/3敵は仏教/

4死後の裁可/5歿後の篤胤



第五章 自然の「生命」、人間の「本能」……299

一、スピリチュアリスト、北村透谷…300/ 1国民の元気/2押川方義/

3スピリチュアリズム

二、リセプターとしての陽明学…307/ 1独歩の由来/2リセプターとしての陽明学

三、明治の陽明学…311/ 1内村鑑三/2天と我/3知識青年の煩悶と修養ブーム/

4修養の展開

四、藤村・蘆花・独歩―自然の「生命」…330/ 1科学的観察/2スケッチの意味/

3光景の変化を書く/4自然の生命/5自然との合一

五、岡倉天心―宇宙の「生命」…336/ 1東洋の理想/2芸術三段階論/

3東洋的ロマン主義

六、高山樗牛―本能満足主義…344/ 1人生の目的は幸福に/2美的生活を論ず/3波紋

七、性欲というテーマ…348/ 1ゾライズム/2旧主人

八、自然志向と宗教感情の高まり…353/ 1日露戦争後/2美しき天然/3宗教新時代

九、田園趣味のひろがり…360/  1田園都市構想/2貸家で解決/3「元気」の回復/

4三宅雪嶺『宇宙』/5幸田露伴『努力論』



第六章 生命主義哲学の誕生……373

一、西田幾多郎『善の研究』を読む…374/ 1純粋経験を唯一の実在として/

2初版への反応/3倉田百三の賞賛

二、lifeの研究者…378/ 1禅とテニス/2学問はlifeのためなり/

3人生、いかに生きるべきか

三、「我」の思想…385/  1独我論を超える/2東洋の我、西洋の我

四、愛と宗教…389/ 1浄土真宗/2真宗改革派/3宗教観の特徴/4真の自己を知る

五、宗教の本質…395/ 1真の自己として再生/2キリスト教神秘主義/

3東洋思想に立脚/4諸宗の根は同じ/5トルストイ

六、論理のしくみ…401/ 1意識/2循環論法/3/直覚

七、近代哲学を超える…405/ 1近代の不幸/2認識の出発点/

3近代‐対‐反近代の対立を超える

八、純粋経験…410/ 1純粋経験とは何か/2空/3統一性/4概念と真理

九、生命…415/ 1純粋経験の多様性/2生命の捕捉/3真生命/

4ヘーゲル論理学の換骨奪胎/5生物学/6整合性/7課題



第七章 大正生命主義の諸相……425

一、岩野泡鳴『神秘的半獣主義』…426/ 1メーテルランクの兄弟分/2刹那主義/

3泡鳴の批判の性格/4詩人、泡鳴/5恋愛論、国家論

三、人生観上の自然主義…433/ 1危険思想/2新自然主義へ/3片上天弦/

4夏目漱石『虞美人草』

四、島村抱月とその周辺…439/  1囚われたる文芸/2金子筑水/3純粋自然主義/

4生命主義の渦

五、木下尚江『懺悔』と白樺派…447/  1懺悔の流行/2バクテリアから人間まで/

3神聖なる生殖/4キリストやブッダを超える/5地球的本能/6自然派後の主観

六、上田敏と徳冨蘆花―生物の本能…454/ 1新道徳説/2ふたつの生命派/

3みゝずのたはごと/4生命主義のひろがり

七、押川方義と筧克彦―「宇宙の生命」への信仰…459/ 1諸派を超える宗教/

2大川周明訳『永遠の智慧』/3神道は世界の普遍思想/4日本民族一心同体の基礎  

/5「あらひとがみ」の観念/6伝統の組みかえ/7岩野泡鳴『古神道大義』

八、自然科学、文化主義、社会運動…468/ 1大正生命主義の多彩さ/

2二〇世紀初頭の自然科学/3人格主義と文化主義/4大杉栄と賀川豊彦/

5大本教の隆盛/6田辺元「文化の概念」

九、女性解放と自由恋愛の思想…477/ 1『青鞜』の創刊/2平塚らいてうと伊藤野枝/

3恋愛と結婚/4厨川白村『近代の恋愛観』/5日本の色恋/6恋愛思想のひろがり



第八章 大正生命主義の文芸とその周辺……488

一、にがい酸っぱい生の味…488/ 1日本象徴詩の出発/2煩悶とデカダンス/

3惨劇嗜好/4江戸懐古/5永井荷風「帰朝者の日記」/6近代的弊害への呪詛

二、北原白秋―叛逆と童心…498/ 1都会の憂愁/2谷崎潤一郎「刺青」/3文化批判/

4宗教的陶酔/5エロ・グロ、ファンタジー

三、牧水と夕暮―寂しい生命…509/ 1象徴論の導入/2若山牧水/3前田夕暮/

4生命の流動

四、斎藤茂吉―いのちの歌人…515/ 1いのちのあらはれ/2融合と乖離/3童馬慢語/

4短歌における写生の説/5太田水穂の批判

五、太田水穂―芭蕉再発見…522/ 1文芸批評家として/2歌論の展開/

3万有愛の思想/4芭蕉研究会/5それまでの芭蕉評価/6芭蕉評価の画期/

7生命主義歌論の展開

六、文壇の芭蕉ブーム…533/ 1芭蕉再評価のひろがり/2佐藤春夫「『風流』論」/

3心境小説/4萩原朔太郎「象徴の本質」

七、モダニズムへ…522/ 1『アララギ』/2釈迢空「歌の円寂するとき/3新感覚派/

 4「美の本質」と「檸檬」/5梶井基次郎―リアリスティック・シンボリズム/

 6前衛短歌の脈動/7生命の象徴表現/8その後の展開

八、与謝野晶子―踊る肉体…550/ 1自我の解放/2実感主義/3自我の正体/

4肉体の思想/5古い衣装/

九、宮沢賢治―小さな博物館…557/ 1汎生命のヴィジョン/2歌稿群/3春と修羅/

4ヘッケル受容/5童話世界/6自然征服観と生存闘争/7全体主義



第九章 生命主義の変容……567

一、志賀直哉―自我の空虚…568/ 1強い自我と弱い自我/2『和解』/3命のつながり  

  /4空虚を埋めるもの/5マルクス主義の台頭/

二、島崎藤村―家と血の幻想…576/ 1遺伝/2半封建的な家族制度/

3前近代の家族制度/4家の近代化/5家族の解体/6悪い血の物語/

7『新生』以降

三、建部遯吾と永井潜―民族優生学の思想…589/1人種・民族・国民/

2社会学から優生学へ/3永井潜『人性論』/4民族意識の転換/5国民優生法

四、文化相対主義から多文化主義へ…597/ 1文化相対主義/2文化相対主義の構図/

3多文化主義の季節/4対中国戦争の戦略転換/5皇民化政策/6アジアはひとつ

五、多文化主義から日本主義へ…609/ 1高群逸枝の遍歴/2恋愛創生/

3唯物論、唯心論の対立を超える/4和辻哲郎―「日本の使命」/

5タウトの天皇芸術論/6西田幾多郎『日本文化の問題』

七、皇国ファナティズムへ…616/ 1思想の分水嶺/2「日本精神」をめぐるせめぎあい/

3大乗的生命主義/4岡本かの子『仏教読本』/5滅私奉公の合唱へ

八、「大東亜共栄圏」の思想…629/ 1互助連携のタテマエ/2『世界史的立場と日本』/

3世界史的立場の破綻/4「近代の超克」座談会/5滅私奉公の哲学



第一〇章 第二次大戦後の生命観……641

一、戦後の再出発…642/ 1生きることが全部/2滅私奉公の裏がえし/

3「堕落論」再考/4自我の葛藤/5生命観/6天皇制論

二、出なおし史観…651/ 1近代化主義/2明治以来の天皇制イデオロギー/

3ダブル・スタンダード/4生命への畏敬/5様ざまな旅立ち

三、岡本太郎―民族の伝統…661/ 1岡本太郎と坂口安吾/2生命主義/

3国際前衛画家の出発/4縄文賛美の根方/5伝統の創造/6複合文化論

四、高見順―生命主義の末路…672/ 1生命賛歌/2生命からの疎隔/

3『この神のへど』/4『生命の樹』/5『いやな感じ』/6読まれそこないの傑作  

/7デカダンスの極み

五、丸山真男の転向…687/ 1古層という発想/2つぎつぎになりゆくいきほい/

3進化論受容をめぐって/4歴史意識の貧困/5歴史意識と生命観/6生命観の貧困

六、復活する生命主義…699/ 1戦後思想へのリアクション/2三島事件と大江健三郎/

  3石牟礼道子『苦海浄土』/4井伏鱒二『黒い雨』/

5大庭みな子―大きな生命の物語

八、生命というテーマ…709 1大きな生命の浮上/2癒しをめぐって/

3「私小説」伝統の評価を変える



第一一章 日本武道と神秘体験……717

一、武道の国際化…718/ 1武術から武道へ/2東洋の神秘への関心

二、柔道、その近代化…721/ 1柔術から柔道へ/2弓術の近代化

三、阿波研造の弓道思想…724/ 1宇宙と合一/2出発期/3禅と陽明学/

4宇宙との合一/5宗教新時代のなかで

四、武道のおける神秘体験…732/ 1植芝盛平/2阿波研造の神道思想/3神ながらの道/

4平和のための武道

五、戦前世代の生命観…738/ 1土着の自然法?/2自然の大生命という思想



第一二章 新しい生命観を求めて……743

一、人類生存の危機―モノーと野間宏…744/1西洋近代への告発/2野間宏の哲学/

  3漱石「現代日本の開化」/4なぜ、漱石だったか/5人間中心主義の検討/

6モノー『偶然と必然』/7野間宏の批判/8知の編成のちがい/

9総合化の道を問いなおす/ 10科学コンプレックス

二、自然保護と生態系の思想…762/ 1公害先進国、日本/2日本文化の問題として/

3生態系の思想/4エコロジー/5日本の環境保護思想/

6「自然との一体化」の功罪/7近代の超克史観/8環境保護の現在

三、生物学の現在…776/ 1分子生物学―変わる進化論/2サイバネティックス/

3情報理論/4遺伝的プログラム/5言語プログラム?/6特定集団のルール/

7動物行動学/8環世界/9現象学的世界

四、学の総合化…785/ 1有機体の哲学/2進化の頂点に立って/3システム理論/

  4一般システム論/5システム論の展開/6ニューサイエンス/7複雑系

五、解決に向けて…812/ 1人間生存の危機の拡大/2近現代史の編みかえ/

3生命主義の諸傾向/ 4伝統思想との関係/5生命観の探究/6生物の合目的性/

7擬人化

六、解決のための原理…824/ 1人間の超越性/2生命観中心法/3原理主義の廃棄


近代作家研究ツール案内
加藤一夫(詩人)
【1・2】加藤一夫著書目録 上・下 参考文献目録(戦後編)・補遺1・2→「加藤一夫研究」1-3 同研究会1987・89


その他(宮沢賢治の農民芸術・・・宮澤賢治〈農民芸術概論〉の地平)

加藤一夫に関しては紅野敏郎(文学vol28、1960-4、岩波)、『科学と文芸』解説・総目次・索引、不二出版1987、解説が参考になる。
東京洛陽堂が、雑誌白樺から撤退した後、一時雑誌「科学と文芸」発行(1918年1~6月号)を請け負っている。

東京洛陽堂発の大正生命主義関係文献。無関係のものもある?


堺利彦が笑ったというが、加藤一夫の思想というのはたった一年半の農業体験から得られたものらしい。わたしも堺と同感。




















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春秋社(ShunjyuSha)

2014年01月25日 | 断想および雑談
春秋社(ShunjyuSha)

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高島平三郎『体育原理』育英舎、明治37

2014年01月24日 | 教養(Culture)
高島平三郎著作集の第三巻に「体育原理」が入っている。

『体育原理』 明治41年、第4版、育英舎
身体教育と精神教育の関係性を重視し、生理・解剖・衛生のみならず、倫理・心理・教育・社会・生物学等の基礎知識を踏まえた研究を提唱。体育に対する新しい認識を示したものとして真行寺朗生, 吉原藤助, 大熊広明『近代日本体育史』、1928において高く評価された。
本書は高島が大日本体育会体操学校校長(1902-1904年)在職期間中に体育教師用に書かれたもので、その後の我が国の体育思想に大きな影響を与えた名著(教師用体育教科書)だとされる。本書は真行寺朗生・吉原藤助『近代日本体育史』、日本体育学会、1928の中で正当に評価されている。


高島平三郎 著『体育原理』



[目次]
標題紙
目次
第一章 緒論 / 1
第一節 体育ノ必要 / 1
第二節 体育ノ目的 / 34
第三節 生活現象 / 36
第四節 人類生活ノ状態 / 39
第五節 身体ノ発育 / 46
第六節 心身相関論 / 54
第二章 本論 / 93
第一節 体育ノ範囲 / 93
第二節 学校体育ノ区分 / 96
第三節 体操ノ教育的価値 / 99
第四節 自由運動ノ教育的価値 / 103
第五節 技術運動ノ教育的価値 / 109
第六節 職業運動ノ教育的価値 / 118
第七節 運動教授論 / 126
第八節 疲労ノ現象ニ就キテ / 165
第九節 運動ト衛生トノ関係 / 196
第十節 学校衛生 / 200



第十一節 性育論 / 217
第三章 体育史 / 229
第一節 体育ノ起源 / 229
第二節 希臘ニ於ケル体育 / 232
第三節 中世紀ノ体育 / 254
第四節 近世欧羅巴ニ於ケル体育ノ興起 / 258
第五節 ダーツムースノ事業 / 263
第六節 ヤーンノ事業 / 271
第七節 プロイセンニ於ケル学校体育ノ興起 / 283
第八節 独逸ノ学校体操ニ於ケルスピースノ影響 / 284
第九節 プロイセンニ於ケル体操教員ノ養成 / 292
第十節 リングノ事業 / 301
第十一節 リングノ著業 / 314
第十二節 瑞典体操ノ特質 / 324
第十三節 我邦ニ於ケル体育ノ変遷 / 335

「国立国会図書館のデジタル化資料」より


筑波大の大場一義による本書の紹介が過不足なく行われている。大場は先学(たとえば今村嘉雄『日本体育史』)の評価を継承しつつ高島が当時流行した欧米の心身相関図式を援用しつつ体育、or体育教育の全体像を描き出した画期的な作品だったと述べている。




高島『体育原理』に言及した最近の研究論文(「真行寺朗生の体育思想」 (安田一郎教授退任記念号))
恩田裕:雑誌 「學校體育」

国家と体育(体育思想)に関してはM.フーコー風の論文を含め比較的多数ある。

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婦人文化

2014年01月24日 | 断想および雑談

婦人文化 創刊号~31号迄(30号欠) 30冊一括

藤浪鑑、高島平三郎、富士川游等、中山女性文化研究所、中山女性文化研究所(中山文化研究所)、大15-昭2、30

A5版 冊子タイプ 縁周りに薄シミ、角折れ、線引書込、蔵印等があるモノが各数冊程度あります。全体感:経年感あるが並程度

雑誌の副題「科学と宗教とを基本とせる」婦人文化


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高島平三郎の児童研究・発達心理学関係の論文原稿(明治30年ころ)

2014年01月23日 | 教養(Culture)
明治30年代前半期における高島平三郎の論文原稿だ。東大心理学教室に出入りしていた関係で外国文献の引用が見られる。

『教育壇』4
目次
論說 / p1~89 (0002.jp2)
小兒硏究 / 高島平三郞 / p1~25 (0002.jp2)
敎育と人生觀 / 久津見息忠 / p26~41 (0015.jp2)
新神道國敎論 / 本村鷹太郞 / p41~89 (0022.jp2)
雜錄 / p90~114 (0047.jp2)
文科大學に於ける倫理學硏究の現况 / p90~91 (0047.jp2)
海外敎育近况 / p91~92 (0047.jp2)
佛蘭西の小學校 / p92~95 (0048.jp2)
ラウリー氏の敎育學 / p95~97 (0049.jp2)
我國に於ける學術會 / p97~98 (0050.jp2)
余が敎育上の信念(四) / p98~100 (0051.jp2)
スクリプチューア氏の近視眼豫防法 / p100~101 (0052.jp2)
臺灣に行はるる古談の調査 / 橋本武 / p101~111 (0052.jp2)
敎育大家小傳 / 湯武居士 / p111~114 (0057.jp2)
敎育學會記事 / p114~115 (0059.jp2)
フレーベル會第二總會記事 / p115~116 (0059.jp2)

教育壇 1(5)

[目次]
論說 / p1~59
倫理敎授の方法に就きて / 井上哲次郞 / p1~14
五段敎授法に關する攷究(四) / 湯原元一 / p15~31
小兒硏究(二) / 高嶋平三郞 / p31~59
雜錄 / p60~90
大學院に於ける心理學硏究の現况 / p60~60
情育の點より本邦敎育史を評す / p60~62
海外教育近况 / p62~63
日本敎育史に於ける三大危機 / p64~68
英國の小學制度 / p68~74
宗敎上の三派の敎育的事業 / p74~75
余が敎育上の信念(五) / p75~81
蕨村漫錄 / 久津見蕨村 / p81~85
敎育大家小傳 / 湯武居士 / p85~90
フレーベル會記事 / p91~97

教育壇 1(6)
「国立国会図書館のデジタル化資料(雑誌)」より

[目次]
論說 / p1~76
小兒硏究(完) / 高島平三郞 / p1~33
新神道國敎論(三) / 木村鷹太郞 / p34~62
余が敎育上の信念 / ジョン、デューウェー / p62~76
雜錄 / p77~97
文科大學に於ける心理學研究の現况 / p77~77
海外敎育近况 / p77~78
意育の點より本邦敎育史を評す / p78~81
萬國敎育通信會 / p81~82
敎授法研究の氣運 / p82~83
巴理に於ける米國學生の生活 / p84~87
博物舘の敎育的價値 / p87~88
兒童の嗜好する色 / p88~89
チチェナー氏の心理學綱要 / p89~90
海外敎育所論要目 / p90~91
敎育大家小傳 / 湯武居士 / p91~93
蕨村漫錄 / 久津見蕨村 / p93~97
フレーベル會記事 / p97~98
敎育學會記事 / p98~99



この論文を引用した最近の研究:前田『児童研究』における発達思想の形成


高島の「精神進化論」に言及した論文「『児童研究』における発達思想の形成」(前田,晶子)、鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編=Bulletin of the
Faculty of Education, Kagoshima University. Studies in
education, 60: 171-179、2009年3月.



児童研究」は現在も刊行されている長寿雑誌だ!

掲載雑誌名はネットで調べたものだが、当該雑誌に当たっての確認作業は原稿の本文調査も含め、現段階では行っていないことを断っておきたい。


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個人雑誌「大地に立つ」

2014年01月23日 | 断想および雑談

『大地に立つ』

加藤一夫編、昭4、1冊

全15冊揃 創刊~終刊号(3巻1号)迄全揃。尾瀬敬止、鑓田研一、麻生義、高群逸枝、伊福部隆輝他。農民文学概論、機械芸術と重農芸術とその対流、消費組合講座、農民詩及び短歌について、「農本社会論」批判と研究(4氏)、一周年記念号、終刊の辞他。保存状態は良好


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白樺派同人と思想家加藤一夫との間の友情

2014年01月23日 | 断想および雑談






武者小路は画像を本から切り離し貸与、小泉は原書を貸与という便宜を図っている。




雑誌「科学と文芸」の執筆に白樺同人の長与らは参加。
なお、加藤一夫は洛陽堂からトルストイを中心にいくつかの翻訳書を出し、民衆芸術論など著書も何冊か刊行している。加藤はキリスト教神学の研究者中山(戦前、ダンテ研究者として知られた)の明治学院の同窓生だ。加藤が無政府主義者として活動していた時代に、一時芦屋に退去し、1年数カ月後に東京に帰還した時に加藤のために歓迎会を主催している。かれらはトルストイ的な人道主義・博愛主義、キリスト教的な社会主義に近いところにいた人物たちだ。洛陽堂はクロポトキン研究(民衆芸術論)時代の加藤に対しても出版面で支援を惜しまなかった。

大正7年段階にクロポトキン・ロマンロラン、W.モリス流の民衆芸術論を提起していたのは、大杉栄や加藤一夫らだった。この時代には直接的間接的にラスキンの思想を受け入れる形で、環境の汚染を人間精神の荒廃という次元で理解し、社会改革に取り組むようになったのが、たとえば西川光二郎だったといえよう。

加藤一夫 「農民芸術論」、春秋社、昭和6年
[目次]
標題
目次
序文
農民文學論
一 農村の黎明 / 3
二 農村文學の要求 / 4
三 農民文學は存在理由を有するか / 10
四 農民文學の基調としての農民意識 / 23
五 農民文學の特質 / 41
六 農民文學とプロレタリア文學 / 58
七 農民文藝の正系 / 68
社會文藝論
一 序説 / 85
二 社會文藝の發生の意義 / 89
三 藝術とは何ぞや / 95
四 文藝の社會性 / 122
五 社會文藝とは何ぞや / 135
六 社會文藝の特質 / 140
七 社會文藝の内容 / 161
八 社會文藝の形式 / 170



「農本社会哲学」昭和8年発禁処分
「民衆芸術論」、洛陽堂
「土の叫び地の囁き」、洛陽堂

加藤一夫「農本社会哲学」、暁書院、昭和8

[目次]
標題
目次
序詞
新しさ『現代』の創始
第一部 生活篇 / 1~60
第一章 生活の根本基礎 / 3
問題の出生
大地に立つ生活
大地に立つ生活とは何ぞや
第二章 大地に立つ生活の意義 / 20
第三章 二つの道 / 28
理想と現實
東洋的解説
西洋的進歩思想
二つの道の文明學的意義
西洋的都會文明
産業主義の否定
都會文明の否定
第二部 社會篇 / 61~112
第一章 虚無の道 / 63
善き社會への道
制度の改善
神の國の社會的意義
無爲而化
自然而治
小國寡民
第二章 農本社會 / 80
都會文明と貨幣
農業を基礎とした生活
大地に立つ農本社會
コムミユーンの經濟的基礎
コムミユーンの自由聯合
如何にして
精神的方面
具體的凖備
第三部 農村問題篇 / 113~353
第一章 農村問題の本質 / 115
第二章 農村問題の文明學的認識 / 130
農村の窮状
農村疲弊の諸原因
農村疲弊の根本原因
社會的分業の文明學的意義
態度の革命
人類更生の道
過渡的諸段階
共同社會の道徳的要素
現實への第一歩
第三章 農村生活の問題 / 156
生活問題の重要性
農村生活の本質
歴史を通じて視たる農村生活
日本國初の農本社會
中世に於ける農村生活
近世に於ける農村生活
現代に於ける農村生活
農本社會の農村生活
第四章 農村經濟の問題 / 206
第五章 農村の金融問題 / 215
貨幣の本質
農村經濟と貨幣
農漁村不況對策としての票劵貨幣制度
相互信用組合の組織とその機能
第六章 農村負債整理の問題 / 240
第七章 農本的消費組合 / 254
農本社會と消費組合
生産者本位の經濟の立て方
消費を本としての生産
中間階級のない社會
剩潤のない社會
消費組合の理想
消費組合の精神
消費組合の組織
農村と消費組合
第八章 共同耕作組合 / 299
第九章 農本社會と農村教育 / 311
第十章 農村教育の意義・目的・その實現 / 322
教育社會化の要望
要望の社會的要因
教育社會化の意義
農村社會教育の本質
農本社會とは何か
農本社會教育
教育社會化の諸形態と農本社會教育
農本社會教育の實現

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社会思想史研究 : 社会思想史学会年報 (14),1990

2014年01月23日 | 断想および雑談
社会思想史研究 : 社会思想史学会年報 (14)

社会思想史学会 編


雑誌記事索引採録あり;国立国会図書館雑誌記事索引 (通号: 2) 1978~;本タイトル等は最新号による;出版地の変更あり 1号から25号までの出版者: 北樹出版;1号(1977) -

「国立国会図書館のデジタル化資料(雑誌)」より

[目次]
第十四回大会記録〔シンポジウム〕フランス革命の思想的衝撃 / 堀田誠三
安藤隆穂
永井義雄
谷嶋喬四郎
木崎喜代治
清水多吉
森本哲夫 / 4~65
報告 イタリア啓蒙からリソルジメント(国家統一)へ〔含 質疑応答〕 / 堀田誠三 / p4~16<3366166>
報告 革命とそれ以後における自由と公共--思想史的一考察 / 安藤隆穂 / p16~28<3366167>
報告 希望と幻滅--イギリスがフランス革命から学んだもの〔含 質疑応答〕 / 永井義雄 / p28~39<3366168>
報告 フランス革命とヘ-ゲル--時代にとってフランス革命とは何であるのか〔含 質疑応答〕 / 谷嶋喬四郎 / p39~48<3366169>
全体討論 / 伊藤成彦 / p48~65<3366170>
抽象的労働論の重層的問題性〔含 質疑応答〕 / 真田哲也 / p66~77<3366172>
天皇制イデオロギ-の新局面 / 土方和雄 / p78~87<3366173>
幸徳秋水の<アメリカ>〔含 質疑応答〕 / 山泉進 / p88~98<3366174>
インフォ-マル・セッション / 清水多吉 / p99~104<3366175>
「家族」思想の現在 / 安川悦子 / 100~101
マルクス主義の展開 / 伊藤成彦 / 101~102
ハイエクのヒューム論・スミス論 / 田中秀夫 / 102~103
スミスとハイエク / 星野彰男 / 103~103
初期社会主義 / 田村秀夫 / 103~104
加藤一夫の思想--アナキズムから天皇信仰への軌跡 / 三原容子 / p105~117<3366152>
ハインリヒ・グレ-ツにおけるユダヤ的アイデンティティの諸問題--トライチュケ論争をめぐって / 野村真理 / p118~129<3369183>
イエナ期フィヒテにおける言語と共同性 / 木村博 / p130~142<3369393>
孔子と毛沢東 / 岩間一雄 / p143~150<3369362>
第2インタ-100年,メ-デ-100年 / 内田博 / p151~157<3366176>
フランス革命200周年国際シンポジウムをふりかえって / 岡本明 / p158~166<3360940>
「スコットランド啓蒙と経済学の形成」田中敏弘編(古典経済学研究 1) / 鈴木亮 / p167~170<3373239>
「バ-ク政治思想の形成」岸本広司 / 森本哲夫 / p170~174<3373191>
「ロシアインテリゲンツィヤ史--イヴァ-ノフ=ラズ-ムニクと『カラマ-ゾフの問い』」松原広志 / 土谷直人 / p174~177<3373195>
「レ-ニンの経済学」太田仁樹 / 田中良明 / p178~181<3373279>
ゴッドウィンとウルストンクラフトの文献紹介--中央大学図書館所蔵(資料紹介) / 岡地嶺 / p182~189<3366155>


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加藤一夫 主宰〔大正四年~大正七年刊〕「科學と文藝」

2014年01月22日 | 断想および雑談
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科學と文藝



加藤一夫 主宰〔大正四年~大正七年刊〕



■雑誌「科學と文藝」について
文芸、宗教、科学、芸術一般についての月刊雑誌。大正四年創刊。通巻33冊。加藤一夫が西村伊作(大逆事件で刑死した医師大石誠之助の甥)の財政的援助をうけて創刊した。高踏的な雑誌であるとともに、どこまでも民衆的であることを願い、「一種の自由なる教育もしくは研究
機関とする」ことを標榜した。創刊号からしばらくは、西村伊作(牧師作家沖野岩三郎の友人)、安井曾太郎、岸田劉生、中川一政らの油絵も掲げら れ、芸術雑誌の色彩もあって、とくに強い主義主張も見られなかったが、しだいに民衆運動をその旗印にするようにな る。文壇圏外の雑誌に終始し、いちじ誌名が変わったり(「近代思潮」と改題)、同人制から加藤一夫の個人誌になった り、また洛陽堂という大手が引受けた時期があったりで、外見上の消長が目だつ。執筆者は加藤一夫を中心に、坪田譲 治、賀川豊彦、中山昌樹、福田正夫、百田宗治、小川未明、白鳥省吾、野村隈畔らであり、初期には武者小路実篤、長 与善郎、与謝野晶子、吉田絃二郎、寺田寅彦、和辻哲郎、昇曙夢らも寄稿している。大正デモクラシーの反映した雑誌であり、民衆芸術運動の拠点となった。/「日本近代文学大事典」より
■著作権について
当サイトは、一部詩人(下記)の生没年が不明なまま転記・掲載しております。ご意見等ございましたらご連絡ください。
長瀬先司、大川与四、秋葉肇、龍田愁平、辰巳善次郎、砥上常雄、谷口白嶺、永田武之、川田裕二、川上舟一、海南生、 植山義雄、中村宗貞、野村豊吉、草村生

加藤一夫 主宰〔大正4年~大正7年刊〕
科学と文芸 全7巻・別冊1

 別冊:解説(紅野敏郎・大和田茂)・跋(加藤不二子)・総目次・索引
*これのみ分売可(ISBN:4-8350-3342-6 本体価格1000円)
 B5判・上製・函入・総3、500頁
 揃定価98、000円
 ’87年10月刊〔復刻版〕

 本誌は、1910年代後半、華々しく展開した民衆芸術運動の指導者の一人、加藤一夫の主宰した総合文芸雑誌である。
 本誌は、大正デモクラシーを強く反映した雑誌で、執筆者も小川未明・与謝野晶子・辻潤・西村伊作・人見東明らと多彩で、豊な様相を見せている.おりからのトルストイブームに大きな影響を与え、民衆芸術運動の拠点ともなった本誌は、大正デモクラシー期の思潮を辿る上で不可欠の資料である。全33冊を復刻。

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「児童研究」創刊号と児童学

2014年01月21日 | 断想および雑談
要旨:
20世紀初頭のアメリカでは、ダーウィニズムの影響を受けた心理学者のスタンレー・ホールらによって、児童研究運動(Child Study Movement)が起こり、その影響は世界中に広まり、日本にも及ぶこととなった。当時の日本の研究者たちは〝児童学〟を旧来の教育学や心理学との違いを明確にし、生物学的な視点を盛り込むことで子どもの心身を総合的に考察することをめざしていた。本稿では当時の研究者たちが〝児童学〟をどのように捉えていたかを考察していただくために、19世紀末に始まった自然科学的な児童研究が、日本にどのように移入されたのかという原点を確認する意味で、貴重な資料である月刊誌「児童研究」の創刊号の内容の一部を紹介するものである。

20世紀初頭のアメリカでは、ダーウィニズムの影響を受けた心理学者のスタンレー・ホールらによって、児童研究運動(Child Study Movement)が起こり、その影響は世界中に広まり、日本にも及ぶこととなった。明治23年(1890)に心理学者の元良勇次郎、英語学者の神田乃武、社会学者の外山正一、教育学者の高島平三郎らによって、「日本教育研究会」が創設され、後に児童心理学者の塚原政次、心理学者の松本孝次郎も加わり、明治31年(1898)には月刊誌「児童研究」が発行されることとなった。明治35年(1902)には名称を「日本児童学会」に改名し、心理学、教育学、医学の3つの分野から総合的に児童の研究を行う「児童学」を標榜する学会が誕生した。




本稿は、当時の研究者たちが〝児童学〟をどのように捉えていたかを考察していただくために、月刊誌「児童研究」の創刊号の内容の一部を紹介するものである。

19世紀末の科学の時代らしく、児童学は旧来の教育学や心理学との違いを明確にし、生物学的な視点を盛り込むことで子どもの心身を総合的に考察することをめざしていた。興味深いのは、教育や倫理などの基礎づけにも、文化や社会の起源の考察にも、児童研究を生かせると考えているところであり、当時の研究者たちがいかに〝児童学〟という学問に新鮮さとともに期待を感じていたかがよくわかる。

児童学の推進者たちは、子育てや教育に役立てるという実践的な目的だけではなく、「成人と子どもの違い」「文明人と未開人との違い」「ヒトと動物の違い」などを明らかにするための比較研究の方法論のひとつとして児童研究を意識していたことがうかがえる。また、児童研究の動機づけとして、教育の基礎付けとともに人間存在の謎を解き明かしたいという壮大な思いが広がっていた。天文学同様に国際的な協力のもとに研究は進められるべきであるという記述も見られる。ダーウィンの一連の仕事の影響を受け、その信奉者となった世界中の児童研究者たちの思潮がそのまま日本の研究者たちにも流れ込んでいたようである。

明治・大正期の「児童研究」は海外の論文や研究者の紹介が主なもので、原著論文も少なく、内容も雑多なものであり、決して学術的な評価の高いものではないが、19世紀末に始まった自然科学的な児童研究が、日本にどのように移入されたのかという原点を確認する意味で、貴重な資料だと思われる。現在、月刊誌「児童研究」は第一書房の複製版によって読むことができる。

「発刊の辞」と「論説」は編集側の文章であり、執筆者不明だが、「祝辞」は元良勇次郎、「児童研究の発達」は松本孝次郎による。元良勇次郎は日本の近代心理学の父と称され、海外で実験心理学者のヴントや心理学者のホールなどに学び、東京帝国大学に日本で始めて近代的な心理学科を創設した人物であり、日本児童学会の設立にも尽力した。松本孝次郎は心理学者であり、障害児教育の研究者として知られている。

なお、インターネット上の活字の制約から旧漢字の一部は新漢字に、異体字は正字に直し、読みやすいように文章に句読点を増やすなど多少の変更を加えた。また、人物や国名などの固有名に関しても一部は現代の表記に直した。

※参考図書 第一書房「児童研究」複製版3巻、56巻。


「児童研究」創刊号より 明治31年(1898)11月3日

発刊の辞

19世紀の後半において世界の事物は著しく進歩し、学術に工芸にみな急速に観を改めたり。而して学術において、その進歩の顕著なるもの医学の如き理化学の如き、もとより一にして足らずといえども、心理学の如きは、またその顕著なる進歩の行程中にあるものといふべし。

夫れ17世紀の後半においてロックが経験派に属する心理学の基礎を打ち立てし以来、これに続きて18世紀の前半にはヴォルフの合理的心理学の出づるあり。その後半にはカントの知識論の現はるるあり。かくて今世紀の前半においてヘルバルトの観念的心理学出づ。その間一道の気脈綿々絶えず、変化に変化を重ね、発達に発達を加へ、ヘルバルトに至りて、暗にこの光彩絢爛たる今世紀後半の心理学に基礎を与えたり。而してこの基礎は四分五裂して、各固有の方面に向かいて深くかつ遠く研究せられ、ついに吾人が今日に見るが如き各科の心理学を現出するに至りぬ。また盛んなりといふべきなり。

なかんずく児童心理学の如きは、その発達もっともすみやかにして、独に仏に英に米に、あるいは医学上よりあるいは生物学上よりあるいは生理学上よりあるいは解剖学上より熱心にこれを研究し、ついに単に心理学の名に満足せずして、児童学の新名称を付与し、児童の心身全体に関する研究を創むるに至れり。

けだし一対象物につき、かくの如く各科の学者が熱心に研究したるものは古来その類多からざるべし。そもそもこれらの学者は何の必要ありて、かかる熱心を児童の研究に傾注するか。すなわち各自が専門とするところの学に新光明を与ふべき秘密は、かくれて可憐なるこの新来の賓客の中にあればなり。特に教育の如きは直接に児童に関係せるものなれば、その研究の必要いっそう切なるを加えるものあり。これ欧米の学者及びわが国の識者がつとにその研究を企画したる所以なりとす。

しかるに欧米におけるこの種の事業は年々進歩し、著書に雑誌に学会にあらゆる手段を尽くして、その研究に従事せるにかかわらず、わが国においてはかつて幾回か先輩の誘導奨励ありしも、依然として振興の機運に向はざりしは、実に教育上の一大遺憾にあらずや。 

されば本所は奮いて識者先輩の志を継ぎ、我国教育界の機運をして欧米と駢馳して(へんち:並んで)恥づるところなく、よく自国の児童におきて実際の経験観察を重ね、これを欧米のものと比較して、その異同を明らめ、以て国家教育の基礎を置くべき確実なる根拠を得しめんことを期し、ここに天長の佳節を卜(ぼく)し、本誌を発刊して広く世間に頒つに至れり。またこれ吾人教育学術の研究に従事せるものが聖代に酬ゆるの微衷(びちゅう:真心)なり。看ん人これを以ていたずらに流行を追いて利をあみするものと同一視することなかれ。これを発刊の辞とする。


祝辞 元良勇次郎

今人あり。機関の構造を知らずして、器械を使用せんとせば、誰かその危険を思わざるものあらん。あるいは、また植物の性質を知らずして、これを栽培せんとするものあらば、誰かその迂闊を笑わざるものあらん。いわんや万物中最も精巧の活動をなす人類を教育せんとするにあたり、精神活動の性質及びその発達の法則を明にせずして、これを教育せんとするものあらば、人これを何をかいはむ。

頃日、教育研究所において児童研究といへる雑誌を発行せんとする挙ありて、高島・塚原・松本の諸氏またこれを賛し、各その専攻にかかわる学説実験を掲記せしむと聞く。これ我が教育社会のために賀すべきことなりとす。何となればこれ我が教育社会の新事業にして将来大いに希望を属すべきものなりと信ずればなり。そもそも古来の思想によれば人の精神は身体の性質によるべきものにあらず、単にその鍛錬如何によりて発達すべきものなりとし、各個人の性質をも区別せず、ただ厳重なる教育鍛錬を施し、どうもすればこれがために、あるいはその一部の事業に熟達することあるも精神全体の健康を失ひ、その人格を損ひたること少なからざりき。かくのごときはもとより独り東洋にのみ行われたることにあらず。各国を通じて同一の状態なりき。

しかるに、西洋においては近世心理学のますます明なるとともに精神と身体の密接なる関係及び各個人によりて精神活動の状態大いに異なれるを発見し、教育者として必ずまず児童の性質を明にし、その性質に応じてこれを教育せざれば、その功少なくあるいはかえってこれを害するのおそれあることを是認し、児童研究いよいよ盛んなるに至れり。

我国維新以後、百事西洋各国の思想を輸入し、教育の如きも西洋の例に倣いたるなり。これ開国の当時止むを得ずるの事情にして、かくのごとくして吾人を益したること少なからず。しかりといえども、今や教育の事略は整ひたり、今後ますますその発達を謀らんとするには、必ず本邦人の性質を明にし、これに応じて教育の道を講ぜざるべからず。本邦人の性質を明にせんとするにおいては、児童の研究はそのもっとも大切なるものなり。

己にその研究を教育者に促したるもの無きにあらざりしも、その時期の至らざりしがために好結果を得ざりしなり。しかりといえども、今日は己に時機至れるものなるが如し。世の児童研究に従事するものはもちろん、いやしくも教育に関係あるものは直接あるいは間接に発行者の志望をして貫徹せしめんこと余の切望に堪えざるところなり。いささか思うところを述べて祝辞に代ふ。


児童研究 論説 児童研究の必要(一部抜粋)

教育に関する思想界一般の趨勢は、いまや那辺(なへん:どちら)に向いて集注せんとするか。賢明なる読者はすでにこれを認知せるならん。見よ、児童研究と名づくる新方面の研究は19世紀の後半に起こり、将来20世紀の教育界においては次第に研究の焼点たらんとするものあることを。

おそらくは新教育学なるものが児童研究の上に建設せらるるの期あらんと信ずるは、決して迷妄の期望にあらざるべし。ここにおいてか吾人が平生懐抱するところの意見を提げて、これを我が教育界に呈露するはあながち無用のことにあらざるを信ず。

いわんや我が国教育の事業は比較的に進歩したるものありといえども、未だ完美の域に及ばざるや遠し。而してここにまず児童研究と称する思想の新潮流に対して、現今教育者が取るところの態度を顧みれば、ことに歎ずべきもの少なからざるを覚ゆ。いやしくも身を以て教育の事業に当たらんとするものにありてはここに猛省一番の要なしとせんや。

およそ事物の研究は、まず詩的の段階より始まりて、漸々科学的研究に移るものなり。試みにこれをギリシャ哲学の発達に徴するも、最初は詩的思想と謂つべき神話より、次第に純然たる哲学思想を起こしたるが如き是なり。児童の研究の如きもまたかくの如し。

かつてフランスにおいては「ルソー」がその名著『エミール』を公にし、児童を以てこれを研究するの価値あるものなることを唱道したり。この書は実に、世人の児童に対する観念に一大変動を与えたり。而して行文雄健(こうぶんゆうけん:力強き文体に)加ふるに熱情を以てす。読み去り読み来たりて、興味津々たるものあるを覚ゆ。

しかれども、「ルソー」の時代は、もとより今日の時代とは異れり。彼は決して心理学者にあらず。彼は決して生理学者にもあらざるなり。すなわち、彼は児童を観察し、これを研究するに当たりて、現今の如き精密なる科学的眼孔を以てしたるものにあらざることは、何人といえども承認するところなるべし。而して彼はこの精密なる科学的観察に代るに、詩的眼孔を以てせり。しかるに現世紀の後半に至りて、一般に科学の進歩を見るに及びて、先には詩的観察に止まりしものも、今は変じて次第に科学的に考究せられんとす。あに思想界の一大変動というべきものにあらずや。

児童の研究がかくのごとき機運に遭遇せる所以のものはそもそも何ぞや。思ふにこれ畢竟種々の方面の研究よりして児童研究の必要なることを認め得たるを以てなり。そもそも諸般の研究は、種々の必要に迫られて起るものなり。而して児童研究の如きは如何なる種類の必要によりて起りたるものなるか。今これらの問題について考察するは、すこぶる有益なることなりとす。吾人は便宜のために、ここに理論的方面に関する必要と、実際的方面に関する必要とに分かちて、これを論ぜんと欲す。

今理論の方面よりしてこれをいえば、児童研究の必要は、児童が原始的のものなるにあり。自然科学にありては、動物学及び植物学の如きは、古生物学の研究によりて大いにその眞趣を解釈し得たるもの少なからざると同じく、すでに発達せる人間の心理を研究するものは、原始的の状態に遡りて、児童の心理を明らかにせば、これがために大いに得るところあることもちろんなり。また人類学者にとりては、児童は自然の位置において成人と動物との中間に位するものなるを以て、人類と他の動物との比較研究をなし、あるいは文明時代の児童と野蛮人とは、如何なる点において類似せるかを発見するを得べし。

哲学者にとりては、人生ながらにして如何なる種類の知識を有するか。経験は我々に如何なる知識を与ふるものなるか。いわゆる先天観念の如きものは、吾人は到底これを承認せざるべからざるか等の問題に対して、大いに研究の材料を供給することを得ん。ドイツの哲学者「パウルドイスセン」曰く、若幼児童がその生活の最初において、彼らの心に起るところのものを我々に知らしむることを得ば、以て「カント」の唯心論を解するを得んと。けだし至言と謂つべし。

而して児童の研究は、倫理学者に対しても、また大いに指示するところあらんとす。倫理学派中ことに先天的基礎の上に倫理学説を建設せんと欲するもののごときは、しばしば良心の判断を以て、人間の心が本来より有する機能なりとなせり。かくのごときものは心理作用の発達を参照してこれを批判すべきにあらずや。その他人間は、本来自愛的のものなるか、はたまた他愛的のものなるかの問題の如きも、大いに児童研究に待つところありといふを得べし。また生理学者の比較発達の研究の上にも、児童研究するは一大要務なりとす。

さらにひるがえって、実際的の方面より観察すれば、なほ諸般の必要は、続々として吾人の念頭に浮かぶものあらむ。幼児の保育は、如何なる用意と方法とを以てなすべきものぞ。児童の教育は如何なる心理上の基礎によりて行うべきものなるか。学校における児童の管理は如何なる方針と標準とによるべきものなるか。如何なる家庭の教育が児童の発達にとりてはもっとも適当なるものなるかなどの問題に向ひて、確実なる指導を与ふるものは、これ児童研究に外ならざるべく、これらは吾人に直接に必要を感ずるところのものなりとす。

かくのごとく我々は児童研究そのものの理論的及び実際的の必要を詳らかにするときは、這般の事業がよって起こる所以を明らかにすべく、また軽々に看過すべきものにあらざることを知る足らむ。これに加ふるに、吾人は児童が社会において如何なる位置を占むるものなるかを考察するときは、さらにいっそう必要を感じることすこぶる大なりとす。


児童研究の発達  松本孝次郎

児童研究のことたる、決して斬新なる事業といふべからず。古来いずれの国にありても、学者及び教育者は深く児童に注意せるものありしは事実なり。ただに学者及び教育者のみならず、一般の人士もまた多少児童に注意せざるものは、ほとんどなしというも可ならむ。人類は一般にその子を愛せざるものなく、また発育成長を願わざるものなし。これを愛すればすなわち、これに注意すること深く、これが発達を欲すれば、養育扶掖(よういくふえき)至らざることなかるべし。およそ天下の事多しといえども、情を以てこれをいへば、子を思ふ親の心より切なるものはあらず。この切なる熱情を以て、至愛の子に臨む。これゆえに親はその子の笑ふを見てはこれを悦び、叫ぶを聞きてはこれを憐み、如何にして成長せしめんかと、如何にして賢良たらしめんかと、苦心焦慮至らざるところなし。而してこの苦心この焦慮は、これすなわち児童研究に外ならざるなり。

古代ギリシアにおいても、すでに「プラトン」は、その対話篇「共和国」の中に、教育のことを論じ、児童の教育は如何になすべきかを説き、またその対話篇「法律」の中には、児童保育に関する意見を述べ、出生後如何に児童を取り扱うべきを論じたり。その他ローマにおいては、「クインティリアヌス」は、幼年時代の教育がすこぶる重要なる価値を有する所以を説きて、保母の選択はもっとも注意すべき事項なることを述べたり。

これらは皆児童を研究せるものなりといふを得べし。而して時代により、あるいは土地によりて児童に対する観念を異にすれども、要するに多少児童に留意せざるものなく、幾分か児童に関する試験なきものはあらざるなり。故に曰く、児童研究と名づくる事業は、むしろ古代より行われ来るものにして、近頃これに新たなる名称を与えたるに過ぎずと。

しかれども、児童の研究は「ペスタロッチ」によりて、ますます精確となり、現今児童研究において用いられるところの方法と、ほとんど同一なる研究法を行ふに至れり。疑ひもなく古代の研究と近世の研究との間に差異あることもちろんなるは、あたかも他の種類の研究が、その発達上取れるところの段階と同じく、児童研究にありても、古代の経験説は、次第に組織的研究に変じ来れるは、明瞭なる事実にして、児童に関する科学的方法が発達したるは「ペスタロッチ」において、その端緒を開きたりといふを得べし。而して児童研究を以て、一個独立のものとし、これに特殊の名称を附したるは、アメリカ「インディアナ」の人「オスカー・クリスマン」にして、1896年「パイドロギー(Paidology)」と題する論文を著はせるを以て始めとす。

「パイドロギー」は、これを児童学と訳すべきものにして、その語源は、ギリシア語より由来せり。ここに吾人は、よく児童学といへる語に注意するを要す。児童学は決して児童心理学と同意義にあらざるなり。すなわち児童学は、単に児童の精神に関する研究をなすのみにあらずして、身体に関する追究をも包含せしめんとするものなり。換言すれば、児童全体につきて研究せんとするものなり。今この意義における児童研究は、現今如何なる程度に発達し来れるかを攻究すべし。

夫れ児童研究の発達を考ふるに、二個の点において漸々(ぜんぜん:徐々に)進歩し来りたるの傾向あるを見る。(1)研究法の上に変化し来れる傾向あること。(2)種々の興味によりて、諸般の方面に、研究を及ぼせること是なり。

そもそも児童を精確に研究せんとせるはドイツを以て始めとす。1782年「マールブルグ」の哲学教授ディートリッヒ・ティーデマンが『児童精神の発達』を著はせる。これ小児童研究の嚆矢にして、この書はフランスの「ペレー」氏が『ティーディマンと児童学』と題する著書を、1881年において公にしたるより、広く世に紹介せられたり。1851年「レービッシ」氏の著『児童精神の発達史』と題するものを公にせられたるが、実際上著しき勢力を世に与ふることなかりき。その後1856年「シギスムンド」の『児童及び世界』といへる観察録あらはれたり。氏の観察ははなはだ精密なるものとして一般に承認せられたるが、この後「クッスモール」「ゲンツメル」「フィールオルト」などの生理者及び医師が、ますます精確なる研究をなすに至れり。 1880年「フィリッツ・シュルツェー」氏が公にしたる児童の言語に関する研究も、また有益なるものなり。この頃「ストルムペル」氏は、その心理的教育学を著し、附録として初二年間における、女児の精神発達に関する注意を載せたり。

1882年「プライヤー」氏は『児童の精神』と題する著述を公にし、すこぶる精密なる児童の研究をなせり。而してプライヤー氏の著述が、ドイツにおける学術界に及ぼせる影響は、これを外国に及ぼせる影響に比すれば、かえって少なるの傾きあり。

この故に児童研究は、もしその起源をドイツに発せるも、現今もっとも隆盛の域にあるものは、反りて米国なるを見る。しかれども、ドイツにおいても1896年より「コッホ」「チムメル」「ウーフェル」及び「トルゥペル」などの諸氏の尽力によりて、「ディー キンデルフェーレル」と題する研究報告を発行せられ、以て児童心理学のために、大いに貢献するところあるに至れり。

ジギスムンドが『児童及び世界』といえる著書を公にするや。その序文の中に彼の希望を述べて曰く、児童の精神に関して、多数人の一致を以て、研究を進めんことを望むと。この希望は、決して空想を以て終わらざりしなり。少なくとも、英国及び米国における児童研究の発達は、明らかに氏の希望を満足せしむるものにあらずや。

イギリスにおける児童研究は、チャールズ・ダーウィン氏が、1872年幼児の観察を公にせるを以て始めとす。また、その翌年氏が公にしたる『人間及び動物の感情の表出』もまた児童心理学にとりては重要なる著作なり。

これに次いで1878年「ボロック」氏は「児童の言語の発達」といえる研究を著せり。また1889年「ローマニス」氏は『人間の精神的発達』を著し、その他「フランシス・ワーナー」氏は1893年「児童研究」を出版して、研究の方法に関する有益なる著述をなせり。1896年「サレー」氏は、児童の研究を公にして、多くの観察上の事実を蒐集し、1897年「ステイムプル」氏は、これをドイツ語に翻訳せり。
 而して、多人数の団体としては、1881年国民教育協会の設立ありて、多く教育に関する方面を研究し、また1894年「ミス・ロウク」及び「ミス・クラブバアトン」によりて、英国児童研究会設立せられ、現今400名以上の会員と、5個の支会を有するに至れり。そのほか学校衛生改良会の事業の如きも、変態の児童を研究せる点に関して、児童心理学のために、材料を与ふること多し。

アメリカにおいては、有名なる「スタンレー・ホール」氏を以て、児童研究の創唱者となす。氏は1887年より、米国心理学雑誌を発行し、また1891年より教育壇を出版し、広く研究の成果を蒐集して、学会のために便益を与ふることすこぶる多し。而して、1893年以後、児童研究大会の設立に関して、尽力するところ少なからず。ついに児童心理学は、米国において、もっとも健全なる発達をなせるは、「ホール」氏の功興って大いに力ありといふべし。 

またクローン氏は、1895年よりして、児童研究月報を発行せるが、その材料すこぶる豊富にして、しかも有益なるは我々の敬服するところなり。著述として大いに価値あるものは、「トレーシー」氏の「児童心理学」、「ボールドウィン」氏の「児童及び人種における精神の発達」。「ミス・シン」の「児童発達記要」、「オッペンハイム」氏の「児童の発達」、「チェンバレン」氏の「原始的文化における児童」等なり。現今に至りては、カンザス、アイオア、イリノイ、ミネソタ、ネブラスカ、ニューヨークなどのごとき、児童研究会を設けて、さかんに研究の途に進みつつあるを聞く。

フランスにおいては、1863年「ティーディマン」氏の児童観察をオランダ語に翻訳したり。これこの国における、児童研究に関する書籍出版の嚆矢なり。1876年「テーヌ」氏は児童言語の発達について、著名なる著述を公にし、翌年「エグジェー」氏は、児童の知力及び言語の観察及び攻究を著せり。而して児童心理学につきては「ペレー」氏の著述たる(1)『児童初三年の観察』(2)『3年より7年までの児童』(3)『児童の芸術及び詩歌』はもっとも有益なるものにして、1878年において、その第一巻を公にせり。「コムペーレ」氏は、1893年『児童の知力及び道徳の発達』を著し、児童心理学のために貢献するところあり。その他フランスにありては、「心理学年報」を出版して、実験的研究の結果を報告するの機関となせり。

欧米における児童研究の発達に関する概略の状況は、上来著述せるがごとくにして、この間において、吾人は研究の方法につきて、変動せる形跡を認むるとすこぶる容易なりと信ず。すなわち最初はもっぱら観察を主とし、自然的条件の下に児童の発達を研究せるに止まりしが、後には実験的方法を用いて、人工的に種々の条件を設け、児童を研究することとはなれり。而して近来に至りては、単に一個人として、これに従事するのみならず、団体を設けてこの研究をつとむるに至りたるは、児童研究における、一大進歩と見るべきものなり。これに加ふるに研究の方面は、漸々多面的となり、種々の方面より興味を起こし、研究を進むるを以て、次第に完全に児童を知るを得るに至るべし。  今試みにその主なるものを挙げれば、「児童の思想及び推理児童の言語」「児童の感情」「児童の道徳心」「児童の芸術」などにして、これらの問題に関する学者の研究の結果が、世に公にせられたるもの少なからず。されば吾人はこれら参考の材料を得ること難しからず。而してここに輓近(ばんきん:近頃)に至りて、児童研究の新方面と称せらるるものが、さかんに勃興し来れるを見る。この新たなる研究の方面は、教育者によりて実行せられ、畢竟するに実際的価値を有するものにして、主として教育に関するものなりとす。すなわち、幼児保育に関するもの、教授の材料及び方法に関するもの、管理に関するもの是なり。思ふに20世紀における児童研究は、大いにこの方面に向って発達するものあるべく、いわゆる新教育学の基礎は、これによりて大いに得るところあらんと信じるなり。吾人がさらに将来に向ひて、希望するところのものは、かの天文学の研究の如く、各国相協同して、その道の進歩発達を計らんこと是なり。

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広島県三原市立図書館旧蔵寄託図書の 目録作成及び調査研究

2014年01月21日 | 断想および雑談
広島県三原市立図書館旧蔵寄託図書の 目録作成及び調査研究
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広島大学学術ポジトリ

市立図書館に寄贈されていた高楠順次郎・弟の沢井、友人の花井卓蔵の蔵書など含む
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若者と青年(youth / adolescent)

2014年01月21日 | 断想および雑談
若者と青年(youth / adolescent)


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◆社会的なものとしての若者と青年:近代と若者・青年
□「年齢的にいえばおおむね10代後半から30代前半の男女を指す。しかし重要なことはそれが必ずしも生物学的な要因によってのみ規定される段階区分ではないといことだ。実際、政府が2010年に作成した「子ども・若者ビジョン」によれば、「若者」という言葉は、思春期および青年期だけではなく、40歳未満までのポスト青年期を含むとされている。つまりそれは社会により時代により大きく伸縮するということだ。
 そもも非近代社会には、近代社会で知られているような意味での若者は存在しなかったともいえる。それぞれの共同体に固有の通過儀礼によって大人以前の存在が大人へと変化するという仕組みを備えていたからだ。資本主義化の進展が、扶養される子どもである期間と自分で働ける大人になってからのそれとの間を引き延ばしていことによって若者と呼び得る人生のある段階が登場する」(浅野[2012:1367])
□「青年という概念は、「もう子どもではない」が「まだ大人ではない」と社会が考えた人たちをさ・・786 す言葉として生じた。したがって、社会や時代あるいは考え方によって該当する年齢層も異なってくる。日本でも江戸時代までは、10代で元服という通過儀礼があり、元服した人間は一人前の大人とみなされ、青年という概念はなかった」(渡部[2012:786-787])

□「子どもから成人への移行期にある人々。概ね、14、15歳から24、25歳くらいの人をさす。我が国では満20歳をもって青年とする。青年期には、(1)性的成熟を中心とする身体的発達、(2)知的・技能的能力の伸張による大人社会への労働力の準備、(3)情操(=社会的価値を持った感情9の発達や自我確立による社会集団への適応など、社会において成人資格とみなされている諸条件が準備される。青年には自由な役割取得のための実験期間としてモラトリアム=社会的任務遂行までの時間的猶予が与えられる。いまだ半人前であることを自覚している青年は自立を渇望し、自己を直視する。そして禁欲的精神を持ってあらゆる可能性を修業感覚で追求、最終的に社会の継承者となることを目指す。
 青年は生物学的概念に依拠しているのではなく、18世紀後半に、ヨーロッパ社会の近代化・資本主義社会の発展の中、中産階級に出現した社会的かつ歴史的産物である。すなわち産業社会は、工業化と社会的分業の発達に伴う技術の高度化と、それに適合する労働力の育成の必要から、青年という大人でも子どもでもない社会参入への準備期間を形成し、当該者へ産業社会への適応と依存を促したので・・609 ある。しかしながら、このような青年期を与えられたのは中産階級以上の一部の若者層に過ぎず、一般の、そして多数の若者層は子どもから即大人・親へと移行するのが通例である」(新井[1999:609-610])

□「子どもから成人への移行期にある人びとを指す。青年が「子ども」でも「成人」でもない独自の社会的カテゴリーとして出現したのは、近代社会においてである。この青年期にそれぞれの社会において成人資格とみなされている諸条件が準備される。その主な条件として、一般につぎの三点を挙げることができる。(1)性的成熟を中心とする身体的発達、(2)知的・技能的能力の伸長を中心とする労働力の準備、(3)情操の発達、自我の確立を中心とする社会集団への適応力の増進。しかし現在、a)早熟化の傾向、b)高学歴化に伴う職業的自立の遅延、c)管理社会化と価値の多元化による自我の確立の困難、という問題状況のなかで、青年期はいっそう葛藤と緊張に満ちた時代となっている」(社会学小辞典[1997:367])

◆政治的なものとしての青年
□「[…]若者と呼び得る人生のある段階が登場する。
 この段階にある者たちは、生活上の必要性から比較的自由であるため政治的に過激になりやすいと懸念された。資本主義の発達が階級間の対立などを激化させつつあった19世紀の諸社会においてはとくにその懸念は強かった。そこでこれらの時期におかれた者たちを一方においては従順な労働者として、他方においては国民国家の忠実な構成員として育成するためのさまざまな介入が組織されていった。このような教育的な介入の対象として見出されたのが「青年」である。それはあるべき労働者、あるべき国民に向けて発達する途上にあり、正しい発達のために介入を必要とする存在として主題化されたのである。かくして「青年」という概念は、彼らを国民という範疇に包摂することで社会内部の対立を見えにくくするものであった」(浅野[2012:1367])

□「我が国に青年が誕生したのは明治期である。200余年もの鎖国状態によって、西欧に技術的に大きく立ち後れた日本では、西欧に急速に追いつくためには明日を担う優秀な若いエネルギーが必要とされ、ここに青年層が誕生する。青年は「時代の革新者」として、純真かつ積極的に社会変革を志向していった。こうして青年には「清く、正しく、逞しく」といったイメージが付与され、このイメージは60年代末まで続くことになる。だがやはり西欧同様、第二次世界大戦終了までは、青年は高等教育を受けた一部、エリート男性の独占物に過ぎなかった」(新井[1999:610])

◆消費者としての若者
□「「青年」が教育的なまなざしの相関物であったとすると「若者」は独自の文化や消費の担い手として彼らを主題化するための概念だ。1960年代末に先進各国で若者が政治運動の担い手として注目を浴び、その運動が退潮していった後、彼らは独自の文化の担い手として主題化された。山田真茂留が論じるように、その文化は大人世代との違いを強調するという意味での下位性をもつばかりでなく、大人たちへの反発を表明するものであるという意味での対抗性をもっていた。
 しかしその下位性・対抗性は山田によれば、1980年代に急速に進展する消費社会化のなかで解体していくことになる。一方において、若者文化は、大人に対する反発の意味を失い、誰にでも消費可能な商品となっていく(ジーンズやTシャツ、ロック・ミュージックやマンガなどを考えよ)。他方において、その文化は大人たちにも広範に消費されるようになり、若者独自のものとはいいにくくなっていく。その結果、1990年代以降、文化によって若者を主題化することは難しくなった」(浅野[2012:1367])

□「[…]青年のイメージは70年代大きく変化を見せる。ドルショック、オイルショックに伴う高度経済成長神話の崩壊と低成長時代への突入は、受験も含めて企業社会の管理体制を整備していった。その結果、若者層はもはや時代の牽引車としてではなく、エリート層も含めてむしろ体制を構成する歯車の一部でありさえすれば事足りる存在となった。一方、大学や専門学校への進学、およびそれに伴う親の高額な援助負担の一般化は、中流意識と保守化を基調とする新中間大衆的意識を定着させる。青年たちのあいだでは学生生活を学業・修行というよりもエンジョイする期間という認識が浸透、ここに、青年期におけるモラトリアムを永続させようと志向するモラトリアム人間が誕生する。
 若者層は現状を肯定し、また社会に対する関心を著しく低下させ、その半面で自らの新しいものを求めるエネルギーを消費行動を中心とした私的生活へと向けてゆくようになる。この時点で、かつて青年に付与されていた「時代の変革者」としてのイメージは遠い存在となり、80年代に入ると、優等生的なイメージがパロディ化されるまでになる。一方、モラトリアム人間的性質が社会的性格化するに伴い、青年期の特権を維持し続けようとする心性を備える年齢層が40代にまで拡大、若者層に特有の行動形態自体が曖昧化してゆく。これによって、若者層は年齢的区分も不明瞭となり、青年という年齢に依拠した概念そのものが若者層を定義するのは時代遅れの観を呈するようになり、代わって「若者」という呼ばれ方が一般化してゆく」(新井[1999:610])


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▼文献
●――――、1997「青年」濱嶋・竹内・石川編[1997:367]
●新井克弥、1999「青年」庄司・木下・武川・藤村編[1999:609-610]
●渡部真、2012「青年」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:768-769]
●浅野智彦、2012「若者」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:1367-1368]

■濱嶋朗・竹内郁郎・石川晃弘編、1997『社会学小辞典 新版』有斐閣.
■庄司洋子・木下康仁・武川正吾・藤村正之編、1999『福祉社会事典』弘文堂.
■大澤真幸・吉見俊哉・鷲田清一編集委員・見田宗介編集顧問、2012『現代社会学事典』弘文堂.

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▼参考文献
■小谷敏編、1993『若者論を読む』世界思想社.
■阿部真大、2006『搾取される若者たち――バイク便ライダーは見た!』集英社新書(0361B).
■古市憲寿、2011『絶望の国の幸福な若者たち』講談社.
■中西新太郎、2012『「問題」としての青少年――現代日本の〈文化-社会〉構造』大月書店.
■浅野智彦、2013『「若者」とは誰か――アイデンティティの30年』河出書房新社.
■阿部真大、2013『地方にこもる若者たち――都会と田舎の間に出現した新しい社会』朝日新書(406).
■厚生労働省編、2013『平成25年版 厚生労働白書――若者の意識を探る』

●山田昌弘、2012「青年の「アイデンティティ」の二重構造」『青少年問題』648(59巻秋季号):2-7.
●浅野智彦、2012「若者論の現在」『青少年問題』648(59巻秋季号):8-13.
●土井隆義、2012「孤立不安を煽られる若者たち」『青少年問題』648(59巻秋季号):14-19.
●辻泉、2012「オタクの現在を考える」『青少年問題』648(59巻秋季号):20-25.
●山田哲也、2012「「居場所」化する学校と承認をめぐる問題」『青少年問題』648(59巻秋季号):26-31.
●堀有喜衣、2012「「若者の労働研究」はどこへいくのか」『青少年問題』648(59巻秋季号):32-37.
●小谷敏、2012「もちあげ・たたき・あきらめさせる――若者論の20年をふりかえって」『青少年問題』649(60巻新年号):2-7.
●伊奈正人、2012「ゆらぎのなかの若者文化」『青少年問題』649(60巻新年号):8-13.
●難波功士、2012「若者論ウシジマくん」『青少年問題』649(60巻新年号):14-19.
●芳賀学、2012「踊る若者たちと祭りの現在形」『青少年問題』649(60巻新年号):20-25.
●二神能基、2012「「働いたら負け」とつぶやく若者たちへの期待」『青少年問題』649(60巻新年号):26-31.
●布村育子、2012「小確幸の背後にあるもの――幸せのかたちと自己規制のかたち」『青少年問題』649(60巻新年号):32-37.
●古市憲寿、2013「日本の「若者」はこれからも幸せか」『アスティオン』79(2013-11):88-102.

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▼参考文献引用
・若者の誕生
□「そもそも特殊な関心を向けるべき対象としての若者(青年)は、いずれの社会にあっても資本主義の発達と国民国家の形成とが相伴って進展する時期に登場する枠組である。ジョン・ギリスは、イギリス、ドイツ、フランスなど先行する資本主義諸国で青年期がどのように誕生していったのかを描き出している(『〈若者〉の社会史』、新曜社)。要点は三つある。
 第一に、職業に就くまでの時期が延びることによって大人の社会に組み込まれていない若者が出現すること。
 第二に、階級ごとの特徴をもっていた若者の文化が、徐々に中産階級の文化によって浸透され均質化していくこと。
 第三に、軍事的あるいは産業的な合理性へと適合的な身体を形成しようとする関心によって若者の身体が取り囲まれるようになっていくこと」(浅野[2012:9])
 ・ジョン・R. ギリス/北本正章訳、1985『〈若者〉の社会史――ヨーロッパにおける家族と年齢集団の変貌』新曜社.
□「同様の過程はこれらの国に続く形で近代化を経験した日本の場合にも見られる。木村直恵が明らかにしたように明治のある時期に登場した「青年」はそれ以前に「壮士」と呼ばれたような人々が象徴する政治的な活発さを制度の内部に回収し、沈静化するための枠組であった(『〈青年〉の誕生』、新曜社)。このような枠組の整備は、北村三子が論じたように心理学や教育学の確立をともなうものであり、若者たちはそういった諸学問の関心の対象として主題化されるようになる(『青年と近代』、世織書房)。またこの過程において「成功」を目指したり「煩悶」を抱えたりする「青年」として主題化されていたのが主に男性であり、彼らのアイデンティティが女性をいわば「手段」として利用することによって構成されていたことは、平石の研究が詳細に示している通りだ(『煩悶青年と女学生の文学誌』、新曜社)。
 結局、明治期に流通し始めた「青年」という枠組は、政治的対立や性別、地域差などの諸差異を背景に押しやり、専ら生理的・心理的・社会的な発達段階という観点から彼らを主題化しようとするものだった。いずれは国家と資本のために貢献するよき国民、よき労働者となるべきものと想定した上で、その道筋からの離脱を管理するための枠組として「青年」という語は流通し始めたのである」(浅野[2012:10])
 ・木村直恵、1998『〈青年〉の誕生――明治日本における政治的実践の転換』新曜社.
 ・北村三子、1998『青年と近代――青年と青年をめぐる言説の系譜学』世織書房.
 ・平石典子、2012『煩悶青年と女学生の文学誌――「西洋」を読み替えて』新曜社.

□「この時期(1960年代:引用者補足)に起こったもう一つの重要な変化は、言葉の変化だ。日本では明示以来若者層を指す言葉として「青年」が多く用いられていた。それが1960年代を境に「若者」が一般的になったのだ。社会学者の中野収は当時を振り返り「60年代の、なんといえばいいか、とにかくある気分が「青年」ということば〔パラダイム〕の使用を躊躇させた」と述べている。
 また、当時は若者人口が非常に多い時代だった。ベビーブーマーたる「若者」という存在を誰もが無視できなくなったのだ。それと同時に一億層中流意識の浸透によって世代論を語る素地が整った。現代的な意味での「若者」は、まさにこの時代に誕生したといえる。・・98
 言い換えれば、若者というアイデンティティとは、戦後日本のある時期に成立し、安定した諸制度の相関物に過ぎなかったともいえる。その意味で、現代では「若者」を語ることが非常に難しくなってきているといえる。 若者論が流行した1970年代が過ぎ、1980年代には消費社会化の進展により彼らのライフスタイルは多様化した。さらに1990年代に入る頃には「島宇宙化」と形容されるほど、「若者」は単一の存在ではなくなったはずだった」(古市[2013:98-99])

・若者文化
□「[…]「若者」という枠組は、彼らの作り出し享受する文化が上の世代に対して対抗的であり自立的であることに準拠して見いだされるものだ。だがその文化がやがて様々な形で商品化され消費の対象になっていくにつれ、若者文化は、対抗性も自立性も失っていくことになる。なにしろそれらはまさに大人によって供給され、大人もまた享受するような商品なのであるから。
 山田は、若者文化が若者をそれとして切り出す性能を失った後、若者論が論じるべき主題は彼らのコミュニケーションの様式に移動したのだという。実際、1990年代を通して若者論は彼らの友人関係、家族関係、メディアの利用などを主なトピックとして展開されるようになっていった。コミュニケーションのあり方を広い意味での文化と捉えるならば、1990年代までの若者論は対抗文化から消費文化を経てコミュニケーション様式へと焦点を移動させつつ広義の文化に注目するものであったと言える」(浅野[2012:11])
 ・山田真茂留、2009『〈普通〉という希望』青弓社.



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▼若者の意識調査
◇青少年に関する調査研究等|内閣府→http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu.htm
◇「中学生・高校生の生活と意識調査・2012」について|NHK放送文化研究所→https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/121228.pdf
◇財団法人日本青少年研究所→http://www1.odn.ne.jp/youth-study/

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▼関連
◇青年文化/若者文化/ユースカルチャー

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