- 松永史談会 -

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10月例会のご案内 

2017年09月24日 | 松永史談会関係 告知板
松永史談会10月例会

開催日 10月2日  月曜 午前10-12時
場所 喫茶店「蔵」2階 

テーマ 古写真研究の方法②ー絵画資料学への誘いー

古写真研究の方法①として2016年10月24日に南部生涯教育センターにて明治40年ごろの沼隈郡青年大会関係の古写真の熟覧と解説を行った。今回は方法論(平易な記号論:Semiology or Semiotics)的な話題になる。

やさしい記号論



参考文献
富安:ブローデル歴史学の時間構造
1)顔の表情にみる時代性
2)時間の形

海洋汚染の実態をセンセーショナルに示した告発写真(現実)


国家の政治的求心力をUPさせるために撮られたプロパガンダ写真(演出された現実)

テーブル上に地図、指示棒・灰皿・双眼鏡が置かれている。満面に笑みを浮かべた独裁者かそのダミー(ある種のイコン=聖像)とそれをやや作為的な笑顔を浮かべ見守る関係者。


関連記事 文化論としての古写真考(1)

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西川芳渓(西川國臣の長男)の著書:「少年少女お伽花たば」明治45

2017年09月20日 | 断想および雑談
西川芳渓(一郎、1883-1925)、28歳時の作品だ。新聞記者・ジャーナリスト兼業で宮沢賢治のように童話作品を書いていたのだろうか。明治17年生まれだから丸山鶴吉の年子の弟:憲吉と同級生のはずだが当時親父の西川國臣(1858-1939)が校長をしていた松永高等小学校には進学しなかったようだ。國臣は極めつけの教育パパだったが・・・
長男一郎は明治31年に小学校を卒業し、大坂の書肆宝文館に奉公に出され、独学で文筆家としての腕を磨こうとしたが、3年後の明治34年には辛抱できなかったのか早くも帰省。『松永町誌』には80歳で亡くなった國臣の奥さんは身寄りのない家の娘で、何時のころからか松永高女の隣なので文具屋を始めたと。結局家は長男一郎ではなく4男正名が継いだらしい。一郎は岩谷小波との文通をしながら郷里へ帰り地方新聞の記者(明治44年に現在の中国新聞の編集長)の道に進む。地方文壇などでは有名だったらしく菅原守編『備後向島岩子島史』昭和13年、420頁には向島・古江浜の和泉式部手植松を詠んだ和歌「来てみれば千蔵古江の下り松、株一つだになきぞかなしき」を紹介している。
西川芳渓の婚礼写真






序文に岩谷小波・荒川五郎。西川は終生岩谷小波の影響下にあったようだ。
タイトル:少年少女お伽花たば
著者:西川芳渓 著
出版者:誠文館
出版年月日:明45.2



國臣さんの長男:一郎(芳渓)さんはこの婚礼写真の花婿さんでした。嫁さんはシゲノ屋河本英三郎の娘。


ここで紹介した西川の童話集。夏井いつき先生流に評価すれば才能あり、それとも・・・・・
児童教育運動に関わり、晩年は広島県内で児童の自由画・児童劇の奨励などに県下を奔走したジャーナリストだった(『松永町誌』、448-449頁)。

昨夜、西川家のご当主(4男正名の子孫,昭和4年生まれ)に電話したが國臣の俳句類は誠之館高校の同窓会組織に寄贈したとか。昔のものは今は何も残っていないとのことだった。
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三遊前田貞次郎編著『聾画人二承(つんぼがじんじしょう)・十方舎一丸』洛陽堂、大正5

2017年09月17日 | 高島平三郎研究

編著者前田貞次郎(1869-1923)京都府生まれの明治・大正期のジャーナリスト,差別者側の目線で被差別問題解決に取り組んだ部落解放運動家 芸備日日新聞主筆からヘッドハンティングされ広島毎日新聞社長・主筆、文筆家。広島在住30数年。西川國臣の息子(長男)芳渓(一郎、明治17-大正14、享年42)の同僚だ。西川も高島が編集主幹した「児童研究」等の影響下で児童文学に目覚め、東京に出て岩谷小波・久留島某らとの交流をもったが、芥川龍之介や『赤い鳥』の鈴木三重吉らのような大学出がうごめく若手作家仲間の中には入り込めなかったようだ。



山縣二承と十方舎一丸という広島在住の一茶風のユーモア俳句に通じた戯画作家の人と作品を紹介(論評)したジャーナリスト前田貞次郎の書籍だ。前田自身も風刺作家気質の人だった。若いころから高島平三郎編集主幹「児童研究」にいろいろ投稿していたようだ。
参考までに雑誌「まこと」へ前田の評論文が1,2本程度掲載されている。













山縣二承の画風

十方舎一丸の俳画


富士川游は雑誌「飽薇」を出す前に、こういう形で広島県人に対する支援・底上げ運動を始めていた訳だ。洛陽堂は高島の口利きでこの前田三遊編著を出版した。

前田三遊の生まれた「納所村」と言えば京都・大阪堺の、秀吉時代の古戦場「天王山」とか、京都の外城:淀城、石清水八幡宮のご近所。わたしの住んでいた伏見とは目と鼻の先でなんだかこの前田には不思議な親しみを感じる。この人を研究した論文を最近(令和5年10月段階)みつけたが、同和(部落解放)問題には古くより取り込んできたようだ。

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岡本織之助(1869-1936)と高島(1865-1946)との接点 めっけ!

2017年09月03日 | 高島平三郎研究

備後史談10-2、昭和9



備後史談10‐3

岡本織之助(大木屋岡本)は同志社・神学部出身だが、ティーンエイジャのころより高島と交流を持ってきた仲だったことが判る。
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